TS娘「これはデートじゃない。あいつに復讐するための作戦だ」 作:負け犬ぅ
昔から私たちの親は家にいることのほうが少ない。2人とも仕事が忙しいらしく、海外に長期的な出張ということも珍しくない。
連絡すれば欲しいものは大体買って貰えた。教育のための出資は惜しみなくしてもらっている。
しかし愛は感じない。両親にとって親の責任を果たすことは交流ではなく金銭面での援助で、ただそれをこなしているだけという風にしか私は思えなかった。家族での温かい思い出というのも皆無に等しい。
私は諦めた。この親から愛が与えられることはないと疾うの昔に見切りをつけた。
ただ、兄は違う。兄は必死にアピールをした。勉強も運動も必死にしていたし、学校ではどんな些細なルールをも守る優等生だった。だからそんな兄が私のことを助けるのはアピールの一環だったんだと思う。
立派なお兄ちゃんだと褒めて欲しかったのだろう。
兄は私が同級生からちょっとしたイジワルをされただけで庇いに来てくれたし、勉強も教えてくれたし、風邪をひいた時は看病もしてくれた。兄の目に私が映っていないことはわかっていた。私という道具を使って両親の関心を引きたいだけで、本質的に親と同じく私を愛することの無い人間だとわかっていたはずだ。
それでも一番身近にいる家族だ。ずっと一緒にいてくれた唯一の家族だった。私に対する行為が打算的で計算されたものだとしても、私を助けてくれる兄が大好きで仕方なかった。
だから見向きもしない両親に執着する兄を見る度にやるせなく感じていた
その人たちはお兄ちゃんに興味なんてないし、これから興味を持つことも絶対ないんだよ。諦めて私だけを見ればいいのに。
そんなことをずっと考えていた。
そんな最中、兄へのいじめは始まった。親へのアピールが実ることもなく、周りも敵だらけ。家では気丈に振る舞っていたが、時折辛そうな表情を見せていた。その顔を見る度、私はどうにかして兄の助けになりたいと考えて、考えて。それでも結果的に何も出来なかった。兄は何度も私を助けてくれたのに私は兄の助けになることが出来なかった。
しばらくして、兄は佐原への復讐に執着し出した。どうして兄は幸せになれなさそうな方向ばかりに向かっていくのだろうか。親から佐原へ執着が変わっただけで、私を見てくれることなんてない。そんなものたちに執着するぐらいなら、私を見て欲しかった。私と一緒にいる方がまだ幸せにしてあげられるはずだった。
けどそんなことは私には言えない。私は兄の助けになれなかった傍観者でしかなく、そんな人間が口出しなんかしていいはずがないのだから。
私が何も出来ずいる間に、兄がどんどん狂っていく。佐原に簡単に絆されて良心と憎悪の間に揺れ動く兄に、体が変わってしまって取り乱す兄に、私は何も出来ない。
いつまでも傍観者のまま、何も出来ない役立たず。
そんな自分を直視できなくて、私は機会をうかがっているだけだと何度も言い訳していた。兄に助けが必要になるまで、私が助けられるようになるまで、私はただ待っているんだと自分に言い聞かせた。
兄が引きこもった時、私は少しだけ浮かれていた。ようやく私が兄の力になれる時がきたと。私が兄を助ける番だと。
私は何度も兄に呼び掛けた。
私がいるから大丈夫だと。佐原のことなど忘れてしまえと。何度も呼び掛けた。
兄からの返答はなかった。当たり前だ。今までただただ見てきただけの傍観者に何を言われても響くはずがないのだ。私だってそんなことわかっていたはずで、今更動いても遅いなんてこともわかっていて、それでも現実を見なかった。何度も呼び掛けては、兄を助けるのは私だと妄想した。
だから佐原が家に来るのはとてもイラついた。お前に出来ることなどないと何度言っても諦めず毎日のように家にくる。私に出来ないことが加害者であるお前に出来るはずがないだろう。出来るはずがない。出来て欲しくない。
興味本位だった。一度家にあげれば満足するだろうと思った。目の前で佐原が自分の無力を感じる顔が見たかった。
「でもさ、シンヤがいないと。俺、寂しいんだよな」
加害者の分際でお前は何を言っているんだ。実際にお前は手を汚していないのかもしれない。本気で謝罪したのかもしれない。それでもお前が発端だったというのに、どうしてそんな顔が出来る。寂しいなんて言葉が言える。
嘘には見えない。見えないからこそ、私は狂ってしまいそうで仕方がなかった。
何故兄はあんな薄っぺらい言葉で扉を開けたのだろうか。私が狂ってしまったのか、この男たちが狂ってしまったのか。わからない。ただひとつ。兄を救ったのが私ではないことだけは分かった。
結局、私は一度も兄を救えていない。
そんな私が今度は兄の想い人から好かれている。兄を助けるどころか私は兄の邪魔をしてしまっている。兄が女になって男を好きになっているこの状況が認められないからといって、私が兄を邪魔するなんてことあっていいはずがないのに。
・・・・・・・
玄関先に置かれているデジタル時計にはpm5:07という文字列が表示されていた。兄の靴はない。まだ帰ってきていないのだろう。安心したせいか大きな吐息が出てしまった。
逃げるようにパン屋から飛び出した後、運動公園のベンチでうつむいていた。何も考えられなかったし、何も行動が出来なかった。思考がシャットアウトされたという感じで、何を見たとか何が聞こえたとかも全く覚えていない。気付けば夕方になっていて、帰宅をしていた。
午前中と同じようにテレビを見ると、兄に似た私の顔が反射されて映る。兄が帰ってきたときに私はどんな顔をすればいいのだろうか。
もちろんあの場に私がいたことを兄に知られてはならない。いつも通り自然に出迎えるのが一番なんだろうが、今の私にそれが出来る気はしなかった。実際に目の前で映っている表情はとてつもない悲哀を訴えてくるのだから。
デリバリーアプリでハンバーガーを頼んだ。今日は私が食事の当番だが、落ち着く時間がまだ欲しかった。頼んだ後にそういえば今日は2人ともパン屋で昼食を食べたなと後悔した。
待っている間はソファに座って時間が経つのを待った。何もせずに待った。これじゃあ公園のベンチにいたのと何も変わりがないなと感じたが、何もする気が起きなかった。
十数分経って、チャイムはなっていないのに玄関のドアが開く音がした。兄が帰ってきたのだろう。リビングのドアを開けるのを一瞬私は躊躇してしまったが、一度呼吸を挟んでからドアノブを回した。
「お兄ちゃんおかえり。」
「…ただいま」
兄はこちらに背を向けたまま小さい声で返答した。玄関先に座ったまま兄はこちらを向こうとはしない。
「どうしたの?」
我ながら白々しいと思った。私は兄に今日何があったかを知っている。それを平然と隠して、兄に語らせようとしている。自分がとても嫌いになってしまいそうだ。
しばらく待ったが、兄から返答はなかった。そして動こうともしない。
兄の後ろ姿を見つめていると、小刻みに兄が震えていることに気が着いた。
耳を澄ますと、泣き声のようなものも聞こえてきた。
「1人にしてくれ。」
震える声で兄はそう言う。しかし私はそれに従えなかった。兄と無理矢理にでも話をしたかった。弁明のチャンスを与えて欲しかった。
「お兄ちゃん…」
沈黙に耐えられなかった私はただ兄を呼んだ。私も声は震えていた。兄から見捨てられるのが怖くて、縋るような声が私の口からは出ていた。
「1人にしてくれよ」
振り向いて兄は叫んだ。怒りを顕わにして、こちらを恨むように睨みつけていた。
私が兄のこんな表情を正面から見たのは初めてだった。
兄がこっちを見ている。今、私だけを見ている。怒っていようと、悲しんでいようと、私を恨んでいようと、兄が今見ているのは私だけだった。
心臓が大きく鳴っている。苦しくはない。むしろそれが心地いい。
全身に巡る血が沸騰しているようだと感じるほどに、体温が上がっていく。
信じられないことだが、私は今興奮している。
兄のぐちゃぐちゃになった泣き顔を見て、兄の頭の中を私が今独占出来ているように感じて、どうしようもなく興奮している。
最低。最低だ私。
兄の助けになりたい、そんな妹でありたいと思っていたのに。実際の私は兄を邪魔して興奮している変態だった。
けどそれを全く悲しいと思えない。そんなことがどうでもよくなるほどに、今は目の前にいる兄の表情をずっと眺めていたい。こんな表情でもいいから兄にはずっと私を見て欲しい。
そのためならなんだってしようと思えた。