便利屋68 アイスブレイカー   作:まーろう

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 摘発を逃れたレッドウィンターの暗殺者"冷凍銃を持つ女"を排除せよ。


アイスブレイカー

 午後十一時のブラックマーケットのはずれ、ノワール西三十番地の専有ビルに明かりの灯った窓はない。トタン屋根でできたバラックみたいな建物に囲まれた鉄筋の黒い城には、ある二人を除いて誰も残っていなかった。既に本日分の仕事を終えて、皆はそれぞれ散らばっていった。誰だって家族や友人の一人くらいはいるものだし、それらをないがしろにしてまで危険に首を突っ込むような真似は愚かだというので一致していた。

 

 外から見れば怪しく佇んでいるビルは、実際には明かりはついていた。ただし目の細かい厚い遮光カーテンが光を逃さず閉じ込めている。あるいは二匹の猛獣を閉じ込めてもいる。こうするのは決まって内密か、そうでなければ後ろ暗い話の時しかない。

 

 展望台さながらの社長室もカーテンを閉めてしまえば、少しばかり広くて豪華な部屋に過ぎない。背の低い緑のクッション椅子に収まっている女はそう言いたげだった。短く切りそろえたグレイの髪の下で、赤と水色の瞳がとてもリラックスした眼差しで自身のぴかぴかの爪を品定めしている。背は高く、胴は細い。仕立てのよいシングル白のスーツを着て、右手には青いぴっちりとした手袋をはめていた。左の耳たぶに瞳の色と同じ氷みたいな宝石を埋め込んだピアスをつけて、身なりの良さを存分に押し出している。

 

 幅を利かせた社長机を挟んで椅子から腰を上げずに、この建造物の持ち主であるルビー氏は来客と手元の書類に視線を行き来させていた。紙束に記載されているのは、ここ数カ月の自社の取引記録であり、目の回りそうな数の0がついた金額の横に大手工場や名門学校の名が続く。そのうちある一つの企業の名が出てくるたび、ピンクのマーカーが文字の上に塗られていた。こいつが重要だぞと視覚的に訴えてくる名は「マロジュネ採掘」その横にある金額は、他企業より明らかに桁が少ない。頭痛の種に目を落とすと、ルビー氏はもったいぶって口を開いた。

 

「これまでは楽しく取引させてもらっていた。利息と返還──つまりローンもうまみがあったからな」

 

 目も上げずに女は口を歪めた。「私は愉快な事が好きでね。人を驚かせたり楽しませるのも好きなんだ」

 

「今しがたの話には何の面白みもないがね」ルビー氏は平坦な口調で言った。「ただで掘削機を借りさせろなんて話を、一体どうして真面目に受け取られると思うんだ?私はこれまでの契約でも譲歩してきたし、これでも呑気な方だ。それでも限度があることを知ってほしいものだね」

 

 返事はなかった。部屋に嫌な沈黙が広がると、ルビー氏の背筋にぴりっとくるものがあった。僅かな電波を傍受した第六感のアンテナが空気の変化を掴んだ。万が一のため引き出しに身を寄せて、隠した拳銃を取り出す邪魔にならないよう──また悟られることもないよう楽に座り直した。女は左手から顔を上げない。まだこちらの動きに興味はなさそうだ。手元の書類を丹念に読むようにみせて目元から下を完全に隠すと、そろそろと引き出しを開けにかかる。

 

「この会社は私のものだ。何と言われようと売り渡す気はない」目線を少し下に向けると、木の枠に囲まれた中に黒光りする塊が見えた。

 

「全くその通りだ」

 

 ルビー氏は紙から顔を上げた。青い手袋にはいつの間にか銀色に輝く物体が収まっている。異様に短く切り詰められた銃身がこちらに向けられて、黒い口が正円を描いていた。

 

 自然と目が丸くなり、急いで引き出しを開けにかかる。拳銃のグリップを握ったはいいが、片手に紙束を持っており操作に手間取ってしまった。ようやくスライドを引く間際で、視界の上にいる人物が動いた。

 

「だから辞任してもらう。財産は私が相続しよう」

 

 銃声と悲鳴が同時に響いた。ルビー氏は後ろへつんのめって、椅子ごとがしゃんと床に倒れ込んだ。拳銃を手放すと、両手で顔や喉元を苦しそうに引っ掻き回す。息が詰まった様子のまま悶えていたが、やがて瞳がぐるりと上を向くとそれも終わった。青ざめた顔には霜が降りて、垂れた冷汗は途中で固まってしまっていた。

 

 女はルビー氏のそばに寄ると、床にアタッシュケースを置いて開いた。冷凍庫のような機能を持つケースで、臓器を移植するための保冷バッグのようなものだ。中から一輪の氷細工みたいな薔薇を取り出すと、ルビー氏の茶色いスーツの胸ポケットに差し込んだ。凍り付いた花弁はざらざらして、周りに白い冷気を纏っている。しかし常温では一時間も持たないだろう。女はさらに発煙弾のような筒を取り出すと、安全ピンを抜いて遺体の側に供物みたいに置いた。すぐにもうもうと白い煙が沸いてくると、スーツの布地を伝って全身を覆っていく。

 

 女はもう一度口を歪めて、ケースを取り上げるとそれからさっさと部屋を出て行った。彫りが深く、明暗のついた顔は、自慢の武器の効果を再確認したことでとても満足げだった。

 

 

 

 レッドウィンター連邦学園は学園都市キヴォトスでも最北に位置している。立地上の特性で連邦生徒会の影響が薄く、そのためか独自の文化が形成されている。だが何ヶ月か前に連邦捜査部シャーレが発足してからは、この独立国家まがいの北の学園も積極的に主要学園との交流を図るようになった。

 

 取組の一環としてゲヘナ校区にはレッドウィンター事務局の支局が設置されている。この施設はゲヘナとトリニティの境界線近くに立地している。因縁深い二大校への忖度か、あるいは静観の立場をとることの現れかもしれない。はるか古代の神殿か宮殿みたいな外観の建造物は石英で、チョコレート色の両開きの扉が立派な円柱に挟まれている。その上には木枠にはまった厚いガラスの窓が取り付けてあった。三角屋根のてっぺんを見上げると、歯車と熊の描かれた赤い校旗が風にたなびいている。

 

 扉を入ると正面受付。この中央棟には広々とした踊り場が設けられている。他校の高級職につく者を招く際に使われる施設のため、レセプションホールなども備えているらしい。しかし今日招かれた部屋はそのような来客向けの部屋ではなかった。

 

 受付のレッドウィンター籍らしき少女が学生証を確認する。手元の紙に何か書き留められると、別の職員に連れられて廊下を進む。左右には番号のついたドアがいくつも並んでいる。入り口で見たような豪壮な内観と打って変わって、いかにも事務作業をこなすための裏方の空間だ。何色とも形容しがたい床の色、何の臭いとも呼べないような空気。そして先日受け取った極めて曖昧な表現で書かれた依頼書が、視界に入る全てのものに不明瞭な印象を持たせていた。

 

 ゲヘナ支局長、ロゼ主任と書かれた扉を入る。

 

 ロゼ主任は艶のかかった茶髪の女性で、長い冬将軍と戦えるだけの頑健な体の持ち主だった。しかし態度までは硬くなく、それでいて礼儀を重んじている。部屋にはレッドウィンター連邦学園書記長の連河チェリノを模したマトリョーシカと、赤い薔薇を活けた花瓶があった。

 

 便利屋68の四人──陸八魔アル、浅黄ムツキ、鬼方カヨコ、伊草ハルカのお決まりのチーム──は主任から深々とした挨拶をされてから、ソファに収まった。それぞれに挟まれた机に人数分のお茶と主任がスーシュカと呼ぶベーグル状の菓子が出される。アルがもてなしについてのお礼を言った後で、主任は用心深く切り出した。

 

「赤雷ロシヤを知ってますか?」

 

 ムツキにはこの主任を悩ませているらしい人物はぴんと来なかった。アルも同じ様だったが、代わりにカヨコが口を開いた。「冷凍銃を持つ女の?」

 

「そう、その通りです。我々レッドウィンター校区を縄張りにしているフリーランスの暗殺者ですよ。現在のチェリノ書記長の前任時代からある程度名は通っていた人物で、あなたの言うように”冷凍銃を持つ女”として我々の土地で恐れられている」

 

 ムツキが笑顔で尋ねた。「冷凍銃ってなに?」

 

 ロゼ主任は少し考えてから立ち上がると、部屋に備え付けられた冷凍庫から銀色の箱を取り出した。用心深く机の上に置いて、蓋を開ける。少し持ち上がっただけで隙間からは白い煙がちらちらとのぞいた。まるで昔話の玉手箱だ。

 

 四人は身を屈めて、箱の中身を見つめた。空色の輝きを帯びた銃弾が液体窒素の雲海に収まっている。美術品さながらの美しさだった。

 

 ロゼ主任が言った。「ロシヤ特製の四十五口径の弾丸です。通常の弾丸と違い、弾頭には濃縮液体ヘリウムが詰まっています。特殊な真空断熱材と液体窒素の複合構造で封じ込めていて、着弾すると弾頭が潰れて中身をぶちまける仕組みになっている」

 

 カヨコが嫌な顔をした。「まともに受ければ凍傷になる。近くにあるだけでもぞっとするね」

 

 蓋を閉じながら、ロゼ主任は頷いた。「特に顔面で受けては数秒と生きていられない。一撃で標的を確実に仕留めうる武器で、これまでも何人もの要人たちが犠牲になっています。厄介なのはロシヤの持つ冷凍銃でしか使用できないことです。さらに彼女は仕留めた標的を氷漬けにしたり、彼女自身の美学として冷凍薔薇を痕跡に残したりしている。暗殺者のくせにふざけた真似をするものですよ」

 

 アルはぽかんとしてカヨコを見つめた。「カヨコ、よくそんな奴を知ってたわね」

 

「時々聞こえてくる名前だからね。レッドウィンターにそういう奴がいるのは分かってたけど、ここで名前が出たということは……」

 

「そうです」ロゼ主任はスーシュカを一つ摘まむと、半分に割ってから口へはこんだ。すかさず茶で流し込む。嫌な話をする時には、決まってこうするのが彼女の癖だろうとムツキは見て取った。「ロシヤは表では天然ガスを採掘して多方面へ輸出しています。”マロジュネ採掘”なんて企業名で、随分と儲かっていたそうですよ。彼女は立場もあるし、警察なんかもとっくに買収済みで、あいつを捕まえたり検挙するなんて誰も不可能だと思っていました。しかし一ヶ月ほど前に、レッドウィンター内の店でマロジュネ採掘の従業員がちょっとした揉め事を起こしたんです。銃撃騒ぎにまで発展して、容疑者はその場で取り押さえられたのですがね。事務局は目ざとくそれをだしにして、ロシヤが居るタイミングで採掘場に押し入りました。綿密に計画された動きで全ての従業員を押さえましたが、大物を取り逃がしてしまったんです」

 

 アルが言った。「それがロシヤなのね」

 

「当局は血眼で探し回ったのですが、とうとう見つかることはありませんでした。おそらくは他校区に逃げ込んでいるだろうと踏み、私の元にも絶対に逃すなという通達が来ましたよ。そして」ロゼ主任は切り取った新聞記事を机に置いた。「一日と経たないうちに、ブラックマーケットの一企業の社長が殺された。発見時には薔薇と一緒に氷漬けだったそうです」

 

 白黒で印刷された写真には、確かに白く冷凍されたような人影がある。見だしは「重工社長 薔薇と共に死す」

 

 心穏やかざるものがある。逮捕を逃れた暗殺者。姿をくらました暗殺者。氷の足跡を残す美学。ゲヘナで見つかった氷漬けの死体。

 

「ロシヤは今もどこか──おそらくゲヘナに潜伏しています」ロゼ主任は語気を強めた。「私の行動はゲヘナにおけるレッドウィンターの行動として認識されます。すぐに取り押さえなければ母校の名折れです。かといってここの風紀委員会に制圧依頼を出せば、身内の不始末で結局は母校の顔に泥を塗ることになります。もうあなた達しか頼れる人物がいないんです」

 

 アルが最後の辺りに反応した。「私たちしか?」

 

「便利屋68は強いのでしょう。どうかこの暗殺者の活動に終止符を打ってくれませんか。これはあなた達にしかできないんです」

 

 ムツキは主任の口車に感心した。ははあ、この人物は人の操り方を充分に心得ているな!あなた達しかいない、あなた達にしかできない。言われて嫌な思いはしないし、実際に隣に座るアルは上機嫌だった。

 

「あなたは人を見る目があるわ。安心して、全て私たちに任せてちょうだい!」

 

「いやあ、ありがとうございます」ロゼ主任は腰を上げて、手を差し伸べた。「堅苦しい話はこれで終わりですよ。さあ、我が母校自慢の菓子と茶の他に、我々が提供できる資料も揃えましょう。機密なのでこの部屋でご覧ください。他にも提供できるものがあれば、遠慮なく声をかけてくださいよ。ではよろしくお願いします」

 

 五分後、ロゼ主任の部下が茶色の書類つづりを机に届けてきた。極秘を示す赤い判が押されている。

 

 ムツキは適当な一枚を取り上げて、茶の入ったカップに口をつけた。それからのんびりと座り直して読む。

 

〈赤雷ロシヤ〉その下に小さい文字が続く。

〈レッドウィンター校区を縄張りとして、金銭で指令を請け負うフリーランスの暗殺者。元秘密警戒部。チェリノ書記長の前任以前の時代から存在するこの部は、既に解体されて名実ともに消滅している。これはチェリノ書記長が部の方針を良く思わなかったためであり、部長だったロシヤは書記長の就任時点で任を解かれた。彼女が暗殺者としての活動を活発化させ、冷凍銃の使用を始めたのもこの頃と推測される。マロジュネ採掘を取り仕切る最高責任者。採掘された天然ガスは他校区に広く輸出され、彼女は莫大な利益を得ている。儲けの申告漏れ等はなく、この点では極めてきれいな身元の人物である。表では金持ち、裏では暗殺者でもあるこの人物についての噂は広く知られており、特に縄張りの内部では畏敬の念を込めた”冷凍銃を持つ女”という名で伝説のような存在となっている。

[特徴]十七歳。身長一五五センチメートル。ほどよい肉付きで健康。目は赤と水色。グレイの髪は専らショート。左耳に宝石の付いたピアスを欠かさずつけている。陽気でやんちゃな顔。クライオグローブを常に持ち歩いている。愉快なことを好み、自身の楽しみを優先する性格。彼女自身の暗殺への美学のためか、倒した相手は必ず薔薇を沿えてから氷漬けにしている。冷凍薔薇は過去に犯行予告への使用歴あり。

[武器]専用の冷凍銃。五センチ未満の銃身のコルト六連発リボルバー。トリガーガード前部を切断して、グローブ着用でも操作をしやすくしている。弾倉などに特殊な断熱材を使用しており、これは後述する弾丸の特性によるものである。ロシヤは弾頭に濃縮液体ヘリウムを封じ込め、さらに液体窒素と断熱材で包んだ特製の弾丸を使用する。これは低温による最大の凍傷を確実に与えうるものである。気化した液体ヘリウムの体積はおよそ七百倍に膨れ上がるため、ピストルでありながら甚大な殺傷能力を持つ。

[資産]前記の通り申告はあるものの、総額は不明。暗殺者としての報酬もあり、各地に切手や不動産など何らかの形に変えて保持していると推測される。

[仕事]表向きにはマロジュネ採掘の最高責任者。この企業は天然ガスを採掘し、それを輸出することで利益を得ている。掘削機などの専用設備は外部の企業から調達しており、ゲヘナ企業との取引記録もあり。正式な前科がなく、彼女自身が完全な自由の身であると同時に、この企業も合法的な活動をおこなっている。(追記)マロジュネ採掘は現在本邦学園の仕事により押さえられており、企業活動は停止状態である。最高責任者が不在のため、作業再開の目途は立っていない。〉

 

 ムツキはロシヤについて基本的な知識を押さえたところで資料を机に戻し、茶をすすった。それからぼんやりと人相図を頭に浮かべながら、これだけの金持ちでありながら暗殺に手を染める気違いが存在する不思議に思いを馳せた。暗殺に対する脅迫観念か異常欲求があるのだろうか。もはや必要ないはずの銃を握ってしまうのは銃器社会で生まれ育った性だろうか。一点の曇りもない遍歴に傷をつけかねない行動をする心理は、ムツキには到底理解のできないものだった。

 

 カヨコはもう一つの資料──先月被害のあったゲヘナ企業について細かく調べていた。トップは既に変わっており、危なげなく活動を再開している。最新の記録を注意深く読み込んでいたカヨコの視点が一点に止まると、アルに声をかけた。「社長、この企業は掘削機とかの大型機を生産してるみたい。それで過去の取引先を見てたんだけど」

 

 カヨコから資料を受け取ると、アルはカヨコが指さした一点を見た。ムツキものぞき込むと、何やら見慣れた名前がそこに記載されている。

 

 アルがつぶやいた。「……温泉開発部?」

 

 ハルカも反応して資料をのぞきこむ。

 

 カヨコが頷いた。「地下資源の源泉を掘りあてるために掘削機を発注していたんだ。温泉開発という名目があるから、学生でも取引相手としてなんら特別じゃない。ここまでやれるだけの資金源は本当に謎だけど」

 

 温泉開発部といえばキヴォトスでも言わずと知れた問題児集団だ。部長の鬼怒川カスミをリーダーとした大規模な部活で、温泉開発のためにあちこちで開拓活動をおこなっている集団である。

 

 しかし実態は違う。本人たちは真面目なのかもしれないが、問題はそこが誰の土地であろうと関係なく動き回り、温泉開発を名目とした大規模な破壊活動をすることだ。他の迷惑や犠牲もいとわないテロリスト──これはムツキだけでなく、おおよそキヴォトス全体における温泉開発部への共通認識だった。最近では他校区へも進出しており、トリニティやレッドウィンターでも目撃されている。

 

 トップが変わってからの一ヶ月で、確かに温泉開発部はさく井機やアースオーガーを購入している。どれも岩盤掘削には不可欠である。しかも不可解なのは優遇とも贔屓とも呼べるほど破格で取引している点だ。一機辺りの額は二十万で、これは相場より断然格安になる。こうして甘やかす奴がいるから、温泉開発部はすぐ増長するのではなかろうか?そもそも温泉開発部のやり方に倣えば、これら掘削機も倉庫を襲撃して奪うという手口を使うはずだ。正式な取引を重んじるのは感心するが、彼女たちがやるとかえって不信に映る。

 

「ロシヤの事件があった後から、温泉開発部が急に取引相手に加わってる」

 

 カヨコの指摘を聞いたロゼ主任が自分の机から顔を上げた。「ロシヤとその部活に繋がりが?」

 

「そこまでは言い切れない」カヨコが固い表情になる。「ロシヤが事件を起こして、体制が変わった会社と温泉開発部が新しく取引を始めただけかも」

 

 ムツキは口を挟んだ。「でも温泉開発部ってレッドウィンターにも行ってたんでしょ?ゲヘナに逃げ込む前なら、その時に仲良くなっててもおかしくないと思うけど」

 

 レッドウィンター旧校舎に地下水源があることを察知した温泉開発部は、半ば強引に改造を施して温泉郷なる館を作り上げていた。雪国での温泉旅館の人気は凄まじいものだったが、乱開発で水源が枯渇寸前となると地下のマグマ地帯を爆破で刺激する計画に乗り出す。危うく一帯を吹き飛ばしかけた騒動だったが、居合わせた先生やレッドウィンターの生徒たちによって事なきを得ていた。

 

 何かが違えばレッドウィンター自治区全域が爆破されていたかもしれない。しかもゲヘナ生徒の犯行となれば、学校間の対立へと発展していた可能性もある。

 

 彼女たちがレッドウィンターで活動をしていたのは一ヶ月以上前である。ロシヤが行方をくらます時期とは重ならないうえ、何より温泉掘削も天然ガス採掘も同じ技術だ。

 

 アルは立ちあがった。「温泉開発部を探すわよ。何か分かるかもしれない」

 

「決まりだね。それじゃ、どーやって探そうか。あいつらも風紀委員会に目を付けられてるし、どっかに隠れてそうだけど」

 

「簡単なことよ。私に名案があるわ!」

 

 声高に言うアルへ、ハルカは羨望の眼差しを向けた。「さすがです、アル様!」

 

 カヨコは当惑した様子だった。「名案って……何する気なの、社長?」

 

 アルは勢い込んで言った。「あいつらは温泉を掘り当てる望みがあれば、どこにでも現れるわ。ならその習性を利用させてもらうの。差し当っては、新しいSNSのアカウントが必要ね」

 

 撒き餌の準備には十分とかからなかった。

 

 便利屋68はレッドウィンター事務局ゲヘナ支局を後にして、人気の少ない空地へと移動していた。工事用の資材置き場にもなっている区画で、鉄骨や土管が雨ざらしのまま放置されている。錆びついた黄と黒のバリケードはまるで意味を為していない。

 

 ムツキは土管の影に潜み、人影がやってくるのを獣のように待ち構えていた。そばには散弾銃を構えたハルカもいる。それから道路を挟んだ向かいの建造物の屋上にも、アルとカヨコが配置についている。地上から見上げると、桃色と白黒の点がのぞいて見えた。

 

 アルの計画は単純だった。インターネットに水源らしき何かがあるという情報を流すというものだ。あまりにも杜撰に思えるが、幸いにも温泉開発部の面々は頭があまりよろしくない。部長の鬼怒川カスミは例外だが、それ以外の部員ならこれで充分だという読みだった。

 

 ムツキは機関銃を片手にスマートフォンをのぞいた。偽物の投稿を温泉開発部が確認したらしく、ご丁寧にいいねがされている。「そろそろお出ましかな」

 

「ぜ、全員確保すればいいんですよね」様子を伺うハルカが言った。

 

「そうそう。あとは逃がさないようにやろっか。向こうに知られたら面倒だから──」

 

 ムツキは口をつぐんだ。三つほど現れた人影を、土管にぴったり密着して観察する。三人とも白いヘルメットにタンクトップ姿で、手にはピッケルや自動小銃を持っている。辺りをしきりに見回していた。

 

 ムツキはアルに通話を繋いだ。「来たよ。正面から三人」

 

 アルもスコープで確認したらしい。「こっちも見えたわ。他に仲間はいないみたいね」

 

「情報をぼかして正解だったね。狙い通り下っ端だけで来たわけだ」

 

「カスミが確認に寄こしたに違いないわ」

 

 餌として投稿した文面には、位置情報だけで他の表現は曖昧なものに留めた。専門家が相手ではぼろが出るかもしれないし、大挙して来られても面倒だからだ。地質調査だけなら、これだけの人数で事足りる。

 

「何か設置してます」

 

 ハルカの報告を聞いたムツキは様子を伺った。三人のうち一人が円筒型の装置を地面に置いた。広げた紙製の地図と周りを交互に確認している。

 

 自然放射能探査装置だ。あれで水源があるか調査されれば、偽情報であることはすぐにでも露見する。ムツキはアルへ伝えた。「すぐに始めるべきだよ」

 

 電話の向こうでカヨコがアルに何か伝えていた。温泉開発部の一人が携帯電話を開いている。投稿の文言を確認しているのか、誰かに連絡を入れているかのどちらかだ。すぐに取り押さえなければならない。

 

 カヨコが明瞭な指示を出した。「社長がカウントしてからスマホを撃つ。交戦開始と同時に、二人でお願い」

 

「りょうかーい」

 

「わ、分かりました」ムツキとハルカは臨戦態勢に入った。

 

 アルが意気揚々と話した。「いくわよ、三」

 

 ハルカは散弾銃のコッキングを済ませて、クラウチングスタートみたいに腰を低めた。

 

「二」

 

 ムツキも機関銃のトリガーに指をかけた。アルのカウントに合わせて気分が高揚していく。

 

「一」

 

 鼻で大きく息を吸った。心臓が興奮で心地よく脈打つ。自然と口元がにやりと歪んだ。

 

「開始よ!」

 

 突然温泉開発部の手元のスマートフォンがはじけ飛んだ。地面に細かい部品が散らばる。いきなりの事態に三人は反応が遅れて、一人の手はまだ本体を握った形のままだった。

 

 それを合図にして、ムツキとハルカは敏捷に動いた。ハルカは散弾銃を槍みたいに構えて、三歩で間合いを詰めるとすかさず発砲した。自動小銃を持っていた女がぎゃっと呻いて、背中から地面に倒れ込む。

 

 残った二人の顔に焦りが浮かぶと、ピッケルを持った女はとっさに鈍器を振り上げた。胴体ががら空きになり、ハルカはど真ん中に散弾銃を撃ち込む。体がくの字に折れ、両手がピッケルから離れた。

 

 地図を広げていた最後の一人が、慌てて腰に差した拳銃を引き抜こうとした。だが既に両手が塞がっているため、あたふたとしてから地図を地面に離してグリップに手をかける。

 

 ムツキは立ち止まって、銃口をその女のこめかみにそっと押し付けた。指は既にトリガーにかかっている。女はびくっとして動きを止めると、しょんぼりして両手を力なく挙げた。

 

 勝敗はあっけなくついた。ハルカが油断なく倒れた二人を確認する間に、ムツキは女の腰から銃を引き抜いた。片手で弄んで、正面に回ると得意げに笑みを浮かべた。「ちょーつまんないの。あっという間だったね」

 

 女は歯を食いしばった。「お前ら便利屋68か。一体何が目的なんだ」

 

「ちょっと聞きたいことがあるんだよね。部長のカスミ、今どこに居るの?」

 

 女が目を剥いた。「カスミ部長?会ってどうするのさ」

 

「人を探してるの。レッドウィンター連邦学園の赤雷ロシヤ。何か知ってる?」

 

「そんな名前は知らない」

 

「ならカスミの居場所を教えてもらおっか」

 

「素直に教えるわけ……」言葉はそこで途切れた。銃口が女の鼻先に突きつけられると、ややあって震える声で答えた。「ハイランダー外れの荒野で新しい温泉施設を建設してる!かなり大きくて宮殿みたいなところで、場所も教えるから」

 

 ムツキはやれやれと思った。こんなにあっさりと吐かれては面白くない。温泉開発なんて力仕事をしている割に、存外口は軽いものだ。おそらくこいつは地質調査など頭を捻るのが仕事なのだろう。

 

 アルとカヨコが合流してから、温泉開発部の三人はカスミの居場所を事細かく喋ってくれた。カスミは現在、広々としたオレンジ荒野に巨大な温泉施設を作っている。そこは中心街からも離れた場所で、自分たちは列車に乗ってここまで来たらしい。貨物と客を同時に運ぶ長い汽車で、西のハイランダー鉄道学園まで一本で繋がっている。汽車はゲヘナ中央駅を出発してすぐに緩衝地帯を抜けて、レンガ造りの伝統様式がひしめくトリニティ自治区の学生寮を抜けていく。セントラル・リバーを越えて、続いて住宅街へ。徐々に砂が見えてくると、繁栄の途絶えた廃墟群をまっすぐ突っ切る。建物すらまばらになればオレンジ荒野だ。それからは代り映えしないところが続き、やがてハイランダー鉄道学園というキヴォトスの交通機関のほとんどを管理している学園の本拠地へ到着する。誰かに迷惑をかけることもないような自然の中の活動には、風紀委員会は興味がないらしい。

 

 便利屋68にとっても同じ事だった。問題は温泉開発部の活動内容ではなく、件の暗殺者とまともな関係があるかどうかだ。四人はさっさと空地を後にすると、ゲヘナ中央駅に向かった。

 

 

 

 それから一時間と半分を、便利屋68は四列席の客車で過ごした。様々な自治区を横断する鉄道というだけあり、乗り込む顔ぶれにも色々ある。純白の制服──身なりの良さからもトリニティ生だと分かる──に身を包んだ三人衆はきゃっきゃと笑いながら取り留めもない話に華を咲かせている。……あそこの店はとっても美味しいの……あの景勝地は写真写りが良くて。真ん中の通路を挟んで、おおよそこのような会話が耳に入る。ムツキの二つ後ろでは、かっちりとした紺のスーツをまとった大人がパソコンで何やら作業に没頭していた。フットボールみたいな頭は機械になっている。せわしなくタイピングの音が続くが、ふと音が止むタイミングがある。しばらく間があってから、小気味よく文字を綴る音が再開する。たぶんぼうっと外を眺めて小休止を挟んだのかもしれない。他にも小柄な二足歩行のパグや猫や雀といった面々が、客車の中で入れ替わっていく。しかしオレンジ荒野に近づく頃になると、広々とした客車に座っているのは便利屋68の四人だけになってしまった。

 

 車窓からは地平線まで続くような砂の大地。大小まばらな石ころが黄色い潮の流れのように、ムツキの視野の外へ流れていく。それでも奥の大地は全く注意を喚起するような動きを見せず、全体的に代わり映えしない景色が続いた。

 

 がたがたとリズミカルな揺れが緩慢になり始めると、やがてしゅーっと一息ついてから汽車は緩やかに停車した。ムツキたちは客車から降りて、掘っ立て小屋みたいな駅に降り立つ。よれよれの募金箱みたいなものの口に切符を入れると、無人の改札を抜けて、初めに目に飛び込んできたものを見た四人は驚き呆れてしまった。

 

 温泉施設というより、王族の宮殿か墓廟と呼んだ方が適切だろう。大楼門を抜けた先は、庭園の中央を伸びる大理石でできた遊歩道。両側に広がる手入れの行き届いた芝生は棕櫚やハイビスカスで丁寧に飾られ、スプリンクラーで水が撒かれている。こういった装飾が、ただの温泉施設を華やかな見世物へと昇華させているのだろう。ときどき太いパイプラインが地面に伸びて見えるが、目立たないよう地面と同系色でまとまっていて、奥には本丸が望める。中央棟は白い石造りの表構えで、半円型の屋根の頂華は天へ向けて飛び出ている。建造物は両側へ吹き抜けの手を広げて、その先に尖塔が佇む。囲われた中からは格子状の櫓が顔を出して、絶えず湯気がもうもうと上がっていた。確かにこの施設はきちんとした宣伝をすれば、良い財産になるだろう。中心街から離れた保養地、豪勢な施設。日頃の喧騒から離れて、極上の一時を……。

 

 四人は敷地の端を壁伝いに回って、ゆっくりと建物へ近づいていった。足元へ近づくほどに分かってきたが、敷地だけでなく建物自体も相当に大きい。頭上全体へのしかかってくるようだった。その間にも、ばったり誰かと出くわすようなことにならないよう注意を払う。特に温泉開発部の下倉メグはアルが一番やりずらい相手だし、興味があるのは正面口から見る豪華な内装よりも隠されたバックヤードだ。

 

 緑尽くしの庭園最奥に到着すると、施設を囲う壁にぶち当たった。ただ一つだけの赤い扉があり、そこから中へ入れそうだ。

 

 茂みに身を隠したままアルが言った。「二手に別れましょう。私とカヨコは外から建物を俯瞰できる場所で頑張るわ。ムツキとハルカは潜入して、目標に繋がりそうなものを探してちょうだい」

 

 この巨大な城を二人でまわるのは骨が折れそうだとムツキは考えた。だが嫌ではなかった。温泉施設がどうやって動いているのかを、この機会に見学させてもらうのも一興だ。

 

 カヨコが続いた。「そうしよう。何かあれば私に連絡して」

 

 ムツキは満面の笑みを作った。「ばっちり任せてよ。それじゃ私とハルカちゃんで行ってくるね」

 

「い、行って参ります、アル様」

 

 ムツキとハルカは金網を越えると、素早い身のこなしで扉へ近づく。石がうずたかく積み上げられた足元で、そろそろと把手を動かして、少しだけ開いた隙間から中を伺った。遠くから機械の唸りがするだけで人影はない。するりと中へ入ると、ざっと中庭を見回した。

 

 外壁と施設の中間にあたるバックヤードだ。高く設置された構台が宮殿の壁から伸びて、バックヤード全体を視認できるようになっている。大型の掘削機、ボーリングマシン、アースオーガーなどは構台を屋根代わりにして、下へ潜り込んでいた。黒いでこぼこした配管が宮殿の壁から、右手の金網で仕切られた区画へ伸びており、あらゆる設備がひしめきあっている。

 

 ムツキは金網に近づくと、ざっと一回りした。事前に調べていた揚湯に必要な設備の記憶と照合していく。まず温泉井。地下から源泉を汲み上げる。次にガスセパレータ。タンクを立てたような形で、可燃性ガスを分離する。この近くで火器を使用するのは自殺行為に等しいだろう。

 

 今度は薬液装置で、少量の塩素を混ぜて、温泉水を殺菌消毒する工程になる。その隣にあるのが源泉槽。コンテナみたいな形で、温泉水を貯蔵するタンクの役割である。

 

 黒い配管はタンクの下を通って、ややこしい化学実験の最中みたいなポンプに送られる。これが送湯ポンプで、この先の配管は施設の方へ伸びて使用される。ここまでは分かる。

 

 だがムツキの目を引いたのは、最初の温泉井のすぐ隣にあるタンク型の装置だった。てっぺんにバスのステアリングみたいなバルブや温度計が付いたもので、絶えずシューシューと音を立てている。ここに並ぶ揚湯設備の中では、その装置を覆う白い靄や、薄く氷の張った配管は嫌でも目立つ。

 

 金網を乗り越えると、そのタンクに近づいてみた。陽光を直接浴びているにも関わらず、その装置の周りだけ嫌な冷気が満ちている。特に隙間から漏れている白い煙は、肌が触れない距離でも無意識のうちに本能が警告を発していた。

 

 ヘリウム液化装置。事前にマロジュネ採掘の資料で見たままの装置が鎮座していた。装置内部で断熱膨張、圧縮を繰り返すと、沸点に到達したヘリウムは液状になる。マイナス二六九度の液体は特別な断熱容器に閉じ込められてから、保管や輸出に回される。

 

 ヘリウムが含まれるのは不燃性の天然ガスだ。わざわざ温泉井の隣にこんなものを設置する理由など一つしかない。ムツキは今では確信に近い納得を得ていた。専門家ならいざしらず、予習をしてこなければ気づかずに素通りしていたに違いない。

 

 装置から目を離さずにハルカへ伝えた。「気を付けて、ハルカちゃん。私たちの進路は正解だよ」

 

「や、やっぱりここにいるんですか」

 

「こりゃ間違いないね。アルちゃんたちに写真を送って、それから中を少し見てみたいな。液体ヘリウムをどこかに保管しているはずだよ」

 

 証拠写真をアルに送信すると、二人は金網を乗り越えて、構台下から内部へ侵入した。温泉開発部員は百を超えるはずだが、バックヤードで見かけたのは三人だけで、いずれも侵入者がいるなど考えられないと高をくくった様子だった。それがムツキには好ましかった。掘削機近くのシャッターが不用心にも開いており、ムツキとハルカは腹ばいの姿勢で滑り込んだ。

 

 靴の音が耳に入り、あわてて荷物箱の影に隠れる。広い空間だった。倉庫は照明が付いており、ここでは数人が忙しそうに歩き回っていた。壁は鉄骨が組み込まれて頑丈な設計になっている。近くの箱には工具類が山積みにされ、使用されたヘルメットや作業衣が入れられたものもある。

 

 注意深く奥の空間へ突き進みながら、ムツキは目当てのものがないか目を走らせた。それはすぐに見つかった。荷物が積まれた棚は規則的に間隔が取られており、ムツキが見つけたのは荷物棚を何個か移ってからだった。

 

 ねずみ色の酸素ボンベみたいな物体が整列していた。その頂点にはバルブが乗っかっている。ヘリウム液化装置で見たものより小さいが、運搬したり隠すには都合が良い。ラベルには天然ガスとだけ書いてあった。うまい偽装を思いついたものだ。

 

 ムツキはふと思いつくと、バッグから小型爆弾を取り出した。ぱっとみ時計のようにも見えるそれを、目立たないようにタンク下部の奥へ貼り付ける。十分な工作だ。後はスイッチ一つで、ロシヤの武器はほとんどが消えてなくなる。

 

 ほぼ同時に扉が開く音がすると、数人が談笑しながら倉庫へ入ってきた。複数の足音が近づいてくる。ムツキとハルカはこそこそと現場を離れようとしたが、話し声に反応して立ち止まった。

 

 まず飛び込んできたのは、はきはきとした声だった。「しかしここもだいぶ手狭になってきた。運び出しの手筈はついてるのかい?」

 

「ああ、もう新居は整えてある。輸送車が到着すれば荷物共々ずらかるさ」

 

 もう一人は落ち着き払った口調だった。目視で確認すると、前に目にした人相資料の正確さにムツキは感心した。

 

 赤雷ロシヤは開襟シャツにスラックスという楽な装いだった。腰に差した大型のコルト四十五口径拳銃を隠そうともせず、ぶらりと倉庫を見渡した。いかにも観光で来たようにリラックスした態度だが、目の奥には油断ならない雰囲気を潜ませている。その証拠に金の腕時計をつけた右手は、常に拳銃の近くに留めてあった。

 

 あとの人物は既に知った顔だ。温泉開発部部長の鬼怒川カスミ、そして下倉メグまでいる。数人の部下はいずれも力仕事担当のようで、作業衣のあちこちを煤や泥で汚している。

 

「いいかカスミ?私たちの関係はこれまでのところ非常に上手くいっている。私は君みたいな愉快な友人とは仲良くしておきたいし、敵を作るのは本意じゃない。だからこの関係は隠しておくんだぞ。掘削機の調べが入っても上手くはぐらかすんだ、分かったな?」

 

「それは受け取り手次第だと思うが、約束は守ろう」

 

「よし、これで君たちの活動は安泰だ。あとは新しく就任した奴がうまくやってくれる。彼女もまた私の友人だ」ロシヤはタンクへと近づいてきた。

 

 今がチャンスじゃないか?ムツキは点火装置のスイッチにゆっくりと指をかけた。ところがその時扉が開け放たれて、血相を変えた部員たちが駆け込んできた。カスミに近寄ると、肩で息をしながら必死に訴える。「部長、調査に行った子たちが便利屋にやられた!」

 

「何だって?」カスミは怪訝そうに聞き返した。「それで便利屋は今どこに?」

 

「部長の居場所を聞かれたみたい。喋っちゃったから、もう来てるかも」

 

 まずいことになった。きつく縛ってやったはずだが、もう抜け出してしまったのか。

 

 倉庫内が騒然となると、各々が銃器を手に持った。カスミは一同を見回して、鋭く命じた。「すぐに施設を封鎖して、見張りを強化してくれ。オープン前の施設に傷をつけられては困るからな」

 

 靴音があちこちから聞こえ始めた。この倉庫はすぐにでも警備員であふれかえることになる。長居は無用だ。

 

「ハルカちゃん、いったん逃げよっか」

 

 短くたずねると、ハルカも応じた。元来たシャッターまで慎重に向かおうとした時、荷箱の影から温泉開発部の部員が出てきた。

 

 大口を開けて、仲間を呼ぼうと大声を出す直前だった。今から取り押さえても間に合わない。同じことをハルカも考えたようで、銃声が響くのも恐れず部員目掛けて一発撃った。倉庫に重低音が反響して、騒ぎが一層増す。散弾銃の発砲音が耳に残る内に、もう二人は駆け出していた。

 

 目指すシャッター前に警備員が姿を現すと、こちらへ銃口を向けてくる。一瞬早くムツキが機関銃を立て続けに揺らすと、弾丸は警備員に次々当たり、残りは周りのシャッターに穴を開ける。

 

「部長、便利屋の子たちがいた!」背後からメグの声が飛んできた。

 

 数瞬の後に、何発もの弾丸が周りをかすめ飛んできた。足元に跳ね返ったり、飛び過ぎてシャッターに当たったりする間にも、ムツキは進路上のシャッターを銃撃し続ける。蜂の巣にされたシャッターが目前に迫ると、二人は一層速度を上げる。立ち止まろうとする本能を追い出して、陽光がぽつぽつと影に映る壁目掛けて体を強張らせて飛び込んだ。

 

 全力のタックルでシャッターを破る。衝撃は予想より少なかった。二人はさらに先ほどまでいたバックヤードを突っ切ろうとしたが、不意に背後から声がすると、二人の間を銃弾がかすめ飛んだ。「止まれ、もう扉からは出られないぞ!」

 

 歩を緩めて立ち止まると、ハルカは驚いた様子だった。ムツキは重々しく振り返った。無数の自動小銃が地上だけでなく、構台の上からもこちらを狙いすましている。一体いくつの銃口があるのか、考えただけでも恐ろしいね。そう考えていると、地上の部員たちの後ろからカスミとメグが割って前へ身を出した。「ムツキにハルカか。二人とも、一体何をしにきたんだ?」

 

 ムツキは白々しい表情を作って、即興の言い訳を組み立てた。その間も点火装置を決して手放さなかった。「温泉に関する記事を書く仕事の一環だよ。クロノス新聞に彩りを加える依頼で、テーマを聞いてぴんときたんだよね。餅は餅屋、温泉は温泉開発部を頼るべきだってね。でも温泉について深く書くためには、こういった裏方のこともすっかり見ておかないといけないと思って、こっそり見学に来てたんだ。驚かせるつもりはなかったんだけど、事前に一言伝えるべきだったと思ってる」

 

 いかにも申し訳なさそうな表情を作る。カスミがこちらの言い分を精査している間に、ムツキは周りに視線を移した。アルとカヨコはここからは見えない。先ほどの銃撃騒ぎが耳に入っているのを祈った。

 

 しかし祈ってばかりもいられない。ムツキは突破口を開く手段を握っている。ハルカに小声で伝えた。「爆発したら逃げよう。いい?」

 

「分かりました」

 

 カスミが声高に言った。「そんなわけがないだろう。バックヤードから来たところからして、おおかた設備が目当てなんじゃないか?産業スパイにでも任命されたのかい」

 

「そうじゃないとだけ伝えておくよ」

 

「まあ、何でもいいさ。この後にゆっくり聞かせてもらうとしよう。まずはその物騒な武器を置きたまえ」

 

 交渉決裂だ。ムツキの肚は決まった。嫌にゆっくりとした動作で武器を地面へ近づけながら、右手の親指をボタンへじりじり近づける。触れた感触がしたと同時に、一気に深く押し込んだ。

 

 だが爆発は一向に起こらなかった。ムツキは何度も指を動かしたがかちかちと虚しい音が鳴るばかりだ。故障なんて考えられない、だが今のちょっとした一幕の間で解体できるとも思えない。

 

 カスミの背後からさらにもう一人が現れた。グレイの髪に赤と青の目。赤雷ロシヤは至ってくつろいだ様子だった。ぶらりとカスミの側によると、グローブをはめた右手で握っていた物体を投げ捨てた。「頼みの綱はこれか?」

 

 小型爆弾は表面に雫が滴ったまま、完全に凍りついている。ムツキは思わずため息をつきたくなった。冷凍銃は想像していたより、ずっと凶悪な力を秘めているらしい。

 

「狙いは悪くなかったな。だが今のまま爆発させていれば、危うく自分たちまで巻き込んじまうところだった。とんでもないことだ!しかしまあ、発火装置を一瞬で凍り付かせれば些細な問題さ」ロシヤが目を細めた。「それでお前たちだ。どう考えても物書き(ライター)じゃないのは分かる。どちらかといえば着火屋(ライター)だろう。それはともかく、何だってこんなことをしようとしたんだ?いや、そもそもお前たちは何者なんだ」

 

 カスミが応えた。「便利屋68、金で依頼を請け負う何でも屋だよ。アウトローを目指している良い子ちゃんたちだがね。前にも何度か関わり合ったことはあるが、そういえば君は初対面だったか。しかし用があるとするなら君の方じゃないか?」

 

「なるほど」ロシヤは少し考えて、またなるほどと呟いた。「そういうことか、レッドウィンターの誰かから、私の始末を依頼された訳だな?愚かしい連中だ。確かに敵が多いのは認めよう。だがこれまで私に歯向かおうとした馬鹿は全員が同じ末路を辿っているんだ。例外はない。今度もまた、その馬鹿を朝飯前に始末するだけさ」こちらに向き直る。「おい、ムツキにハルカだったか?まあ座れよ。武器を持ったままじゃ、腹を割って話はできないからな」

 

 ロシヤは目くばせをした。既に背後まで迫っていた温泉開発部の部員たちが機関銃と散弾銃、ボストンバッグを奪い取ると、ムツキとハルカは後ろで手首を押さえられた。それから無理に押し込められ、地べたに膝をついて座らせられた。

 

 ムツキは抵抗する気はなかった。頼みの策があっさり破られた事や、今も構台の上から俯角で狙いをつけている無数の自動小銃や、ロシヤの手に握られた銀色のリボルバーなどがそうさせていた。さらに怪力自慢のメグが近くにいて、逃げ出そうにも武器を取り上げられて術が尽きかけている。火炎放射器は握っていないが、素手でも十分な脅威だ。

 

 ハルカもムツキに従って、大人しくしていた。自分にこの状況を切り抜ける策があると信頼してくれている。ムツキは普段の自分の振る舞いを思い出して、それから少しだけ大げさに、芝居がかったようにおどけてみせた。「まずは自己紹介かな。改めて、私はムツキちゃん。そして隣がハルカちゃん」

 

「それは聞いた。それでどんな依頼を受けたんだ」

 

「まず自己紹介だってば。こっちが名乗ったんだから、そっちも名乗りなよ」

 

「ロシヤ。赤雷ロシヤだ。天然ガスの採掘から輸出までやってる。私がどんな女なのか、資料に書いてなかったのか?」

 

「書いてあったとはいえないね」

 

 ロシヤは肩をすくめた。「ここには温泉井から来る可燃性ガス分離の技術提供に来ている。ガスは適当な処理じゃ火事になるが、例えば湯を沸かす電力なんかに変換できるんだ。分かったか?」

 

「その報酬はヘリウムガスでの支払いなの?変わった雇用形態だね」

 

「そうだ。しかしそこまで知ってるのなら、これ以上の芝居や秘密なんかはやめてもらおうか。それでそちらの依頼主は誰なんだ?事務局の誰かか?」

 

「報酬を受け取るまでは口が裂けても言えないよ。テント暮らしがかかっているからね」

 

「ふうん、金目当てか」ロシヤは鋭い目でじっと見つめて、それから急に上機嫌な笑い声を上げた。それから言う。「その依頼主にいくら支払いを約束された?」ズボンのポケットから札入れを出すと、一万円札をムツキとハルカの襟元に差し込んだ。「どうだ、倍欲しくないか?これはほんの前金だよ。はぐれ者同士、仲良くしようじゃないか。私の副業を君たちにどうこう言われる筋合いはないし、幸いお互いに遺恨もない。それで手を引いてくれれば、この爆弾みたいに小さい些細なわだかまりも残らないさ」

 

「その前に答え合わせをしたいな。ここまで来て何も知らずに帰ったんじゃ、何のために長く電車に揺られたんだってなるからね。先月襲った会社を操って、温泉開発部に掘削機を格安で提供する代わりに匿って貰う計画だったの?」

 

 また肩をすくめた。ロシヤは口をへの字に曲げた。「そんなところさ、私が再び力を取り戻すまでだ。ただし機械以外に地質の情報提供もしてやってる。忌々しいレッドウィンターに彼女たちが温泉郷を作りに向かったのも私の情報があったからさ。あと一歩のところだったが……」ここでわざとらしく話を切った。「もう満足しただろう。そろそろ答えを聞かせてもらおうか」

 

 ムツキは考え込んだ。アルやカヨコがこの場を見つけてくれることを祈って、少しでも時間を稼ごうとした。「うーん」と言った。それから「そうだねえ」と返した。どっちつかずの返事をしてから、上目遣いで聞いた。「もし断ったりしたら、この後はどうするの?」

 

 すかさず銀色のひらめき。右手に握られた拳銃の黒い小さな口が、ムツキを正面から睨みつけた。ムツキは表情こそ変えなかった。しかし緊張は最高に高まっている。極低温の銃弾──冷凍弾は指先を少し傾けただけで発射される。ロシヤは無表情で言った。「ゲヘナでの活動はまだ少ないが、これでもレッドウィンターでは有名でね。”冷凍銃を持つ女”なんて名で呼ばれている。もし断るなら、それで構わん。代わりに私のコレクションに二人加わるだけだ」

 

「暗殺者としての仕事、それとも趣味かな?地球のガスを輸出して、それでお金持ちになれたのにどうしてそんなことをしてるの?」

 

「良い質問だ、ムツキ。私は愉快な事が好きなんだ。きっとお前も同じだろう?金を稼ぐことと、この特別な銃で死を与える事が何よりも愉快でたまらない」

 

 ムツキはあからさまに嫌悪の顔を作った。「悪趣味もここまでくれば立派なものだね。自分を世界の中心か何かと勘違いしているのかも。ゲヘナで長いことやってきたけど、ここまでの人物には滅多にお目にかかったことはないなあ」

 

 ロシヤの顔の溝が深くなると、ここで初めてギャングの片鱗をのぞかせた。ふんと鼻を鳴らして、それから口元を歪めると、左手にいつの間にか握られていた一輪の薔薇をムツキの襟元へ、花瓶に活けるみたいに差し込んだ。思わずどきっとした。死の宣告を受けたのだ。冷凍された薔薇のひんやりとした冷気が上衣を透過し、心臓の動きが鈍くなったような錯覚を起こす。仏花にはとことん縁起が悪い。

 

 磨き上げられた銃身をムツキの顔に近づけると、銃口で頬を何度かつついてきた。トリガーに指をかけたまま、かなり危なっかしい真似だ。

 

 首を反らして拒否するが、ロシヤは執拗だった。ひんやりとした鉄筒で、猫にやるように繰り返し頬や顎を撫でまわす。ムツキは頭突きをお見舞いしてやりたかったが、トリガーに指がかかった状態で危険は犯せなかった。何かの拍子に暴発するかもしれないからだ。

 

 強く抵抗もできずにいると、銃口が口元に近づいてきた。とっさに口をつぐみ、顔を左右に反らした。ロシヤはいたずらっぽい笑みを浮かべている。嫌がるパートナーに行為を強要するような態度だった。

 

 隣のハルカが悪態をつくと、身をよじって何とか窮地を脱しようとした。だが怪力のメグに背後で両手を押さえられては、さすがに身動きが取れそうにない。カスミに至ってはロシヤの遊びに興味があるのか、にやにやしながらすっかり見物に徹していた。つくづく悪い女だ。

 

 薄めの唇に固い銃口が押し付けられると、きっと結んだ割れ目に無理やりねじ込まれる。ムツキが歯を閉じると、すぐに第一の防御線が突破された。なんとか最後の歯の砦は死守しようとしたが、少し圧力が加わると虚しく降伏するしかなかった。銃口は歯の奥まで侵入して、まさに口内を征服しようとしていた。

 

 頭をきもち上に傾けて、ムツキはただ口を開けたまま受け入れるしかなかった。これに何の意味があるのだろう。この異常な状態で分かるのは、銃口を咥えるというのは良い気持ちはしないということだけだ。しかも口が一向に閉じられないため、口腔内に唾液が溜まる一方でどうにもできない。舌に触れる銃身は、ひんやりとしてほんのり血のような味がする。

 

 歯科検診の器具みたいに、銃口は右に左に移動する。ロシヤのいやらしいものを見るような目線が不快でならなかった。一度右頬が中から押し出されて、口の端から唾液が伝い落ちる。両手を押さえつけられたまま、じりじりと顎から首筋に垂れていくのを感じ取った。

 

 銃身が一段と奥に侵入してくると、舌の奥に触れた途端に何かが胃の奥からせり上がりそうになった。肩がぴくっと反応で動く。嘔吐感を堪えようとして、自然に呻きが漏れる。ロシヤが調子づいてさらに奥を目指すので、歯で食い止めるのが精いっぱいだった。喉奥の異物を感知するセンサーが反応し続けるので、気分の悪さがずっと収まらない。いっそ一思いに乱暴にされた方が、かえって楽なのかもしれない。

 

 口腔内を散々弄ぶと、ロシヤの目つきが変わった。赤と青の瞳孔が野生の獣めいた光をはらんでいる。獲物にとどめを刺す直前の肉食動物みたいだった。トリガーにかけられた指が少しずつ引き込まれてくる。

 

 どうしようもない息苦しさと嘔吐感から、自然と目の奥が熱くなった。冷汗が垂れる。とうとう来る。引き金の遊びがなくなると、軽い金属音が耳に入った。

 

 突然カスミが頭を強打したようになり、強く吹き飛ばされた。短く唸ったが、直後の爆発音でかき消されてしまうと、衝撃は周りの部員たちまで巻き込む。メグは一瞬遅れて、爆発があった方を見た。「部長!」慌ててカスミの元へ寄ろうとして、掴んでいたハルカの手首をぱっと離した。

 

 ロシヤもこの急な攻撃を処理しきれず、動きが固まった。ムツキはすかさず頭を思い切り引いて、拘束している部員の鼻面目掛けて頭突きを見舞う。後頭部に鈍い衝撃が響くと、腕を押さえていた握力が弱まり、同時に口からも異物が取れてすっきりした。

 

 ロシヤが振り返るより早くトリガーを引いた。耳も潰れんばかりの銃声を立てると、ムツキが首を傾げた瞬間、耳の数センチ横で空を切る音。後ろの部員が仰向けに倒れると、銃弾は飛び過ぎてバックヤードの外壁にめり込んだ。軽くはじける音で白煙が噴き出し、着弾地点は一瞬のうちに凍り付く。

 

 ムツキは両手を伸ばすと、冷凍銃の弾倉に食らいついた。腕力勝負で狙いを横へずらすと、さらに撃鉄を上から抑え込む。シングルアクションならこれで充分だ。ロシヤは密着寸前の距離で、手を振り払おうと拳銃を暴れさせる。

 

 もし銃を押さえているのがハルカなら、すぐに組み伏せることができたかもしれない。だがトラップなどの火器専門で、なおかつ体格に恵まれてないムツキは少しずつ捻じ伏せられていく。体格差のあるロシヤが勝ち筋を捉えると、食いしばる歯をぎらりとのぞかせた。

 

 構台上に控えていた部員たちが一斉に銃火をひらめかせた。今度は構台下の脚部が狙撃を受けて、足場は不安定に揺れる。銃弾を空にばらまいたり、立っていられない者も見えた。ハルカがその隙を見て武器を拾い上げ、ロシヤの横から散弾銃をまともに喰わせる。ムツキはぱっと手を放して機関銃を受け取ると、周りに展開する部員を次々に狙い撃った。その間にも足を緩めず、二人は再び倉庫棟へ走った。後ろからは自動小銃によく似た武器を持ったメグが後を追う。背に消火器みたいな容器を背負って、ホースで手元の武器へつながれていた。

 

 倉庫は警備員や部員たちが外へ出払って、外の喧騒が聞こえてくるだけだった。ムツキはバッグから火炎瓶を取り出すと、手当たり次第に荷箱へ投げまくった。すぐにあちこちで火の手が上がり、炎は荷物を伝って広がっていく。

 

 さすがのメグもシャッターの辺りで立ち止まった。炎の壁越しにぱっぱっと火炎を飛ばしてくるが、倉庫の炎上を早めるだけだ。ムツキはすかさず時限爆弾を取り出すと、タイマーを三分に設定して液体ヘリウムのタンクに貼り付けた。無機質な秒読みの音が始まり、いよいよその時が来ればこの建物は吹き飛ぶことになる。ムツキはロシヤを倒すだけでなく、この地下資源たちも残らず吹き飛ばす必要があると確信していた。

 

 冷凍銃が二度銃声を轟かせた。ロシヤは炎の勢いを弱めると、火傷も恐れずに飛び込んできた。よほどタンクの中身が大切に見える。ムツキはオレンジ色の光に照らされる黒いシルエット目掛けて、立て続けに撃ちまくった。ロシヤはすかさず身を隠した。ムツキの姿を視認して、壁から飛び出すと冷凍銃を構えた。

 

「し、死んでください!」

 

 ハルカが叫んだ。同時にうず高く積み上げられた荷物棚の底部が爆発すると、棚はすぐに大きく傾いた。荷物が滑り落ちて、騒々しい音。倒れ込む棚は隣の別の棚に激突して、ドミノ倒しのように連鎖する。すぐにロシヤの隣の棚まで衝撃が伝わると、大きく見上げるのが目に入った。口をあんぐりと開けて、何か叫んだが、一秒後に荷物箱が雪崩のように頭上から覆いかぶさった。

 

 ぐしゃぐしゃと大地震のような大騒ぎはしばらく続いた。段々と静まってきても、倉庫にはまだ先ほどの轟音が残っているようだった。

 

 粉塵が倉庫に充満している。地面には工具や掘り当てた岩石が散乱していた。視界が悪い中で、ムツキは荒い自分の息遣いだけを聞いていた。ハルカが事前に爆弾を仕掛けていたに違いない。

 

「ありがとうハルカちゃん」

 

 ハルカは頭を振った。「そんな、爆弾をたまたま準備していただけです。大したことはしてません」

 

 思わず笑みがこぼれた。依頼解決目前の達成感はあったが、次にはこの温泉開発部の城から脱出しなければならない。今しがたの崩壊とボヤ騒ぎで、温泉開発部は大層ご立腹だろう。炎の勢いは依然弱まらないが、いつ部員たちがなだれ込んできてもおかしくなかった。

 

 ハルカが呟いた。「早く逃げた方が……」

 

 ここでハルカは言葉を切った。理由はムツキにもすぐに分かった。遠くから地鳴りのような音が聞こえてくると、足元が小刻みに揺れ始める。エンジンの重低音の唸り。

 

 倉庫棟の壁がいきなり破られると、高速回転するスクリューの先端が現れた。ばりばりと内壁を粉砕すると、スクリューを取り付けたクレーンを操作する馬鹿でかい黄色い本体が、倉庫内へ突っ込んできた。

 

 大型重機を咄嗟に回避したハルカが驚愕の声を発した。「ななな、何ですかあれ!」

 

 停止すると闖入者の姿がはっきりと捉えられた。背後で燃え上がる炎がオレンジ色の光を投げかけていた。バックヤードに停まっていたアースオーガーだ。だが排土板やキャタピラーが異常なほど大きい。クレーンがムツキの方を向くと、咆哮めいた駆動音と共に襲い掛かって来た。アースオーガー上部の運転席だけは通常サイズで、そこで操縦しているロシヤの姿が目に入る。すぐさま狙いをつけて機関銃を乱射するが、スクリューに遮られて跳弾の火花が散るだけだった。迫り来る巨体は地面の瓦礫を容赦なく跳ね飛ばし、細かい小石などはキャタピラーで押しつぶす。巨体に似合わず、凄まじく速い動きだった。象やサイの突進の勢いにも勝る。スクリューは言うまでもなく、本体に接触するだけでも一巻の終わりだ。

 

 ハルカが側面から散弾銃を撃って、ムツキに叫んだ。「ムツキ室長、今のうちに!」

 

 ムツキはハルカの意図を即座にくみ取った。アースオーガーの注目がハルカに向くと、肩にかけた黒いボストンバッグを開く。中には投擲武器が満載されており、その中から黒い破片手榴弾を取り出した。片手に収まりきらない大きさで、中には火薬が一杯に詰まっている。アースオーガーはハルカを正面から追い詰め、鋼鉄製のスクリューを突きつけようとしていた。散弾銃で運転席を狙うが、スクリューと巨体に遮られて命中していない。

 

 ムツキはアースオーガーの隣を追い越す速度で駆けた。すぐに左キャタピラーへ接近すると、安全ピンを抜く。後はタイミング次第だ。瓦礫に足を取られないようにしながら、ムツキは無我夢中で並走した。心臓の拍動に合わせた秒読みが四に達すると、上から下へ猛然と流れるキャタピラーへアンダースローに近い動作で投げつけた。

 

 狙いは驚くほど正確だった。爆発の轟音と共に左キャタピラーは空中へ浮き上がり、アースオーガーは右側のみが地面に触れている体勢になった。接合部が破断してまともに機能しなくなり、制御を失う。ハルカは地面に倒れ込み、頭を抱えて体を伏せた。そのおかげでアースオーガーはハルカの頭上を曲芸のように通り過ぎたのだ。

 

 ムツキは爆発の瞬間に横っ飛びに逃れたが、爆風で想像以上に吹き飛ばされた。何だったかも分からない瓦礫の山へ激しく打ちつけられ、機関銃を手放した。衝撃が背中から全身に伝わり、肺から空気が押し出されてむせてしまう。手足が痺れてすぐに立ち上がれなかったが、ムツキの目は今の仕事の結果をはっきりと視認した。

 

 運転席のロシヤはアースオーガーの操縦を取り戻そうと必死だった。レバーをあちこちに揺らし、甲斐あって左キャタピラーは再び地面へ近づく。だが手榴弾で破断したキャタピラーは既に推進力が失われており、接地した瞬間に重機は勢いよくスピンした。激しく機体が揺さぶられ、操縦もままならないまま、アースオーガーは荷物棚へ突っ込んだ。と同時に駆動したままのスクリューがタンクを破り、中の液体が勢いよく噴き出す。運転席のフロントウィンドウが割れて、破片と共にロシヤの体が放り出された。空中の人形みたいな体が全身に液体を浴びた。

 

 ロシヤは凍りついた。一瞬の後に絶叫を響かせた。白い煙がたちまち惨状を包み隠す。

 

 ムツキは肌にひりつく感覚を覚えた。倉庫全体に嫌な冷気が満ちていく。原子番号二番。液体ヘリウム。マイナス二六九度以下の極低温の液体は、あらゆる物体を一瞬で内部まで凍結させる。衣服など問題ではなく、皮膚から肉体、骨まで蝕む。

 

 ロシヤの叫びはすぐに止んだが、倉庫にいつまでも木霊し続けるようだった。煙の隙間から堅くなった姿がちらりと見えた。顔や手足は青白く染まり、顎下や肘からつららが垂れ下がっている。ぴくりとも動かないまま、すぐにまた覆い隠された。

 

 ムツキはその場でじっとしたまま、暗殺者の哀れな姿を目に焼き付けた。口に銃身を突っ込まれた感覚がぶり返すと、鼻をふんと鳴らした。不快な思いをさせられたお返しはしてやったつもりだ。

 

 ハルカが駆け寄ってくると、肩を借りて立ち上がる。足の痺れはだいぶましになった。機関銃を取り上げて、もう一度やり残しがないか見渡す。

 

 倉庫はすっかり荒れ果ててしまっていた。左手には炎の壁が再び勢いを取り戻して、右手では液体ヘリウムが漏れ出している。爆弾の設定時限はそろそろだが、低温の雲海に晒されては機能が残っているか怪しいものだ。そんな心配を払いのけると、アースオーガーが壁に開けた大穴から外へ向かった。炎と液体ヘリウムは徐々に接近しており、爆弾などなくともどうなるかは明らかだ。

 

 ムツキは胸元の薔薇を摘むと、機能停止したアースオーガーの方へ放り投げた。冷凍薔薇はプラスチック製の造花のようで、空中でも形を崩さないまま見えなくなる。今となっては彼女こそ、薔薇を持つに相応しい。

 

 再びバックヤードに出ると、二人は庭園の方へ走り出した。最も近い出口の扉にロックはかかったままかもしれないうえ、温泉開発部が二人を血眼で探し回っている。バックヤードから遠ざかると、遠くで銃声が聴こえる。その中に親しみのある狙撃銃音があった。アルが温泉開発部の注意を引いてくれている。建物後方で騒ぎがあったので、正面の庭園は無人だった。

 

 ムツキは機関銃を出口に向けて、芝生の上を進んだ。背後ではハルカが散弾銃を構えて、建物付近を警戒している。テーマパークのような大きい格子の門を抜けると、一帯はオアシスのような楽園から殺風景な荒野へ早変わりした。

 

 これ以上温泉開発部と抗戦する必要はない。ムツキは立ち止まると、ハルカと向き合った。全身が埃で汚れてしまっている。おそらく自分も同じだろう。ふっと頬が緩むと、ムツキは思わず笑い声を上げた。ハルカは急なことで何も分かってない様子だった。

 

 ムツキには怒涛の展開がおかしくて仕方なかった。冷凍銃を持つ女からなる一連の戦いの要素は、どこをとってもあまりに冒険小説や映画じみている。ほんの一日程度の間だったが、退屈だと思えた時間など少したりともなかった。

 

 愉快な事が好きなのは確かに同じだ。しかし求めるのは違う。ロシヤのような金と銃にまみれた生活など退屈そのものだ。便利屋として依頼を受けて走り回り、アルたちと一緒に非日常の世界へ飛び込む方が性に合っている。アルに巻き込まれて立ち向かう混沌とした仕事こそ、どんな温泉リゾートよりも心が安らぐのだ。

 

 遠くで花火のような破裂音が立て続けに鳴り響いて、ムツキとハルカは同時に振り向いた。宮殿みたいな建造物の裏から恐ろしい火の手が上がり、連鎖反応を起こす。奥から津波のように建物が膨れ上がり、屋根の建材が放物線を描く。正面の半円型の天井が吹き飛び、連なる尖塔も煙に包まれ崩れていく。温泉開発部の一大拠点とも思えた宮殿は、もうもうと立ち昇る粉塵と黒煙に飲まれてしまった。

 

 煙は火山の噴火のように、あっという間に雲の高さまで到達した。のろしのように遠くからも良く見えるに違いない。そのうちに目撃した誰かがヴァルキューレ警察学校へ通報を入れれば、ここら一帯はたちまち警官で一杯になってしまう。温泉開発部は施設の点検について、きつく指導を受ける羽目になるかもしれない。氷像となったロシヤはレッドウィンターが首を突っ込んで、すぐに回収にかかるだろう。

 

 懐にしまっていたムツキの携帯が急かすように振動を始めた。呼び出し相手を見て、思わずにやりとする。彼女といる限り、退屈に時間を浪費することはない。ムツキにとって平穏な生活はすぐに飽きがくる。

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