食事を終え、教会の外に出るとそこにはランマルの所属するギルド《オダ軍》のメンバーと思われる集団がいた。
ナガヨシ「お、ナリトシじゃねえか。」
ランマル「ランマルですよ。ナガヨシさん。」
ナガヨシ「わりぃわりぃ、つい癖で呼んじゃうんだよな、これが。」
ノブナガ「久しぶりじゃな、ランマル。」
ランマル「
ノブナガ「そうじゃな。うん?ランマルと一緒にいる面々は一体誰じゃ?」
ランマル「あ、紹介しますね。僕の隣の金髪の人が親友のルナさん。黒い服の人がキリトさん、栗色の髪の人がアスナさん、黒髪の女の子がユイちゃん、シスターっぽい格好の人がサーシャさん、軍の服を着ている銀髪の人がユリエールさんです。」
アスナ「始めまして、アスナです。」
キリト「キリトだ。よろしく。俺が今、抱いてる女の子がユイだ。」
サーシャ「始めまして、サーシャと言います。」
ユリエール「始めまして、軍こと、ギルドALF所属のユリエールです。この度はよろしくお願いします。」
ルナ「始めまして、ルナと言います。いつもランマルがお世話になっています。」
ノブナガ「そうじゃな!わしはノブナガじゃ。ギルド《オダ軍》のギルドマスターじゃ。よろしゅうたてまつる。」
ノブカツ「僕はノブカツと言います。オダ軍のサブリーダーをしています。あと、ギルドマスターが言ったのは現代語でよろしくお願いしますだそうです。」
ノブナガ「わかりにくくてすまなかった。アスナ殿。」
アスナ「いいえ、ずいぶん戦国武将になりきっていますね。」
ノブナガ「アスナ殿は歴史に詳しいか?」
アスナ「多少は……」
ノブナガ「そうか。では次はミツヒデ、名乗れ。」
ミツヒデ「ミツヒデと言います。よろしくお願いします。」
ナガヨシ「ナガヨシです。槍使い兼カタナ使いをしています。よろしくお願いします。」
チャチャ「チャチャよ。よろしく。」
これがオダ軍の面々か……やはり個性的だな。
ランマル「これで紹介は以上ですね。ではユリエールさん、今回の作戦をお話ください。」
ユリエール「はい、今回の作戦はALFのギルドマスターであるシンカーの救出作戦です。」
ユリエールが作戦の内容とシンカーがなぜダンジョンに幽閉されているかの理由を話す。
ノブナガ「そうじゃったか……あちらの軍は大変じゃの〜。」
ノブカツ「こちらではそのようなことがないようにしましょう。姉上。」
ノブナガ「初対面の者の前で姉上と言うではない。マスターと呼べ。」
ノブカツ「すいません。マスター。」
キリト「現実世界でも二人は家族なのか。」
ノブナガ「ま、まあそうじゃな。とりあえずユリエール殿、案内してくれ。」
ユリエール「わかりました。」
初冬の弱々しい陽光の中、俺、キリト、アスナ、ユイ、ユリエールとオダ軍の面々はダンジョンに向けて歩き出す。
今回の俺たちはダンジョン攻略のために、しっかり武装をしている。
その一方、ユイは今日もキリトの腕に抱かれながら着いてくる。
アスナはまだ幼いユイを当然、サーシャに預けようとしたが、ユイは一緒に行くと言って聞かなかったので、仕方なく彼女を連れてきたようだ。
キリト「あ、そう言えば肝心なことを聞いてなかったな。」
キリトが先頭を歩くユリエールに話しかけた。
キリト「問題のダンジョンってのは何層にあるんだ?」
ユリエールの答えは簡素だった。
ユリエール「ここ、です。」
ノブナガ「どういう意味じゃ?」
ノブナガも意味がわからないらしい。それはそうだ。はじまりの街に地下ダンジョンがある訳ない。
アスナ「ここ……って?」
アスナが訊ねる。
ユリエール「この、はじまりの街の……中心部の地下に、大きなダンジョンがあるんです。シンカーは……多分、その一番奥に……」
キリト「マジかよ」
キリトがうめくように言う。
彼と同じベータテスターの俺も初めて聞いた。まさかはじまりの街の地下にダンジョンがあるなんて。
キリト「ベータテストの時にはそんなのなかったぞ。不覚だ……」
ユリエール「そのダンジョンの入り口は
キリト「なるほどな、未踏破ダンジョンには一度しか
ユリエール「それが、そうでもなかったんです。」
ユリエールの口調が、わずかに痛快といった色合いを帯びる。
ユリエール「基部フロアにあるにしては、そのダンジョンの難易度は恐ろしく高くて……。基本配置のモンスターだけでも、六十層相当くらいのレベルがありました。キバオウ自身が率いた先遣隊は、散々追いまわされて、命からがら転移脱出するはめになったそうです。使いまくったクリスタルのせいで大赤字だったとか。」
キリト「ははは、なるほどな。」
キリトが笑っている最中、後ろのノブナガとノブカツが小声で話している。
ノブカツ「……クリスタルの大量使用で大赤字とか……まるで少し前のうちみたいですね……」
ノブナガ「……そうじゃな……主にあやつが……」
チャチャ「マスターたち、何か言った?」
ノブナガ・ノブカツ「「なんでもない(のじゃ)」」
チャチャという女の子……どうやら地獄耳のようだ。彼女の前では下手なことは言わない方がいいな。
そんな中、ユリエールは沈んだ表情を見せて言う。
ユリエール「でも、今は、そのことがシンカーの救出を難しくしています。キバオウが使った回廊結晶は、モンスターから逃げ回りながら相当奥まで入り込んだ所でマークしたものらしくて……シンカーがいるのはそのマーク地点の先なのです。レベル的には、一対一なら私でもどうにか倒せなくもないモンスターなんですが、連戦はとても無理です。失礼ですが、皆さま方は……」
キリト「ああ、まあ、六十層くらいなら……」
アスナ「なんとかなると思います。」
キリトの言葉を引き継ぎ、アスナは頷く。
六十層配置のダンジョンを、安全マージンを充分取って攻略するのに必要なレベルは70だが、現在アスナはレベル87に到達していた。キリトに至っては90を超えている。これならユイを守りながらでもダンジョンを突破できるだろう。
ちなみにランマルはレベル80。俺は85。オダ軍のメンバーもレベル80代前半が多い。これなら油断しないかぎり、死者も出さずに脱出できるだろう。
しかし、ユリエールは気がかりそうな表情のまま、言葉を続けた。
ユリエール「……それと、もう一つだけ気がかりなことがあるんです。先遣隊に参加していたプレイヤーから聞き出したんですが、ダンジョンの奥で……巨大なモンスター、ボス級の奴を見たと……。」
アスナはキリトと顔を見合わせる。
アスナ「ボスも六十層くらいの奴なのかしら……。あそこのボスってどんなのだったっけ?」
キリト「えーと、確か……石でできた鎧武者みたいな奴だろう。」
アスナ「あー、アレかぁ。……あんまり苦労はしなかったよね……。」
二人はユリエールに向かって、もう一度頷きかける。
アスナ「まあ、それも、なんとかなるでしょう。」
ユリエール「そうですか、良かった!」
ようやく口許を緩めたユリエールは、何か眩しい物でも見るように目を細めながら言葉を続けた。
ユリエール「そうかぁ……。お二人は、ずっとボス戦を経験してらしてるんですね……。すみません、貴重な時間を割いていただいて……」
アスナ「いえ、今は休暇中ですから。」
アスナは慌てて手を振る。
そんな話をしているうち、前方の街並みの向こうに黒光りする巨大な建築物が姿を現し始めた。はじまりの街最大の施設《
ユリエールは宮殿の正門には向かわず、裏手に回った。高い城壁と、それを取り巻く深い堀が侵入者を拒むべくどこまでも続いている。人通りは全くない。
数分歩き続けたあと、ユリエールが立ち止まったのは、道から堀の水面近くまで階段が降りている場所だった。覗き込むと、階段の先端右側の石壁に暗い通路がぽっかりと口を開けている。
ユリエール「ここから宮殿の下水道に入り、ダンジョンの入り口を目指します。ちょっと暗くて狭いんですが……」
ユリエールはそこで言葉を切り、気がかりそうな視線をちらりとキリトの腕の中のユイに向けた。するとユイは心外そうに顔をしかめて言う。
ユイ「ユイ、こわくないよ!」と主張する。その様子にアスナは思わず微笑を洩らしてしまう。
チャチャ「おお〜、
ユイ「ならない!」
チャチャ「そうか〜。残念。」
ランマル「ふふふ。」
チャチャがユイと仲良くしようと、会話しているのを見たランマルは、アスナと同じく微笑を洩らす。
アスナはユリエールにユイのことは「一緒に暮らしているんです。」としか説明していない。ユリエールもそれ以上のことは聞こうとしなかったのだが、やはりダンジョンに
アスナは安心させるように言う。
アスナ「大丈夫です、この子、見た目よりずっとしっかりしてますから。」
キリト「うむ。きっと将来はいい剣士になる。」
キリトの発言に、アスナと目を見交わして笑うと、ユリエールは大きくひとつ頷いた。
ユリエール「では、行きましょう!」
キリト「ぬおおおお!」
彼は右手の剣でモンスターを切り裂き、左の剣で吹き飛ばす。
久々に二刀を装備したキリトは、休暇中に貯まったエネルギーを全て放出する勢いで次々と敵群を
ユイの方はアスナと手を繋ぎながらキリトの活躍を眺めていた。それは金属鞭を装備したユリエールや、カタナで武装したオダ軍も同じだった。
ノブナガ「さすがは黒の剣士じゃ。ワシらの出番がなくなってしもうた。」
ノブカツ「いえいえ、この先にボスモンスターがいると聞きましたよね。その時に我らの実力を見せましょう。」
ミツヒデ「ノブカツさんの言う通りです。我らも攻略組ギルド、彼の強さに甘えてはいけません。」
ノブナガ「そうじゃな。」
ナガヨシ「あれが黒の剣士の実力か……いつか手合わせしてぇもんだな。」
ランマル「さすがキリトさん……カッコイイな〜」
ランマルはキリトの活躍を見て、目を輝かせている。
一方、俺はキリトの活躍に対して、憧れの感情と同時に嫉妬の感情も芽生えた。同じベータテスターなのにどこで差がついたのか……ここまで強いと
キリトの方は巨大なカエル型モンスターや、ザリガニ型モンスターなどで構成される敵集団が出現する度に、無謀なほどの勢いで突撃しては暴風雨のように左右の剣でちぎっては投げ、ちぎっては投げであっという間に制圧してしまう。
彼の戦闘は俺を含む他プレイヤーの常識からかけ離れ過ぎている。彼がラスボスになったら、アスナ以外は皆、手も足も出ないだろう。
ユイは無邪気な声で「パパーがんばれー」と声援を送る。
これじゃあまるでヒーローショーだな。
暗く湿った地下水道から、黒い石造りのダンジョンに侵入してすでに数十分が経過していた。予想以上に広く、深く、モンスターの数も多かったが、キリトの二刀がゲームバランスを崩壊させる勢いで振り回されるため俺たちには疲労感は全くなかった。
ユリエール「な……なんだか、すみません、任せっぱなしで……。」
申し訳なさそうに首をすくめるユリエールに、アスナは苦笑しながら答えた。
アスナ「いえ、あれはもう病気ですから……やらせときゃいいんですよ。」
キリト「なんだよ、ひどいなぁ。」
敵群を蹴散らして戻ってきたキリトが、耳ざとくアスナの言葉を聞きつけて口を尖らせる。
アスナ「じゃあ、私と代わる?」
キリト「……も、もうちょっとだけ。」
アスナとユリエールは顔を見合わせて笑う。
銀髪の鞭使いは、左手を振ってマップを表示させると、シンカーの現在位置を示すフレンドマーカーの光点を示した。このダンジョンはマップがないため、光点までの道は空白だが、もう全体の距離の七割は詰めている。
ユリエール「シンカーの位置は、数日間動いていません。多分安全エリアにいるんだと思います。そこまで到達できれば、あとは結晶で離脱できますから……すみません、もう少しだけお願いします。」
ユリエールに頭を下げられ、キリトは慌てたように手を振る。
キリト「い、いや、好きでやってるんだし、アイテムも出るし……」
アスナ「へえ。何かいいもの出てるの?」
キリト「おう。」
キリトが手早くウインドウを操作すると、その表面に、どちゃっという音を立てて赤黒い肉塊が出現した。グロテスクなその質感に、アスナは顔を引きつらせる。
アスナ「な……ナニソレ?」
キリト「カエルの肉!ゲテモノなほど旨いって言うからな、あとで料理してくれよ。」
アスナ「絶、対、嫌!!」
アスナは叫ぶと、自分もウインドウを開いた。システム上、キリトは彼女と結婚しているため、二人のアイテム欄は共通だ。アスナは二人の共通アイテム欄のゴミ箱マークに《スカベンジトードの肉×24》という文字列をドラッグして容赦なく放り込む。
キリト「あっ!!あああぁぁぁ……」
世にも情けない顔で悲痛な声を上げるキリトを見て、我慢できないといったふうにユリエールがお腹を押さえ、くっくっと笑いを洩らした。途端、ユイが嬉しそうに叫ぶ。
ユイ「お姉ちゃん、はじめて笑った!」
彼女や俺含む、他の面々も笑っていた。
さっきまでの活躍とのギャップに、俺は珍しく大笑いした。
ランマル「ははははは!あっ!ルナさんも笑ってますね。しかも大声で!」
ルナ「だってよ!さっきまでカッコよく無双していた人があんな顔になるんだよ!笑うしかないよ。」
ランマル「そうですよね。あと、ルナさんが大笑いする顔……始めて見ました。素敵な顔でしたよ。」
ルナ「恥ずかしいこといわないで!」
このようにキリトとアスナのやり取りのおかげで、シリアスな雰囲気を漂わせていた周囲が笑いに包まれる。
なんやかんやいって、この二人は名コンビだと思う。本当にこの二人とフレンドになれて嬉しいと俺は思った。
アスナ「そろそろ、先に進みましょう!」
アスナの声で、笑い終わった一行は更なる深部に向かって足を踏み出した。
ダンジョンに入ってからしばらくは水中生物型が主だったモンスター群は、階段を降りるほどにゾンビだのゴーストだのといったオバケ系統に変化し、幽霊が苦手なアスナの心胆を激しく寒からしめたが、キリトの二本の剣は意に介するふうもなく現れる敵を瞬時に撃破していく。
通常では、高レベルプレイヤーが適正以下の狩場で暴れるのはとても褒められたことではないが、今回は他に人も居ないし、時間があればみんなでユリエールのレベルアップに協力したいところだが、今はシンカー救出が最優先である。
あっという間に経過した二時間のうちにも、マップに表示される現在位置と、シンカーが居るとおぼしき安全エリアは着実な速度で近づき続けた。何匹目ともしれぬ黒い骸骨剣士をキリトの剣がバラバラに吹き飛ばしたその先に、ついに暖かな光の洩れる通路が目に入った。
アスナ「あっ、安全地帯よ!」
アスナが言うと同時に、索敵スキルで確認したのかキリトも頷いた。
キリト「奥にプレイヤーが一人いる。グリーンだ。」
ユリエール「シンカー!」
もう我慢できないというふうに一声叫んだユリエールが、金属鎧を鳴らして走り始めた。俺たちも慌ててその後を追う。
右に湾曲した通路を、明かり目指して数秒間走ると、やがて前方に大きな十字路と、その先にある小部屋が目に入った。
部屋は、暗闇に慣れた目にはまばゆいほどの光に満ち、その入り口に一人の男が立っている。逆光のせいで顔は良く見えないが、こちらに向かって激しく両腕を振り回している。
???「ユリエーーーール!!」
こちらの姿を確認した途端、男は大声で名を呼んだ。ユリエールも左手を振り、いっそう走る速度を速める。
ユリエール「シンカーーー!!」
涙まじりのその声にかぶさるように、男の絶叫が響く。
シンカー「来ちゃだめだーっ!!その通路は……っ!!」
それを聞いて、アスナはぎょっとして走る速度を緩めた。だがユリエールにはもう聞こえていないらしい。部屋に向かって一直線に駆け寄っていく。
その時、部屋の手前数メートルで、ユリエールとキリトとアスナの走る通路と直角に交わっている道の右側死角部分に、不意に黄色いカーソルがひとつ出現した。俺は素早く名前を確認する。表示は……《The Fatal-scythe》
運命の鎌という意味であろう固有名を飾る
ルナ「ユリエールさん!!今すぐ戻って!!」
俺は思わず叫ぶ。黄色いカーソルは、すうっと左に動き、十字の交差点に近づいてくる。このままでは出会い頭にユリエールと衝突する。もうあと数秒もないだろう。
キリト「くっ!!」
突然、アスナの左前方を走っていたキリトが、かき消えた……ように見えた。どうやら恐ろしい速度でダッシュしたようだ。さすが
瞬間移動にも等しい勢いで数メートルの距離を移動したキリトは、背後から右手でユリエールの体を抱きかかえると、左手の剣を床石に思い切り突き立てた。すさまじい金属音。大量の火花。空気が焦げるほどの急制動をかけ、十字路のギリギリ手前で停止した二人の直前の空間を、ごおおおおっと地響きを立てて巨大な黒い影が横切っていった。
黄色いカーソルは、左の通路に飛び込むと十メートルほど移動してから停止した。姿の見えないモンスターがゆっくりと向きを変え、再び突進してくる気配。
キリトはユリエールの体を離すと、床に突き刺さった剣を抜き、左の通路に飛び込んでいった。アスナと俺も慌ててその後を追う。
アスナは呆然と倒れるユリエールを抱え起こし、交差点の向こうへと押しやる。ユイを腕から降ろしてユリエールに預けると、アスナは短く叫んだ。
アスナ「この子と一緒に安全地帯に退避してください!」
ユリエールは蒼白な顔で頷き、ユイを抱き上げて部屋に向かうのを確認して、アスナは細剣を抜きながら左へと向き直った。俺も片手剣《イマジネーション・アーク》を抜いてキリトとアスナの元に向かう。
ランマル「ルナさ〜ん!僕たちも行きます!」
後ろからオダ軍の面々が着いてくる。
二人の元へ向かうと、そこには……身長二メートル半はあろうかという、ボロボロのローブをまとった人型のシルエットが奥に浮かんでいた。
フードの奥と、袖口からのぞく腕には、密度のある闇がまとわりつきうごめいている。暗く沈む顔の奥には、そこだけは生々しい血管の浮いた眼球がはまり、ぎょろりと俺たちを見下ろしている。右手に握るのは長大な黒い鎌だ。凶悪に湾曲した刃からは、ぽたりぽたりと赤い雫が粘っこく垂れ落ちる。全体的には死神の姿そのものだ。
でも、レベル的にはたいしたことはないはずだ。そう思っていると前に立つキリトが掠れた声で言う。
キリト「アスナ、ルナ、そしてオダ軍のみんな……今すぐ安全エリアの三人を連れて、クリスタルで脱出しろ。」
アスナ「え……?」
キリト「こいつ、やばい。俺の識別スキルでもデータが見えない。強さ的には多分九十層クラスだ……。」
ルナ「なに!?」
俺たちは体を強張らせる。その間にも、死神は徐々に空中を移動し、俺たちに近づいてくる。
キリト「俺が時間を稼ぐから、早く逃げろ!!」
アスナ「き、キリトくんも、一緒に……」
ノブナガ「そうじゃ!!今なら間に合う!」
キリト「後から行く!早く……!!」
ランマル「ダメです!キリトさん!あんな強いモンスターに一人で時間稼ぎなんて無茶です!!」
ノブナガとランマルとアスナが止めているが、最終的離脱手段である転移結晶も万能の道具ではない。クリスタルを握り、転移先を指定してから実際にテレポートが完了するまで、数秒間のタイムラグが発生する。その間にモンスターの攻撃を受けると転移がキャンセルされてしまう。
アスナ「どうしよう……。」
彼女は迷っているようだ。全員が先に転移してからでも、キリトの脚力をもってすれば、ボスに追いつかれることなく安全エリアまで到達できるかもしれない。しかし先ほどのボスの突進速度は恐るべきものだ。もし……先に脱出してその後、彼が現れなかったら……アスナとユイの心は壊れてしまうかもしれない。
アスナはちらりと右の通路の奥を見やった。そして大声で叫ぶ。
アスナ「ユリエールさん、ユイを頼みます!皆さんで脱出してください!」
凍りついた表情でユリエールが首を振る。
ユリエール「いけない……そんな……」
アスナ「はやく!!」
その時だった。ゆらりと鎌を振りかぶった死神が、ローブの裾から瘴気を撒き散らしながら恐ろしい勢いで突進を開始した。
いけない!俺はアスナとキリトの近くまで走り、二人に加勢する。
ルナ「俺も行くぞ!」
キリト「ダメだ!ルナ!」
アスナ「そうよ!あなたまで死んじゃうのよ!!」
二人の叫びに俺は返す。
ルナ「二人を放って逃げられるものか!」
言葉を返した直後、後ろから疾走する足音が聞こえる。
ノブナガ「おい!待たんかランマル!!」
ランマル!?まさか……あいつまで……
ランマルの参戦に驚いている間に、ボスモンスターは大鎌を振り下ろす。
俺たちは大鎌を武器で抑えようとする。4本の剣と1本のカタナを奴は意に介さず、大鎌を俺たちの頭上めがけて叩き降ろしてきた。
俺たちはその衝撃でぐるぐる回転しながら、地面に叩きつけられ、跳ね返って天井に激突し、再び床へと落下する。
ダメだ……意識が
キリト、アスナ……ランマル……君たちの役に立てなくて……本当に……ごめん……。
俺の瞳から涙が零れ落ちる。
さよなら、みんな……そう思った瞬間だった。
とことこ、と小さな足音が耳元で聞こえる。足音の主に視線を向けると、先に待ち受ける危険を知らずに進む子猫のようなあどけない歩みが眼に飛び込んだ。
細い手足。長い黒髪。背後の安全地帯にいたはずのユイだった。恐れなど微塵もない視線で、まっすぐ巨大な死神を見据えている。
キリト「ばかっ!!はやく、逃げろ!!」
必死に上体を起こそうとしながら、キリトが叫ぶ。死神は再び重々しいモーションで鎌を振りかぶりつつある。あれほどの範囲攻撃に巻き込まれたら、ユイのHPは確実に消し飛んでしまうはず。
俺は覚悟を決めて、ユイを助けるために立ち上がろうとするが、うまく体が動かない。もうダメか……。
俺がそう思った時、信じられないことが起こった。
ユイ「だいじょうぶだよ、みんな。」
言葉と同時に、ユイの体がふわりと宙に浮いた。
ジャンプしたのではない。見えない羽根を羽ばたかせたかのように移動し、二メートルほどの高さでぴたりと静止した。あまりにも小さな右手をそっと宙に掲げる。
アスナ「だめっ……!逃げて!!逃げてユイちゃん!!」
アスナの絶叫をかき消すかのように、死神の大鎌が赤黒い光の帯を引いて容赦なく振り下ろされた。凶悪なまでに鋭い切っ先が、ユイの真っ白い
その寸前、鮮やかな紫色の障壁に阻まれ、大音響とともに大鎌は弾き返された。ユイの掌の前に浮かんだシステムタグを、俺は愕然と凝視した。
【
黒い死神が、まるで途惑うかのように眼球をぐりぐりと動かした。直後、俺たちを更に驚愕させる現象が発生した。
ごうっ!! という響きと共に、ユイの右手を中心に紅蓮の炎が巻き起こったのだ。炎は一瞬広く拡散したあとすぐに凝縮し、細長い形にまとまり始めた。みるみるうちにそれは巨大な剣へと姿を変えていく。
ユイの右手に出現した巨剣は、優に彼女の身長を上回る長さを備えていた。
彼女は自分の身の丈を超える剣を、ぶん、と一回転させる。
僅かな
あくまでシステムが単純なアルゴリズムに基づいて動かしているにすぎないボスモンスター、奴の眼は予想外の恐怖を感じているように見える。
炎の渦を身にまとったユイが、轟音とともに空中を突進していく。死神は、自分より遥かに小さな少女を恐れるかのように大鎌を前方に掲げ、防御の姿勢を取った。そこに向かって、ユイは真っ向から巨大な
激しく炎を噴く刀身が、横に掲げられた大鎌の
しかし再び動き始めたのは、火焔剣を持つユイの方だ。彼女の剣は途方もない熱量で金属を
ユイの剣が死神の鎌の柄に食い込んでから、しばらく経った。
ついに死神の鎌が爆音を立てて、真っ二つに断ち割られた。その直後、今まで蓄積していたエネルギー全てを解き放ちながら、炎の柱と化した巨剣がボスの顔の中央へと叩きつけられた。
俺たちは、その瞬間出現した大火球のあまりの勢いに、思わず目を細めて腕で顔をかばう。ユイが剣を一直線に振り下ろすと同時に火球が炸裂し、紅蓮の渦は巨大な死神の体を巻き込みながら通路の奥へと流れ込んでいった。轟音の裏に、かすかな断末魔の悲鳴が響く。
火炎のあまりの眩さに一瞬閉じてしまった目を開けると、そこにはもうボスの姿はなかった。通路のそこかしこに小さな残り火が揺らめき、ぱちぱちと音を立てている。その真っ只中に、ユイ一人だけが俯いて立ち尽くしていた。床に突き立った火焔剣が、出現した時と同じように炎を発しながら溶け崩れ、消滅した。
アスナは、ようやく力の戻った体を起こし、細剣を支えにゆっくりと立ち上がる。わずかに遅れてキリトも立った。二人はよろよろと少女に向かって数歩あゆみ寄った。
アスナ「ユイ……ちゃん……」
アスナが掠れた声で呼びかけると、少女は音もなく振り向いた。小さな唇は微笑んでいたが、大きな漆黒の瞳にはいっぱいに涙が溜まっていた。
ユイは、アスナとキリトを見上げたまま、静かに言った。
ユイ「パパ……ママ……ぜんぶ、思い出したよ……。」
黒鉄宮地下迷宮最深部の安全エリアは、完全な正方形をしていた。入り口は一つだけで、中央にはつるつるに磨かれた黒い立方体の石机が設置されている。
俺たちは、石机にちょこんと腰掛けたユイを無言のまま見つめていた。ユリエールとシンカー、ランマル以外のオダ軍の面々はひとまず先に脱出してもらったので、今ここに居るのは五人だけだ。
記憶が戻った、とひとこと言ってから、ユイは数分間沈黙を続けていた。その表情はなぜか悲しそうで、言葉を掛けるのが躊躇われたが、アスナが意を決して訊ねる。
アスナ「ユイちゃん……思い出したの……?今までの、こと……」
ユイはなおもしばらく俯き続けていたが、ついにこくりと頷いた。泣き笑いのような表情のまま、小さく唇を開く。
ユイ「はい……。全部、説明します……キリトさん、アスナさん、ランマルさん、そしてルナさん。」
今までと違う丁寧な口調だ。先程の火焔剣召喚で俺は彼女の正体に察しがついた。彼女は普通のプレイヤーじゃない。
俺がそう考えている間、ユイは説明を始める。
ユイ「《ソードアート・オンライン》という名のこの世界は、ひとつの巨大なシステムによって制御されています。システムの名前は《カーディナル》、それが、この世界のバランスを自らの判断に基づいて制御しているのです。カーディナルは元々、人間のメンテナンスを必要としない存在として設計されました。二つのコアプログラムが相互にエラー訂正を行い、更に無数の下位プログラム群によって世界の全てを調整する……。モンスターやNPCのAI、アイテムや通貨の出現バランス、何もかもがカーディナル指揮下のプログラム群に操作されています。しかし、ひとつだけ人間の手に委ねなければならないものがありました。プレイヤーの精神性に由来するトラブル、それだけは同じ人間でないと解決できない……そのために、数十人規模のスタッフが用意される、はずでした。」
キリト「GM……」
キリトがぽつりと呟く。
キリト「ユイ、つまり君はゲームマスターなのか……?それともアーガスのスタッフ……?」
ユイは数秒間沈黙したあと、ゆっくりと首を振った。
ユイ「……カーディナルの開発者たちは、プレイヤーのケアすらもシステムに委ねようと、あるプログラムを試作したのです。ナーヴギアの特性を利用してプレイヤーの感情を詳細にモニタリングし、問題を抱えたプレイヤーのもとを訪れて話を聞く……。《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》、MHCP試作一号、コードネーム《Yui》。それが私です。」
やはり彼女はAIだったか……だけど……メンタルヘルスケア目的のプログラムとはいえ、なぜあそこまで違和感がない人間の感情を彼女が持っていたのか……?
アスナ「プログラム……?AIだっていうの……?」
アスナは驚愕のあまり息を呑む。言われたことを即座に理解することができなかった彼女は、掠れた声でユイに問い掛けた。
アスナからの問い掛けを聞いたユイは、悲しそうな笑顔のままこくりと頷いた。
ユイ「プレイヤーに違和感を与えないように、わたしには感情模倣機能が与えられています。……偽物なんです、全部……この涙も……ごめんなさい、アスナさん……。」
ユイの両目からはぽろぽろと涙がこぼれ、光の粒子となって蒸発した。アスナはそっと一歩、ユイに歩み寄った。手を差し伸べるが、ユイはかすかに首を振る。アスナの
ユイからの説明を聞いても、アスナはいまだ信じることができずにいたのか、彼女は言葉を絞り出して言った。
アスナ「でも……でも、記憶がなかったのは……?AIにそんなこと起きるの……?」
ユイ「……二年前……。正式サービスが始まった日……」
ユイは瞳を伏せ、説明を続ける。
ユイ「何が起きたのかはわたしにも詳しくは解らないのですが、カーディナルが予定にない命令をわたしに下したのです。プレイヤーに対する一切の干渉禁止……。具体的な接触が許されない状況で、わたしはやむなくプレイヤーのメンタル状態のモニタリングだけを続けました。」
その《予定にない命令》はSAO唯一のゲームマスター、
ユイ「状態は……最悪と言っていいものでした……。ほとんど全てのプレイヤーは恐怖、絶望、怒りといった負の感情に常時支配され、時として狂気に
しんとした地下迷宮の底に、ユイのか細い声が流れる。その声からは、何も出来なかった彼女の自分自身に対する失望感を感じる。
ユイ「ある日、いつものようにモニターしていると、他のプレイヤーとは大きく異なるメンタルパラメータを持つ二人のプレイヤーに気づきました。その脳波パターンはそれまで採取したことのないものでした。喜び……安らぎ……でもそれだけじゃない……。この感情はなんだろう、そう思ってわたしはその二人のモニターを続けました。会話や行動に触れるたび、わたしの中に不思議な欲求が生まれました。そんなルーチンはなかったはずなのですが……あの二人のそばに行きたい……直接、わたしと話をしてほしい……。少しでも近くにいたくて、わたしは毎日、二人の暮らすプレイヤーホームから一番近いシステムコンソールで実体化し、
アスナ「それが、二十二層の森なの……?」
ユイはゆっくりと頷いた。
ユイ「はい。キリトさん、アスナさん……わたし、ずっと、お二人に……会いたかった……。森の中で、お二人の姿を見た時……すごく、嬉しかった……。おかしいですよね、そんなこと、思えるはずないのに……。わたし、ただの、プログラムなのに……。」
涙をいっぱいに溢れさせ、ユイは口をつぐんだ。アスナは言葉に出来ない感情に打たれたのか、両手を胸の前でぎゅっと握った。
アスナ「ユイちゃん……あなたは、本当のAIなのね。本物の知性を持っているんだね……。」
ユイ「わたしには……解りません……。わたしが、どうなってしまったのか……。」
その時、今まで沈黙していたキリトが一歩進み出た。
キリト「ユイはもう、システムに操られるだけのプログラムじゃない。だから、自分の望みを言葉にできるはずだよ。」
彼は柔らかい口調で話しかける。
ランマル「ユイちゃん、二人に言ってください。自分の望みを……」
ランマルもユイに話しかける。
ユイ「わたし……わたしは……」
ユイは細い腕をいっぱいにキリトとアスナに向けて伸ばした。
ユイ「ずっと、一緒にいたいです……パパ……ママ……!」
アスナは溢れる涙を拭いもせず、ユイに駆け寄るとその小さな体をぎゅっと抱きしめた。
アスナ「ずっと、一緒だよ、ユイちゃん。」
少し遅れて、キリトの腕もユイとアスナを包み込む。
キリト「ああ……。ユイは俺たちの子供だ。家に帰ろう。みんなで暮らそう……いつまでも……」
だが……ユイは、アスナの胸のなかで、そっと首を振った。
アスナ「え……」
ユイ「もう……遅いんです……」
キリトが途惑ったような声で訊ねる。
キリト「なんでだよ……遅いって……」
ユイ「わたしが記憶を取り戻したのは……あの石に接触したせいなんです。」
ユイは部屋の中央に視線を向け、そこに鎮座する黒い立方体を小さな手で指差した。
ユイ「さっきアスナさんがわたしをこの安全地帯に退避させてくれた時、わたしは偶然あの石に触れ、そして知りました。あれは、ただの装飾的オブジェクトじゃないんです……GMがシステムに緊急アクセスするために設置されたコンソールなんです。」
ユイの言葉に何らかの命令が込められていたかのように、黒い石に突然数本の光の筋が走った。直後、ぶん……と音を立てて表面に青白いホロキーボードが浮かび上がった。
ユイ「さっきのボスモンスターは、ここにプレイヤーを近づけないようにカーディナルの手によって配置されたモノだと思います。わたしはこのコンソールからシステムにアクセスし、《オブジェクトイレイサー》を呼び出してモンスターを消去しました。その時にカーディナルのエラー訂正能力によって、破損した言語機能を復元できたのですが……それは同時に、今まで放置されていたわたしにカーディナルが注目してしまったということでもあります。今、コアシステムがわたしのプログラムを走査しています。すぐに異物という結論が出され、わたしは消去されてしまうでしょう。もう……あまり時間がありません……。」
アスナ「そんな……そんなの……」
キリト「なんとかならないのかよ!この場所から離れれば……」
ユイは二人の言葉にも、黙って微笑するだけだった。再びユイの白い頬を涙が伝った。
ユイ「パパ、ママ、ありがとう。これでお別れです。」
アスナ「嫌!そんなのいやよ!!」
アスナは必死に叫ぶ。
アスナ「これからじゃない!!これから、みんなで楽しく……仲良く暮らそうって……」
ユイ「暗闇の中……いつ果てるとも知れない長い苦しみの中で、パパとママの存在だけがわたしを繋ぎ止めてくれた……。」
ユイはまっすぐにアスナを見つめた。その体を、かすかな光が包み始めた。
キリト「ユイ、行くな!!」
キリトがユイの手を握る。ユイの小さな指がそっとキリトの指を
ランマル「戻ってきて!ユイちゃん!!」
ランマルも叫ぶ。彼もユイと一緒にこれからを過ごしたかったのだろう。
ユイ「パパとママのそばにいると、みんなが笑顔になれた……。わたし、それがとっても嬉しかった。お願いです、これからも……わたしのかわりに……みんなを助けて……喜びを分けてください……。」
ユイの黒髪やワンピースが、その先端から
アスナ「やだ!やだよ!!ユイちゃんがいないと、わたし笑えないよ!!」
溢れる光に包まれながら、ユイはにこりと笑った。消える寸前の手がそっとアスナの頬を撫でた。
それはまるで、アスナにこれからも笑っていてほしいというユイからの想いがこもっているように感じた。
やがて、ひときわ眩く光が飛び散り、それが消えた時にはもう、アスナの腕のなかはからっぽだった。
アスナ「うわあああああ!!」
抑えようもなく声を上げながら、アスナは膝を突いた。石畳の上にうずくまって、子供のように大声で泣いた。次々と地面にこぼれ、弾ける涙の粒が、ユイの残した光の欠片と混じり合い、消えていった。
ランマル「あれ……ルナさん……泣いている?」
ランマルが俺の顔をジロジロ見て言う。
ルナ「泣いてない……君こそ目がうるうるしてるぞ。」
ランマル「しょうがないですよ……僕もユイちゃんに美味しい食べ物とかあげたかったのに……」
ルナ「たしかに……俺もユイと色々話したかった……。」
ランマル「そうですね……。」
俺とランマルが話している間、不意にキリトが叫ぶ。
キリト「カーディナル!!」
キリトの方を見ると、彼は部屋の天井を見据えて絶叫していた。
キリト「そういつもいつも……思い通りになると思うなよ!!」
彼は突然部屋の中央の黒いコンソールに飛びついた。表示されたままのホロキーボードを素早く叩く。キリトの行動に驚いたアスナは思わず泣くのをやめ、彼に向かって叫ぶ。
アスナ「き、キリト君……何を……!?」
キリト「今なら……今ならまだ、GMアカウントでシステムに割り込めるかも……」
呟きながらキーを乱打し続けるキリトの眼前に、ぶんと音を立てて巨大なウインドウが出現し、高速でスクロールする文字列の輝きが部屋を照らし出した。呆然とアスナとランマルが見守るなか、キリトは更に幾つかのコマンドを立て続けに入力した。小さなプログレスバー窓が出現し、横線が右端まで到達したかどうかという瞬間。
不意に黒い岩でできたコンソール全体が青白くフラッシュし、直後、破裂音とともにキリトが弾き飛ばされた。
アスナ「キ、キリト君!!」
ランマル「キリトさん!」
ルナ「キリト!!」
俺たちは慌てて床に倒れた彼のそばににじり寄る。
頭を振りながら上体を起こしたキリトは、
キリトの手からアスナの手の中にこぼれ落ちたのは、大きな涙の形をしたクリスタルだった。複雑にカットされた石の中央では、とくん、とくんと白い光が
アスナ「こ、これは……?」
キリト「……ユイが起動した管理者権限が切れる前に、ユイのプログラム本体をどうにかシステムから切り離して、オブジェクト化したんだ……。ユイの心だよ、その中にある……」
それだけ言うと、キリトは精根尽き果てたかのように床にごろんところがり、目を閉じた。
アスナは手の中の宝石を覗き込んだ。
アスナ「ユイちゃん……そこに、いるんだね……。わたしの……ユイちゃん……」
彼女の目から再び、とめどなく涙が溢れ出した。ぼやける光の中で、アスナに答えるように、クリスタルの中心が一回、強くとくん、
翌日、サーシャの教会ではシンカー救出作戦成功の祝いの食事会が行われたそうだが、俺は行かなかった。今の俺は頭がこんがらがっていてすごく疲れていたからだ。
AIであるユイに家族愛という感情があったということ。
この世界は実質的にカーディナルシステムが支配しているということ。
そしてユイの話の途中に出てきた《わたしたち》という言葉。つまり、MHCPはユイ以外にもいるということだ。
他のMHCPもプレイヤーの感情に興味を持って、この世界に降りてきているかもしれない。もしかしたら次に会うプレイヤーも実はMHCPかもしれない。
MHCPには感情模倣機能があるとはいえ、ユイは人間の子供と見分けがつかないほどの自我を持っていた。
ここまでいくと、俺の《AIは機械》という持論が崩れ始めていくように感じる。
いつかは人間とAIの見分けが完全につかなくなる日が来るのだろうか……。
ちなみに食事会に参加したランマルは、ボスモンスター戦でノブナガの「戻れ!」という声も聞かず、飛び出した件で彼女にこっぴどく叱られたらしい。
ちなみにユイのプログラム本体は、キリトのナーヴギアに保存されたそうだ。
いつか
俺はそう思いながら眠りにつく。