Overlord: Blood Dominion ―血の王と死の王―   作:シュエル

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第四話 聖女、光の国へ帰る(審問前夜)

 

 スレイン法国――光の国。

 

 白亜の城壁と聖堂の尖塔が連なるその光景は、遠くから見れば変わらず神聖だった。

 だが、その内側で流れる空気は、確実に変質していた。

 

 レオナは城門をくぐった瞬間、それを肌で感じ取った。

 

(……重い)

 

 空気が、祈りで満ちていない。

 代わりにあるのは、疑念と恐怖と、沈黙を無理に塗り固めたような不自然な敬虔さ。

 

「聖女様……!」

 

 城門を抜けると、数名の神官と近衛兵が慌ただしく駆け寄ってきた。

 彼らの視線には安堵と同時に、隠しきれない警戒が混じっている。

 

「ご無事で……本当に……」

 

「はい。ご心配をおかけしました」

 

 レオナは聖女としての微笑を浮かべた。

 だが、その所作が以前よりも“意識的”になっていることを、自分自身がよく分かっていた。

 

(私は……戻ってきた。

 でも、前と同じ私じゃない)

 

「神父様もご一緒なのですね」

 

 神官の一人が、アンデルセンを見てわずかに息を呑んだ。

 

 銀の十字。

 静かな眼差し。

 聖職者として完璧な佇まいでありながら、どこか“武器”としての圧がある。

 

「ええ。

 聖女殿を無事に送り届けるのが、私の役目です」

 

 アンデルセンは穏やかに答え、軽く頭を下げた。

 それだけで、場の空気が少しだけ引き締まる。

 

 ――この神父は、ただ者ではない。

 

 誰もがそう感じていた。

 

          ◇

 

 その夜、レオナは聖堂奥の私室に通された。

 

 聖女のために用意された、静謐で美しい部屋。

 白い壁、聖句の刻まれた窓、祈りのための小さな祭壇。

 

 だが今夜、その全てが“檻”のように感じられた。

 

(……審問)

 

 明日の朝、正式な場で行われる。

 名目は「状況報告」。

 だが実際には、彼女の“異変”を測るためのものだ。

 

 レオナはベッドに腰を下ろし、胸元に手を当てた。

 

 そこにあるのは、聖女の証。

 そして――血の霧の中で得た、説明のつかない“熱”。

 

(私は、何を話せばいいの……?)

 

 正直に話せば、異端と断じられる可能性が高い。

 だが嘘をつけば、自分自身を裏切ることになる。

 

 そのとき、静かなノック音がした。

 

「……入って」

 

 扉が開き、アンデルセンが入ってくる。

 彼は部屋を見回し、扉を閉めると、慎重に結界を張った。

 

「……ここなら、聞かれません」

 

「神父様……」

 

 レオナの声は、思っていたよりも弱かった。

 

 アンデルセンは椅子を引き、彼女と視線を合わせる位置に座る。

 その仕草は、戦士ではなく“相談に乗る神父”そのものだった。

 

「怖いですね」

 

 不意に、そう言った。

 

 レオナは目を見開いた。

 

「……はい」

 

 しばらく黙っていた後、彼女は小さく頷いた。

 

「怖いです。

 神が沈黙していることも……

 皆が私を見る目も……

 そして……」

 

 言葉が詰まる。

 

「……私自身が、変わってしまった気がして」

 

 アンデルセンは、否定しなかった。

 

「変わりましたよ」

 

 はっきりと、だが責めることなく言う。

 

「それは悪いことではありません」

 

「……異端では?」

 

「異端かどうかを決めるのは、神ではなく“人”です」

 

 その言葉は、聖職者の口から出るには危ういものだった。

 

「神は沈黙することもある。

 それでも人は、祈りを続ける。

 それが信仰です」

 

 彼は一瞬、言葉を選ぶように視線を落とした。

 

「ですが――

 恐怖の中で立ち続け、

 逃げずに“見てしまった”者は、

 もう以前と同じ場所には戻れません」

 

 レオナの胸が、きゅっと締め付けられる。

 

「……私は、どうすれば……?」

 

 アンデルセンは、少しだけ微笑んだ。

 

「今は、何も決めなくていい」

 

「え……?」

 

「審問では、事実だけを話しなさい。

 光が沈黙したこと。

 恐怖を感じたこと。

 それでも、聖女として人々を見捨てなかったこと」

 

 彼は真っ直ぐに言う。

 

「“誰に何を言われたか”は、話す必要はありません」

 

 レオナは息を呑む。

 

「それは……隠す、ということですか?」

 

「守る、ということです」

 

 アンデルセンの声は穏やかだった。

 

「あなた自身を。

 そして――まだ形になっていない“可能性”を」

 

 レオナは、胸の奥で何かがほどけるのを感じた。

 

「……神父様は」

 

 小さく、恐る恐る尋ねる。

 

「私が……

 もし本当に“光でも夜でもない何か”になったら……

 どうされますか?」

 

 アンデルセンは、すぐには答えなかった。

 

 しばらく沈黙した後、静かに言う。

 

「私は……

 それでもあなたを人として扱います」

 

 その言葉には、誓いに近い重みがあった。

 

「ただし」

 

 彼の瞳が、わずかに鋼の色を帯びる。

 

「あなたが“死を肯定する側”に立つなら……

 私は、あなたを止める」

 

 それは優しさであり、同時に恐ろしい覚悟だった。

 

 レオナは、深く頷いた。

 

「……ありがとうございます」

 

 アンデルセンは立ち上がり、扉へ向かう。

 

「今夜は休みなさい。

 明日は長い一日になります」

 

 扉を開ける前、彼は一度だけ振り返った。

 

「レオナ」

 

「はい」

 

「あなたは、もう“導かれるだけの聖女”ではありません」

 

 静かな声で告げる。

 

「あなたは――

 人々が“どこへ祈りを向けるか”を決める存在になりつつある」

 

 扉が閉まる。

 

 部屋に一人残されたレオナは、窓辺に立ち、夜空を見上げた。

 

 雲に隠れた月。

 光は弱く、頼りない。

 

 それでも、完全な闇ではなかった。

 

(……私は、逃げない)

 

 胸の奥で、静かに決意する。

 

(審問に立とう。

 そして……私自身の言葉で、答えよう)

 

 遠く、城壁の向こうで鐘が鳴った。

 

 それは、祈りの始まりを告げる音であり――

 同時に、裁きの前夜を告げる音でもあった。

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