Overlord: Blood Dominion ―血の王と死の王―   作:シュエル

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第十話 揺れる信仰、迫る選択

 

 噂は、祈りよりも速く広がる。

 

 それは誰かが意図的に流したものではない。

 ――少なくとも、表向きは。

 

「聖女様は、以前とは違う」

「光の厳しさが、薄れている」

「神父が、何か吹き込んでいるらしい」

 

 聖都イシュタルの石畳を、そんな囁きが静かに這っていく。

 

 誰も声を荒げない。

 誰も断定しない。

 

 だが、“疑う準備”だけは、着実に整えられていった。

 

          ◇

 

 レオナは、それを感じ取っていた。

 

 直接言われることはない。

 だが、祈りの場での沈黙。

 祝福を受けるときの視線。

 背後で交わされる、短く途切れる会話。

 

(……始まっている)

 

 彼女は、もはやそれを恐怖として受け取らなかった。

 

 代わりに、奇妙な落ち着きがあった。

 

(私は……逃げないと決めた)

 

 それだけは、はっきりしている。

 

          ◇

 

 同じ頃、アンデルセンは枢機卿の一人に呼び出されていた。

 

 小さな執務室。

 聖具に囲まれた、清潔で閉じた空間。

 

「アンデルセン神父」

 

「はい」

 

「あなたは、聖女レオナの監督役として行動している」

 

「その認識で問題ありません」

 

 枢機卿は、机に指を組んだ。

 

「最近、彼女の言動に変化が見られる」

 

「……人は、恐怖を見れば変わります」

 

 アンデルセンは穏やかに答えた。

 

「それは、堕落ではありません」

 

 一瞬、空気が張り詰める。

 

「あなたは、彼女を“導いている”つもりか?」

 

「いいえ」

 

 即答だった。

 

「私は、彼女が考えることを妨げていないだけです」

 

「それが問題なのだ」

 

 枢機卿の声が、わずかに冷える。

 

「聖女は、考える存在ではない。

 導く存在だ」

 

 アンデルセンは、静かに視線を上げた。

 

「……その導きが、沈黙しているなら?」

 

 沈黙。

 

 枢機卿は、何も答えなかった。

 

「神父」

 ややあって、低く告げる。

「あなたの役目は、近く再検討される」

 

「承知しました」

 

 アンデルセンは一礼し、部屋を出た。

 

 廊下を歩きながら、彼は確信していた。

 

(……来る)

 

 これは警告ではない。

 準備だ。

 

          ◇

 

 その夜。

 

 レオナは夢を見なかった。

 

 ただ、目を閉じたまま、

 “誰かが待っている”感覚だけがあった。

 

 窓を開ける。

 

 夜風が、静かに部屋へ流れ込む。

 

「……来ているのでしょう?」

 

 小さく、しかし確かな声で問いかける。

 

 返事はない。

 

 だが――

 恐怖も、ない。

 

(夜ではない。

 神父でもない。

 ……王)

 

 名は分からない。

 けれど、確信はある。

 

 誰かが、自分を“選ばせよう”としている。

 

          ◇

 

 ナザリック地下大墳墓。

 

 アインズ・ウール・ゴウンは、盤面を見下ろしていた。

 

 駒はすべて動いている。

 自らの意思で。

 

「……十分だ」

 

 小さく呟く。

 

 選択を迫る準備は整った。

 

 夜は揺さぶった。

 狂信は守ろうとした。

 信仰は縛ろうとした。

 

 そして――

 少女は、立ち続けた。

 

「デミウルゴス」

 

「はっ」

 

「次の局面では、

 “対話”の可能性を示す」

 

 骸骨の王の声は、静かだった。

 

「拒否されれば――

 それもまた、選択だ」

 

          ◇

 

 翌朝。

 

 レオナは、いつもより早く目を覚ました。

 

 胸に手を当てる。

 鼓動は、確かにここにある。

 

(……選ぶ時が、近い)

 

 光に従うか。

 夜に堕ちるか。

 それとも――

 

 そのどれでもない道を、歩くのか。

 

 扉の外で、足音が止まる。

 

 ノック。

 

「聖女様」

 

 聞き慣れた、落ち着いた声。

 

「……はい」

 

 扉の向こうにいるのは、アンデルセンだ。

 

 彼はまだ、何も言わない。

 だが、その沈黙が告げていた。

 

 ――もう、猶予は終わる。

 

 レオナは深く息を吸い、扉に手をかけた。

 

 恐怖はある。

 だが、迷いはない。

 

 こうして――

 祈りと血と狂信の交差点は、

 選択の場へと姿を変えた。

 

 

第三章・完

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