【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど   作:もろきゅー

126 / 137
126話 白い花

 ティナの言葉を聞いて、すぐには返事ができなかった。

 改めて見ると、ティナの目元は赤く腫れていた。頬には何度も涙を拭った跡が残り、服も髪も土や埃で汚れている。

 

 その隣では、カイトがティナの肩に腕を回し、どうにか立っているような状態だった。

 顔色は悪く、唇からも血の気が引いている。意識はあるようだが、足元は覚束なく、時折ふらつく身体をティナに支えてもらっていた。

 

 ラルフも、騎士の背中に負われたまま意識を取り戻していない。

 聞きたいことはいくつもあった。

 リリアがどうなったのか。誰がこんなことをしたのか。どうしてラルフはこんな傷を負っているのか。

 

 けれど、その前にやることがある。

 

「話は後だ。まず二人を治す」

「え?」

 

 ティナが顔を上げた。

 俺は騎士に背負われているラルフの前へ回り込み、その顔を確かめる。

 右の頬には大きな裂傷が走っていた。血はすでに止まりかけているものの、傷は深く、その周囲には乾きかけた血がこびりついている。

 顔だけではない。鎧や服には土埃が付き、身体のあちこちにも何かに強く打ちつけたような跡が残っていた。

 

「少しだけ、そのままでいてください」

「は、はい」

 

 ラルフを背負った騎士が、落とさないように身体を支え直す。

 俺はラルフの頬へ手を近づけたところで、一瞬だけ動きを止めた。

 

 さっき、ゲオルグさんに使った時は何も起こらなかった。

 魔法そのものは確かに発動していたはずなのに、傷は少しも治らなかった。

 もし、今度も同じだったら。

 そんな不安が頭をよぎる。

 けれど、だからといって使わないわけにはいかない。

 

「……ハイヒール!」

 

 手のひらから淡い光が溢れ、ラルフの身体を包み込む。

 身体から魔力が抜けていく、いつもの感覚。

 そして今度は、目の前ではっきりと変化が起きた。

 大きく裂けていた右頬の傷がゆっくりと閉じていく。血に汚れていた皮膚が元の形へ戻り、周囲の腫れも次第に引いていった。

 

「おお……」

 

 近くにいた騎士の一人から、思わずといった様子で声が漏れる。

 やがて光が収まる頃には、大きかった裂傷はほとんど塞がっていた。

 ただ、完全に元通りというわけではない。

 右頬には斜めに一本、薄い線のような傷跡が残っている。

 どうやら傷跡までは完全に消せなかったらしい。

 それでも、先ほどまでと比べれば十分すぎるほど治っていた。

 

 良かった。

 ちゃんと効いた。

 胸の奥に小さな安堵が広がる。

 けれど、それと同時に、血まみれのゲオルグさんの姿が頭をよぎった。

 

 やっぱり、ハイヒールがおかしかったわけじゃない。

 なら、どうしてゲオルグさんには効かなかったんだ。

 考えかけて、すぐに頭の隅へ押し込める。

 今はそれどころじゃない。

 

「ラルフ様?」

 

 背負っていた騎士が声を掛ける。

 しかし、ラルフは目を閉じたままだった。

 呼吸は先ほどより落ち着いているように見えるものの、意識は戻らない。

 

「傷はかなり治ったと思います。でも、まだ意識が戻っていないので、安全な場所へ運んでください」

「承知しました」

 

 騎士が頷く。

 次はカイトだ。

 

「カイト、こっち向けるか?」

「うぅ……」

 

 返ってきたのは、返事とも呻き声ともつかない声だった。

 ティナに支えられながら顔を上げたカイトの瞳は焦点が定まりきっておらず、額にも汗が浮かんでいる。

 かなりまずそうだ。

 

「動くなよ。ハイヒール!」

 

 今度はカイトへ向けて魔法を発動する。

 淡い光が全身を覆い、ラルフの時と同じように魔力が流れ込んでいく。

 青ざめていた顔には少しずつ血色が戻り、浅かった呼吸も落ち着いていった。

 ティナへほとんど預けられていた身体にも力が戻ってきたのか、傾いていた上体が徐々に自分の力で支えられるようになる。

 やがて光が消えた。

 

「どうだ?」

「……あれ?」

 

 カイトが何度か瞬きをした。

 それから自分の頭へ手を当て、確かめるように首を傾げる。

 

「あ……あれ? 頭が痛くない……」

「意識は?」

「さっきまで、ずっとぼーっとしてたんですけど……今は普通です」

 

 その言葉を聞いた瞬間だった。

 

「カイト!」

「うわっ!?」

 

 ティナが勢いよくカイトへ抱きついた。

 突然のことにカイトが目を白黒させる。

 

「ティ、ティナ!? ちょ、何──」

 

 そこまで言ったところで、カイトの動きが止まった。

 胸元へ顔を押しつけたティナの肩が、小刻みに震えている。

 しばらく戸惑ったように両手を宙へ浮かせていたカイトだったが、やがて何も言わずに腕を回し、ティナの背中へそっと手を置いた。

 そのまま、宥めるように何度かゆっくりと撫でる。

 

「……もう大丈夫だよ」

 

 小さな声だった。

 ティナは答えず、カイトの服を握る手に少しだけ力を込める。

 俺も何となく声を掛けづらくなり、二人からそっと視線を逸らした。

 

「アウラ様」

 

 その時、近くにいた騎士から声を掛けられた。

 振り向くと、そこにいた騎士たちは揃って驚いたような顔で俺を見ている。

 

「アウラ様は……回復魔法をお使いになれるのですか?」

「えーっと……」

 

 そういえば、思いきり見られていた。

 ゲオルグさんの時もそうだったが、ここまで堂々と使ってしまった以上、もう誤魔化しようがない。

 

「ええ。まあ……少しだけですが」

「少し、ですか……」

 

 騎士が微妙な顔をした。

 

「ラルフ様にも回復魔法を使いましたが、どこまで治っているのかは私にも分かりません。意識も戻っていないので、まずは安全な場所へ運んであげてください」

「承知しました」

「……それと」

 

 少しだけ声を落とす。

 

「私が回復魔法を使えることについては、できれば他言無用でお願いします」

 

 騎士たちは一瞬顔を見合わせたものの、すぐに揃って頷いた。

 

「かしこまりました。クラウス様には報告せねばなりませんが、それ以外の者へ軽々しく口外することはいたしません」

「ありがとうございます」

 

 さすがにクラウスへまで黙っていてくれとは言えない。

 それでも、これ以上無闇に広まらないだけで十分だった。

 そこで、ラルフを背負っていた騎士が、俺と一緒に来た四人へ向き直った。

 

「状況を報告する」

 

 それまでの戸惑った表情から一転し、騎士の顔が引き締まる。

 

「リリア様は、賊の女によって連れ去られた。女は地下脱出路の奥へ向かい、そのまま外へ出たと思われる。我々四名は途中でラルフ様たちと合流し、事情を確認した後、他の三名をそのまま追跡へ向かわせた」

「了解した」

「私はラルフ様を屋敷へお連れする。そちらの四名はこのまま先へ進み、先行した三名と合流してリリア様の捜索を続けてほしい」

「分かった。我々が引き継ぐ」

「頼む」

 

 騎士同士で手短に話がまとまる。

 その横で、ティナもようやくカイトから離れた。

 袖で目元を何度か強く拭い、鼻を小さく啜る。

 まだ目は赤い。

 それでも先ほどよりは、少しだけ落ち着いたようだった。

 

「それと、ティナ殿」

 

 ラルフを背負った騎士が、今度はティナへ顔を向ける。

 

「……はい」

「先ほど教えていただいた、リリア様をさらった賊について、分かる範囲で構いません。名前や外見、武器、魔法など、特徴を皆にも教えていただけないでしょうか」

 

 俺と一緒に来た騎士たちも、揃ってティナへ視線を向ける。

 これから追う相手だ。

 どんな攻撃をしてくるのか分からないまま進むより、少しでも情報があった方がいい。

 

「はい。えっと……」

 

 突然全員から注目され、ティナは少しだけ戸惑ったように視線を泳がせた。

 それでも小さく息を吸うと、思い出すようにゆっくりと話し始める。

 

「リゼットと名乗る女です」

「リゼット……?」

 

 聞き覚えのある名前に、思わず呟く。

 少し考えて、すぐに思い出した。

 フィアと一緒にいた女と同じ名前だ。

 まさか、あの時の女が……?

 

「そのリゼットという女が、避難室まで?」

 

 騎士に聞かれ、ティナが頷く。

 

「はい。護衛についてた騎士たちも……あっという間に倒されました」

 

 周囲の騎士たちの表情が険しくなる。

 

「ゲオルグさんも、そいつに?」

 

 俺が尋ねると、ティナは一瞬だけ黙り込んだ。

 それから、俯いたまま小さく頷く。

 

「多分……。リゼット本人は、自分がやったって言ってた。でも、私たちは実際に見たわけじゃないの。ゲオルグさんは私たちを逃がすために残ってくれて……」

「そうか……」

 

 それ以上は聞かなかった。

 さっき見たゲオルグさんの姿を思い出せば、それで十分だった。

 

「リリア様については?」

 

 今度は騎士が尋ねる。

 

「連れていかれました。返してほしければ、アウラに自分たちのところへ来るよう伝えろって」

「場所は?」

「まだ決めてないから、あとで知らせるって言ってました。それから……」

 

 ティナが少し言いづらそうに、俺へ視線を向ける。

 

「アウラのこと、聖女だと思ってた」

「……俺を?」

「たぶん。ずっと聖女って呼んでたから」

 

 思わず額へ手を当てたくなった。

 ネグロスが俺を聖女だと思っているなら、その認識が仲間内で共有されていてもおかしくない。

 リゼットは、その『聖女』を誘き出すためにリリアを連れていった。

 そう考えれば辻褄が合う。

 

「あとそいつは、氷の魔法を使います。かなり強いと思います」

「氷魔法か」

「それと……鞭です」

「鞭?」

「普通の鞭じゃないです。まるで生きてるみたいに動くんです。真っ直ぐ来たと思ったら途中で曲がったり、騎士の人を空中に吊り上げたり……」

 

 ティナはリゼットと対峙した時のことでも思い出したのか、僅かに肩を震わせた。

 

「どこから来るか分からないので、気をつけた方がいいです」

「軌道そのものを自在に操れるのか……」

 

 一人の騎士が難しい顔で呟く。

 

「おそらくは。接近する際は十分注意した方がよさそうだな」

 

 騎士たちが互いに確認するように頷いた。

 

「あと……鎧です」

「鎧?」

「変わった鎧を着てました。露出が激しいっていうか、何て言ったらいいのか……」

 

 ティナが俺を見る。

 

「アウラの着てるのに、かなり似てます」

「俺の?」

 

 思わず自分の身体を見下ろす。

 髑髏を模した意匠の入った、露出の多い鎧。

 確かに、この世界でよく見かける形ではない。

 というか、俺と似たような格好をしてる奴が他にもいることの方が驚きだ。

 何気なく顔を上げる。

 すると、その場にいた騎士たちまで揃って俺の身体へ視線を向けていた。

 

「……」

 

 何だよ……見るなよ……。

 俺だって好き好んでこんな格好してる訳じゃないんだからな……。

 というか、こうして何人もの男から改めてまじまじと見られると普通に恥ずかしい。

 無意識に腰回りを隠しそうになり、慌てて踏みとどまる。

 ここでそんなことをしたら、余計に意識しているみたいじゃないか。

 

「……と、とにかく。この鎧と似た形なんだな?」

「う、うん。細かいところは全然違うけど、形が似てる」

 

 氷の魔法を使い、生き物のように動く鞭を操り、ハイレグアーマーらしきものを着ている女か。

 そこでふと、先ほど治したラルフの頬が頭に浮かんだ。

 

「……じゃあ、ラルフ様の顔の傷も、その鞭で?」

 

 何気なく尋ねたつもりだった。

 けれど、その瞬間、ティナの表情が明らかに強張った。

 

「……違う」

 

 ティナが俯く。

 両手をぎゅっと握り締めながら、小さな声を絞り出した。

 

「あれは……私のせい」

 

 周囲が静かになる。

 騎士たちも口を挟まず、ティナの言葉を待っていた。

 

「リゼットを狙って魔法を撃ったの。でも、ラルフ様を盾にされて……途中で止めようとしたけど、間に合わなかった」

「……そうだったのか」

「ちゃんと狙ったはずだった。ラルフ様に当てるつもりなんてなかったのに……私が、もっと上手くできてたら……」

 

 声が震えている。

 ティナはまだ、自分の魔法でラルフを傷つけたことを強く引きずっているのだろう。

 その時、ラルフを背負った騎士が静かに口を開いた。

 

「ラルフ様を盾にされたのであれば、責められるべきは賊だ」

 

 ティナが顔を上げる。

 

「ですが……」

「あなた方がリリア様とラルフ様を守ろうとして戦ったことは、すでに聞いています。今は、それで十分です」

 

 短い言葉だった。

 けれど、ティナの強張っていた表情がほんの少しだけ緩んだ。

 それでも罪悪感が消えたわけではないらしい。

 俯いたまま、握った拳にはまだ力が入っている。

 必要な情報は、おおよそ共有できた。

 

「ならば急いだ方がいい」

 

 俺と一緒に来た騎士の一人が、地下道の奥へ視線を向ける。

 

「先行した三名と合流し、リリア様を取り戻す」

「僕も行きます!」

 

 声を上げたのはカイトだった。

 さっきまでティナに支えられていたとは思えないほど真っ直ぐ立ち、俺たちを見る。

 

「もう大丈夫です。頭も痛くないし、身体も動きます。俺も一緒に──」

「駄目」

 

 カイトの言葉を遮ったのはティナだった。

 

「ティナ?」

「私たちが行っても、足手まといになるだけよ」

「でも──」

「全然、何もできなかった」

 

 ティナが唇を噛む。

 

「三人で戦っても、全然歯が立たなかった。それどころか、私はラルフ様まで傷つけた」

 

 握った拳が震える。

 

「また同じことになって、皆を傷つけたら……」

 

 最後まで言えず、声が途切れた。

 悔しいのだろう。

 本当なら自分だってリリアを助けに行きたいに決まっている。

 それでも、自分たちとリゼットの間にある力の差を嫌というほど思い知らされた。

 だからこそ、自分から残ると言っている。

 俺はそんなティナの前へ一歩近づき、その頭へ手を置いた。

 

「え?」

 

 そのまま遠慮なく、髪をわしゃわしゃと撫でる。

 

「ちょ、アウラ……!」

「ありがとう、ティナ」

 

 ティナの動きが止まった。

 

「カイトも。二人とも、リリア様を守ろうとしてくれたんだろ?」

「でも……守れなかった」

「それでもだよ」

 

 結果だけ見れば、リリアは連れていかれた。

 でも、二人が何もしていなかったわけじゃない。

 ラルフだって生きている。

 カイトも生きている。

 ティナもこうしてここにいる。

 

「いつも二人には助けてもらってばっかりだからな。今回は俺に任せてくれ」

「アウラ……」

「それに、向こうが俺に用事があるっていうんなら好都合だ」

 

 できるだけいつも通りに聞こえるよう、口元を緩める。

 

「俺が行って、話をつけてきてやるよ」

 

 ティナは何か言おうとして、結局口を閉じた。

 その目に、また涙が浮かぶ。

 

「……絶対に無事で帰ってきて」

「ああ」

「絶対だからね」

「分かってるって」

 

 頭から手を離し、今度はカイトへ目を向ける。

 

「カイト」

「はい」

「ティナを頼むよ」

 

 カイトは一瞬だけ驚いた顔をした。

 それから隣にいるティナを見て、しっかりと頷く。

 

「……分かりました」

「ラルフ様のこともな」

「はい」

 

 ラルフを背負った騎士がこちらへ一礼する。

 

「では、我々は屋敷へ戻ります」

「お願いします」

「アウラ様も、どうかお気をつけて」

「ありがとうございます」

 

 ティナとカイトは最後まで名残惜しそうにこちらを見ていた。

 それでも、もう「行く」とは言わなかった。

 カイトがその隣に立ち、ラルフを背負った騎士と共に、俺たちが来た方向へ歩き出す。

 周囲の明かりが彼らの進行に合わせて一つずつ灯っていく。

 ティナが途中で一度だけ振り返った。

 俺は大丈夫だと伝えるように、小さく手を上げる。

 ティナも僅かに手を上げ返した。

 やがて三人と、騎士に背負われたラルフの姿は、遠ざかる光と共に地下道の向こうへ消えていった。

 俺はしばらく、その暗闇を見つめていた。

 

「……さて」

 

 小さく息を吐く。

 ティナたちの前では、できるだけいつも通りに振る舞った。

 これ以上、不安にさせたくなかった。

 守れなかったと自分を責めているティナに、俺まで怒った顔を見せる必要なんてない。

 

 けれど、本当は全然平気なんかじゃなかった。

 腹の底が、ずっと熱い。

 

 街を滅茶苦茶にした。

 フーバを死なせた挙げ句、その遺体まで弄んだ。

 ゲオルグさんをあんな目に遭わせた。

 護衛の騎士たちを倒し、ラルフを盾に使い、ティナとカイトまで追い詰めた。

 そして、リリアを攫った。

 

 しかも、リリアが狙われた理由は俺だという。

 聖女と勘違いした俺を誘き出すために。

 気づけば、握った拳へ爪が食い込んでいた。

 

 悪いのはあいつらだ。

 そんなことくらい分かっている。

 それでも、自分が狙われているせいで皆が巻き込まれたと思えば、自分自身にまで腹が立った。

 

「……ふざけやがって」

 

 自分でも驚くほど低い声が漏れた。

 誰に向けた言葉なのか、自分でもよく分からない。

 

 リゼットにか。

 こんなことをした奴ら全員にか。

 それとも、自分自身にか。

 たぶん、全部だ。

 

「……アウラ様?」

 

 近くにいた騎士から声を掛けられ、我に返る。

 

「あ……すみません」

 

 握っていた拳をゆっくり開く。

 腹の底に溜まったものは少しも消えていない。

 それでも、今やるべきことははっきりしていた。

 

「行きましょう」

「はい」

 

 俺は四人の騎士と共に、地下脱出路のさらに奥へ向かう。

 俺たちが進むたび、壁に取り付けられた明かりが一つずつ灯っていく。

 

 前へ。

 さらに前へ。

 背後の光は一定の距離を過ぎると消え、さっきまでティナたちがいた場所も、すぐに暗闇へ沈んだ。

 

 そこからはほとんど会話をせず、細い地下道を急いだ。

 先行している三人の騎士にはまだ追いつかない。

 途中に争った形跡も見当たらず、壁や床にも新しい血痕はない。

 少なくとも、この地下道の途中で戦闘になった様子はなさそうだった。

 しばらく走り続けると、やがて前方に大きな扉が見えてきた。

 

「あれが出口です」

 

 騎士の一人が声を上げる。

 先頭の騎士が扉へ駆け寄り、壁に設けられた仕掛けを操作した。

 鈍く低い音を響かせながら、分厚い扉がゆっくりと開いていく。

 隙間から最初に入り込んできたのは、冷たい風だった。

 地下の湿った空気とは違う。

 木々と土の匂いを含んだ、外の空気。

 俺たちは周囲を警戒しながら、扉の外へ出る。

 

「……ここ、街の外か」

 

 すでに日はほとんど沈みかけていた。

 西の空にだけ僅かな赤紫色が残り、頭上には濃い藍色が広がっている。夜へ変わりつつある空の下で、周囲の木々は黒い影のように連なっていた。

 

 地下道の出口は、森の中に隠されているらしい。

 振り返ってみても、扉は岩肌と木々に紛れるように作られており、閉じてしまえばここに地下道の出口があるとはまず気づけそうにない。

 足元を見ると、土の上には新しい足跡がいくつも残っていた。

 

「こっちへ行ったのか?」

 

 しゃがんで確認しようとした時、同行していた騎士が周囲へ目を凝らした。

 

「先行した三名も、おそらくこの先へ向かったのでしょう」

「リリア様たちの姿は?」

「見えません」

 

 当然か。

 リゼットたちがここを出てから、それなりに時間が経っている。

 周囲を見回していると、木々の向こうに細長い建物が見えた。

 森の上へ突き出すように建った、高い塔だ。

 

「……あれは?」

「あちらは街の外周を監視する見張り台です」

 

 騎士が答える。

 

「見張り台?」

「はい。街道や森から魔物が近づいていないか警戒するため、常時兵士が詰めております」

 

 それなら。

 

「リゼットたちを見てるかもしれない」

「私もそう思います。まずは見張り台で確認を──」

 

 騎士がそう言いかけた、その時だった。

 

「……ん?」

 

 視界の端で、何かが光った。

 反射的に顔を上げる。

 少し離れた空の一角。

 

 暗くなり始めた空に、白い光が浮かんでいた。

 最初は星かと思った。

 けれど違う。

 星にしては大きすぎる。

 白い光は藍色の空の中で大きく広がり、そこから幾筋もの光が枝分かれするように伸びていく。

 まるで、花が開くように。

 白く、僅かに青を帯びた無数の光が空中へ広がり、大きな一輪の花を形作っていた。

 

「……なんだ、あれ」

 

 思わず呟く。

 藍色へ変わりつつある空の中で、その白い花だけが不自然なほど鮮やかに輝いていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。