Overlord: Blood Dominion ―血の王と死の王―   作:シュエル

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第五話 審問の日――沈黙する光の前で

 

 鐘が鳴った。

 

 低く、重く、逃げ場のない音だった。

 それは祝福を告げる鐘ではない。

 裁きを始めるための合図だ。

 

 大聖堂・審問の間。

 半円状に並ぶ高座には、枢機卿と上級司祭たちが座している。

 彼らの背後には巨大な聖紋。

 かつては温かな光を放っていたそれは、今やどこか鈍く、冷たい。

 

 その中央、白い床の上に――

 聖女レオナは立っていた。

 

 鎖も拘束もない。

 だが、この場において“自由”など存在しない。

 

「聖女レオナ・ヴェルシア」

 

 枢機卿長の声が響く。

 

「あなたは、王国北部に発生した異変――

 通称“血の霧”について調査を行い、

 その只中から帰還した」

 

「はい」

 

 レオナはまっすぐ前を見て答えた。

 声は震えていない。

 

「まず問う。

 あなたは、そこで“神の声”を聞いたか?」

 

 静寂。

 

 この問いに「はい」と答えれば、次は「内容」を問われる。

 「いいえ」と答えれば、聖女としての資格を疑われる。

 

 だが――

 レオナは、用意されたどちらの答えも選ばなかった。

 

「……沈黙していました」

 

 場がざわめく。

 

「沈黙……?」

 

「はい。

 祈りを捧げました。

 助けを求めました。

 ですが、光は――沈黙していました」

 

 枢機卿たちの顔が硬くなる。

 この言葉は、教義の根幹を揺るがす。

 

「聖女よ」

 別の枢機卿が声を上げる。

「それは、あなたの信仰が揺らいだ結果ではないのか?」

 

「いいえ」

 

 レオナは即座に否定した。

 

「揺らいだのは、信仰ではありません。

 “私の理解”です」

 

 一瞬、誰も言葉を発せなかった。

 

「……どういう意味か」

 

 枢機卿長が低く問う。

 

 レオナは深く息を吸い、言葉を選んだ。

 アンデルセンの言葉を思い出す。

 ――事実だけを話せ。

 

「私は、恐怖を感じました。

 血の霧の中で、逃げ出したくなるほどの恐怖を」

 

 それは“弱さの告白”だった。

 だが、レオナは視線を逸らさない。

 

「ですが、その恐怖の中で、

 私は初めて“祈る理由”を考えました」

 

 聖堂に、冷たい緊張が走る。

 

「それまで私は、

 光は常に応えてくださるものだと信じていました。

 ですが――」

 

 彼女は胸に手を当てる。

 

「応えがない中でも、

 立ち続け、逃げず、人を見捨てない。

 それもまた、信仰ではないでしょうか」

 

 沈黙。

 

 枢機卿たちの中には、明らかに動揺している者もいた。

 

「……聖女レオナ」

 

 枢機卿長の声が、わずかに低くなる。

 

「では問う。

 あなたは“夜の存在”と接触したか?」

 

 空気が、凍った。

 

 この問いは、避けて通れない。

 

 レオナは、一瞬だけ目を閉じた。

 血の霧。

 赤い瞳。

 恐怖の中で、確かに“見られていた”感覚。

 

 そして――

 彼女は目を開き、答えた。

 

「……“見られました”」

 

 ざわめきが広がる。

 

「接触ではありません。

 会話でも、契約でもありません」

 

 それは、用意された逃げ道ではない。

 だが、嘘ではなかった。

 

「ただ、恐怖の中で、

 私が倒れなかったことを――

 “見ていた”存在がいた。それだけです」

 

 枢機卿長は、しばし黙考した。

 

「……その存在は、あなたに何かを与えたか?」

 

 レオナは、首を横に振った。

 

「いいえ。

 与えられたものは、何もありません」

 

 ――正確には、“物”は何も。

 

 だが、言葉にならない“自覚”は、確かに残っている。

 

「私は、光を否定していません」

 レオナは続ける。

「そして、夜に身を委ねてもいません」

 

 彼女は、はっきりと言った。

 

「私は、まだ聖女です」

 

 その言葉は、祈りのようであり、宣言でもあった。

 

          ◇

 

 審問の間の後方。

 柱の影に、アンデルセンは立っていた。

 

 発言はしない。

 視線も強く向けない。

 だが、その存在そのものが、無言の圧だった。

 

(……よくやった、娘よ)

 

 彼は内心でそう呟いた。

 

(嘘をつかず、だが魂を売らず……

 それが、今できる最善だ)

 

 もしここで、枢機卿たちが一線を越えれば。

 もし彼女を“異端”として拘束しようとすれば。

 

(……その時は)

 

 銀十字に、ほんのわずか力が込められる。

 

 だが――

 その必要は、今のところなかった。

 

          ◇

 

 審問は、結論を保留した。

 

 それ自体が、異例だった。

 

「聖女レオナ」

 枢機卿長が告げる。

「本件については、

 あなたを引き続き“聖女”として遇する」

 

 小さなどよめき。

 

「ただし」

 声が硬くなる。

「当面の間、

 あなたは中央聖堂の管理下に置かれる」

 

 ――監視。

 

 だが、処刑ではない。

 

「……承知しました」

 

 レオナは深く一礼した。

 

 審問の鐘が、再び鳴る。

 

          ◇

 

 その夜。

 

 遠く、血の霧の向こうで。

 

「……ふふ」

 

 アーカードは、夜の中で笑っていた。

 

「いいじゃないか、聖女様。

 まだ“どちらにも染まっていない”」

 

 赤い瞳が、楽しげに細まる。

 

「神父も、教会も、

 そして――私も」

 

 彼は帽子を軽く持ち上げる。

 

「君を“見張る側”になった。

 さて……

 どこまで耐えられるかな?」

 

 夜は、まだ終わらない。

 

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