トレセン学園のちょっとだけ変なトレーナー   作:セニョール・大介

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 久しぶりの投稿です。一応、前日譚は二部構成を想定しています。遅筆ですので後半が投稿されるのはいつになるか分かりません。暖かい目、長い目をしてお待ちください。

 前日譚はオリジナルウマ娘がメインです。ネームドウマ娘の本格的な出番はそれ以降になります。


前日譚  あけっぱなしの手は寂しくてならない。勝利よ、舞い込め

 

 

「─速い速い! シンボリルドルフが後続をぐんぐんと突き放す!」

 

 時は平成。ウマ娘全盛の世である。人の姿をしていながら、人とは一線を画す身体能力を有す彼女らの走る姿に人々は感化された。

 

 一度走れば数万の人間が熱狂し、社会にさえ影響を及ぼす。一度メディアに出演すれば数万の人々を魅了し、世論さえ動かす。

 

 そんなウマ娘が日本の各地の学校で日夜走りを研究し、速さだけを追い求めることができるように彼女らをサポートする存在こそがトレーナーだ。ウマ娘を導く師であり、守る盾であり、共に歩む友である。

 

 当然、学力や経歴だけではなく、人格にも優れた者だけがなれる選ばれた存在。毎年のように万を超える志望者が現れ、その九割九部が不可を突きつけられる。

 

 仮に資格が付与されたとしても─

 

「─すまないが、調月トレーナー。貴方の座る席はもうない」

 

 実力、実績が伴っていなければ、世間からの風あたりが強ければ後進に道を譲らされることもある。

 

 今日もトレセン学園のトレーナーの一人が学園を去った。

 

──

 

 『調月 隼人』そう印刷された扉の看板を外し、一人の男が慣れ親しんだ部屋をあとにする。男は秋の暮れ、大きなレースを最後に担当ウマ娘との契約を解除。後進への引き継ぎを終えたと同時に逃げるように日本ウマ娘トレーニングセンター通称トレセン学園をあとにする。

 

 実績はあった。彼が携わった育成によって、幾人もの重賞ウマ娘が誕生したし、中には二冠、三冠ウマ娘さえいた。しかし、近年はトレセンの方針に順応できず孤立し、有望なウマ娘との契約の機会が激減。結果、勝利から遠ざかる。

 メディアに対する対応も塩対応であり、少なくない批判が浴びせられた。

 

 それらの要因が重なり、男のトレセンでの十年間のトレーナー生活は幕を下ろす。

 

──

 

「─最近はよぉッ! 体重や筋量はもちろん速筋や遅筋の割合、体脂肪率に至るまで計算づくしで型苦しいったらありゃしねぇ!」

 

 元トレーナーの調月は函館の旧友の営む屋台を占拠し、浴びるように酒を飲み続ける。

 

「どいつもこいつも教本通りの指導しやがって─」

「─でも実績は君より出してるじゃん」

「…」

「俺のやり方で結果出してやる、なんて言ってたのに最後の方は知識本を読みまくってたじゃん」

「…」

「大体、愛想よくしないから─」

「─ああッ、そうだよ!? 俺の力不足だよ? 状況に適応できなかっただけだよ馬鹿野郎!」

 

 こうして愚痴愚痴して恨みつらみを発散させてはいるが、男も本心では理解していたのだ。自分は敗北者なのだと。本能だ、勘だと言って再現性のない指導で育成し、たまに結果は出していたが、最近は何もかも噛み合わなかった。

 

 根性論がかろうじて主流派だったかつての時代から、科学の進歩、ウマ娘の身体に関する理解が深まり、論理派が席巻し、安定した強さを手に入れた現代のトレセンをすぐ近くで見続けていたのだから、自分も適応するために動くべきだったのだ。それなのに自身の才能に傲り、時間を無為に過ごした。ようやくケツに火がついて専門の書とかを勉強しだしたが、時間切れ。情けないったりゃありゃしない。

 

そんなふうに嘆いて更にお酒を煽ろうとすると─

 

「ん?」

「もう午前一時。店じまいだよ」

「えぇ…、せっかく親友が来てやったんだぞ。少しサービスしろよぉ…ん? 何だよその紙」

「今日の代金と、今までのつけ。せっかく帰ってきたんだから払ってもらうよ」

「…しゃあねえなぁ。精算して…やる…か?」

 

 友人が差し出した紙には日付、つけの金額がびっしり書かれていた。つけの総額は十万近く。あいにく、そんな手持ちはない。

 

「…明日まで待ってくんね? 色つけて返すからさ」

「だめ。去年、同じこと言ってすぐ中央に戻ったじゃん」

「…」

 

 因果応報とはまさにこのことだろう。以前のやらかしのせいで信頼を失い打つ手なし。闇金でも行くかと覚悟を決めていると─

 

「…払えないの?」

「…」

「…」

 

 つけの紙とは別の紙を無言で差し出される。どこか懐かしさを感じさせるその紙の一番上には─

 

「─『門別トレセン学園学内レース!』だぁ?」

 

 古巣のイベントポスターを何故か差し出されていた。

 

──

 

「まさか門別でまたウマ娘に関わるとはなぁ…」

 

 ヨボヨボの、使い古したような服を纏い、友人の駆る軽自動車の助手席で一切の遠慮なくノンアルを煽るダメ男が門別に向かう。

 

 ようやく門別が見えてきたのは車で五時間あまり揺られてからだった。

 

「まったく、北海道はデカすぎるんだよ。たかが移動で五時間かよ」

「まあまあ、君は酒のんで寝てばかりだったからいいじゃん。それに耐えながら運転したんだよ? こっちは」

 

 そんなふうに愚痴を言い合っていると門別の目的地に着いた。ほんの二年ほどだが調月が在籍していた門別トレセン学園。日本に十五ある地方のトレセン学園の一つである。

 

「で? お前さんの姪っ子は成績どんな感じよ? もしかしてトレーナーが就くくらいの好成績か?」

 

 まさか友人に姪がいて、それが門別トレセンに在籍しているとは初耳だった。

 

「…」

「というかよ? そういうの前もって言ってくれよ。去年にでも分かってたら函館スプリントSのついでに見て、並走くらいさせたのによぉ」

「…」

「元とはいえ、中央のトレーナーの俺に見せたいってんだから否が応でも期待しちまうじゃねえかよ。なぁ─」

 

 調月はまだ見ぬウマ娘に期待を膨らませていた。しかし一方で一抹の不安を感じてもいた。何故か友人が件の姪っ子について何も語ろうとはしないのだ。調月の知る友人ならばここぞとばかりに自慢やらなんやらしてくるはずなのだが…。

 

「─隼人。すまんが何の先入観もなしに、俺の姪っ子ってことを忘れて、ただただ純粋に評価してくれ。頼む」

「なんだぁ? そんなの気にしなくても─」

「─分かってる。お前が人には情けを求めるくせに他人に対してドライな情けないやつってことは重々承知だ。それでも頼む」

「…」

 

 情けない男は友人の自分に対する認識のひどさにショックを受けつつも門別トレセンの校門をくぐった。

 

──

 

「─お? ようやくレースがスタートか。で? どいつだ?」

「…」

「なるほど? 俺の姪っ子は疾すぎて言わなくても分かっちまうってことだな」

「…」

 

 最初のレースは一年生のレース。おそらくは観衆の前で走る最初の晴れ舞台。大なり小なりあるが全員がプレッシャーを感じているのが観客席からもよく分かる。

 

「…おいおい。何があったんだあの芦毛? アホみたいに周りを威嚇してんじゃねえか」

「芦毛…? 一番左の身長の高い子か? あんな遠くのことよく分かるな。俺には豆粒程度にしか見えないよ」

「そりゃ、トレーナーは何をするにも視力がいるからな。ウマ娘の走りを分析するにしても見なきゃ始まんねえよ」

「そうなのか」

「そうだ。レース見ながら順位予想してやるよ」

「ッ!? できるのか? そんなことが?」

「おう。なんせ天下の中央トレーナーですから」

 

 秋頃のレース以来、半年近くレースをまともに見ていない。ここいらで試運転と行く腹づもりである。

 

「お、始まった」

 

 ラッパの音とともに16人のウマ娘がゲートから飛び出す。

 

「先頭は…お前が言ってた芦毛の子か!」

「身長が高さは歩幅のデカさ。普通に走るだけで低身長よりも速くなる。それに気性の荒さが合わさってあの走りか。よく知らんから断言はできねぇけど、身体の伸びしろは充分だな」

「じゃああの子が一着か?」

「…」

 

 調月は16人のウマ娘を数秒見やる。作戦はなにか、通常のスピードから末脚はどれくらいになるか、立ち位置はどうなっているのか等、諸々を一瞬で把握、予想するのに更に数秒。そうして、ついに口を開く。

 

「4番の鹿毛。アイツが大外から捲ってくる。最終の直線で絶対差すぜ」

「…どんな勝ち方かも予想できるのか。でも、かなり出遅れてるぞ」

「でも着実に差は詰まってる。それに先頭集団は芦毛の逃げに追いつこうとしてペースを崩してる。最後の直線で伸びやしねえよ、あれじゃ」

 

 友人は信じられない思いだった。調月が推した4番は先頭集団との差が詰まっているとはいえ7メートル近く離れている。が─

 

「─おいおい、まじかよ」

 

 最終コーナー侵入と同時に四番が集団の外側に移動。コーナー脱出時に先頭集団と横並び。直線に入るとともにぐんぐん前に出てくる。芦毛のウマ娘も必死の末脚を見せるが1秒と競り合うことなく二位へと転落。驚異的な末脚を見せて四番の鹿毛ウマ娘が6馬身差の大勝。調月の予測どおりである。

 

 

「…さすが中央のトレーナーだな。お前に頼めばスポーツくじで一儲けできそうだな」

「…秘密だぞ? …とっくのとうの昔からやってる」

「お前…アウト…じゃね?」

「めっちゃライン超え。黙っとけよ? 今度お前にもやってやるから」

 

 

──

 

 とても人様には言えない、社会人として、業界の人間として情けない男と暗黒面に落ちようとしているその友人がモラル的にアウトな話をしている間にどんどんレースは消化されていく。流石にここで調月も猜疑の念を抱く

 

「…おいおい。もう三年、シニアの部、それも5レース目だぞ。お前の姪っ子はいつ出るんだ?」

「…このレースだ」

「へぇ」

 

 友人の言葉に気持ちを切り替えてレース観戦に移る調月。圧倒的な大外差し切りで勝利した鹿毛ウマ娘の時でさえ観客席にもたれ掛かりながらであったのに、観客席から身を乗り出し、慣れ親しんだカメラさえ構えながら出走の時を待つ。

 

 友人は調月の様変わりの様に気圧された。普段は浮浪者のような出で立ち、やる気なさそうにだらしなく背を曲げている、ナマケモノを体現したかのような男が、猛禽類のような、捕食者の雰囲気、目つきをしている。仕事中の調月の様子は知らないが、おそらくはこんな感じなのだろう。中央のトレーナーが本気で品定めをしようとしている。心做しか周りも静かになったように感じる。

 

 ─突如、颯爽としている皐月の静寂にラッパの鳴りが走る。ガシャン、と鋼鉄が擦れるかすかな音が観客席に届くよりも前に彼女らは飛び出していた。

 

(…先行策と差しの2つだけ…逃げと言えるほどのやつはいねえ。先頭集団と後続は大体6馬身か…で、その中間でどっちつかずのウマ娘が一人と)

 

 

 先行組と差しを狙うウマ娘はほぼ半々。門別のレース場は地方の中では最大クラス。330メートルの直線に緩いカーブ、差しが他のレース場と比べて刺さりやすいという特徴を持っている。差しを狙うウマ娘が多くても不思議ではない。ただ、その中に一人、差し狙いなのか先行策なのか判断できないウマ娘がいた。『タチタルユタカ』と書かれたゼッケンを胸に懸命に駆けているが…。

 

「どうもぱっとしねえな、あの8番のタチタルユタカってやつ」

「…」

「前半を見るに先行策のはず何だがなぁ…、ん?」

「お? どんどん前との距離を詰めてるぞ?」

「…レースセンスが絶望的に悪いな」

 

 

 先頭集団から遅れ、一人で快適な走りをしていた8番が少し速度を上げることで先頭集団に追いつく。おそらく立ち位置の悪さに憂慮しての行動だろうが、無理に動いたせいでペースが乱れている。足にも疲労が溜まっているだろう。悪手だと調月は判断した。実際─

 

 

「あ、追いつかれてる」

「…だろうな」

 

 最終コーナーで加速し始めた後続たちがどんどん8番に襲いかかる。抜かされるのも時間の問題か、と思っていると─

 

 

「…随分粘るんだな」

「?」

 

 疲労の溜まった脚、乱れたペースなど不利な要因が重なっているはずなのに直線で張り合っている。脚をためていた後続の末脚になんとか対抗している。が─

 

「…ま、逃げ切れはしなかったか」

 

 最後100メートル地点で力尽き、後続にどんどん抜かされて結果は16着。

 

「─で? どの娘よ? お前の姪っ子は」

 

 調月はすぐに切り替え、本題に入る。

 

──

 

「やあユタカちゃん! 久しぶりだね!」

「叔父さん! 見に来てくれてたんですか?」

「もちろん! 姪の晴れ舞台だからね!」

「えへへ〜…で? 叔父さん、あの人は?」

 

 友人の姪はまさかまさかの件の8番、タチタルユタカ。友人が久しぶりの再会に花を咲かせる横で、特大の人だかりができていた。

 

「今までの担当ウマ娘は誰ですか?」

「重賞は取ったことありますか?」

「中央トレセン学園ってどんなトレーニングをするのですか?」

 

 何故かスーツに着替えた調月が質問攻めにあっていた。

 

──

 

 レース後、調月と友人が件の姪っ子に向かおうとして観客席をあとにしようと移動を始めると、門別トレセンのコーチ、教師陣の集団の近くを通ることになった。その際─

 

 

「…? 調月か?」

「ッ!」

「おい! 逃げるなッ!」

 

 初老のコーチに見つかり、調月が引きづられていく。そうしてしばらくしたら別人のようにスーツを纏いシャキッとした調月が現れたのだ。

 

 友人が戸惑っていると、そのまま調月は連行され、中央トレセン学園の元トレーナーが来たと告知されてしまってこの様である。

 

「…知らなかったんだけどさ。中央のトレーナーってすごいの?」

「はい! それはもう! 地方のウマ娘にとって中央は雲の上の存在なんです! 中央(トゥインクル)シリーズでしのぎを削るウマ娘にそのサポートをするトレーナー。十数人を一人で監督する地方のトレーナーと違って中央は専属、6人程度のチームを担当するので個々人を育成する手腕に関しては比べ物にならないって言われてます」

「へぇ〜」

「それに中央は最新の知識、新しいトレーニングが日夜生まれていてそれを実践するトレーナーは地方トレーナーから見ても羨望の対象なんです」

「…」

「…いやぁ、まさか叔父さんが中央のトレーナーとコネクションがあったなんて!」

「いや、でも本人は最近実績がなかったって言ってたよ?」

「…叔父さん。その人は何年間中央にいました?」

「10年間だね」

「もうそれエリートなんです! 入れ替わりの激しい中央で10年は怪物です!」

「…」

「それに、その人の実績は?」

「よく知らないけど三冠ウマ娘や二冠ウマ娘が複数人で、去年の秋にGⅢ? っていうのを取ったらしいよ」

「化物ぉ…。トレーナーが一人重賞ウマ娘を育てれば名将って呼ばれるんですよ? それなのにそんな…」

「…」

 

 友人、絶句。まさかそんなすごい人物だとは知らず、数万円のつけで色々と押し付けてしまったのだ。今度からはつけを許そうと決意する。

 

 

 そうこうしている間に人だかりからようやく解放された調月が這う這うの体で友人らのもとに訪れる。

 

 

「…お前、こんなすごいやつなんだな」

「まあな? 天才トレーナーとか持て囃されてましたから……数年前までは」

「…」

 

 友人は調月の新たな一面を知る。地元時代の記憶、現役時代のちょけたような態度からトレーナー業に対して思い入れはないとばかり思っていたが違ったらしい。悔しさ、というよりは諦観したような顔をのぞかせる。

 友人は何を言えばよいのかわからなくなり、気まずい沈黙が流れる。

 

「─で? そこの娘がお前さんの姪っ子?」

 

 気まずい雰囲気を破ったのは調月自身。普段通りのおちゃらけた感じで話を振る。

 

「ああ、兄貴の娘なんだよ。ほんっと、いい子でさ? 真面目だし、可愛いし、素直だし」

「もう! 叔父さん! 恥ずかしいじゃないですか! …コホン。タチタルユタカです。中央でご活躍されたトレーナーと会うことができて光栄です!」

「…ほんとにお前の姪か? 礼儀正しいじゃねえか!」

「失礼なやつだなぁ」

「…で? 走りのアドバイスでもすればいいのか?」

「…」

 

 友人の姪だし、礼儀正しいし…ということでアドバイスくらいなら全然してあげようという気持ちの調月。しかし、友人は─

 

「いや、あの…。トレーナーをしてやってくれないか?」

「???」

「え?」

「重賞っていうのも取らせてやってくれないか?」

「????」

「叔父さん!?」

 

 素人ゆえの限度を知らない要望。それを調月は─

 

「よっしゃ任せとけ」

 

 ノータイムで了承した。

 

──

 

「はい! これからね? 面談始めまーす」

「え? …お願いします?」

「ほら! 背筋伸ばして、自信満々って感じで座って」

「こう? ですか?」

 

 

 門別トレセンの空き教室の一つを貸し切って行われるのは面談。ウマ娘との契約の可否、内容の確認、懸念点のすり合わせを行う、という名目で、調月とタチタルユタカは向かい合わせで座る。

 

「ええと? まずお名前を教えてもらってもいいですか?」

「タチタルユタカです」

「タチタルユタカさんですね。私、門別トレーニングセンター所属の調月隼人と申します」

「…」

「早速ですがタチタルユタカさんの戦績などの情報を確認させていただきますね」

「はい─」

「─なあ、調月。この茶番はいつまで続くんだ?」

 

 ふざけた茶番の流れを断ち切ったのはタチタルユタカの後方で腕を組んで見守っていた友人。

 

「茶番って言うなよ! いいじゃん! こういう面談みたいのやってみたかったんだ」

「中央で散々やっただろ!?」

「なわけあるか! 中央なんて、スカウトして書類書いたらすぐトレーニングなんだから面談も何もあるかよ!?」

 

 不貞腐れる調月。しかし、不貞腐れながらもとある書類をタチタルユタカに手渡す。

 

「レース一覧ですか?」

「そそ。そこの欲張りさんに重賞を頼まれちゃったからね。重賞一覧持ってきたから選んでちょ」

「分かりました! ……………ん?」

 

 手渡された紙を見て、だんだん顔から血の気が引いていくタチタルユタカ。しきりに裏面、紙の下側を確認するが目当てのものは見つからなかったらしい。

 

「調月さん? 重賞一覧が途中で見切れちゃってますよ?」

「ん? それしかないけど?」

「いやいやいやいや! おかしいですって!?」

 

 なぜか絶句するタチタルユタカ。不思議に思った友人が紙を覗き込むがウマ娘のレースのレの字も知らない友人が聞いたことがあるものがいくつかある程度。なにかおかしい点があるのかと訝しむ。

 

「門別の、地方重賞レースが抜けてるじゃないですか!? 北海優駿は? サンライズカップはどこですか? というかなんでトゥインクルシリーズしかないんですか? なんで『おすすめレース』っていうところに有馬記念や中山大障害って書いてあるんですか!?」

「いやぁ、叔父さんは天皇賞とかしか知らないけどユタカちゃんは博識だなぁ…。この有馬記念とかいいんじゃない? おすすめされてるし─」

「─叔父さんは黙ってて!」

「そうだ! オジさんは黙ってろ! …フフッ」

「調月、お前は俺のことバカにしてんだろ! そんなニュアンスだったぞ」 

「安心してください! 私も叔父さんを馬鹿にしてます!」

「ユタカちゃん…」

 

 矛先が一瞬で変わって轟沈する友人。そんな沈没船を尻目に砲撃戦はヒート・アップする。

 

「中山大障害って…バカにしてます?」

「…」

「…」

「…俺は今日のレースしか知らないから断言はできないが有馬記念はおすすめだぞ?」

「無視するな!? というか有馬記念って、私条件満たしてないですよ?」

「? 中央に転入すればいいじゃん?」

「もう三年ですよ? 今更ですか?」

「今更でもいいじゃん。重賞取ってハッピーエンド。それでいいじゃん」

「…」

「先に言っとくけど、中央転入を進める理由は最新のトレーニング設備が門別じゃ使えないから」

「…」

「そっちも理解してると思うけど、門別のトレーング施設は筋力強化、それも遅筋の強化に重きをおいてる。今日見た感じ、門別の奴らはパワーだけは中央所属ウマ娘の平均を超えている」

「…」

「でもそれだけ。北海道出身ウマ娘は素の筋力がある。ばんえいのノウハウもあるから筋力強化もできてる。けど、それだけで勝てるんなら苦労はしねえわな」

「…スピードやスタミナが足りないからですか?」

「それもある。けど一番の原因は筋力を有効に使えてないからだ。中央はいろんなことを想定して多様なトレーニング設備がある。フォームの矯正、回転率…ピッチの向上を目的とした設備だってある。フォームに関してはここでも直せるが…。ぶっちゃけ面倒いんだよ。高学年なんだから時間は効率的に使おう」

「でも…転入なんて…」

「転入方法は転入試験を受けるっていうのがオーソドックス。だけど…」

 

 言いにくそうにする調月。タチタルユタカが続きを促し、ようやく口を開く。

 

「そもそも各種測定で弾かれる。パワー以外はミソッカスだからな…」

「ッ!」

「だが、実績を上げれば別だ」

「…」

「地方レース各種はそれぞれランク付けされてんのよ。ランクごとにポイントが設定されてて一定を超えれば転入自体はできる。金もかかるけどな」

「…」

「それと、有馬を推す理由はもう一つある。有馬がある中山。あそこは最後の直線が短い。中央の化物みたいな末脚を持つ奴らをコース自体が封じてくれる」

「末脚で勝負しない…先行策ですか?」

「そそ。可能性ある重賞が中山かつ、今からトレーニング期間が取れる年末、有馬記念を目指しちゃお」

「…はい」

 

 斯くして、元中央のエリートトレーナーと地方で燻っていたウマ娘の輝かしい物語が─

 

 

──

 

「…zzZ」

「おらぁッ! なにへばってんだぁ?」

「─ヒグッ!」

 

 調月とタチタルユタカのトレーニング初日。いったいどんな練習が始まるのかと胸を躍らせていたタチタルユタカ。入念な準備運動、ウォームアップののち、全力で一周1600メートルを走れと言われたので全力で走り、我ながらかなりいいペースで行けたと思っていたのだが─

 

 

『─今日は座学にするぞ』

『ほへ?』

 

 予定が急変更。調月が学園教師陣に無理言って教室一つを丸々占有。彼女を無理やり椅子に座らせ授業開始である。

 

「もう一回言うけどさぁ。別にフォームは教科書通りじゃなくてもいいんだよ」

「…」

「お? 不満気だなコノヤロー」

「…このフォームは中央トレセン学園が発表してるものですよ? それを踏襲したほうがいいんじゃないんですか?」

「…お前さんの考えも一理あるけどよ? お前さん最後のほうフォームが崩れて後傾姿勢になってた。無理に慣れてないフォームを使って無駄に体力を使うくらいなら向いてるフォームでレースを走れ」

「…私に向いてるフォーム、ですか?」

「ああ。お前さんはパワーだけはある。だが、スピード至上主義と評されてる日本や香港、アジア諸国のウマ娘。そのエリートが集まる以上トレセンはどうしてもスピードに偏った走り方をしてんだよ。相性はそんなに良くない。なら、お前さんが倣うべきは『パワー至上主義』の本場の欧米、その中でも日本以上に起伏の激しい欧州の走り方だ」

「ヨーロッパの…走り?」

「ああ。要所要所では体をダイナミックに使い、そのほかではコンパクトに走る。言うは易し行うは難しな走法ではあるが、身につけられたなら強力な味方になる。なぜなら日本レース場の、特に中山のコースは高低差5.4メートルにもなる。そこが勝負の分かれ目だ」

 

──

 

「…で、結局どう走ればいいんですか?」

 

 ユタカの問いに、調月は黒板に雑な図を描く。坂、カーブ、直線。それぞれに適したフォームを、棒人間で表現する。

 

「お前さんの走りは、力任せに地面を叩いてるだけ。それじゃ坂で沈むし、カーブで流れる。欧州式は“地形に合わせて体を変える”んだよ」

「…そんな器用なこと、私にできるんですか?」

「できる。そもそも大雑把な欧州と違ってさぁ日本のコースは馬鹿みたいに芝もダートも整備されてる。だから似たようなクッション値なのに日本が高速馬場って言われてる」

「それがどうしたんですか?」

「欧州は高低差のある地形と深く不揃いな洋芝に足をとられるから進むだけでも一苦労。だから体を大きく使うムーブメントで推進力を得る。だが整備されてる日本の芝なら本場ほどに大きく動かなくていい。急坂を登り終えた時、コーナー脱出時にだけ腕をほんの大きく振るだけでいい」

「…」

「要するに、加速しないといけねぇときに脚だけじゃなくて身体全体を使えってことだ」

「加速しないといけない時…?」

 

 調月の講義に聞き入っていたタチタルユタカがふと気づく。

 

「じゃあ、スタート時も大きく体を使ったほうがいいんですか?」

 

 加速時に行うのならば、スタート時にだって行う必要があるのではないかという疑問。欧州、米国、日本、香港など、多種多様なウマ娘が世界中で走ってはいるがスタート時だけは皆一様にコンパクトな走りをしている。調月の言う事が正しいのなら少しくらいスタートダッシュの多様性があってもいいと思うのだ。

 

「確かにスタートも加速力が必要になってくる場面だ。だけどよぉ、スタートダッシュは0から100に大きく加速する場面だ。その時に受ける空気の抵抗は甚だでけぇ。コンパクトに走っててもそれなら、体を大きく使って走ったら…。考えたくもねぇわな」

「…」

「体を大きく使うのはコーナーで、坂で速度が少し落ちた分を取り戻すために使うのがベストってことだ」

「分かりました!」

「よし! それじゃ走ってみっか」

「はい!」

 

 斯くして二人は初日を好調に─

 

──

 

「─体の使い方がなってねぇ! もっと前傾しろぉ!」

「うう…、スパルタぁ…」

 

 

 終わらせれはしなかったようだ。

 

──

 

 

 二日目、三日目と初日同様に欧州式のフォームの定着に励んでいたタチタルユタカと調月。口ではダメ出しをしまくる調月だが、内心驚いていた。今まで学んでいたこととは異なる走法、それも筋力、持久力などフィジカルが必要な走り方。レースの走りを見る感じパワーはともかくスタミナは貧弱そうに思えたため、もう少し苦戦するとばかり思っていたのだが…

 

 

(……レースの時は緊張でリラックスできてなかった。そこからくる余計な消耗さえなければスタミナはあるのか)

 

 三日たってもピンピンしている。むしろ、それなりに欧州式をものにしているといった印象すら感じる。

 

 そう、十二分なスタミナはあったのだ。使い方が下手過ぎてないように見えていただけで。

 

(これはレースも数撃ちゃ当たるってよりは一つ二つに絞っていったほうがいいかもな)

 

 門別トレセンに問い合わせたところ、今までのレース成績は散々。デビュー戦にいたっては先頭から13秒オーバー。次戦も7秒8オーバー。2、3回ほど掲示板には入っているが、その都度膝関節の炎症などに泣かされている。中央に転入するには地方の重賞であと4回ほど掲示板に入るか、一着を一度とるくらいの活躍が必要。一着は厳しいかな、と思っていたが風向きが変わってきた。

 

「おい、お前さん。喜べ! 楽しい楽しい岩手旅行だ!」

「─へ?」

 

──

 

 突然旅行のパンフレットを持ってきた調月。もう旅行計画を立て始めている調月を白い目で見ながら会話を続ける。

 

「─盛岡競馬場ですか?」

「ああ。地方重賞ダイアモンドカップ。岩手におけるの重賞の格としては最上位クラスで東日本の地方トレセンのウマ娘が参戦するアホほど重要なレース。しかも─」

「芝ですね」

「ああ地方コースで唯一芝があり、かつ高低差も激しい盛岡競馬場。コーナーもここに比べたら小さく、でも直線は300メートル超え。芝も寒冷対策にケンタッキーブルーグラス、ホソムギ、トールフェスクの洋芝ブレンド。つまりは抜けやすい貧弱芝。ってことは?」

「???」

「パワー系ウマ娘のタチタルユタカちゃんにぴったりってわけだ」

「私にぴったり?」

「抜けやすい芝はしっかりグリップしてくれない。つまりは滑ったりしやすいわけだ。パワーがないと走るのだって一苦労よ」

「…」

「そしてそして~」

「そして?」

「欧州式フォームを習得したユタカちゃんにとって坂は望むところ、きっついコーナーからの立ち上がりだってお手の物。どう? 勝てそうな気がしてくるでしょ?」

 

 中央におけるトレーナーの役目とは担当ウマ娘の身体トレーニング、食事管理による体作りにフォーカスされることが多い。レース戦略を考えたり、年を通して、現役期間すべてを通しての目標レース、出走レースの選定などの采配やスケジュール管理であったりメディア出演のような案件を取ってくる能力もたまに日の目を浴びることがある。

 しかし、他のスポーツのトレーナーと比べて精神面のケアが脚光を浴びることは少ない。これは専属トレーナーがつくようなウマ娘は走ることに対する本能が強く、メンタルケアをしなくても勝手に調子を上げてくるような化け物ばかりであることと、その他ウマ娘たちも学園生活やライバルたちとの切磋琢磨でメンタルケアを各自でしてしまうからである。

 一応、人間関係に起因する不調、イップスによる不調もあるが、嘱望されているウマ娘は周りのウマ娘が気にかけてくれるので立ち直る。そうでないウマ娘はそのままフェードアウトしていく。なのでトレーナ自身のメンタルケア能力は注目されることは極々稀である。

 

 身体方面の育成能力>>マネジメント能力>>>>>>メンタルケア能力。これがトレーナーの能力の重要度である。

 

 だが、これは一廉のウマ娘集まる中央での話。地方なら話は別である。メンタルも安定していない、理想とすべき存在が近くにいない成長途中のウマ娘たち。そうであるならばトレーナーにはやる気を出させる、勝てるかもと自信を持たせる力が求められるはず。

 

 中央では終わったとされ追い出された調月ではあるが─

 

「トレーナー! ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!!」

「おう、任せろ」

 

 案外、地方の水が合うのかもしれない。

 

──

 

注意※ 地方重賞のダイアモンドカップですが本来はダートのレースです。物語の都合上、ちょうどよい時期にある重賞がダイヤモンドカップしかなかったため改変しております。歴史あるダイアモンドカップを勝手に芝のレースとしたことに関しては創作だからと笑い飛ばしていただければ幸いです。

 

──

 

「─なぁ調月よぉ~」

「ん? なんだぁ?」

 

 調月がタチタルユタカのトレーナーとなっておよそ三週間。目標と定めた岩手、盛岡レース場の重賞・ダイアモンドカップまでちょうど一週間となる日の夜。練習を切り上げた調月は友人と久しぶりに深酒をあおっていた。

 そんな中でのふとした疑問。それが─

 

「お前がユタカのトレーナーになって三週間だろ? それなのにそんなでかいレースに出て勝てるのか?」

「…」

 

 調月の意識を酩酊から寒さ残る黒曜石色の夜半へと引きずりおろした。

 

「言いにくいけどさぁ…。俺はユタカちゃんにこれ以上傷ついて欲しくない。今までレースで負け続けて塞ぎ込みかけてたのに、お前がトレーナーになってくれて─本当に楽しそうなんだ」

 

 

 だから、また挫折させてくれるなよ。そういっていることはいくら人格が破綻しかけている調月でも理解できた。わかってはいる。友人の重賞依頼は姪っ子の、タチタルユタカの卒業までの一年間の総決算として。こんなすぐに挑戦してくれだなんて頼まれていないのだ。

 

 

「詳しくは知らないけど、そんな重要なレースが一、二週間前の飛び入り参加できるわけがない。どうせ最初っから出させるつもり─」

「─保険だったよ。最初は小さいレースをいくつもこなして地道に足がかりを作るつもりだった」

「ならどうして!?」

「…」

「おい! 何とか答えたらどうだ!?」

「…中央にいたとき、ふと思ったことがある。なんで中央が地方と別格とされてるのか」

「はぁ?」

「北海道はウマ娘王国だ。北海道出身のウマ娘は全体の七、八割。中央やほかの場所に行ったとしても数千人の競争環境があるはずなんだよ」

「…」

「なのに中央には遠く及ばないとされてる」

「それが?」

「速攻で出てったとはいえ世話になったのも事実。それを下に見られたり馬鹿にされちゃあ気分は悪いわな」

「…」

「恩返しがてら、一発、目にもの見せたろうと焦ってたのは事実だよ」

「恩返しはいいんだよ! いいことだと思うし、やればいいとも思う。でも…、でも、ユタカの人生を弄ぶのは違うだろ!?」

 

 必死に思い直すように懇願する友人。口に出すまいと思っていた疑問を吐き出させた酒の力は張本人のくせにもう抜けているようだ。

 

「…だが、焦りは三日目で消えた」

「?」

「負け続けってお前は言うけどさ? あいつ門別で三回も入賞してるじゃねえか」

「…」

「才能ないって周りはいうけどさ? パワーあるじゃん。スタミナあるじゃん。足りないところは伸びしろじゃん?」

 

 そのウマ娘は結果を出したことがある。光るものを持っている。適切に磨けばもっと光りだすだろう。なら─

 

「タチタルユタカはすごいウマ娘だよ。みんな認めたがらねえし、あいつ自身否定するけどな」

 

 自分の働き次第でダイヤにだってなるし、屑石にだってなる。

 中央で活躍してきた自負がある。積み重ねた経験がある。腐っても鯛、だから─

 

「一週間後、絶対に見に来い。後悔だけはさせねえからさ」

 

──

 

 だからこそ調月の指導に一層の熱が入る。レース六日前、疲労を取るための休息、移動、コンディション調整諸々を考えたら本格的なトレーニングは今日が最後。タチタルユタカは程よい精神状態を保ち、まずまずの体のキレを持っていた。試しに一周走らせてみたところ─

 

「─いいタイムだ」

「やったぁ!」

 

 三週間前と比べてかなりの好タイム。調月はそれを踏まえて、一つアドバイスを送る。

 

「お前さん、今の汗を覚えとけよ」

「?」

「自分の感覚と実際の体調は必ずしも一致しねぇ。今は良好なコンディションだ、その時の体温は、心拍数はなんぼだ? 計測すればわかるんだろうが…、まあ自分じゃわからんわな。だから今の汗を指標にしろ」

「汗を指標に…?」

 

 運動によって上がる体温。高体温状態では筋収縮速度の上昇、筋肉内の摩擦抵抗の減少、酵素活性によるエネルギー生産の促進などなど運動における多々のメリットが期待できる。しかし、上がり過ぎればたんぱく質の熱変性という致命的な損傷が起きてしまう。

 体温が上がり過ぎないように体が行うものこそ発汗。汗が蒸発することで熱を体の外へと排熱する行為。しかし、汗とはそれだけではないのだ。エクリン汗腺から体温調節のために出てくる汗。精神的なストレスを受けた時、緊張状態の時にエクリン汗腺のほかにアポクリン汗腺からも出てくる汗。ナトリウム、脂肪などを多く含むベトベトした汗もあればほとんど水の蒸発しやすく運動に適したサラサラの汗。その時の体調、コンディションによって汗は変質する。

 

 ならば汗を知ればコンディションを知り、どう走るかを考えるのに役立つ。悪い時の汗を知っていれば警告となり、怪我の発生をわずかながら減らすことができる。

 

「レースの最中に変に難しいことを考えさせるつもりはねえよ。今みたいな汗なら思いっきり走る。ベトベトになってたら流してまた今度。そんなもんでいい」

「流してまた今度って…。レースを落としても大丈夫なんですか? その…ポイント的に」

「良いわけない。でも、怪我したらただでさえ小さい可能性がゼロになる。そうなるくらいなら臥薪嘗胆、捲土重来の機を待つ。それだけのことだ」

 

 レースは勝ちたい。現在のポイント状況的に負けは許されないし、入賞するだけでもまだ危うい。それでも怪我すれば数週間、数か月の療養期間が必要。ものによっては年単位。ポイントを稼ぎたいからこそ怪我を絶対に避けるのだ。

 

「まあ、そんな心配しなさんな。出場する奴らに芝に適性のあるやつはいない。スピードに自信があるやつが二、三人いるが、コーナーで外に膨れる。お前さんが内側で最短距離を走れば十分に勝てる勝負だ」

「私が…勝てる…」

 

 タイムの向上、新フォームの存在など、様々な要素が重なり上向きのタチタルユタカ。自分の感覚でも充実しているのがわかり、本当に勝てるんじゃないかと考え始める。こうも状況が好転しているのはやはり叔父が連れてきた調月という男のおかげなのは間違いない。得体のしれない男だとばかり思っていたが案外たいしたトレーナーなのかもしれない。

 

「─なあなあ。話変わるんだけどお前さんの叔父の好み知ってる? 行者ニンニク? 弁慶のほろほろ漬けのほうがいいか?」

「…」

 

 …たいしたトレーナーではなかったかもしれない。

 

 

──

 

 

 

 最後の調整日を終え、岩手移動を開始した調月とタチタルユタカ。北海道を出る前、門別を出る前には希望に満ち満ちていた、自信があふれていたタチタルユタカが─

 

 

『…』

『どしたん?』

『ひゃぁぁ!?』

 

 飛行機に乗る前には言葉を失い始め…

 

『いやぁ、エコノミーは窮屈でいけねえな。やっぱりビジネス、いやファースト─』

『─ワーストッ!? トレーナーさんまで負けるって言いたいんですか? そうですよ私は出来損ないですよーだッ!?』

『…。被害妄想乙』

 

 ついたころにはガチガチに緊張してしまっている。

 

 あと三日はあるし持ち直すだろ、と楽観していた調月ではあるが─

 

『見ました!? あの娘、絶対出走するウマ娘ですよ!? 嗚呼、顔もよくて走るのも速いなんて…。神は何で二物を与えるんですかぁ!? 二物与えるくらいなら私に一物与えろよぉおおおおお!?』

『Stay! Stay Yutaka. It is P〇nis.』

 

 TS願望を持つほどに動転してしまったところで漸く事の重大さを認識する。なので─

 

「落ち着け馬鹿野郎」

 

 タチタルユタカのメンタルケアのお時間だ。

 

──

 

「お前さん、心残りはあるか?」

「…」

「速く走るための知識をぶち込んだ。速く走るための技術を身に着けた。速く走るための練習をちゃんとやった。何か不安か?」

「…」

 

 ユタカは無言で、しかし首を小さく横に振る。

 

「…そうだ。五日前に門別で一回走ったじゃん?」

「はい。それが何か?」

「喜んでいいぞ? 今回のレースに出走する奴らのベスト記録だ」

「!?!?!? マジ!? あ、いや本当ですか?」

「おう。ほかのやつらよりも一秒速い。それもほかのとこよりも砂厚がある門別のダートでだ」

「…!」

「パワーもスピードもお前が一番だ。そして─」

 

 タチタルユタカに己への自信はない。学園に入学してから、いや走り始めてから自分を肯定できたことは一度もない。おそらく、これからもそうだろう。負け続きの自らが一着を取りでもしない限りは肯定はできない。でも─

 

「指導者だって一番だ!」

 

 この一か月、門別でだれよりも恵まれていた自負はある。元中央のトレーナーに師事した。コースを多く使った。独占だってした。道草を食べて、無茶ぶりにてんやわんやした。けど成長した、そんな気がした。

 

「最善を尽くしたなら、あとは静かな心で結果を待てばいい」

「はい…」

 

 調月は少し、少しではあるがタチタルユタカの体から緊張が抜けた風に見えたので一先ず安堵する。

 

「ところでトレーナー?」

「ン?」

「なんでこんな重要な会話をレース当日のッ、運転中にするんですか!?」

「え? ダメなの?」

「もうちょっと場所と雰囲気考えてくださいよ! レース直前か前日の夜とかに感動的な雰囲気でやるようなものでしょ!? 気が気じゃなかったですよ!?」

 

 

 タチタルユタカはある種のながら運転によって緊張がほどけたようで素の口調、雰囲気が顔を見せ始めている。

 

 ああだこうだとイチャコラしているうちに盛岡競馬場に到着する二人。事務は事前に終わらせていたのでそのまま控室に直行。

 

 先行策、コーナーで内側を走るなどの確認や諸注意を控室で行う。

 

「─わかってるな? 調子が悪いって感じたら流せよ?」

「わかってますってば!」

「これが子供を思いながらも疎ましく思われてしまう母親の気持ちか」

「トレーナーは男でしょ!? 私はお母さんのこと敬ってるし、全然仲いいです!」

 

 タチタルユタカはどうやら程よい精神状態でレースに臨めているようだ。

 

 そろそろ時間なのでタチタルユタカは席を立つ。

 

「トレーナーさん」

「なんだ?」

「…行ってきます!」

「おう。気楽に行ってこい」

 

 調月はその背中を気楽に見送った。

 

 

──

 

「お、来た来た調月。こっちだこっち」

「はしゃぎ過ぎだバカ」

 

 レース開始時刻30分前。友人がとっていた席に調月が座る。

 

「いやぁ、こんなに多くの人がいるレースなんて初めてだからさ? 本当に楽しみだなぁ」

「…」

 

 中央に慣れ過ぎた弊害か。調月にとってレースはこの程度の観客はありきたり。むしろまだ少ないくらいだ。観客席にはもう少しウマ娘やレース関係者が押し寄せており─

 

「やあトレーナー君」

「ん? ああルドルフも来てたのか。……?」

 

 こんな風に超有名ウマ娘のシンボリルドルフだっている…?

 

「となりいいかな?」

「どうぞ?」

「失礼するよ」

 

 

 あまりにも意味不明な状況に困惑する調月を置いてシンボリルドルフが隣の席に着席。自然な感じで居座る。

 

「なあ、調月? この人は?」

「…ああ、こいつは─」

「彼の担当ウマ娘だ」

「…元な?」

「フフ、君さえよければ元鞘に収まってもいいのだが」

「なんか誤解されそうな言い回しだなぁ」

「…もしかして俺ってお邪魔?」

「そんなこたぁねえよ。ルドルフが勝手に来ただけだ」

「その通りだ。私のことは気にしないで観戦していただきたい」

「…」

 

 そうは言われても気まずい友人は、ちょっと小枝を折ってくる、と言い残し退散。突然現れたシンボリルドルフと調月の二人っきりである。

 

「…復帰したんだね」

「まあ、復帰は復帰だな」

「…結局トレーナーを続けるなら中央で、私の手を取ってほしかった」

「……」

「周囲はあることないことを言っているが、君ほど育成手腕に長け、結果を出し続けてきたトレーナーはそういない」

「天才トレーナーだからな」

 

 どこかたどたどしい二人の会話。友人が退席したせいでむしろ状況は悪化した模様だ。

 

「というかなんだぁ? 俺が中央戻りますって言ったらすぐ戻してくれるのか?」

「ああ、明日にでも」

「…マジ? え? 悩むんだけど」

「…」

「…」

 

 長い沈黙。あまりにも気まずい状況にシンボリルドルフは耐えきれずに─

 

「ハハ、あの時と一緒だな」

「あの時ぃ?」

 

 思わず噴き出した。

 

「アメリカ遠征の前、私が君と喧嘩した時だよ」

「…ああ。思い出した。俺が春は休めって言ってお前が駄々こねた時か」

「その通り。あの時、君の言い分を受け入れてさえいれば結果は変わっていただろうね」

「いや、凱旋門で赤っ恥書くだけだったかもしんねぇぞ?」

「いや─」

「いやいや─」

 

 歴史にIFはありえない。だが、皇帝と呼ばれたウマ娘と日本国内のG1タイトルを荒稼ぎしたトレーナー。互いに互いを高く評価するからこそ、もしかしたらを語りたくなってしまう。そんな名コンビだったのだ。

 

 それを─

 

「いやぁ、ルドルフの後、いろんな奴をとっかえひっかえしてたからなぁ。癖の強いやつらだったなぁ」

「…」

 

 調月は久しぶりに思い出した。楽しそうに、時にトラウマを思い出したかのように青ざめる調月をシンボリルドルフは楽しそうに見つめる。

 

 メディア対応が杜撰であったり、勘だ、なんだと意味不明なことを言い出したり、言動がちょっとだけアレなことなどが相まり、ウマ娘のことをあまり考えている風には見られない調月ではあるが情に厚い一面もあるのだ。

 

「フフ、今日はこのあたりで帰るよ。君が壮健そうでよかった」

 

 シンボリルドルフは帰路に就く。本当は中央に力づくでも連れ戻したい。だが、調月が楽しそうにやっているのを邪魔してまでは思っていない。だからこそ今日は退く。

 

「おいルドルフ、教え子の力を借りるのは忍びねぇ。だから─」

 

 だからこそ調月もシンボリルドルフに宣言する。

 

「俺ら自身の力で中央に殴り込む。覚悟しとけよ?」

「俺ら…。随分と君の担当ウマ娘に惚れ込んでいるようだね」

「たりめぇだろ。担当に入れ込まないトレーナーがどこにいるんだ?」

「フフ、そうだね。では楽しみにしているよ」

 

 今度こそ帰路に就くシンボリルドルフ。観客席を移動し、離れ行く背を少し悲しそうに眺めながらも調月は決意を新たにする。

 

──

 

 しかし、その数分後─

 

「─すまない! 言い忘れていたことがあったんだ!」

「感動の別れだったろうがよ…」

 

 ほんの少しだけ息を切らしてシンボリルドルフが戻ってくる。

 

「そう邪険にしないでくれないか? 中央を目指すものへのありがたいアドバイスをしに来たんだからね─」

 

 現役時代に伝え忘れたことを伝えに。

 

──

 

「どうでしたか? 会長」

「フフ、ダメだったよ。振られてしまったようだ」

「それにしては少しうれしそうですね」

「自分たちの力で中央に乗り込むそうだからね」

 

 

 シンボリルドルフは今度こそ盛岡競馬場を後にする。その顔は友人が言うように上機嫌。コンビ時代、調月の活躍を傍から見聞きしていたころのにずっと伝えたかったことを伝えられたのもあるが、中央へ殴り込むという啖呵にうれしさを覚えたのだ。

 

「…願わくば、もう一度君と走りたいものだ」

「しかし、今年乗り込んでくるとなると少し残念ですね」

「何がだ?」

「昨年から中央に転入し、大車輪の活躍をしているオグリキャップがいるのですから。活躍は難しいでしょう」

「彼と彼がが見込んだ娘なら大丈夫さ」

 

 まだまだ一年は始まったばかり。だが、激動の一年になりそうだとシンボリルドルフは笑った。

 

──

 

「お? あのお嬢さんとの話は終わったのか?」

「ああ」

「お前の担当っていうからどんなハチャメチャな奴かと思ったけど、全然礼儀正しいじゃないか」

「…態度は確かにお淑やかではあるがなぁ。戦績はハチャメチャだぞ?」

「え?」

 

 地方から来たばかりの調月が中央で最初に組んだウマ娘であるシンボリルドルフ。

 

 実績が足りず、経験も足りなかった調月と組んでなお、シンボリルドルフは強かった。

 

 幾年にもわたる競技者生活の中でわずか三度の敗北。幾度も怪我に泣かされながらもその都度復帰してきた。復帰戦を1ハロン15秒で流しての完勝。無敗のクラシック三冠に史上初の七冠ウマ娘。今後、いかなるウマ娘が現れようと陰ることのない栄光を掴み取った怪物、それが─

 

「─シンボリルドルフだ」

「…。お前、本当にすごいやつだったんだな」

「おう。そんなすごいトレーナー様が太鼓判押すんだ。姪っ子に関しては期待していいぜ」

「勝てるのか?」

「さあ?」

「おい!」

 

 せっかくタチタルユタカを持ち上げるような発言をしたのに勝てるかわからないと言い出す調月に友人は何度目かのため息をつく。

 

「でもこの一か月、勝てるだけの練習は詰め込んだ。あとはあいつ次第だよ」

 

 薄暑、本日の風はほどほどに吹き、太陽が雲雲の合間からチラチラと顔をのぞかせる。寒すぎず、しかして暑すぎず。普通の、何ら変哲のない環境下、東日本のウマ娘たちが岩手、盛岡競馬場に集まって雌雄を決するレースが始まる。

 

 芝という、中央へと上がるための登竜門。タチタルユタカとトレーナーにとっては今日が分水嶺。芝で走れるだけのフィジカルはある。あとは嚙み合うか。そこで明日は決まるのだから。

 

──

 

「うわぁ…みんな速そうだなぁ」

 

 パドックでアップがてらウォーキングするタチタルユタカ。ガチガチの緊張状態からは調月のおかげで抜け出せたが、本番前の緊張からくる心臓がキュッと締め付けられ、血圧が上昇する感覚にはまだ慣れない。

 

 周りを見渡せば地方最強の大井、川崎所属のウマ娘が多数。そのほかにも東日本の地方トレセンのエースばかり居並ぶ異常事態。門別トレセンの下位常連の自分は場違いにしか考えられないくらいだ。

 

 周りのウマ娘が放つ剣呑とした雰囲気、ピリピリとした緊張感のせいで胃が痛い。でも一つ幸運だったのが─

 

「みんな私のこと見てすらないなぁ」

 

 門別でのレースでは、こいつには勝てるな、と下に見られていたのに今回はそんな類の視線が一切ない。大方今までの戦績が散々すぎて歯牙にもかけられてないだけだろうが、それでも幾分か心が楽になる。

 

 そんな時─

 

「─おい、アレってシンボリルドルフじゃないか?」

 

 誰かが観客席にて談笑するシンボリルドルフに気付いた。

 

 その声を聴いたパドックの全員が観客席に視線を向ける。様子は十人十色。滾る闘争心を隠そうともしないウマ娘、少しでも印象に残ろうとアップのテンポを上げるウマ娘。多種多様の反応を見せるが、皆一様にシンボリルドルフに注視していた。

 

「トレーナーさん?」

 

 たった一人のウマ娘を除いて。

 

 世間一般に、ウマ娘やトレセン関係者の中で専ら最強と言われるシンボリルドルフ。その隣で楽し気に、気負うことなく談笑しているのは己がトレーナーなのだ。

 

 誇らしい、そう感じるほどに仲が良いわけではない。自分のトレーナーはすごい人だったのだと、ただただ驚くのみ。

 

「─ッ」

 

 一瞬、シンボリルドルフと目が合った。ウマ娘界の英雄、『皇帝』と称されるウマ娘が確かにタチタルユタカを見た。

 

 品定めするような視線。シンボリルドルフの威圧感も相まって恐怖の代物である。しかし─

 

 

 タチタルユタカの胸中を占めるのは高揚感であった。

 

 

 今まで見下され続けてきた。今回も見下されはしなかったものの何の反応もされなかった。そんな自分が初めて他者に警戒された。それも皇帝シンボリルドルフにである。おかしなことだが、不思議と心が軽くなる。

 

 シンボリルドルフはすぐに隣の調月に視線を戻す。

 

「なんだぁ? 私たちのことは眼中にもないってか?」

 

 周りはそれをシカトと受け取ったが、タチタルユタカだけは違った。振り返り際、皇帝は笑ったのだ。満足そうに。

 

──

 

 皐月の空、春の日がうらうらと照る。風がほんのりと緑の香りを運び鼻腔をくすぐる。艶陽とは今日のこと、光風とはこの風のことを指すのだろう。

 

 タチタルユタカは不思議と緊張することなくゲートに歩を進めた。

 

 足の調子はまずまず。アップでかいた汗も味がしない、サラサラの、好調の時のそれ。

 

 それに加えて中央仕込みのトレーニングだって積んだ。欧州式のフォームだって身に着けた。

 

 この一か月、誰よりも積み上げてきた。その成果を発揮したい、ただただ走りたい。

 

 黒鉄のゲートを前にしてこんなにもじれったい気持ちになったことはない。いつだってやる気を失って、最下位じゃなかったらいいなぁ、なんて考えていたのが一か月前までの自分。静かに自分の成長を実感し、タチタルユタカは胸がいっぱいだった。

 

 スピーカーから流れる機械の、味気ないブザー音とともに視界が晴れる。 

 

 つまりはレース開始。新生タチタルユタカ、その初陣の幕が切って落とされた。

 

──

 

 ゲートが開いた直後、14人、すべてのウマ娘がゲートを飛び出した。タチタルユタカは上々の滑り出し、位置取り争いに勝利し好位につける。が─

 

「─おい調月! ユタカちゃんが他の子に囲まれちゃってるぞ!? 大丈夫なのか!?」

「大丈夫、一端落ち着けよ」

 

 少しでもいい位置に陣取りたいウマ娘たちがユタカの周囲を囲み、図らずも包囲網の形になる。しかし、調月は動じない。

 

「タチタルユタカの武器はパワーとスタミナ。勝負はコーナーだ」

 

 調月が言った通り、集団がコーナーに差し掛かると同時に少しだけスピードを落とし、しかしながらわずかにラインが膨らんで進行速度が低下する。

 

 そんな中でタチタルユタカはコーナー内側で粘り、距離的なロスを防ぐ。コーナーから立ち上がる際は腕を大きく振り、体を動かし速度的なロスをすぐに取り戻す。周りのブレブレのライン、コーナー立ち上がりの際のもたつき。これらすべてが合わさり、タチタルユタカは順位を一つ上げる。

 

 決して特筆すべきところがあるわけではない。しかし、見るものが見れば舌を巻く走りの完成度。

 

 コーナー後、直線で再び差し返されるが同じこと。

 

 タチタルユタカは直線、コーナー、すべてを最速でクリアしているわけではない。だが、直線で無理に足を使わなくても無駄のないコーナリング、体を大きく動かすムーブメントによる加速の補助による最良のコーナーワークのおかげで集団に食らいつける。だから脚だって溜められる。

 

──

 

 最終コーナー手前、各ウマ娘にほんの少し疲労の色が見え始めたころ、調月は己が担当の姿をしっかりと観察する。

 

「汗の量は少し多いが許容内、呼吸もそう大きくは乱れていない。肩もそこまでブレてない。体勢からしても疲労はコーナーで酷使した右足に少々ある程度。差し切る足は残ってる」

 

 ユタカには汗のみに注視させたが、それ以外からも体力や体の疲労を推し量る術を調月は持っている。ウマ娘の体調、状態を把握することに関してはトレセンでも並ぶものはいない。むしろウマ娘本人よりも理解していることさえある。まあ、感覚的な部分が大きくて不調な時は使い物にならない時もあるのだが…。

 

 そんなこんなで最終コーナーに先頭集団が突入。タチタルユタカが属する先頭集団はわずかに速度を緩めて遠心力に備える。しかし、直線勝負では向かい風に耐えるだけだったのに対してコーナー勝負では進行方向と直角の力にも耐えなければならない。どんなに覚悟していたとしてもコースがわずかにブレる。

 

 少しずつ外側に膨らむ先頭集団。しかし…

 

『─その後ろ2番タチタルユタカがコーナー内側を走ります』

 

 タチタルユタカが持ち前のパワーだけで遠心力にあらがっている。ライバルが外に流れる中、体力を消耗させてでも最短距離を走り続けている。

 故に─

 

「─よっしゃ、きたぁああああああ!」

「うるせぇ馬鹿」

 

 最終コーナーを誰よりも速く駆け抜ける。

 

 誰よりも大きく、肩で風を切るように体を動かし、誰よりも鋭い加速を見せる。

 

 コーナー突入時に6位であったタチタルユタカが5人をごぼう抜き。最後の直線で先頭に踊りだす。が─

 

「ユタカちゃん頑張って!」

「…」

 

 ─空気の壁がタチタルユタカの走りを阻む。追い抜いたライバルたちは彼女を風よけに順調にスパートをかける。一馬身ほどはあったはずのリードはもはや存在しない。

 

「お、おい、調月? 大丈夫なのか?」

「…安心しろい。誰よりも前を走るからこその空気の壁。その中を藻掻いてでも前に行く足をあいつは持ってるよ」

 

 後続がどんどん背後を追走、横を並走し始める。もう誰が抜け出すかわからない混戦。先頭集団、後方から追い込んできたウマ娘たち全員にチャンスがある。しかし─

 

 

 

─そのウマ娘だけが最後の直線で、疲労がたまった終盤でも空気の抵抗に耐えられるパワーがあった。

 

─スピードを一人だけ緩めなかった。

 

─走行姿勢を一人だけ前傾に保ち続けた。

 

 だからこそ─

 

 

『─一着は二番タチタルユタカッ!』

 

 

 タチタルユタカはレースを勝つ。

 

 大差をつけて、相手をねじ伏せての鮮やかな勝利ではない。最後方から全員を追い抜く圧巻の走りを見せたわけでもない。ふつうのレース展開で最後の最後まで競り合っての二分の一馬身差の勝利。泥臭く、課題まみれの走りをした。それでもなお─

 

 

「─ッ!」

 

 

 ついつい抑えきれずに右手を振り上げるタチタルユタカ。勝利とは格別なのだ。今まで敗北を繰り返し続けていたことも踏まえればことさらだろう。

 

 

 担当の重賞制覇達成の瞬間を見届けた調月はすぐに席を立つ。中央トレセン学園への転入には届け出やそれに付随する諸々の書類を提出しなければならない。提出は早ければ早いほうがいい。だがそれだけではない。

 

 ダイヤモンドカップは東日本の各地方トレセン学園のウマ娘が出走するレース。地方最強とされる大井のウマ娘だって参加する。中には中央トレセン学園が目をつけているウマ娘もいる。当然のように地方、大手問わずメディアは取材に来ているし、中央トレセン学園のトレーナーやウマ娘も見に来るほどの注目度の高い大会。

 

 メディアが大集合している。ならば─

 

「─タチタルユタカさんダイヤモンドカップ勝利、おめでとうございます」

 

 記者会見だってある。

 

 

──

 

 ダイヤモンドカップ終了後の記者会見。一位をかっさらった伏兵、タチタルユタカは注目の的になっていた。

 

「重賞初勝利ですが、現在の心境は?」

「嬉しいですね。まさか私がダイヤモンドカップを走って勝てるなんて…。まだ夢の中なんじゃないかなぁって疑っちゃいます」

 

「トレーナーとタッグを組んで初の勝利。トレーナーに対して一言お願いします」

「ありがとうございます、それしか言うことありません」

 

 初めてのインタビューに初々しく、たどたどしく答えるタチタルユタカ。歴の長いベテランの記者たちは必死に言葉を選んで回答する姿に好印象を持つ。しかし─

 

「調月トレーナー。地方から再起し、半年ぶりとなる復帰戦はいかがでしたか?」

「そうですね。メンタル的にも身体的にも危なっかしさはありましたが上々の走りをしてくれたと思います。最後の直線で並ばれながらも一位をもぎ取った。競り合いに勝ったということが大きな収穫です」

 

 調月が素直にインタビューに応じていることが記者たちに与えた衝撃はそれよりも遥かに大きかった。

 

 調月といえばレース勝利時の会見には全く顔を出さず、重賞を制覇した際も『ありがとうございます』の一言だけで済ませたインタビュー嫌い。数多くの実績を残す若きトレーナーということで一時期は話題になったものの取材は拒否する、アンケートにも答えない。そんな横柄な態度ばかり取っているので記者側も辛口の記事を書くように…。

 

 今回の復帰戦だって顔さえ見せないとばかり思っていた。それなのにこの変わりよう。長くウマ娘に関わってきている記者たちは困惑し、それと同時に予感した。

 

 ベテラントレーナとの契約目前のシンボリルドルフ強奪から始まり、前人未到の七冠ウマ娘を育て、その後幾度も二冠、三冠ウマ娘を育成。良くも悪くもやらかし続けた調月隼人。この男はまた何かやらかすぞ、と。

 

 

──

 

「次に出走するレースは考えていますか?」

「今のところは考えていません。今回のレースは確かに勝ちました。しかしながら、課題が多くあることも判明しました。こればっかりはトレーニングで地道に走りを改善していくしかありません。目下の目標はこれに尽きます」

 

 丁寧な口調で、真摯に記者たちの質問に答える調月。傍目にはこともなげに記者をいなしているように見えるが─

 

(だるいぃ…。今までみたいに仮病でっち上げてバックレればよかったぁ)

 

 内心は駄々こねまくり。インタビューを受けることを決め、実際に受けている最中でもめんどくさくて仕方ない。だが─

 

 

──

 

「─中央を目指すものへのありがたいアドバイスだぁ?」

「ああ。聞いて損はないと思うが」

「じゃあ聞かせてもらおうかね。皇帝陛下直々のありがたーいアドバイスとやら」

 

 レース直前シンボリルドルフがかけた言葉が調月を変えた。

 

「メディア対応はしっかりこなしたほうがいい。例えどれだけ苦手で、どれだけ面倒くさくてもね」

「ほぉ…?」

 

 トレーニングやウマ娘とのかかわり方などに対するアドバイスとばかり思っていた調月は困惑する。

 

「そりゃ、中央じゃ顔が売れてるほうが優遇とかあるってことか?」

「違う」

「じゃあ伝手を作るのに便利とかかぁ?」

「それも違う」

「…もしかして中央ってメディアからお金貰ってる?」

「…」

「おい。何とか言えよ」

「そ、そんな穿った見方をしないでくれ…。メディアには多少宣伝に付き合ってもらったり、設備の融通をしてもらっているだけだ。……無償で」

「…」

「そんな目で見ないでくれ! そんな話はもう終わりだ! というより全然違う!」

「はぁ…」

 

 あれも違う、これも違う。では何が正解なのかわからなくなった調月。

 

「というかあれだぞ? 俺がインタビューなんかまともにこなしたら世の中が放っておかないぞ? 顔良し、声良し、実績あり。トレーナーと言ったら調月隼人ってことになっちまうぞ?」

「それでいいんだ」

「ほへ?」

 

 もう思いつかない、降参と言わんばかりにふざけだした調月だが、それが肯定されて面食らう。

 

「トレーナー君は勘違いしている。確かにメディア対応には多くのメリットがある。伝手は作れる。番組出演、企画参加、インタビューに答えるだけでそれなりに謝礼をもらえる。でもそれらは副次的なものに過ぎないんだよ」

 

 新聞、ラジオ、テレビ…最近は動画配信サイトを主戦場とするものもあらわれてメディアの影響力はますます強くなっている。それに伴いメディアの持つ人脈、資金は拡大の一途をたどっている。ウマ娘が、トゥインクルシリーズが現在の隆盛を誇っているのだってメディアと結びつきいろいろな恩恵を受けているから。文春砲に代表されるように一個人、一企業、一分野を破壊することなど造作もないほどに世論と密接にかかわっているのがメディアなのだ。

 無論、そんな風に大きくなってしまったものだからメディアに対する贈賄、接待はもちろんのこと。ライバル企業、政敵、気に入らない有名人の暴露情報、デマ情報を流し炎上させるということもざら。そういう暗い面も増長する。つい最近中央トレセン学園でもスーパーウマ娘オグリキャップが過密すぎるロケ、インタビューのローテーションによって調子を崩したことでメディアに否定的な考えを持つ者も少なくない。

 

 それでもメディアの本質は変わっていない。

 

「現在のメディアの在り方は俎上に上がることもある。だが、情報を広く伝えるという重要な役目を担っている」

 

 確かにネットの普及で情報は新聞やテレビを通さなくても手に入る。だがそれは自分で情報の取捨選択をしなければならない。レースの勝敗ぐらいは調べるかもしれない。だが、どんなウマ娘がいるのか、トレーナーがいるのか。そこまではファンくらいしか調べはしない。

 

 情報あふれる現代でも情報を広めるのにはメディアの力を借りるほかないのだ。

 

「君があることないこと言われても気にしなくても担当ウマ娘は違う。誰だって自分のトレーナーの評判を聞いて思うところがない訳ない。貶されれば悔しいし、褒められたらうれしい。だから…」

「だから?」

 

 シンボリルドルフは少し間を置きながらも、笑みを湛えて言った。

 

 

「みんなに君のかっこいいところを知らしめてやってくれ」

 

──

 

 かつての相棒にそんな風に言われてしまったら怠け癖のついた体に、思考に鞭打ってでもやるしかない。そして、せっかくやるのだから─

 

 

「─今後の展望を聞かせてください」

「今日のレースで芝でも走れるとわかったことです。この勢いそのままに中央トレセン学園、トゥインクルシリーズに乗り込み、勝ちをもぎ取りに行きます」

 

 記者たちがどよめく。地方重賞一勝だけを引っ提げて魔境、トゥインクルシリーズに乗り込むというのだ。驚きもするだろう。

 

「…大きく出ましたね」

 

 ビックマウス上等。地方から上がってきたウマ娘というだけでは目立たない。オグリキャップという前例が今注目の的だからだ。大きく出ることで注目され、その分だけバッシングも増えることだろう。批判も、疑問も実績で黙らせてやる。そう宣言するかのような発言。

 

 明日には…いや、今日の午後には情報が拡散されるだろう。いろいろな反応があるだろう。覚悟を決めた調月は担当ウマ娘とともに悠然とその場を立ち去った。

 

 

──

 

「ちょっとトレーナーさんッ!? なんであんな大見え切っちゃうんですか!? 気が気がじゃなかったし─」

 

 タチタルユタカは慣れた手つきでスマホを取り出し、突きつける。

 

「─もうネットニュースを飾ってますよ! 友人たちも『よ、ニュースター』とかいじってきまやがります!! チクショーめ!?」

「ハハ、頑張れよニュースターさん」

「トレーナーのせいですよッ!?」

 

 三年目、シニアの部のウマ娘が地方から中央へなど前代未聞。包み隠さずに言ってしまえば前途のない、引退間近のウマ娘を取るほどの余裕は中央に無いし、そんなウマ娘が生き残れるほど学園内の競争は生易しくはない。だが、タチタルユタカと調月の顔に険は見られなかった。




 ダンツフレームは60連ほどでは私のチームに来てくれませんでした。
 次のチャンスに向けてジュエル貯めます。

 
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