Overlord: Blood Dominion ―血の王と死の王― 作:シュエル
夜は静かだった。
スレイン法国・中央聖堂の外庭。
白い石畳に月光が落ち、祈りの言葉が染みついた空気が微かに揺れている。
アンデルセンは、一人で立っていた。
祈りを捧げていたわけではない。
警戒でも、見張りでもない。
――“感じ取ろう”としていた。
(……妙だ)
血の霧の残滓は、確かにこの国の外縁から遠ざかっている。
アーカードの“夜”は今、あからさまな侵食を止めている。
それ自体は不思議ではない。
あの吸血鬼は、衝動だけで動く存在ではない。
(だが……)
アンデルセンは、胸の奥に生じた違和感を無視できなかった。
血の匂いではない。
恐怖でもない。
祈りを汚すノイズでもない。
それは――圧だった。
静かで、均一で、揺らぎのない圧。
まるで世界の下に、もう一枚の“床”が敷かれているかのような感覚。
(……これは、アーカードではない)
彼の“夜”は、もっと感情的だ。
恐怖と愉悦が混じり合い、波のように揺れる。
だが今、アンデルセンが感じているものは違う。
(……秩序だ)
その言葉が、自然と脳裏に浮かんだ。
混沌を押さえ込み、
余計な揺らぎを許さず、
世界を“決められた形”に収めようとする力。
アンデルセンは、ゆっくりと十字架に手を添えた。
「……王、か」
誰に聞かせるでもない呟き。
(血の王が夜を歩き、
ならば――
“死の王”が座している、ということか)
その発想に、背筋がひやりとした。
彼は知っている。
怪物には種類がある。
暴れる獣。
囁く悪魔。
そして――
(座して世界を動かす存在)
それは、戦場で何度も見てきた“最悪の敵”だった。
◇
アンデルセンは、聖堂内の回廊を歩く。
この時間帯、他の神官はほとんどいない。
それでも、壁に刻まれた聖句や紋章が、彼の感覚を刺激する。
(……ここもまた、“管理されている”)
信仰による秩序。
祈りによる統制。
そして今――
それとは別の、もっと冷たい秩序が、遠くから重なり始めている。
ふと、足が止まる。
アンデルセンは、壁に手を当てた。
石の向こう。
はるか地下。
いや――距離という概念では測れない“奥”。
(……見られている)
はっきりとした視線ではない。
監視でもない。
だが、“存在を把握されている”という感覚だけが、確かにあった。
「……なるほど」
アンデルセンは、苦笑にも似た微笑を浮かべる。
「吸血鬼だけでは終わらぬ、か」
祈りを捧げる者としてではなく、
戦場に立つ者としての直感が告げていた。
(この世界には……
“話が通じる怪物”がいる)
そしてそれは、
感情でも、狂信でもなく――
計算で動く怪物だ。
◇
一方、その頃。
ナザリック地下大墳墓・第九階層。
アインズ・ウール・ゴウンは、魔法スクリーンを静かに閉じた。
「……ふむ」
画面に映っていたのは、聖堂の外庭。
そこに立つ、銀十字の神父の姿。
「気づかれましたか、アインズ様」
背後で、デミウルゴスが感嘆の息を漏らす。
「完全ではないが……
こちらの“影”を、感覚として捉え始めている」
「人間にしては、異常な感知能力です」
「人間、かどうかは分からんがな」
アインズは、ゆっくりと杖を握り直した。
(アンデルセン……
お前は“血の王”だけを見る存在ではないようだ)
視線を向けた先には、別のスクリーン。
そこには、血の霧の中で笑うアーカードの姿が映っている。
(夜と狂信。
そこに、秩序を持ち込めば――
世界はどう歪む?)
アインズは、わずかに考え込む。
「デミウルゴス」
「はっ」
「アンデルセンについての観測を続けろ。
直接干渉はまだ不要だ」
「かしこまりました」
「……だが」
アインズは、静かに続ける。
「彼が“王”に辿り着く意思を持つなら――
その時は、対話の場を用意しよう」
骸骨の王の眼窩に、青い光が灯る。
「力だけで動く狂信者ではない。
ならば――
理解できる部分があるかもしれん」
◇
同じ夜。
アンデルセンは、聖堂の高台から街を見下ろしていた。
人々の灯り。
祈りの声。
そして、その上に重なり始めた“別の重さ”。
「……王よ」
彼は、空に向かって低く呟く。
「姿を現さず、
夜を前に立たせ、
世界を盤面として眺める者」
銀十字を握る手に、力がこもる。
「もしあなたが――
死を統べる存在であるならば」
彼は、静かに宣言した。
「私は、あなたとも相対する」
それは挑発でも、宣戦布告でもない。
ただの“覚悟”だった。
神が沈黙しても、
夜が囁いても、
王が座していても。
アンデルセンは歩く。
祈りと血と狂信の交差点へ。