【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
最後の重傷者への治療を終えた頃には、シエルの魔力はほとんど底をついていた。
教会内に運び込まれていた者のうち、命に関わる傷を負った者への処置はひとまず終わった。意識が戻らない者や、まだ安静が必要な者は空いている個室へ運ばれ、自力で歩けるまで回復した者たちは順次、自宅や避難所へ帰されている。
つい先ほどまで怒号と苦鳴が飛び交っていた廊下にも、ようやく少しずつ静けさが戻り始めていた。
「……ふぅ」
シエルは小さく息を吐いた。
身体が重い。
魔力を使い過ぎた時特有の倦怠感が全身へまとわりついている。立っていられないほどではないものの、今すぐもう一度大勢の負傷者を回復しろと言われれば、さすがに難しい。
それでも、もう目の前で命を落としかけている者はいない。
そのことだけは、素直に安心できた。
シエルは改めて、教会の内部を見回した。
磨き上げられた石床に、高価そうな絵画。柱や壁には細かな装飾が施され、天井から吊るされた照明にまで金色の意匠が使われている。
豪華だった。
豪華すぎる、と言ってもいい。
シエルはこういうものを好まない。
自分が知っていた頃の教会は、もっと質素だったのに。
いつから、こんな趣味の悪い建物を作るようになってしまったのだろう。
「お嬢さん、ちょっといいじゃろうか」
不意に後ろから声を掛けられた。
振り返ると、そこに立っていたのはペリオだった。
「ええ。勿論です」
周囲を見ると、何人かの聖職者が遠巻きにこちらを見ている。
あれだけ大勢の負傷者を一度に治療したのだから、気になるのも当然だろう。
ペリオはそんな彼らを一瞥すると、顎で教会の奥を示した。
「少し場所を変えたいんじゃが、構わんかの?」
「はい」
シエルは付き添ってきた騎士へ、ここで待っていてほしいと伝えた。
「ですが、シャロン様──」
「大丈夫です。すぐ戻りますから」
騎士は少し迷ったものの、ここが聖療教会の中であり、相手が高齢の聖職者だということもあって、最後には頷いてくれた。
ペリオの後をついて奥へ進む。
案内されたのは、聖職者たちが使う区画のさらに奥にある一室だった。
中へ入ったシエルは、思わず眉を寄せる。
大きな机に、柔らかそうな革張りの椅子。壁には絵画が飾られ、棚に置かれている茶器まで、見るからに高価そうだった。
おそらく普段は、貴族や裕福な商人を迎えるために使われている部屋なのだろう。
ここまで豪華にする必要があるのだろうか。
「どうぞ、座ってくだされ」
「はい」
勧められるまま椅子へ腰を下ろす。
柔らかすぎて、少し落ち着かない。
向かいへ回ったペリオは自分の椅子には座らず、その場で深く頭を下げた。
「まずは、今夜の負傷者たちを治してくださったこと、心から御礼申し上げる」
「そんな、お礼なんて」
シエルは慌てて首を振った。
「私は、自分にできることをしただけです。それに……やらなくちゃならないことでしたから」
「ふむ」
ペリオが顔を上げる。
しばらく、じっとシエルの顔を見ていた。
栗色に変えた髪。
化粧で印象を変えた顔。
それを一つずつ確かめるように眺めたあと、老人は大きく息を吐いた。
「まあ、そう言わずに、まずはありがとうと言わせてくれよ」
そこで、口元が緩んだ。
「シエルちゃん」
シエルの肩が僅かに跳ねた。
「…………」
誤魔化すべきだろうか。
一瞬だけ考える。
「……誰のことでしょう?」
「今さらそれは無理があるじゃろ」
即座に返された。
「ですよね……」
シエルは観念して肩を落とした。
「やっぱり、分かっちゃいました?」
「最初は分からなんだよ。髪の色も違えば、顔も化粧で随分印象が変わっとる」
ペリオは笑いながら、自分の顎を撫でる。
「じゃが、あれだけ見せつけられてはのぅ。回復魔法の腕もそうじゃが、怪我人の診方も、魔法を切り替える癖も、昔から何も変わっとらん」
「そんなに分かりやすかったですか……」
「それに、あんな真似ができる奴を、わしは一人しか知らん」
ペリオは、ははは、と楽しそうに笑った。
先ほどまで重傷者を前に怒鳴り声を上げていた老聖職者とは、まるで別人のようだった。
その笑顔を見ているうちに、シエルの胸の奥から古い記憶が浮かび上がる。
ペリオと出会ったのは、今の聖療教会がまだ影も形もなかった頃だ。
シエルがこの世界へ来て、まだ間もない時だった。
元いた世界へ戻る方法も分からず、行く宛もなく、どうすればいいのかすら分からないまま彷徨っていたシエルを拾ってくれたのが、とある小さな村の村長だった。
村には、大地の神を信仰していた村長が作った、教会とは名ばかりの小さな建物があった。
祈りの場ではあったが、実際には村で親を亡くした子供たちを預かり、村長や村人たちが皆で面倒を見る孤児院として使われていた場所だ。
行く場所のなかったシエルも、村長の好意でそこへ置いてもらった。
ペリオは、そこで暮らしていた子供の一人だった。
魔物に両親を奪われた、まだ幼い男の子。
だが、悲しみに沈み続けるような子供ではなかった。
むしろ、何かあるたびに悪戯をしては村長に叱られ、他の子供たちまで巻き込んで走り回るような悪ガキだった。
目の前にいる老人の姿と、記憶の中の少年が重なる。
髪は灰色になり、顔には深い皺が刻まれている。
それでも、笑った時に少し細くなる目だけは、あの頃と変わっていなかった。
「それにしても、懐かしいのぅ」
ペリオも同じことを考えていたのかもしれない。
「何十年ぶりかも、もう忘れちまったが……わしはこんな爺になったというのに、シエルちゃんは相変わらずじゃのぅ」
「ペリオは……随分変わりましたね」
「ははは! そりゃそうじゃろ!」
ペリオは自分の顔を指差した。
「あの頃は毎日のように悪戯して、シエルちゃんを困らせとったのに、今じゃ立派なクソ爺じゃ」
「本当に、悪戯ばっかりしてましたよね」
シエルも思わず笑った。
「村長さんと、どうしたらペリオたちが大人しくしてくれるのか、何度相談したことか」
「無駄じゃ無駄じゃ。あの頃のわしらが大人しくなるわけなかろう」
「知ってます。全然言うこと聞いてくれませんでしたから」
「かわいいシエル姉ちゃんの気を引きたかったんじゃよ。子供なんぞ、そんなもんじゃ」
「それで私の靴を隠したんですか?」
「……そんなこともあったかのぅ」
「ありました」
「何十年前の話をいつまで覚えとるんじゃ」
「忘れませんよ。結局、三日くらい見つからなかったんですから」
二人の間に、久しぶりの笑い声が生まれた。
こんなふうに昔の話をしたのは、いつ以来だろう。
懐かしかった。
それと同時に、少しだけ不思議な気持ちになる。
自分にとっては、今でも昨日のことのように思い出せる光景だ。
けれど、一緒に笑っていた子供は、もう老人になっている。
シエルだけが、あの頃と変わらない姿のままここにいる。
「さて」
ひとしきり笑った後、ペリオが表情を改めた。
「それで、シエルちゃん」
「はい」
「どうして聖女様が、変装までして、こんな所におるんじゃ?」
「それは……」
シエルは言葉に詰まった。
どこから話せばいいのか分からない。
教会を離れたこと。
聖女を狙う者に追われていること。
そのせいでドゥル=ブルムまで襲われたこと。
話し始めれば、簡単には終わらない。
何より、ペリオまで巻き込みたくなかった。
「……えっと、その……」
言葉を探していると、ペリオの険しかった顔が不意に崩れた。
「ふふっ」
「……ペリオ?」
「いや、いい。言いたくないなら、無理に言わんでええ」
ペリオは椅子へ腰を下ろすと、穏やかな目でシエルを見た。
「シエルちゃんのことは、昔からよう知っとる。何の理由もなく、そんな格好でこそこそするような子じゃないじゃろ」
「…………」
「何か事情があるんじゃろ。教会にも知られたくないような事情が」
そこまで言っても、ペリオは続きを求めなかった。
「じゃから、わしから誰かに話すつもりはない。安心しとくれ」
「……いいんですか?」
「何がじゃ?」
「私は……聖女なんですよ?」
「知っとるよ」
「教会に知らせなくても?」
ペリオは少しだけ呆れた顔をした。
「わしが知っとるのは、聖女様より先にシエルちゃんじゃ」
シエルは目を見開いた。
「シエルちゃんが黙っておいてほしいと言うなら、黙っとく。それだけの話じゃ」
「…………」
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
「……ありがとう、ペリオ」
「なんのなんの」
ペリオは照れ臭そうに鼻を擦る。
「こっちこそ、シエルちゃんには返しきれんくらい世話になっとるんじゃ。こうして回復魔法を使えるのだって、元を辿ればシエルちゃんのお陰じゃしの」
そして、思い出したように身を乗り出した。
「寝る場所はあるのか? 飯はちゃんと食っとるか? なければここに居ればいい。部屋くらい、いくらでも──」
「大丈夫です」
シエルは苦笑した。
「今はブルム家でお世話になっていますから」
「そうか。それならええが……」
ペリオは少し迷ってから続ける。
「教会には戻らんのか?」
「…………」
シエルは豪華な部屋を見回した。
昔の、小さな建物を思い出す。
子供たちの声がいつも響いていた。
村人が持ってきてくれた野菜を皆で分け、村長に勉強を教わり、夜になれば狭い部屋に布団を並べて眠った。
今はもう、どこにもない。
「……今は、戻れません」
「そうか」
ペリオは、それ以上聞かなかった。
「なら、それでええ」
その一言がありがたかった。
シエルは少し迷い、それからペリオを見た。
「……あの、ペリオ」
「なんじゃ?」
「一つ、お願いしてもいいですか?」
「何でも言ってみい」
「ヴェルノという子を知っていますか?」
「ヴェルノ?」
ペリオは眉を寄せる。
「いや……知らんな。聖職者か?」
「ええ。黒髪を短く切った、背の高い女の子で私の護衛です。多分、以前ここへ来たことがあるはずなんです」
「……来た?」
「はい。でも、追い返されたと聞きました」
ペリオの顔から笑みが消えた。
「何じゃと?」
「私も詳しく聞いたわけではありませんが、どうやら盗難に遭ったみたいで、聖職者の証もなくしてしまったせいで、信用してもらえなかったみたいです」
「わしは知らんぞ、そんな話」
「ええ。ペリオが知っていたとは思っていません」
だからこそ、今ここで頼んでおきたかった。
「誰が追い返したのかを調べて、怒ってほしいわけじゃないんです」
「じゃが──」
「もし、またあの子がここへ来ることがあったら」
シエルはペリオを真っ直ぐ見た。
「その時は、助けてあげてくれませんか?」
ペリオはしばらく黙っていた。
やがて、深く頷く。
「分かった」
「……ありがとうございます」
「今度来たら、わしのところへ直接通すように言っておこう。何があったか知らんが、二度と追い返させたりはせん」
ペリオの声には、先ほどまでとは違う硬さがあった。
「まったく……最近の若い奴らは」
低く唸る。
「教会の決まりを覚えることばかりで、その力を何のために持っとるのか分かっとらん奴までおる」
「…………」
「試験に受かって、聖女様から祝福を授かって、それで自分も立派な聖職者になったつもりなんじゃろうがな」
シエルは小さく目を伏せた。
祝福。
教会では、そう呼ばれている。
聖職者となる資格を得た者へ、シエルが回復魔法を扱えるようにするための儀式。
シエル本人にとっては、自分が持つ力の一部を渡しているに過ぎない。
けれど今では、それも聖療教会の神聖な儀式として扱われていた。
「昔は、こんなんじゃなかったんじゃがのぅ。献金だの何だのとうるさくなってから、本部にも何度か意見したんじゃが……言い過ぎたらしくてな。最近じゃ会議にもろくに呼ばれんわい」
シエルも、何も言わなかったわけではない。
教会が大きくなり、豪華な建物が増えていくたびに、これだけのお金をどこから用意しているのかと尋ねた。治療を受ける者に献金を求めていると知った時には、それで本当に困っている人を救えるのかと意見したこともある。
けれど、そのたびに返ってくるのは、「教会を維持するために必要なのです」「皆が自ら納めているものです」といった言葉ばかりだった。意見は上へ伝えておくと言われ、そのまま話が曖昧になってしまったことも一度や二度ではない。
もっと強く言えばよかったのかもしれない。
けれど、この世界へ来たばかりの頃、行く場所もなく途方に暮れていた記憶は、今でもシエルの中に残っている。
この居場所を失ったら、自分にはもう帰る場所がないのではないか。
そんな不安が、まったくなかったと言えば嘘になる。
「……相変わらずですね、ペリオは」
シエルは思わず苦笑した。
昔から、曲がったことを黙って見過ごせるような人ではなかった。
「村長が今の教会を見たら、何と言うでしょうね」
「決まっとる」
ペリオは鼻を鳴らした。
「杖を持って上の連中を追い回して、ゲンコツじゃ」
「……ふふっ」
「笑い事じゃないぞ。あの爺さんなら本当にやるわい」
「ええ。やりそうです」
二人はまた笑った。
昔と同じように。
ほんの少しだけ、時間が戻ったような気がした。
ペリオが立ち上がる。
「まあ、そんなわけじゃ。わしに出来ることなら何でもする。困った時はいつでも頼ってくれ」
そして、片目を閉じた。
その表情は、皺だらけの老人のものだった。
それなのにシエルには、一瞬だけ、昔の悪戯好きな少年の顔に見えた。
「……はい」
シエルも笑う。
「その時は、お願いします。ペリオ」
教会も。
人も。
長い年月の中で、随分と変わってしまった。
それでも、全部が変わってしまったわけではないらしい。