ダイアゴン横丁二日目、わたし達はグリンゴッツ魔法銀行を訪れた。
「ジャック。いいか? カバンなんてものは5ガリオンの物で十分なんだ。ホグワーツで七年間を過ごすと言っても、基本的に荷物は寝室に置く筈だぞ。授業中に持っていくものなど、教科書や教材くらいのものだ。大鍋が重いと言っても、カートに乗せれば済む話だろう」
パパはラグノックからお説教を受けている。
昨日の今日で両替に来たわたし達に『何を買ったんだ?』と困惑する彼に100ガリオンのカバンを買った事を教えると、彼は大口を開けて放心した。
それから一時間、彼はパパにお金の使い方の何たるかを説明し始めた。
「……よもや、銀行で一日を終える事にはなるまいな?」
ケトルバーンは戦慄の表情を浮かべている。
彼の懸念が外れる事を切実に祈る。さすがに買い物どころか両替で終了となる事は避けたい。
「娘が大切だという気持ちは分からないでもない。だがな、ジャック。娘に金の使い方や重要性を教える事もお前の役目じゃないのか? 5ガリオンで十分な物に100ガリオンだ。これで正しい金の使い方を教えられると思うのか? なあ、おい」
「……思いません」
あと、父親が公衆の面前でガチのお説教を受けている姿を見るのは娘として精神的に辛い。
「あー……、ラグノック。そろそろ、パパを許してあげてよ。もう十分に反省したと思うの」
「ふん! どうだかな」
そう言うと、ラグノックはパパの背中を引っ叩いた。
「イタッ!」
「情けない声を上げるんじゃない! 漏れ鍋で飲む時に改めて金の使い方というものをみっちり教えてやるとしよう」
「お手柔らかに頼むよ……」
どうにかパパを解放してくれたラグノックに別れを告げて、わたし達はようやくダイアゴン横丁での買い物をスタートする事が出来た。
最初は大鍋のお店だ。
「えっと、錫性の標準2型って書いてある。2型って?」
「大きさの事じゃよ。ああ、これじゃ」
ケトルバーンがポタージュの鍋屋に入ってすぐに見つけたのは大鍋というよりも小鍋のようだった。
「いろんな素材の鍋があるんだな」
「言っておくが、教材はすべて指定の物を買う方が無難じゃよ。特に大鍋はその素材に合った調合というものがある。純金や鉄の大鍋を持っていったら、一人だけ失敗して恥をかく事になるぞ」
「なるほど」
大鍋の他、そのお店では真鍮製の秤も売っていた。
「ずいぶんとアナログだなぁ。こんなもので測るのかい? 電子秤を持って行った方がいいと思うんだけど」
「マグルの秤か? やめておく事じゃな。ホグワーツでは一切の電子機器が使えんようになっておる。規則としてではない。様々な魔法による干渉が原因じゃよ」
「なるほど……」
パパは渋い表情を浮かべながら真鍮製の秤をレジへ持って行った。
「こんな物で測るなんて、大雑把だなぁ」
パパは店を出てからもグチグチ不満を漏らしている。
どうにも、アナログ式の秤に我慢ならないようだ。
「あなた、その辺にしておきなさいよ。電子秤は使えないのだから仕方ないでしょ」
「そうは言ってもさぁ……」
その様子にケトルバーンは呆れた様子だ。
「ウンザリしないでね、ケトルバーン。パパはわたしの事を一生懸命考え過ぎちゃうの」
「分かっとるわい。さあ、次は薬問屋じゃ」
そこは大鍋のお店のすぐ傍にあった。
中に入ると、途端に悪くなった卵の匂いが鼻を突き刺して来た。腐ったキャベツの匂いもする。
耐え難い悪臭の中、店内を見回してみると気味の悪いものでいっぱいだった。
床にはヌメヌメしたナメクジがいっぱいに入っている樽が並んでいる。壁には薬草や乾燥させた根が飾られ、棚には色鮮やかな粉末の瓶が置かれている。
天井からは羽の束であったり、ねじ曲がった牙や爪が糸に通されてぶら下がっている。
コガネムシの目玉なんて、何に使うのかサッパリ分からない。
「ホグワーツの一年生じゃ。授業用の素材一式を頼むぞ」
「かしこまりました」
薬問屋の店員は皮製の袋を持って来た。その中に必要な物が入っているらしい。少しだけ中を覗いてみると、気味の悪いものでいっぱいだった。
わたしは顔を引き攣らせながら大鍋の中に皮袋を入れて、更にトランクの中へ仕舞い込んだ。
「見てごらんよ、レイチェル。ドラゴンの肝だって! ケトルバーンさん、ドラゴンが実在するんですか!?」
「もちろんじゃよ。もっとも、実際に会う為には生息域へ行かねばならぬがね」
「そ、それって、マグルでも会いに行けたりするんでしょうか!?」
「ちょっと難しいのう。特別な許可を得なければ、マグルの立ち入りは許されぬ。自衛が出来ぬからな」
「そっかぁ……」
「ジャックよ。魔法生物に興味があるのならば……、そうじゃな。今日中に買うべき物をすべて買えた暁には魔法生物飼育学の教授であるわしのトランクの中へ案内してしんぜよう」
「ケトルバーンさんのトランクの中……」
パパはケトルバーンが片手に持っているトランクを見て、目を大きく見開いた。
「もしかして、その中には魔法生物が!?」
「さーて、買い物が終わった後のお楽しみじゃよ」
「わーお! レイチャル、次だ! はやく、次のお店に行こう!」
「……そうね、パパ。大丈夫よ。後は望遠鏡と教科書と制服、それから……」
「杖じゃな」
「そう、杖ね。それだけだから、きっと夜までには終わるわよ」
パパを宥めつつ、わたしもケトルバーンのトランクに興味深々だった。
魔法界の生き物なんて、ワクワクするもの。
「次は望遠鏡かしら?」
「うむ! そこのお店で買えるぞ。天文学で使う教材じゃ。これについては少々値が張るが、星座を自動で追尾する機能を持った望遠鏡を進めるぞ。星座を探すのも勉強だとのたまう者もおるが、まったくもって時間の無駄じゃ」
「なるほど! なら、それにしよう」
「ちょっと、パパ! ダメよ。多分だけど、それってカンニングよ」
「ええ!? それはまずいよ」
「何がまずいんじゃ? 楽を出来る所は楽をする。それが人生をより良くする秘訣じゃぞ」
「それでも不正はダメよ。わたし、何事にも正々堂々と望みたいの。そうじゃないと、後ろめたさを感じる事になるでしょ? わたし、そういうの凄くイヤなのよ! パパ、普通の望遠鏡を買ってちょうだい!」
「ああ、分かったよ。レイチェル、君はなんてすばらしい子なんだ。そうだよ。不正は良くない事なんだ。まっすぐに生きる事が何よりも大切なんだよ」
「良かれと思ってアドバイスを送ったというに……」
ケトルバーンが唇を尖らせているけれど、こればかりは譲れない。
「次は本屋さんね。教科書のついでに魔法界の常識や歴史が分かる本も買っておきたいわね。礼儀作法とかも」
「そうじゃな。よし、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店へ急ぐとしよう」
パパが買って来た真鍮製の望遠鏡をトランクに仕舞い込むと、わたし達はケトルバーンの後に続いてフローリシュ・アンド・ブロッツ書店へ向かった。
そこは大勢の人でごった返していた。
「えっと、ここで買うのは基本呪文集、魔法史、魔法論、変身術入門、薬草ときのこ千種、魔法薬調合法、幻の動物とその生息地、闇の力護身術入門ね」
「あら? 数学とか化学の授業はないの?」
「数学は足し算掛け算が出来れば事足りるからのう。ただ、三年からの選択科目に数占い学という授業があってのう、そこではマグルで言う所の数学をみっちり学ぶ事になる」
「うーん……」
ママは不安そうな表情を浮かべた。
「レイチェル。大変だと思うけど、数学はしっかり自習で勉強しておきなさいね。魔法界で就職する上では問題無いのかもしれないけれど、可能性を狭めるのは愚かよ」
「分かったわ、ママ」
わたしの夢はママのような立派な警察官になる事だ。
魔女になる事で違う道も開かれたけれど、警察官になる道を捨てる気はない。
魔女の勉強と並行して、警察官になる為の勉強もしっかり続けていこう。
教科書といくつかの魔法界に纏わる本を買った後、わたし達はマダム・マルキンの洋装店を訪れた。
店内に入ると、藤色の服を来た愛想の良い女性が店奥から現れた。
「あら、ケトルバーン先生。ああ、その子が今年からホグワーツに通う子なのね。安心してちょうだい。ここですべて揃うわ。あら、可愛いワンちゃん。ひょっとして、この子もホグワーツへ? なら、おめかししなくちゃ」
マダム・マルキンはわたしとアルフレッドを踏み台の上に立たせた。そして、布を広げてピンで止め始めた。
「ワゥ!?」
「動かないでね、ワンちゃん。大丈夫よ。怖くないわ」
手際よく採寸を終わらせると、マダム・マルキンは杖を振るった。すると、ピンだらけの布はあっという間に三着のローブへ変わり、更に三角帽がどこからか飛んで来た。
「あと、これは冬用マント。最後に名前を刺繍します。あなた、お名前は?」
「レイチェルよ。レイチェル・ラインゴッド」
「可愛らしい名前ね。はい、出来た! ワンちゃんのお名前は?」
「アルフレッドよ」
「はい、アルフレッドちゃんの分も完成」
マダム・マルキンはアルフレッドにもローブと三角帽をくれた。
これは無料サービスらしい。なんて気前の良い人だろう。
「あれ? 安全手袋はありますか?」
「あら? 薬問屋で買わなかったの? ええ、ありますよ。衣服に纏わるもので揃わない物は無いのだから!」
そう言うと、彼女はドラゴンの皮で作られたという手袋を持って来てくれた。
「ドラゴンだって!? あの、ボクにも一つください」
「あらあら、もちろん構わないわ。大人用ね。お名前も入れておこうかしら?」
「はい! ジェイコブ・ラインゴッドです!」
「はーい、出来ました」
「やった! レイチェル、お揃いだよ!」
「……良かったわね。わたしは凄く疎外感を感じているけれど」
「マダム! ドラゴンの皮手袋をもうワンセット!」
「あらあら、構わないけど、こういうのもありますよ?」
マダム・マルキンはそう言うと、お揃いのネックスカーフを持って来た。
「夫婦でどうかしら? ちょっとした魔法が掛かっていて、暑い日でも涼しいし、寒い日はしっかり温めてくれるのよ」
「買います!」
パパは即決した。
「ほら、ダイアナ。ボクが巻いてあげるよ」
「ありがとう、あなた。似合うかしら?」
「もう、最高さ! とってもキュートだよ、ダーリン」
熱い視線を交わし合うママとパパ。割といつもの事である。
「こうなると長いのよね……」
「あらあら、熱々なのね」
「ワン!」
「……後は杖だけなんじゃがなぁ」
窓の外を見ると、そろそろ暗くなり始めていた。
「ほらほら、次に行くわよ。ママもパパも続きは家でして」
「ああ、ごめんよ! 杖かぁ! いよいよ、我が家のピーチ姫が魔女になるんだなぁ!」
「パパ、もうちょっと他の例えにしてよ。わたし、易々と誰かに攫われるような下手は打たないわ!」
「ご、ごめんよ」
パパの背中を押しながら、わたしはマダム・マルキンの洋装店を出た。
そして、最後のお店に辿り着いた。
「オリバンダー杖店」
「紀元前382年創業って、本当かしら?」
「ほれほれ、モタモタしとると夜になってしまうぞ」
ケトルバーンにせっつかれながら中に入ると、チリンと鈴の音が聞こえた。
しばらく待つと、「いらっしゃいませ」と柔らかな声がした。
気が付くと、目の前に老人が立っていた。
「……あっ、えっと」
飛び上がる所だった。心臓に良くない。
「杖を買いにいらっしゃったのじゃな?」
「は、はい。そうです」
「では、杖腕を伸ばして」
「えっと、利き腕の事? はい」
右腕を伸ばすと、老人はわたしの肩から指先、手首から肘、肩から床、膝から腋の下、頭の周りの寸法を測った。
ちょっと際どい部分を測られて、微妙な気分。
「お嬢さん。わしが作る杖は一本一本に強力な魔力を持った芯を使っております。一角獣のたてがみ、不死鳥の尾の羽根、ドラゴンの心臓の琴線。それぞれに違いがあります。オリバンダーの杖には一つとして同じ杖はない。もちろん、他の魔法使いの杖を使っても、決して自分の杖ほどの力は出せないわけじゃ」
掠れた声で語りながら、老人は幾つかの杖を棚から取り出した。
「まずはこちらを」
手渡された杖はわたしの手に乗った瞬間に飛んで行った。
見れば、天井に突き刺さっている。
「なにごと!?」
「どうやら、違ったようじゃ」
「いや、あれはなに!? 飛んで行ったんだけど!?」
「お嬢さんの杖では無かったようです。さあ、次はこちらを振ってごらんなさい」
「ええー……」
わたしは杖が怖くなった。渡された杖は飛んで行かなかったけれど、なんとも言えない不快感がある。
言われた通りに振ってみると、黄土色の気持ち悪い液体が飛び散った。
「なにこれ!? もう、イヤなんだけど!」
「落ち着きなされ。これはどうでしょう」
そう言って渡された杖はさっきまでの杖とは明らかに違っていた。
「あ、あれ?」
振ってみると、すごく軽かった。そして、振り下ろした途端、森の香りがした。
「ほうほう! その杖はトネリコに不死鳥の羽根。12インチ。勇敢であり、信念を曲げない魔法使いに絶対の忠誠を誓う杖じゃ。その杖は他の者に奪われたとしても、決して主を裏切らぬ。その忠誠に報いれば、必ずや応えてくれるじゃろう」
「……あなたがわたしの杖なのね」
更に軽く振るってみると、優しい風が店内に広がっていく。
「ワゥン!」
アルフレッドも鼻をクンクンさせている。心が落ち着く香りがする。
わたしは杖を見つめた。ただ、振っただけだ。だけど、確かに魔法だった。
この時、わたしは改めて魔女になった事を自覚した。