【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
ギルドを出た瞬間、外の空気がやけに濃く感じた。
石畳の上を小さな砂ぼこりが舞っている。夕陽はもう建物の向こう側に傾き、街全体が少しだけ赤茶けて見えた。
ふわりと匂いが鼻に入る。
(……うん、汗と草と獣のフルコースだな)
自分でも分かるぐらい、いろんな匂いがまとわりついている。鼻が慣れてきただけで、第三者視点で嗅いだらたぶんアウトだ。
「……とりあえず、風呂に入りたい」
思わず口に出すと、横のティナが即答した。
「当然でしょ。そんな格好で、そんな匂いで、宿のベッド使おうなんて考えないでよね」
「そんな格好は余計だ」
否定はしたが、ぐうの音も出ない。キラーボアの血はほとんど浴びずに済んだとはいえ、薬草と汗でべたついているのは事実だ。
「カイト、お風呂はこの辺にあるのか?」
「はい! ギルドから少し行ったところに“南門共同浴場”っていうのがあって、安くて広くて、すごく良いんですよ。いつも僕たち、ここを使ってます!」
カイトの顔がぱっと明るくなる。普段から世話になっている場所なのだろう。口調に自信があった。
「よし、じゃあ先にそこだな。宿はその後だ」
寝床を確保するより先に風呂を選ぶ日が来るとは思わなかったが、今はそれでいいと思えた。どうせこの匂いでは宿の受付にも警戒される。
三人で歩き出す。夕方の通りは、家路を急ぐ人たちと、酒場に向かう気配の人たちとで賑やかだ。ときどき視線がこちらに刺さるが、昼間ほどじろじろ見られていない気がする。慣れてきただけかもしれない。
しばらく歩くと、南門へ伸びる大通りから少し外れたところに、湯気の立ち上る背の低い建物が見えてきた。
屋根は丸く、壁は白い漆喰。入口には、桶と湯気を描いた木の看板がぶら下がっている。その横には、男女を示す簡単な図と、料金表。
小さな煙突から白い湯気がもくもくと上がっていた。
「ここが“南門共同浴場”です!」
カイトが胸を張る。入口の前には、桶やタオルを抱えた人たちがぽつぽつと行き来していた。
革鎧を着た男、子どもを連れた女の人、鎧を軽装に替えた兵士らしき連中──たしかに庶民と冒険者の溜まり場、という雰囲気だ。
(公衆浴場か……。銭湯みたいなものだろうか)
入口をくぐると、すぐ左手に小さな受付があり、年配の女将さんらしき人が番台に座っていた。眉間の皺と腕組みが、いかにもな雰囲気を醸し出している。
「三人? 男ひとり、女ふたりね」
番台の女将さんが、じろりとこちらを見る。視線が俺の装備で止まり、一瞬だけ、眉がぴくりと動いた。
「……あんた、凄い格好をしてるね。初めてみたよ、そんな格好」
「あぁ、よく言われます……」
もう、少し慣れてきたかもと思ったが、そんな事はなかった。
面と向かって言われるとつらい。
カイトが先に料金を払い、俺とティナの分もまとめて出そうとする。
「待て、そこは自分で払う。借りを増やしたくはない」
「えっ、でも──」
「キラーボアの金がある。気にしなくていい」
銀貨を数枚、番台へ差し出す。ザラついた金属の感触が、妙に現実的だ。
受付を抜けると、廊下の突き当たりに、大きな暖簾が二枚下がっていた。左が青で、右が赤。青のほうには簡単な剣と盾の絵、赤には花のような模様が描かれている。
青の前でカイトが立ち止まり、振り向いた。
「僕はこっちです! アウラさんとティナはあっちですよ!」
そう言って手を振り、青い暖簾の向こうへ消えていった。
残された俺とティナは、赤い暖簾の前に立つ。
暖簾のむこうから、湯気と笑い声が漏れてくる。桶が当たる音、湯をすくう音。女の人たちの話し声。
(……本当に、女湯だな)
今さらながら、ものすごく当たり前な事実が胃に落ちてくる。心臓の鼓動が、一段早くなった気がした。
「なに固まってんのよ」
ティナがじとっと見上げてくる。
「入るの初めてみたいな顔してるけど」
「……こういった風呂は初めてだ」
正直に答える。女湯が初めて、とは言えなかった。
ティナが少し首をかしげる。
「じゃあ、今まではどうしてたのよ」
「家に風呂があったからな」
ティナの足が、ぴたりと止まる。
横目で見ると、彼女の眉がぴくりと動いていた。目線だけが、じわりとこちらに向く。
「……へぇ。家に風呂ね」
声音は軽いが、その裏に何かがあるのは分かった。
(そんなに驚くことか? この世界では珍しいのか……?)
考えても、こっちの常識が分からない以上、答えは出ない。とりあえず、これ以上深掘りされないことを祈るしかなかった。
「ま、いいわ。とりあえずルールぐらいは教えてあげるから」
ティナはそう言って、暖簾をくぐる。俺も、そのあとに続いた。
赤い布をくぐった瞬間、むわっとした熱気と湯気に包まれた。
広い脱衣所。木製の棚に並ぶ籠、壁際には鍵付きの木箱がずらりと並んでいる。床は水に強そうな板張りで、ところどころ、髪を拭いている女たちが座り込んでいた。
衣擦れの音と、低い話し声。
(……本当に来てしまった)
当たり前だが、ここから先は“裸”の領域だ。男として生きてきた時間のほうが圧倒的に長い身からすると、あらゆる意味で緊張する。
「そこの棚から空いてる籠と鍵を取って。貴重品は鍵付きの箱に入れるの。装備を入れるならあっちの大きい箱。タオルは受付で買うか自分で持ってくるか。ここに掛けてあるやつは全部店のだから、勝手に使ったら怒られるわよ」
「なるほど」
ティナは慣れた手つきで籠と鍵を取り、木箱のひとつを開ける。中に財布らしき小袋と服をしまい、鍵をかけた。
俺も真似をする。銀貨の袋と、今着ている装備以外のもの──といっても、ハイレグアーマー以外ほとんど何もない──を木箱に入れ、剣を大きい木箱へ入れた後、タオルを購入する。
問題は、ここからだ。
ハイレグアーマーを外さなければならない。
(……どうやって?)
指先で鎧の縁や接合部らしきところをなぞる。紐もバックルもチャックもない。肩から腰へ続くラインも、ぴったり肌に沿っていて、隙間がほとんどない。
ぐい、と引っ張っても、びくともしなかった。
「なにやってんの、あんた」
ティナの半眼が刺さる。
「こ、これをだな……脱ごうとしている」
「見れば分かるわよ……どういう仕組みなのよ、それ」
「俺が聞きたい」
本気で聞きたい。どう着て、どう脱ぐのか。そもそも、勝手に装備していたので、どこがどう外れるのかもわからない。
焦ると、余計に暑く感じてくる。湯気が肌にまとわりつき、鎧と肌の隙間で汗がじっとりと増える。
(まずいな……)
このままでは、風呂にも入れずに退場だ。
(……待てよ)
ふと、頭の片隅に別の可能性が浮かぶ。
この鎧は、女神が設定した装備だ。最初に異世界に落とされたとき、俺は「ステータスオープン」で自分の状態を確認している。装備欄もそこにあった。
(もしかして──)
周囲に人の視線が向いていないのを確認してから、俺は小さく息を吸った。
「……ステータスオープン」
心の中で呟くだけでも発動するかもしれないが、念のため、口の中で転がす程度に声に出す。
視界の端に、薄い半透明の板が浮かび上がった。前にも見た、ゲームのステータス画面のようなもの。HP、MP、筋力、敏捷──よく分からない数値が並んでいる。
下のほうに、「装備」という項目。
そこにはしっかりと、「アウラ特製ハイレグアーマー」と表示されていた。
嫌な名前だ。知ってたけど。
(やっぱりな……)
意識だけでカーソルのようなものが動く。装備欄を選ぶと、小さな選択ウィンドウが現れた。
『装備:アウラ特製ハイレグアーマー → 解除しますか? はい/いいえ』
(はい)
心の中で「はい」を選んだ瞬間、鎧の内側で、ぞわりと何かが動く感触があった。
「っ──」
反射的に息を呑む。全身を包んでいた何かが、一瞬だけ光になって四散するような不思議な感覚。
次の瞬間、肌に直に空気が触れた。
見下ろすと、ハイレグアーマーが跡形もなく消えている。かわりに、白くて、やたらと主張の強い肉体が視界を占めていた。
(……本当に、消えた)
便利さと恐ろしさが同時に背筋を這い上がる。
「……今、どうやって脱いだの?」
ティナがぽかんと口を開けていた。さっきまであった異様な装備が一瞬で消えたのだから、無理もない。
「……まあ、色々あってな」
とりあえず、そう言うしかなかった。
女神とステータス画面の話をしたところで、信じてもらえる未来が見えない。俺自身、信じきれていないのだから。
ティナは「ふーん」とだけ言って、何か考えるように俺を一瞥した。じっと観察された気配だけが残る。
気にしても仕方がない。今は別の問題に向き合わなければならない。
──自分の身体だ。
鏡に映った自分を、まじまじと見る。
女神そっくりの顔。……いや、女神と違って目の下に薄いクマがある分、多少は人間味があるのかもしれないが。
それでも、美形であることは否定しようがなかった。目はエメラルド色で、睫毛が長く、鼻筋はすっと通っている。唇は薄すぎず厚すぎず、妙に整っている。髪は金色のツインテール。肩にかかる部分がさらさらと揺れる。
そこまではまだいい。問題は、その下だ。
首筋から肩、胸、腰、脚。
線が全部「女」になっている。
胸のふくらみは、鏡越しに見ても違和感しかない。さっきまで鎧に抑え込まれていたせいか、解放された重みが逆に存在感を主張してくる。少し動くだけで、ついてくるのが遅れるような、不思議な感覚。
腰は細く、くびれがあり、骨盤のあたりが丸い。太ももも、男の頃の自分より明らかに柔らかそうで──。
(……本当に、俺なのか?)
喉の奥から、何とも言えない重さがこみ上げてくる。
この身体で歩いて、この身体で物を食べて、この身体で眠って──俺は“生きる”のだろうか。男だった身体と、そこに紐づいていた感覚や記憶は、どこへ行ったのか。
視線を下に落とす。
そこにあるはずだったものは、なかった。
平坦だ、という表現が妙に刺さる。
理屈ではとっくに分かっていた。鏡を見なくても、下着越しの感触で理解していた。でも、視覚情報として突きつけられると、別の重さになる。
(……ない、んだよな)
喪失、という言葉が頭をよぎる。あまり自分の股間に執着があったわけではないが、「元々そこにあったもの」が消えている、という事実は、思っていたよりもずっと強く心に響いた。
「ど、どうしたの。そんな顔して」
ティナの声で我に返る。
「いや……なんでもない」
なんでもないわけがないが、説明できる種類の感情でもなかった。胸の中に、もやもやとした霧だけが残る。
「ほら、そんなとこで突っ立ってないで。さっさと体洗って、湯に浸かるわよ」
ティナは手早く服を脱ぎ、タオルを肩に引っかけると、当然のように浴場への扉を開けた。
その背中を追いかけるように、俺もタオルを掴んで歩き出す。
扉の向こう──女湯は、湯気で少し霞んでいた。
洗い場には、腰掛け用の小さな椅子と木桶が並んでいた。壁際には蛇口のような金属の口があり、ひねると水と湯が出るらしい。湯気の向こうには大きな湯船が見え、何人もの女たちが肩まで浸かってのんびりしている。
(うわ……)
異様な光景、というわけではない。よく考えれば、ただの風呂だ。男湯でも構造は大差ないだろう。
ただ、そこにいるのが全員“女”で、自分も含めて全員“丸裸”だという一点が、脳のどこかを過敏にしていた。
視線が宙をさまよう。下を見ないように、上を見ないように、妙に中途半端な高さで固定しようとして、かえって挙動不審になっている自覚があった。
「……あんた、ほんと落ち着きないわね」
ティナが呆れたように言う。
「他人のことじろじろ見るのはマナー違反よ。さっさと座って、体洗いなさい。いきなり湯船に入ったら、怒鳴られるから」
「ど、怒鳴られるのか」
「当たり前でしょ。お湯が汚れるじゃない」
そう言われてみれば、その通りだ。分かっていても、緊張は消えないが。
ティナの隣に椅子を置き、恐る恐る腰を下ろす。木の座面が、思ったよりひんやりしている。桶に湯を汲んで、脚から順にかけていく。
熱い。けれど、嫌な熱さではない。じわじわと筋肉がほどけていくような感覚だ。
(……ふう)
少しだけ、肩の力が抜けた。
ティナから石鹸のような固形の洗浄用の塊を受け取り、泡立てて身体を洗う。腕、肩、背中。ここまではまだいい。
問題は、その下だ。
胸に手を伸ばしたところで、動きが止まった。
(……これ、自分で触るのか)
他人のでも駄目だが、自分のでも駄目なものは駄目だ。理屈が追いつかないところに、感情の壁がある。
「なに固まってんのよ」
ティナが横からじろりと見てくる。
「早く洗いなさいよ。泡が流れちゃうじゃない」
「わ、分かっている」
仕方なく、そっと指先を滑らせる。柔らかい。自分の身体とは思えない感触だ。妙な罪悪感と、居心地の悪さがぐるぐると巡る。
(こ、これは医療行為だ。必要な作業だ。変な意味じゃない)
自分に言い聞かせながら、最低限の動きで洗い終える。余計な感想を抱く前に、さっさと流した。
足のほうは、まだマシだった。腿やふくらはぎをこするたびに、筋肉が疲れを吐き出していく感覚がある。今日一日の疲労が、少しずつ溶けていくようだった。
結ばれた頭を洗うのに、どうしたらいいのか少し悩んでいると
「ちゃんと、髪もほどかないと洗えないでしょ」と言われた。
ツインテールの結び目に指をかけた瞬間、胸が変に高鳴った。
この髪はもう俺のものだ。
男のときとは違う、細くて柔らかい女の髪。
結び目を外すと、
ふわりと肩から背中にかけて髪が広がった。
(……長っ。しかも、なんでこんな綺麗なんだよ)
指を通すと、絹糸みたいに滑らかだった。
自分の髪なのに、触れているだけで妙にこそばゆい。
「……髪、すごく綺麗なのね」
ティナの何気ない一言に、
背中まで熱くなるのが分かった。
(やめてくれ……自分の身体なのに、変な気分になるだろ……!)
──そのときだ。
ティナが髪を束ねるためにタオルを後頭部に回し、くるりと体をひねった瞬間、俺の視界に彼女の上半身が、まるごと飛び込んできた。
湯気の薄まった角度だった。完全に、くっきりと。
(うわっ……!)
脳が勝手に目線を固定する前に、慌ててそらした。そらしたつもりだった。
でも、一瞬見てしまったことには変わりない。
「ご、ごめん……!」
反射的に口が動いていた。
ティナがびくっと肩を揺らし、振り返る。
「……なに急に謝ってんのよ」
「い、いや……その……見るつもりじゃなかったんだが……つい……」
視線を床に固定したまま言葉を絞り出すと、ティナはぽかんと数秒黙り、それから呆れたように鼻を鳴らした。
「……あんた、変なとこで繊細よね」
「すまない……気をつける」
「別に見られて困るような体してないし、気にしないわよ。女同士なんだし」
そう言いながらも、ティナはなぜか少しだけ耳の先を赤くして、湯気をごまかすようにふっと息を吐いた。
視線は極力ティナに向けないようにした。向けないようにしているのに、微妙に意識してしまって余計にぎこちなくなる。
湯気が一層濃く見えたのは、きっと気のせいじゃない。
「よし。じゃ、湯船行くわよ」
ティナが立ち上がる。俺も立ち上がり、タオルを腰に巻いて、湯船へ向かった。
湯の表面には、湯気とともに、かすかな薬草の匂いが混じっていた。森で嗅いだ生の匂いとは違う、落ち着く香りだ。
縁に手を置き、そのまま足を入れようとした──
その瞬間、腕を掴まれた。
「ちょっと待った。アウラ、そのまま入ると髪ぜんぶお湯に浸かるわよ」
「え、あ……そうなのか?」
「そうよ。ほら、こっち向いて」
言われるがまま背を向けると、
ティナの指が俺の濡れた髪に触れた。
ぴくっ。
首筋に電気みたいな感覚が走る。
自分の髪なのに、誰かに触られるとこんなに……変な感じがするのか。
「じっとして。ほら、動くと結べないでしょ」
ティナの指が器用に髪をすくい上げ、
くるり、と捻ってまとめていく。
耳の裏を指がかすっただけで息が詰まりそうになる。
(うわ、これ……思ってた以上に……っ)
髪が引き上げられるたび、首筋が湯気に触れて熱い。
胸のあたりまで火照りが広がり、息の仕方すら分からない。
「はい、お団子完成。……って、あんた顔赤いわよ?」
「だ、だいじょうぶだ……!」
全然大丈夫じゃない。
こんな距離で髪を触られるとか普通に死ぬ。
男だった頃には考えもしなかった“女同士の距離感”が容赦なく押し寄せてくる。
お団子にまとめられた髪をそっと手で触り、心を落ち着けようと息を整える。
「じゃ、入るわよ。のぼせないようにね」
ティナが先に湯船へ向かう。
俺も続くが、足を湯に入れた瞬間、思わず小さく息が漏れた。
「……あったか……」
湯が肌にまとわりつく感覚が、思っていたよりずっと敏感だ。
足首、ふくらはぎ、太もも──
浸かっていくたび、別人の身体をなぞられているみたいで落ち着かない。
胸元まで沈むと、
浮力で胸がふわりと揺れ、反射的に両腕で隠してしまう。
(……うわ、これ、俺の身体なのに……やっぱり慣れない……)
視線を落とすと、湯の表面が揺れ、
そこに映るのは見たことのない自分の顔。
濡れたまつげが張り付き、頬は湯気で赤い。
「アウラ、変な顔してるけど……気持ち悪い?」
ティナが隣から小さく覗き込む。
「いや……なんでもない。慣れてないだけだ」
「ふーん?」
湯が肩を包み込み、全身がふわりと浮く。
どこか落ち着かない。
この身体が、まだ“自分のものだ”と受け入れ切れていない。
じんわりと、熱が足から這い上がってくる。膝、太もも、腰──ゆっくりと沈み込んでいく。
「……はあ」
思わず、変な声が漏れる。仕事終わりに銭湯に入った時の、あの感覚に近い。肩の奥に常にあったこりが、じわじわと溶けていく。
(……気持ちいい)
目を閉じると、さっき鏡で見た自分の姿がまた頭に浮かんだ。女の身体で湯船に浸かっているという現実が、湯気の中で輪郭を濃くする。
(……男のときも、こんなふうに風呂に入ってたっけな)
仕事帰りに寄ったスーパー銭湯。隣の洗い場にいた疲れたサラリーマン。湯船で聞こえてきた愚痴混じりの会話。全部、もう戻れない場所だ。
あっちはあっちで、地獄みたいな毎日だったのに。今は、妙に懐かしい。
(死んだら、もっと軽くなれるのかと思ってたけどな)
そうはならなかった。女神の手違いとやらで、俺は別の世界で、別の身体で、別の問題に頭を抱えている。
「……あんた、どうしたのよ。そんな難しい顔して」
隣から、ティナの声がした。
目を開けると、彼女が湯の中で腕を組んでこちらを見ていた。赤い瞳が、湯気越しにじっと刺さる。
「いや……少し、考え事をしていただけだ」
「ふーん」
ティナはそれ以上深く聞いてこなかった。代わりに、じろじろとこちらを眺める。
「それにしてもさ」
「なんだ」
「……あんた、ほんっと肌きれいよね」
不意に、肩のあたりを指でなぞられた。
「ひゃっ──!?」
思わず、間抜けな声が喉から飛び出した。自分でも聞いたことのない高さだ。
ティナが目を丸くする。
「な、なにその声」
「い、今のは違う。と、突然だったから、びっくりしただけだ」
慌てて否定する。耳まで熱い。湯気のせいだけではない。
(なにやってるんだ俺は)
自分の身体とはいえ、今は“女”だ。その肩をなぞられて、あんな声を出したのは、どう考えてもよろしくない。
ティナはまだ何か言いたげな顔をしていたが、結局、ふいと視線を逸らし、「変なやつ」とぼそりと呟いただけだった。
変なのは自分でもよく分かっている。
風呂から上がると、体の芯までぽかぽかしていた。さっきまでまとわりついていた草と獣の匂いも、完全に消えていた。
脱衣所の一角には、小さな売店があった。タオルや石鹸のほかに、簡素な服が数種類吊るされている。
値札を見る限り、かなり安い部類の服らしい。街を歩いている人たちがよく着ているのと似たタイプだ。
(……ハイレグよりは、こっちのほうが絶対にマシだ)
迷う余地はなかった。
粗いリネンのチュニックと……合うサイズがなくやむなく、膝丈のスカート。
番台に戻って服の代金を払い、さっそく買った服に袖を通す。ざらざらとした布地が、湯上がりの肌に直に触れた。
「……っ」
思わず息が詰まる。
生地が硬い。思っていた以上に繊維が荒く、擦れるたびに、細かい刺激が全身を這う。
しかも、下着がない。
浴場に下着は売っていなかった。タオルと簡単な服だけ。だから今、俺は──ノーブラ、ノーパンだ。
(……やばいな)
胸のあたりで布がこすれる感覚が、いちいち意識に上がってくる。歩けば揺れるし、揺れれば擦れるし、擦れれば──。
下のほうも同様だ。スカートの中で、直接布が肌に触れる。粗い繊維が、太ももの付け根あたりをかすめるたび、妙なぞわぞわが背中を駆け上がっていく。
(これはこれで、別の意味で地獄だぞ……)
ハイレグアーマーはあれはあれで問題しかなかったが、“何もない”よりはまだマシだったのかもしれない。なんという比較対象だ。
鏡に映った自分の姿は、さっきよりだいぶ“普通”になっていた。金髪は目立つが、服装だけ見れば、一般市民の少女にしか見えない。
だが中身の居心地の悪さは、むしろ増している。
(下着……下着をどうにかしないとな)
真っ先に解決すべき問題が、宿代でも飯代でもなく“下着”になっているあたり、人生の方向性がおかしくなっている気がした。
「準備できた?」
ティナが声をかけてくる。彼女はもともとまともな服を着ていたから、風呂上がりに着替えても特に違和感はない。髪をタオルで拭きながら、じっとこちらを見る。
「……なにその歩き方」
「え?」
言われて初めて、自分の足取りが妙にぎこちなくなっていることに気づいた。
一歩ごとに、布が擦れる。擦れるたびに、変な声が喉元まで上がってくるので、無意識に動きを制限していたらしい。
「べ、別になんでもない」
「どう見てもなんでもある歩き方なんだけど」
ティナが訝しげに目を細める。説明できるはずもなく、俺はただ誤魔化すように咳払いをした。
「い、今は、風呂上がりで足元がふわふわしているだけだ。ひんっ……だ、大丈夫だ」
「ふーん?」
納得したようなしないような声。ティナはまだ何か言いかけて、結局やめた。
浴場の入口を出ると、すでにカイトが外で待っていた。
「おかえりなさい!」
風呂上がりらしく、髪が少ししっとりしている。顔もさっぱりしていて、目元の疲れが取れているように見えた。手には木のコップがあり、中身は白い液体──たぶんミルクだ。
「どうでしたか? ここのお風呂、気持ちいいでしょう!」
「ああ……すごく、良かった」
素直に答える。嘘はない。色々と心はかき乱されたが、湯自体は本当に気持ちよかった。
浴場の売店で買った果実水を一口飲む。冷たい液体が喉を通り、火照った身体を内側から落ち着かせる。
「ぷは……。うまいな、これ」
「でしょ? 湯上がりに飲むと最高なんです!」
カイトが嬉しそうに笑う。その笑顔は、本当にただの良い子のそれで、変な下心は微塵も感じられない……はずなのだが。
「……ア、アウラさん、その……」
「なんだ」
「その、さっきから、えっと……歩き方と、声が……」
カイトが耳まで真っ赤にしながら、もごもごと言葉を濁す。
「声?」
「さっきから……なんか、その……すごく……」
そこで言葉が途切れた。視線が一瞬だけ俺の足元まで落ちて、すぐに上に戻る。その途中で、スカートの裾あたりをかすった。
(……ああ)
察した。歩くたび、布が擦れるたび、思った以上に息が漏れていたのだろう。自覚はある。自覚はあるが、それをどう制御すればいいのか分からない。
「デレデレしてんじゃないわよ」
横からティナの肘が、カイトの脇腹に突き刺さった。
「いっ……!? ち、違うって! デレデレなんかしてないよ!」
「顔真っ赤にして、何見てたのか自分で思い出してみなさいよ」
「み、見てない! 見てないけど、その……なんか雰囲気が……!」
雰囲気、と言われても困る。こっちはただ、下着なしリネンの攻撃に耐えようとしているだけだ。
「……まあ、なんだ」
俺はできるだけ平静を装って言った。
「今は、風呂上がりで体が変に敏感になっているだけだ。すぐ慣れる……と思う」
思いたい。
「とりあえず今日は疲れたし、さっさと“白鹿亭”に行きましょ。女将さんに夕飯の時間聞いておかないと」
「そうだな」
宿。飯。寝る場所。
それに──。
(下着だな)
どうにかしないと、明日以降もこの“ごわごわ地獄”が続くことになる。ハイレグアーマーとどっちがマシか、真剣に天秤にかける羽目になる未来なんて、誰が望んだだろうか。
擦れるリネンの感触に、足取りはどうしても少しぎこちなくなる。それでも、さっきまでよりは少しだけ、前を向けている気がした。
この身体で生きることも、いつかは慣れてしまうのだろうか。
分からない。
分からないまま、夕暮れの街を、俺たちは南門のほうへと歩いていった。
調子に乗って長くしすぎたね…。
お風呂イベント書きたかったからしょうがないね。