【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
「……終わった、のか?」
口にしてみても、まるで実感がなかった。
フィアとリゼットが消えた場所には、もう黒い霧もほとんど残っていない。木々の間を吹き抜ける夜風が最後の名残を薄く散らし、あとに残っているのは荒れた地面と、折れたり穴を穿たれたりした木々、それから点々と続く赤い血の跡だけだった。
少し前まで、あれほど激しく鉄槌が振り回されていたのが嘘みたいに静かだ。
勝った。
……とは、どうしても思えなかった。
俺一人だったら、間違いなく負けていた。
集中力向上、死中求活、戦闘狂。
あの短い間に三つも新しいスキルを取って、それでもフィアに勝てなかった。それどころか、あいつは最後まで俺を殺そうとはしていなかった。
結局、俺は遊ばれていただけだ。もしフィアが最初から本気で殺すつもりで鉄槌を振るい、あの爆発まで躊躇なく何度も使っていたら──。
そう考えただけで、背中に嫌な汗が滲んだ。
「アウラ様」
「……え?」
声に顔を上げる。
いつの間にかカルスがすぐそばまで来ていた。剣はまだ手にしていたが、切っ先は地面へ向けられている。それでも完全には警戒を解いていないらしく、時折フィアたちが消えた辺りや森の奥へ鋭い視線を向けていた。
「お怪我は?」
「あ……はい。大丈夫です」
答えながら、自分の身体を確かめる。
そういえば気づかないうちに、集中力向上が切れた直後から続いていた妙な感覚が消えていた。
頭を動かしても、視界と身体がずれる感じはしない。
足がどこにあるのか分からなくなることもない。
吐き気も、頭を内側から締めつけられるような鈍い痛みも、ほとんど治まっている。
試しに地面へ手をつき、ゆっくり立ち上がろうとすると、カルスがすぐに空いている手を差し出してくれた。
「無理をなさらず」
「すみません。ありがとうございます」
その手を掴んで立たせてもらう。
少し足元が頼りない気はしたが、さっきのような感覚のずれではない。ただ単純に、長く戦い続けて身体が疲れているだけだろう。
一度深く息を吸ったところで、少し離れた場所からガサガサと草を踏む音がした。
「あー……くそ。痛ってぇ……」
ロイドだった。
最初に姿を現した時に放り捨てた小型の弓を拾い上げ、折りたたみながらこちらへ歩いてくる。
片手では、フィアに蹴り飛ばされた脇腹を何度もさすっている。そこを覆う鎧は、今見ても分かるほど大きくへこんでいた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫に見える?」
「……見えませんね」
「だろ?」
ロイドが顔をしかめながら、へこんだ鎧を指先でコンコンと叩いた。
「ったく……思いっきり蹴りやがって。中身ぐちゃぐちゃになってたりしないよなぁ?」
「動けているなら、大丈夫だろう」
カルスが冷静に答える。
「他人事みてえに言いやがって。つーか、カルス。お前も遅えんだよ。もっと早く撃てよ」
「外すわけにはいかなかったからな」
カルスは悪びれる様子もなく答えた。
「あれは一度しか使えん。撃つなら確実に当てられる瞬間を待つ必要があった」
「その間、俺はあの鉄槌相手に一人で時間稼ぎしてたんですけど?」
「お前なら耐えると思っていた」
「あたりめえだろ。俺を誰だと思ってんだ」
ロイドが胸を張る。
その直後、蹴られた場所が痛んだのか、「いっ……」と小さく呻いて身体を折った。
カルスが呆れたように眉を寄せる。
「無理をするな」
「誰のせいだと思ってんだよ……。はぁ~……鎧はへこむわ、身体は痛えわ。可哀想な俺」
やれやれと大袈裟に肩を竦めるロイドに、カルスは何も答えなかった。
ただ、その表情はどこか慣れている。
二人の性格はずいぶん違うように見えるのに、どうやら昔からこんな調子なのだろう。
さっきだって、まともに言葉を交わしていないのに、カルスの投げたナイフだけでロイドは何をすべきなのか理解していた。
そう考えていると、不意にロイドと目が合った。
「……ん?」
「どうしました?」
ロイドは答えない。
俺の顔を見る。
その視線が少し下へ動いた。
さらに下へ。
髑髏の意匠が刻まれた胸元から、腰、脚へとゆっくり下がっていく。
「…………ほーん」
「……何ですか?」
「いやぁ」
ロイドが何とも言えない顔になった。
「改めて見ると、あんた……すげえ格好してんなと思って」
「い、今それ言います!?」
思わず声を上げた。
「いやいや! 戦ってる時はそれどころじゃなかったんだよ! こうして落ち着いて見てみるとさぁ……な?」
「落ち着いて見ないでください!」
「ロイド」
カルスが低い声で名前を呼ぶ。
「女性の装いを上から下まで眺めるものではない」
「いや、カルス。お前だって思っただろ?」
「思っていたとしても口に出す必要はない」
「思ってたんじゃないですか!」
思わずカルスにも突っ込むと、カルスが僅かに視線を逸らした。
「……申し訳ありません」
「謝られると余計に恥ずかしいんですけど……」
「ほら見ろ。カルスだって見てんじゃねえか」
「お前と一緒にするな」
さっきまで命のやり取りをしていたとは思えない。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
張り詰めっぱなしだった何かが、少しだけ緩んだ気がする。
俺は小さく息を吐いてから、改めて二人を見た。
「それにしても……お二人は、どうしてここに?」
「ああ、それか」
ロイドがカルスを見る。
カルスが頷き、俺へ向き直った。
「私はクラウス様と共に騎士団へ合流していました」
そういえば、カルスはクラウスと共に、騎士団と合流すると言って出て行ったんだったな。
「街には魔物が多くおり、避難が間に合っていない住民も大勢いました。クラウス様は騎士団と合流すると、その場で兵士や騎士たちと連携を取り、市民の避難と魔物の排除を優先するよう指示されました」
カルスの話によれば、あの後クラウスたちは騎士団と合流し、街の各所に散っていた騎士や兵士たちをまとめながら、避難誘導と魔物の討伐を続けていたらしい。
暴れていたのは魔物だけではなく、ドルガに操られた死体もいた。
それらを倒しながら逃げ遅れた住民を安全な場所へ移し、ようやく戦況が落ち着き始めたところで、一度屋敷へ戻ったという。
「そこで、屋敷も襲撃を受けていたことを知りました」
カルスの声が僅かに低くなる。
「ゲオルグ様が重傷を負い、聖療教会へ運ばれたこと。そして、リリア様が連れ去られたことも」
「……ゲオルグさん」
胸の奥が少し重くなる。
でも、教会へ運ばれたのなら治療は受けているはずだ。
今は大丈夫だと信じるしかない。
「私たちはリリア様を追うため、すぐに屋敷を出ました。ちょうどその頃、ロイドも屋敷へ到着したのです」
「俺はレオン様に言われてな」
ロイドが話を引き継いだ。
「大通りの方もだいぶ片付いてきたから、先に何人か屋敷の様子を見てこいってさ。あっちで変な光が上がってたのも気になってたしな」
そういえば、俺もレオンには屋敷の方角で光を見たことを伝えていた。
それで騎士を先に向かわせると言っていたはずだ。
「屋敷まで戻ったら酷え有様でよ。そこでカルスと鉢合わせたってわけだ」
「何名かの騎士と共に屋敷を出たのですが、避難路を抜けた頃、空にあの光が見えましたので」
「あの光?」
「月白花です」
「あ……」
リリアが魔法で作った花か。
「リリア様がお使いになる魔法かもしれないと考え、見張り台には同行していた騎士たちに向かってもらいました」
カルスが森の向こうへ視線を向ける。
「我々も月白花の上がった方角へ向かっていたのですが、その途中でこちらから戦闘音が聞こえました」
「で、二手に分かれたってわけだ」
ロイドが続けた。
「真正面から二人揃って出てっても、あの女相手じゃ意味ねえだろ? カルスが反対側へ回って、俺がこっちから近づいた」
そこでようやく、俺にも全部が繋がった。
「あの投げナイフ……」
「ああ。私です」
カルスが頷く。
「ロイドへ私の位置を知らせる意味もありました。もっとも、あの女性が掴み取るとは思いませんでしたが」
「十分だったぜ」
ロイドが鼻を鳴らした。
「あっちからナイフが飛んできた時点で、お前が回り込んでるのは分かったからな」
だから、姿を現したロイドは一度だけ反対側の森を見たのか。
あの一瞬で、二人の間では必要な情報がほとんど共有されていたらしい。
「……よく分かりましたね」
「長い付き合いだからな」
ロイドがそう言ったところで、カルスが僅かに眉を上げた。
「そこまで長くはない」
「細けえなぁ」
その時だった。
森の奥から、複数の足音が聞こえてきた。
枝を踏み折る音。
鎧の金属同士がぶつかる音。
それも一人や二人ではない。
カルスの表情が一瞬で引き締まり、剣を持ち直す。
ロイドも腰へ手を伸ばした。
「カルス!」
「ロイド!」
直後、聞き覚えのない男たちの声が飛んできた。
木々の間から何人もの騎士が姿を現す。
全員が剣を抜いていた。
息を切らし、額には汗を浮かべている。どうやらまだこちらで戦闘が続いていると思って、かなり急いで駆けつけてきたらしい。
「無事か! 敵はどこだ!」
「遅えっすよ、先輩」
ロイドが即座に答えた。
「もう逃げちまいましたよ」
「お前なぁ……」
先頭にいた三十代くらいの騎士が露骨に顔をしかめた。
「こっちはあの長い避難路を走り抜けたあと、見張り台からここまで全力で走ってきたんだぞ」
「いやぁ、俺も大変だったんすよ。見てくださいよ、この鎧」
「知らんわ」
「冷てえなぁ」
「それよりお前、その口の利き方は何だ」
さらに後ろから現れた年嵩の騎士が、呆れたようにロイドを見る。
四十代……いや、もう少し上だろうか。
他の騎士たちより明らかに年上で、ロイドもその顔を見た途端、ほんの少しだけ姿勢を正した。
「っと、失礼しました!」
「騎士になったというのに、相変わらず冒険者気分が抜けていないようだな」
「いえ、そんな事はありません!」
「そうか?」
年嵩の騎士が髭を撫でる。
「なら今度、ゲオルグ様にもう一度きっちり躾けてもらった方がよさそうだな」
「ちょっ! ゲオルグ様だけは勘弁してくださいよ!」
さっきフィアの鉄槌を前にしていた時より、ロイドの顔が明らかに引きつった。
「俺、結構ちゃんとやってますから! 最近は礼儀だって覚えたし!」
「今のどこがだ」
「ほら、ちゃんと『先輩』って付けたじゃないですか!」
「そこじゃない」
「カルス、お前からも何とか言ってくれよ」
ロイドが助けを求めるように振り返る。
カルスは一瞬だけ考えた後、真顔のまま口を開いた。
「私も、もう一度ゲオルグ様に指導していただくのが良いと思う」
「お前まで乗っかるんじゃねえよ!」
思わず吹き出しそうになった。
ゲオルグに一体どんな指導をされたのかは知らないが、ロイドにとってはフィアとは別の意味で恐ろしい相手らしい。
ロイドが何やら抗議を続けていると、カルスがふと思い出したように騎士たちへ向き直った。
「それより、リリア様は?」
その一言で空気が変わった。
「ああ」
先ほどロイドと言い合っていた騎士が、今度は真面目な顔で頷く。
「ご無事だ」
「……!」
「見張り台で保護した。大きな怪我もない。かなり疲れてはおられるが、命に別状はない」
カルスの肩が僅かに下がった。
「……よかった」
それだけだった。
けれど、普段ほとんど表情を崩さないカルスが目を閉じ、ゆっくり息を吐く。
ロイドも、さっきまでのふざけた様子を消して頭を掻いた。
「あぁ、本当にな」
俺も胸の奥に溜まっていたものを、一気に吐き出すように息をした。
よかった。
本当に、よかった。
フィアを倒せなかったとか。
逃がしてしまったとか。
そんなことは今だけはどうでもよかった。
リリアは助かった。
ちゃんと生きている。
それだけで十分だった。
「見張り台でリリア様を見つけた時には驚いたぞ」
騎士が続ける。
「リリア様から事情を聞いて、こちらでまだ戦っていると分かったからな。何人かをリリア様の護衛に残して、俺たちは加勢に来た」
「もうちょっと早けりゃ、俺がこんな目に遭わずに済んだんですけどねぇ」
ロイドがへこんだ鎧を見せる。
「まだ言うか」
「言いますよ。クソ痛えんですから」
再び小さな笑いが起こる。
ほんの少し前までなら、こんな会話をしている余裕なんてなかった。
「街の方は……どうなっていますか?」
俺が尋ねると、年嵩の騎士が答えてくれた。
「こちらへ来る前に報告を受けております。大通りを含め、暴れていた魔物はほぼ片付いたそうで、操られていた死体も、もう大きな集団は残っていないとのことです」
「じゃあ……」
「ええ。まだ残党の確認や負傷者の救助は必要ですが、少なくともこれ以上、街中で大規模な戦闘が起きる状況ではないかと思われます」
その言葉を聞いた瞬間、全身から力が抜けそうになった。
慌てて足へ力を入れる。
リリアは無事。
街の魔物もほとんど倒された。
もう、誰かがどこかで戦っているのではないかと怯えながら走り回らなくてもいい。
「……終わったんですね」
今度は、さっきより少しだけその言葉を信じられた。
「まあ」
ロイドが頭の後ろを掻く。
「あの女も逃げたし、他の連中も捕まっちゃいねえけどな」
そうだ。
フィアとリゼットだけじゃない。
ネグロスとドルガもまだいる。
結局、敵は誰一人として捕まえていない。
勝ったなんて、とても言えなかった。
それでも──。
「少なくとも、今夜の戦いは終わりだ」
カルスが静かに言った。
その言葉に、誰も反論しなかった。
何となく空を見上げる。
さっきまで見張り台の上空に浮かんでいた月白花は、もう跡形もなく消えていた。
夜空にはいつもの月と星だけが浮かんでいる。
森を抜ける冷たい風が頬を撫でた。
そこでようやく、自分がずっと息を詰めていたことに気づいた。