部位鍛錬という苦行を経た頑健な拳を多用し、輪を描くような動きから始まる大振りな一撃が特徴的。
普段は雲山と協力して闘うため一人だと少々隙が大きいが、華奢にも見えるその拳は入道と見紛うほどの威力を誇る。
「驚いた」
山裾に居座っていた朝日がようやく腰を上げ、木陰も下に落ち始める頃。
消えようとしている朝靄さえ払うような、大気を震わせる轟音と共に、歩くような速さで尼僧が進む。
振りかぶるとともに、くるりと小さな円を描いて。
そんな独特の流れから始まる一撃は、厄神様の拳とわずかにズレて正面からぶつかり、何度となく重く硬質な音を森に轟かせる。
回る拳の出所は毎回変わり、真面目で気分屋な主人に習うように、無節操で強力な暴を振るう。
何度目かの、ちょうど噛み合った拳が響かせた物騒な音声に、半歩ずつ離れた両者も思わず笑ってしまったようだ。
「厄神様、意外と鍛えてるのね。こんなに真っ向から弾かれたのは聖以来よ」
「……やりたくて、というわけではないの。ただ、厄介事も多いから」
溜息を吐く厄神様も、苦笑を浮かべる破戒僧も。
浮かべる表情に皺が混ざるのは、儘ならない日々を思ってのことなのか、打たれた体が痛むからなのか。
少々のことで音を上げるような鍛錬はしていない一輪だが、入道紛いの拳と思い切り打ち合って壊れないような力で打たれれば、苦行に親しむ修行僧といえども骨身に染みる。
それとは別に久方ぶりの気の良い殴り合いを実感して、どこか嬉しさと懐かしさも覚え、笑みがこぼれてしまうのを止められない。
己の力一杯の全力を出せる攻防は自覚するよりずっと楽しく、つい一輪の口も動いてしまうというものだろう。
「むしろ神と打ち合って壊れないんだから、そちらの方がおかしいんじゃないかしら」
「日々是鍛錬。続けていれば誰でもできることです」
「毘沙門天様も呆れてそうね」
武神もそこまでは求めていないだろうと、揶揄とともにそう呟けば、合掌を解き綺麗な笑みを浮かべた一輪の拳がくるりと回る。
綺麗な型には見えないのに、繰り返しの鍛錬が色濃く滲む。
どれだけの力で固められているのか、横から受け流そうとしてもまるで丸太でも叩いているようだった。
濁流のような勢いに押され、さらに軌道の読みづらさもあって埒外の膂力を持つ雛でも流しきれずに、既に何度か受けてしまっている。
当たった場所にずしりと残る拳は弾き飛ばすような衝撃とは違い、その万力を植え付けるかのごとく根深く、重く刺してきた。
芯から響く肩の痛みは、まだしばらく取れそうにもない。
一方の一輪も、あまり悠長にはしていられないと考えていた。
遠慮など捨て去った自身の拳を少なからず受けて、それでも真っ向から打ち合えるほどの頑強さ。
こちらの意識が飛びかねない程の威力を秘めた、振り子のような一撃。
脇腹狙いの新たな一撃は紙一重で避けられ、こちらの腕に沿わせるように体を回転させて反撃が来る。
打ち合いの中で時折挟まれるその全身を使った受け流しはまだ甘いが、しかし確実に一輪の拳の軌道を歪め、的確にこちらの力を使われていた。
(長くなるほど不利かしら)
絡め取るようなそれは、全力で振り切った腕をさらに引っ張られるような感覚も生む。
結果、鈩を踏むような崩れ方で隙をさらし、続く厄神様の一撃をもらう回数が増えてきた。
当たり所が悪いのか、鍛えた体の間隙を縫うように刺さる拳は深く急所に刺さり、やけにちょうどいい角度で臓腑を抉る。
流された先の足場が悪く衝撃を逃せなかった先の一撃で、左腕の骨も折れかけているようだ。
はっきりとした変化を感じるわけではないが、どろりと淀んだ沼にでも浸かるように、崩し方もその後の一撃も重みと嫌らしさが増してきているように思える。
別に勝つことが目的ではないが、しかし無駄に長引かせて負けを呼んでしまうのも気が悪い。
故に一輪は、歯車を変える。
「――お手並み拝見♪」
と、そんな一輪の考えを読んだわけではないだろうけれど、厄神様も意識を変える。
雑な構えから、丁寧に一発ごとに、軽く振りかぶってくるりと回す。
今までそんな予兆を分かりやすく見せていた一輪の様子が変わったのだ。
より軽快に、常にくるりくるりと回る両拳を前に晒して、祭り拍子に乗るかのように体を振ってこちらに近づいてくる。
その意味することを悟って笑みを浮かべた雛は、受けて立つように重心を前に寄せて、今までの「慣れ」を捨てた。
果たしてその切り替えに答えを見せるがごとく、岩拳の猛攻が始まった。
――
「楽しかった!」
腫れ跡だらけ傷だらけの顔で可愛らしい人形を抱えて童女のように答えた姿を見せられては、呆れるしかなかった。
神の膂力に対して防御を捨て、鍛えた体を頼りにただ全力で撃ち込みを仕掛けた尼僧も。
それに真正面から付き合って殴り合い、苦行を日常とする修行僧を打ち倒した厄神様も。
そして友の満足そうな様子を見て嬉しそうに治療を続けている地霊殿の主も。
「どうかしてますよ、貴方がた」
そんな呟きは聞こえてすらいないだろう。
どれだけ殴り、どれだけ返されたか。
それを聖に向けて晴れ晴れと語り、嬉々として傷跡を見せる一輪は思いのほか幸福そうだった。
聞こえてくる惚気のようなそれを記録しながら、そんなに飢えていたのだろうかと考えて。
確かに弾幕ではどうしても満たされない、殴り合いでこそ得られる栄養というものがあるのは一妖怪として理解できるとも思えた。
ましてや自分は鬼に率いられてきた天狗である。
力比べの楽しさは、嫌という程身に染みている。
次を考えて冷静に回る思考とは別に、自分の中で熱に充てられたように高揚する心も感じて、文屋は少し姿勢を正した。