Overlord: Blood Dominion ―血の王と死の王― 作:シュエル
レオナは、一晩中眠れなかった。
祈りは捧げた。
言葉も尽くした。
だが、胸の奥に残るざらつきは消えない。
(……私が、決める)
その言葉が、何度も頭の中で反響する。
聖女として、光の代弁者として。
だが今は――
沈黙した光の代わりとして。
それが、どれほど重い意味を持つか。
理解していないわけではなかった。
それでも。
(私が前に出なければ……
もっと酷いことになる)
その考えが、彼女を縛っていた。
◇
翌朝、聖堂は異様な緊張に包まれていた。
枢機卿たちの動きが早い。
聖職者たちが忙しなく行き交い、
信徒の立ち入りが制限されている。
その中心に、レオナは立たされていた。
壇上。
光の象徴である場所。
彼女は、深く息を吸う。
(……大丈夫)
(私は、皆を守る)
アンデルセンの姿が、視界の端に映った。
彼は何も言わない。
止めもしない。
だが、その沈黙が、
なぜか胸に刺さった。
◇
「聖女レオナより、
皆に伝えたい言葉があります」
枢機卿の一人が告げる。
ざわめきが、聖堂を満たす。
レオナは、一歩前に出た。
「……皆さん」
声が、思ったよりも遠くまで響く。
「光が沈黙していると感じている方も、
多いでしょう」
どよめき。
だが、彼女は止まらない。
「それは、皆さんの信仰が弱いからではありません」
この言葉に、安堵が広がる。
「だから……
恐れないでください」
ここまでは、いつも通りだった。
だが――
次の言葉が、境界だった。
「私は、ここにいます」
聖堂が静まり返る。
「光が沈黙している今、
私が、皆さんの祈りを受け止めます」
枢機卿たちが、満足げに頷く。
アンデルセンの指が、僅かに動いた。
「私が、皆さんを導きます」
その瞬間。
レオナは、自分が一線を越えたことを理解した。
◇
言葉は、刃だった。
それは人々を救う。
同時に、縛る。
信徒たちの目が変わる。
そこにあったのは、
祈りではなく――
依存だった。
「聖女様がいれば……」
「もう迷わなくていい……」
「私たちは、正しい……」
その囁きが、
波のように広がっていく。
レオナの胸が、冷えた。
(……違う)
(私は、そんなつもりじゃ……)
だが、言葉は戻らない。
◇
その日の午後、
小さな異変が報告された。
異端審問の準備。
対象は、
聖女の言葉に疑問を呈した、
下級聖職者と数名の信徒。
「……どういうことですか?」
レオナは、枢機卿に詰め寄った。
「聖女様の言葉が、
“秩序”となっただけです」
「私は、そんな……!」
「お気になさらず」
穏やかな声。
「これは、あなたのためでもある」
その瞬間、
レオナは理解した。
(……私は)
(守ったつもりで、
刃を渡してしまった)
◇
夜。
アンデルセンは、聖堂を離れていた。
誰にも告げず、
誰にも止められず。
彼の胸には、
怒りよりも――
後悔があった。
(……俺が、止めるべきだった)
だが、止められただろうか。
レオナが選んだのは、
善意だ。
恐怖からの逃避ではない。
それが、最も残酷だった。
「……Amen」
その言葉が、
祈りであってほしいと、
初めて願った。
◇
同じ夜。
赤い霧が、再び動き出す。
「……はァ」
アーカードは、空を見上げていた。
「やっちまったなァ……聖女」
誰かを嘲笑する声ではない。
「自分で檻を閉めやがった」
彼の笑みが、歪む。
「そして……
神父」
夜が、血を帯びる。
「そりゃあ、
お前が来る理由も出来るわなァ」
◇
遠く。
ナザリックの玉座で、
王は静かに呟いた。
「……理解しようとして、失敗したか」
盤面は、もう動き出している。
レオナの選択は、
秩序を保った。
だが同時に――
自由を殺した。
その歪みが、
次に呼ぶものは一つしかない。
血だ。
そしてそれは――
誰にも止められない。