安らかな寝息を立てている男の子を見つめながら、アリスは言った。
「さて、この子をどうしましょうか?」
「わたし、ショックで気を失う人を初めて見たわ」
気絶した人への対処法なんて、わたしは知らない。アリスも知らない。お手上げである。
だけど、寝ている男の子を無視して寛げる程わたしの神経は太くない。
「っていうか、時間的にそろそろホグワーツへ到着するわ。着替えなきゃ」
「でも、廊下に放り出すのは可哀そうだよ」
「仕方がない」
わたしは男の子の頬を軽く叩いた。
「おーい、起きろー」
「起きてー」
「……ぅぅ、あれぇ? ボク、どうして……、君達は誰?」
「奇遇ね。わたし達もあなたに同じ質問をしたいと思っていたわ。わたしはレイチェル・ラインゴッドよ」
「わたしはアリス・アシュクロフトよ。あなたのお名前は?」
「ボ、ボク、ネビル。ネビル・ロングボトムだよ。ボク、どうしてこんな所で寝てたの?」
「寝てたんじゃないわ。気を失っていたのよ」
「わたし達がカエルチョコレートを食べちゃったからね」
「……それ、どういう意味?」
キョトンとされた。だけど、わたし達がカエルチョコレートを食べた事で気絶したのはネビルなんだから、彼の方にこそ説明する義務があると思う。だけど、それは今ではない。
「とりあえず、わたし達は着替えたいの! そろそろ、出て行ってもらえる?」
「え? あっ、ごめん!!」
状況を理解してくれたようだ。ネビルは顔を真っ赤にしながら出て行った。
去って行く背中を見送ると、わたしはコンパートメントの扉をしっかりと閉めた。
「あらら! 追い払う前に彼の探し物を聞きたかったのに!」
「そんな時間はありませーん!」
ホグワーツ特急はすでにスピードを落とし始めている。
ネビルは最初から魔法使いの恰好だったけれど、わたし達は未だにマグルだ。急いで魔女に変身しなければいけない。
「あと五分でホグワーツに到着します。荷物は別に学校に届けますので、車内に置いていってください」
遂に到着のアナウンスが流れた。
「ほらほら、アリス! 急いで!」
「はーい!」
トランクから制服を出して、着ていた服を脱ぎ散らかす。
ホグワーツ特急の速度がぐんぐん落ちていく。もう、駅は間近なのだろう。
わたし達は慌ただしく身支度を整えた。
汽笛が鳴り響き、完全に停車すると同時にボタンを留めた。
「ギリギリセーフ!」
トランクは置きっぱなしにして、アベルの鳥籠だけを抱えながらわたしはランプが揺れる通路に出た。
他の子達もみんな出口に向かっている。その光景は些か以上に奇妙だった。
「……まるで、ホラー映画のワンシーンみたいね」
「ワンワン!」
「アルフレッド……、ありがとう」
わたしの怯えを敏感に察知して、アルフレッドが寄り添ってくれた。
人の流れに沿って出口へ向かう。ホグワーツ特急を降りると、そこには闇が広がっていた。
「アリス、怖くない?」
「ちっとも! って言えたらカッコいいんだけど、ちょっと怖いわ」
「わたしもよ」
わたしはいつも光の中で生きて来た。都心からは少し離れていたけれど、家の周りには5メートル置きに外灯があったし、清潔なスーパーやダイナーの明かりも闇の居場所を奪っていた。
だから、余計に闇が恐ろしい。
「ワン!」
「キィキィ」
アルフレッドだけじゃない。アベルもわたしを元気づけようとしてくれている。
少しだけ、恐怖が和らいだ。
「イッチ年生! こっちだ!」
闇の中から大男が現れた。
「ん? おい、そこの! フクロウの鳥籠は置いていけ! 犬もだぞ!」
フクロウの鳥籠と犬。わたしに言っているようだ。
「アルフレッドを置いていけないわ! アベルだって!」
「その犬はお利巧に出来るのか?」
「出来るわ! すごく賢い子なの!」
「ならいい。だが、お前さんがしっかり面倒を見るんだぞ。おお、ハリー! 元気か?」
彼の注意は別の男の子に向いた。
わたしはホッと溜息を零した。
「鳥籠、重くないの?」
「全然!」
本当は少し重い。だけど、アベルと離れる気はない。
「さあ、ついて来いよ! あとイッチ年生はいないか? 足下に気ぃつけて歩けよ。さあ、ついて来い!」
大男の後に続いて、わたし達は歩き出した。他の子達はアルフレッドをジロジロと見ている。
狭い小道を降りていく。駅のホームどころではない。右にも左にも光はなくて、唯一の灯は大男が持つランタンだけだ。
「アリス。はぐれないように手を繋がない?」
「……うん」
アリスも不安みたいだ。わたし達は寄り添い合った。
「キィキィ」
「ワン!」
数歩先すらまともに見えないわたし達の代わりにアベルとアルフレッドが目となって飛び出している木の枝や小石を教えてくれた。
しばらく進んでいくと大男が振り返った。
「みんな、まもなくホグワーツが見えるぞ! この角を曲がったらだ」
先に曲がった子達から歓声があがる。そして、わたしとアリスも曲がった瞬間に声を張り上げた。
狭い道が開け、大きな黒い湖のほとりに出た。向こう岸に高い山がそびえている。その天辺に壮大な城が見えた。
大小様々な塔が立ち並び、窓の向こうから光が零れている。
「あれが……」
「……ホグワーツ」
まるで夢の中を歩いているみたい。頭がボーっとする。
「四人ずつボートに乗って! おっと、犬を連れとる子は三人だ!」
ボートのほとりに繋がれているボートへ乗り込む。座り込んで、鳥籠を抱き締めた。その隣にアルフレッドがするりと乗り込んできて、対面にはアリスが座った。空いている席には首に蛇を巻いた男の子。
「こんにちは、わたしはレイチェルよ」
「わたし、アリス」
「……カランだ」
馴染みのないイントネーションと名前。
「インドの人?」
「さあな」
あまり社交的なタイプではないみたい。カランはそっぽを向いてしまった。
「みんな、乗ったか? よーし、では! すすめぇ!」
誰もオールで漕いでいないのに、ボートの船団が湖を滑るように進み始める。
鏡のように夜空を写す湖面。まるで、銀河を進んでいるみたい。
「頭さげぇ!」
崖下に辿り着くと、わたし達の船は地下の船着き場で止まった。
「ホイ、お前さん。これ、お前のヒキガエルかい?」
「トレバー!」
ネビルがいた。
「なるほど、謎が解けたわね」
「彼はあのヒキガエルを探していたのね」
大事そうにヒキガエルを抱えている。トレバーはわたしにとってのアルフレッドやアベルみたいにかけがえのない存在なのだろう。
もっと、真剣に話を聞いて、一緒に探してあげればよかった。
「みんな、いるか? さあ、あと少しだ」
岩を削った階段を登っていく。城の影が落ちる草原を超え、巨大な樫の扉の前にやって来た。
大男はその大きな拳を振り上げ、扉を三回叩いた。
すると、扉はパッと開き、その向こうに一人の魔女が待ち構えていた。
エメラルドグリーンのローブを着た背の高い黒髪の女性。とても厳格そうな顔をしている。
「ようこそ、みなさん。ホグワーツ魔法魔術学校へ」
そう言って、彼女はわたし達を招き入れた。