Overlord: Blood Dominion ―血の王と死の王―   作:シュエル

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第二話 聖堂に生まれる裂け目

 

 

 聖都イシュタルに、はっきりとした異変が現れ始めたのは、

 誰かが声を荒げたからではなかった。

 

 むしろ逆だ。

 

 誰も、何も言わなくなった。

 

 祈りの場で、

 説教の途中で、

 祝福の列の中で――

 人々は言葉を選び、沈黙を挟むようになった。

 

 レオナは、その変化を肌で感じていた。

 

 以前なら、祈りの後に必ず寄せられた素朴な質問。

 小さな不安。

 迷いの告白。

 

 それらが、減っている。

 

(……違う)

 

 減ったのではない。

 聞かれなくなったのだ。

 

 人々は、彼女の言葉を求めていない。

 代わりに――

 彼女が“何を言わないか”を見ている。

 

 その事実が、胸に重くのしかかる。

 

          ◇

 

 一方、聖堂の内部では、はっきりとした分断が進んでいた。

 

「聖女様を、あのままにしておいてよいはずがない」

 

「しかし、彼女を疑えば民心が揺らぐ」

 

「揺らいでいるのは、すでに“光”そのものだ」

 

 枢機卿たちの会話は、以前よりも露骨になっている。

 

 誰も「異端」とは言わない。

 誰も「裏切り」とは口にしない。

 

 だが、代わりに使われる言葉は決まっていた。

 

「危うい」

「象徴として強すぎる」

「このままでは、判断を誤らせる」

 

 その“判断”が誰のものかは、

 あえて語られない。

 

          ◇

 

 アンデルセンは、その動きを黙って見ていた。

 

 祈りの場に立つことはあっても、

 意見を述べることはない。

 

 彼は理解している。

 

(……これは、戦いではない)

 

 剣も、銃も、杭も使われない。

 血も流れない。

 

 だが、人が壊れる戦いだ。

 

 聖堂の回廊で、若い聖職者が彼に声をかけてきた。

 

「神父……最近、聖女様の周囲が……」

 

「……見てはいけないものを、見てしまったか?」

 

 アンデルセンの問いに、若者は言葉を詰まらせた。

 

「……分かりません。

 ただ、怖いのです」

 

「何が?」

 

「皆が、“正しい”ことしか言わなくなった」

 

 アンデルセンは、一瞬だけ目を伏せた。

 

「それは……

 恐怖だ」

 

 若者は驚いたように顔を上げる。

 

「恐怖、ですか?」

 

「自分で考えることを、放棄した者の恐怖だ」

 

 それ以上、彼は説明しなかった。

 

 なぜなら――

 説明すること自体が、すでに危険な行為だからだ。

 

          ◇

 

 その夜、レオナは再び呼び出しを受けた。

 

 今度は、書簡ではない。

 直接の要請。

 

 場所は、聖堂の奥にある小礼拝室。

 

 そこは、対話の場であり、

 同時に――

 記録の残らない場所だった。

 

 扉の前で、レオナは足を止める。

 

(……ここから先で、

 何かが変わる)

 

 逃げることはできる。

 だが、それは“聖女として”の逃走だ。

 

 彼女は深く息を吸い、扉を開けた。

 

          ◇

 

 室内には、三人の枢機卿がいた。

 

 誰も怒っていない。

 誰も威圧していない。

 

 それが、かえって恐ろしい。

 

「レオナ殿」

 

「はい」

 

「最近のあなたの言葉は、民を落ち着かせている」

 

「……ありがとうございます」

 

「だが同時に、

 “決断を先送りにさせている”」

 

 レオナの胸が、僅かに締め付けられる。

 

「人は、不安な時ほど

 強い言葉を求める」

 

「……」

 

「あなたは、強さを与えていない」

 

 それは非難ではなかった。

 評価だった。

 

「だから、提案がある」

 

 枢機卿の一人が、静かに続ける。

 

「あなた自身の信仰を、

 明確に示してほしい」

 

「……明確に?」

 

「光が沈黙している今だからこそ、

 聖女の言葉は“代替の光”となる」

 

 レオナは、言葉を失った。

 

(それは……

 私が、決めるということ?)

 

「安心なさい」

 

 別の枢機卿が微笑む。

 

「これは、あなた一人に背負わせるものではない。

 我々も支える」

 

 その“支える”という言葉が、

 なぜかとても遠くに聞こえた。

 

          ◇

 

 部屋を出た後、

 レオナはしばらく立ち尽くしていた。

 

 自分が何を求められているのかは、理解できる。

 

 だが――

 それが正しいかどうかは、分からない。

 

(でも……)

 

 彼女の胸に、ある考えが浮かぶ。

 

(私が、前に出れば……

 皆は、救われるのでは?)

 

 混乱は収まる。

 疑念は止まる。

 血は流れない。

 

 それは、一見すると

 最も穏やかな選択だった。

 

 遠くで、鐘が鳴る。

 

 その音は、なぜか――

 警告のように響いた。

 

          ◇

 

 夜。

 

 アンデルセンは、祈らずに夜空を見上げていた。

 

(……来る)

 

 まだだ。

 だが、確実に。

 

 レオナの選択。

 それが引き金になる。

 

 彼は、十字架を強く握った。

 

「……Amen」

 

 その言葉が、

 祈りであったのか、

 諦めであったのか――

 彼自身にも、もう分からなかった。

 

 聖堂に生まれた裂け目は、

 誰にも塞げない。

 

 そしてその裂け目は、

 やがて――

 血を呼ぶ。

 

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