【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど 作:もろきゅー
すごかった。
何がとは言わない。
言わないが、すごかった。
「う、うぅ……」
俺は何とか乱れた店の衣装を整えると、まだ火照りの残る身体を抱えるようにして、寝台の端へ腰を下ろした。
足に力が入らない。
膝は小刻みに震えているし、腰の辺りにも妙な脱力感が残っている。
ついさっきまで自分の身体に起きていたことを思い出すだけで、顔から火が出そうになった。
そんな俺とは対照的に、ジーナは寝台の上へ大胆に寝転がり、満足そうに長い息を吐いている。
「いやあ、たまにはこうして、ひぃひぃ言わせる側になるのも楽しいもんだねえ」
「ちょっ……!」
思わず振り返ると、ジーナは口元をにやりと歪めた。
「何だい?」
「ひ、ひぃひぃなんて言ってません!」
「へえ?」
ジーナが意地悪そうに目を細める。
「あれだけ大きな声を出してたのにかい?」
「ぐっ……」
何も言い返せない。
あれは仕方がなかったのだ。
男だった頃の身体とは、まるで別物だった。
同じ人間の身体とは思えないほど感覚が違い、次に何が起こるのかも分からない。未知の感覚に次々と襲われ、途中から頭の中が真っ白になってしまった。
あんな状態で平静を保てという方が無理だ。
「き、気のせいです。初めてだったから、びっくりしただけですよ」
「初めて、だもんねえ」
ジーナは笑っていたが、やがて少しだけ申し訳なさそうな顔になった。
「せっかくの初めてが、私みたいなので悪かったね」
「い、いえ! そんなことは……」
俺は慌てて首を振る。
ジーナは、俺が本当に初めてだと分かると、それまでとは別人のように優しくなった。
途中でも何度も俺の様子を確認し、嫌ならやめると言ってくれた。
無理に押し切られたわけではない。
断ろうと思えば、断ることもできた。
それでも俺は──。
『……や、優しくしてください』
ああああああ!
俺は何を言ってるんだ!
思い出しただけで身体の奥が熱くなり、俺は両手で顔を覆った。
「その……優しくしてくれて、ありがとうございました」
消え入りそうな声でそう言うと、ジーナは一瞬目を丸くした。
それから、先ほどまでとは違う、柔らかな笑みを浮かべる。
「そう言ってもらえるなら、よかったよ」
恥ずかしくて顔を上げられない。
けれど、少なくとも嫌ではなかった。
むしろ──。
いや、これ以上考えるのはやめよう。
「さてと」
ジーナは勢いよく身体を起こすと、床に落ちていた服を拾い上げた。
さすがに慣れているのか、あっという間に身支度を整えてしまう。
「そろそろネリィも戻ってきてる頃だろ。衣装室に戻ろうか」
「あ、はい」
俺も寝台から立ち上がろうとした。
だが、足に力を込めた瞬間──。
「ひゃんっ!」
腰の辺りに妙な感覚が走り、膝ががくりと折れた。
慌てて寝台へ手をつき、何とか倒れるのだけは防ぐ。
「おっと。大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です……」
大丈夫なわけがない。
足腰ががくがくで、まるで生まれたばかりの子鹿になった気分だ。
一歩踏み出そうとしても、足が思うように前へ出てくれない。
ジーナが俺の様子を見て、何かに気づいたように口元を緩めた。
「ああ、なるほどねえ」
「な、何ですか」
「いや。かーわいいなぁ、と思ってさ」
「笑わないでください!」
「笑ってないよ。ほら、肩を貸しな」
ジーナが手を差し出してくれる。
俺はその手を借り、ゆっくりと立ち上がった。
だが、一歩目を踏み出したところで再び膝が震える。
「す、すみません。もう少しだけ……」
「無理しなくていいさ」
そう言った次の瞬間、俺の身体がふわりと宙へ浮いた。
「えっ?」
ジーナの片腕が背中へ回り、もう片方の腕が膝の裏を支えている。
いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。
「ちょ、ジーナさん!?」
「この方が早いだろ?」
「で、でも、重くないですか?」
「これくらい、どうってことないよ」
俺より少し背が高い程度なのに、ジーナは軽々と俺を抱えていた。
細身に見えるのに、見た目以上に力があるらしい。
「最初はそんなもんさ。まあ、慣れてくれば少しは違うだろうけどね」
ジーナは俺を抱えたまま、ぱちりと片目を閉じる。
「次は、もう少し余裕を持てるかもしれないよ?」
「つ、次!?」
「冗談だよ」
くくく、とジーナが喉を鳴らす。
「本当にその気になった時だけ来な。嫌がる相手にするほど、私は飢えちゃいないからさ」
「そ、そうですか……」
安心したような、少し残念なような。
いや、残念じゃない。
断じて残念ではない。
それにしても、こうして優しく抱き上げられていると、妙に胸の奥が落ち着かない。
ジーナの身体は温かく、しっかりと支えられている安心感もある。
何だか、大切に扱われているような気がして──。
胸が、どくんと大きく鳴った。
い、いかん。
俺の心がメスになってしまう。
俺は頭を左右へ振り、余計な考えを追い払った。
「暴れると落とすよ?」
「す、すみません」
「さ、運んでやるから、大人しくしてな」
結局、俺はジーナに抱えられたまま、衣装室へ戻ることになった。
衣装室へ戻ると、そこにはネリィをはじめ、夜蜜亭の女の子たちが何人も集まっていた。
忙しい時間帯を越えたところなのだろう。
衣装を着替えている子もいれば、椅子に座って化粧を直している子もいる。全員に疲れは見えていたが、今日の稼ぎがよかったためか、雰囲気は明るかった。
「あっ、モモちゃん。お疲れさま~!」
ネリィが俺に気づき、ぱっと笑顔を見せた。
しかし、ジーナに抱えられている俺を見て、すぐに首を傾げる。
「あれ? ジーナちゃんに抱っこされて、どうしたの?」
「ちゃん付けすんなって、いつも言ってるだろ」
ジーナは面倒くさそうに返すと、空いていた椅子まで俺を運んでくれた。
ゆっくりと腰を下ろされる。
その時、また身体にわずかな違和感が走り、俺は声を漏らしそうになった。
危ない。
ここで変な声を出したら、全員に何があったか知られてしまう。
「それよりネリィ。お前、モモのことを勘違いしてるぞ」
「勘違い?」
「ああ。こいつ、働きに来たんじゃない」
ジーナが親指で俺を示す。
「客だよ、客。お前が勝手に勘違いして、客を店先で働かせてたんだ」
「えっ?」
ネリィの顔から笑みが消える。
一拍遅れて、その顔がみるみる青ざめていった。
「えええええっ!?」
衣装室中に、ネリィの声が響き渡った。
「う、嘘! モモちゃん、働きに来たんじゃなかったの!?」
「は、はい。前に来た時も、普通にお客さんとして……」
「ご、ごめんなさい!」
ネリィは勢いよく頭を下げた。
腰からほとんど直角に折れ曲がっている。
「私、てっきりここで働くことになった新人の子だと思って……。前も着替えさせちゃったし、今日は店先に立たせちゃったし……!」
「ああ、いえいえ! 私も途中までは、お客として案内されているんだと思っていましたから!」
お客として際どい服を着せられ、メイクまでされると思い込んでいた俺も、今考えると相当おかしい。
「今日も、きちんと否定できませんでしたし……。私にも悪いところはありますから、気にしないでください」
「でもぉ……」
ネリィは顔を上げたが、まだ申し訳なさそうに眉を下げている。
早とちりに巻き込まれたことは事実だが、俺も最後まで状況を理解できていなかった。
それに、嫌なことばかりだったわけでもない。
「こうして別人みたいにしてもらえたのは、楽しかったですし」
「楽しかった?」
「はい。普段とは違う格好をして、別人のふりをするのって……新鮮な体験でした」
男たちに囲まれた時はどうなることかと思ったが、モモとして声を出し、客を店へ案内した経験は無駄ではなかった。
少なくとも、女の子らしく振る舞う練習にはなったはずだ。……たぶん。
「だから、本当に気にしないでください」
「うぅ……モモちゃん、いい子……」
ネリィは胸元で両手を組み、感動したように目を潤ませた。
「やっぱり、ここで働かない? モモちゃんなら、絶対にすごく稼げるよ!」
「それは遠慮しておきます」
即座に断ると、周囲から笑い声が上がった。
どうやら、俺たちの話を聞いていたらしい。
「えっ、この子が今日、店先で客引きしてた子?」
「そうそう。青い髪の、すっごく可愛い子がいるって、お客が騒いでたわ」
「やっぱり綺麗ねえ。そりゃ客も集まるわ」
「あなたのおかげで、今日は休む暇もないくらいだったのよ」
「ほんと、ありがとね」
女の子たちが次々に話しかけてくる。
胸元や脚を大胆に出した衣装の女性たちに囲まれ、俺はどこへ目を向ければいいのか分からなくなった。
「あ、いえ……。お役に立てたなら、よかったです」
また胸がどきどきしてきた。
静まれ。
静まれ、俺の鼓動。
ついさっき、あれだけの目に遭ったばかりだというのに、まだ足りないとでもいうのか。
いや、これは単に、綺麗な女性に囲まれて緊張しているだけだ。
そうに決まっている。
「とりあえず、お前の勘違いの詫びは、私がしておいたからさ」
ジーナがそう言いながら、俺の頭をぽんぽんと撫でる。
気持ちいい……というか、俺は完全に子ども扱いされていないか?
「えっ?」
ネリィが俺とジーナを交互に見る。
そして何かを察したように目を大きくした。
「ジーナ、モモちゃんにお詫びしてあげたの?」
「ああ。丁寧にな」
「ずるい!」
「何がずるいんだよ」
「だって、私の勘違いなんだから、私も一緒にお詫びしたかったのに!」
「お詫びはもう十分です!」
慌てて声を上げると、ネリィだけでなく、周りの女の子たちまで声を上げて笑った。
くっ、からかわれている。
ジーナはそんな俺の頭をもう一度撫でると、ネリィへ話を戻した。
「それで、この子はお前にメイクを習いたいんだってよ」
「あっ、そうだったの?」
ネリィが俺の顔を覗き込む。
「はい。ちょっと事情があって、変装といいますか……私の姿を変えたいんです」
「別に私でよければ、いつでも教えるよ。今回は本当に悪かったし、お詫びも兼ねてね」
「本当ですか?」
俺は思わず身を乗り出した。
直後、身体に違和感が走り、慌てて椅子へ座り直す。
ジーナが横でにやにやしていたが、見なかったことにした。
「ただ、モモちゃんの場合、普通のメイクを覚えるだけじゃ変装にはならないと思うなあ」
「そうなんですか?」
「うん。元の顔が綺麗すぎて、目立つもの。それにその瞳の色も目立つわね」
ネリィは俺の顔をじっと観察する。
仕事柄、人の顔を見慣れているのだろう。その眼差しは意外なほど真剣だった。
「綺麗に見せるだけなら簡単だけど、別人に見せたいなら、眉と目元を変えた方がいいよ。肌の色も少し変えて、頬の影を入れれば、顔の形も違って見えるから」
「顔の形まで変えられるんですか?」
「本当に形が変わるわけじゃないけどね。明るいところと暗いところを作ると、見る人には違って見えるの」
なるほど。
化粧というのは、単に顔へ色を塗るだけではないらしい。
影をつけ、光の当たり方を変えて見せる。
魔法ではないが、ある意味では幻術に近いのかもしれない。
瞳の色に関しては、どうしようもないか……カラコンみたいなのでもあればいいんだが、なかなか難しいだろうな。
「今日は時間も遅いし、モモちゃんも疲れてるみたいだから、本格的に教えるのは今度にしようか」
「はい……」
疲れているというか、別の理由でまともに動けないのだが、説明する必要はないだろう。
「その代わり、一つだけ覚えて帰って」
ネリィが細い筆を手にすると、鏡を俺の前へ置いた。
「人の印象は、眉でかなり変わるの。今のモモちゃんは、少し下げ気味にして、柔らかく見えるようにしてあるでしょ?」
鏡の中の俺は、いつものアウラとはまるで違う。
青い髪に艶のある唇。目元もどこか大人びており、確かに危うげで柔らかな印象があった。
「逆に眉尻を上げれば、気が強そうに見える。太くすれば素朴になるし、細くすれば大人っぽくなるよ」
「へえ……」
「だから、別人になりたい時は、まず眉を変えてみて。髪だけ変えるより、ずっと気づかれにくくなるから」
俺はその言葉を忘れないよう、頭の中で何度も繰り返した。
これならシエルにも使えるかもしれない。
髪型と眉、肌の色まで変えれば、街を歩いてもすぐには正体を見破られないだろう。
「それと、もしよければ……」
俺は自分の頭を指差す。
「この青い髪も、譲ってもらえませんか? もちろん、お金は払います」
「これ?」
ネリィが青いウィッグへ触れる。
「店の備品だけど、消耗品だし、替えもあるから大丈夫じゃないかな。私から店に聞いておくよ」
「本当ですか?」
「それなら、そのまま持っていっていいんじゃない?」
近くで話を聞いていた女性が、笑いながら口を挟んだ。
「その子のおかげで今日はかなり稼げたんだし、それくらい店もくれるでしょ」
「ありがとうございます!」
「いいの、いいの。また来られる時でいいから、客引きしてよね」
「そ、それは考えておきます……」
完全に断ることができない自分が情けない。
だが、今日の経験がまったく嫌だったかと言われると、そうでもないのだ。
むしろ、モモとして男たちを驚かせたことに、少しだけ達成感すらあった。
「メイクを教えるなら、私の家の方がいいかなあ」
ネリィが顎へ指を当てて考える。
「ここだと、仕事をしながらになっちゃうから、ゆっくり教えられないのよね。私が店にいない時は、家に来てもらってもいいよ」
「助かります」
「じゃあ、家までの道順を教えておくね」
これで目的は果たせそうだ。
変装を思いついた時はどうなることかと思ったが、夜蜜亭へ来た判断は間違っていなかったらしい。
多少、予定外のこともあったが。
「それにしても、女の子がお客さんとして来るなんて思わなくて……。本当にごめんね」
ネリィが改めて謝ってくる。
「女の人のお客さんって、珍しいんですか?」
「珍しいけど、全然いないわけじゃないよ。モモちゃんみたいな可愛い子は大歓迎」
ネリィがそう答えると、ジーナも頷いた。
「ベッドの上のモモは、めちゃくちゃ可愛かったからねえ」
ジーナが俺の耳元へ顔を寄せた。
「またその気になったら、私を指名しな」
「なっ……!」
「今日は初めてだったから、優しくしたけどさ」
低い声で囁かれ、背筋がぞくりと震える。
「もう少し慣れたら、別の楽しみ方も教えてやるよ」
もっとすごいことがあるのか?
今日だけでも足腰が立たなくなったというのに、これ以上となると、俺は一体どうなってしまうのだろう。
思わず想像しかけたところで、ネリィが反対側から身を乗り出してきた。
「その時は私も混ぜてね。二人で優しくしてあげるから」
「二人で!?」
「モモちゃんなら、きっと気に入ると思うよ」
「お、おおお……」
頭の中に、取り返しのつかない光景が浮かびかける。
いかん、このままでは駄目だ。
「ちょっと待ってください! 今日はもう十分です!」
俺が両手を前へ出して拒否すると、女の子たちが再び楽しそうに笑った。
「冗談だよ、冗談」
ジーナが笑いながら俺の肩を叩く。
「本当に嫌なら来なくていいさ。来たくなった時だけ来な」
「来たくなった時……」
今日のことを思い出す。
顔と身体が熱くなる。
また来たいという気持ちが、自分の中に少しだけ芽生えていることに気づいてしまった。
まずい。これにハマったら、本当に堕落してしまう。
とにかく、一旦心を落ち着けよう。今の浮ついたような心境では、考えがまとまらない。
その後、店の衣装から元々着ていた服へ着替えると、ネリィともう一人の女性に付き添われ、俺は店の受付へ向かった。
さすがに衣装室を出る前には何とか一人で歩けるようになっていたが、まだ足取りはおぼつかない。
受付にいた強面の男は事情を聞くと、驚いたように目を見開いた。
「そうだったのか。すまなかったな」
男は素直に頭を下げる。
「こちらの確認不足だ。客として来た人間を、勝手に働かせちまった」
「いえ、私も途中で気づかなかったので……」
「それでも、働いてもらった分は払う」
男は受付の下から小さな革袋を取り出し、俺の前へ置いた。
受け取ると、じゃらりと重い音がする。
「こ、こんなにですか?」
「今日のお前の客引きは、かなり効いたからな」
男によれば、俺が店先へ立ってから、夜蜜亭へ入る客が一気に増えたという。
紅孔雀亭へ向かおうとしていた客まで、こちらへ流れてきたらしい。
「お前を指名したいって客も多かったぞ」
「えっ」
「もちろん断ったぞ。あの時は新人だと思ってたし、いきなり一人で客につけるわけにはいかないからな」
「あ、危なかった……」
思わず本音が漏れた。
男は低く笑う。
「その金には、客引きの分と、店の売り上げに貢献した分、それから迷惑をかけた詫びも入ってる」
一晩の客引き代とは思えない額だ。
受け取ってよいものか迷ったが、働いたのは事実である。
それに、金はいくらあっても困るものではない。
「では、ありがたくいただきます」
「ああ。青い髪も持っていっていい。ネリィから聞いた」
「ありがとうございます」
「客としてでも、働き手としてでも、お前ならいつでも歓迎するぞ」
「働く方は、しばらく遠慮しておきます……」
そう答えると、受付の男まで笑った。
俺はネリィたちへ改めて礼を言い、夜蜜亭を後にした。
青いウィッグとメイクは、そのままにしておくことにした。
この姿なら、少なくとも街中でアウラだと気づかれる可能性は低い。
その上からローブを羽織り、フードを深くかぶる。
ここからワープを使える人通りの少ない場所までは、歩いて移動しなければならない。
「うぅ……」
店を出てしばらく歩いても、まだ腰の辺りに妙な感覚が残っていた。
足取りもどこかぎこちない。
ジーナにされたことを思い出すたび、顔だけでなく身体まで熱くなってしまう。
ひょこひょこと妙な歩き方になっている気がするが、今はどうしようもない。
俺は人目を避けるようにして、娼館街から飲み屋街へ向かった。
夜もかなり更けているというのに、街にはまだ大勢の冒険者がいた。
酒場からは笑い声が聞こえ、通りでは酔っ払った男たちが肩を組んで歌っている。
あちらこちらで景気よく金が使われていた。
「まだまだ盛り上がってるな……」
沈鐘の回廊で魔物が減り、普段より奥まで探索できるようになったため、相当な数の冒険者が稼いだのだろう。
これほど派手に金を使えるということは、ダンジョンで得られる利益はかなり大きいらしい。
俺も一度くらい、本格的に潜ってみたい気はする。
ただし今は、それどころではない。
聖療教会の人間が街へ来ていると聞いたばかりなのだ。
いつまでも浮かれていないで、早く離れへ戻った方がいい。
そう考え、少し歩調を速めようとした時だった。
「うぅ……うおーん……」
どこからか、妙な音が聞こえてきた。
俺は足を止める。
「何だ?」
酔っ払いの声にしては、どこか悲しげだ。
耳を澄ませると、飲み屋と飲み屋の間にある細い路地の奥から聞こえてくる。
泣き声。
それも、女性の声のようだった。
「面倒事は嫌なんだけどな……」
このまま無視して帰ることもできる。
だが、もし誰かが襲われているのだとしたら、見て見ぬふりをすれば寝覚めが悪い。
俺は小さくため息をつくと、足音を殺して路地へ入った。
奥へ進むにつれ、泣き声は大きくなっていく。
「うおーん! お腹ずいだぁ……」
……何だ、酔っ払いか何かか?
路地の奥をそっと覗き込む。
そこには、大きな女が座り込んでいた。
大きい。
普通の男よりも明らかに背が高く、腕もぶっとい。どう見てもムキムキの女だ。
壁にもたれかかり、膝を抱えながら、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
うおーん、うおーんと泣く姿は、まるで親とはぐれた巨大な子どものようだった。
「何か、どこかで見たことがあるような……」
俺が目を凝らした時、女が顔を上げた。
目が合う。
「あっ!」
思い出した。
以前、共同浴場で出会った女だ。
名前は確か──ヴェルノだ。
「ひっ……」
俺が声を上げると、ヴェルノは肩を跳ねさせた。
そして、青い髪に化粧をした俺の顔をじっと見つめる。
当然だが、今の姿では俺がアウラだとは分からないらしい。
それよりも問題は、こいつがここにいることだ。
ヴェルノはシエルを捜している、侍女兼護衛だったはず。
もしかして、クラウスが言っていた聖療教会から来た人間というのは、こいつなのか?
「こんなところで何を──」
俺が尋ね終えるよりも早く、ヴェルノが立ち上がった。
その巨体が迫ってきたため、俺は反射的に身構える。
しかしヴェルノは俺へ襲いかかることなく、その場で勢いよく両膝をついた。
さらに両手を地面へつき、額まで石畳へ擦りつける。
「お、おねがいじまず……!」
「えっ?」
「お金を……」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、ヴェルノは必死に叫んだ。
「お金を貸じでもらえないでじょうがぁぁぁ!」
人気のない路地裏に、ヴェルノの泣き声が響き渡った。