【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
ヴェルノを包んでいた淡い光が消えても、シエルはその場を離れなかった。
眠っているだけだ。
それを確かめるように、シエルはもう一度ヴェルノの額へ手を置いた。
温かい。
その感触に、胸の奥で張り詰めていたものが少しだけ緩む。
けれど、安心していられたのは、ほんの僅かな間だけだった。
「こっちにも怪我人がいる!」
「こっちにも回復魔法を頼む!」
「この人、血が止まらないんです!」
あちこちから声が飛んでくる。
見渡せば、まだ大通りには多くの負傷者が残されていた。倒れた冒険者、血に濡れた布を傷口へ押し当てられている騎士、壁にもたれて苦しそうに息をする男。仲間の肩を借り、それでも自分の足で歩こうとしている者もいる。
少し離れた石畳の上には、先ほど投げ捨てた白杖が転がっていた。
シエルは一度だけ、そちらへ目を向ける。
あの杖のお陰で多少の回復魔法が使える。そういうことにしていた。
聖女シエルではなく、回復魔法を少し扱えるだけの女として振る舞うための道具だった。
だが、もう拾う気にはならなかった。
ヴェルノが死にかけているのを前にした時点で、そんなものはどうでもよくなっていた。正体が知られれば、自分を狙う者たちに居場所まで知られるかもしれない。
それでも、血に濡れた石畳や壊れた建物、その間に横たわる人々を見ていると、今さら自分の身を守るために力を隠している場合ではないと思えた。
今回の襲撃で狙われていたのは自分だ。
アウラは襲ってきた者たちが悪いと言ってくれた。それでも、自分のせいでこうなったという思いを、シエルは拭いきれなかった。
「負傷している方はこちらへ集まってください!」
シエルは立ち上がると、大通りへ届くように声を張った。
「歩ける方だけで構いません! 動けない方、意識のない方はそのままで! 後で私がそちらへ向かいます!」
ざわめきが広がり、先ほどヴェルノを治療したところを見ていた者たちが反応する。
「回復魔法だ! あの子、回復魔法が使えるぞ!」
「おい、歩ける奴は集まれ!」
「こいつも頼めるか!?」
「その人は動かさないでください! 私が行きます!」
シエルは周囲へ手を広げ、魔力を練り上げた。
もう隠す必要も、威力を抑える必要もない。
「ヒーリンググレイス」
シエルを中心に生まれた淡い輝きが、大通りの一角を覆った。
傷口から流れていた血が止まり、浅く裂けていた皮膚が塞がっていく。腫れ上がっていた腕から痛みが引き、それまで顔を歪めていた者たちの表情が次々と変わった。
「……おぉ?」
「傷が治った……?」
「痛く、ない……」
驚きの声が上がるが、シエルには聞いている余裕などなかった。
ヒーリンググレイスは広範囲の負傷者を一度に治療できる一方、重傷者まで完全に回復させられる魔法ではない。
「ここで待っていてください」
シエルはすぐに駆け出した。
最初に向かったのは、腹部から大量に血を流している冒険者だった。
傷と失血、それぞれに適した回復魔法を施すと、青白かった男の顔へ少しずつ血色が戻った。
その後も、傷の状態に応じて魔法を使い分けながら、次々と負傷者を治していく。
魔力が減っていく感覚はある。それでも、止まるつもりはなかった。
「他に! 他に負傷している方はいませんか!?」
大きな声で呼び掛けたが、返事はなかった。
代わりに、近くにいた女性冒険者がおそるおそる近づいてくる。
「あの……もう、ここにいる奴らは、みんな治ったと思う」
「本当ですか?」
「ああ。少なくとも、あたしが見てた奴らは……」
女性は信じられないものを見るような目でシエルを見ていた。
周囲を確認すると、先ほどまで横たわっていた者たちの多くが身体を起こしている。仲間に支えられて立ち上がる者もいれば、自分の手で傷がなくなった場所を何度も触っている者もいた。
「……そうですか」
シエルは小さく息を吐き、すぐにヴェルノのもとへ戻った。
「あの、この子を安全な場所まで運んでいただけませんか?」
先ほど声を掛けてくれた女性冒険者へ頼むと、彼女はすぐに頷いた。
「任せなよ。この子には随分助けられたからね。怪我人を運んだり、あたしらを庇ったり……何人助けたか分かりゃしない」
周囲にいた冒険者たちも集まってくる。
「俺も手伝う」
「じゃあ、そっち持て」
「他にも動けない奴がいたら、一緒に運ぼう」
女性冒険者はヴェルノの身体を丁寧に背負うと、シエルへ笑いかけた。
「今度は、あたしたちがこの子を助ける番さ」
「……お願いします」
シエルは深く頭を下げ、ヴェルノが冒険者たちに守られながら運ばれていく姿を見送った。
その時、大通りの向こうから複数の騎士が近づいてきた。
中心にいたのは、レオンだった。
「アウラさん──」
シエルの顔を見たレオンが途中で言葉を止め、僅かに首を傾げる。
「いや、君はシャロンさんかな?」
「ええ、そうです」
シエルは思わず目を瞬いた。
「よく分かりましたね」
「ああ、それはまあ……」
レオンの視線がシエルの服へ落ちる。
「アウラさんは、ほら……随分と特徴のある鎧を着ていただろう?」
「……あ、はい」
それはそうだった。
むしろ、あの格好と間違えられる方が困る。
「先ほどから負傷者を治療してくれていたのは、君だよね?」
「はい」
「助かったよ。本当に。さっきまで動けなかった者まで立ち上がっている」
レオンは周囲を見回し、それから少し迷うような顔をした。
「それにしても、この回復魔法……君は一体──」
「あ……えっと」
来ると思った。
これだけの回復魔法を人前で使えば、疑問に思われて当然だ。以前ならどう誤魔化すか必死に考えていただろう。
けれど、今は違った。
「後で、全てお話します。ですから今は、他の負傷している方々を治療させてもらえませんか?」
レオンは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに頷いた。
「ああ。分かった。この辺りの負傷者は君のお陰でほとんど大丈夫そうだ。他となると──聖療教会だな」
「教会?」
「ああ。重傷者は優先してあそこへ運ばせている。相当な人数が集まっているはずだ」
聖療教会へ、本来の力を隠さずに行く。
そうなれば、さすがに何も知られずに済むとは思えない。自分を知る者もいるし、使う魔法を見れば、いくら変装しているとはいえ気づく者がいてもおかしくなかった。
行けば、もう戻れないかもしれない。
けれど、迷いはもうなかった。
「分かりました。すぐに向かいます」
「頼めるかい?」
「はい」
負傷者がいる。
それだけで十分だった。
「ありがとう」
レオンが微笑む。
「僕はこのまま残党の確認に回る。君には騎士を一人付けよう」
「そんな、護衛なんて──」
「駄目だ」
柔らかな口調のまま、きっぱりと言われる。
「これだけ大勢を助けてくれた人を、一人で歩かせるわけにはいかないからね」
レオンは近くにいた騎士へ声を掛けた。
「彼女を聖療教会まで案内してくれ。その後も、屋敷へ戻るまで護衛を頼む」
「はっ!」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだよ」
レオンは疲労を滲ませながらも、爽やかな笑みを崩さなかった。
「君のお陰で、大勢が救われた。本当にありがとう」
そう言い残すと、レオンは他の騎士たちを連れて去っていった。
シエルも案内役となった騎士と共に、聖療教会へ向かった。
聖療教会は、大通りから少し離れた場所に建っている。
高い塀に囲まれた広い敷地の中央には、白い石造りの立派な教会がそびえていた。尖塔や色鮮やかな窓、彫刻の施された柱を備えたその場所は、普段なら静謐という言葉が似合うはずだった。
だが、今夜は違った。
「次の方をこちらへ!」
「包帯が足りない! 倉庫から全部持ってこい!」
「その人は動かすな! 傷口を押さえていろ!」
「水を! 誰か水を持ってきてくれ!」
門を潜る前から怒鳴り声が聞こえていた。
敷地内には、騎士や冒険者、町の住民まで多くの負傷者が溢れている。
その間を、聖職者たちが忙しく走り回っていた。まだ若い聖職者が額に汗を浮かべながらヒールを繰り返し、その隣では魔力を使い果たしたらしい男が膝をつきながらも包帯を巻く手伝いを続けている。
誰もが必死だった。
回復魔法を使える者にも限界があり、治癒術師の数より傷ついた人間の方が圧倒的に多い。
「列に並べ! 順番を守れ!」
その中で響いた声が、シエルの耳についた。
「規定の献金を用意できない者は後だ! こちらにも限界があるんだぞ!」
「お願いです!」
幼い子供を抱いた女性が、泣きながら訴えている。腕の中の子供は額を布で押さえられていたが、そこから血が滲み続けていた。
「この子だけでも! ずっと血が止まらないんです! お願いですから!」
「だから順番だと言っているだろう!」
少し離れたところからも怒鳴り声が聞こえた。
「こっちは献金を払ってるんだぞ! 早く来てくれ!」
冒険者らしき男の隣には、腹部を血で染めた女性冒険者が座り込んでいる。顔色は悪く、目の焦点も怪しい。
列は長い。
このまま待っていたら、間に合わない者も出る。
「少し離れてください!」
シエルは立ち止まることなく、負傷者たちの前へ進み出た。
「な、なんだお前は!?」
先ほどまで献金について怒鳴っていた聖職者が振り返る。
だが、シエルは見向きもせず、魔力を練り上げた。
すでにかなり使っている。残量は最初と比べれば明らかに減っていた。
「ヒーリンググレイス」
淡い光が夜の教会前を満たし、長く伸びていた負傷者の列を包み込んだ。
「なっ……」
誰かが息を呑む。
傷が塞がり、流れていた血が止まり、苦痛に顔を歪めていた者たちから次々と痛みが引いていく。
「痛く……ない」
「傷が……消えてる……」
「お、おぉ! 腕が動くぞ!」
驚きの声が上がった。
「まだ気分の悪い方、意識が朦朧としている方、自力で立てない方は教えてください! もう大丈夫な方は敷地の端へ移動して、場所を空けてください!」
言われるまま、治療を終えた者たちが移動し始める。
あれほど長かった列が、一気に崩れていった。
「き、貴様!」
甲高い声が響く。
「一体何をしている!? ここを聖療教会だと知って、そのような勝手な真似を──!」
シエルは、ようやく男を見た。
覚えのある顔だった。
「黙りなさい」
「ひっ……」
自分でも驚くほど低い声が出た。
普段のシエルなら、人をこんな目で睨みつけることなど滅多にない。だが、死にかけている人間を前にしてなお献金の話を続ける男には、腹の底から怒りが湧いた。
「あなた……モリス、だったわね」
「な……」
男の顔から血の気が引く。
「な、なんで俺の名前を……?」
「今はどうでもいいでしょう。あなたこそ、こんな状況で何をしているの?」
「な、何って……教会には教会の決まりが──」
「今、人が死にかけているのよ」
それだけで、モリスは口を閉じた。
「治療する気があるなら手伝いなさい。ないのなら、せめて邪魔をしないで」
モリスは何も言えず、やがて逃げるように教会の建物へ走っていった。
シエルはその背中を見送ることさえせず、すぐ負傷者へ向き直る。
「お嬢さん」
一人の老人が、深く頭を下げた。
「ありがとう。あんたのお陰で、もう痛みがない」
「……いえ。私の方こそ、申し訳ありません」
「え?」
「もっと早く来るべきでした」
それだけ言って、次の患者へ向かう。
ヒーリンググレイスだけでは治りきらなかった者を一人ずつ診て、状態に応じて魔法を使い分けていく。
案内をしてきた騎士も、いつの間にか何も言わなくなっていた。ただ、シエルの治療を呆然と見つめている。
「……シャロン様。あなたは、一体……」
シエルは答えなかった。
まだ中に負傷者がいる。
外の負傷者を治療し終えると、シエルは教会の中へ入った。
扉の向こうは、外以上の有様だった。
普段なら磨き上げられた床が続き、彫刻や絵画が並ぶ豪華な廊下には、今夜は毛布や布が敷き詰められ、至るところに負傷者が横たわっている。
白かった床には血の跡が残り、何人もの聖職者がその間を行き来していた。
「ヒール!」
若い聖職者が傷口へ手を当てる。
「駄目だ……傷が深すぎる! 俺のヒールじゃ追いつかない!」
「ペリオ様! こちらをお願いします!」
「分かっとる! じゃが、こっちが先じゃ!」
奥から老人の怒鳴り声が返ってくる。
灰色の髪を短く整えた老聖職者が、額に汗を浮かべながら負傷者の治療に当たっていた。
「ハイヒール!」
強い光が負傷者を包み、深い傷を塞いでいく。
ペリオのことはシエルもよく知っている。
この教会でもかなり高位の治癒魔法を扱える人物で、普段は口うるさいところもあるが、少なくとも今は必死に人を救おうとしていた。
「次じゃ! 重傷者からこっちへ運べ!」
「はい!」
その声に応えるように、教会の入口が騒がしくなる。
「道を空けてくれ!」
「重傷者だ!」
「ブルム家のゲオルグ殿だ! ペリオ様、診てください!」
シエルの身体が止まった。
「……え?」
数人の騎士が担架を運び込んでくる。
そこに横たわっているのは、何度も言葉を交わした見慣れた老人だった。
「ゲオルグさん……?」
シエルは駆け出していた。
「こちらへ運べ!」
ペリオが指示を飛ばす。
「ブルム家からの患者じゃ、急げ! 状態を──」
ペリオが診察を始めるより早く、シエルは担架の横へ膝をついた。
ゲオルグは動かなかった。
胸元から腹部にかけて幾重にも巻かれた布は、ほとんど真っ赤に染まっている。対照的に、その顔は青白かった。
「ゲオルグさん!」
返事はない。
そんなはずはない。
「グレーターヒール!」
反射的に魔法を唱える。
淡い光がゲオルグの身体を包み、やがて静かに消えた。
傷は、何一つ変わらなかった。
「…………ッ!?」
シエルは息を呑み、首筋へ指を当てる。
脈がない。
胸も動いていない。
呼吸もない。
「……そんな」
手が冷たい。
「ゲオルグさん……」
分かってしまった。
グレーターヒールは、どれほど酷い傷であっても、生きてさえいれば大きく回復させることができる。
だが、死者には効かない。
ゲオルグは、ここへ運ばれてくるより前に、すでに亡くなっていた。
「……まさか」
ペリオも慌てて脈を確認し、その表情を変えた。
周囲の騎士たちも、何が起きたのか理解したらしい。
「ゲオルグ様……?」
一人が掠れた声で呼び掛ける。
シエルは俯いた。
その時、一つの魔法が脳裏をよぎる。
リザレクション。
死者を蘇らせる、シエルの回復魔法の中でも極めて特殊な術。
だが、今残っている魔力では使えない。
ここまで何人もの負傷者を治し続けたことで、リザレクションを発動できるだけの魔力はもう残っていなかった。
だからといって、回復を待つこともできない。
リザレクションは死亡直後が最も成功しやすく、時間が経つほど急速に成功率が落ちていき、やがてどれほど魔力を注いでも効果がなくなる。
ゲオルグがいつ亡くなったのか、正確には分からない。だが、この冷たさからして、命を失った直後ではないことだけは分かった。
今すぐ使えたとしても成功の保証はなく、魔力が戻るまで待ってからでは──。
もう、届かない。
「……申し訳ありません」
シエルはゆっくり顔を上げ、騎士たちを見た。
「ゲオルグさんは……もう、亡くなっています」
誰も声を出さなかった。
やがて一人の騎士が俯く。
「……そう、ですか」
握り締めた拳が震えていた。
別の騎士は何も言わず、唇を噛んでいる。
シエルはもう一度、ゲオルグの手へ触れた。
冷たい。
救えなかった。
ヴェルノは救えた。大通りでも、教会の前でも、多くの人を救うことができた。
それでも。
全員は、救えない。
「ペリオ様!」
その時、廊下の奥から声が上がった。
「こちらの方、出血が止まりません!」
「誰か! 意識がなくなったぞ!」
「ペリオ様!」
助けを求める声が飛び交う。
シエルは目を閉じた。
どうしてもっと早く来られなかったのか。どうして自分は──そんな言葉が次々と浮かんでくる。
けれど、まだ生きている人がいる。
まだ助けられる命がある。
ならば、立ち止まってはいられない。
シエルはゲオルグの手を静かに戻した。
「……お願いします」
騎士たちへ頭を下げる。
「ゲオルグさんを……」
その先は言えなかった。
それでも騎士たちは理解したように頷いた。
「……はい」
シエルは立ち上がり、振り返る。
「どなたが一番危険ですか! 重傷者をこちらへ! 動かせない方は場所を教えてください!」
一瞬、教会内の視線が集まった。
「お、お嬢さん?」
ペリオが目を丸くする。
「何を──」
「ヒーリンググレイス」
再び光が広がった。
淡い輝きが教会の廊下を駆け抜け、負傷者たちを包み込んでいく。
「な……!」
ペリオが目を見開く中、苦しげだった声が次々と小さくなった。
シエルは止まらない。
「こっちの方の出血は止めました。後はヒールをお願いします!」
「は、はい!」
「こちらの方はグレーターヒールを使います。次の方を!」
若い聖職者たちも我に返り、次々と動き始める。
シエルは残っている魔力を確かめながら、必要な術だけを選んで治療を続けた。
長い間、回復魔法を扱ってきたからこそ、一人でも多く助けるために今何をすべきなのかは分かっている。
悲しむのも、泣くのも後でいい。
今は、生きている人を救う。
ペリオは治療を続けながらも、何度もシエルの方へ目を向けていた。
ハイヒールを扱えるからこそ、目の前で行われている治療がどれほど常識外れなのか分かるのだろう。最初は驚いているだけだったその表情が、次第に何かを探るようなものへ変わっていく。
「……あなたは」
シエルの手元で、また一人の傷が塞がった。
ペリオは呆然と、その姿を見つめる。
「あなたは……一体、何者なんです……?」
シエルは答えなかった。
ただ、次の負傷者へ手を伸ばした。