Overlord: Blood Dominion ―血の王と死の王― 作:シュエル
少女の叫びは、刃よりも鋭く空気を裂いた。
「やめてください!!
戦わないで!!」
震えた声だった。
だがその叫びには、恐怖だけでなく――必死な“願い”が込められていた。
赤い霧が一瞬、揺らぎを止める。
アンデルセンの足が、止まった。
掲げられていた銀十字が、わずかに下がる。
アーカードもまた、笑みを深めたまま、動きを止めていた。
「……ほう」
アーカードの声は、夜の底で転がるように低い。
「止めるか、聖女。
神父と吸血鬼の殺し合いを」
レオナは二人の間に立った。
足は震えている。
胸の鼓動が、耳鳴りのように響いている。
それでも――逃げなかった。
「お願いします……」
彼女は絞り出すように言った。
「ここで戦えば……
誰かが死ぬ……
それが、あなたたちの望みですか?」
アンデルセンは、ゆっくりとレオナを見た。
その視線は優しかった。
恐怖に怯える少女を見る、神父の目だ。
「……娘よ」
彼は穏やかに語りかける。
「戦いを望んでいるのは、私ではない。
だが――」
アンデルセンの視線が、再びアーカードへ向く。
その瞬間、温度が下がった。
「“あれ”は、人であってはならぬものだ。
人の形をした“死”だ」
アーカードは肩をすくめ、愉快そうに笑った。
「相変わらずだな、司祭。
随分と分かりやすい正義を振り回す」
「正義ではない」
アンデルセンは静かに否定する。
「これは“役割”だ。
私は人を救う。
そして――」
銀十字が、月光を反射した。
「アンデッドを、殺す」
その言葉は淡々としていた。
怒鳴り声でも、激情でもない。
ただ、長年繰り返してきた作業を口にするような声音。
レオナは思わず一歩踏み出した。
「でも……!
アーカード様は……!」
言葉に詰まる。
彼女自身、まだ整理できていない。
“血の王”。
恐怖の象徴。
だが同時に、彼女を見て、言葉を与え、立たせた存在。
アンデルセンは、レオナの迷いを一瞬で見抜いた。
「……娘よ。
お前は、あれに“救われた”と思っているな」
レオナは答えられなかった。
否定も肯定もできない沈黙。
アンデルセンは、ほんの少しだけ眉を下げた。
「ならば、よく聞きなさい」
彼は十字架を胸に当て、祈るように語る。
「吸血鬼は、常に“救い”を装う。
恐怖の中で寄り添い、
絶望の中で言葉を与え、
その心を――自分の色に染める」
視線が、アーカードに突き刺さる。
「私は、それを何度も見てきた」
アーカードの笑みが、わずかに歪んだ。
「……へぇ」
「お前の“世界”では、随分と苦労したようだな」
「“世界”……?」
レオナが小さく呟く。
アンデルセンは、ほんの一瞬だけ、遠くを見る目をした。
――銃声。
――血の雨。
――狂った信仰。
――そして、赤いコートの怪物。
(……思い出す必要はない)
彼はすぐに意識を戻し、静かに続ける。
「私は、自分がどこから来たのかを、完全には知らない。
だが……」
胸の奥を、拳で叩く。
「“何を殺すために生きているか”だけは、
骨に刻まれている」
レオナの背筋が凍る。
これは憎悪ではない。
狂信でもない。
もっと恐ろしいもの――揺るがぬ確信だ。
アーカードは、その確信を前にして、むしろ楽しそうだった。
「なるほど。
だからだ」
彼はゆっくりと歩き出し、アンデルセンと正面から向き合う。
「お前は変わらない。
世界が変わっても、理屈が変わっても――
“殺す理由”だけは変わらない」
「それでいい」
アンデルセンは即答する。
「私は武器だ。
思考する必要はない。
必要なのは、引き金を引く意志だけだ」
「だがな」
アーカードの声が、少し低くなる。
「ここは“あの世界”じゃない。
神も、教会も、戦争の形も違う」
彼はレオナをちらりと見た。
「そして――
“守るべきもの”が、そこに立っている」
アンデルセンの視線が、再びレオナへ戻る。
「……娘よ」
その声は、驚くほど柔らかかった。
「私は、お前を傷つけるつもりはない」
「では……!」
レオナの声に、希望が滲む。
「だが」
アンデルセンは静かに続ける。
「もしお前が、
その吸血鬼に“魂を預ける”というのなら――」
彼の瞳の奥で、炎が灯る。
「私は、お前ごと撃ち抜く」
レオナの呼吸が止まった。
それは脅しではない。
宣言だ。
アーカードは、ついに声を出して笑った。
「はは……ははははは!!
いいねぇ、実にいい!」
血の霧が、彼の感情に呼応するようにうねる。
「見ろよ、聖女。
これが“人間”だ。
守るために殺す。
信じるために壊す」
レオナは、二人を見つめた。
夜と祈り。
恐怖と信仰。
どちらも正しく、どちらも間違っている。
(……だから)
彼女は、震える声で言った。
「……私は……
まだ、選びません」
二人の視線が、同時に彼女へ向く。
「光も、夜も……
どちらも、私をここへ導いた。
なら――」
レオナは一歩前に出た。
「私は、その“間”に立ちます」
沈黙。
風が吹き、霧が流れる。
アーカードが、面白そうに目を細めた。
「……境界、か」
アンデルセンは、深く息を吐いた。
「……愚かな選択だ」
「でも」
レオナは、はっきりと言った。
「逃げません」
その言葉に、アンデルセンは――
初めて、僅かに笑った。
「……ならば、よかろう」
銀十字が、完全に下ろされる。
「今宵は撃たん。
娘の前で、血を流すわけにはいかん」
アーカードは肩をすくめた。
「休戦、ってやつか。
悪くない」
彼はレオナに向かって、軽く帽子を持ち上げる。
「覚えておけ、聖女。
次に会う時、
お前はもう“選ばされる側”じゃない」
赤い霧が、彼の身体を包み込む。
「――自分で、選ぶ側だ」
アーカードの姿が、夜に溶けた。
残されたのは、神父と聖女。
アンデルセンは、レオナに外套をかけてやった。
「……寒いだろう」
「……はい」
彼は穏やかに言う。
「帰ろう。
今夜は――
神も、悪魔も、沈黙している」
だが、その沈黙の中で、
世界は確かに動き始めていた。