Overlord: Blood Dominion ―血の王と死の王― 作:シュエル
玉座の間に、微かな風が流れ込む。
ナザリックの厚い石扉が開かれ、外の空気が侵入した瞬間――
それは、確かに“現実”の匂いを持っていた。
湿った土の香り。
遠くで鳴く夜鳥の声。
そして何より――生の鼓動を感じる空気。
アーカードはその全てを吸い込むように、ゆっくりと深呼吸した。
黒いコートの裾が揺れ、口角が不気味に吊り上がる。
「……ククク。良い。実に良い。」
これまで感じることのなかった“温度”が、肌を撫でていく。
ゲームでは再現されることのなかった、血潮の世界。
それは虚構の吸血鬼にとって、あまりにも甘美な現実だった。
背後から、軽やかな足音が近づく。
シャルティア・ブラッドフォールン――
真紅のドレスをまとい、主を見上げる。
「ご主人様、外に出られるのですか?」
その声音は、どこか震えていた。恐怖ではない。
――陶酔。
アーカードは赤い瞳を細め、唇を舐めた。
「お前には分かるか? この匂いが。」
「血の……匂い、でございますか?」
「そうだ。だが、ただの血ではない。」
帽子のつばを押さえ、夜空を見上げる。
空気を震わせるような低い声で続けた。
「この世界そのものが、生きている。
神々が去り、人が息づき、血が流れている。
……これが、現実というやつか。」
彼の笑みは、歓喜と狂気の狭間にあった。
シャルティアはその背に跪き、恍惚とした瞳で見上げる。
「モモンガ様ではなく、あなた様が“王”なのでは……?」
その言葉に、アーカードはわずかに目を細めた。
そして――笑った。
「フフ、王とは退屈な役割だ。
私はただ、“夜”そのものになりたいのさ。」
彼は歩き出す。
ナザリックの入り口へと、ゆっくりと。
衛兵として控えるナーベラルが一瞬身を固くするが、
アーカードの赤い眼光に射抜かれ、息を呑むだけだった。
「モモンガ様にはお伝えしますか?」
ナーベラルが問う。
「伝える必要はない。」
アーカードは肩越しに言い放つ。
「これは狩りだ。報告書はいらん。」
そして、漆黒のコートが夜風を切り裂く。
外界への扉を抜けた瞬間、
異世界の大地が、彼の足元に広がった。
――夜。
無数の星が瞬く空。
森の奥から、かすかな水音と獣の唸り声。
地平線の向こうには、人間の村らしき灯りがちらついている。
「ほう……。」
アーカードの瞳が赤く光る。
その光は、まるで血に飢えた獣のようだった。
「良い夜だ。久方ぶりに“生きた匂い”がする。」
ゆっくりと両手を広げ、夜気を抱くように立つ。
月光がコートの縁を照らし、彼の影が地面に溶けていく。
その影の中から――無数の獣の眼が開いた。
蝙蝠、狼、犬、虫。
影が蠢き、音もなく彼の周囲を取り巻く。
アーカードは指を鳴らし、その軍勢を制した。
「行け。夜の獣ども。
この世界の“命”の形を見せてみろ。」
影の群れが音もなく地を駆け、森の奥へと消える。
その光景を眺めながら、アーカードは口角を吊り上げた。
「モモンガよ。
お前が秩序を望むなら、私は混沌を刻もう。
夜がなければ、星も輝けぬのだからな。」
月の光が赤く滲む。
その夜、異世界の空の下で――
初めて“血の王”が息をした。