Overlord: Blood Dominion ―血の王と死の王― 作:シュエル
スレイン法国――光の国。
白亜の城壁と聖堂の尖塔が連なるその光景は、遠くから見れば変わらず神聖だった。
だが、その内側で流れる空気は、確実に変質していた。
レオナは城門をくぐった瞬間、それを肌で感じ取った。
(……重い)
空気が、祈りで満ちていない。
代わりにあるのは、疑念と恐怖と、沈黙を無理に塗り固めたような不自然な敬虔さ。
「聖女様……!」
城門を抜けると、数名の神官と近衛兵が慌ただしく駆け寄ってきた。
彼らの視線には安堵と同時に、隠しきれない警戒が混じっている。
「ご無事で……本当に……」
「はい。ご心配をおかけしました」
レオナは聖女としての微笑を浮かべた。
だが、その所作が以前よりも“意識的”になっていることを、自分自身がよく分かっていた。
(私は……戻ってきた。
でも、前と同じ私じゃない)
「神父様もご一緒なのですね」
神官の一人が、アンデルセンを見てわずかに息を呑んだ。
銀の十字。
静かな眼差し。
聖職者として完璧な佇まいでありながら、どこか“武器”としての圧がある。
「ええ。
聖女殿を無事に送り届けるのが、私の役目です」
アンデルセンは穏やかに答え、軽く頭を下げた。
それだけで、場の空気が少しだけ引き締まる。
――この神父は、ただ者ではない。
誰もがそう感じていた。
◇
その夜、レオナは聖堂奥の私室に通された。
聖女のために用意された、静謐で美しい部屋。
白い壁、聖句の刻まれた窓、祈りのための小さな祭壇。
だが今夜、その全てが“檻”のように感じられた。
(……審問)
明日の朝、正式な場で行われる。
名目は「状況報告」。
だが実際には、彼女の“異変”を測るためのものだ。
レオナはベッドに腰を下ろし、胸元に手を当てた。
そこにあるのは、聖女の証。
そして――血の霧の中で得た、説明のつかない“熱”。
(私は、何を話せばいいの……?)
正直に話せば、異端と断じられる可能性が高い。
だが嘘をつけば、自分自身を裏切ることになる。
そのとき、静かなノック音がした。
「……入って」
扉が開き、アンデルセンが入ってくる。
彼は部屋を見回し、扉を閉めると、慎重に結界を張った。
「……ここなら、聞かれません」
「神父様……」
レオナの声は、思っていたよりも弱かった。
アンデルセンは椅子を引き、彼女と視線を合わせる位置に座る。
その仕草は、戦士ではなく“相談に乗る神父”そのものだった。
「怖いですね」
不意に、そう言った。
レオナは目を見開いた。
「……はい」
しばらく黙っていた後、彼女は小さく頷いた。
「怖いです。
神が沈黙していることも……
皆が私を見る目も……
そして……」
言葉が詰まる。
「……私自身が、変わってしまった気がして」
アンデルセンは、否定しなかった。
「変わりましたよ」
はっきりと、だが責めることなく言う。
「それは悪いことではありません」
「……異端では?」
「異端かどうかを決めるのは、神ではなく“人”です」
その言葉は、聖職者の口から出るには危ういものだった。
「神は沈黙することもある。
それでも人は、祈りを続ける。
それが信仰です」
彼は一瞬、言葉を選ぶように視線を落とした。
「ですが――
恐怖の中で立ち続け、
逃げずに“見てしまった”者は、
もう以前と同じ場所には戻れません」
レオナの胸が、きゅっと締め付けられる。
「……私は、どうすれば……?」
アンデルセンは、少しだけ微笑んだ。
「今は、何も決めなくていい」
「え……?」
「審問では、事実だけを話しなさい。
光が沈黙したこと。
恐怖を感じたこと。
それでも、聖女として人々を見捨てなかったこと」
彼は真っ直ぐに言う。
「“誰に何を言われたか”は、話す必要はありません」
レオナは息を呑む。
「それは……隠す、ということですか?」
「守る、ということです」
アンデルセンの声は穏やかだった。
「あなた自身を。
そして――まだ形になっていない“可能性”を」
レオナは、胸の奥で何かがほどけるのを感じた。
「……神父様は」
小さく、恐る恐る尋ねる。
「私が……
もし本当に“光でも夜でもない何か”になったら……
どうされますか?」
アンデルセンは、すぐには答えなかった。
しばらく沈黙した後、静かに言う。
「私は……
それでもあなたを人として扱います」
その言葉には、誓いに近い重みがあった。
「ただし」
彼の瞳が、わずかに鋼の色を帯びる。
「あなたが“死を肯定する側”に立つなら……
私は、あなたを止める」
それは優しさであり、同時に恐ろしい覚悟だった。
レオナは、深く頷いた。
「……ありがとうございます」
アンデルセンは立ち上がり、扉へ向かう。
「今夜は休みなさい。
明日は長い一日になります」
扉を開ける前、彼は一度だけ振り返った。
「レオナ」
「はい」
「あなたは、もう“導かれるだけの聖女”ではありません」
静かな声で告げる。
「あなたは――
人々が“どこへ祈りを向けるか”を決める存在になりつつある」
扉が閉まる。
部屋に一人残されたレオナは、窓辺に立ち、夜空を見上げた。
雲に隠れた月。
光は弱く、頼りない。
それでも、完全な闇ではなかった。
(……私は、逃げない)
胸の奥で、静かに決意する。
(審問に立とう。
そして……私自身の言葉で、答えよう)
遠く、城壁の向こうで鐘が鳴った。
それは、祈りの始まりを告げる音であり――
同時に、裁きの前夜を告げる音でもあった。