組織の死体愛好家   作:an-ryuka

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1.

 眉間を撃ち抜いた。

 銃声は風に流れ、耳鳴りだけが静かに残った。

 

 スコッチはスコープ越しに、沈む標的を見下ろす。

 反動で揺れた指先は、そのままトリガーから滑り落ちていた。

 

 殺しは慣れない。

 慣れたふりをしているだけで、毎回、内臓のどこかが冷たくなる。

 殺したくないのに、また殺してしまった。それでも銃は手放せない。

 殺さなければ、ここにはいられないからだ。

 

 ――けれど。

 それとは別の理由で、次の瞬間を待っている自分がいた。

 

 イヤホン越しの足音。

 乾いた靴音が、廃工場の奥に響く。

 

 ああ、来たな。

 

 視界の端に映った女。

 黒い作業服に、手袋、表情はない。感情もない。

 

 だが彼女は、死体の前に立った瞬間だけ、ほんのわずかに頬を緩めた。

 

「……掃除屋の女が来たぞ」

 

 無線越しに誰かが呟く。

 

「掃除屋の彼女」――組織ではそう呼ばれていた。

 

 彼女には名前がない。

 誰も訊かないし、誰も付けようともしない。

 「掃除屋」で済む。仕事さえ果たせば、呼び名はそれで充分だ。

 

 スコッチにとっても、最初はそれだけの存在だった。

 標的を撃ち、現場から離れたあと、どこからともなく現れて、痕跡を消す。

 役割の一部。任務のシステムに組み込まれた、無機質な歯車。

 

 ――そのはずだったのに。

 

 今は、視線がそこから離れない。

 

 

 彼女は死体に触れる。

 手順は迅速で、的確で、どこまでも冷たい。

 

 血の広がり方を確認し、弾の侵入口をなぞり、倒れた体を仰向けに直す。

 

 潰れた顔面を整え、衣服を直し、関節をまっすぐにする。

 まるで大切なものを扱おうとするような、その丁寧さ。

 

 (……なにを考えてる?)

 

 問いが浮かぶ。だが声には出さない。

 彼女はいつも遠くにいて、ただスコープ越しに見つめていることしか許されていなかった。

 

 ――なのに、自分は見ている。

 撃ち終えたあとの現場を長居する理由も、任務終了後すぐにその場を離れない理由も、全部、もう分かっていた。

 

 スコッチは彼女を見ている。

 見続けてしまっている。

 

 (これは――なんだ?)

 

 彼女は死体にしか微笑まない。

 そしてその死体を作っているのは、自分だ。

 

 引き金の向こう側にある彼女の笑み。

 それをまた見たいと思ってしまったら――

 もう、元には戻れない気がしていた。

 

  ⸻

 

 

 似た夜が、いくつも続いた。

 

 廃ビルの屋上。港のコンテナの影。崩れかけた高架下。

 どこでも同じように、スコッチは撃ち、彼女は片付ける。

 

 最初の頃、スコッチは終わった瞬間、ほとんど反射で撤収していた。

 長居すれば危険だし、銃を持っている限り、その場の空気はずっと自分の罪で濁ったままだ。

 

 だが、彼女を見るようになってから、撤退のタイミングが少しずつ遅くなった。

 

 「スコッチ、そろそろ移動だ」

 

 無線越しに別のスナイパーが声をかけてくる。

 

 「……ああ」

 

 口では返事をしながら、足はすぐには動かない。

 スコープの倍率を落として、彼女の手元を追う。

 

 死体の髪に付いた埃を払う指先。

 脱臼した肩をはめ直すときの、必要最低限の強さ。

 顔に落ちた血を、ガーゼで拭き取る慎重な手つき。

 

 そのどれもが、ヤケに静かで、綺麗だった。

 

 (……俺がやったんだよな)

 

 奪った命を、美しく整えられるたびに、自分がしたことの輪郭が反転する感覚があった。

 汚れを生むはずの仕事が、彼女の手を通して「整えられて」いく。

 

 嫌悪と、安堵と、どうしようもない興味と。

 それらが全部ごちゃ混ぜになって、胸の中に沈殿していく。

 

 そのどれにも、名前はつけられなかった。

 

  ⸻

 

 

「次の現場、掃除屋も同行させる。処理が雑になると面倒だ」

 

 ジンの声は、いつも通り冷たい。

 命令だけを、銃口のように突きつけてくる。

 

 スコッチは何も言わずに頷いた。

 

 横で、ウォッカが苦笑混じりに肩をすくめる。

 

「すまねぇな、今回は少人数で動くから、あの女はお前が連れて行ってくれ」

 

「……了解」

 

 スコッチは短く答え、ふと天井を見上げる。

 

 彼女のラボ。

 アジト内部にある、死体処理専用の区画。

 

 組織の誰もが避ける場所。

 薬品の匂いと低い温度が、他の部屋とは明らかに違う空気を作っている空間。

 

 そこは、彼女の家だった。

 

 スコッチは、そこに足を踏み入れた。

 ――迎えに行くという名目で。

 

 ドアを叩くと、しばらくの沈黙。

 カチャ、とロックが外れ、細い隙間が開く。

 

 彼女はただ、ドアを開けてくれるだけだった。

 無言で、感情の欠片も見せずに。

 

 それでも、スコッチはそれを「許可」だと思った。

 

 許されたのだと、勝手に思った。

 

 中に一歩踏み入れるたび、白い蛍光灯の光に、彼女の輪郭が浮かび上がる。

 ステンレスの台。薬品棚。冷却装置。

 どれも、彼女にはよく似合っていた。

 

 生きた人間の生活の匂いが、ほとんどしない部屋だ。

 

 「……行こうか」

 

 そう声をかけても、返事はない。

 ただ、彼女は作業用の手袋を引き抜いて、腕を通す。

 

 ――それだけで十分だと、スコッチは思っていた。

 

  ⸻

 

 その夜も、彼はトリガーを引いた。

 

 その銃声の向こうに、あの微笑みがあることを、もう知ってしまっていたから。

 

  ⸻

 

 別の夜。別の路地。

 

 スコッチは暗い路地裏の上階に伏せていた。

 手にしたライフル、その先にいる標的は、すでに射線に入っている。

 

 引き金を引くのに、これ以上の準備はいらない。

 照準は合っている。風向きも計算済み。距離も問題ない。

 

 けれど、彼の指はすぐには動かなかった。

 

 視界の端に、彼女がいた。

 

 掃除屋の女。

 死体掃除専門の、感情のない、名前すらない女。

 

 標的から少し離れた暗がりに立ち、まだ何も起きていないその場所を、ただ静かに見ている。

 

 (……見てるだけだ。いつも、そうだった)

 

 最初は偶然だった。

 同じ任務、たまたま射線の先にいた死体処理班。

 彼女が現れるたび、無意識にスコープが追っていた。

 

 何を考えているのか。

 なぜ、死体にだけ、あんなに静かな手を向けるのか。

 

 知りたくて見ていたわけじゃない。

 ただ、目を逸らせなかった。

 

 だが、今夜は違った。

 

 射線の出口に、彼女がいた。

 

 任務の構造上、彼も処理班と合流せざるを得ない。

 つまり今夜、彼女と“同じ空気”を吸うことになる。

 

 (……近すぎるな)

 

 そう思いながらも、身体は拒まなかった。

 

 引き金を引く。

 標的が倒れる。血の匂いが、遅れて風に乗ってくる。

 

 スコッチが階段を駆け下りる頃には、彼女はすでに死体の傍にいた。

 

 手袋をした指が、潰れた顔を撫でる。

 手順通り。無駄のない動き。

 でも、やはりそこには“温度”があった。

 

 「……なんで、そんなに丁寧に扱うんだ?」

 

 スコッチは、自分の口から出た言葉に、すぐ後悔した。

 

 彼女は返事をしないタイプだと、とうに分かっていたからだ。

 下手をすれば無視される。それが当然の存在だと思っていた。

 

 けれど――

 

 彼女は、動きを止めた。

 

 ゆっくりと、こちらを向く。

 

 「……私は」

 

 いつも通りの、抑揚のない声。

 なのに、その視線の奥が、かすかに揺れていた。

 

 「この状態が――いちばん、美しいと思う」

 

 一拍。

 

 そのまま、視線を逸らした。

 けれど、そのわずかに伏せた目元が、少しだけ歪んでいた。

 

 拗ねていた。

 

 表情がないはずの彼女が、確かに――拗ねていた。

 

 (……なんで)

 

 怒っているわけでもない。笑っているわけでもない。

 説明しようとしたわけでも、理解されようとしたわけでもない。

 

 ただ、「分かってもらえないこと」に、ほんの少しだけ苛立っていた。

 

 その感情が、スコッチには――

 

 誰よりも人間らしく見えた。

 

 異常者。理解不能。死体しか愛せない女。

 誰からも怖がられ、気味悪がられ、名すら持たない彼女。

 

 その彼女が、人間だった。

 

 たった一瞬。

 たったそれだけ。

 

 スコッチはその一瞬に、恋をした。

 

 崇拝じゃない。盲信でもない。

 ただ、惚れたのだ。

 

 自分の殺しが、意味を持った気がした。

 この人にとってだけ、自分の行為が「美しいもの」に変わるのなら。

 

 スナイパーであることすら、肯定される気がした。

 

  ⸻

 

 任務を終えて戻る道すがら。

 スコッチは後ろを振り返る。

 

 彼女の姿はもう見えなかった。

 だが、あの目。あの拗ねた表情だけが、焼きついて離れなかった。

 

 (……見ていたい)

 

 気づけば、そんな言葉が胸の奥に落ちていた。

 

  ⸻

 

 仕事帰りのアジトの廊下。

 

 スコッチの背後から、聞き慣れた鋭い革靴の音が追いついてきた。

 

「スコッチ。またあの女と一緒だったのか?」

 

 よく組むスナイパー仲間の一人が、半ば呆れたように声をかけてくる。

 何度目かのやりとりだ。

 

 スコッチはいつものように、肩を竦めて受け流す。

 

「後処理してもらってるだけだよ」

 

「終わったあと現場にちょっと長居するだろ。スコープ越しに見とれてるやつ。そのうち俺以外にもバレるぞ?」

 

 茶化しは軽い。けれど、鋭い。

 スコッチは鼻で笑って、手を振る。

 

「……気のせいだよ」

 

 否定はする。けれど、本気の否定ではない。

 それを分かっていて、からかいは止まらない。

 

「まあいいけどよ。……あんま綺麗に殺しすぎんなよ?」

 

 スコッチが一瞬、足を止める。

 

「どういう意味だ?」

 

「最近お前の死体、形がいいんだよ。撃たれ方が。頭も胸も、妙に保ってんだ。……あの女、嬉しそうに片付けてんぞ」

 

 冗談めかした声。

 だが内側だけが、妙に冷えた。

 

 (……気づかれてる)

 

 自分でも言葉にしなかった変化。

 頭部の破損は避け、姿勢が保たれる角度で撃ち、体液の広がりを最小限に抑える。

 

 そうすれば、彼女の手間が減る。

 綺麗に整えやすいだろうと、自然と考えるようになっていた。

 

 だからこそ、誰かにそれを言語化されるのが、ひどく気まずかった。

 

「……ただの職業病だよ」

 

 スコッチはそう言って歩き出す。

 

 だが「職業病」にしては、あまりに個人的すぎる偏りだと、自分で分かっていた。

 

  ⸻

 

 その後、ブリーフィングルーム。

 

 ジンとウォッカ、掃除屋の彼女もいる。

 

 今日の仕事は成功。

 だが、ジンはしばらく無言でスコッチを見つめていた。

 

 沈黙が長い。スコッチは身構える。

 

 そして、ジンが口を開いた。

 

「……殺しに迷いがなくなってきたな」

 

 事実だけを述べる声。

 

 褒めているわけではない。だが、確かに変化を察している目だった。

 

 隣で、ウォッカがふっと笑う。

 

「お前がやった後の死体、毎回妙に丁寧に片付けてあんだわ。……掃除屋、お前スコッチのこと気に入ってんじゃねぇの?」

 

 一瞬、空気が揺れた。

 

 その場にいた誰もが、すぐに誰のことを指しているか分かっていた。

 

 掃除屋の女。

 名前のない異常者。死体しか愛せない、あの“彼女”。

 

 スコッチは平静を装う。

 

 だが、内心では脈が跳ねた。

 

 視線を感じて、スコッチはちらと部屋の隅を見る。

 

 そこに、彼女がいた。

 

 無言で立っていた。

 まるで気配も呼吸もない。

 

 ウォッカの言葉が届いたのかどうかすら分からない。

 けれど――

 

 彼女の目が、スコッチを見た。

 

 それは、ただの確認だった。

 誰の殺しだったのかを、事実として整理しただけの、無感情な視線。

 

 だがその直後、ほんの一瞬、口元が揺れたように見えた。

 

 微笑みにも、苦笑にも届かない。

 でもそこにあったのは、彼女の中での、明確な“認識”だった。

 

 (ああ、気づいたな)

 

 自分が、彼女のために殺し方を変えていたこと。

 死体が綺麗に仕上がるように、無意識に最適化していたこと。

 

 誰にも言わなかった。

 自分でも言葉にしなかった。

 

 けれど――彼女は、理解した。

 

 彼女はただ一言、返答を口にした。

 

「とても綺麗な死体を作るの」

 

 表情は動かない。感情もない。

 

 でもその声は――

 ほんのわずかに、息を呑むように聞こえた。

 

 スコッチは何も言えなかった。

 胸の奥で、何かが静かに軋んだ。

 

  ⸻

 

 その日の夜。

 

 スコッチは一人、空になった部屋の隅で煙草に火をつけた。

 

 何本目かも分からない。

 ただただ、彼女の声が耳に残っていた。

 

 ――とても綺麗な死体を作るの。

 

 誉め言葉なのか、評価なのか。

 それともただの事実確認なのか。

 

 (……俺は、まだ大丈夫か?)

 

 煙を吐き出しながら、自分に問う。

 

 けれど答えは出なかった。

 

  ⸻

 

 数日後。

 安室透が、人のいない通路でそっと肩を叩いてくる。

 

「最近、疲れてるように見える」

 

 言い方は控えめだが、目は真剣だった。

 

「大丈夫だよ、俺は……」

 

 スコッチは笑った。

 だが、その目は笑っていなかった。

 

 安室は、それでも一瞬だけ信じる顔をする。

 彼の核が、まだ警察官であることを。

 

 そうであってほしいと、願うように。

 

 ――けれど、その核はもう、静かに溶けはじめていた。

 

 スコッチは思う。

 

 死ぬときには――

 

 あの人に、見られながら死にたい。

 

 

  ⸻

 

 

 深夜、公安部の一室。

 蛍光灯の明かりが白く、机の上には何も置かれていない。

 

「……最近、諸伏の様子、気になりませんか」

 

 若い捜査官が、対面の上司に声を落とす。

 

 上司は紙をめくるふりすらしない。

 面倒そうに片眉を上げる。

 

「仕事はできてるだろ。潜入維持できていて、情報も落としてる。――問題あるか?」

 

「表面上はそうです。でも、感覚の話になりますが……最近の報告、妙に淡々としてるんです」

 

「感情にブレがないってことか?」

 

「いいえ。逆です。……感情が消えてるように感じるんです」

 

 上司が鼻で笑う。

 

「潜入捜査官に感情なんて要るか? むしろ最適化されてるってことだろう」

 

 若手は口を閉じかける。

 だが、意を決して言った。

 

「……あいつ、組織の側に馴染んでるように見えます」

 

 数秒の沈黙。

 

 やがて、上司はぽつりと呟く。

 

「……お前の所感だな?」

 

「はい。正式な報告には……しません」

 

「……まあいい。

 もし判断が外れたら責任はお前が取れ。

 ――で、流すのは?」

 

「……ええ。組織側に、使い終わりの印、送っておきます」

 

「勝手にやれ。ただし俺の名前は出すなよ」

 

 それだけで、決まった。

 

 諸伏景光の命運は、誰にも知られず、音もなく処理された。

 

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