TSよわよわVtuberはバズっても外には出ません ~かわいくなったら余計他人が怖くなったんだけど!~ 作:あずももも
【ひよりママが駆けつけるって!?】
【ひより「ごめんなさい、私は距離的に無理なんです」】
【距離!?】
【てことはやっぱリアルの知り合い】
【友達ならなんとかしたげてぇぇぇ】
【ひより「知り合いでは、ありません」】
【ひより「友達でも、ありません」】
【ひより「でも」】
【ひより「友達に、なりたいです」】
【ひより「私たちは、助けたいんです……だから」】
【大丈夫 ひよりちゃん先生の言う通り、みんな落ち着いて】
【これが落ち着いていられるか!?】
【こんなこともあろうかと、すでに動き始めてるんだ】
【何がだよ!?】
【「こはねちゃん介護班」が、動いている】
【救助は、向かっています】
【最良の到着時刻まで、あと24分です】
【!?】
【まて、このアカウントは……古参の?】
【え? え?】
【なんでも良いから早くこはねちゃん助けたげてぇぇぇぇ】
【任せろ】
【任せてください】
【任せてね】
【通達です 「プラン12-8のC」――開始】
【つきましては、皆様にもご協力をお願いしたく】
【こはねちゃんの顔バレを、可能な限りに隠蔽するために――――――――】
◇
授業を受けていた優花の手先に、スマホの振動が伝わる。
彼女は周囲へ素早く目をやり、一瞬の隙を突いてロック画面に表示された【作戦コード】を読み取る。
「………………………………っ」
思わずで、衝動で、すぐにでも駆けつけたい気持ちが彼女を支配する。
「――――――ふ――っ……」
――それを数秒間かけ、飲み込む。
息を、吐き出す。
「兄」が、フラッシュバックしていると確定したから。
「妹」は、それを止めに行かなければならないから。
大丈夫。
「みんな」とたくさんの可能性を考えて、話し合った。
「このプランの場合、もっとも最短で学校を離れられる方法」は――
「――――先生」
すっ。
――どんなときでも、優雅に。
「小さいとき、兄に褒められた」雰囲気を崩さず、そっと腕を上げる。
「おや、綾瀬さん? 珍しいですね、何か質問が――」
成績はトップクラス、容姿はトップ――受験の用意はしているが、たとえ当日に熱を出していてもほぼ確実に志望の大学には受かるし、そもそも教師たちからの満場一致で志望の大学へも推薦が見込まれている、綾瀬優花。
「優等生」という言葉が負ける、教師たちからも認められた女子学生。
全てを持てる彼女は教師への言葉づかいや交友関係も完璧で、非の打ち所がなく。
これまでどの授業も真面目に受け――3年になった今は試験を除き、どの時間もその教科の自主学習でさらに成績を伸ばし、志望校への可能性を高めている姿がさらに好印象だった彼女を見た教師は――自分の目を疑った。
「今日は、早退致します」
授業中に立ち上がった彼女が――ひとこと、確定事項を述べると――優雅な手つきで、教科書やノートを収納している。
これは……どう見ても今から帰ろうとしている!
――今まで一度も問題行動を起こさないどころか、本人が望めば生徒会長も確実だったのを「家族のために早く帰らなければならない」という理由で全校生徒が泣く泣く諦めた彼女が、一体何を?
教師は考え――ひとつの結論に至った。
「綾瀬さん、具合でも悪いのですか? すぐに保健室……いえ、救急車を!」
優等生だが、年に数日程度は風邪で休む彼女。
校則を生真面目に守るだけではなく、「3年間の皆勤賞もほしいですけど、無理してまで得るものではないと、兄に諭されましたから」と言っていた彼女。
そんな彼女の突然の行動に、思考の追いつかない同級生たちは――声を出すことができずに、ただただ口を開けてぼけーっとしている。
それもそのはず、少なくともこの高校の2年と数ヶ月の間、彼女は1度たりとも「模範的でない行動」をしたことがないから。
「申し訳ありません。――家族が。家族が、急病と連絡が入りました。家に1番近いのが私ですので、このまま帰ります」
肩にそっと鞄を掛けた彼女が、崩さない優雅さで一礼をする。
「わ、分かりました。担任の先生へは私から報告しておきます。教員室へ行く必要はありません、このまますぐ下校してください」
「ありがとうございます。この先の授業は、友人からノートを」
――ばっ。
全女子から一斉に手が上がる。
「……ふふ、みなさんから少しずつ写させてもらいます」
「構いませんよ。どうせ私の授業も、綾瀬さんにはもう退屈でしょう?」
こんなときにでも真面目――もう内申点など心配する必要もないのに。
でも、真面目なのが彼女だから。
しかし成る程、家族。
急病。
「それなら優等生でしかない綾瀬さんの行動に矛盾しない」。
教師はそう解釈し、生徒たちもそう解釈した。
本来なら家族へ連絡をした上で担任の教師が許可を出すべきだが、今は不要だろうと。
急病であっても、取り乱すような事態ではない。
だから自分たちは、笑顔で送り出すべきだ。
彼らは――優花以外の人間は、そう判断した。
人は、見たいものしか見ないのだから。
「どちらの病院で? 事務の方からタクシーの手配を」
「いえ、ご心配なく」
優花は――校則に反しないぎりぎりまで伸ばしていたら校則ごと改正され、背中を覆うほどになった艶やかな黒髪をさらりとカーテンのように翻しながら一礼をし、教師と生徒たちの何度目かの恋を奪った。
「――『知人』が、迎えに来てくれますので」
◇
「……本当に呼ばなくていいのかい? 急ぎなんだろう?」
守衛室に居た老人――他の教師たちに見とがめられない限りには遅刻もこっそり見逃してくれるため、生徒たちからは「仏」と呼ばれている彼は、優等生と名高い少女が校門前でじっと立ち始めたのを見かねて声をかける。
聞けば、家族が急病とのこと。
きっと心配で仕方がないだろう。
だが、
「はい、ありがとうございます。でも大丈夫です」
毎朝の挨拶のように――男子たちがされるたびに恋をする笑顔を向けながら一礼をした優花は、やんわりと拒絶。
「だって――ほら」
彼女がゆっくりと差し出した手の先には、
――すぅっ。
タイヤの音もエンジンの音も一切させず、黒塗りのリムジンが校門前へ――優花のすぐ前へ滑り込んできた。
「迎えが、来ましたので。では、失礼します」
「お、おう……気をつけてなぁ……」
――見た目通りだとは思っていたが、まさか本物のお嬢様だったとは。
その車から出てきた執事風の男性から社内に案内される彼女を見た守衛は、「望めば普段からこの車で送迎してもらえるところを、毎朝電車と徒歩で通ってくる良い子だ」と感心し直した。
◇
「おい……見たか!?」
「ああ……!」
「どうしよう、綾瀬様が本当にお嬢様だったなんて……!」
「立ち振る舞いから尋常ではないと思っていたが……」
「いつも電車で通ってきていらっしゃるのに……」
「でも、なんで近くにあるお嬢様学校じゃなく、うちの高校なんだろうな?」
「あ、聞いたことある! 先輩がね、昔、綾瀬様のお兄様が……」
そんな話は次の休み時間には、全校に広まり――尾ひれが何重にも着き、以後、優花がどれだけ否定しようとも事実として認定された。
◇
「……ありがとうございます」
「気にしなくて良いわよ! こはねきゅんのお姉さまだもの!」
「あの……いえ、妹なんですけど……」
「もう! ムィスコードで聞いたから知ってるって! かわいいかわいいショタっ子だったって!」
「いえ……私より7つ上ですので……その……」
「? 今は大人でも昔はショタっ子だったのは事実だし、私にとってショタならそれはもうショタなのよ? ショタとはリアルと想像の中に確定する存在なの。それを否定しないでほしいわ」
「そ、そうですか……」
静かなリムジンの中。
迎えた優花の対面に座っていた女性――スーツを着こなした、20代の女性。
髪が外に跳ねている――くせっ毛なのだろう、それを活かした敏腕女社長とでも表現できそうな外見の彼女はしかし、
「それで、ひとつだけ教えて」
「はい」
鋭い眼光。
さぞかし商談相手を翻弄してきたであろう、美人が故にすくみ上がる瞳が優花を見つめる。
「……こはねきゅんの、ショ、ショタ時代の写真とかって……!」
「あー……はい……。お世話になりますし、今度探しておきます……」
――残念なことに、極度のショタコンだったらしい。
ならば、彼女の自室のコレクションが役に立つはずだ。
「で、でも、今の兄は」
「良いの! 今がどうなっていても、ショタ時代のこはねきゅんが1枚居るだけで1ヶ月は余裕よ! できればひざ小僧が見えていると捗るわ!」
「……肉親ですので、その……あまり過激なことは」
「大丈夫! 私、妄想で満足するタイプだから!」
「はぁ……」
――古参だからと、協力的だからお願いしたけど……この人、大丈夫なのかしら。
「身分証交換」の後のやりとりで、どこぞの会社を切り盛りしている――事情が複雑らしいが、とにかく女社長というやり手なはずの彼女。
「それに、秘密は守るわ! 守るから言えないけど、もう1人2人追っかけてるアイドルの子が居てね……ぐへへ、ハルきゅんとユズきゅんって言うんだけどね、私、『姉御』って呼び名でショタっ子の布教に改宗、自前のサーバーで……」
――………………………………。
頼る相手を、間違えたかしら……。
優花は、ちょっぴり後悔した。
◇
「あちゃー……やっぱこの道は混むかぁ……」
「そう、ですね……」
「ここまでは介護班の協力で信号操作してもらってたけど……合流じゃあねぇ」
「え、ええ……そちら方面の方がしてくださいましたけど……」
「こはねきゅん、愛されてるからねぇ」
「あ、あはは……」
自分より年上で、聞けば会社で若いながらに昇進を重ね。
――「とある事件」で一気に社長クラスの待遇になり、そして今やほぼ社長のようなシンデレラストーリー……を、「10歳前後のショタっ子がいかにかわいいか」を語られる代わりに引き出した優花は、それなりの時間、大切なはずの兄のことすら忘れてへとへとになっていた。
――傷も埃もひとつとしてない、不気味な黒塗りのリムジン。
運転手の執事風の男性は必要な情報以外は耳にしていない風を装って寡黙を貫く、いぶし銀。
リムジン――サイズとしては小回りの利くようにしたかったらしく、見た目に反して全長は普通の車の1.5倍ほどらしいと――「ジト目ショタもピュアショタもすばらしい」という頭痛がひどくなる話の代わりに聞き出した――とあって、ほとんどの車は距離を置いている。
それでも前方の車列には効果はなく、そもそもとして信号待ちと路駐での渋滞だ、いくら幹線道路を堂々と走っていたリムジンであっても、この3分ほどじりじりとしか動かなくなっていた。
「……ありがとうございます。ここまで来れば、後は……」
「いやぁ、こんだけショタっ子について議論できたのは嬉しかったよ優花ちゃん……それとも優花お姉ちゃん?」
「年上の方、それもお世話になる方にそう言われるのは……その、兄の幼いころの話への関心もありますので、できれば控えていただけますと……」
幼かった兄の写真とエピソードで「結婚したい」「養いたい」「着せたい」「産みたい」などと恐ろしすぎる感想を漏らしていたショタコンのことを、この瞬間も手助けしてくれてはいても危険視している優花は、ひくついてきた口元を必死に動かして笑顔を作り出していた。
――ブォォォー……キッ。
窓がスモーク仕様になっているため細かくは見えないが、渋滞に巻き込まれたライダーが隣に止まったらしい。
――こんこん。
そんなライダー――ライダースーツは豊満な女性の肉体を映していた――は、なぜか車の窓を叩いてきた。
「……煽り運転? こんなときに……」
「あはっ、だいじょーぶよ優花ちゃん」
手をひらひらとさせ、ずずっとよだれを吸い上げた「姉御」は――がちゃり。
「!?」
窓を下げ――ドアを無造作に開放。
「あ、あのっ、喧嘩は――――――――」
「おーっす! ここがショタコンちゃんのハウス?」
「ありがとー! ほら、この子が義姉様よ! 崇めなさい!」
「ははーっ! こはねちゃんのお姉様ー!」
喧嘩腰でしかない動作からの、ノーモーションの友好的な会話。
あと、よく分からない言葉や言葉に含まれた拒否したい意味合い。
それに戸惑いつつも、優花はフルフェイスのヘルメットを――よく見れば全身のプロテクティブウェアが赤と黒の派手なもので、ついでに胸元もひとつひとつが優花の頭くらいに派手だった。
ばいんばいんだった。
「……? ……!?」
車内をのぞき込むためか、ちょうど入り口に座っていた彼女の目線にぶるんぶるんと震えるスイカ並みの物体に、目を白黒させる優花。
同級生にも豊満なバストを持つ女子は居るが、高校生から大学生、社会人へとより「女」らしくなった魅力に――高校生の優花は、同じ女であっても戸惑うしかない。
「あ、ごめんごめん、シールド下げたままだったわー」
――しゅこっ。
優花の怯えと恐怖――目の前で揺れるふたつのたわわへのもの――を含んだ顔を反射していたシールドが上げられ、その下には――
「……女の人……あ、いただいた免許証の……確か、大手のVTuberもされている――」
「ハナシはあと。ほら、このヘルメット使ってっ」
「どのみち、君たちの家の前までこの車はちょっとねって話してたから、交代よん。あの近く、狭い一通が多いのよ」
「あー、私も大型二輪取ろうかしらぁ……あ、でもそれだとショタ論議ができないから却下ね」
ぽんっ、と投げられ、反射的に受け取ったヘルメットを抱える優花は、未だ状況が飲み込めずにいるが――彼女の腕は動き、すでにそれを頭にかぶせていた。
◇
「大丈夫ー? 怖くないー?」
「怖い……ですが、今は……!」
「りょーかい。『こはねちゃん』のために捕まらない程度にかっ飛ばすからねー! 大丈夫、高校の時から乗ってるけど交通ルールだけは生真面目に守ってるからさー!」
軽いエンジン音が響く、細い路地。
確かに運転は――優花が想像していたよりも、ずっと穏やかだった。
「念のために聞くけど、お医者様とか救急車とか、本当に良いのねー?」
「はい。あれほどのパニックは……恐らくは初めてですけど、家族の誰かが視界に入れば。もしもの場合の緊急薬もいただいていますので、家にたどり着けたなら……通院している病院と先生にも、すでに連絡済みです」
「そっかー。……自傷してるっぽいから心配だなー」
「……兄は抱え込んで、何でも自責にしてしまう……悪い癖があるので。たとえ兄自身が発端の出来事でなくても、他人が悪かったとしても……全て、自分のせいだと。そう、思い込んでしまうように」
「だよねー。そんな『彼』の言葉で、私も立ち直れたんだけど……今思えば、やっぱ私の分も背負わせちゃったのかなって」
「え……?」
右に左にと忙しく、直線ではかなり飛ばしている大型のバイク。
その後ろに――豊満な胸元の分がえぐれたかのような、彼女のそれよりも細い腰をつかまされている優花は、安全運転と分かっていても気もそぞろになっていて……彼女の、ふと呟くような言葉を聴き逃した。
「あの、済みません、風とエンジンの音で聞き取れなくて」
「……なんでもなーい! 次、右に曲がるからねー」
平日の昼間、住宅街。
今の時代はそれなりに室内に棲息する住人たちが顔をしかめるのもお構いなしに、彼女たちは疾走していった。
◇
「あ゛ぁぁぁぁー……あ゛ぁぁぁーん……」
いたい。
つかれた。
きもちわるい。
「え゛ぇっ……ぇーん……」
またうぇってなった。
でも、もうなんにもでない。
くるしい。
もう、やなんだ。
【たすけて】
【こころがつぶれてる】
【しにそう】
【映画のかわいそうなシーンをエンドレスで観てる感覚】
【わかる】
【辛いシーンも、終わりがあるって分かってるからこそ楽しめるんであって】
【おろろろろ】
【映画とかドラマとかはね、作り物って分かってるからこそろろろろろ】
【フィクションはフィクションだから楽しめろろろろ】
【あああああああ!!!】
【じんましんでてきた】
【はいた】
【不整脈が】
【やばい、トラウマが】
【↑自分を大事にしてね】
【やさしい】
【こんな大惨事でも見続けてる視聴者たちだからね】
【けど、こはねちゃんはこんなもんじゃないっていうね……】
【病院勤務だからこういう光景何回も見てきたけど慣れないわ こはねちゃん自身が死ぬわけじゃない……よね?】
【そうだと信じるしかない】
【介護班とやら……早く】
【心臓がいたい】
【↑リラックスしろ こはねちゃんはお前が苦しんだら余計に苦しむタイプだぞ】
【俺たちが見ているから休め せめてミュートにして5分くらいは目を閉じてろ】
【やさしい】
【ストレスってね、伝染するからね】
【ペットですら主人の悲しみを嗅ぎ取ってすっごいストレスっていうし】
【人が泣いたりしてる場面って伝聞でも辛くなるからなぁ】
【気が気じゃないのは分かるけど、お前らもミュートにして息抜きしてな】
【疲れたからか自傷自体はだいぶ収まっている……持久戦だ、ほどほどにな】
【葬儀関係だから、泣き叫んでる人を見るしかないこのやるせなさは分かる でもこはねちゃん、命だけは……幼い子供のそれは、それを見届けなきゃいけないご家族のはな……ほんと、働いてるこっちも辛いんだ】
【やばい、ペットを看取ったときのこと思い出してきた……】
【じいちゃんばあちゃんの最期も……】
【あああああ!!!(トラウマ発動】
【生老病死……それは、誰にでも平等に訪れる苦役……】
【視聴者たちも発狂している】
【かわいそうに……】
【これ、ほんとにどうしたらいいのぉ……?】
【さっき、介護班とやらが何か言ってたが】
【それ以降は一切何も……】
【もうだめだ……】
【おしまいだぁ……】
【「こはねちゃん介護班」より通達】
【ミッション……コンプリート】
【目標は、達成しました】
【は?】
【??】
【なにいってんだこいつら】
【ミッション? そんなことよりこはねちゃんを――】
――――――――ばたんっ。
「あ゛ぁぁぁぁーん……」
なにかきこえた。
でも、ぼくはもううごけないんだ。
【!?】
【!?】
【!?】
【!?】
【!?】
【!?】
【ドアの音!?】
【びっくりして心臓が止まった】
【↑生き返って】
【↑今良いとこだぞ! 戻ってこい!】
【草】
【待て、何か動きが】
【こはねちゃんのすすり泣き聞くために最大音量にしてたおかげで廊下の足音が】
【草】
【家族か!?】
【良かった……良かった……】
【あ でも、これ、こはねちゃんのご家族が画角に――――】
◇
「あ゛――――……」
僕は、ただただ泣いていた。
体の周りにはティッシュの山。
途中までは涙と鼻水でずびずびになってた服が、今さらに気になったから。
そういえばさっき、ラックを倒したときにびっくりして漏らしちゃって、おまた周りが気持ち悪い。
うずくまって泣いてる途中で吐いちゃって、シーツもその下も汚れちゃって、臭くて気持ち悪い。
でも、もうダメだ。
僕はもう、取り返しの付かないことを――――
――――ばんっ。
「!?」
びくっ。
「ひぅっ……?」
突然の音に、体が跳ねる。
理解できない事象に、一瞬だけ体が動きを停止する。
動物的な本能として、何があったのかを五感で嗅ぎ取るための本能。
【草】
【草】
【かわいい】
【かわいい】
【急にかわいくなった】
【一瞬で泣きやんだ】
【きょとんとしてる】
【かわいい】
【泣きやんだ!!!】
【感動した】
【もしかして:猫だまし】
【あー】
【あー】
【ギャン泣きしてる子供でも、完全に不意打ちな音とかで一瞬でも泣きやむからな】
【一瞬だけだけど、その一瞬で気を引けるんだ】
【なるほど】
【かしこい】
【あ、でもやっば、ドアの足元に誰かの足が……スカート……?】
【靴を履いたまま……脱ぐ手間も投げ捨てて駆けつけてくれた?】
「はぁっ、はぁっ……」
僕は何が何だか分からないままに、開けられたドアの先の姿を――見上げる。
「……ゆぅ、かぁ……?」
「――こはね、さん」
【お姉ちゃん!?】
【妹ちゃんでは?】
【※身長差】
【※声の年齢差】
【※清楚さ】
【※かわいさ……は身長のせいで見えないけど、絶世の美人さんだってこはねちゃんが言ってました】
【※こはねちゃんのお姉ちゃんなら……遺伝子的にやべえぞ】
【※声がハスキーっぽい?くてかわいい】
【↑分かる】
【↑ささやかれたいよね】
【↑分かる】
【草】
【草】
【これはまさか……】
【あのお人では……!?】
【先ほど早退されたのは、まさか……】
【くわしく】
【ステイ】
【リアル知人はお口チャックだぞ】
【そうだぞ、妹ちゃん?お姉ちゃん?のことを思うならな】
【情報って知り合いから漏れるものだからな……書き込むんじゃないぞ】
どさっ。
鞄を――ああそうだった、高校に入ったとき、新しい鞄も見せてもらったっけ――床に落とした優花かもしれない人が、部屋の入り口まできて――足を止める。
「うぇ……」
なんで?
「えぇぇぇ……」
なんで入ってきてくれないの?
「あ……」
――違う。
優花は――僕を見ながら、目を見開きながら、泣いている。
僕を見て、手を伸ばしかけて――でも。
つま先が、ドアのフチから踏み出そうとして、止まっている。
入れない。
――そうだ。
僕が、僕が入るなって言ってきたから。
でも、こわい。
こわいんだ。
だから――――――――僕は、脚に残った力を、全部こめて立ち上がって、
【!!!!!】
【こはねちゃんが……!】
【立った!】
【こはねちゃんが立ったぞ!】
【感動した】
「んしょ……んしょ……っ」
転ばないようにベッドから降りて、
【あとちょっとだ】
【がんばれ】
【あの、なんで下はいてない……】
【!?】
【ぎ、ぎり見えなかったからセーフ……?】
【暗いからセーフ! どっちでもセーフ!!】
【BANされるようなこと言わないで!!】
【草】
【もしや、パーカーしか着てない……?】
【おい、そんなことよりこはねちゃんが――】
ぽて、ぽて。
足元に散乱したいろんなもの――中には割れて飛び散ってるビンもあるから、足の指先を、小さな指先を見ながら、転ばないように手を広げて歩いて――
「――ゆうかぁぁぁぁー……」
――――――――ぽふっ。
僕は――――――――安心できるようになった。
「……帰ってきましたよ、こはねさん」
ああ、そうだ。
これは、優花だ。
人の、柔らかさと温かさだ。
「あ゛ぁぁぁぁん……ゆ゛う゛がぁ゛ー……」
「よしよし……良い子、良い子でしたね……」
――なんで僕のことを「こはねさん」って呼ぶのかはわからない。
けど、もうそんなのはどうでも良い。
優花だ。
妹の、変わらない匂いだ。
毎朝ふわりと漂ってきた、あの匂いが――こんなに、濃いんだ。
汗。
小さいころからずっと嗅いできた、彼女の匂い。
小学校高学年から臭くなくなった――制汗剤を使うから最近は嗅がなくなっていた、「妹」の匂い。
安心する匂い。
「ぁ゛――――――――……」
「はいはい、好きなだけ泣いて良いですからね」
上着は着ていないのか、セーターで柔らかい優花。
飛びついちゃった場所が場所らしく、顔の両方から包んでくる、あったかくて柔らかい塊。
本当はこんなところに抱きついたりなんかしたらダメだったはずなのに、今の僕はそれがなんでか分からなくって、どうしてもこの柔らかい場所にうずもれたくって。
「ぁ゛ー……」
その柔らかくって優花の匂いのする生地の中で息をしながら声を上げる。
それが、とても心地よくって。
「くすっ……赤ちゃんみたい」
【ぶわっ】
【ないた】
【感動した】
【1時間を超えるガチ泣きと自傷で心が潰れてたのが回復していく】
【魂が回復していく……】
【不整脈が止まった……ふぅ……】
【↑待て、心臓を止めるな、死ぬぞ】
【大丈夫、より強靱な心臓を得たから】
【草】
【冗談が出るほど視聴者たちも回復してきた】
【ああ……】
【良かった……良かった……】
【もうボロ泣きすぎて】
【今日はもう外出られないわ、これ】
【わかる】
【妹ちゃん(仮)が偶然?にドアのとこで止まってくれたおかげで、こはねちゃんが抱きついてても顔が映ってなくてギリセーフ】
【感動した】
【偶然……いや、それとも……】
【どっちでもいい、こはねちゃんがようやくに……】
【なかないで……いや、いっぱいないて】
【そうだ、もう泣いても誰も心配しなくなったんだよ】
【ぶわっ】
【お姉ちゃんが来てくれたから、もう大丈夫だよこはねちゃん】
【介護班、ミッションコンプリート】
【「エスコート作戦」、終了です】
【ひより「みなさん、お疲れ様でした」】
【これより次のフェーズに移行します】
【了解】
【介護班……!】
【え? 介護班って】
【マジでなんか動いてた!?】
【なんかそれっぽいことつぶやき合ってるおかしなやつらじゃなかったのか……】
【その発想はえぐい】
【人の心、産まれたときに落っことしてきたって良く言われない??】
【草】
【ああ、介護班たちが妹ちゃん……お姉ちゃん?に連絡取ってくれたのね】
【感動した】
【これは役に立つ介護班】
【介護班……これ以上なくぴったりなネーミングだな】
【画面で心を痛めるしかなかった俺たちとは比べものにならないくらいに有能な介護班……それに比べて俺はただただ真っ青になって会議も放り出してその会議がされるはずだった会議室に鍵閉めて閉じこもってた、とんだゴミ虫だ……】
【草】
【草】
【あなたは……まさか、今、役員たちが総出で説得を試みている、会議室に閉じこもって出てこなくなった上司の方では……?】
【とりあえず今すぐ顔を出してください! それかせめてチャットに反応して! タイミングが悪すぎて、まるで命をもって償おうとしているかのような捕らえられ方してて……あっ、警察……】
【あっ】
【草】
【草】
【かわいそう】
【タイミングって大切よね】
【でもお仕事しようね】
【今からでも外に出て謝ろうね】
【か、家族の誰かが大変なことになってたって言えば良いから……】
【そ、そういう日もあるよ……うん……】
◇
「ぐす……」
「……皆様、こはねさんの姉……いえ」
「うぇ……?」
妹の胸元で盛大に泣きじゃくり、気がついたら彼女のセーターは僕の液体でぐしょぐしょになっていて。
でも、今の僕は疲れ切ってて、謝ることもできなくて。
そんな僕は……彼女にうながされたらしく、気がついたらパソコンの前まで来ていて。
ちらりと後ろを振り返る。
散乱していた室内に、道ができている。
……なんで優花は、服をつまませてくれてるのに、顔、背けてるんだろう。
もしかして僕のことが嫌いに……
「ふぇ……!」
「だ、大丈夫ですから――――――――あっ」
「ふぇ……?」
優花の変な声に顔を上げる。
……優花が、「僕の先」を見て冷や汗をかいている?
【あっ】
【あっ】
【草】
【やべぇ、超美人】
【JK!!!】
【あとおっぱい……】
【※こはねちゃんの涙とか鼻水とかまみれです】
【むしろ興奮する】
【ふぅ……】
【投げ銭貯金しました】
【とりあえず今日だけで33万貯まったぞ!】
【えぇ……】
【あーあ、こはねちゃんがぐずるから妹ちゃん?の顔が】
【今思えば絶妙に画角に入らないようにしてたのに】
【なだめるために屈んじゃったから……】
【部屋の入り口でこはねちゃんお迎えして、なでなでなだめて10分くらい……そこからこはねちゃんをそっと誘導しながら、ぎりっぎりこはねちゃんがしがみついて話さないおっぱ胸元でセーフだったのに……】
【もうだめだ……】
【草】
【あーあ】
【欲望がにじみ出て居るぞ草】
【こはねちゃんのお耳まで隠れるましゅまろ……ふぅ……】
【泣いてたのに笑っちゃうわこんなもん】
【分かる】
【こ、こはねちゃんのガチ泣きの代償だから……】
【悲報・こはねちゃん、顔バレとガチ泣きの次は妹ちゃんの顔バレまでやらかす】
【草】
【草】
【こはねちゃん……どうして……】
【泣きやんでくれた代償は妹ちゃんまで顔バレか……】
【で、でも、顔だけなら……ほら、部屋も暗いし……】
【昼間なのにカーテン閉めてた引きこもり特有の行動が役に立ったな!】
【草】
【け、結果的には本当に、暗くて画質も落ちてるから……】
【あっ……部屋の先の鞄……校章?が……ほら、廊下は明るくて……】
【あっ】
【草】
【悲報しかない配信】
【妹ちゃんかわいそう】
【妹ちゃんっていうかお姉ちゃんっていうか】
【てかこの身長差……どう見てもやっぱこはねちゃん小学生だって】
【※部屋中に酒瓶が散乱してます こはねちゃんが暴れたから】
【※とくとくこぼれてるのもあるので、たぶんガチで飲酒してます】
【※この酒瓶を全部、中身がジュースって言い張るのはさすがに無理です】
【※飲酒幼女です】
【※未成年の飲酒は法律で禁止されています 本人はお巡りさんに叱られ、保護者は最悪の場合逮捕です、保護者の義務がなんちゃらで】
【※この配信、普通に通報とかされてます】
【あっ】
【草】
【草】
【もうだめだ……】
【こはねちゃんはおしまい!】
【ついでに妹ちゃんもおしまい!】
【こはねちゃんのご両親もおしまい!】
【全部おしまいで草】
【同接が過去最高なのに、どうしようねぇこれ……】
【しかもほとんど全てが祝福ムードだった中でこれとか】
【あーあ】
【こはねちゃん……どうして……】
【一難去ってまた一難とはこのことか】
【※こはねちゃんは大丈夫になったけどお姉ちゃんが修羅場です】
【※これからお姉ちゃんとかご両親に全部乗っかってきます】
【草】
【かわいそう】
【ここからはお姉ちゃんさんを慰める会か……】
【泣き叫ぶこはねちゃんを耐えるのに比べたら何ともないな!】
【それはそう】
【確かに】
【なんか安心してきた】
【分かる さぁ、ぺろぺろしようか……】
【草】