【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
ブルム家の離れで暮らし始めて、一週間ほどが過ぎた。
最初の頃は落ち着かなかった屋敷での生活にも、少しずつ慣れてきた。
朝は、以前より少しだけゆっくり起きるようになった。
早朝の庭では、毎日ラルフが訓練をしているらしい。
あいつは俺たちが起きる頃には、すでにひと汗かいた後ということも珍しくない。
真面目だなぁ、と思う。
まあ、俺が同じ時間に起きて一緒に訓練するかと言われると、そこは少し考えたい。
また木剣が飛んできても怖いし、そもそも朝は眠い。高級寝具の誘惑は強い。
人間、良いベッドを知ってしまうと堕落するのだ。
そんなわけで、俺は普通に起きて、身支度を整え、朝食を取る。
朝食の後は、日によって少し予定が変わる。
カイトと軽く剣の訓練をする日もあれば、リリアが受けているユリウス先生の授業を横で聞く日もある。
最初は、リリアの授業に同席するというのは少し気が引けた。
何しろ、相手は十歳に満たない女の子である。
そこに、見た目こそ少女だが中身は元社会人男性の俺が混ざる。
なかなかに複雑な気分だった。
だが、実際に受けてみると、これが意外とありがたかった。
計算に関しては特に問題ない。
俺は元の世界で普通に生活していた大人だし、足し算引き算で苦戦することはなかった。
しかし、この世界の歴史や地理、礼儀作法となると話は別だ。
俺はこの世界のことを、ほとんど何も知らない。
国の名前も、貴族の常識も、街道の位置も、どういう場面でどう振る舞えばいいのかも、かなり怪しい。
今までは勢いと周りの助けで何とかなってきたが、これから先もそれで済むとは限らない。
覚えておいて損はないどころか、覚えておかないとまずいことばかりだった。
そんなわけで、俺はリリアの隣で、時々子ども向けの教材を覗き込みながら、ユリウス先生の話を聞くようになった。
「アウラ、ここはこう覚えるんですのよ!」
リリアが得意げに教えてくれることもある。
最初のうちは少し恥ずかしかった。
だが、リリアは本当に嬉しそうに教えてくれるので、こちらも妙に断りづらい。
「なるほど。ありがとうございます、リリア様」
「えへへ。どういたしまして、ですわ!」
リリアはよく嬉しそうな顔をする。
何というか、素直に可愛い。天使かな?
文字の書き方については、ユリウス先生の空いた時間に個別で教えてもらっている。
読むことと話すことは、女神の恩恵なのか、この身体のせいなのか、最初から問題なくできた。
だが、書くとなると話が違う。
聞こえる言葉は分かる。読めば意味も分かる。
だが、自分の手で文字を書くとなると、途端に勝手が分からなくなるのだ。
最初に板と石筆のようなものを渡され、リリアが昔使っていたという教材を見せられた時は、少し遠い目になった。
まさか異世界に来て、子ども用の文字練習から始めることになるとは思わなかった。
人生、本当に何が起こるか分からない。
ただ、その文字の覚え方が、自分でも少し怖いくらい早かった。
基本的な文字の形。
単語の作り方。
簡単な文法。
よく使う言い回し。
ユリウス先生に説明されるたびに、するすると頭へ入っていく。
一度聞いたことが、妙に鮮明に残る。
全然忘れない。
自分の頭がこんなに良かった覚えはない。
元の世界で学生だった頃の俺が今の記憶力を持っていたら、もう少しまともな人生になっていたかもしれない。
それくらい、今の俺は不思議なくらい覚えが良かった。
この身体のおかげなのかもしれない。
それとも、女神と同じ顔をしたこの身体に、何かそういう補正でもあるのか。
考えても分からないが、便利なのは間違いなかった。
「アウラさんの覚えは、本当に早いですね」
その日も、ユリウス先生が感心したように言った。
「数日で、基本的な文法はほとんど理解されているように見えます。失礼ながら、本当にこの辺りの文字をご存知ではなかったのですか?」
「は、はい。喋ったりはできるのですが、書くのは全く……」
嘘ではない。
この世界の文字は本当に書いたことがなかった。
「それにしては、理解が早すぎますね」
ユリウス先生は不思議そうに首を傾げる。
リリアは目をきらきらさせながら、俺の横でぴょんぴょん跳ねていた。
「アウラ、すごいですわ! もうこんなに書けるようになったんですのね!」
「い、いやぁ、自分でもこんなに早く覚えられたのが不思議なくらいで……」
「アウラは頭が良いんですのね!」
「そ、そうでしょうか」
ちょっと嬉しい。
いや、普通に嬉しい。
小さな女の子に褒められて喜ぶ元社会人男性。
うん、考えるのはやめよう。
ただし、問題がないわけではなかった。
文字の形や文法は覚えられる。
だが、綺麗に書けるかは別問題だった。
「アウラ、形は合っていますけれど、少し震えていますわね」
リリアに真面目な顔でそう言われた時は、地味に傷ついた。
俺の字は、どうやらまだ子どもっぽいらしい。
いや、この体は子どもっぽい見た目ではないのだが、手が文字を書く動きに慣れていないのだろう。
結局、文字は練習あるのみということらしい。
異世界でも、字の練習は地道だった。
昼食を取った後は、庭でマルルゥによる訓練が始まることが多い。
ティナは魔法の制御。
カイトは身体強化の基礎。
あのヘドロのような薬を飲んだ日のティナは、訓練の間は本当に調子が良かった。
ウィンドカッターを何度も撃ち、マルルゥに直すべきところを指摘され、また撃ち、少しずつ形を整えていく。
だが、半日ほど経ち、薬の効果が切れると……見事にぶっ倒れた。
寒気に頭痛、全身の痛み、吐き気まで怒涛の勢いで押し寄せていたようで、見ているだけで痛々しい有様だった。
本人も、
「ううぅ……もう二度と飲まない……絶対に飲まない……」
と地面に転がりながら呟いていた。
しかし、そこにシエルが回復魔法をかけると、あっという間に顔色が戻ってしまった。
流石、聖女。
シエルの回復魔法はやはりすごい。
ティナはしばらくぼんやりした後、むくりと起き上がった。
「……治った」
そして、自分の手足を確かめてから、すぐにマルルゥの方を向いた。
鬼のような形相だった。
その視線を受けたマルルゥは、少しつまらなさそうな顔をしていた。
「えー、もう治っちゃったの? 副作用の観察、もっと見たかったんだけど」
「……あんた、今なんて言った?」
「えへ、なんでもないよ~」
ティナの拳が震えていた。
よく耐えたと思う。
いや、本当に。
とはいえ、ティナもマルルゥが魔法をきちんと教えてくれていることは分かっているようだった。
怒りを完全に消せてはいないが、殴りかかりそうな雰囲気は何とか最小限に抑えている。
……頑張っているな、ティナ。
カイトの方も、少しずつ身体強化の感覚を掴み始めているらしい。
最初は魔力を右手に集めるだけで肩に力が入り、足に流そうとしてふらついていた。
だが、今では軽く木剣を振る時に、ほんの少しだけ踏み込みや腕の動きが鋭くなることがある。
まだまだ安定していない。
だが日を追うごとに、少しできることが増えている。
それが見ていて分かる。
カイト自身も、その手応えが嬉しいのだろう。
訓練中はかなり真剣だ。
訓練の際には、シエルも近くでティナたちを見ていることが多い。
怪我が起きた時にすぐ対処できるように、ということなのだろう。
あるいは、マルルゥがティナにぶん殴られても大丈夫なようにかもしれない。
たぶん、どちらも正しい。
マルルゥは相変わらず、時々ろくでもないことをする。
だが、教える内容そのものはかなり的確だった。
あいつは本当に、性格と技術が一致していない。
いや、性格が悪いからこそ、相手の弱点を見つけるのが上手いのかもしれない。
そう考えると、納得できるような、したくないような。
ティナとカイトが訓練している間、俺も少し離れた場所で体を動かすようにしていた。
剣を振る。
足運びを確認する。
軽く走る。
体幹を意識しながら、木剣を構えて止まる。
どこまで効果があるのかは分からない。
俺の剣術は、スキルで一気に叩き込まれたようなものだ。
構え方も、振り方も、避け方も、身体が知っている。
だが、ヴァンや髑髏仮面の男の動きを見て思った。
技術だけでは届かない相手がいる。
単純な身体能力、反応速度、魔力による強化。
そういう部分で、俺にはまだ足りないものがある。
だから、じっとしているよりは、少しでも身体を動かしていた方がいい。
そう思って始めたことだった。
ただ、正直なところ、理由はそれだけではない。
暇なのだ。
ものすごく暇なのだ。
いや、贅沢な悩みだということは分かっている。
飯は美味い。風呂もある。寝床は最高。
ユリウス先生の授業はためになるし、庭では訓練もできる。
ミレイユをはじめとした使用人の人たちも親切で、何かあればすぐ助けてくれる。
これ以上ないくらい恵まれている。
匿ってもらっている立場で、退屈だなんて言うのは、我ながらどうかと思う。
だが、不自由がないことと、息が詰まらないことは別だった。
俺はまだ、ドゥル=ブルムの街をほとんど知らない。
初日に少し街を見ただけだ。
門前の賑わいや、屋台の明かり、要塞都市らしい頑丈な造り。
そういうものをちらりと見ただけで、ちゃんと歩いたわけではない。
せっかく新しい街に来たのに、観光らしい観光すらしていない。
近くにダンジョンがあるというのに、そこへ行くこともできない。
いや、危険なのは分かっている。
ものすごく分かっている。
俺を狙っている連中がいる以上、ふらふら外を出歩くべきではない。
分かってはいるのだ。
だが、ずっと館の中にいるだけだと、少し息が詰まる。
剣を振りながら、ふと庭の外へ視線を向けた。
屋敷の敷地の向こう。
そのさらに向こうには、街が広がっている。
人が行き交い、商人が声を上げ、冒険者が酒場へ向かい、露店が並ぶ街。
ティナとカイトが出かけた時の話を思い出す。
露店の食べ物。
ダンジョン産の魔道具。
変わった雑貨。
そういう話を聞いていると、正直かなり気になっていた。
……少しくらい、見に行けないもんかな。
そう思った時だった。
「息抜きに、少し街へ出てみてはいかがでしょうか」
「おわぁっ!?」
急に近くから声をかけられ、俺は変な声を出して飛び上がりかけた。
慌てて振り向く。
そこにいたのは、ゲオルグだった。
相変わらず穏やかな顔で、いつの間にか俺のすぐ近くに立っている。
「げ、ゲオルグさん……いつの間に……!?」
「少し前からでございます」
少し前からいたのかよ。
全然気づかなかった。
この人、いつも気配がなさすぎる。
心臓に悪い。
「驚かせてしまいましたかな」
「い、いえ。大丈夫です」
大丈夫ではない。
心臓がばくばくしている。
ゲオルグは柔らかく微笑んだ。
「ずっとこちらにいるのも、気が滅入るかと思いまして。気晴らしに、少し街へ出るのも良いかと」
「それは……そうなんですが」
俺は木剣を下ろし、少し言葉を探す。
「匿ってもらっている立場で、外に出るのもどうなのかなと……。迷惑をかけるかもしれませんし」
「もちろん、護衛は付けさせていただきます」
ゲオルグはすぐに答えた。
「昼間に街を散策する程度であれば、よほどのことがなければ問題ないかと思います。街には兵士もおりますし、何かあればすぐに対応できます」
ゲオルグの声は落ち着いていた。
「ただ、館の中に閉じこもり続けることだけが安全とは限りません。街を知っておくことも、いざという時には役立ちます」
「というと?」
「どの道が人通りが多く、どの辺りが危険で、どこへ向かえば兵士や盾の会の者がいるのか。そういったことを知っておくのは、決して無駄ではございません」
なるほど。
ただの気晴らしではなく、街の構造を知る意味もあるということか。
そう言われると、外に出る理由としてはかなり納得しやすい。
それに、ゲオルグの言う通り、何も知らないまま守られているだけというのも、少し怖い。
いざ何か起こった時、自分がどこへ逃げればいいのか、どこに助けを求めればいいのか、まったく知らないのは危険だ。
「では……少しだけ、出かけても良いでしょうか?」
「かしこまりました」
ゲオルグは静かに一礼した。
「準備をいたしますので、少々お待ちくださいませ」
そう言うと、ゲオルグは館の方へ歩いていった。
いや、歩いていったというより、気づけばもう背中が遠ざかっていた。
本当に足音がしない。
そういえば、ブルム家の騎士の人たちは何人か見かけたことがある。
夜の離れを見回っていたカルス以外にも、門番をしている騎士などもそうだ。
他にも交代で警備しているらしい人たちがいる。
全員がカルスみたいな腕前とは思えないが……いや、もしかして、ああいう人がごろごろいるのだろうか。
だとしたら、ブルム家の戦力、かなり凄そうだな。
そんなことを考えながら待っていると、しばらくしてゲオルグが戻ってきた。
先ほどまでの服装とは違っていた。
動きやすそうな服に、革の胸当て。
腰には剣。派手さはないが、無駄のない装備だ。
普段の穏やかな雰囲気とは少し違う。
立っているだけで、どこか引き締まった空気がある。
「あの……護衛って、もしかしてゲオルグさんが来てくださるのですか?」
「ええ」
ゲオルグはにっこりと笑った。
「剣の腕は、まだまだ鈍ってはおりません。それに、街のことでしたら私が一番よく知っておりますので、適任かと思いまして」
そう言って、背筋を伸ばす。
いつもの柔らかい雰囲気はそのままだが、今の姿を見ると、若い頃は本当に騎士だったのだろうと納得できる。
いや、若い頃どころか、今でも普通に強そうだ。
「ゲオルグさんみたいな頼もしい方がついてきてくださるなら、心強いです。よろしくお願いします」
「お任せください」
ゲオルグは自分の胸を軽く叩いた。
その仕草が妙に様になっている。
俺は木剣を片づけ、軽く身なりを整えることにした。
久しぶりの外出だ。
ただの街歩き。
少しの息抜き。
そう思っているのに、胸の奥が少しだけ弾んでいる。
ドゥル=ブルムの街を、ちゃんと見に行く。
それだけのことが、今の俺には妙に楽しみに思えた。