【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど   作:もろきゅー

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96話 腹ぺこの護衛

「お金を貸じでもらえないでじょうがぁぁぁ!」

 

 ヴェルノは地面に額を擦りつけたまま、泣き声を上げた。

 

「おねがいじまず! おねがいじまずぅ!」

「ちょ、ちょっと、落ち着いてください!」

 

 何度も頭を下げるたび、石畳にごつん、ごつんと鈍い音が響く。

 そんな勢いで頭を打ちつけたら、怪我をするんじゃないだろうか。

 もっとも、この筋肉の塊みたいな身体を見る限り、石畳の方が先に割れそうだが。

 

「どうかぁ……どうか、ごの哀れな私にお慈悲をぉ……!」

 

 見ているこちらまで悲しくなってくるほど必死だった。

 ヴェルノは聖療教会の人間だ。

 それも、シエルを連れ戻そうとしている側の人間である。

 本来なら、あまり関わらない方がいい。

 だが、いくら警戒すべき相手とはいえ、こんな路地裏で泣きながら土下座している人間を、そのまま放って帰るのも寝覚めが悪い。

 

 それに、今の俺はアウラではない。

 青いウィッグをかぶり、ネリィに施してもらった化粧もそのままだ。

 ローブのフードだって深くかぶっているから、顔もわかりにくいはず。

 共同浴場で一度会っただけの相手なら、そう簡単に気づかれるとは思えない。

 せっかく手に入れた変装が、どの程度通用するのかを確かめるいい機会でもある。

 よし、俺だと悟られないように、モモとして話を聞いてみよう。

 

「んんっ……」

 

 俺は一度咳払いをして、できるだけ柔らかく聞こえる声を作った。

 

「まずは落ち着いてください。何があったのかはわかりませんが、そんなに頭を打ちつけたら怪我をしてしまいますよ」

「で、でもぉ……」

「話を聞く前に、顔を拭きましょうか」

 

 俺は荷物からハンカチを取り出し、ヴェルノへ差し出した。

 涙と鼻水で顔中がぐしゃぐしゃになっている。

 

「ご、ごれを私に……?」

「はい。どうぞ」

「ず、ずびばぜん……」

 

 ヴェルノは両手で恐る恐るハンカチを受け取った。

 そして、盛大に鼻をかむ。

 

「ズビビビビィィッ!」

「うおっ……」

 

 地響きのような音が路地裏へ響き渡った。

 小さなハンカチが、一瞬で見るも無残な姿になっていく。

 ……それはもう返さなくていいからな。

 

「ありがとうございます……。このご恩は、一生忘れません」

「ハンカチ一枚で、そこまで大げさに考えなくて大丈夫ですよ」

「いえ! いつか必ず洗ってお返しします!」

「ああ……いえ、それは差し上げます」

 

 洗って返してもらっても、ちょっとな……。

 だが、顔を拭いて少し落ち着いたのか、ヴェルノはようやく土下座をやめた。

 地面に座ったまま背筋を伸ばし、俺へ向き直る。

 

「あ、あの、ありがとうございます。申し遅れました。私、ヴェルノと申しまして……」

「はい」

「えっと、その……」

 

 ヴェルノが何かを言いかけた、その時だった。

 ぐぎゅるるるるるるるるるるっ!

 何か巨大な魔物でも唸ったのかと思うような音が、路地裏へ響いた。

 

「はわわっ!」

 

 ヴェルノは自分の腹を両手で押さえ、顔を真っ赤にした。

 

「す、すみません! ちょっと、このところ全然食べていなくてですね……」

「大丈夫ですか?」

「もうお腹が空いて……全然大丈夫じゃないです……」

 

 改めてよく見ると、身につけている服もかなり傷んでいた。

 泥や埃で汚れ、裾の一部は破れている。身体は頑丈そうだが、顔には疲れが浮かんでいた。

 どうやら、ただ金を浪費して困っているわけではなさそうだ。

 

「お金は、食事をするために必要なんですか?」

「それもあります。それと……できれば、今夜泊まる場所も」

 

 ヴェルノは恥ずかしそうに肩を縮める。

 あれだけ大きな身体なのに、小さくなろうとしている姿が妙に哀れだった。

 

「この路地裏で夜を明かそうと思ったんですが、お腹が空きすぎて眠れそうになくて……。そうしたら、何だか今までのことまで悲しくなってきてしまいまして……」

「それで泣いていたんですか」

「はい……」

 

 確かに、腹が減っている時は気持ちも弱くなる。

 こんな場所で話し続けるのも何だし、先に食事を取らせた方がよさそうだ。

 今の俺は、夜蜜亭でもらった報酬で懐も温かい。

 まさか、店を出てすぐに使うことになるとは思わなかったが。

 

「わかりました。まずは食事にしましょうか」

「えっ?」

「近くの店へ行きましょう。私が出しますから、遠慮しなくて大丈夫ですよ」

「ほ、本当ですか!?」

 

 ヴェルノの顔が一瞬で明るくなった。

 次の瞬間、大きな瞳から再び滝のように涙が流れ出す。

 

「ありがとうございます! ありがとうございますぅぅぅ!」

「ま、また泣かないでください!」

「だって……なんてお優しい方なんでしょうか……!」

 

 ヴェルノは俺の両手をつかみ、ぶんぶんと上下に振った。

 腕が抜ける!

 握手のつもりなのだろうが、力が強すぎる。

 

「もしよろしければ、お名前を教えていただけませんか!?」

「えっと、モモと言います」

「モモさん……!」

 

 ヴェルノはその名前を大切そうに繰り返す。

 

「このヴェルノ、ご恩は決して忘れません!」

「わかりましたから、まずは手を離してください。腕が……」

「あっ! す、すみません!」

 

 ようやく解放され、俺は腕をさすった。

 やはり、とんでもない怪力だ。

 

「では、早速行きましょうか」

「はい!」

 

 俺たちは路地裏を出て、飲み屋街の大通りへ戻った。

 

 

 

 夜もかなり遅いというのに、大通りにはまだ多くの人がいた。

 沈鐘の回廊から戻った冒険者たちが、あちらこちらの酒場で騒いでいる。

 開いている店はいくつもあったが、外まで怒鳴り声が聞こえてくるような店は避けることにした。

 今はヴェルノから落ち着いて話を聞きたい。

 できれば酔っ払いが少なく、奥に空席がありそうなところがいい。

 

「あの店にしましょうか」

「はい! どこでも大丈夫です!」

 

 選んだのは、周りの店よりも少し静かで、外から見ても客の行儀がよさそうな酒場だった。

 中へ入ると、木の食器を片づけていた店員が顔を上げる。

 

「いらっしゃい。二人かい?」

「はい」

「あー、悪いんだけどね。今日は冒険者が押し寄せてきて、安い酒はほとんど飲み尽くされちまったんだ。残ってるのは食事と、少し高い酒くらいでね」

「全然構いません!」

 

 俺が答えるより早く、ヴェルノが店員へ身を乗り出した。

 

「食事を急ぎでお願いします!」

「うぉっ……」

 

 噛みつきそうな勢いで迫られ、店員が思わず一歩後ろへ下がった。

 

「そ、そうかい。それなら、好きな席へ座ってくれ」

 

 店員まで引いているじゃないか。

 ヴェルノはすでに食事のことで頭がいっぱいらしく、きらきらした目で店内を見回している。

 俺たちは人の少ない奥の席へ腰を下ろした。

 店員が、何枚かの紙を紐で綴じた品書きを持ってくる。

 さすが多くの冒険者や商人が集まる街だけあって、料理の種類も多い。

 肉料理や煮込み、パン、魚、豆料理まで、何ページにもわたって料理名と値段が書かれていた。

 

「ヴェルノさん。好きなものを頼んでもらって構いませんよ」

「本当ですか!?」

「はい、お腹も空いてるみたいですし、遠慮せず食べてくださいね」

「ありがとうございます!」

 

 ヴェルノは嬉しそうに品書きを開いた。

 その目が、物凄い速さで料理名の上を走っていく。

 

「では、このページと……」

「ページ?」

「このページ。それから、こちらのページに載っているものをお願いします」

「……え?」

 

 ヴェルノが指したのは、料理ではなくページだった。

 ページ食いって……しかも三ページ。

 

「そ、そんなに頼んで、食べきれるんですか?」

「全然大丈夫です!」

 

 ヴェルノは自信満々に胸を張った。

 

「むしろ、最初から頼みすぎてモモさんに迷惑をかけてはいけないと思いまして、少し様子を見ることにしました」

「嘘やろ!?」

 

 思わず大きな声が出た。

 近くの席にいた客が、何事かとこちらを見る。

 俺は慌てて口元を押さえた。

 この三ページぶんを食べた後、まだ追加するつもりなのか?

 

「あの……私、何かおかしなことを言いましたか?」

「い、いえ。食べきれるならいいんです……」

 

 遠慮せず食べていいと言ってしまった以上、今さら減らせとは言いづらい。

 俺は懐に入れた革袋へ、そっと手を当てた。

 夜蜜亭でもらった報酬が、早くも軽くなりそうだ。

 店員を呼び、ヴェルノが選んだ料理を伝える。

 店員は途中から明らかに驚いた顔になっていた。

 

「これ、全部二人で食べるのかい?」

「あ、これは私のぶんです! モモさんは何を頼まれますか?」

「いや……私は結構です」

「……先に代金をもらってもいいかね?」

「ですよね……あはは」

 

 俺は苦笑しながら、代金を先に支払った。

 注文を受けた店員が、何度もヴェルノを振り返りながら厨房へ戻っていく。

 

「本当にありがとうございます、モモさん」

「いえ。それより、料理が来るまでに事情を聞いてもいいですか?」

「はい! 何でも聞いてください!」

 

 何でも、か。

 ヴェルノは、俺を恩人だと完全に信用しているようだ。

 この機会に聖療教会の事情を聞き出せるかもしれない。

 少し後ろめたさはあるが、シエルを守るためには必要なことだ。

 

「ヴェルノさんは、どうしてドゥル=ブルムへ?」

「うぅ……」

 

 尋ねた途端、ヴェルノの顔がくしゃりと歪んだ。

 

「よくぞ聞いてくださいました……」

 

 早くも涙が目に溜まっている。

 

「聞くも涙、語るも涙の、私の可哀想な話を聞いてくださいよぉ……」

「そ、そんなにですか?」

 

 一体、何があったのだろう。

 ヴェルノは目元を拭いながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

「私は聖療教会に所属しておりまして、あるお方の護衛を務めていたんです」

「あるお方?」

「えっとー……教会の偉い人です」

 

 まぁ、シエルのことだな。

 

「私たちはその方をお守りして、ある貴族様のお屋敷へ向かっていました。ところが、その途中で襲撃を受けてしまいまして……」

 

 ヴェルノの表情が暗くなる。

 

「混乱の中でシ……偉い人が逃げ出され、そのまま見失ってしまったんです」

「それは……大変でしたね」

「はい……。上司には、それはもう物凄い勢いで怒られました」

「ヴェルノさんのせいだったんですか?」

「いいえ!」

 

 ヴェルノは勢いよく顔を上げた。

 

「私たちは襲ってきた奴を必死に食い止めていたんです! 気づいた時には、もう偉い人の姿がなくて……」

 

 以前共同浴場で聞いた話とも一致している。

 ヴェルノは本当にシエルを守るため、襲撃者と戦っていたのだろう。

 

「ですが、護衛の私たちが偉い人を見失ったのは事実ですので……。お前たちは何をしていたんだ、と……」

 

 ヴェルノの大きな身体が、みるみる小さくなっていく。

 相当ひどく叱られたらしい。

 

「それから、上司の方は教会へ報告に戻り、私たち護衛は周辺を捜すことになりました」

「捜索のためのお金は、教会からもらえなかったんですか?」

「急なことでしたから……」

 

 ヴェルノは申し訳なさそうに首を横へ振る。

 

「元々持っていたのは、貴族様のお屋敷まで行って戻るための旅費だけでした。上司が教会へ帰るためのお金と、私たちが捜索を続けるためのお金にわけたので、あまり余裕がなくて」

「なるほど」

 

 突然のことだったため、手元にあった金だけで捜索を始めるしかなかったというわけか。

 

「すぐに見つけられると思っていたんです。私たちも、最初はそれぞれ近くの村や街を捜していたんですが……」

「見つからなかったんですね」

「はい……」

 

 ヴェルノは悲しげに俯いた。

 

「それで、他の護衛たちとも別れ、それぞれ別の方向を捜すことになりました。私も村や街を回りながら、偉い人らしい方を見なかったか聞いて歩いたんです」

「それで、お金が尽きたと」

「宿代や馬車代、それから食事代を払っているうちに、少しずつ……」

 

 ヴェルノが恥ずかしそうに腹を押さえた。

 ぐるるるる、と再び大きな音が鳴る。

 食事代が減る速さについては、ヴェルノ本人にもかなりの原因がありそうだ。

 この身体を維持するためには、普通の人間より多く食べなければならないのだろう。

 

「そんな時、アストルの街で親切な商人の方に出会ったんです」

「親切な商人?」

「はい。ドゥル=ブルムまで行きたいけれど、馬車代が足りないと話したら、自分も同じ方向へ向かうから乗せていってあげると言ってくださって」

「それはよかったですね」

「本当に優しい方でした。私に食事もわけてくださって、夜は自分が見張りをしているから、安心して寝てていいと言ってくださって……」

「それで?」

「朝、目を覚ましたら……」

 

 ヴェルノの目に、また大粒の涙が浮かぶ。

 

「商人さんも、馬車も、私の荷物も、全部なくなっていました」

「ああ……」

 

 やっぱりか。

 どうやら、親切な商人ではなく詐欺師か盗賊の類だったらしい。

 

「身分を証明する物も、残っていたお金も、着替えも、全部荷物の中でした……」

「それは災難でしたね」

「私、信じていたのに……」

 

 ヴェルノが鼻をすすった。

 人を疑うことを知らないのだろう。

 その純粋さは美点なのかもしれないが、一人旅には向いていない。

 

「それから、ドゥル=ブルムまで歩いてきたんですか?」

「はい」

「アストルから?」

「はい」

「ずっと?」

「途中でかなり走りました」

「何で!?」

「早く偉い人を見つけなければと思いまして」

 

 馬車でもかなりの時間がかかった道のりを、ヴェルノはほとんど徒歩で移動してきたらしい。

 どれだけ体力があるんだ。

 さすがに、この筋肉は飾りではないようだ。

 その時、厨房から料理の香りが漂ってきた。

 最初に運ばれてきたのは、大皿に盛られた焼いた肉と山盛りのパンだった。

 

「お待たせしまし──」

「ありがとうございます!」

 

 店員が皿を置き終えるより早く、ヴェルノの手が伸びる。

 大きな肉の塊をつかみ、豪快にかじりついた。

 

「んんんんんっ!」

 

 ヴェルノの目が見開かれる。

 次の瞬間、目尻から新たな涙が流れた。

 

「お、おいじいでずぅ……!」

「食べながら泣かないでください」

 

 ヴェルノは肉とパンを交互に口へ運びながら、話を続けた。

 食べる速度が恐ろしく速い。

 料理が届くたび、皿の上から次々と食べ物が消えていく。

 

「ふぉれで……んぐっ、ドゥル=ブルムに着いてから、ここの教会へ行ったんです」

「偉い人のことを伝えたんですか?」

「はい!」

 

 ヴェルノは頷きながら、丸ごとの焼き鳥へかぶりついた。

 

「私は偉い人の護衛で、襲撃を受けた後にはぐれてしまったことを、全部きちんと説明しました。それから、捜索を続けるための費用をいただけないかとお願いしたんです」

「教会の人は、何と?」

「本部から、そのような連絡は来ていない、と……」

「連絡が来ていない?」

「はい。偉い人が行方不明になったのなら、各地の教会へ必ず通達が届くはずだと言われました」

 

 ヴェルノは悲しそうに肩を落とす。

 

「それなのに、私は荷物を盗まれてしまったせいで、身分を証明する物もありません。怪しい女が偉い人の名前を使って、お金を騙し取ろうとしていると思われたみたいで……門では事情を話したら、街へ入れてもらえたのに……」

 

 なるほど。

 教会本部は、シエルがいなくなったことを各地へ知らせていないらしい。

 聖女が襲われ、そのまま教会から逃げ出したなどと知られれば、教会の威信にも関わる。

 だから大人数を動かさず、ごく一部の人間だけで秘密裏に捜している……ってあたりか。

 シエルを匿っている俺たちにとっては、重要な情報だ。

 少なくとも今のところは、街中に似顔絵を配ったり、大勢の信徒を動員したりする段階ではないらしい。

 

「でも、聖療教会の人なら、回復魔法を使えるんですよね?」

「ふぉうなんふぇす!」

 

 ヴェルノが勢いよく身を乗り出した。

 口にはパンが詰まっている。

 ごくんと飲み込んだ後、話を続ける。

 

「私も、それを見せれば信じてもらえると思ったんです!」

「それなら、証明できたんじゃないですか?」

「ところが、私が使えるのは解毒の魔法だけでして」

「解毒……」

「なので、毒に冒された方を連れてきていただければ、治してみせます、とお願いしたんです!」

「都合よく、毒に冒された人はいなかったんですね」

「そうなんです……」

 

 まあ、普通はいない。

 

「そこで私、思いついたんです!」

 

 ヴェルノが誇らしげに胸を張る。

 

「毒を用意して、誰かに飲んでもらえばいいのではないかと!」

「なんで?」

「すぐに私が解毒できますからね。それで、毒を飲んで下さいと伝えたんです」

「そういう問題じゃないでしょ……」

「解毒できると何度言っても聞いてもらえなくて……」

 

 そりゃそうだろ……。

 教会側からすれば、突然現れた大女が聖女の護衛を名乗った挙げ句、毒を用意しろと言い出したことになる。

 危険人物だと思われても仕方がない。

 っていうか、解毒の魔法ってキュアだよな?

 キュアは毒と状態異常を一定確率で治すって効果だ。

 シエルの転写スキルで使えるようになったとしても、スキルが劣化すると聞いた。

 ……それ、もし解毒に失敗したら、どうするつもりだったんだ。

 

「ヴェルノさん、それって必ず解毒できるんですか?」

「えっ? ……どうでしょう」

 

 ヴェルノは不思議そうに首を傾げた。

 

「回復魔法は、もっと上手な方が使うものなので。私みたいに解毒しかできない者には、使う機会が回ってこないんですよね~」

「つまり?」

「私は、まだ一度も使ったことがありません!」

 

 やべぇよコイツ。

 

「その後、パンを一切れと水を一杯いただきまして……。もう来るな、と言われました。ちゃんと解毒魔法を使えるのに……」

 

 パンと水を貰えただけ優しい気がしてきたな……。

 

「それからは、街を歩きながら偉い人がいないかな~ってずっと探し回って……結局見つからないまま日が落ちてしまったので、今夜はあの路地裏で眠ろうと思っていました。でも、お腹が空いて眠れなくて……」

「それで、悲しくなって泣いていたと」

「はい……」

 

 ヴェルノは頷きながら、大皿に残っていた最後の肉を口へ運んだ。

 その間にも、店員が新しい皿を次々と置いていく。

 煮込み料理、豆のスープ、焼き魚、山盛りの芋。

 どれも、ヴェルノの前へ置かれたそばから消えていった。

 

「それで、その偉い人を捜しているヴェルノさんみたいな護衛の人は、他にもいるんですか?」

「はい。私と同じ護衛が何人か、それぞれ別の場所を捜しているはずです」

「教会本部からも、誰か来るんでしょうか」

「それは……私にはわかりません」

 

 ヴェルノは少し考えてから答えた。

 

「でも、ここの教会に、いなくなったとか、見つかったという話が来ていないなら、恐らくまだ見つかっていないはずです」

 

 ヴェルノは首を傾げた。

 

「普通なら人を増やして捜すと思うんですが、ここにすら通達が来ていないということは……偉い人がいなくなったことを、公にしたくないんじゃないでしょうか」

 

 まぁ、そうだろうな。

 

「その偉い人を見つけたら、どうするんですか?」

「もちろん、教会へお連れします」

「本人が帰りたくないと言っても?」

「えっ?」

 

 ヴェルノの手が止まった。

 ほんの一瞬だが、その顔に困惑が浮かぶ。

 

「それは……」

「すみません。変なことを聞きました」

「いえいえ!」

 

 ヴェルノは皿へ視線を落とした。

 

「その偉い人は、とてもお優しい方です。私たちが困るようなことは、なさらない……と思います」

 

 それは答えになっていない。

 ヴェルノ自身も、シエルが教会へ帰りたくないと考えている可能性に、薄々気づいているのかもしれない。

 

「でも……」

 

 ヴェルノが小さな声で続ける。

 

「私は、その方が無事なら、それでいいんです」

 

 先ほどまでの騒がしさが嘘のように、真剣な声音だった。

 

「叱られても、護衛を辞めさせられても構いません。ただ、どこかで怪我をしていないか、お腹を空かせていないか、それだけが心配で……」

「そうですか」

 

 ヴェルノは、シエルを教会へ連れ戻すためだけに捜しているわけではない。

 本当にシエルの身を案じている。

 共同浴場で会った時にも感じたが、少なくともヴェルノはシエルの敵ではなさそうだ。

 むしろ、シエルにとって信頼できる人間なのかもしれない。

 

 とはいえ、今すぐ正体を明かすのは危険だ。

 ヴェルノがどれだけ善良でも、教会へ報告する可能性はある。

 まずはシエル本人に、ヴェルノのことを伝えてから判断した方がいいだろう。

 

「モモさん!」

「は、はい?」

 

 気づけば、ヴェルノの前に積み上がっていた皿は、ほとんど空になっていた。

 あれだけの量を、一体どこへ入れたのだろう。

 

「本当に、ありがとうございました!」

 

 ヴェルノは椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。

 

「私は、この街で誰にも信じてもらえず、このまま死んでしまうのではないかと思っていました」

「大げさですよ」

「大げさではありません!」

 

 ヴェルノは涙を浮かべながら、俺の手を両手で包み込む。

 今度は腕が抜けない程度に、かなり力を加減しているらしい。

 

「モモさんは、こんな怪しい私を助けてくださり、食事までご馳走してくださいました」

「怪しい自覚はあったんですね」

「えへへ……ちょっとだけ……。とにかく、このご恩は必ずお返しします!」

「そこまで気にしなくて大丈夫です」

「いいえ!」

 

 ヴェルノは力強く首を横へ振った。

 

「私、モモさんのためなら何でもします!」

「何でも……ですか?」

「はい! 力仕事でも、護衛でも、解毒でも、何でも言ってください!」

 

 ヴェルノは胸を叩き、自信満々に言い切った。

 その手には、まだ食べかけのパンが握られている。

 

「このヴェルノ、命に代えてもモモさんのお役に立ってみせます!」

「まずは、そのパンを食べ終えてから話しましょうか」

「んぐっ!」

 

 ヴェルノは慌ててパンを飲み込んだ。

 何でもする、か。

 聖療教会の内情を知るには、これ以上ない相手だ。

 それにヴェルノなら、シエルの事情を知ったとしても、無理やり連れ戻そうとはしないかもしれない。

 

 だが、今のヴェルノは俺をモモだと信じ、心から感謝している。

 そんな相手を騙したまま利用するのは、少し気が引けた。

 

「ところで、モモさん」

「何ですか?」

 

 ヴェルノが空になった皿を見回し、少し恥ずかしそうに両手の指を合わせた。

 

「次の料理を頼んでもいいですか?」

「……まだ食べるんですか?」

「はい!」

 

 満面の笑みで答えるヴェルノを見ながら、俺は懐の革袋を押さえた。

 さっきまでずっしりと重かったはずなのに、もう随分と軽くなった気がする。

 聖療教会の情報は得られた。

 ヴェルノがシエルを心配していることもわかった。

 だが、その代償として──。

 今日、夜蜜亭で稼いだ金は、ほとんど残らないかもしれない。

 

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