軍の一団を撃退したアスナたち。教会で軍が変わってしまった理由を考えていると、そこに来客がやってくる。なんとその来客は軍の幹部だった。
「ミナ、パンひとつ取って!」
「ほら、よそ見してるとこぼすよ!」
「あーっ、先生ー!ジンが目玉焼き取ったー!」
「かわりにニンジンやったろー!」
ここははじまりの街、東七区の教会一階の広間。俺の眼前に広がっているのは子供たちの朝食の風景だ。巨大な長テーブル二つに所狭しと並べられた大皿の卵やソーセージ、野菜サラダを、二十数人の子供たちが盛大に騒ぎながらぱくついている。それは戦場さながらの風景で、アスナとキリト、ランマルは呆然と呟きを交じわす。
キリト「これは……すごいな……」
ランマル「ですね……」
アスナ「そうだね……」
まあ、大家族の食事風景と思えば、だいたいこんな感じだろう。
アスナ「でも、凄く楽しそう。」
少し離れた丸テーブルに、俺、ランマル、キリト、ユイ、サーシャと一緒に座っているアスナは微笑しながらお茶のカップを口許に運ぶ。
サーシャ「毎日こうなんですよ。いくら静かにって言っても聞かなくて。」
そう言いながら、子供たちを見るサーシャの目は心底愛しそうに細められている。
アスナ「子供、好きなんですね。」
アスナが言うと、サーシャは照れたように笑った。
サーシャ「向こうでは、大学で教職課程取ってたんです。ほら、学級崩壊とか長いこと問題になってたじゃないですか。子供たちを私が導いてあげるんだーって、燃えてて。でもここに来て、あの子たちと暮らし始めたら、何もかも見ると聞くとは大違いで……。むしろ私が子供たちに頼って、支えられてる部分のほうが大きいと思います。でも、それでいいって言うか……それが自然なことに思えるんです。」
アスナ「何となくですけど、解ります。」
アスナは頷いて、隣の椅子で真剣にスプーンを口に運ぶユイの頭をそっと撫でた。
血盟騎士団で最前線に立つことが多かったアスナにとって、ユイの存在はキリトとは違う意味で癒しになっているのだろう。
俺はそんなアスナとキリトのことが羨ましいと思える。
俺は自身を癒してくれる人物や、物を持ってないからだ。
そう考えていると、まるで俺の考えを見透かしたかのようにランマルが俺に話しかけてくる。
ランマル「ルナさん……僕ってルナさんにとって……癒しになってますか?」
ルナ「う〜ん……どうかな……どちらかというと弟分のような存在かな。」
ランマル「弟分ですか。まあ、たしかにそうですよね。ルナさん的には包容力が高い人の方がいいですか?」
ルナ「まあ、それも有りかな。なんていうか……甘えられたいけど、甘えたい。それが俺の本音かな。」
ランマル「そうですか。じゃあ僕はルナさんに甘える方向で行きます。」
ルナ「甘えっぱなしはダメだぞ。」
ランマル「はい!」
ランマルは元気良く返事をする。こういうところは可愛らしく感じるんだがな〜。
とりあえずその内、出会いを求めるのもありかもしれない。そのためにはまず、強くならないとね。この世界でも強い人がモテるから。
さて、なぜ俺たちが今日もサーシャの教会にいるのかというと昨日、謎の発作を起こし倒れたユイのケアのためだ。彼女は幸いにも数分で目を覚ましたが、すぐに長距離を移動させたり、転移ゲートを使わせたりする気にならなかったアスナに、サーシャからの熱心な誘いもあり、教会の空き部屋を一晩借りることにしたのである。
今朝からはユイの調子もいいようで、俺たちはひとまず安心したのだが、基本的な状況は変わっていない。かすかに戻ったらしきユイの記憶によれば、はじまりの街に来たことはないようだったし、そもそも保護者と暮らしていた様子すらないのだ。
昨日見た【Yui-MHCP001】というネーム表示。もしかすると彼女は……"プレイヤー"つまり人間ではないのかもしれない。
俺がユイの正体を考察していると、キリトがカップを置き、サーシャに話し始めた。
キリト「サーシャさん……」
サーシャ「はい?」
キリト「……軍のことなんですが。俺が知ってる限りじゃ、あの連中は
サーシャは口許を引き締めると、答えた。
サーシャ「方針が変更された感じがしだしたのは、半年ぐらい前ですね……。徴税と称して恐喝まがいの行為を始めた人たちと、それを逆に取り締まる人たちもいて。軍のメンバー同士で対立してる場面も何度も見ました。噂じゃ、上のほうで権力争いか何かあったみたいで……。」
キリト「うーん……。なんせ今でもメンバー千人以上の巨大集団だからなぁ。一枚岩じゃないだろうけど……。でも昨日みたいなことが日常的に行われてるんだったら、放置はできないよな……。アスナ。」
アスナ「なに?」
キリト「奴はこの状況を知ってるのか?」
奴というのはアスナの上司である血盟騎士団の団長、ヒースクリフのことだろう。
アスナ「知ってる、んじゃないかな……。ヒースクリフ団長は軍の動向にも詳しいし。でもあの人、何て言うか、ハイレベルの攻略プレイヤー以外には興味なさそうなんだよね……。キリトくんのこととか昔からあれこれ聞かれたけど、殺人ギルドの《ラフィン・コフィン》討伐の時なんか、任せる、のひと言だけだったし。だから多分、軍をどうこうするために攻略組を動かしたりとかはしないと思うよ。」
キリト「まあ、奴らしいと言えば言えるよな……。でも、となると俺たちだけじゃできることもたかが知れてるしなぁ。」
ヒースクリフ……少し冷酷だな……と俺は感じた。俺は前から彼のことがどうしても信用出来なかった。彼の雰囲気からは人間味を感じられない。まるでこのデスゲームの人間模様を見ている傍観者のようだ。もし茅場晶彦がプレイヤーとしてSAO攻略に参加していたら、ああいう感じかもしれない。
俺がヒースクリフに対して疑念をいだいていると、キリトが不意に顔を上げ、教会の入り口の方を見やった。
キリト「誰か来るぞ。一人……。」
サーシャ「え……。またお客様かしら……。」
サーシャの言葉に重なるように、館内に音高くノックの音が響いた。
腰に短剣を吊るしたサーシャと、念の為に付いていったキリトに
銀色の長い髪をポニーテールに束ね、
ランマル「かっこいい系の美人さんですね。」
ルナ「静かに。」
ランマルが小声で言う。たしかにランマルの言う通り、かっこいい系の顔立ちの美女だ。学生時代は同性からもモテていたのだろう。
鉄灰色のケープに隠されているが、女性プレイヤーが身にまとう濃緑色の上着と
軍のプレイヤーが一人でなぜ来たんだ……もしかして謝罪にでも来たのか?
子供たちも彼女の身なりを見て、目に警戒の色を浮かべている。
そんな重い空気に包まれている中、サーシャは子供たちに向かって笑いかけると、安心させるように言った。
サーシャ「みんな、この方は大丈夫よ。食事を続けなさい。」
一見頼りなさそうだが子供たちからは
あの犯罪者まがいのことをしていた連中と同じ組織の者とは思えない上品さ。彼女は軍の幹部なのだろう。やはり部下のやらかしを謝罪しに来たのだろうか。そう思っていると、キリトが首をかしげながらアスナや俺とランマルに向かって言った。
キリト「ええと、この人はユリエールさん。どうやら俺たちに話があるらしいよ。」
ユリエールと紹介された銀髪の鞭使いは、まっすぐな視線を一瞬アスナに向けたあと、ぺこりと頭を下げて口を開いた。
ユリエール「はじめまして、ユリエールです。ギルドALFに所属してます。」
アスナ「ALF?」
ユリエール「あ、すみません。アインクラッド解放軍、の略称です。正式名はどうも苦手で……。」
ユリエールの声は落ちついた艷やかなアルトだった。すごく聞き心地の良い声だ。
アスナ「始めまして。私はギルド血盟騎士団の……あ、いえ、今は一時脱退中なんですが、アスナと言います。この子はユイです。」
時間をかけてスープの皿を空にし、フルーツジュースに挑んでいる最中だったユイは、ふいっと顔を上げるとユリエールを注視した。わずかに首をかしげるが、すぐにニコリと笑い、視線を戻す。
一方、ユリエールは血盟騎士団の名を聞いた途端、空色の眼を見張った。
ユリエール「KoB……。なるほど、道理で連中が軽くあしらわれる訳だ。」
連中、というのが昨日の暴行恐喝集団のことだと悟ったアスナは、再び警戒心を強めながら言う。
アスナ「……つまり、昨日の件で抗議に来た、ってことですか?」
ユリエール「いやいや、とんでもない。その逆です、よくやってくれたとお礼を言いたいくらい。」
事情が摑めず俺たちは沈黙してしまう。そんな中、ユリエールは姿勢を正して言う。
ユリエール「今日は、お二人にお願いがあって来たのです。」
アスナ「お、お願い……?」
銀の髪を揺らして頷き、ユリエールは続けた。
ユリエール「はい。最初から説明します。軍というのは、昔からそんな名前だったわけじゃないんです……。軍ことALFが今の名前になったのは、かつてのサブリーダーで現在の実質的支配者、キバオウという男が実権を握ってからのことです。最初はギルドMTDという名前で……、聞いたこと、ありませんか?」
ランマルとアスナは聞き覚えが無かったようで、何も返事を返すことができないようだ。実のところ、俺も聞いたことがない。そんな中、キリトは聞き覚えがあるのか、彼女の問いに答える。
キリト「《MMOトゥデイ》の略だろう。SAO開始当時の、日本最大のネットゲーム総合情報サイトだ。ギルドを結成したのは、そこの管理者だったはずだ。たしか、名前は……。」
ユリエール「シンカー」
その名前を口にした途端、ユリエールの顔がわずかに歪む。
ユリエール「彼は……決して今のような、独善的な組織を作ろうとしたわけじゃないんです。ただ、情報とか、食料とかの資源をなるべく多くのプレイヤーで均等に分かち合おうとしただけで……。」
たしかに多人数でモンスター狩りを行い、危険を極力減らした上で安定した収入を得てそれを均等に分配しようという思想それ自体は間違っていない。だが《MMORPG》の本質はプレイヤー間でのリソースの奪い合いであり、それは今のSAOのような極限的状況にあるゲームにおいても変わらなかった。
ゆえに、その理想を実現するためには組織の現実的な規模と強力なリーダーシップが必要であり、その点において軍はあまりにも巨大すぎた。
フレンドから聞いた噂によると、どうやら得たアイテムの秘匿が横行し、粛清、反発が相次ぎ、リーダーであったシンカーは徐々に指導力を失っていったようだ。
ユリエール「そこに台頭してきたのがキバオウという男です。」
彼女は苦々しい口調で言う。
ユリエール「彼は、シンカーが放任主義なのをいいことに、同調する幹部プレイヤーたちと体制の強化を打ち出して、ギルドの名前をアインクラッド解放軍に変更させました。更に公認の方針として犯罪者狩りと効率のいいフィールドの独占を推進したのです。それまで、一応は他のギルドとの友好も考え狩場のマナーは守ってきたのですが、数の力で長時間の独占を続けることでギルドの収入は激増し、キバオウ一派の権力はどんどん強力なものとなっていきました。最近ではシンカーはほとんど飾り物状態で……。キバオウ派のプレイヤーたちは調子に乗って、街区圏内でも《徴税》と称して恐喝まがいの行為すら始めたのです。昨日、あなた方が痛い目に遭わせたのはそんな連中の急先鋒だった奴らです。」
ユリエールは一息つくと、サーシャの淹れたお茶を含み、続けた。
ユリエール「でも、キバオウ派にも弱みはありました。それは、資財の蓄積だけにうつつを抜かして、ゲーム攻略をないがしろにし続けたことです。本末転倒だろう、という声が末端のプレイヤーの間で大きくなって……。その不満を抑えるため、最近キバオウは無茶な博打に出ました。配下の中で、最もハイレベルのプレイヤー十数人による攻略パーティーを組んで、最前線のボス攻略に送り出したんです。」
その結果が七十四層迷宮区でフロアボス《ザ・グリームアイズ》に軍のコーバッツ隊が壊滅させられたということだ。
キバオウもどうやら相当焦っているらしい。
ユリエール「いかにハイレベルと言っても、もともと我々は攻略組の皆さんに比べれば力不足は否めません。……結果、パーティーは敗退、隊長は死亡という最悪の結果になり、キバオウはその無謀さを強く糾弾されたのです。もう少しで彼を追放できるところまで行ったのですが……。」
ユリエールは高い
ユリエール「三日前、追い詰められたキバオウは、シンカーを罠に掛けるという強攻策に出ました。出口をダンジョンの奥深くに設定してある回廊結晶を使って、逆にシンカーを放逐してしまったのです。その時シンカーは、キバオウの『丸腰で話し合おう』という言葉を信じたせいで非武装で、とても一人でダンジョン最深部のモンスター群を突破して戻るのは不可能な状態でした。転移結晶も持っていなかったようで……。」
アスナ「み、三日も前に……!?それで、シンカーさんは……?」
反射的に訊ねたアスナに、ユリエールは小さく頷く。
ユリエール「《生命の碑》の彼の名前はまだ無事なので、どうやら安全地帯まではたどり着けたようです。ただ、場所がかなりハイレベルなダンジョンの奥なので身動きが取れないようで……ご存知のとおりダンジョンにはメッセージを送れませんし、中からはギルド
出口を死地ど真ん中に設定した回廊結晶を使う殺人は《ポータルPK》というメジャーな手法だ。巨大組織の長であるシンカーもそれを知っていたはずだ。しかし、反目していたとは言えよもや同じギルドのサブリーダーがそこまでするとは思わなかったのだろう。もしくは、思いたくなかったのか。
どうやらシンカーもキリトのようにお人好しのようだ。
ユリエールもぽつんと「いい人過ぎたんです。」と呟く。そして言葉を続ける。
ユリエール「……ギルドリーダーの証である《約定のスクロール》を操作できるのはシンカーとキバオウだけ、このままシンカーが戻らなければ、ギルドの人事や会計まで全てキバオウにいいようにされてしまいます。シンカーが罠に落ちるのを防げなかったのは彼の副官である私の責任、私は彼を救出に行かなければなりません。でも、彼が幽閉されたダンジョンはとても私のレベルでは突破できませんし、《軍》のプレイヤーの助力はあてにできません。」
ぎゅっと唇を噛んでから、彼女はキリトとアスナをまっすぐに見つめる。
ユリエール「そんなところに、恐ろしく強い二人組が街に現れたという話を聞きつけ、居ても立ってもいられずにこうしてお願いに来た次第です。キリトさん、アスナさん。」
ユリエールは深々と頭を下げ、言った。
ユリエール「お会いしたばかりで
長い話を終え、口を閉じたユリエールの顔を、アスナはじっと見つめた。
残念なことだが、SAO内では他人の言う事をそう簡単に信じることはできない。今回のことにしても、キリトとアスナを圏外におびきだし、危害を加えようとする陰謀である可能性もある。
しかし、ゲームに対する充分な知識さえあれば騙そうとする人間の話にはどこか
アスナ「……私たちにできることなら、力を貸して差し上げたい……と思います。でも、そのためには、こちらで最低限のことを調べてあなたのお話の裏付けをしないと……」
ユリエール「それは……当然、ですよね……。」
ユリエールはわずかに俯いた。
ユリエール「無理なお願いだってことは、私にも解ってます……でも、黒鉄宮《生命の碑》のシンカーの名前に、いつ横線が刻まれるかと思うともうおかしくなりそうで……。」
ユリエールの気丈そうな瞳が潤むのを見て、隣にいるランマルが言う。
ランマル「ルナさん、キリトさん、アスナさん……この人の言ってることは本当のことだと思います。」
ルナ「どうしてそう思う。」
ランマル「だってこんな強そうな女性が泣きそうになっているんですよ。きっとシンカーさんは……ユリエールさんにとって大切な人なんだと思います。」
俺はランマルの言葉を聞いて、少しユリエールの言ってることが嘘じゃないと思えてきた。
一方のキリトとアスナは考えあぐねている。二人は俺たち以上に騙されたり、裏切られた経験が多いからだろう。
そんな中、ある人物が沈黙を破る。
ユイ「だいじょぶだよ、ママ。その人、うそついてないよ。」
アスナは呆気にとられ、まじまじとユイを見つめる。発言の内容もさることながら、昨日までの言葉のたどたどしさが嘘のような立派な日本語である。
アスナ「ユ……ユイちゃん、そんなこと、判るの……?」
ユイ「うん。うまく……言えないけど、わかる……」
その言葉を聞いたキリトは右手を伸ばし、ユイの頭をくしゃくしゃと撫でた。アスナを見て、にやっと笑う。
キリト「疑って後悔するよりは信じて後悔しようぜ。行こう、きっと何とかなるさ。」
キリトの発言を聞いて、ランマルも笑顔で立ち上がる。
ランマル「キリトさん……ユリエールさんのことをようやく信じてくれるんですね。良かったですね、ユリエールさん。」
発言後、ユリエールを見るランマル。ユリエールも空色の瞳に涙を溜めながら、笑顔を返す。
アスナ「相変わらずのんきな人ねえ。」
首を振ってそう答えながら、アスナもユイの髪に手を伸ばした。
アスナ「ごめんね、ユイちゃん。お友達探し、一日遅れちゃうけど許してね。」
アスナが小声で囁きかけると、言葉の意味を理解したのかどうかは解らないが、ユイは大きな笑みとともにこくりと頷いた。艷やかな黒髪をもう一度撫でてから、アスナはユリエールに向き直り、微笑みかけながら言う。
アスナ「……微力ながら、お手伝いさせていただきます。大事な人を助けたいって気持ち、私にもよく解りますから……。」
ユリエールはアスナに深々と頭を下げる。
ユリエール「ありがとう……ありがとうございます……。」
アスナ「それは、シンカーさんを救出してからにしましょう。」
アスナがもう一度笑いかけると、今まで黙って事態の成り行きを見守っていたサーシャがぽんと両手を打ち合わせた。
サーシャ「そういうことなら、しっかり食べていってくださいね!まだまだありますから、ユリエールさんもどうぞ。」
ユリエール「ありがとうございます、サーシャさん。お言葉に甘えさせていただきます。」
ユリエールは再び椅子に座る。
ランマル「僕は食事の後、所属ギルドに応援の要請を送ります。」
ついにランマルのギルドメンバーに会えるのか……少し楽しみだ。