Overlord: Blood Dominion ―血の王と死の王―   作:シュエル

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第九話 象徴は祈り、刃は沈黙する

聖都イシュタルは、表面上の平穏を取り戻していた。

 

 朝の鐘は規則正しく鳴り、

 巡礼者は祈り、

 商人は声を張り上げる。

 

 血の夜の噂は、すでに過去形だった。

 

 人々は、過去形にできる出来事を好む。

 それがどれほど歪められたものであっても。

 

          ◇

 

 公式な見解は、丁寧に整えられていた。

 

 ――北部および南部で確認された異常事象は、

 ――局地的な治安悪化に起因するもの。

 ――信仰秩序への影響は確認されていない。

 

 文章は短く、冷静で、反論の余地がない。

 そこには「分からない」という言葉が存在しなかった。

 

 分からないことを残さない。

 それが秩序の基本だった。

 

          ◇

 

 そして秩序には、象徴が必要だ。

 

 レオナは、祈りの場に立っていた。

 

 集まる人の数は、以前より明らかに多い。

 視線は一斉に彼女へ向けられ、

 そこに疑念はない。

 

 信頼と依存は、よく似ている。

 

「恐れることはありません」

 

 彼女は、穏やかな声で語る。

 

「信仰は、まだ私たちの中にあります」

 

 人々は、安堵の息を吐く。

 その瞬間、

 祈りは思考の代替となった。

 

 レオナは、その変化を感じ取っていた。

 

(……皆、安心している)

 

 それは本来、喜ぶべきことだ。

 だが胸の奥に、微かな違和感が残る。

 

 安心は、理解から生まれてはいない。

 誰かが立っているから、安心しているだけだ。

 

          ◇

 

 アンデルセンの姿は、その場になかった。

 

 彼は招かれていないわけではない。

 ただ、必要とされていない。

 

 彼が立てば、

 祈りの空気は血を思い出す。

 

 だから排除されない代わりに、

 静かに遠ざけられた。

 

          ◇

 

 街では、噂が完成形へと変わっていた。

 

「神父が怪物を退けたらしい」

 

「聖女の祈りがあったからだ」

 

「やはり、神は沈黙していない」

 

 どの言葉にも、一部の真実は含まれている。

 だからこそ、誰も疑わない。

 

 だが、そこには欠けているものがあった。

 

 ――なぜ怪物は現れたのか。

 ――なぜ退いただけなのか。

 

 問われない疑問は、やがて存在しなくなる。

 

          ◇

 

 夜。

 

 レオナは、ひとり礼拝堂に残っていた。

 

 灯りは少なく、

 人の気配もない。

 

「……これで、よかったのですよね」

 

 小さな声が、天井に吸い込まれる。

 

 答えは返らない。

 

 だが沈黙は、

 彼女にとって肯定に近かった。

 

 沈黙は、

 人を安心させることがある。

 

          ◇

 

 一方、聖都の外れ。

 

 アンデルセンは、夜風に晒されて立っていた。

 

 街の灯りは見える。

 だが、そこに自分の居場所はない。

 

(……刃は、

 しまわれれば錆びる)

 

 それでも、

 抜かれるよりはましだと、

 どこかで思っている自分がいる。

 

「……Amen」

 

 その言葉に、

 祈りの意味はもうない。

 

          ◇

 

 象徴は祈り、

 刃は沈黙する。

 

 人々は安心し、

 秩序は保たれ、

 世界は一歩、静かに歪んだ。

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