言葉通りの鬼神の膂力を持って、型の無い野生的な、しかし自然と研鑽された明快な拳を振るう。
動き自体は分かりやすいが、力に裏打ちされた、とにかく当たるものを最短で出してくる奔放な獰猛さを捌くのは至難の業だろう。
「あの文屋には、感謝を伝えに行かないとな」
倒れた木に腰かけて不吉に笑う鬼の頭領は、満足げに腕の調子を確かめている。
最後の真っ向勝負で打ち合った際にうっすら感じた手応えは気のせいではなかったようだ。
比べ物にならないほど骨も皮もボロボロな自分の腕を、それでも誇りに思いながら、脂汗を流す厄神様も笑う。
一応私も、頑張ったのだから。
「出鱈目と、怒らないであげてね」
「もちろんだ」
これなら鬼だって殺せるだろうよ、と実に楽し気に笑う勇義は最後に満足したように息を洩らし、腰を上げた。
腕組みをして凛と背を伸ばした立ち姿はただそこにあるだけで力に溢れており、月を背にして見下ろす様がこの上なく似合っている。
無作法にも木に背中を預けて崩れるしかないこちらをじっと眺め、そして軽く手を振った。
「またやろう」
そう言って、鬼の四天王は小さな瓢箪の片方をこちらに投げ渡した。
去っていく背中は大きく、見せつけるでもなく酒をあおる姿には憧れるしかない。
圧が無くなり、音も無くなり、林間に消えた姿をただ呆けたように眺めていた耳に、かすかに烏の羽ばたきが聞こえた気がした。
そうしてようやく、すべてを吐き出すような万感の息が漏れた。
吐き出す空気が結構な痛みと共にびりびりと体を震わせて、手元の瓢箪が小さく揺れた。
「……ぷぅ」
一口含んだ美酒が痺れる体に染み渡る。
鬼好みの口当たりが強い酒、しかし火照る体を通り抜けた後味は甘く爽やかで、どこか滋味に富む。
なるほど、この酒がいつでも飲めるのであれば、鬼の医者要らずという与太話も納得できるというものだ。
少々荒れてしまった森の広場に吹く夜風を受けながら、強がりな笑顔をようやく消した厄神様はぼんやりと呟いた。
「楽し、かったぁ」
ふさがれていない片目も閉じて、傾いでしまった木に頭まで預ける。
思い出す姿は先ほどまで拳を打ち合わせていた四天王。
最初に入れた拳で何かを認められたのか、容赦なく全力で攻めてくる拳足は一つとして同じものがなく、決して綺麗ではないのに信じられない程力強いものだった。
少しだけ前のめりになったあの体制は似合っていても自然体とは言い難い。
型のない研鑽を経て、ただ衝動を抑えられないように相手にいち早く届くことを求めた姿は、まさしく臨戦態勢と呼ぶのがふさわしいのだろう。
無造作に伸ばされる腕が恐ろしい。
振りかぶることもなく最短で届いた拳がこちらを容易く吹き飛ばす。
不意に掌が追ってくる。
握手でも求めるようにふらりと広げられた手の小指にでも引っかけられようものなら、逃れられない力で引きずり倒される。
そうして微かにでも止まった相手に、十全に振りかぶった鬼神の一撃が待っている。
己の膂力を存分に生かして、指先でも触れれば手痛いお仕置きが待っている、正に鬼ごっこと化した手合わせだった。
辺りに目を向ければ、折れた木々にえぐれた地面、割り砕かれた岩石の欠片がそこかしこに転がっている。
騒がしい見た目に反して風に揺れる梢の音以外は静かなものだ。
獣や虫の区別なく、周りの生き物全てがまだ息を殺しているようで。
脅威が去ったことを分かっている自分だけが、静かな夜に、呑気に敗者の美酒を楽しんでいた。
「最後のあれは、……何だったのかしら」
一歩目で逃れられないことが分かった。
二歩目で迎え撃つ覚悟を決めた。
三歩目で全力を込めた拳は、大きな何かに飲み込まれて、そこからしばらく記憶がない。
自分史上で最高の拳だったはずだ。
何が起こるかを伝えられて、ご丁寧に前拍子まで取られていたとはいえ、咄嗟に出せた反撃としては理想的で、かつてない程に力に満ちていたと思う。
あんなに自分らしく、綺麗な拳が出せたのは何故だったのか。
力の流れがまだ半身に記憶として残っているようで、それが鬼の酒精の熱さとは別に、未だ体を火照らせている。
思い出すたび、見るも無残な様子になっている腕にも無意識に力が入ってしまい、激痛に悶えてしまったほどだ。
(できればもう一度)
そんな贅沢な願いがすでに肯定されていることが有難い。
厄神と拳を合わせるという危険に関わらず喧嘩してくれた皆に、感謝を洩らす。
厄神と次の約束をするという愚行に構わず求めてくれる皆に、祈りを捧げる。
そして、一番は――。
「……貴方に」
そばに落ちていた烏羽を見やり、微笑む顔は意識せずとも綻んでいた。
その顔を見ても、いつも悲し気に笑う厄神様だとは分からないかもしれない。
それほどに珍しい、楽し気で、心底から幸福そうな笑顔だった。
軽率な文屋の飛ばし記事は、思いがけず、寂しがり屋の一人の神様を救っていた。
――
「……さすがに疲れましたね」
一息つくようにさっぱりと、言葉が出た。
川辺に腰を下ろし、水流に任せた足はさらさらと揺れながらよく冷えている。
その涼感は心地よく、痛んで熱を持つ節々も、山から下りてくる風に吹かれているとむしろ心地よいくらいだ。
山の晩夏の始まりは、文字通りの羽休めに最適と言っていいだろう。
傍らには丸めた新聞が置いてあり、何度も方々に見せて回った紙面には少し皺が寄ってしまっていた。
――四天王も認めた厄神様の拳。
一面にはそんな派手な見出しが躍っている。
隣には近年の中でもベストショットだと自賛できる、小瓢箪を投げ渡した瞬間の写真が大きく飾られていた。
盛り上がったままの勇義様の取材には苦労したものだが、その代わりにいい記事にはなったように思う。
この短い間に、「勝手なことを」と上司に詰められ、「出鱈目なら許さんぞ」と鬼の方々には集られ、「ちょっと来い」と出くわした喧嘩好き共にも大層因縁を付けられた。
直近の遭いたくない人に遭う確率が、どう考えてもおかしい気はしている。
おかげでこのところ生傷が絶えず、愛用のカメラも幾度となく壊れ、売り上げだって乱高下と言えたら良いくらいだ。
しかしまぁ、そのくらいなら良いか、と思えてしまっているのも事実である。
自身が書いた新聞を手に取って、広げてみる。
「……良く撮れてます」
かつては悪評を広めてしまったこともある。
隣人として、記者として聞かれて、関わらないように勧めたことも多い。
しょうがないと、あの方自体は悪くないのだと、優しさを被せた排斥を伝えて遠ざけたのも自分だった。
本質的には正しいことだろう。
触れると不幸になるのは本当のことなのだ。
関わらないことで少なからず、不幸になる人が減ったことも事実だ。
ただ、職業柄とは言えど大袈裟にそれを広めてしまったことは、本当に「良いこと」だったのだろうか。
どの写真にも穏やかな笑みで撮られている優しい神様を見ていると、どうしても考えてしまう。
不幸なマッチポンプにならないためには、どうしたらいいのだろう。
少なくない厄の影響をそのまま書いてしまえば、それは排斥と変わらない結果になるかもしれない。
逆に大したことが無いと伝えてしまうのも、また不幸になる人を増やしてしまうかもしれない。
嘘も真も書ける立場として、この笑顔を絶やさないためには、厄神様を何と表現すべきか。
「苦手だなー」
増えるのは取り消しの二本線ばかり。
既に真っ黒になるほど書き直した手帳に、今日も筆は捗らないままだった。