Overlord: Blood Dominion ―血の王と死の王―   作:シュエル

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第6話:月下の晩餐

 森の奥、月光が届く小さな空き地に、影が円卓を描いた。

 椅子は存在しない。代わりに、闇が形を成し、客人たちのための“席”となる。

 その中央、赤い帽子の男が指を軽く弾いた。

 

 音は、鈴のように澄んでいた。

 だが、それを合図に踊り出したのは、楽団ではない。

 ――蝙蝠の群れが空に描く五線譜、

 ――狼の遠吠えが刻む拍、

 ――虫の羽音が重ねる和声。

 夜そのものが、宴のための音楽に変わっていく。

 

「さあ、晩餐を始めよう。」

 

 アーカードの言葉ひとつで、影から皿が現れた。

 皿には料理はない。赤い液体が満ち、表面張力で波打つ。

 香りは甘く、鉄錆を伴い、熱い。

 それは血――だがただの血ではない。

 村から吸い上げられた恐怖と懇願、絶望の余韻が、芳香のように漂っている。

 

 シャルティアが恭しく礼をし、一歩進み出る。

 月光に濡れた白い喉が、わずかに上下した。

 

「ご主人様、最初の盃を。」

 

「許す。」

 

 シャルティアは影の盃を両手で抱え、口元に運ぶ。

 滴が唇に触れた途端、瞳が震え、息がほどけた。

 彼女の背に、うっすらと黒い翼のような影が伸びる。

 

「……甘美。これは、夜の祈り。」

 

「正確には夜の宣誓だ。」

 アーカードは笑い、隣の席――空気の層のように存在する“座”に腰を下ろす。

「秩序の外で、我らが生きるという宣誓だよ。」

 

 彼の周囲に、眷属の獣が静かに並ぶ。

 黒い狼は顎を地に伏せ、蝙蝠の雲は渦となって頭上に輪を作る。

 蛇は彼の椅子の足に巻きつき、黒鳥は片翼を畳んで沈黙の礼を示す。

 

 遠く、木立の陰で、ひとつの視線がこの光景を見守っていた。

 セバス・チャン。

 穏やかな老人の顔に、僅かな陰が差している。

 

(これは――儀式だ。吸血鬼の王が、夜に冠を授かる儀式……)

 

 彼は音を立てないよう幹に身を寄せ、息を殺す。

 己が主に捧げるべき報告の重さを、心の中で秤にかけていた。

 目に映るのは、破壊でも虐殺でもない。

 もっと静かで、冷ややかな、支配の形だ。

 

「セバス、見ているのだろう?」

 

 その瞬間、アーカードが森の闇へ笑みを向けた。

 セバスの背筋に、氷の指が這い上がる。

 

 気づかれている。

 だが声は、親しげですらあった。

 

「怯えるな。今夜の客は、君ではない。」

 アーカードは盃を軽く傾ける。

「ただ見届けよ、秩序の家臣よ。

 ナザリックの外でも、世界は美しく回っているという事実を。」

 

 セバスは木陰から一歩退き、静かに首を垂れた。

 見逃す――それが最善だ。

 彼は踵を返し、森の暗がりへと消える。

 帰路に乗せるのは、報告という名の重い荷。

 (アインズ様ならば、きっと“見守れ”と仰るだろう……)

 

 空き地に再び、夜だけが残る。

 

「さて、次は供物だ。」

 

 アーカードの指先がわずかに動く。

 地面の影が開き、黒い液体の泉が湧き上がった。

 泉は形を変え、細い脚と尖った肩を持つ、人の形へと収束する。

 村で断ち切られた生命の、残滓。

 叫びはない。ただ祈りのように、両掌が胸に重ねられている。

 

 シャルティアが息を呑む。

 アーカードは立ち上がり、紳士の礼で“供物”に会釈した。

 

「恐れるな。恐怖は味を損なう。」

 彼は人影の額に指を当て、微笑む。

「眠れ。お前はもう役目を果たした。」

 

 人影は静かに崩れ、泉へと還った。

 血の面に波紋が広がり、その波紋が円卓の皿へ、静脈のように流れ込む。

 皿が満ち、盃が満ち、香気が夜に満ちた。

 

「ご主人様。」

 シャルティアが膝を滑らせ、裾を整えて隣に座る。

「この宴は、いつまで?」

 

「夜が終わるまで。」

 アーカードは帽子のつばを上げ、細い月を眺めた。

「あるいは、秩序が止めに来るまでだ。」

 

 頬にかかる影が笑みの線を作る。

 シャルティアはその横顔を、信仰に似た眼差しで見つめた。

 

「私は――あなたの夜に仕えます。」

 

「良い返事だ。」

 アーカードは盃を置き、彼女の手を取る。

 指先は冷たく、血潮は熱い。

「ただし覚えておけ。私は所有しない。

 私は、お前に選ばせ続ける。

 跪くか、踊るか、飛ぶか――すべて、お前の自由だ。」

 

 シャルティアの肩が、微かに震える。

 それは恐怖ではなく、解放に触れた身体の反応だった。

 

「では――踊ります。」

 彼女は立ち上がり、裾を翻す。

 影の円卓が舞台に、蝋燭の炎がスポットライトに、

 狼の遠吠えがヴァイオリンに――夜が劇場へと変わる。

 

 アーカードは片手を鳴らし、拍を刻む。

 足元の影が細い糸を伸ばし、彼女の足取りを支える。

 宙に浮かぶ盃が絡まり、血の軌跡がリボンを描いた。

 

 月下の晩餐。

 それは殺戮の後に生まれた、静かな祝祭。

 秩序の外に設えられた、混沌の礼節。

 

 やがて舞は収まり、夜の楽団が一斉に息をひそめた。

 アーカードは手を上げ、最後の合図を送る。

 

「幕だ。」

 

 風が吹き、円卓は砂の城のように崩れる。

 盃の血は地に染み、影は土へ還る。

 残るのは、月光だけ。

 ――だが、その光もどこか赤い。

 

「充分だ。」

 アーカードは帽子を被り直し、踵を返す。

「ナザリックへ戻ろう。審問が待っている。」

 

 シャルティアは恭しく頷き、その背に続く。

 二人の足音が森に吸い込まれ、夜は何事もなかったかのように沈んでいく。

 

 木陰に、小さな影がひとつ残っていた。

 黒い蝶――デミウルゴスの使い魔が、羽を畳む。

 

(なるほど。夜の王は、秩序を乱すのではない……)

(秩序の外に、別の秩序を築くつもりだ。)

 

 蝶は無音で舞い上がり、地下大墳墓の方角へ消えた。

 

 その夜の香りは、確かにナザリックへ届く。

 そして地下の玉座では、骸骨の王が静かに目を開けるのだ。

 

「帰って来るがいい、アーカード。話をしよう。」

 

 夜の幕間は終わった。

 次に訪れるのは、王と王の対話――あるいは、その前兆。

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