ようこそ『喫茶キヴォトス』へ 作:ホットミルクしか勝たん
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連邦捜査部
連邦生徒会直轄の超法規的機関であるシャーレへ向けられた世間の関心はあまりにも顕著で、今日のSNSでもありとあらゆる情報が飛び交っている。
中でも、シャーレの担当顧問を務める”先生”という存在に関する反応がSNS内で多く散見されており、一躍時の人となった先生を一目見ようと現在のD.U.は大勢の生徒で賑わっていた。
故に、シャーレの部室から徒歩五分ほどの距離に所在する『喫茶キヴォトス』は現在、かつてないほどの盛況ぶりを迎えていた。
先生の到来による恩恵を予想外の形で授かることとなり、私は休む間もなく嬉々として労働に従事した。この現象を一言で表現するなら、そう……”シャーレバブル”といったところか。
ある地点まで活気の波が際限なく膨れ上がり、話題の移り変わりとともに呆気なく弾けてしまうところも……我ながら中々に、的を射ている。
自身の手がけるコーヒーの味に絶対的な自信があったとしても、ただそれを矜持に掲げているだけでは来店数増加には繋がらない。
当面の目標は新規顧客の獲得。ひいては、リピート率の高い常連客の定着。
そこで私はSNSアカウントの運営に舵を切り、『喫茶キヴォトス』公式アカウントを設立した。
駆け出しゆえに右も左も分からない私は、『喫茶キヴォトス』の常連客である早瀬さんに連絡して助言を募った。
──そうですね。まずは投稿の方向性やターゲットを定め、フォロワー数の獲得を目指していきましょう。
早瀬さんからアドバイスをもらった直後、フォロワー数が0と表示されていた箇所がぴろんと動き、1の数字に変化する。
公式アカウントを一番最初にフォローしてくれたのは、アカウント名から察するに早瀬さんで間違いないだろう。
早瀬さんの助言をもとにSNS運用の方向性やターゲットを模索していると、まだ何も投稿していないにも関わらずフォロワー数の欄が2に増えていた。
一体誰がフォローしてくれたのだろう。
常連客の誰かあるいは、アカウントを知っている早瀬さんの友人や知人あたりだろうか。
……否。
「──え、『シャーレ』……?」
フォローされたアカウント名を見て、私は目が点になった。
一体どういうことかと頭を悩ませていると、モモトークに一通の通知が飛んでくる。
相手は早瀬さんだった。内容は先ほど私が募った助言への回答の続きのようだ。
──あるいは、拡散力のある人を顧客につけるというというのはいかがでしょうか♪
その言葉の意図を早瀬さんに確認しようとしたけれど、ちょうど三十分の休憩時間が終了したため私はホールへと戻っていった。
「戻ったよ、店番ありがとう」
「はい。しっかりと、休息は取れましたか?」
「おかげさまで。お昼ご飯作っておいたから、よかったら食べて」
「ありがとうございます、店長」
私が休憩や急用などでカウンターを離れる際は、先ほどのように従業員のアロナが店番を担ってくれている。
私とアロナは共に『喫茶キヴォトス』を立ち上げた関係性であり、私が持つ技術を皆伝した彼女はすでに一流のバリスタへと成長している。
ちなみに彼女の特技はラテ・アート。その腕前はすでに私の実力を凌駕しているといっても過言ではない。
ピークタイムを迎えるまでの間、清潔な空間づくりを心がけている私はテーブル席やカウンターについた汚れを拭き取っていく。
シャーレバブルの際は顧客の回転数が激しかったためサッと一拭き程度に留まっていたが、今は埃ひとつ見逃すことのないよう、それはもう丁寧に時間をかけて。
『喫茶キヴォトス』の店内はカウンター席が中央に六席、四人掛けのテーブル席が三つ、六人掛けのテーブル席が一つで構成されている。
つい最近までは満席になることも少なくなかったが、今ではリラックスに適した優雅なBGMが流れるばかりだ。
私はそういった静謐な空間というのも嫌いではない、むしろ、心を落ち着かせてくれる素晴らしい居場所を提供できているとすら自負している。
しかし、お客様がいない状況で緊張感を維持するというのは大人の私でも中々に難しい。
それでも私は、常日頃から自立の精神を奮い立たせてカウンター席に毅然とした姿で立ち続ける。
いつ如何なるタイミングであったとしても、『喫茶キヴォトス』を訪れてくれた方々へ安息の居場所を提供するために。
──チリン、チリン……。
店内入り口の扉が静かに揺れ動き、来客を示すドアベルの音が静謐な空間に響き渡った。
「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか?」
私は入り口へと視線を向ける。
「ここが、『喫茶キヴォトス』……あっ、はいっ、そうです!」
『喫茶キヴォトス』へやって来たのは、学園都市では少し珍しい”大人”の女性だった。
そんな女性に対する第一印象は事前情報の通りふわふわとした雰囲気で……しかし、私からすると少々
カールのかかった明るめなボブカット。タイトなオフィススカートに身を包んでいてもあふれ出す穏やかな空気感。
女性的な曲線が魅力的な彼女は首から自身の所属を示す名札を下げており、私はその容姿を一目見ただけで女性が何者であるかを理解する。
「……えっと、あなたが『喫茶キヴォトス』の店長さん、ですよね?」
「はい。入り口で立ち止まるのも窮屈でしょう、お好きな席へお座りください」
初来店の女性は私の言葉を受け、はっとした様子で動き出す。少し忙しないヒールの靴音を鳴らしながら、目の前のカウンター席に腰掛ける。
そして彼女は、屈託のない穏やかな笑みを浮かべて私に言った。
「初めまして、店長さん。わたしは近所の連邦捜査部シャーレで”先生”をしている者です! 今日は、ユウカちゃんに勧められてここに来ましたっ!」
***
「──なるほど、早瀬さんからお知りになったのですね」
私は『喫茶キヴォトス』に訪れた先生へお冷とおしぼりを差し出し、会話の最中におもてなしの準備を進める。
「先生のご活躍は私も存じ上げております。先日のサンクトゥムタワーの一件はお見事でした」
「い、いえいえそんな……っ、わたしはただ生徒達の後方支援に徹していただけですからっ」
「SNSの記事によると、現場に居合わせた学園の異なる生徒達を瞬時にまとめ上げ、『七囚人』のひとりを撃退したと記されています。ええ、非常に素晴らしいご活躍です!」
「あ、あはは……そんなに褒められると、少し恥ずかしいです……」
実際に目にしたシャーレの先生は非常に表情豊かで人当たりも良く、一つ一つの仕草がとても可愛らしい女性であった。
なるほど、彼女がキヴォトスの生徒達から人気を集める理由も納得だ。
「ユウカちゃん……あ、早瀬さんから伺ってはいたんですけど、とても落ち着いていて素敵な内装ですね」
「お気に召したようで何よりです。それと、早瀬さんに限らず生徒の方々に関しては普段の呼び方でも大丈夫ですよ、私も彼女達のことは存じていますから」
以前、早瀬さんから聞いた話だが。
サンクトゥムタワーの一件以降、早瀬さんは定期的にシャーレの部室へ赴き、当番として先生の仕事を補佐しているのだそうだ。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……。お仕事中、ユウカちゃんから店長さんのお話を聞くんです」
「私の話、ですか?」
「はいっ♪ 普段はとっても真面目なユウカちゃんなんですけど、最近だと喫茶店であった出来事を
早瀬さんの会話から『喫茶キヴォトス』に興味を抱き、今日はどうやら外回りの業務を終えた帰り道に立ち寄ったとのこと。
「……あっ、すみません。話してばっかりで注文がまだでしたね……」
先生はカウンター側面に立てられたメニュー表を手に取り、興味深そうに視線を巡らせる。
「……あ、これ可愛いかも。すみません店長、”ラテ・アート”を一つお願いします」
「かしこまりました。砂糖やミルクはいかがなさいますか」
「多めでお願いします!」
先生から注文を承り、私は背後のキャニスターからラテ・アートに適した深煎りの焙煎豆を用意する。
ラテ・アートはエスプレッソに専用のミルクを注いで模様を描いた芸術の一種であり、私が得意とするドリップコーヒーとはその抽出方法が大きく異なってくる。
エスプレッソは深煎りした焙煎豆の粉末を高圧で抽出する手法を用いるため、それに特化した専用のエスプレッソマシンを使用する。
グラインダーの挽き目を一番細かい目盛に設定し、ポルタフィルターのバスケットに挽いた粉末を入れ水平に均す。タンピングを済ませたフィルターをマシンにセットした後、私は背後の棚からラテ・アートの制作に最適な美しい曲線のラテカップを取り出した。
抽出前にカップへ適量の砂糖を注ぎ、エスプレッソマシンを起動。高圧によって圧縮された粉末にお湯が通過し、濃度の高い液体がカップの底へと集まっていく。
先に入れておいた砂糖をマドラーで撹拌し、続いてラテ・アートの印象を左右するフォームドミルクの制作に取り掛かる。
ラテアート用のミルクピッチャーにミルクを注ぎ、スチームノズルで温度をぐんぐんと高めていく。
一分ほどミルクをスチームした後、私は抽出した液体が注がれたラテカップを手に取り、『喫茶キヴォトス』の象徴であるクジラの絵を描いていく。
ラテ・アートの技術は私よりもアロナの方が優れているとはいえ、それはあくまでも相対的な評価。
練習に練習を重ねた私のエッチング技術があれば、流動するキャンバスに魂を吹き込むことなど……息をするよりも簡単だ。
「──お待たせしました。こちら、当店一推しの“ラテ・アート“になります」
デフォルメされたクジラの絵が描かれたラテ・アートは、『喫茶キヴォトス』の従業員のみが提供できる至上の芸術作品である。
「わぁ! すごいっ、すっごく可愛いですっ!! これ、写真撮っても良いですか!?!?」
「ええ、もちろんです」
ラテ・アートを前にした先生はまるで少女のように瞳をきらめかせ、スマホのシャッターを様々な角度から切りまくっていた。
「このクジラのイラスト、すごく可愛いっ……あれ、でもこの子、わたしどこかで見たことあるような……気のせいかな」
「ラテ・アートは温かさが命です。冷めないうちに、どうぞ
「……えっ!? そんな……っ、こんなに可愛いものをかき混ぜるだなんて店長に申し訳ないですっ……うぅ、でも……」
私のラテ・アートを非常に気に入ってくれたことは喜ばしいことだが、完成したキャンバスを眺めるばかりで冷めしまっては本末転倒だ。
それに私は、丹精込めて描いたキャンバスをぐちゃぐちゃにかき混ぜた瞬間こそ、芸術として完成された姿だと捉えている。
「さぁ、思い切り。ふふふっ、怖気付く必要などないのです」
「うっ、うぅ……っ!」
早くしなければ冷めてしまいますよ、と悪魔のような囁きに突き動かされ、先生は手にしたスプーンで一思いにキャンバスを破りさく。
その瞬間に垣間見える先生の表情ときたら……あ、あぁっ、いけない。しかし、これこそまさに芸術! 私がついに到達した崇高の一端!!
「い、いただきます……うぅ」
先生はもはやラテ・アートの原型をとどめていない、ただのカフェ・ラテが注がれたカップを手に取り、一口啜る。
ラテ・アートの元となったエスプレッソは非常に濃厚な香りと味わいが特徴だが、その抽出方法ゆえ非常に苦味も強く、苦手としている人も少なくない。
しかし、ラテ・アートに用いたミルクや砂糖が
「……美味しい。温かくて、甘くて、苦味もあって……最高です、店長さん」
「お気に召したようで、何よりです」
ちなみに。
私が先生にラテ・アートを思い切りかき混ぜろと言ったのは、ミルクの下に沈殿しているエスプレッソを馴染ませるための指示である。
端正な先生の美貌が悲しみに歪む瞬間を見たかったというわけではない。私はそんな、いじわるな人間などでは断じてないのだ。
「……店長さん」
「はい、いかがなさいましたか?」
ラテ・アートの制作に使用した器具を静かに片付けていると、ラテカップに両手を添え、どこか神妙な面持ちとなった先生が私を呼ぶ。
「ユウカちゃんから聞きました。店長さんは、キヴォトスの外から来られた方……ですよね」
「ええ。おそらくですが、先生の故郷と近しいところから」
「それで、その……これもユウカちゃんから聞いたんですけど」
「早瀬さんから……?」
「もし、何か思い悩むことがあったら……店長さんに相談してみると良いって」
カウンターに腰掛ける彼女の様子が、先程から一転する。遠慮がちに私を見つめる彼女の視線には、誰にも打ち明けられないような不安が宿っていた。
「ええ、私でよろしければぜひ。悩んでいることがありましたら、どんな些細なことで構いませんよ」
「……っ! あ、ありがとうございます!!」
私の返事を受けて、先生の表情がぱぁっと明るくなる。
「店長さんは、SNSをよく確認される方でしょうか?」
「休憩時間や営業時間外の際には良く確認しています。以前までは連邦生徒会長の件などもあって経営に影響がありましたので、最近は特に」
「……機能停止したサンクトゥムタワーの復旧が、キヴォトスにやってきたわたしの初仕事でした」
先生は当時の心境をぽつぽつと告白するように、カウンターに立つ私へ打ち明けてくれた。
「シャーレの先生として就任したは良いものの、右も左も分からない……事前に情報収集をしていたとはいえ、当たり前のように銃弾が飛び交う”キヴォトス”という世界をその身で体験したら……何だか、怖くなっちゃって」
私や先生はキヴォトスに住む人々と異なり、鉛玉一つが身体に触れるだけで致命傷となってしまう。外を歩くだけで自身の命が危険に晒される状況に恐怖するのは、至極当たり前のこと。
しかし私は意外だった。
なぜなら、先生の指揮下で暴徒を鎮圧した早瀬さんから、彼女は胆力のある素晴らしい大人であると聞かされていたからだ。
実際に結果を残し、SNSを利用する生徒達からの好意的な印象を持たれている点からも、早瀬さんの下した評価に信頼性をもたらしている。
「戦術指揮は比較的得意で、それに集中することで恐怖心を誤魔化していたんですけど……。最初に出してしまった結果が何だか……身の丈に合ってないなって、感じてしまったんです」
サンクトゥムタワーの復旧により、キヴォトスに生じていた大混乱を早期の段階で食い止めることができたのだ。その功績はまさしく、キヴォトスの救世主と称しても差し支えないだろう。
しかし本人曰く、本当にすごいのは前線に出て戦った生徒達であり、おんぶに抱っこだったわたしではないと……先生は自身と世間の認識の食い違いに思い悩んでいた。
「銃社会のキヴォトスに関してはもう怖くなくなったんですけど……あの一件以降、生徒達から”先生”として期待されているわたしを、わたしはちゃんと”出来ている”のかなって」
すでに空となっているラテカップの底に視線を落として、先生は静かに語る。
「…………」
その昔、私も目の前の先生と似たような感覚に苦しんでいたことを思い出す。正直、あまり思い出したくはない記憶だ。
それ故だろうか。私はそんな悩みを抱える先生が、何だか鏡写しの自分のように見えてしまって……。
「先生はもっと自信を持つべきです。あなたの実力と功績は周囲が抱く期待に十分見合っているでしょう。間違いありません、私が保証します」
「…………そう、ですよね」
「──と。自分自身を納得させられるのであれば、そもそもそんな葛藤を抱えることなんてありませんよね」
「ぇ……」
先に述べた言葉を撤回し、私は目の前の女性にかけるべき言葉を模索する。
「例えば、そうですね……私が提供したラテ・アートのお味はいかがでしたか?」
「……? ラテ・アート、ですか? それはもう、今まで生きてきた中で一番美味しかったです!」
「それは良かったです。しかし、世間ではラテ・アートの味を好みではないと評する方々がいます。ただの個人差と片付けてしまえばそれまでですが……私としては、彼らの飲み方に原因があるのではないかと考えています」
「飲み方……?」
私は自身の言葉が少しでも伝わりやすくなるために、今一度先生へ提供したラテ・アートを制作する。
「私はコーヒーを嗜む方法として、五感の全てを駆使することを推奨しています」
エスプレッソを下地にし、私は今一度ミルクの筆を取ってデフォルメされたクジラの絵を描いていく。
「コーヒーという作品を目で見て楽しみ、カップに触れたその肌で温もりを感じる。キャンバスから立ち込める濃厚な香りを堪能したら舌で味わい、身体の奥へと流れる熱をありのままに受け入れる。その一連の流れこそ、私が至った芸術なのです」
完成したクジラのラテ・アートを先生へと差し出す。
「こちらをどうぞ。初めて来店していただいたお客様へ、私からのサービスです」
「あ、ありがとうございます」
「冷めないうちにお召し上がりください。ただし……今度は
「えっ? わ、分かりました」
私の指示に従って、先生は流動するキャンバスを崩さぬよう努めて慎重に口元へと運んだ。
「少し、飲みにくそうですね。お味の方はいかがでしょうか?」
「おいしい……と、思います」
「では、先程と比較していかがでしたか? 率直な感想をお聞かせください」
「え、えっと……表面の絵が崩れないようにって意識を向けるばかりで、味の方は、あんまり……」
先生はそう言って、再びコップに口をつける。しかし残念なことに、勢い余ってクジラの一部が揺れる水面に呑まれてしまった。
「ミルクの味が少し強くて、それに表面の絵がごあごあと膜を張るみたいに唇を塞いできて……さっきよりも、飲みにくかったように感じます」
「……なるほど。それでは、今度は手元のスプーンを使って、先ほどのように思い切りかき混ぜてからお召し上がり下さい」
「は、はい……」
崩れかけたクジラが完全に水面の中へと沈み、先程まで存在していた芸術作品は跡形もなく消え去っていた。
「いかがですか?」
「美味しい……さっきと同じで、飲みやすくてとっても美味しいです! ……あれ、でもなんで?」
かき混ぜる前と後の味の違いに、先生は困惑が隠せない様子だった。
「それはとても単純です。スプーンで全体をかき混ぜたことによって、表面のミルクと下地のエスプレッソが一つになったのです」
先生に提供したのは撹拌の前後で違いが分かりやすく感じるよう少しだけ大袈裟に作ったものだ。何かを伝えたい時に、誇張という手段は非常に効果的である。
「どれだけ表面の絵が魅力的であったとしても、コーヒーという飲み物の本質が最大限に発揮されるのは舌の上で味わう瞬間です。しかし人々の多くはその表面に描かれた芸術にこだわるせいで……本来あるべき姿、その者が本当に為すべき役割を果たせずに飲み終えてしまうのです」
「…………」
「完成されたクジラの絵をかき混ぜた後に浮かぶ哀れな姿は、お世辞にも美しいアートだとは言えないでしょう。しかし、表面を取り繕わない不恰好な姿こそ……本来果たすべき使命に殉じた勇気の象徴であり、それこそが最も大切な”本質”なのです」
「…………ぁ」
「”先生”という表面で構成されたあなたの内側には、どのような魅力が眠っているのでしょう……私には分かります。その身に秘めたるあなたの勇姿は、決して表面などに左右されるものではありません」
私には分かる。
彼女の奥底に宿る強かな決意と変わらない選択。
"俺"は知っている。
彼女が生徒達に捧げる慈悲の心と揺るがぬ眼差し。
この世界の誰よりも──"俺"は彼女の本質を知っているのだ。
「……すみません。変な例え話で分かりにくかったですよね。えーと、まあ要は先生という肩書きはあくまでも表面的なあなたを構築する偶像であって、囚われすぎると碌なことがないと言いますかその……順番が逆? みたいな……」
「そんなことはありません! 店長さんがわたしに伝えてくれたこと、ちゃんと心に響きましたっ!」
「……そうですか。それは、何よりです」
「ただ、伝わりすぎたせいで、その…………す、すみませんっ、なんだか身体が熱くなっちゃって」
そう言って誤魔化すような笑みを浮かべながら、先生は両手で熱った顔を忙しなく仰ぐ。
「本質が重要であると繰り返してきたとはいえ、普段は頼れる大人として毅然と振る舞わなければなりません。ですが、”先生”も一人の女性。悩みを抱えた生徒達と正面から向き合おうとすれば、時には少し疲れてしまうこともあります」
特に彼女の場合は就任してから日も浅く、善良な性格からして色々と抱え込んでしまうことだろう。
「何か困ったことがあったり、道に迷ってしまった時は、こうして私のお店に足を運んで下さると嬉しいです」
「……はいっ。ありがとうございます、店長さん」
私の言葉が先生に届いたかは分からないが、彼女の悩みを解決する糸口の一つになってくれていたら幸いだ。
「ユウカちゃんが常日頃から言っていました。店長さんはとても口が上手な方だって」
「そ、そうでしょうか……」
「ふふっ、そうです。なんだか店長さん、わたしよりも“先生”に向いているような気がします!」
「私が“先生”、ですか…………いえ、私はコーヒーを淹れることしか能のない人間ですから」
それからしばらく、私は先生がキヴォトスに就任してからの出来事を聞いて彼女に対する理解度を深めていった。
「今後、先生はキヴォトスでどのように活動される予定ですか?」
先生の活躍はキヴォトス全土に浸透していて、現在では様々な悩みを抱える生徒達から連絡が届いていることだろう。
「私も最近まで悩んでいたんですけど……明日、一度アビドス高等学校に足を運んでみようと思っています」
「アビドス、ですか?」
アビドスといえば、砂漠化の影響で衰退した自治区であると認識しているが……。
「先日、アビドスに所属する生徒の一人から不穏なお手紙を貰ったんです。何でも、学校が廃校に追い込まれているそうで……」
「なるほど、それは由々しき事態ですね」
キヴォトスの砂漠地帯に隣接するアビドス自治区は、D.U.から比較的近い距離に位置している。アビドス方面の電車も開通しているため、先生が取り組む最初の仕事としては悪くないだろう。
「かつては繁栄を謳歌していたと聞きますが……今や衰退の一途を辿るばかりか、地域暴力団の襲撃で授業もままならない状況だそうです」
「店長さん、アビドスの現状にお詳しいんですね」
「ええ。アビドスの生徒が一人、休日にお店を手伝って下さっていますので」
「アルバイトってこと、ですか?」
「ええ。何でもアビドスは現在、多額の借金を抱えているそうです。少しでも返済の足しにしたいと……」
以降は私の知るアビドスの情報を先生に共有し、念のため注意事項もいくつか付け加える。
「アビドスは気候の変化が激しいため、万全の準備をすると良いでしょう。水分補給はこまめにしっかりと。市街地の真ん中で遭難するといった事例が過去にありますので、コンパスの持参を強く推奨します」
「街で遭難……そんなことが……」
にわかには信じられないといった様子の先生だったが、彼女の気持ちも分からないわけではない。
「アビドスに関する私の知識はあくまでも聞きかじったものに過ぎません。実際にその身で様々なことを経験しなければ、分からないこともあるでしょう」
「はい。店長さんのおっしゃる通りだと思います」
「先生がもし、他人には言えない思いや悩みを抱えてしまったら……その際は、私でよろしければ相談に乗りますよ」
「ありがとうございます、店長さん!」
アビドスの現状を知った先生はいても立ってもいられないといった様子で、早速出張の準備に取り掛かると席を立つ。
会計を済ませた退店間際、先生はくるりと身を翻して私に言った。
「ラテ・アート、とっても美味しかったです! また、飲みに来ても良いですか?」
「もちろん、私はいつでもお待ちしています」
「次はもっと良い報告が出来るように、わたし頑張ります!!」
来店時よりも笑顔に明るさがある先生の姿を見て……”俺”はほんの少しだけ、安堵するのだった。
***
『──な、なんだかすごい方でしたね』
ユウカちゃんに勧められて訪れた『喫茶キヴォトス』を退店した頃を見計らったように。一人の生徒が感嘆とした声音でわたしに声をかけて来た。
彼女の名前は
「ユウカちゃんのおすすめで来てみたけど……うん、ユウカちゃんが常連になっちゃう理由も分かる気がするなぁ」
わたしはタブレット端末の画面に映るアロナと会話しながら、シャーレの部室へと戻っていく。
『あれは喫茶店の店長というよりも、言動がホストに近いです! なんだかすっごく、タラシの気配がします!』
「た、確かに、生徒達にはちょっと刺激が強いかもしれないね……」
カウンターに立つ姿が非常に映える端正な顔立ちと、服越しでも分かる筋肉質な体躯。しかし男性特有の威圧感が全く無くて、帯びる雰囲気はどこか儚く神秘的。
それに加えて、あの穏やかな声音と眼差しが非常に良くない。初来店で少し悩みを相談してしまったわたしがこのザマだ。
わたしを慕ってくれる生徒達は、色々な意味で多感な時期の真っ最中だ。最初は『喫茶キヴォトス』の口コミに協力しようと考えていたが……果たして、このお店を未だ訪れたことのない彼女達に伝えても良いのだろうか。
『先生は特に気をつけて下さいね! 先生の身体は男性にとって目に毒ですから、理性を失った大人に襲われてしまうかもしれません!!』
「えっと……褒め言葉として受け取っておくね?」
『ですが安心して下さい! 先生の秘書であるこのアロナが、先生を狙う不埒なケダモノから守って差し上げます!!』
「……それ、絶対本人に言っちゃダメだからね?」
わたしを守ろうと躍起になっているアロナを宥めつつ、わたしはスマホを取り出し撮影した写真を確認していた。
「ラテ・アート、美味しかったなぁ。それにこのクジラのイラストもとっても可愛いかったし」
『……むむむ、そこまで先生の舌を虜にするとは。私も一度、この口で味わってみたいものです』
アロナはシッテムの箱に搭載されたOSであるため、実体を持つ生徒ではない。
普段は箱の中の“教室”からキヴォトスの様子を観察しているようだが、彼女がここまで他人に興味を示すのも珍しいような気がする。
「……あ、そう言えば。アロナちゃん、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
『はい、なんでしょうか』
「このラテ・アートに描かれたクジラの絵、どこかで見たことがあるような気がするんだよね……」
『んーと、どれどれ…………えっ、これ私が普段から先生へ封筒を渡す時に使ってるシーリングスタンプですよ! 昨日も今日もお渡ししたというのに、どうして覚えていないんですかっ!!」
涙目になりながらアロナちゃんが私に訴えてくる。
……思い出した。そう言えば、キヴォトスの生徒に関する情報をまとめて欲しいとアロナにお願いして、封筒にまとめてもらっていたんだった。
「あ、あはは……ごめんね、最近とっても忙しくて……」
『ううっ……ひどいですよ先生。私が夜遅くまで頑張って用意したのに』
ぐすんっと鼻を鳴らして涙ぐむアロナを、わたしは何とかして必死に宥める。
『……それはそれとして、不思議ですね。教室の机に落書きした際に生まれた私の絵が、一体どうして喫茶店のラテ・アートになっているのでしょう』
「え? キヴォトスで有名なマスコットなんじゃないの?」
『原型自体は存在しますが、顔のデフォルメ具合や頭部のリボンに至るまで、私の落書きとあまりにも合致しています』
確かに、そう言われると少し不思議だ。
アロナと面識のない、ましてやシッテムの箱を所有していないはずの店長さんが一体どうして、あのような絵を描くことができたのか。
……考えすぎ? ただの偶然?
少し気になった私はSNSで『喫茶キヴォトス』を検索し、情報を探ってみる。
店長さんはつい最近SNS運用を始めたと言っていたので、情報自体は顧客が個々に撮影した写真程度しか見当たらなかった。
……だが、しかし。
「…………ねぇ、アロナちゃん」
『はい、なんでしょうか』
「もしかして、なんだけど。アロナちゃんって……」
提供されたメニューを広角で撮影したであろう写真に映り込む少女の姿を見て、わたしは困惑が隠せなくなる。
「──実体の姉妹がいたりするのかな?」
それをただの偶然と片付けるには、あまりにも不可解な要素が多すぎた。
Tips:先生
シャーレ公式アカウントに『喫茶キヴォトス』の写真を投稿するべきか否か迷った挙句、自身の胸にそっとしまっておくことにした。
後日、シャーレ公式アカウントでのフォローを外し、個人アカウントでフォローをしなおしている。本人曰く、「シャーレは中立だから!」とのこと。
Tips:アロナ
好物はいちごミルク。
先生に情報を提供する際、封筒に入れて渡すというこだわりがある。封筒にはいくつか種類があるようだが、大抵は青色。
Tips:早瀬ユウカ
店長との連絡先は、訳あってすでに交換済み。
SNSアカウント最初のフォロワーとなり、最近は終始ご満悦の様子。その姿をノアに目撃され、からかわれるまでが一連の流れ。