強固な体幹と神の膂力を持って全身を躍動させる、どこか晴れやかな技を扱う。
相手に合わせて真っ向から向かい合い、時に踊らせるように滔々と舞う姿は、厄に似合わず美しい。
「最近見ない?どこいったんだろうね」
その内ひょっこり出てくるでしょう。
そう言って、あまり気にした様子もなく機械いじりに戻る河童に、少々呆気に取られてしまった。
考えてみれば、河童にはあまり関係のない盛り上がりだっただろう。
相撲でもないのに、誰が強いだのという記事を読むはずもなかったか。
多少不満に思うことはあれど、そういえばと呟かれた今作っている通信機の仕組みに、筆が乗って話題が移る。
速度を貴ぶ記者連中にとって大規模な通信網は毒にも薬にもなりうる代物だろう。
よくよく話を聞き、要望やら目指す形で口論するうちに結局半日工房に籠ることになってしまった。
良い取材が出来たと笑う帰り道で、共感されなかった疑問への違和感が一つ積もった。
――
「厄神様が居ない?良いことじゃないか」
思わず言葉にしてしまったのだろう。
不敬な自覚があったのか、口ごもる様子はどこか気まずげだ。
いや、話相手の眉根でも見て、ようやく自分の中の不躾な悪意に気付いたのかもしれない。
「……あまり人前に出るような方でもないだろう」
慌てて付け加えた同僚の記者にそう言われてしまえば、「そうだ」としか返しようがない。
結局違和感を感じている理由までは説明できず、話題はすぐに次の大仕事の内容に逸れてしまった。
そうして逸れてしまった後で、降り積もった気付きに悲嘆する。
――無意識に目を逸らす――
それが長年培われてきた厄神様への自然な対応なのだと、射命丸はようやく実感してきている。
同僚だけではない、普段であれば多かれ少なかれ気遣いをくれるような、他の誰に聞いても同じだった。
敬い、しかし遠ざける。
見ないように、触れないように、聞かないように。
意識せず、気にしないようにして、忘れてしまうのが一番の対処法だと。
「なんという……」
呻くような呟きに怪訝な顔をされたが、何でもないと流すしかなかった。
口に出すのを憚るだけで、こんなにもあっさりと人は居なくなれるものなのか。
居なくなったことを気にされなくなるのか。
最も恐ろしいのは、おそらくあの方自身がこの状況を形作り、望んでいることだろう。
在り方こそが重要な妖怪の端くれとして、射命丸の背中にはじっとりと嫌な汗が滲んでいた。
――
「"厄神様が書かれた"新聞で小火が起きた」
咄嗟に口元を手で隠してしまった射命丸は、どんな顔をしていたのだろうか。
時折あることだと何でもないように受け止められただろうか。
それとも、あまりに悪意の向く先が分かりやすい枕詞に、不快感を顔に出してしまっていただろうか。
偏見なく向き合えるようにと修正に修正を重ねた原稿から、読まれるまでもなく厄が出たという理不尽な嚙み合わせに憤ってしまっていただろうか。
--当然だ。
--それくらい起こるだろう。
--やはり触れると良くないものを招く。
--皆も気を付けるように。
誰ともない囁きと、ひどく雑な注意が机上に溢れる。
聞えよがしな嘲笑は多かれど、持ち主の不注意を疑う声は見当たらない。
決めつけか理由付けか、真偽を調べる気もないそれらに、しかし一々反論を返すのは躊躇われたのだろう。
射命丸は静かに目を伏せ、終わりかけていた会議から先に離れて、自分の仕事に戻ることにした。
――
誰もいない廊下に響く高下駄は、まだかすかに届く声をかき消すように鋭い音を立てている。
徐々に遠くなって消えたざわめきに代わるように、最後に聞いたあの方の声が思い出された。
「私も一つの流し雛。あるべき姿に戻ろうと思います」
頭領との激戦を終えて、鬼との関係に一区切りがついた少し後。
時間を置いて取材に赴き、想定よりもずっと長く続いた騒動について話した結びに「今後は」と問いかけた。
続きが期待されていることを知っている。
再戦を望まれていることも聞いている。
しかし厄神様の答えはそのいずれでもなく、畏まった言葉で「ただあるべき姿に」と伝える簡素なものだった。
少しの疑問は浮かんだが、微笑みを絶やさず朗らかに返されたことで、厄神様にとっても幸せな未来が続くのだと、それは望ましいものなのだと受け取ってしまった。
――厄を背負って姿を消す――
それが『流し雛』だと気付いた時には、ようやく見慣れた穏やかな笑顔はどこにも見当たらなくなっていた。
確かにこれが厄神様の望んだ形なのかもしれない。
ゆっくりと、日常は以前の様子に戻ってきていた。
関わり過ぎたことで増えた厄が流されて、郷の不幸は明らかに減ってきている。
不幸が減れば、厄を意識することもなく、それを司る存在も徐々に薄れていく。
今回のような厄神様を『理由』としやすい小さな災いが起これば、さらにその敬遠と忘却は加速していくだろう。
自分が居ないことこそが幸福だと、一番理解しているのは厄神様自身なのだ。
あの優しい神様にとって、周りの不幸で自分が蜜を得ても、少しも嬉しいものではないのだ。
誰に聞いてもあの方は、手合わせの中で起きた不幸を詫び、勝利したことを喜んではいなかったのだから。
「遠慮なく喧嘩を吹っ掛けたことには、驚くほど感謝をされていましたが」
だからこそ最後に質問をした時、あの方だけは、これから訪れる自分が居ない未来を見て微笑んでいたのだろう。
こうなってしまってはどれだけ記事に起こしても意味が無い。
薄れることが、忘れられることが望みなのに、それを邪魔するわけにもいかない。
中途半端に書いてしまえば、またこじつけに変えられて悪評だけが広まってしまうだろう。
であるならば、今、この騒動を嗾けた当人として何をすべきなのか。
「よお、文屋」
唐突に、朝霧に紛れて現れた双角の鬼が陽気に笑う。
不躾な誘いになってしまったかもしれないが、もう一人の四天王も答えてくれたようだ。
情報を求められて、可能であれば来訪を、と願っていたのだ。
丁寧に詫びを入れ、場所を変えましょうと提案して共に歩き出す。
道行ついでに愚痴のように語られたのは、最近挑まれることが増えたと聞く勇義様のことだった。
萃香様も気になるものだったのか、たびたび見かけていたらしい。
単に酒に釣られた馬鹿者もいれば、我こそ認められようと力比べを求める強者もいる。
未だ勇義の本気を引き出した挑戦者はおらず、証代わりの小瓢箪もそれほど減っていないというが、そうであってもあまり気にした様子はなく、最近は常に機嫌が良いのだと萃香様は呆れていた。
折に触れて、良い拳がここに残っているのだと、自慢げに右腕を翳してくるそうだ。
「で、いつ帰ってくるんだい?」
私もそんな思い出すだけで楽しめる喧嘩がしたいと、待ちきれないと猛るように鎖が鳴る。
「おそらくですが、冬の始まりあたりではないかと」
水を差すようで申し訳ないと、自らも残念そうに過去の記録を調べた際の予測を告げる。
案の定、悲鳴のような溜め息が零れた。
冬になるまで散々擦られるじゃないか、鬼のくせに女々しい奴め、くそ羨ましい、何が証の酒だ、私にもよこせ。
やってられるかとばかりに小鬼の手が自分の紫瓢箪に伸びる。
滝のように隣から漏れてくる愚痴を聞きながら、射命丸は意図してゆっくりと、小さく笑った。
まるで当時の光景を、鮮明に思い出したかのように。
「勇義様が語られるのも仕方がないでしょう。鬼神の奥義に真っ向から立ち向かう、本当に美しい拳でしたから……」
今まさに放たれようという奥義を前にした極限の緊張をも掻き消すような。
すっかり怯えていた背筋が溢れる程の歓喜に震えるような。
どのように例えたらよいのか、と悩むように呟いて、歩みを止めた萃香様に憐れみを込めた笑顔のまま振り返る。
「残念です。見せて差し上げられたら良かったのですが……。不覚にも、撮り損ねてしまいました」
被写体に見惚れてしまうとは、私もまだまだ未熟でした、と頬を掻く。
「いやあ、萃香様ならば一目見るだけで分かったでしょうに」
と、そんな慇懃無礼を言い切ろうとして、潰されそうな肩の痛みに止められた。
ギラついた瞳には滾るほどの怒りが燃えている。
「あやや!落ち着いてください、萃香様」
私に当たっても写真は出てきませんよ、と赤らんだ顔を左手に持った団扇で扇いで差し上げる。
そうだ、忘れさせてなどやるものか。
せめてこの喧嘩屋たちだけには、決して目を逸らさせないように。
災いでしか思いだされなかった厄神様がもう一つ、その鍛えられた武で思い起こされるように。
この火を絶やしてはならない。
煽って煽って、厄神様が帰ってきた時に「おかえり」と拳で迎えてくれる相手を増やしておこう。
そうすればまた、あの穏やかな笑顔がたくさん見られるだろうから。