【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
門の前のざわめきは、さっきよりも一段階、重くなっていた。
大口喰らいを斬り伏せた直後の高揚感は、もうどこにもない。
代わりにあるのは、兵士たちの張り詰めた声と、伝令の荒い息と、オーロック門、通称森門がまずい、という現実だけだ。
「──状況は分かった」
門のそばで伝令から話を聞き終えた隊長格の兵士が、低く息を吐いた。
鎧の上から肩をぐっと回し、周囲の兵たちへと短く号令を飛ばす。
「第二隊、第三隊から各五名を選抜! 森門の援護に回す! 負傷者の搬送も優先しろ!」
「はっ!」
てきぱきと動き出す兵士たちを見守っていると、その隊長が、今度はまっすぐこちらへ向き直った。
「さっきの戦い、見事だった」
真っ直ぐな視線。
軍人らしい、無駄のない態度。
「火急の折にすまない。だが──どうか、オーロック門のほうへ加勢に向かってはもらえないだろうか」
真正面からの頼みだった。
「矢も魔法も通りづらいあの魔物にとって、君の剣は貴重な決定打だ。こちらの件が片付いたら、冒険者ギルドにも、うちの上官にも、君の働きは必ず伝えよう。報酬についても、ギルドを介してきちんと支払われるように手配する」
覚悟はしていた。
さっき大口喰らいを斬りながら、自分でも分かってしまっていたからだ。
この剣だけは、あのスライム付き魔物に有効だ、と。
「……少し、仲間と話をさせてくれ」
隊長は一瞬だけ目を細め、それから頷く。
「分かった。時間はそう多くは取れんが……三分やる。その間に決めてくれ」
三分。
短いようで、長いようで、今の状況では贅沢な時間だ。
俺はうなずいて、ノノたちのいるほうへと歩いた。
「アウラ……」
近づいていくと、ティナのほうから先に声が出た。
その顔には、心配と、予感と、反射的な拒否感が混ざっていた。
「まさか、行くつもり?」
「隊長から頼まれた。森側のオーロック門のほうに加勢してほしいってな」
隠してもしょうがないので、正直に言う。
ノノもカイトも、眉をぎゅっと寄せた。
「だめだよ!」
一番最初に、強い声を上げたのはカイトだった。
「アウラさん! さっきの大口喰らいだって、見てて怖かったのに……そんなのがいっぱい居るかもしれないんですよ!?」
「そうよ」
ティナも、きっぱりと言う。
「銀級以上が揃ってても押され気味な戦場に、私たちが行ったって足手まといになるだけ。あんたの剣が有効だって言っても……そんなの、数で押し潰されたら終わりよ」
「そうです!」
カイトも、強く頷いた。
「僕たちの依頼は、あくまでノノさんの護衛です。街まで無事に送り届けるのが僕たちの仕事で……オーロック門は、その……」
言葉を探して、目を伏せる。
「行っちゃだめだと思います。アウラさんが死んじゃったら……嫌です」
胸の奥が、じわりと痛む。
そう言ってもらえるのは嬉しい。
けど──。
「俺だって、正直、めちゃくちゃ怖いぞ」
それもまた、嘘じゃない。
「さっきの大口喰らいだって、本当は足がすくんで仕方なかった。ああいう得体の知れない魔物とまた戦うとか、本音を言えば勘弁してほしい」
それを認めた上で、続ける。
「でもさ」
門の向こうを、一瞬だけ見る。
閉ざされた門。
その向こうの街。
「ここで俺が『怖いから行きません』って言って、その結果、門が突破されて街に魔物が雪崩れ込んで、多くの人が死んだら──」
言葉を選ぶ。
喉が、少し乾く。
心臓がばくばく言ってるのは、魔物が怖いから。
でも、もっと深いところで別の恐怖がうごめいている。
(自分が動かなかったことで、人が死ぬかもしれない、っていう怖さだ)
社畜時代。
「もっとちゃんと報告しておけば防げたトラブル」とか、「見て見ぬフリをしたせいで誰かが怒鳴られた」とか。
そういう「誰かの怠慢の結果」は、何度も見てきた。
今回は、その規模が桁違いなだけだ。
「俺の剣が有効だってことは、さっきここで証明しちまった。矢も魔法も通りにくい相手に、普通じゃないこの剣がたまたま刺さる。……で、みんなが苦戦してる」
淡々と事実を並べる。
「ここで『怖いからやめます』って言って、門が突破されて、市民も兵士も冒険者も大量に死にました、ってなったら──」
きゅっと、腹の底が縮む。
「その未来を、後から想像するほうが、正直、今の怖さよりずっと怖い」
ティナが、何か言いかけて、言葉を飲み込んだ。
カイトも、反論しようとして──できなかった、という顔をしている。
「それは……そうかもしれないけど……!」
ティナが、唇をかみしめる。
「だからって、あんた一人でどうにかできる話でもないじゃない。万が一、あんたが倒れたら──」
「うん」
分かってる。
とはいえ、行かなければはじまらないのだ。
「まずは、話を聞いてくれ」
三人の視線が、同時にこっちを見る。
「俺はオーロック門に行く。その代わり──ノノは、オーロック門と反対側の門に、兵士の護衛付きで移動してもらう」
「え、わたし?」
話を振られたノノが、きょとん、と目を丸くする。
「オーロック門があるのは森側だろ? それなら、反対側に離れてくれたほうが安全だ。門も閉じてて、街に入れない以上、一番安全なのは森から一番離れてる門だろう」
「たしかに……」
ティナが腕を組む。
「反対側なら、ここよりは安全かもしれないわね」
「だろ?」
ノノがぽん、と手を打った。
「じゃあさ、わたし、反対側の門まで馬車ごと移動するよ。兵士さんに守ってもらって! そのほうが絶対安全!」
「ノノ……?」
ノノの声は、少しだけ震えていた。
それでも、笑っていた。
「だってさ」
俺のほうを真っ直ぐ見る。
「アウラちゃんの剣しか、あの変なスライム付きの魔物をちゃんと倒せないんなら……アウラちゃんが行かなかったら、門、突破されちゃうかもしれないんでしょ?」
軽い口調なのに、言っていることは重い。
「だったらさ、悩む必要ないよ」
にかっと笑う。
「わたしは、わたしが一番安全になれそうな所に避難する。アウラちゃんは、アウラちゃんが一番役に立てる所に行く。それだけじゃん?」
その理屈は、あまりにも真っ直ぐだった。
(この子……本当に強いな)
怖くないはずがない。
さっきの大口喰らいを見て震えていたのは、この子も同じだ。
それでも、「自分にできる最善」をちゃんと選ぼうとしている。
「でも……!」
ティナはまだ納得しきれていないようで、眉間に皺を寄せる。
「危険なのは分かってるでしょ? 銀級以上でも押し返せてないのよ? さっきの大口喰らいが一匹とは限らない。二匹、三匹、もっといるかもしれないのよ?」
「それでも、だ」
ここで、俺は最後のカードを切る。
「……それにちょっとくらいの傷なら、回復魔法も使える」
声を落として、三人だけに聞こえるように言う。
ティナの目が、一瞬で鋭くなった。
「アウラ、あんた……」
「もちろん、みんなの前でばんばん使う気はない」
慌てて続ける。
「教会に睨まれるのがどれだけ面倒かは、昨日たっぷり聞いたしな。だから、“どうしても”って場面以外は、極力使わない」
息を吐く。
「でも、俺が瀕死になりかけたときに、命を繋ぐ程度なら……その手段はある。何も無しで突っ込むよりは、マシだろ?」
ティナはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……本当に、心臓に悪いわね、あんた」
額に手を当てて、呆れたように笑った。
「もう止めても無駄なんでしょう?」
「悪い」
素直に頭を下げる。
「謝るくらいなら、ちゃんと生きて帰ってきなさい」
ティナが俺の胸を、軽くこづいた。
「絶対生きて帰ってこないと、許さないから」
「……了解した」
素直にそう答えるしかなかった。
「僕も……!」
カイトが、拳をぎゅっと握る。
「もっと力があれば、一緒に行けたんでしょうけど……今の僕じゃ足手まといです。だからせめて──ノノさんを守ります。アウラさん、お願いします」
「ああ。任された」
短くそれだけ答える。
(こいつら、本当にいい奴らだな)
社畜だった頃、こんなふうに自分の無事を真剣に願ってくれる同僚なんて、何人いたかな……と、しょうもないことを思い出す。
「……よし」
気持ちに区切りをつけるように、軽く頷いた。
「隊長に、条件を出してくる。ノノの護送と引き換えに、俺はオーロック門に行くってな」
「──商人の護衛?」
隊長格の兵士にそう告げると、彼は目を瞬かせた。
「ああ」
俺はノノと荷馬車のほうを顎で示す。
「俺たちは本来、彼女の護衛依頼で街の外に出ていた。だから、彼女を安全な場所に送り届ける義務がある。俺が森側へ向かう代わりに──兵士を何人か付けて、オーロック門と反対側の門へ護送してもらえないか」
隊長は一瞬だけ黙り、それからゆっくりと頷いた。
「……分かった」
意外なほど、あっさりだった。
「こちらとしても、荷馬車と民間人をこの近くに置いておくのは危険だと思っていたところだ。ちょうど良い。第二隊から数名をつけよう。反対側の門まで護送させる」
その言葉に、ノノがほっと息を吐くのが見えた。
「感謝する」
深く頭を下げる。
隊長は「頭を上げてくれ」と言ってから、続けた。
「こちらこそ礼を言うべきだ。君のような戦力が森門に向かってくれるのは、本当にありがたい。先程伝令が乗ってきた馬を貸し出そう。オーロック門までは少し距離がある。歩いていては間に合わん」
「馬、ですか……」
一瞬、嫌な汗が出そうになった。
(馬に乗ったことなんて一度もないぞ)
現代日本の生活に、乗馬の出番はなかった。
「……いや、ちょっと待ってくれ」
苦しまぎれに、そう言った。
「少し、準備したいことがある。すぐ済む」
「準備?」
隊長が眉をひそめる。
「長くは待てんぞ」
「分かってる。すぐ済ませる」
そう言って、荷物袋のほうへ向かう。
外から見れば、荷物をガサゴソと漁っているように見えるだろう。
実際には──。
(ステータスオープン)
心の中で呟くと、いつもの半透明の板が目の前に浮かび上がる。
【スキルポイント:残り 4】
──だったはず、なのだが。
【スキルポイント:残り 11】
「……増えてる」
思わず、小さな声が漏れた。
(大口喰らい……いや、正確に言うと、あのスライム付き大口喰らいを倒したお陰か)
ソーン村のときもそうだった。
おおねずみ+スライムもどきを倒したとき、どさっとスキルポイントが増えた。
あの手の「よく分からない存在」は、普通の魔物よりもポイントが多いのかもしれない。
(ありがたい……!)
心の底から思う。
今の俺には、このポイントが命綱だ。
(まずは馬問題だな)
スキル一覧を素早くスクロールする。
そして見つけた。
【騎乗 Lv0/1】
・各種騎乗への適応、操作能力を補正する
・生物、非生物問わず「乗れるもの」に騎乗した際、操作精度と落馬率を大幅に軽減
必要スキルポイント:1
(これだ)
説明文を読みながら、心の中でガッツポーズを取る。
(ポイント1で、馬に乗る問題が全部解決するなら、安いもんだ)
迷わず意識を向ける。
【騎乗 Lv1/1】
【スキルポイント:残り 10】
MAXボーナスは無し。
だが頭の中に、さっきまではなかった感覚が滑り込んできた。
馬の背の高さ。
揺れ。
手綱の扱い方。
足の置き方。
どこを意識すればバランスが取れるか。
まるで、今まで何度も馬に乗ったことがあるかのような「当たり前の感覚」として、それがインストールされる。
(……毎度のことながら、やべぇシステムだな)
感心している暇はない。
今度は戦闘に関わるものだ。
視線を走らせると、目に留まるスキルがあった。
【アクロバティック Lv0/3】
・身体能力を向上させ、攻撃・回避などの際の体勢制御を補正
・敏捷/体力/器用にボーナス
必要スキルポイント:2
最大レベル:3
(……これも、欲しい)
オーロック門に向かえば、さっきの大口喰らい以上の数と戦うことになるだろう。
斬れる剣を持っていても、当たる前に潰されたら意味がない。
(回避率アップと身体能力の底上げ……今の俺に一番必要なやつだ)
ポイントはまだ10ある。
ここで6使っても、4残る。
逡巡は短かった。
「アクロバティック、Lv3まで一気に」
心の中でそう決めて、スキル欄に意識を滑り込ませる。
【アクロバティック Lv1/3】
【アクロバティック Lv2/3】
【アクロバティック Lv3/3】
【スキルポイント:残り 4】
連続でレベルを上げるたびに、身体の奥がじんわりと熱くなる。
筋肉の付き方が変わるわけではないのに、関節の可動域とか、バランスの取り方とか、「体の使い方」そのものが滑らかになっていくような感覚。
(ステータスは──)
確認する。
【ステータス】
筋力:5+2
敏捷:5+8
体力:5+8
器用:5+8
知力:5
運 :5
(……おお)
素直に感心する数字だった。
アクロバティックの項目を見る。
【アクロバティック Lv3/3】
(MAXボーナス:敏捷/体力/器用+2)
(つまり……Lvごとに+2で、三レベルで+6。MAXボーナスでさらに+2。合わせて+8、ってことか)
敏捷も体力も器用も、どれも戦闘で役立つのは間違いない。
(心眼、剣術MAX、アクロバティックMAX……回避面は、だいぶ固めたな)
まだポイントは4残っている。
本当は回復魔法をもう一段階上げるとか、他の攻撃手段に手を出すとかも考えたかったが──。
「準備はまだか?」
隊長の声が飛んできた。
「悪い。今行く」
ステータス画面を閉じる。
考えるのはここまでだ。
あとはもう、戦いながら考えるしかない。
「これが、貸し出す馬だ」
隊長が手綱を渡してきた。
伝令の兵士が乗ってきた栗毛の、落ち着いた目をした馬だ。
(さっきまでなら、「え、乗り方どこから教われば……」ってなってたんだろうな)
でも今は違う。
馬の横に立っただけで、「ここに足をかけて、このタイミングで体を引き上げればいい」と、自然に分かる。
「……よし」
片方の足を鐙にかけ、ひょい、と身体を持ち上げる。
驚くほど自然に、鞍の上に収まった。
「おお?」
周囲の兵士が、少しだけ目を丸くする。
「乗り慣れているようだな」
「まあ、なんとかなりそうだ」
(騎乗スキル、優秀すぎる)
手綱の重み。
馬の呼吸。
揺れるリズム。
全部が、「知っている動き」として身体に染み込んでくる。
「アウラちゃん!」
門の脇から、ノノの声が飛んできた。
荷馬車は、すでに兵士が数人ついて待機している。
「絶対無理しないでね! 絶対だよ! 任務が終わったら、ちゃんとギルドに報告して、また一緒にお仕事しよ!」
「……ああ!」
喉の奥が少し詰まりそうになるのをごまかしながら、笑う。
「ノノも、ちゃんと兵隊さんの言うこと聞いて、変な方向に行くなよ」
「誰が変な方向に行くのさ!」
ノノが頬を膨らませてみせる。
「アウラさん!」
今度はカイトだ。
真剣な顔で、こちらに向かって頭を下げる。
「僕、もっと強くなります。次、同じようなことがあったときに、隣で戦えるくらいに……。だから、絶対生きて帰ってきてください!」
「その時までに、ちゃんと鍛えとけよ」
できるだけ軽く言う。
「そのときは、一番危ないところを押し付けてやるから」
「はい!」
変な約束だが、カイトは本気で頷いた。
「アウラ」
最後に、ティナが歩み寄ってきた。
手綱を握った俺のすぐそばまで来て、じっと上を見上げる。
「さっきも言ったけどね」
彼女は、静かな声で言った。
「絶対に、生きて帰ってきなさい。回復魔法を使うタイミング、間違えないで。あんた、ちゃんと見てないと心配なんだから……」
「……善処する」
思わず苦笑する。
「善処じゃなくて、絶対よ」
ティナが眉を吊り上げる。
「いい? “帰ってきたら怒ってやる”っていう権利を、私はもう持ってるから。だから、ちゃんと帰ってきなさい」
「……分かった」
そこまで言われて、帰らないわけにはいかない。
胸の奥に、小さく火が灯るような感覚がした。
「じゃあ、行ってくる」
手綱を軽く引き、馬の腹をかるく蹴る。
栗毛の馬が、素直に前へと歩き出した。
門の周りで様子を見ていた兵士や商人たちが、道を開ける。
その中から、ぽつぽつと声が聞こえてきた。
「さっきの嬢ちゃんか……」
「頼んだぞ!」
「気をつけてな!」
背中に、いくつもの声が刺さる。
重い。
けれど、それがまた、足を前へと押してくれる。
(怖い)
心の中で、正直に認める。
魔物が怖い。
あのスライムが怖い。
死ぬのが怖い。
(でも──)
自分が動かなかったせいで誰かが死ぬ未来は、もっと怖い。
(だったら、行くしかないだろ)
恐怖は消えない。
それでも、その恐怖より重いものを、自分の中に抱えたまま──俺は森門へと走った。
◇
森門が見えてくるより先に、音が聞こえてきた。
金属がぶつかり合う音。
怒号。
悲鳴。
魔物の咆哮。
風に乗って、焦げた肉の匂いと、血の鉄臭さが鼻腔に届く。
(……遅かったか?)
不安が胸を掠めるが、心眼が「まだ間に合う」と告げている気がした。
馬をさらに走らせる。
騎乗スキルの補正のおかげか、馬は俺の意図を汲むように地面を蹴ってくれる。
やがて視界が開け、森門が見えた。
そこには、ちょっとした地獄が広がっていた。
城壁に沿って作られた防壁。
その前で、多くの兵士と冒険者たちが、巨大な魔物の群れを必死に押し返している。
キラーボア。
大口喰らい。
その他、よく分からない獣型や鳥型の魔物たち。
どれもこれも、その体表のあちこちを、半透明のスライムのようなものに覆われ、骨の一部が露出している。
矢が刺さり、火球が炸裂し、風の刃が走るたび、そのゼリー状のものが波打つ。
だが──。
「くそっ、効きが悪い……!」
「表面だけ削れて、すぐに戻りやがる!」
冒険者たちの叫びが聞こえてくる。
斬撃は肉を浅く裂くだけ。
火も、ゼリーがじゅっと蒸発するだけで、深部まで届かない。
前線の手前には、多くの負傷者が横たわっていた。
片足を失った者。
腕を吊ったままうずくまる者。
顔を血で濡らした者。
(間に合え)
無意識に、馬の腹を強く蹴っていた。
ちょうどそのとき、一本のキラーボアが防衛線を突破しかけていた。
巨大な体躯。
黒い毛皮。
その上から、スライムのようなものがどろりとまとわりついている。
「やばい、押し切られる……!」
誰かの悲鳴。
キラーボアが、負傷者の転がるほうへ向けて突進の態勢に入った、その瞬間──。
「こっちだ!」
自分の声が、口から滑り落ちた。
馬の脚が、最後の一歩を踏み込む。
心眼が、突進の軌道を見せてくる。
(ここで、こう──)
タイミングが、はっきり分かった。
馬上から魔剣を抜き放つ。
「はっ!」
振り下ろした一撃が、キラーボアの首元、スライムごと肉を断ち切った。
刃が触れた部分から、ゼリーが黒く変色し、縮み始める。
キラーボアの体がよろめき、そのまま横倒しに倒れ込んだ。
「な……!」
近くにいた兵士が、目を見開く。
「馬上から一撃で……!」
俺は馬の首筋を軽く叩く。
「ありがとう。あとは下がっててくれ」
そう声をかけると、騎乗スキルのおかげか、馬は素直に戦場から距離を取るように走り去ってくれた。
地面に飛び降りる。
着地の衝撃が、アクロバティックのお陰か、驚くほど軽い。
(……さあ)
魔剣を構える。
スライムまみれの魔物たちが、こちらを、そして俺の剣を認識したようにわずかに動きを変えた。
(恐怖は残ってる)
喉は渇いている。
手のひらは汗で湿っている。
(でも、ここで止まるほうがもっと怖い)
胸の奥にある、その感覚だけを頼りに──。
「行くぞ、化け物ども」
俺は、スライムに侵された魔物の群れへと、踏み込んだ。