Overlord: Blood Dominion ―血の王と死の王― 作:シュエル
王国北部・法王国境付近――。
夜の深さが異常だった。
空気が冷え、霧が赤く染まり、まるで“世界そのものが汚染”されているかのようだ。
そんな霧の中を、ひとつの影が歩いていた。
黒いコート。
銀の十字。
足を進めるたび、霧が“逃げるように”左右に割れていく。
男は祈りの文言を小さく呟きながら歩いていた。
「――主よ、我らを護り給え。
汚れし死者を、この世より退け給え。」
声は静かで、落ち着いていて、優しさすら帯びている。
だが、その足取りと瞳の奥には、狂気にも似た“破壊の覚悟”が灯っていた。
アレクサンド・アンデルセン神父。
聖都イシュタルの奥深く、誰にも知られぬ“特務修道院”に属する、法国の最終聖職者。
そして――どこか別の世界から“落ちてきた”存在。
彼は自分の出自を完全には理解していない。
だが確信だけはある。
「――アンデッドは、絶対に赦さない。」
心の奥底、魂の根源に刻まれた“呪いのような義務”。
それはこの世界に来ても失われなかった。
(この匂い……。
吸血鬼。いや、それよりも古く、濃く……
“あの怪物”に近い)
アンデルセンは霧を払い、足を速める。
(この地を汚す邪悪を野放しにはできん。
神の沈黙がどうであれ、我はまだ“武器”として残されている)
霧の奥で、人の悲鳴が聞こえた。
瞬間、アンデルセンの眼が鋭く細まる。
「……急がねばならんな」
◇
赤い霧が揺れた。
そこには、王国軍の兵士が二人倒れていた。
胸元を押さえ、苦しげに呻いている。
「大丈夫か?」
アンデルセンは優しく声をかけた。
落ち着いた神父の声音は、兵士たちをわずかに安心させる。
「……神父、さま……?
ここは危険……“血の王”が……」
「知っているよ、息子よ。
だからこそ、ここに来た」
アンデルセンは兵士の胸元に手を置いた。
瞬間、兵士が怯えたように震える。
「た、助けて下さい……
俺たちは、あの赤い瞳を見た……
見ただけで心が、壊れそうに……!」
「落ち着きなさい。
あなた方の心は惑わされているだけです。
霧に、恐怖に、そして“異端の囁き”に。」
アンデルセンは静かに祈りを唱えた。
空気が震え、兵士の胸元から黒い霧が抜け出すように揺れた。
「神父様……ありがとうございます……!」
「礼は不要です。
あなた方は帰りなさい。
私が、“血の王”とやらを始末しよう」
「し、しかし――!」
「私は人間だ。
だが――人外を殺すためだけに存在する人間だ。」
アンデルセンの声は静かで穏やかだったが、
その言葉は、兵士たちの魂を震わせるほどの“重さ”を持っていた。
「これ以上、誰も死なせはせんよ。
さぁ、行きなさい。」
「……は、はい!」
兵士たちが去ると、霧の中に静寂が戻った。
アンデルセンはゆっくりと歩き出す。
(“血の王”。
吸血鬼か、あるいはそれ以上の怪物か……)
(我が記憶の片隅にある“あの男”に似た気配がある)
血の霧が深まる。
その中心へと――アンデルセンは迷わず進んだ。
◇
ほどなくして、別の影が見えた。
白い外套、銀十字。
少女――聖女レオナ。
彼女は霧に飲まれながらも立っていたが、
足元は揺らぎ、視線は迷っていた。
(まだ幼い……
だが、この場所に自ら入ったか)
「娘よ」
アンデルセンが声をかけると、
レオナは振り向き、驚きに目を見開いた。
「あなたは……神父様……?」
「そうだ。
ここで何をしている?
聖女であるあなたが、こんな危険な地に足を踏み入れるべきではない」
レオナは唇を噛みしめて言った。
「……光が沈黙したのです。
私には、それを確かめなければならない理由があります」
アンデルセンは彼女をまっすぐ見つめた。
「光が沈黙した、か。」
その言葉だけで、彼は全てを悟った。
そして同時に、静かに怒りを覚えた。
(神よ……
もし本当に沈黙しているのであれば、
なぜこの少女をここまで追い込む?)
(それでも、我はあなたの武器。
沈黙であろうと命令は遂行する)
アンデルセンは穏やかな微笑を浮かべた。
「娘よ、恐れるな。
光が沈黙していようと、私はまだここにいる。」
レオナは小さく息を呑む。
その言葉は、沈黙した神に代わる“救い”のようにも聞こえた。
「しかし――」
アンデルセンは静かに続けた。
「その沈黙の原因が“吸血鬼”の仕業であるならば、
私はそれを許さない。」
声は落ち着いていた。
だがその奥には、焼け付くような殺意が宿っている。
「吸血鬼……」
レオナの胸が痛む。
(アーカード様……
でも……私は……)
そのとき、霧がざわりと揺れた。
ふたりは同時に顔を上げる。
――空気が変わった。
――気配が濃くなった。
――世界が震えた。
アンデルセンが笑みを深めた。
「……来るぞ、娘よ。
ここからが地獄の始まりだ」
◇
霧の奥、影がゆらりと生まれる。
紅の瞳。
血のコート。
夜より濃い笑み。
アーカード――。
レオナは息を呑み、胸の奥が熱くなる。
アンデルセンは逆に、深い静寂の中に怒りを沈めた。
二人の男が視線を合わせた瞬間――
空気は“刃”となった。
アーカードは愉快そうに笑う。
「……懐かしい気配だと思えば。
お前、まさか――」
アンデルセンが十字架をゆっくりと掲げた。
「“吸血鬼よ”――
我は汝を赦さない。」
その言葉は、静かで優しい神父のそれであった。
しかし、レオナの背筋に雷が走った。
(殺す気だ……!
この人は、本気でアーカード様を――)
アーカードは口の端を吊り上げ、静かに笑った。
「殺し合いの続きか、司祭(プリースト)。
ここでも、あの世界でも……変わらないな」
「我が使命はただひとつ。
主の敵――“死者”を滅ぼすこと。」
「ふはは……良い。
ならば――“続き”をやろうじゃないか。
この世界でもなァ!」
レオナは悲鳴を上げた。
「やめてください!!
戦わないで!!」
二人の殺意が空気を裂いた瞬間――
少女の叫びが、その場のすべてを止めた。