東方喧嘩雛   作:bver

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鬼の名を騙る煽り文句にお叱りを受けた文屋が寄越した苦労性の白狼天狗。
半身から固めた片腕を盾のように使い、相手を崩して一撃を叩きつける型を使う。
受け前提の性質でありながら前に出て相手から打たせることを好み、後の先を押し付けるような動きを多用する。


1. 紅葉の盾拳

「お相手願います!」

 

まだ裾野から出ない陽光が夜空を照らし始め、森が目覚めようとしている明け方のこと。

一方的に事情を語った後、丁寧に一声断って、しかし問答無用と断じるような宣言とともに白狼が駆け寄る。

慇懃無礼な奇襲に慌てて一歩引いて留めるように出された掌は、身体に先んじて進む右腕に跳ね上げられ、微かに崩れた上体に捻じ込むような拳が刺さった。

 

「ぐぅっ!」

 

流しきれずに打たれた脇腹が痛んだのか、厄神様の口から言葉にならない呻きが漏れた。

思わず下がったその目線には、覗き込むように踏み込んできた紅葉の右半身が良く見えただろう。

極近距離で拳を固め、相手の眼前にまで掲げられた右腕は急所を隠し、大盾を翳すような構えは咄嗟に打ち込む場所を惑わせる。

その一瞬の躊躇いを察したように、滑るような踏み込みとともに身体ごとぶつけるような肘打ちが鳩尾を打ち上げた。

痛みを吐き出すように折れた上体をさらに拳槌が追うところ、間一髪で体を捻り、渾身の一振りは額を掠めるだけに留まった。

初手では決めきれず、そのまま入れ替わるように回り込んだ厄神様は背後に抜けて、両者の間に一歩には遠い距離が取られた。

 

「初手で終わらせるつもりでしたが、なるほど。これも厄と言えるのでしょうか」

 

踏み込むはずだった場所に転がる小さな枝葉と、打ち下ろしの視界に紛れ込んだ赤いリボン。

不意打ちに怯まず咄嗟に体を捻り、急所を反らした技量もあれど、一瞥だけ投げて確認したその些細な不運も、少なからず紅葉の奇襲に影響を与えたことだろう。

倒れるまで続けるはずだった天狗の急襲を止めたのは、それらの想定外の邪魔の意味を探る思考からだったのか。

それとも、眼前の厄神様がふわりと踊るようにすれ違う際にくれた、紅葉の背への一押しのためだったのか。

 

(怒らせることには成功したようですが……)

 

紅葉が呟いた問いに応答は無い。

目の前で静かに佇む厄神様のどこか見下ろすような無表情は、普段の朗らかな様子も相まっていっそ震えるほどの神気を感じさせた。

いっそ明確に睨まれた方が楽に思えるほどの圧に、紅葉の背に汗が流れる。

力感無く軽く前に伸ばされ揺れる両手と、緩やかに半歩ずつ動く足並みは極自然に見えるが、しかし妙に様になっていて隙が無い。

攻め辛くはある、が――

 

「はっ!」

 

黙って様子見は性分ではない。

飛び込んで打ち合ってこその天狗の斥候。

その本分は捨て駒のように未知に向かい、千金となる情報を引き出した後に、命を拾って帰ることにある。

最も無謀で、最も価値ある役目である。

大小傷だらけの右腕に前を任せ、厄神様の視線にまっすぐ刺されるように駆けた紅葉は、慄く体を小さく縮めて突貫する。

踏み出すごとに拳一つ分ズレながらの三歩で、空に舞う深紅のリボンが触れるほどの傍まで寄った。

握手もできそうなほど近い間合いに、固める右拳が緊張する。

 

(……回った?!)

 

踏み込んだ足を止めたのは、打ってくるならここだという絶好の間合いとタイミングだった。

しかし対する厄神様はその誘いに合わせ、こんな時でも優雅にくるりと踵を返し、こちらに手を出すことなく人形のように背中を向けた。

オルゴールの上で回る人形を眺めるように。

肩透かしのような一拍と、晒されたうなじが目の前を過ぎる。

無防備な後ろ姿を前にした紅葉は、あまりの隙に、咄嗟に回ってくるであろう顔面を迎え打つように左の縦拳を出してしまった。

そして振り切ろうと伸ばした腕が当たる直前、流れるリボンの向こう側で、こちらを見下ろす厄神様と目が合った気がした。

 

「――っうぁ!」

 

湿った土を削る音に被さるように、痛みを振り切るための気合が飛ぶ。

叩きつけられて、なお跳ねるほどの衝撃に数拍意識が持っていかれ、遅れてきた痛みに覚醒した頭で紅葉は思わず叫んでいた。

無意識に、打ち付けた左肩を軸に体を転がして身を起こす。

ぐらりと体が傾ぎ、鍛えこんだはずの右腕に痺れるような熱さを感じる。

おそらく紅葉が撃ち込んだ腕の陰に隠れるように、絡ませるように返ってきたのだろう反撃は尋常な威力ではなかった。

目視できたわけではなかったが、息を呑む間もないほどの一瞬に、癖で差し込んでいた右腕がなければ顔面が無くなっていたのではないだろうか。

まだブレる視界にそこまで把握してようやく、カウンター気味に、横殴りにされたであろうことを理解した。

感触からこちらの拳は空振ったのかと察し、しかしどうやって――とまで考えてしまったのはまだ混乱していたのか。

 

土を踏む音がした。

 

ようやく意識の焦点が「今」に戻ってきた時にはすでに遅く。

厄神様の、腰溜めの拳が、鼻先まで迫っていた。

 

――

 

「……そこからの記憶はありません」

 

横たわる紅葉が、悔いるように零した。

まともに思い出せるのはたった二度の交錯。

それも一度は奇襲を捌かれ、一度は見えぬ反撃で意識を飛ばされた。

砂時計すら呆れるほどの短過ぎる邂逅では、斥候として益ある情報を得られたとはとても言えない結果だろう。

 

「いえいえ、よくやりましたよ紅葉!あなたは今回、ちゃんと不運でした!」

 

ただそれは、嗾けた当人としてはとても満足いく結果だったようだ。

包帯の隙間から覗く側だけでも沈痛な面持ちの紅葉をよそに、「ただの偶然かもしれませんが」と枕元の烏天狗が操る嬉しそうな筆は止まらない。

得られた情報は確かに少なく、しかしてその価値は千金どころか、月の姫が願ったという幻宝にも値する。

ぶつぶつと得た情報から察せられる情報を口に乗せ、上機嫌に笑う懲りない烏天狗はこれからの構想を巡らせる。

賽は投げられ、一発目から好い目が出た。

見事な橋頭保が建てられたのだ。

 

「次はどなたに試してもらいましょうか」

 

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