【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
ど、どうしよう。
完全に勘違いされている。
俺は客としてこの店に入ったつもりだった。
だが、ネリィは俺のことを、今日から働き始める新人の子だと思っている。
いやいやいや。
まずい、これは非常にまずい。
ここで正直に、違います、俺は客です、と言った場合。
新人のふりをして特別な客に近づこうとした不審者です。
……終わりだよ。
相手はVIPっぽい特別な客だ。
どう考えても良くない展開になる。
では、ワープで自室に戻る場合。
こういう容姿の女の子が、店の中で急に消えました。
……いや、いけなくはないか?
ワープなら一瞬で逃げられる。
逃げるだけなら簡単だ。
だが、ネリィには顔を見られている。
衣装も着せられ、化粧までされている。
もし後で何かあった時、あの子は何だったのかと騒ぎになるかもしれない。
そうなれば、次からこの店に来られないどころか、南通り全体に情報が回る可能性もある。
金髪の謎の女。高級娼館で消えた怪しい女。
……うん、それは駄目だ。
ここは落ち着け。焦るな。
とにかく、揉め事にせず、この場を切り抜けるのだ。
「ねえねえ、聞こえてる? 大丈夫?」
「んぁっ!?」
ネリィに顔を覗き込まれ、俺は我に返った。
いかん。この場をどう切り抜けるか考えていたら、自分の世界に飛んでいた。
「な、なんでしょうか?」
「あなたの名前だよ、名前。いつまでも名前が分からないのはよくないでしょ?」
ネリィはにこりと笑う。
「ほら、次のご指名にも繋がるかもしれないんだし、教えてちょうだい」
「な、名前……」
名前……名前か。
流石にアウラは駄目だ。
それは分かる。
この場で本名を名乗るのは、どう考えても危険でしかない。
かといって、咄嗟に偽名なんて出てこない。
焦れば焦るほど、頭の中が真っ白になる。
名前……名前……何か適当な名前。
……二つ名。
その時、脳裏に不名誉な二つ名が浮かんだ。
桃姫のアウラ。
ぐっ。
こんな時に思い出すんじゃなかった。
だが、今は他に何も浮かばない。
桃姫。
桃。
モモ。
「モ、モモです。よろしくお願いします」
「モモちゃんね。可愛い名前」
ネリィがにっこりと微笑む。
その笑顔は本当に可愛い。
ちくしょう。
よりによって、あの不名誉な二つ名から名前を取ってしまった。
何がモモだ。
だが、まずはこの場を切り抜けることが最優先だ。
ネリィは俺から視線を外すと、寝台の上で目隠しされている青年へ近づいた。
その動きは、先ほどまで俺に衣装を合わせていた時とは少し違う。
ふわりと柔らかいのに、どこか相手を逃がさないような雰囲気がある。
「レーちゃん、今日も来てくれてありがとう」
ネリィは青年の耳元へ顔を寄せ、囁くように言った。
「いつもより元気がないみたいだけど、大丈夫?」
「ああ……やはり分かるかい?」
青年が小さく息を吐いた。
目隠しをされているせいで表情は分かりにくいが、声には疲れが滲んでいる。
「少し、街を離れていたからね。思ったより疲れたようだ」
「ふふ。それじゃあ今日は、その疲れが飛んじゃうくらい、しっかり相手してあげる」
「ああ、頼むよ。結構……いや、本当に疲れたんだ」
「任せてちょうだい」
ネリィはくすりと笑った。
「そうそう。気づいていると思うけれど、今日は新人の子が見学に来てまーす。モモちゃんよ」
「新人の子か」
青年は少しだけ顔をこちらに向けた。
もちろん目隠しをされているので、俺の顔は見えていないはずだ。
「いいね。君のように、客の要望に何でも応えられる子になれるかな」
「どうかしら。私みたいに何でも大丈夫な子は、そう多くないかもしれないわよ?」
ネリィは俺の方を振り返り、いたずらっ子のように片目を閉じた。
「モモちゃんは、どこまでできるかしらね」
うーん、ウィンクがかわいい。
……いや、そうじゃない。
期待されても困る。
さっきまでの高揚感は、すでに跡形もなかった。
今の俺は、とっとと自室へ帰りたい気分でいっぱいである。
ただ、ここまで来た以上、変に暴れて逃げるのはまずい。
ネリィは「見ているだけでいい」と言っていた。
なら、今日は新人という体で見学だけする。
そして最後に、やっぱり自分には合わなそうなので辞めておきます、とでも言って退店する。
それが一番穏便だ。たぶん。
そうと決まれば、今日だけは新人として振る舞おう。
どうせ今日でお別れだ。
後腐れなく、できるだけ自然に切り抜けるのだ。
俺が一人で必死に考えている間に、ネリィは何やら準備を整えていた。
いつの間にか、手には細い鞭のようなものが握られている。
そして、寝台の上の青年のそばに立つと、片足を軽く青年の腹の上に乗せた。
おおう、なんか始まった。
「じゃあ、レーちゃん。いくわよ」
「ああ。遠慮なくやってくれるかい」
次の瞬間。
ぱしん、と乾いた音が部屋に響いた。
「うぐっ」
青年が小さく声を漏らす。
ネリィは表情を変えず、楽しそうに微笑んでいた。
「ふふ。いつもはきりっとしてるのに、今日はずいぶん弱々しい声ね」
「……そうかもしれないな」
「ほら、モモちゃんが見てるわよ? 新人の子にこんな姿を見られて、恥ずかしくないの?」
俺を巻き込まないで貰ってもいいですか?
俺は見たくて見ているわけじゃないんです。
ぱしん、ともう一度音が鳴る。
強すぎるわけではない。
おそらく痛みよりも音で雰囲気を作っているのだろう。
だが、初めてこういう場面を見る俺には、十分すぎるほど刺激が強かった。
「声、我慢してるの?」
「……っ」
「ふふ。そういうところ、意地っ張りね。でも今日は隠しても無駄よ。モモちゃんにも見られてるもの」
もう、ほんと勘弁して下さい。
ネリィは青年の腹に置いた足を、少しだけ押し込む。
青年が小さく息を詰めた。
「どう? 新人の子の前で、そんな顔をしている気分は」
「……悪くない」
「本当に?」
「ああ」
「ふふ、正直でよろしい」
何を見せられているんだ俺は。
俺は部屋の端で固まりながら、二人のやり取りを見ていた。
いや、見ていたというより、目を逸らすタイミングを失っていた。
ネリィは慣れている。
青年も慣れている。
この部屋の空気だけが、明らかに俺を置いて先へ進んでいる。
そして俺だけが、完全に取り残されていた。
娼館に来たら、可愛い女の子と良い感じになるのかもしれない。
そんな淡い期待を抱いていた数十分前の俺を殴りたい。
良い感じどころではない。
変態の観察会である。
「ねえ、モモちゃん」
「ひゃいっ!?」
急に呼ばれて、声が裏返った。
ネリィが楽しそうにこちらを見る。
「どう? レーちゃん、すごいでしょ」
「す、すごい……ですね」
何がすごいのかは分からない。
変態的な意味でだったら、凄いと思うけど。
異世界にも変態はいるんだな。
「ふふ、普通じゃないからびっくりした?」
「い、いえ、その」
「大丈夫。最初はみんなびっくりするものよ」
ネリィは少し考えるように首を傾げると、ぱっと顔を明るくした。
「あ、そうだ。モモちゃんも、ちょっとだけ踏んでみない?」
「はい?」
今、何と?
「レーちゃんも、新人の子に踏まれたら嬉しいでしょ?」
「ああ……それは、いいね」
青年が、少し嬉しそうな声で言った。
「ネリィ以外にも踏んでもらえるなら、ぜひお願いしたいな。遠慮はいらない。何なら、少し強めでも構わないよ」
うわぁ……やだもうドン引きだよ。
目隠しされていても分かる。
こいつ、めちゃくちゃ良い笑顔で言ってるもん。
見てるだけでいいって言ったじゃん……。
とはいえ、ここで強く拒否するのも不自然かもしれない。
新人として見学に来ている設定なのだ。
まったく何もしません、触りません、というのはそれはそれで怪しまれる可能性がある。
踏むだけ。
踏むだけなら、まあ。
ギリギリ、セーフ……なのか?
「じゃあ、こっちに来て」
ネリィに手を引かれ、俺はおずおずと寝台に近づいた。
青年は目隠しされたまま、どこか期待するようにじっとしている。
なぜ俺がこんなことをしなければならないのか。
人生、何が起こるか分からないにも程がある。
「じゃあ、まずは顔を踏んであげて」
「顔!?」
思わず声が出た。
いきなり難易度が高すぎるだろ。
ふざけんなや。
「大丈夫よ。レーちゃん、そういうの好きだから」
「そうだね。遠慮なく頼む」
うるせー、変態が!
もちろん、口には出さない。
俺は心の中だけで盛大に悪態をつきながら、恐る恐る足を上げた。
「で、では……踏みます、ね?」
「ああ」
青年の返事は落ち着いていた。
なぜ落ち着いている。
これから顔を踏まれるんだぞ。
俺は足先を、そっと青年の頬に乗せた。
むぎゅ。
柔らかい感触が足の下で潰れる。
青年が小さく息を吐いた。
「ああ……いいね」
いいね、じゃないんだよ。
こっちは何をしているのか分からないんだよ。
「もう少し強くても大丈夫よ。ね、レーちゃん?」
「ああ。遠慮はいらない」
遠慮はいらないと言われても困る。
だが、ここで妙にためらい続けても、それはそれで不自然だ。
俺は仕方なく、少しだけ足に力を込めた。
「んぐっ……」
青年の頬が、足の下でさらにむにっと潰れる。
その瞬間、白い肌に赤い痕のようなものがうっすらと浮かんだ。
足を離しても、頬には薄い赤みが残っている。
あ、これ後で痣になっちゃうかも……。
「いい……とてもいい……」
くそったれ!
心配して損したわ。
「モモちゃん、筋がいいわね」
「筋がいいって何ですか……」
「ふふ。遠慮しすぎないところ」
いや、いらねえよそんな筋はよぉ!
だが、青年は満足そうだ。
ネリィも楽しそうだ。
俺だけが、どんどん魂を削られている。
その時、ふと怒りが湧いてきた。
俺は何をしているんだろう。
ワクワクして娼館に来たはずなのに。
可愛い女の子と楽しい時間を過ごすつもりだったのに。
なぜ俺は、見知らぬ変態の顔を踏んでいるのか。
おかしい。
絶対におかしい。
「そんなに踏まれるのが好きなら……」
思わず、低い声が漏れた。
「もっと強くしてやろうか」
「……っ」
青年の身体が、ぴくりと反応する。
ネリィが少し目を丸くした。
「あら」
だが、青年はなぜか嬉しそうだった。
「それは……ぜひお願いしたいね」
こいつ……本当にどうしようもない。
俺は足を離し、今度は青年の脇腹の辺りを軽く蹴り上げてやる。
少しだけ強く蹴ってやろうというつもりだった。
だが、思っていたよりも、怒りが足に乗ったらしい。
「おごっ!?」
青年の身体が、妙な声とともに跳ねた。
「あっ」
しまった。
やりすぎた。
「ちょ、ちょっとモモちゃん! やりすぎ、やりすぎ!」
ネリィが慌てて俺の肩を掴む。
青年は寝台の上で拘束されたまま、しばらく声にならない声を上げていた。
「うぐ……お、おぉ……っ」
「あわわわわ……」
ネリィが慌てて青年の様子を確認する。
俺も血の気が引いた。
やってしまった。
完全にやってしまった。
別に本気で蹴ったわけではない。
ないのだが、結構いい所に入ってしまったのかもしれない。
これ……出禁では?
いや、出禁で済むのか?
訴えられたりしない?
高級娼館で上客を蹴りました。
新人、初日で客を沈めました。
終わった。
俺の南通り生活、始まる前に終わりました。
「レーちゃん、大丈夫!? ご、ごめんなさい、モモちゃん新人だから力加減が……」
ネリィが心配そうに青年へ声をかける。
青年はしばらく荒く息をしていた。額にはうっすら汗まで浮かんでいる。
そして、小さく何かを呟いた。
「……い」
「え?」
「いい……」
青年が、震える声で言った。
「いい……素晴らしい一撃だった……」
「え?」
俺の口から、間抜けな声が出た。
「痛みが真っ直ぐ入ってきた。まるで迷いがない。あんなに鋭い一撃を放てるとは……」
青年は息を整えながら、感心したように言った。
「将来有望な新人だね」
何言ってんだこいつ。
「レーちゃん……心配して損しちゃった」
ネリィは胸に手を当てて息を吐いた。
そして、すぐにくすくすと笑い始める。
「でも、それでこそレーちゃんよねぇ」
「ああ。今日来てよかったよ」
よくない。
俺はよくない。
置いてけぼりだ。
完全に置いてけぼりだ。
ネリィは俺の方を向き、楽しそうに笑った。
「モモちゃん、すごいわよ。レーちゃんに認められるなんて」
「いや、あの……」
「私以外で、レーちゃんをこんなに満足させられる子って、あまりいないもの」
「ああ、その通りだ」
青年が真面目な声で頷く。
「君の踏み方も、最後の一撃も素晴らしかった。少し荒削りだが、そこがいい。これから磨けば、かなりのものになると思う」
磨かねーよ、そんな技術。
「俺、もう帰っていいですかね……」
思わず小さく呟いたが、二人には聞こえていないようだった。
その後、ネリィと青年の謎のやり取りはしばらく続いた。
俺は部屋の端に立ち、できるだけ心を無にしていた。
ネリィは時々、モモちゃん見てる? こういう時はね、と妙な解説を挟んでくる。
青年は目隠しされたまま、どこか満足そうにそれを受け入れている。
俺はただひたすら、帰りたい、とだけ思っていた。
やがて、ようやく一通り終わったらしい。
ネリィは青年の目隠しを外さないまま、優しい声で何かを囁いている。
青年も疲れたように、だがどこか晴れやかな声で礼を言っていた。
俺はその様子を見ながら、妙な敗北感に包まれていた。
何に負けたのかは分からない。
だが、確実に負けた気がする。
部屋を出る時、ネリィは俺の手を握ってきた。
「モモちゃん、本当に才能あるわよ」
「い、いえ……そんな才能はいらないです」
「ふふ、謙遜しなくていいのに」
いや、本当にいらない。
本当に、本当にいらない。
「今日は見学だけだったけど、また来たら声をかけてね。私、モモちゃんのこと気に入っちゃった」
「あ、ありがとうございます……」
礼を言うべきなのか分からないが、反射的に頭を下げる。
ネリィは最後までにこにこしていた。
衣装部屋で元のローブに着替え直すと、強面の店員から今日の分だと金を差し出される。
結構な金額だ……これ、受け取っていいのか?
いや、あれだけ精神を削られたんだから、むしろ慰謝料として受け取ってもいい気がする。
そんなよく分からない理屈で自分を納得させながら、俺は震える手で金を受け取った。
俺は店の外へ出た。
夜の通りは、まだ賑やかだった。
店の明かり。
酔った冒険者の声。
甘い香の残り香。
そして、さっきまでの出来事。
全部が混ざって、頭がくらくらする。
「うぅ……俺は……俺は一体何を……!」
俺は娼館に来たはずだった。
そのはずなのに、なぜか金を貰って、夜の通りに立ち尽くしている。
変態を踏んだことで、大切な何かを失ってしまったような気がして、俺の瞳から涙が一筋流れた。