組織の死体愛好家   作:an-ryuka

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2.

 

 すべてが切れた。

 

 連絡用の端末は、公安から遮断されていた。

 仲間への報告ラインも、暗号ルートも通じない。

 

 任務を終えたはずの自分は、もう何の所属でもない。

 

 ――NOCとして、切られた。

 

 何か失敗したのか?

 仲間の裏切り?

 ……用済み。

 

 (……そんなことは、もうどうでもいい。)

 

 そう思った自分に、少し笑えた。

 

 追っ手は外へ向かう。

 組織の人間なら、逃走先を外部だと読む。

 

 だが俺は、逆に行く。

 

 殺される場所を、自分で選ぶ。

 

 死にたかったんじゃない。

 彼女に殺されるなら、それでいい。

 死んで、彼女に触れられるなら――それで、いい。

 

 

 

 建物の陰に入った。

 ここから先は、組織のアジト内部だ。

 

 完全に監視下、完全に危険圏内。

 だが、誰も中を警戒しない。

 

 足を止めて、ポケットから携帯を取り出す。

 

 最後に連絡をとるべき相手が、一人だけいた。

 

  ⸻

 

 件名なし。本文のみ。

 

 すまない、俺はここまでだ。

 きっと、お前には理解されない選択をする。

 

 でも、最後くらいは、俺の好きにさせてくれ。

 

 じゃあな。

 

  ⸻

 

 送信ボタンを押す。

 

 画面の光が一瞬だけ明るくなり、また闇に戻る。

 

 返信は、待たない。期待もしない。

 

 スコッチは携帯を地面に落とした。

 

 画面が微かに光った気がした。

 でも見なかった。

 

 ブーツの踵で、躊躇なく踏み抜く。

 

 ガラスが割れ、基盤が砕ける。

 

 それで、終わった。

 

 もう、誰にも呼び戻されない。

 

 俺は、彼女の元へ行く。

 

  ⸻

 

 

 彼女のラボには、静けさが似合っていた。

 

 死体処理のための薬品。冷却装置。

 壁に沿って並ぶステンレスの台。

 照明は少し暗く、人が暮らすには不自然なほど整いすぎている。

 

 その空間は、彼女のためのものだった。

 彼女だけが、ここで「生きて」いた。

 

 俺は、その中で、死ぬ。

 

 ドアの前に立つ。ノックはしない。

 軽くノブを押すと、中からロックが外れる音がした。

 

 「……死にに来たの?」

 

 彼女は、そう言った。

 

 いつも通りの平坦な声。

 ただ事実を確認しただけの、乾いた言葉。

 

 俺は、頷いた。

 

 言葉は要らなかった。何も期待していなかった。

 

 彼女が俺を見てくれたことなんて、一度もなかった。

 見ていたのは、俺が殺した死体だけだ。

 

 その手つき。その視線。

 どこにも「俺」はいなかった。

 

 でも――それでよかった。

 

 俺の殺しに意味をくれたのは、彼女だった。

 

 誰にも言えなかったし、自分でも気づかないふりをしていたけれど、

 あの指先を見るために、殺し方を変えた。

 

 彼女が綺麗と感じてくれそうな方法に、いつの間にか最適化していた。

 

 意味が欲しかったんじゃない。

 ただ、見られたかった。

 

 見られた瞬間、ようやく存在できる気がしたから。

 

 だから、彼女に殺されるのは――ご褒美だった。

 

 だから、

 

「……3日間だけ一緒にいて。死ぬ前提で」

 

 その言葉は、予想の外側から降ってきた。

 

 言葉が出なかった。

 

 死ぬために来た。

 殺されることに、迷いはなかった。

 

 だが――「3日間」という単語に、思考が滑った。

 

 何のための猶予だ。

 殺される前に何をすればいい。

 自分が生きていることを前提に話されるとは思っていなかった。

 

 戸惑いは一瞬。だが、深く刺さった。

 

 それでも、俺は頷いた。

 

 笑っていたかもしれない。

 顔がどう動いたのか、自分でもよく分からなかった。

 

 死ぬことが前提の恋だった、

 誰にも理解されない。彼女にも、理解されてない。

 

 けれど、それでもいい。

 それでも、そばにいられるってだけで、俺には十分だった。

 

 

  ⸻

 三日間

 

 彼女はラボに入ると、スコッチには目もくれず、まっすぐ棚に向かった。

 

 無駄のない手つきで引き出しを開け、器具をひとつずつ取り出していく。

 金属の触れ合う音が、静かな部屋に小さく響いた。

 

 「まず、怪我はしないで」

 

 背中越しに落とされた言葉。

 

 抑揚のない声だった。だが、それは命令だった。

 

 「傷跡が残ると、処理に影響が出るから。

  清潔な布は、ここ。消毒液は隣の引き出しにある。今怪我があるなら後で見せて。

  私が使うとき以外、触らないで」

 

 淡々と並べられる規則。

 死体処理用の器具と同列に、自分が「管理されて」いる感覚がした。

 

 スコッチはどこかで、準備作業のような印象を受けていた。

 

 自分はいま、彼女に殺される前の手順を教えられているのだ、と。

 

 「食事は、これ。流動タイプ。胃に残らないものがいい」

 

 無機質なパウチが2、3個、無造作に机の上に置かれる。

 

 「飲み方は裏に書いてある。時間は、決めてない。あなたのタイミングで」

 

 (……本当に死ぬ準備だな)

 

 スコッチは何も言わない。

 どこか、すべてが納得できてしまっている自分がいた。

 

 「眠る場所は……こっち」

 

 ラボの隅にある、一段高くなったスペース。

 彼女が薄手のブランケットを一枚、引き直すように整える。

 

 「ベッドはこれしかない。使って。

  硬い床は、傷がつくかもしれないから」

 

 彼女は、ブランケットを整えたあと。

 整える前と同じ温度で、同じテンポで、次の準備をはじめていた。

 

 「……ああ」

 

 ようやく、スコッチは声を出した。

 

 応じたというより、従わざるを得なかった。

 

 否定すれば、この空間のどこにも、居場所がなくなる気がした。

 

 死ぬために来た。

 そのはずだったのに――今、自分は生きたまま、彼女の生活に触れようとしている。

 

 ここで過ごすこと。

 彼女が眠っていたベッドに、自分が横たわること。

 彼女の生活。彼女の空気。彼女の人としての痕跡。

 

 ほんの数日だけでも、このままじゃ、満たされたと感じてしまいそうだった。

 

 このままじゃ、自分で望んだ死に、抵抗すらしてしまいそうで、怖くなった。

 

  ※

 

 少し火傷のような擦り傷があった。

 

 彼女に見せると、無言で椅子を引かれ、消毒と処置が始まった。

 

 アルコールの匂い。

 冷たい綿の感触。

 指先は正確で、余計なところには触れない。

 

 スコッチは思わず目を逸らした。

 

 そのとき。

 

 ――足音。鋭い革靴の音が近づいてくる。

 硬い床を抉るような歩幅。

 

 スコッチには分かった。知っている足音。

 

 彼は咄嗟に呼吸を殺し、椅子の背に身を沈めた。

 

 彼女もわずかに顔を上げたが、扉に近づくことも、表情を変えることもなかった。

 

「……おい。いるか?」

 

 声は低く、乾いていた。無関心を装っていたが、苛立ちがにじんでいた。

 

 よく一緒に仕事をした、スナイパー。ネームド。

 任務中、視界の外を任せた数少ない相手だった。

 

 その男が、今ここに来ている。

 

 彼女は黙っている。

 一拍の沈黙。

 

「……一応、確認だ。スコッチは、まだ運び込まれてないな?」

 

 彼女の眉間の奥が、ほんの僅かに動いた気がした。

 それは迷いではない。ただ、沈黙を肯定した。

 

 そして、静かに――

 

 「……まだ届いてません」

 

 まるで荷物の受け渡しについて話しているような、淡々とした声。

 

 外で、ネームドが鼻を鳴らした。

 

 「……本当は、中まで確認しろって言われてるんだがな」

 

 一拍置いて、少しだけ声の調子が緩む。

 

 「……俺が確認したって言えば、それで済む話だろ」

 

 スコッチはその言葉に、ほんの少しだけ胸の奥が引っかかれた。

 

 自分がこのラボに「いない」ことにされたこと。

 そして、それが借りを返すための温情であること。

 

「……これで、きっかりチャラだからな」

 

 声には妙な温度があった。

 

 償いでもなく、情けでもない。

 全部なかったことにするための声。

 

「……ったく。なんでこんな女がいいんだか」

 

 呟きは聞き取れるかどうかの音量で、吐き捨てるように。

 だが、その声には否定ではなく、理解の放棄があった。

 

 男の足音は去っていった。

 確かに階段を降りる音がした。静寂が戻る。

 

 彼女は、その場から動かない。

 ただ、扉を見つめていた。

 

 スコッチは、言葉も呼吸も発さなかった。

 

 この沈黙だけが、唯一感謝の代わりになれる気がした。

 

  ※

 

 ラボの明かりは落とされていた。

 

 常夜灯が薬品棚のガラスに微かに反射しているだけで、ほとんど何も見えない。

 

 隅の床で、彼女は静かに寝息を立てていた。

 ブランケットもかけていない。けれど寒くなさそうだった。

 

 すぐに眠る。そういう人だった。

 

 そのすぐ横、俺は彼女の使っていたベッドに横たわっている。

 

 硬い。慣れない。落ち着かない。

 

 でも、身体の問題じゃない。

 

 生きていることの方が、よほど落ち着かなかった。

 

 彼女の空間で、彼女の生活の上に、俺が「生」を持ち込んでいる。

 

 ここは、死のための部屋だ。

 死のための空気。死のための温度。

 

 生きてる俺は、長居するべきじゃない。

 

 (それでも、願ってしまう)

 

 君の隣で、こうして朝を迎えられたら――って。

 

 明日も、明後日も、その先も。

 君の作業を眺めて、無言のまま息をして。

 それだけでいい。そう思った。

 

 でも、そうなった瞬間。

 俺は君にとって無価値になる。

 

 君が欲しいと言ってくれたのは、死んだあとの俺だった。

 生きている俺は、君に届かない。

 

 分かってるよ。

 ……分かってるのに、どうして、こんなに。

 

 (俺はそういうところも込みで惚れたから)

 

 惚れた相手に殺されて、保存される。

 

 ……これ以上ない温情だ。そう思おうとしている。

 思い込まなきゃ、やってられなかった。

 

 ……君に愛されたい。

 でもそれは、生きたままじゃ叶わなかった。

 

 だから、俺は……。

 

 (……俺はもう、選んじまってるよ)

 

 彼女が普段使っている枕と寝台。

 少し身を乗り出せば見える、彼女の寝姿。

 死後の俺のために、整えられていく道具の数々。

 

 喉が詰まりそうだった。

 

 ……おかしいな。殺されに来ただけのはずだったのにな。

 

  ※

 

 二日目。

 

 彼女は黙々と作業をし続けていた。

 

 使用する器具の手入れ。

 薬品の濃度を計り直し、ラベルを貼り替える。

 

 無音の部屋に、器具の金属音だけが響いている。

 

 俺は椅子に座って、それを見ていた。

 それだけだった。

 

 時々、手伝えることを探してみる。

 ガーゼを揃える。ラベルを並べ替える。

 それくらいのことしかできない。

 

 けれど、彼女が一度だけ、「それはそこ」と短く指で示した。

 

 注意ではない。ただの訂正。

 それが、妙に嬉しかった。

 

 彼女の携帯が震えた。

 

 ちらりと画面を見て、彼女が口を開く。

 

「……読む?」

 

 問いかけは素っ気ない。

 でも、それは俺に分け与えるような声音だった。

 

 俺は無意識に覗き込む。

 

 ジンの名前が、画面に浮かんでいた。

 

 件名もない、短いメッセージ。

 

『まだ見つからねぇのか。遅い』

 

 たったそれだけだった。

 それだけで、肺が苦しくなる。

 

「……いいのか? 見逃して」

 

 俺は、聞いた。

 聞かずにはいられなかった。

 

 彼女は少しの間だけ黙っていた。

 

 金属を拭く手が止まって、再び動き出す。

 

 「最後は、一緒だから」

 

 それだけだった。

 

 それだけで――

 心のどこかが、ぬるく溶けていった。

 

  ※

 

 三日目。

 

 彼女が準備を始めた。

 

 彼女がよく使っている道具たち。

 見慣れない医療用具と、液体を満たすための大きな保存容器――まるで人物大の棺。

 

 その隣に、研がれたナイフがひとつ。

 

「……ナイフで俺のこと殺すの?」

 

 軽く、冗談めかした口調。

 でも、ちゃんと聞いていた。

 彼女が望むなら、薬でも何でも飲むつもりだった。

 

 「スコッチには、ナイフが似合うと思う。……首がいい」

 

 そう言った彼女の声には、いつもよりわずかに息が混ざっていた。

 

 期待と予感。

 それが、ほんの一瞬、感情として滲んでいた。

 

 その気配に、

 

 ――惚れてるって、こんな感じなんだな。

 

 って、今さらながらに思った。

 

 自分が彼女の感情を引き出している――それだけで、生きていることに意味がある気がした。

 

 死ぬかもしれない。

 でも、彼女に愛される予感だけで、生きた価値があったと思えてしまう。

 

「保存容器なんて、初めて見たよ」

 

 そう言うと、彼女は一度手を止めて、さらりと答えた。

 

 「……あなたは、保存したいなって」

 

 それってつまり、彼女が俺を欲しいと思ったってことだろ。

 

 ――もっと、欲を出したくなった。

 

 考える前に言葉が出ていた。

 

 「それって君のわがままだろ?

  ……俺のわがまま、聞いてくれたりしない?」

 

 無理なのは分かってる。

 否定していい。

 否定してくれたら、それでいいから。

 

 彼女は動きを止めた。

 

 ゆっくりと息を吸って、吐く。

 

 「いいよ」

 

 「私に、できることなら」

 

  ⸻

 

 

 同じ頃。

 地下のガレージ。

 

 ジンは無言のまま煙草を吸っていた。

 その足元には、何本目かの吸い殻が無造作に踏み潰されている。

 

 隣に立つウォッカが、気を遣ったように口を開ける前に、

 ジンがぽつりと呟いた。

 

「……まだ出てこねぇのか、スコッチの死体」

 

 口調は静かだった。

 だが、明らかに苛立ちが滲んでいた。

 

 そのまま、視線を横にずらす。

 

 視線の先――安室透。

 

 情報屋。誰にも懐かず、誰にでも笑う。

 ジンにとっては、使えるが信用はできない男だった。

 

「お前、情報屋だろ?」

 

 ジンの声は、皮肉に近かった。

 

「ノックひとりの後始末も追えねぇってのは……どういうことだ?」

 

 安室は、一瞬も笑みを崩さずに答えた。

 

「記録にも、動きにも、引っかかるものは何もありませんでした。

 失踪と同時に、すべてが断たれてます。探しようがありませんね」

 

「はっ……逃げたってことかよ」

 

 ジンが短く吐き捨てる。

 

 「殺せ」と命じたノックの死体が、未だに確認できない。

 報告が上がらない=処理に失敗している。

 それがジンにとって、何より気に入らなかった。

 

「お前、スコッチと仲良かったらしいじゃねぇか。……薄情なもんだ」

 

 ジンは軽く笑う。

 言葉はあくまで、情報屋を試す調子だった。

 

 安室は、ほんの一秒だけ呼吸を置き、答えた。

 

「……必要以上に関わらないのが、僕のやり方ですから」

 

 抑揚もなく、穏やかに。

 

 ジンはその表情をじっと見つめる。

 何かを探るように。

 

 けれど、数秒後には鼻で笑って、煙草を地面に落とした。

 

 ブーツの踵で、ゆっくりとそれを潰す。

 

「ま、いいさ。

 ――どこにいようと、死んでりゃいい。

 ただ、死んだことだけは、ちゃんと証明してもらわねぇとな?」

 

 そう言って、踵を返す。

 

「行くぞ、ウォッカ」

 

「おうよ」

 

 二人が去ったあと。

 安室は動かずにそこに立ち尽くした。

 

 煙草の匂いだけが、まだ残っていた。

 

 (……警察の方にも組織の方にも情報が上がってこないのは死んでいるからか?

  死体が上がらないのは、誰かが隠したから?)

 

 安室の脳裏に浮かぶのは、彼女だった。

 

 名前も呼ばれない女。

 死体しか愛さない異常者。

 スコッチが、おそらく最後に向かった場所。

 

 (そこに行った、とは思う。……でも)

 

 手を出すことはできなかった。

 

 誰も彼女を疑わない。疑えない。

 疑おうとする者が、逆に異常として処理される。

 

 あの日のメールが、また頭の中で読み上げられる。

 

 ――すまない、俺はここまでだ。

 きっと、お前には理解されない選択をする。

 でも、最後くらいは、俺の好きにさせてくれ。

 

 理解していないわけじゃない。

 でも、納得できるわけがなかった。

 

 安室は、静かに目を閉じる。

 

 どこにも怒りをぶつけず、どこにも疑いを吐けないまま、

 その場を離れた。

 

  ⸻

 終わりの日

 

 3日間が終わった。

 

 全ての準備が整った。

 

 薬品の量。温度。容器内の濃度。

 ナイフの切れ味。布の枚数。縫合の道具。

 

 俺は彼女を見つめる。

 焼き付けてから、目を閉じた。

 

 彼女は何も言わずに、俺の首筋にナイフを当てる。

 

 多分、痛みはあった。

 ……でも、それも良かった。

 

 最後に見た彼女のまなざし。

 

 感情はなかった。

 けど、確かに俺を見ていた。

 

 これ以上は望めない。

 ……けど、本当は、もっと欲しかったんだ。

 

 ――望んでも、いいか?

 

 俺は君の唯一になりたい。

 

 

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