【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
タルちゃん達が宿の裏口から入っていった後、俺達は表口の方へ回って宿へ戻った。
まだ朝が早いせいか、表の食堂には人影がまばらだった。起きているのは御者や、宿の従業員がちらほらいるくらいで、昨夜あれだけ騒がしかった冒険者達の姿は見えない。
入口近くでミゲルが伸びをしていた。俺達に気づくと、眠そうな目をこちらに向けて眉を上げる。
「なんだお前ら、朝っぱらからどうしたんだ?」
「タルちゃんとダンジョン行ってきた」
そう答えると、ミゲルは一瞬だけ動きを止め、それからじわじわと呆れ顔になった。
「タルちゃんと朝早くからダンジョンって……お前ら元気だな」
「ダンジョンがどんな所か気になってな。勢いだ」
「いや、勢いでダンジョン行くなよ」
もっともな返しである。
すると隣で、カイトが待ってましたと言わんばかりに口を開いた。
「聞いてくださいよミゲルさん! ダンジョンの中、すごかったんです! 外から見たらただの洞窟なのに、中に塔があって──」
あ、これは長くなるな。
カイトの目はきらきらしていた。いや、朝からきらきらしていたけど、今はそれがさらに増している。初めての実戦で一つ壁を越えた直後だ。そりゃ興奮もするだろう。
俺はティナと目を合わせた。
「先に部屋戻るか」
「そうしましょ」
カイトはもう完全に喋るモードに入っている。
ミゲルもミゲルでカイトの勢いに押されて「お、おう……それで?」みたいな顔になっていたので、あとは任せて問題なさそうだ。
俺とティナはそのまま階段を上がって部屋へ戻る。
扉を開けると、マルルゥはまだ寝ていた。
というか、ほとんど同じ姿勢のままである。
まあいい。寝てるなら寝てるで静かで助かる。
俺はさっさとステータス画面を開いて、ハイレグアーマーを普段着に戻した。さらにその上から地味なローブを羽織る。
うん。やっぱりこっちの方が落ち着く。
どれだけ性能が良くても、ハイレグアーマーはハイレグアーマーだ。
あの露出度で平常心を保てるほど、俺はまだ達観していない。
(……やっぱり、こっちの方がいいな)
しみじみとそう思う。
ティナは荷物の整理を始めていたので、俺も自分の荷物を見直す。とはいえ、やることはそこまで多くない。大体はアイテムボックスに突っ込んであるから、散らかすほど物もない。
手を動かしながら、さっきのダンジョンのことが頭に浮かんだ。
「なあ、ティナ。さっきのダンジョン、どうだった?」
そう聞くと、ティナは荷物の紐を結び直しながら少し考えた。
「んー……そうね。やっぱり一番は、不思議、かしら」
「あー、塔とか?」
「ええ。あんな大きな塔がダンジョンの中にあるのも驚いたけど、それ以上に、魔物が次から次に現れたでしょう?」
ああ、と頷く。
「今まで、あんなに短時間で魔物が現れるのって、あまり見たことがなかったの。森で魔物に遭うことはあっても、あそこまでたて続けに来るのはちょっと違ったわ」
「……そう言われると、たしかにそうか」
入口近くとはいえ、あれだけ間を置かずに出てくるのは、言われてみれば珍しいことなのかもしれない。オーロックの森だって魔物はいたが、あんな風に“次が来るのを前提にしなきゃいけない”感じではなかった。
単純にグロウルビーストの縄張り意識が強かったのかもしれない。
でも、あれが他のダンジョンでも同じで、しかももっと強い魔物が襲ってくると考えたら──結構危ない。
前にフーバさんが「ダンジョンはおすすめしない」と言っていたのを思い出す。
あの時は「お宝があるかもしれないし、面白そうじゃん」くらいに考えていたが、今なら少し分かる。
罠、強い魔物、複雑な構造。
それに逃げ場の少なさ。
ロマンはある。すごくある。
でも、危険もしっかりある。
「……行くのはやめておいた方がいいかもしれないな」
ぽつりとこぼすと、ティナがすぐに頷いた。
「当たり前でしょ。後でカイトにもちゃんと言っておかないと……」
ティナはそう言ってから、少し呆れたようにため息をついた。
やっぱりそうなるよな。
カイトは今、初めての実戦でテンションがだいぶ上がってる。
あの感じだと、たぶん「ダンジョンすげえ!」の方が先に来ている。危険性をちゃんと理解してない訳じゃないだろうけど、興奮が勝ってるのは間違いない。
そんな他愛ない話をしていると、扉がこんこんと叩かれた。
「お食事の準備が出来ました」
外から、宿の従業員の声がする。
俺とティナは顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく小さく頷く。
……行くしかないか。
ベッドのマルルゥを揺すって起こす。
「ほら、起きろ。飯だぞ」
「ん……」
「ご飯だから」
「ふぁ……ん……」
ふらふらと起き上がる姿は寝ぼけていて、いつもより見た目相応の少女に見える。
まぁ、こいつ男なんだけど。
三人で食堂へ向かうと案の定食堂は静かだった。
席につくと、ミゲル達やシエルはすでにテーブルについていた。
そして昨日の口直し用スパイスを、もりもりと口へ詰め込んでいる。
俺、ティナ、カイトは無言で銀貨を一枚ずつミゲルへ渡した。
ミゲルは黙ってスパイス入りの袋をこちらへ投げてよこした。
もうこの宿の朝食に対して、全員の行動が洗練され始めている気がする。
「……朝からこれはきついな」
「今さら気づいたのか」
ミゲルにそう言われたが、気づいていてもきついものはきつい。
そして運ばれてきた朝食を見て、全員が静かに覚悟を決めた。
焼き立ての美味しそうなパン。
そこに挟まれている野菜。
さらに、さっき取ってきたばかりのグロウルビーストの肉らしきものがぎっしり詰まったサンドイッチ。
見た目だけなら、食えなくはなさそうだ。
問題は、スープの方だった。
さっきまで厨房で見えた時は、たしかに普通に美味しそうな色をしていたはずだ。
なのに今、目の前に置かれたそれは、なぜかどす黒く変色し、底なし沼みたいな色味になっている。しかも湯気と一緒に上がってくる匂いが、食欲ではなく警戒心を刺激してくる。
どうしてこうなる。
俺達は無言でスパイスを口へ放り込み、その勢いのまま一気に食事をかき込んだ。
食べるというより、流し込む。
味わうというより、処理する。
それでも胃が反乱を起こしそうになるのだから、タルちゃんの料理の破壊力は本当にどうかしている。
ようやく食べ終えて、俺達がそれぞれ吐き気と戦っていると、タルちゃんと宿の従業員達が皿を片付けに回ってきた。
タルちゃんは俺達を見つけると、ぱっと顔を明るくする。
「どう? みんなで取ってきたから、より美味しかったでしょ! 新鮮な取れたてのお肉だもんね!」
悪意のない、満面の笑みだった。
「うっぷ……は、はい。おいしかったです……」
どうにかそう返すと、タルちゃんは満足そうに頷く。
「よかった~!」
……本当に悪意がないんだよな、この人。
だからなおさら困る。
「そうそう、あなた達に良い身体の鍛え方を教えてあげるわ!」
思い出したようにそう言って、タルちゃんは近くの席へ腰を下ろした。
そこからは、ちょっとした講義みたいな時間になった。
剣の素振り、腕立てやスクワットに体幹を意識した姿勢の保ち方等を教えてくれる。
「あとね、魔力を使って身体を動かさずに筋肉だけ動かして、鍛えるのもおすすめよ!」
(そんなもん出来るか!)
思わず内心で全力ツッコミを入れてしまう。
でもカイトは真剣そのものの顔で聞いていた。
すげえなこいつ。胃のダメージがまだ残ってるだろうに、よくそんな前向きに聞けるもんだ。
「カイト君は、せっかくだからアウラちゃんに剣の訓練に付き合ってもらったらどうかしら?」
タルちゃんがそう提案すると、カイトの顔がぱっと明るくなった。
「アウラちゃんも運動になるし、カイト君も訓練出来るでしょう? 木剣とかでやれば怪我もしにくいし、いいと思うのよね~」
「たしかに!」
カイトが勢いよく頷いて、こっちへ向き直る。
「アウラさん! 時間がある時でいいので、お願いします!」
頭を下げられて、俺は少し苦笑した。
断る理由はない。
というか、俺の方にも都合がいい。
タルちゃんに言われた通り、自分の身体の使い方はたしかに見直したい。カイトの相手をしながらでも、そこは確認できるだろう。
「分かった。時間ある時にやろうぜ」
「ありがとうございます!」
カイトが心底嬉しそうに頭を上げる。
しかしこいつ、本当に元気だな。
タルちゃんの料理を食べた直後とは思えない。
俺やティナは、スパイスの効果があってなお口を大きく開けたら胃から何か逆流してきそうな感じが続いているというのに。
ちなみにマルルゥは、今日もいつの間にか皿の上が空になっていて、椅子の上で眠っていた。
たぶん魔法か何かで一瞬で消したんだろう。ずるい。
ミゲル達も昨日と同じように青い顔をしていた。
シエルに至っては、食べ終わった直後にトイレへ駆け込んでいた。
……しょうがないよね。
ミゲル達はまだ青い顔をしているが、そろそろ出発する時間だと言って準備が出来たら外に来てくれと伝えてくる。
俺達も荷物をまとめ、宿の外へ向かう。
すると、ちょうど裏手の方から戻ってきたタルちゃんが、こちらに気づいてぱたぱたと駆け寄ってきた。
「あら~、もう出発しちゃうのね」
「お世話になりました」
そう答えると、タルちゃんは少し残念そうにしつつも、すぐにいつもの明るい笑顔を浮かべた。
「いえいえ。それじゃあ、みんな道中気をつけてね~」
「はい!」
元気よく返事をしたのはカイトだった。
タルちゃんはそんなカイトを見て、にこっと笑う。
「カイト君、焦らなくていいから相手をよく見て、少しずつ慣れていきなさいね」
「はい! ありがとうございます!」
それからタルちゃんは、今度は俺の方を見た。
「アウラちゃんも筋トレ、頑張ってね」
「うっ」
「身体が追いついたら、もっと良い動きになるんだから。次に会う時までに、少しは成果を見せてちょうだいね~」
にこにこしながら言ってくるが、言ってる内容はなかなか重い。
「……善処します」
俺がそう返すと、タルちゃんは満足そうに頷いた。
「うんうん、よろしい! また近くに来たら寄りなさいな。今度はもっと美味しいもの作ってあげるわ~!」
その言葉に、その場の何人かの顔が引きつった気がした。
俺達は軽く会釈を返し、そのまま宿を後にする。
今日も馬車で進む旅だ。
いつものようにサラとフーバさんが周囲を警戒し、俺達は馬車へ揺られながら先へ進む。
しばらくしてから、御者台のミゲルがぼやいた。
「うっぷ……あー、くそ。まだ胃がひっくり返りそうだ……」
その気持ちはよく分かる。
「それはそうと、今日の夜辺りに何事もなければドゥル=ブルムに着く予定だ」
その言葉に、俺達は少し姿勢を正した。
「とはいえ、夜になると門が閉められるからな。たぶん門が開いてる時間には間に合わねぇ。門前で一泊して、明日の朝に入る感じになると思うぜ」
「え、入れないのか?」
思わず聞き返す。
ミゲルはうなずいた。
「ああ。あの辺りは魔物が多い地域でな。ダンジョンからの溢れ自体はそう頻繁でもねぇが、周辺には強い魔物がうろついてる。夜は基本的に門が閉められるんだよ」
「じゃあ、魔物がうろついてる外で野宿ってことか?」
「そこまで悲惨でもねぇよ。門前には広場があって、簡易の宿や屋台も出る。夜を明かすだけなら全然問題ない。こいつらも居るしな」
そこまで言ってから、ミゲルはサラ達をアゴで指した。
「まあ、治安は良いとは言えねぇし、魔物だって絶対出ないとは言えんがな。兵士や盾の会の連中が定期的に見回ってるから、ある程度は安全だ」
「盾の会って?」
馬車の揺れに身を任せながら聞くと、ミゲルが少しだけ眉を上げた。
「盾の会っていうのは、簡単に言えば、街の防衛を専門に請け負ってる大きな冒険者の集まりだな」
「防衛専門の冒険者……?」
カイトが不思議そうに首を傾げる。
「冒険者なのに、魔物退治とか探索じゃなくて、防衛が中心なんですか?」
「いや、魔物退治もするぞ。ただ、普通の冒険者みたいに依頼を見て好き勝手動くってよりは、街を守るための仕事を優先して回してるって感じだな」
ミゲルは遠くを見ながら続ける。
「もともとは怪我なんかで兵士を辞めた連中とか、退役した老兵どもが中心になって作った組織らしい。今でも上の方は、そういうベテランが仕切ってる。だから現役の兵士とも繋がりが強いんだよ」
「へぇ……」
思わず声が漏れる。
元兵士や老兵が運営してる冒険者集団。
何というか、普通の冒険者パーティーとはだいぶ毛色が違いそうだな。
冒険者ってもっとこう、自由気ままで、その日暮らしで、実力主義の塊みたいなイメージがあったんだが。
「じゃあ、兵士みたいなものなの?」
ティナが聞く。
その声音は、単なる興味半分というより、仕組みを確かめるみたいな響きがあった。
ミゲルは少しだけ肩をすくめた。
「半分そうで、半分違うってところだな。兵士ほどきっちり軍に縛られてる訳じゃねぇ。だが、普通の冒険者よりはずっと規律がある。そこがあいつらの強みでもある」
「規律か」
「ドゥル=ブルムは近くにでかいダンジョンがあるし、周辺の魔物も強い。だから兵士だけじゃ手が回りきらねぇこともあるんだよ。街からギルドに防衛依頼が出て、それを主に盾の会が引き受けてる」
「主にってことは……全部じゃないんですね?」
カイトがさらに聞く。
「全部じゃねぇな。だが、門前の見回りとか、夜警とか、外縁の巡回とかは、盾の会に所属してないと受けられない依頼も多い。兵士の補佐みたいな仕事はかなりの割合で盾の会が受け持ってる。必要に応じて所属してる冒険者を回してるって訳だ」
「へぇ……何だか、凄いですね」
カイトが素直に感心したように言う。
まあ、気持ちは分かる。
街の防衛にちゃんと関わってるって、冒険者としてはちょっと格好いい響きがある。
しかも、ただ強い奴が集まってるだけじゃなくて、元兵士や老兵が上にいるってことは、たぶん指揮系統もちゃんとしてるんだろう。
「それって、所属してると何か良いことあるの?」
ティナが現実的なことを聞いた。
ミゲルは苦笑しながら頷く。
「そりゃ、勿論あるぞ。まず収入は安定してるってことだ。街の防衛依頼は定期的にあるからな。普通の冒険者みたいに、依頼が無い日は丸々暇ってことが減る」
「なるほど……」
「それに、兵士になるよりは自由が利く。規律はあるが、完全に軍属になる訳じゃない。依頼の外まで全部管理される訳でもねぇし、休みの日に個人で動く余地もある」
「じゃあ、兵士ほど縛られないけど、普通の冒険者より安定してるってことですか?」
カイトが目を丸くする。
「そういうことだな」
ミゲルがあっさり頷く。
「そのうえ、盾の会所属ってだけで街での信用も高い。元兵士どもが運営してるから、あそこにいるなら最低限はちゃんとしてるって見られるんだよ」
それ、かなりでかくないか?
収入が安定して、兵士より自由で、しかも信用まである。
話だけ聞くと、だいぶ優良物件に聞こえる。
いやまあ、そんな都合のいい話ばっかりな訳ないんだろうけど。
「良いことばっかりに聞こえるわね」
ティナが、まるで俺の心の声を代弁したみたいに言った。
ミゲルはにやっと笑う。
「もちろん、そんな訳あるかよ」
「ですよね」
思わず即答してしまった。
「訓練がきついんだよ、あそこは」
ミゲルは少し呆れたように鼻を鳴らす。
「兵士との合同訓練が定期的にあるんだ。そりゃもう……生易しいもんじゃねぇ。ついて来られねぇ奴は普通に脱落する」
「脱落……」
カイトが少し顔を引きつらせた。
「そんなにきついんですか?」
「めちゃくちゃキツいって話だ。生半可な気持ちで行くと大体後悔する。盾の会に入ったはいいものの、合同訓練がしんどくて辞めるやつも結構居るって話だ」
「うわぁ……」
カイトが分かりやすく声を漏らす。
でもまあ、そうだろうな。
元兵士とか老兵が回してて、しかも要塞都市の防衛に関わる組織だ。訓練がぬるい方がおかしい。
むしろ厳しいからこそ信用されてるんだろう。
「じゃあ、誰でも入れる訳じゃないのね」
ティナが言うと、ミゲルは首を横に振った。
「誰でもって訳じゃねぇな。腕の立つ冒険者をスカウトしたり、実力を見て声を掛けたりもするらしい。少なくとも、適当に入って適当に居座れる場所じゃない」
「ふぅん……」
思わず小さく唸る。
自由気ままな冒険者の集まりというより、“防衛に向いた冒険者を集めた組織”って感じか。
それなら兵士との連携が強いのも分かるし、街が頼るのも自然だ。
要塞都市ドゥル=ブルム、って聞いた時は単に壁が高くて厳つい街なのかと思っていたが、そういう仕組みまで含めて要塞なんだろうな。
「自由は欲しいが、その日暮らしは嫌だって連中には人気なんだよ。定期収入に加えて寮もあるし、成果を上げればボーナスも出る」
「でも、その分きついんだろ?」
「そりゃな。街を守る仕事ってのは、安定してる代わりに責任も重い」
ミゲルはそこで少しだけ真面目な顔になった。
「魔物が出たけど危ないから今日はやめます、じゃ済まねぇ仕事だからな。逃げ場がない分、腕と覚悟の両方が要る」
その言葉に、カイトもティナも少し黙る。
……なるほど。
安定してて自由もあって信用もある。
そこだけ聞けば魅力的だ。
でも、その足元にはちゃんと危険な時に前へ出る役目があるってことか。
そりゃあ、軽い気持ちで入ったら後悔するだろうな。
「まあ、ドゥル=ブルムに着けば嫌でも名前は耳に入るだろうよ」
ミゲルはそう言って、馬車の外へちらりと目を向けた。
「盾の会は、それくらいあの街に根を張ってるからな」
「ふぅん……それにしてもミゲル、やたら詳しいな」
そう言うと、ミゲルは少しだけ気まずそうな顔をした。
「あー……知合いが盾の会に所属してるんだ」
「へぇ」
「昔は俺も一緒にと思ってたんだが……結局俺の実力じゃ無理だったからな。今じゃこうして御者なんてやってる訳だ」
そう言って、ミゲルはふいっと顔を逸らして馬の扱いに集中してしまう。
……なるほど。
ただ詳しいってだけじゃなくて、そういう理由があったのか。
普段は適当そうに見えるくせに、ミゲルも案外ちゃんとそういうものを胸に抱えてた時期もあったらしい。
いや、今も少しくらいは残ってるのかもしれないけど。
何度か休憩を挟み、空の色が藍から黒へ変わった。
ドゥル=ブルムに着く頃には、辺りはすっかり真っ暗になっていた。
だが、それでも街の存在は遠くからはっきり分かった。
街道の先に、長くて大きい城壁が横たわっている。
ただの壁というより、巨大な断崖がそこに築かれているみたいな圧迫感があった。
ドゥル=ブルムの周囲は、街道沿いだけがかろうじて人の手で整えられているものの、その外はすぐに荒れた岩混じりの大地へと変わっていた。背の低い草や低木が夜風に揺れ、その向こうには黒々とした岩山の稜線がうねるように続いている。
昼ならまだ地形もよく見えたのだろう。
だが夜の今は、それらがただ大きな影となって広がっていて、いかにも強い魔物でも潜んでいそうな不気味さがあった。
そんな荒野の先に、ドゥル=ブルムの城壁はあった。
高く、長く、そして分厚い。
街を囲っているというより、そこに一つの壁そのものが横たわっているような威圧感だ。
城壁の上にはいくつもの灯火が並び、見張りの兵らしき影が行き交っているのが見えた。
時折、風に乗って金属の擦れる音や、短いやり取りの声が微かに届いてくる。
その一方で、門前だけはまるで別の空気をまとっていた。
大きな門の前に設けられた広場には、祭りの屋台でも出ているのかと思うほど、大小さまざまな屋台が並んでいる。焚き火の明かりとランタンの灯りがあちこちで揺れ、人々が火を囲みながら思い思いに腰を下ろしていた。
湯気の立つ鍋。
串焼きの匂い。
酒の匂い。
荷馬車の軋む音。
誰かの笑い声と、どこかで始まる値段交渉。
簡易の天幕や粗末な宿も見える。
今夜ここで朝を待つのだろう旅人や冒険者達が、広場のあちこちにたむろしている。
けれど、それはただの賑わいではなかった。
門の脇には槍を持った兵士が立ち、巡回している者の姿もある。広場の外れには灯火を掲げた見回りの影が動いていて、城壁の上からも門前を監視している気配がある。
人が集まっている。
商人もいる。
屋台も出ている。
それなのに、空気のどこかに常に緊張が混じっていた。
祭りみたいに明かりは多いのに、ここが危険な土地の前線であることを忘れさせない。
たぶんこれが、この街の普通なんだろう。
あれが、要塞都市ドゥル=ブルムか。
胸の奥で、少しだけ何かが高鳴った。
壁は高くて、空気は重い。
でも、同時に人の熱気もある。
危険と繁盛。
緊張と活気。
それが同じ場所に混ざっている。
遠くから見ただけでも、この街がただの大きな街じゃないことは分かった。