【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど   作:もろきゅー

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46話 噂の女戦士

 テントの布越しに、薄い光が滲んでいた。焚き火の匂いと、朝の冷えた空気が鼻の奥をくすぐる。

 

「アウラ。起きて」

 

 ティナの声が、毛布の上から刺さった。優しくない。容赦もない。

 

「……うぅ」

 

 目を開けると、ティナが腕を組んで立っている。起きないとこれ以上の手段が来る顔だ。

 慌てて上半身を起こすと、外からカイトの声が聞こえた。

 

「おはようございます! 今日もいい天気ですよ!」

 

 こいつ、朝から元気すぎるだろ。

 

「カイトはもう起きてるのか?」

「普段は起きないのに、こういう時は早起きなのよ。……ほら、早く着替えなさい」

 

 ティナがテントの入口を少し開け、外の気配だけ残して出ていった。

 俺は毛布から這い出し、荷物を探る。衣類は軽いから背負い袋の中に一部を入れていた──のだが。

 

(……あ、そうだ)

 

 ふと、出発前に服屋で買った黒いローブを思い出した。

 それに合わせて買った黒いシャツと黒いパンツ。

 街で着たら目立ちすぎるが、今は街から離れてるし、街道と森と空しかない。

 多少目立っても大丈夫じゃないか?

 

 誰に許可を取るでもないのに、俺の中で何かがゴーサインを出した。

 こういうの、男の子の浪漫ってやつだよな。

 着替える。

 全身を黒で統一し、腰に魔剣を差す。ローブを羽織ってフードを軽くかぶる。

 

(とても良い。正体不明の強者感がする……)

 

 謎の敵。あるいは凄腕の暗殺者。あるいは中二病の完成形。

 昼間の街中で見かけたら怪しすぎるのは自覚している。

 でも今は街中じゃない。だからセーフだ。

 

 ローブの裾に入っている刺繍が、無駄に格好いい。

 俺のテンションは、ありえない速度で上がっていった。

 

 テントの入口から外へ出ると、朝の空気が顔を撫でた。

 焚き火の跡にはまだ熱が残っていて、灰が白い。ミゲルたちはもう動いている。カイトは焚き火の近くで、ミゲルと何か話して笑っていた。

 

「おはよう」

 

 俺が声をかける前に、ティナがこっちを見て──ぎょっとした。

 

「……あんたいつの間にそんなの買ってたのよ」

「出発前に買ったんだ。似合う?」

 

 ティナが数秒、俺を見つめる。 

 

「……目立つわよ」

「でもこの刺繍、格好よくない?」

 

 俺が胸を張って、ローブの裾を少し広げて見せる。

 ティナは目を細めて、大きく息を吐いた。 

 

「はいはい。格好いい格好いい」

「えぇ……格好いいだろう、これ」

「どうみても怪しい奴にしか見えないわよ」

 

 その通りです。

 

「というか、目立たないようにしてたんじゃないの?」

「いやまぁ、それはそうなんだが、街から離れたしちょっとくらい良いかなって」

 

 ティナは肩を竦めると、まあ私たちしかいないし別にいいけどね、と呆れ顔だ。

 俺は「浪漫装備の良さが分からないのか……」と一人で勝手に嘆きながら、焚き火の方へ向かった。

 

 マルルゥも焚き火に当たっていた。……いや、当たっているというか、目をつぶって座っている。寝てるのか起きてるのか分からない。

 昨日の目玉の使い魔が出てから様子が変だ。

 出発した時はあれだけ騒いでいたのに、今は静かすぎて逆に嫌な感じがする。

 

 焚き火に近づくと、カイトが真っ先に反応した。

 

「おはようございます! アウラさん、すごく……かっこいいですね!」

「だろ?」

 

 思わず即答した。

 

(カイト、お前……分かってるじゃねえか……! やっぱ男の子はこういうの好きだよな!)

 

 内心で握手した。

 ミゲルが俺の格好を見て、眉を上げる。

 

「……なんだその格好。暑くねぇのか?」

「暑かったら脱ぐ」

「まあ、好きにしな」

 

 フーバさんは肩を回しながら、俺を見て口元を歪めた。

 

「なんだか……無貌の者みたいだねぇ」

「無貌の者?」

 

 聞き返すと、サラもちらりと俺を見る。

 

「……言われてみれば、それっぽいな」

 

 ミゲルも「確かに」と小さく頷いた。

 俺が首を傾げると、カイトが説明してくれた。

 

「おとぎ話ですよ。小さい頃、しつけのために言われるんです。『言うこと聞かないと無貌の者が来るよ』って」

「……なんだそりゃ」

「全身黒ずくめで顔が見えない人が、言うことを聞かない悪い子をさらっていくって話です。小さい時は本気で怖くて布団の中で震えてた記憶がありますよ」

 

 前世でも似たような話はあった。

 言うことを聞かないと鬼が来る、オバケが来る、みたいなやつ。

 

(幼い子どもの恐怖心を利用する方法、どうなんだと思うけど……どの世界でも同じなんだな)

 

「へぇ。似たような話は聞いたことある。どこにでもあるんだな、そういうのって」

「アウラさんも言われてたんですね~」

 

 カイトが笑って言う。

 ティナが横から「あんたは怯えすぎて漏らしてたでしょ」と真顔で突っ込んだ。

 そこへ、馬車の方からフードの女性──シャロンが降りてきた。

 

「……おはよう、ございます……」

 

 眠そうな声。ふらふらした足取り。だが、ローブは相変わらず目深に被っていて、顔はよく見えない。

 昨日フードがめくれた時に見えた、ボサボサに切られた髪と、長い前髪だけが頭に残っている。

 ミゲルが鍋を見ながら言った。

 

「もう少しでこっちは朝飯だ。あんたらも食うなら準備しときなよ」

「わかった」

 

 俺たちは俺たちで、テントに戻ってアイテムボックスからパンとドライフルーツを出す。

 三人でぱぱっと食べて、荷物を整える。

 テントを片付けながら、俺は一瞬だけ思う。

 

(このままテントをアイテムボックスに突っ込めたら楽なんだけどな……)

 

 そうすりゃ、次に出す時はわざわざ組み立てる必要もない。

 でも、ミゲルたちがいる。そして何よりマルルゥが近くにいる。

 あいつに見られて、色々突っ込んで聞かれても面倒そうだ。

 結局、ちゃんと畳んでこそっとアイテムボックスに収納した。

 

 朝飯を終え、準備が整うと、また馬車は動き出した。

 昨日と同じように、サラとフーバさんが護衛につく。ミゲルは御者席で手綱を握る。

 馬車の振動も相変わらずで、クッションがあるからいいものの、ケツは痛い。

 シャロンは、振動が来るたびに情けない声を上げている。

 マルルゥは眠そうな顔のまま、起きているのか寝ているのか分からないままだ。

 静かなので触れない。下手につついて覚醒されても面倒くさいしな。

 

 しばらく進み、街道が森と草原の境目を縫うあたりまで来た頃。

 俺は、昨日のことが頭から離れなくて、意を決してシャロンに話しかけた。

 

「……シャロンさん、ちょっといいかな」

「……」

 

 反応がない。

 ぼーっとしているのか? 寝てるのか?

 

「シャロンさん?」

「あっ……は、はい! すみません! シャロンでした!」

 

 慌てた声で返ってきた。

 

(やっぱり絶対偽名だよなあ)

 

 でも今はそこは突っ込まない。

 俺はなるべく、刺のない声を作った。

 

「昨日の回復魔法……助かったよ。馬がやられてたら、移動できなくなってたし」

「……い、いえ……。あのままだと、かわいそうでしたし……」

 

 小さい声。だけど、言葉は優しい。

 俺は一拍置いて、続ける。

 

「えーっと……俺、教会は苦手で」

 

 一拍置く。

 

「いや、詳しくないって言った方が正しいか」

 

 シャロンが、少しだけ顔をこちらに向けた気がした。

 

(どう聞けばいいんだ……?)

 

 無理に聞き出すのは良くない。

 でも、知っておきたい。

 教会がどういうところなのか。

 なぜシャロンが逃げているのか。

 

「話したくなかったらいいんだが。教会について何か知ってたら教えてもらえないかな? どういう所なのか、とか」

 

 なるべく柔らかく。

 なるべく強制しないように。

 

 言い終えた瞬間、シャロンが苦しそうにフードの端を握った。

 少し悩んでいるような沈黙があり──それから、小さく頷いた。

 

「えっと……教会は、傷ついた人の回復や身寄りのない子供の保護を……しています。昔は……もっと、良いところだったんですが」

「昔は?」

「はい。傷ついた人を治したい、病気の人を助けたい……そういう人しかいませんでした。親を失った子どもを保護して、皆で食べ物を分けたり……」

 

 声は震えているのに、言葉はちゃんとしている。

 たぶんこれは、シャロンの中で言いたいことなんだろう。

 

「でも……いつの頃からか……変わってしまいました」

「というと?」

「お金のある人しか相手にしない。聖女を祭り上げて、国内外に“奇跡”を見せて、貴族向けの治療や……治療とは名ばかりの接待みたいな事をやらされたり……」

 

 シャロンは続ける。

 

「お金のない人は……見向きもされない。……それが当たり前みたいな体制になって……」

「腐ってる、ってことか」

 

 俺が言うと、シャロンは小さく頷いた。

 

「……はい。きっと、もう……戻れません」

 

 その言い方が、妙に当事者っぽくて、胸がざわついた。

 昨日の夜、彼女が頼み込むように言った。

 回復魔法を使えることを秘密にしてほしい、と懇願する姿を思い出す。

 

 シャロンは少し顔を上げ──前髪の影の奥から、俺を見た気配がした。

 

「それと……アウラさんは……」

「うん?」

「今みたいに……顔を隠していた方が、いいかもしれません」

「え、なんで?」

「アウラさんの顔が聖女に似てるんです」

 

 ヴェルノに言われたことを思い出す。

 俺はシエルにそっくりだと。

 自分以外にも俺をシエルと間違える人がいると言っていた。

 

「聖女の名前って……シエルだよな?」

 

 そう聞くとシャロンはビクッと身体を強張らせる。

 

「……はい、そうです。その……シエルにそっくりなんです、アウラさんは」

 

 そうだとは思っていたが、やはり聖女はシエルだったか。

 シャロンは俺の顔を見るように、顔をこっちに向ける。

 フードと髪で顔が隠れていてよく見えないが、真剣な顔をしているのが雰囲気でわかる。 

 

「たぶん……間違われます。教会の人や……その、聖女を狙う人たちからも……」

 

 シャロンの声が、そこで少しだけ詰まった。

 

「あの……アウラさんの、その名前って……」

 

 彼女が言いかけた、その瞬間だった。

 馬車の外──草むらの方で、ばさばさっと羽音が立った。

 サラが、即座に動く。

 

「止まれ」

 

 矢が放たれた。

 朝の光の中を、一本の矢が真っ直ぐ飛んでいく。

 

 次の瞬間、何か小さな影が落ちた。

 歪に大きい嘴。灰色の羽。目が赤い。

 二匹、三匹、枝を跳ねて飛び出してくる。

 

「ギャッ、ギャァ!」

 

 サラの矢が二匹を落とす。フーバさんが馬車から飛び出し、残りを拳で──叩いた。

 ぼんっ! という音がして小型の魔物が、地面に叩きつけられて動かなくなる。

 

「こんな所かな?」

「こいつらは美味しくないし、倒すだけ損だな」

 

 サラとフーバさんが淡々と片付ける。

 ミゲルが手綱を握ったまま吐き捨てる。

 

「道中の魔物なんてこんなもんだ。……だが、油断すんなよ」

 

 騒ぎは数十秒で終わった。

 終わってしまった。

 そして、俺とシャロンの会話は──そこで、ぶつりと切れた。

 

 シャロンが、言いかけた口を閉じる。

 俺は一瞬、続きを促しそうになって──やめた。

 さっきの襲撃で、彼女は明らかに話す気を失っている。

 無理に聞き出すのは良くない。

 

(しかし俺は余程、聖女シエルと似ているらしいな)

 

 シャロンの言いかけていた言葉が、胸の奥に引っかかる。

 何を聞こうとしていたんだ?

 俺の名前に何かあるのだろうか……。

 嫌な予感が沈む。

 

 それを誤魔化すように、俺は外を見る。

 街道の両脇は、見知らぬ草が波打っている。

 小川が見える。石の間を水が走り、光を反射してきらきらする。

 遠くの斜面には、角のある草食獣の群れが草を食んでいた。

 魔物なのか普通の獣なのか、距離があって判別がつかない。

 だが、群れの動きは穏やかで、今は襲ってくる気配もない。

 

 鳥が飛ぶ。

 枝が揺れる。

 風が草を撫でる。

 こうしていると平和なんだけどなぁ……。

 

 聖女シエル。

 それを狙う骸骨仮面の男。

 俺たちを嗅ぎ回ってる目玉の使い魔の“主”。

 それから、教会と何かあったらしいシャロン。

 

 考えることは山ほどあるのに、整理するほど余計に絡まっていく。

 どうしたもんか。

 ……まあ、まずは今日を無事に終えることからだ。

 俺は気持ちを切り替えた。

 

 

 

 馬車は、何度か短い休憩を挟みながら進んだ。

 小川で水を汲み、馬に水をやり、みんなで足を伸ばす。

 サラは休憩中も視線を離さない。フーバさんは欠伸をしながらも、周囲の気配を捉えている。

 シャロンは、なるべく目立たないようにしている。俺と目が合うと、すっと逸らす。会話の続きを避けているようにも見えた。

 

 夕方、空が少し赤くなってきた頃。

 ミゲルが御者席から声を張った。

 

「そろそろ今日の宿だぜ」

 

 街道の先に、木の柵が見えた。

 柵の向こうに、木でできた二階建ての大きな建物。古びた宿だ。だが中から聞こえる喧騒は騒がしくて、客が多いのが分かる。笑い声、怒鳴り声、食器の音。酒の匂いまで風に乗ってくる気がした。

 

 柵には簡易的な木の門があり、見張りらしき男が二人立っている。

 冒険者かと思ったが、雰囲気が少し違う。

 よく見ると鎧に彫られたマークが馬車ギルドのものだ。

 

「よう、ミゲル。お疲れさん」

「道中、何もなかったか?」

 

 声を掛けられたミゲルは、手綱を緩めながら言った。

 

「……いや、妙なことがあった。気をつけろ」

 

 そして、目玉の使い魔の話を簡単に説明した。

 門番の男たちは一瞬だけ真面目な顔をしたが──すぐに笑い飛ばす。

 

「まあ中には冒険者もたくさんいるし、何かありゃ助けてもらうから大丈夫だろ!」

「全員酔っ払っちまって誰も戦えなかったりして。ガハハ!」

「……そうだな」

 

 ミゲルが肩をすくめる。

 門が開き、馬車は中へ入った。

 柵の内側は、予想以上に人がいる。馬を繋ぐ場所、荷を下ろす場所、旅人の匂いがする。

 

 建物の中へ入ると、そこは──いかにも酒場、だった。

 古びた木の床。煙で黒ずんだ梁。カウンターの奥には樽が並び、客はすでに出来上がっている。笑い声が天井に跳ね返ってうるさい。

 

 俺たちが入った瞬間、視線が何本も飛んできた。

 

「お、可愛い子いるじゃん!」

「エルフの嬢ちゃん滅茶苦茶可愛いな。奢ったげるからどう?」

「一緒に飲まねぇ?」

「そこのフードの嬢ちゃん達、顔見せてよ!」

 

 ……すぐこれだ。

 ティナが一歩前に出て、適当にあしらう。

 

「疲れてるから、どいてちょうだい」

「へぇ~? 疲れが取れるマッサージしてやろうか? 尻を揉むのは得意なんだぜぇ」

「自分のでも揉んでなさい」

 

 ティナが反射で突っ込むと、何人かが笑った。

 マルルゥは今日一日ずっと静かだ。心ここにあらず、という感じで、からかわれても反応が薄い。眠そうとも違う。静かなのが不気味だが、面倒くさいので無視しておく。

 

 ミゲルが宿の人間に声をかけた。

 髭がもじゃもじゃで腕っぷしの強そうな男が、無愛想に言う。

 

「おう、部屋はすぐに用意させるが、飯が先だ。その辺りに座ってろ」

 

 ミゲルが俺に顔を向ける。

 

「こういった宿は初めてか? 貴重品は自分でしっかり持ってろ。盗まれるぞ」

「部屋に鍵ついてないのか?」

「あるが、あてにすんな。部屋に置いた物が盗まれた話もよく聞く」

 

 ならず者多すぎだろ。

 何と言うか、街と違って強面の男や、下卑た男の比率が高い気がする。

 ギルド長のようなまとめる者がいないと、こんな感じになってしまうんだろうか。

 

 フーバさんが後ろから伸びをして、肩をぐるぐる回した。

 

「うーん、やっと肩の力抜けるねぇ」

 

 サラは相変わらず怖い目をしているが、ほんの少しだけ息が抜けた感じで呟く。

 

「……飯の前に身体拭きてぇ」

 

 確かに。風呂はないだろうから、お湯を貰って身体を拭いてすっきりしたい。

 さっきの髭の男に言えば貰えるんだろうかとキョロキョロとしていると、カイトも同じように周囲を見回して、目を輝かせた。

 

「活気があって、冒険者ギルドみたいですねぇ」

「活気というか……酒気というか……」

 

 シャロンもきょろきょろして落ち着かない。ローブのフードを深くして、できるだけ顔を隠している。

 

 ミゲルが「そっちの席空いてる」と指差した。

 六人掛けの席に、俺たちは固まって座る。

 隣の席にミゲル、サラ、フーバさん。

 

 周りには、酒を飲んで盛り上がっている冒険者、静かに酒を飲む商人らしき人物、御者っぽい男たちが小声で何かを話し込んでいる。

 

 そして──俺は、目立っていた。

 全身黒ずくめ。フードで顔も隠している。

 怪しい。普通に怪しい。

 

(しまったな……こんなに人がいるとは……)

 

 格好いいより、先に恥ずかしさが来る。

 俺がちょっと縮こまっていると、年配の女性が料理を運んできた。

 

 余り物の野菜をゴロゴロ入れたスープ。

 硬そうなパン。

 そして、分厚い肉の焼き物。何の肉か分からないが、妙に黒い。

 これこの間カイトが食ってた屋台の黒い肉じゃないか?

 マルルゥは皿を見るなり言った。

 

「ボクいらないからあげる」

「えっ、いいんですか!?」

「うん」

 

 カイトに渡す。マルルゥは椅子に座ったまま、また目をつぶった。

 いつもの騒がしさが嘘みたいに、今は人形のように静かだ。

 ティナが肩をすくめ、俺と目配せして食事を始める。

 俺もスープを口に入れる。

 

(味薄っす!)

 

 肉を切る。

 

(硬くて切れねえ)

 

 噛む。

 

(靴底かな?)

 

 スープだけじゃなく、肉の味付けも薄い。塩とか胡椒が欲しい味だ。

 カイトはそんな料理でもむしゃむしゃ食べている。歯が強い。

 シャロンは肉を切るのに苦戦して、全然進んでいない。前髪の影で表情は分からないが、たぶん困ってる。

 

 スープは薄いが、まだなんとか飲める。

 硬いパンもスープに浸せば何とか食える。

 だが肉だけは硬すぎて無理だ。

 

(……今までの飯が美味かったのか。俺の舌が贅沢になったのか。どっちだ……)

 

 でも周りの連中は平然と食っている。つまり、これが普通なんだろう。

 ……嘘だろ。

 

 俺がフォークとナイフで肉を引き裂こうとしているのに、びくともしない。

 そのせいで皿の上で刃が滑り、キィ……と嫌な音が鳴った。

 

 それに反応したのか、隣の卓の男たちがどっと笑う。

 酒で赤らんだ顔が、焚き火みたいに上気していた。

 

「おいおい、そんなんじゃ切れねえぞ」

「この宿の名物だよ。歯を試される肉だ」

「一緒に飲んでくれるなら、俺が肉を食べやすく切ってやるぜ。ガハハ!」

 

 余計なお世話だ。

 俺は黙って、肉をスープに沈めた。沈めたところで柔らかくなる気もしないが。

 

 ──そのときだ。

 男のひとりがジョッキをぐいっと煽り、空になった底を机に叩きつけた。

 

「そういや、この間のアストルの件、聞いたか?」

 

 アストル。俺たちが出てきた街の名前だ。

 手が止まる。フォークが、皿の縁に当たって小さく音を立てた。

 

「何でもオーロックの森からアストルに、魔物がわんさか攻めてきたらしいんだけどよ」

「へぇ、やっぱ森が荒れてんのか」

 

 話している男は、周りの反応が嬉しいのか、身を乗り出して続けた。

 別の男が肘で仲間を小突き、にやにや笑っている。

 

 俺はスープを口に運ぶ振りをして、耳だけを隣の席に向ける。

 

「でよ。森渡りと一緒に戦ってた女戦士が──めっぽう強いんだと」

「女戦士?」

「しかも、めちゃくちゃ可愛いらしい」

 

 喉の奥が、きゅっと詰まる。

 嫌な予感が、芽じゃなくて苗になった。

 

「森渡りの女らしいんだけどよ」

 

 視線を落としたまま、俺は皿の上の肉をじっと見つめる。

 

「かーっ、強くて可愛い彼女とかズルくね?」

「まぁ聞けって。しかも森渡りの趣味でよぉ……めちゃくちゃ変態ちっくな格好させられてるって噂で──」

 

(待ってくれ、違うんだ!)

 

 心の中で叫んだが、声は出せなかった。

 出した瞬間、噂の本人だと宣言するようなものだ。

 フォークを握る手に、じわりと汗が滲む。

 

「尻丸出しの格好させられてるんだってよ」

 

 ……終わった。

 

「ガハハ! 何だよ尻丸出しって! ……っていうか尻丸出しってどんな格好させてんだ?」

「そらお前、尻が見えるってことは……履いてないってことじゃね?」

 

 ジョッキを掲げる音。

 机を叩く音。

 男たちの下品な笑い声。

 全部、俺の背中に刺さる。

 

「すげぇ……俺もミスリル級になったら可愛い彼女作ってそんな格好してもらいてえ!」

 

 男たちは笑い転げ、誰かが机を叩いてさらに盛り上がる。

 

 俺は拳を握りしめた。

 料理のことなど、もうどうでもよくなっていた。

 このまま立ち上がって抗議したい。

 でも、それこそ自分がその変態だと名乗るようなものだ。

 

 深呼吸。

 平静。平静。平静……。

 だが呼吸が、微かに震えている。

 

 ──気づいたら、ティナとカイトが手を止めて俺を見ていた。

 やめろ。見るな。その目を向けるな。

 

「……なんだよ。こっち見んなよ……」

 

 声が、思ったより掠れていた。

 

 ティナは可哀想なものを見る目をしていた。

 カイトは優しい声で言う。

 

「……元気出してくださいね、アウラさん」

 

 やめろぉぉぉぉぉ!

 

 言い訳が喉まで来るが、ここで騒いだってろくな事にならない事は明らかだ。

 近くの席の冒険者たちは、楽しそうに笑いながらさらに下品な妄想を膨らませている。

 

 俺は震える手でスープを持ち上げ、もう一口飲んだ。

 さっきまで薄味だったはずのスープが──今は、やけにしょっぱかった。

 

(……なんでだろうな)

 

 目の奥が熱い。

 フードの影に隠れて、よかった。

 たぶん、これは湯気のせい。そういうことにしておく。

 

 酒場の喧騒がうるさい。

 肉は硬い。

 俺は目立つ。

 しかも噂になっている。

 

 旅はまだ始まったばかりだというのに、俺の心はすでに折れそうだった。

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