Overlord: Blood Dominion ―血の王と死の王― 作:シュエル
聖都イシュタルの朝は、相変わらず清らかだった。
鐘が鳴り、祈りが響き、白い聖堂に人々が集う。
遠目には、何ひとつ変わらない。
――だが、レオナは知っていた。
(私は、見られている)
それは視線ではない。
盗み聞きでも、尾行でもない。
評価だ。
朝の祈り。
食事の仕草。
信徒への言葉の選び方。
すべてが「正しいか」「揺らいでいないか」という基準で量られている。
私室の扉は閉まっている。
鍵も掛かっている。
だが、それは安心を与えるためのものではない。
(……檻、ね)
レオナは、わずかに自嘲気味に微笑んだ。
◇
聖堂での務めは、以前より増えていた。
祈祷。
祝福。
説話。
それらは「聖女としての役割」を果たさせるためのものだが、
同時に――常に人前に立たせるためのものでもある。
「聖女様のお言葉を……!」
「どうか、導きを……!」
信徒たちの声は、以前よりも切実だった。
光が沈黙している。
それを、皆が薄々感じ取っている。
(……だからこそ)
彼らはレオナを見つめる。
神ではなく、人間の聖女を。
「……恐れる必要はありません」
レオナは、丁寧に言葉を選ぶ。
「不安を感じるのは、信仰が弱いからではありません。
それでも祈ろうとする心がある限り――
皆さんは、光から離れてはいません」
その言葉に、安堵する者もいれば、
困惑する者もいた。
枢機卿たちは、その反応を見逃さない。
(……試されている)
彼女は、はっきりと理解していた。
強すぎる言葉は危険。
弱すぎる言葉は失望を生む。
その“狭間”に立つことを、
彼女は無意識のうちに求められている。
◇
夜。
私室に戻ったレオナは、ベッドに腰を下ろし、深く息を吐いた。
「……疲れた」
誰に聞かせるでもない言葉。
窓の外には、月。
薄く雲に隠れた、頼りない光。
(アーカード様……)
名を思い浮かべただけで、胸がざわつく。
あの血の霧。
恐怖。
それでも、見捨てられなかった感覚。
(……思い出すな)
自分に言い聞かせるように、首を振る。
そのとき――
扉の向こうから、かすかな足音が聞こえた。
規則正しい。
迷いのない歩き方。
レオナは立ち上がり、扉を開ける。
「……神父様」
そこに立っていたのは、アンデルセンだった。
いつもの穏やかな表情。
だが、その奥には、明確な警戒がある。
「少し、いいですか」
「はい……どうぞ」
彼は部屋に入ると、扉を閉め、結界を張る。
その仕草は、もう見慣れてしまった。
「……慣れてしまいましたね」
レオナが小さく言うと、アンデルセンは首を振った。
「慣れてはいけません。
それは、正しくない状態です」
彼は椅子に腰を下ろし、静かに続ける。
「監視は、保護の名を借りた圧迫です。
あなたの心を“形”に押し込める」
「……でも」
レオナは唇を噛む。
「私が聖女である以上……
仕方がないこと、なのでしょう?」
アンデルセンは、しばらく黙っていた。
そして、静かに言う。
「いいえ」
きっぱりと。
「仕方がないことなど、ひとつもありません」
レオナは、驚いて彼を見る。
「聖女とは、神の代弁者ではない。
人々が祈る理由を“示す存在”です」
彼は真っ直ぐに彼女を見た。
「理由は、強制されるものではない。
選ばれるものです」
その言葉は、心に深く刺さった。
「……私は、選んでいいのですか」
「ええ」
アンデルセンは、穏やかに微笑む。
「今はまだ、“選ばなくていい”。
ですが――」
銀十字に手を添える。
「考えることを、やめてはいけない」
レオナは、ゆっくりと頷いた。
(……そうだ)
(私は、考えている)
光が沈黙しても。
夜が囁いても。
王が見ていても。
自分の心が、まだ動いている。
◇
その夜、レオナは夢を見た。
白い聖堂。
赤い霧。
その間に立つ、自分自身。
誰かが、遠くで笑っている。
誰かが、遠くで祈っている。
そして、どこか高い場所から、
静かな視線が注がれている。
(……私は、駒じゃない)
夢の中で、そう思った。
まだ未熟で、揺らいでいる。
それでも――
(私は、立っている)
目を覚ましたレオナは、胸に手を当てた。
鼓動は、確かにここにある。
監視下の日々は続く。
だが、その中で彼女は少しずつ――
“導かれる存在”から、
“意味を問う存在”へと変わり始めていた。