三八口径が何度目かの唸りをあげた。
癇癪玉や花火によく似た轟音が射撃場の壁で何度も反響し、そのたびに木霊は低い音波へ成り下がる。しかしその銃声はいつまでも反響し続けるように感じられた。鬼方カヨコは、最後の薬莢を舞い上げ、スライドが後退したままの拳銃を握る男性の立ち姿を見つめていた。これまで繰り返し教えてきた射撃姿勢も随分と板についてきた。これなら結果も期待できそうだ。銃口を下へ向けてヘッドフォン型の耳当てを外すと、シャーレの先生が得意げにこちらへ振り返った。二五メートル先の標的も自動で近づいてくる。
カヨコは黄線で囲われた中へ踏み入ると、迫ってきた標的を見た。思わず笑みがこぼれる。
先生は銃口を降ろした。「どうだい、だいぶ上手くなったんじゃないかな?」得意げに右手を振って、的を指し示す。十字と何重にも重なった円から成る標的の黒点──直径およそ九センチメートルの円の右下部が破れている。残りは黒点に重なっていないが、それでも全弾が標的のどこかしらへ傷をつけていた。
「悪くないね」カヨコは満足げに言った。「少し前までなら的に一発当たれば良い方だったのに、今じゃすっかり心得たみたいだね。もしかしてこっそり出入りして、一人で練習してたんじゃない?」
先生は素知らぬ顔を作り、目線を逸らした。実際ここの弾も無限に使えるわけじゃない。彼が射撃練習にいそしむようになってから、経費をやりくりする会計係が頭を悩ませるようになった姿が容易に想像できた。
二人は地下射撃場にいた。シャーレのオフィスビルの真下に設けられた、幅二十メートル、奥行は最大で五十メートルもある広大な空間である。四方を打ちっぱなしのコンクリートで囲われ、LED照明が一混じりの影も出さぬよう満遍なく照らしている。奥までまっすぐ伸びたレーンが等間隔で天井に伸びており、標的はこの路線を両側からがっしり掴んで前後移動できる。全てリモコンで操作可能であり、距離も奥行のぎりぎりまで動かせる。銃や弾薬やヘッドフォンといった必要装具が揃えられ、まさしく銃の腕前を磨くことに特化した部屋だった。
学園都市キヴォトスが銃器社会なのは言うまでもない。一歩外へ出れば暴力がひしめく世界では、護身用に銃を携帯するのが常識だ。ましてや一発の銃弾すら致命傷となる彼──つまりシャーレの先生が銃の一挺も持たず、扱いを知らないというのでは、彼を慕う生徒たちも安心できない。地下射撃場は地上のオフィスビルに直接繋がっているため、この人物の練習場としてもってこいだった。
それまでまともに銃を触ったことがないためか、就任してからしばらく先生は銃に触れようともしなかった。人に銃を向けたり、ましてや大人が子どもに銃を向けるなど到底許せないという思いがあったのだろう。彼の聖人君子のような価値観や、それに基づく振る舞いはこれに留まらない。最初に護身用拳銃を配給された時には、ひどく穢れた忌々しい汚物に触れろと命令されたような反応だったらしい。机の引き出しに入れたきり持ち出そうともせず、代わりに護身用のシステムがあると周りを説得するほどだった。とうとう周りもこの人物に銃を持たせることを諦めかけていたが、とある事件をきっかけに彼もようやく手にすることに同意した。
それからはシャーレの当番となった生徒から指南を受けたり、一般に流通している教本を読んだりして訓練をすることとなった。初めは一回の発砲でもひどく緊張して、手首を痛めることもあった。安全管理にひどく気を使っているが、ふとした瞬間に銃口が足元を向いてひやひやしたことも数えきれない。それでも回数を重ねるたびに、少しずつ手入れから管理をものにしていった。拳銃を普段使いしているカヨコも何度か、射撃姿勢や標的を狙うコツを当番の際に二人きりで教えたりしていた。
「ガク引きの癖もほとんどなくなってる。訓練用だけど、だいぶ手に馴染んできたんじゃない?」
「皆がつきっきりで教えてくれたおかげだよ。そのうちに腕を並べられるようになるかもね」
短く笑いながらも、空の弾倉を取り出して机に置く。安全確認にも余念がない。いつ怪我をするかとひやひやしていたのも、遠い昔の思い出のように感じられる。今なら安心して見ていられるね。
先生はふと自身の信念原則を思い出したように付け加えた。「でも願わくば、これを持たなくても安心して外出できるようにしたいものだね」
「それは何度も聞いたよ。てっきりもう観念してるものだと思ってたけど」
「扱いに慣れても、立場だけはきちんとしておかないと。容易に人を傷つける道具だし、私はこれもあるから」白いタブレット端末を持ち上げる。先生専用の”シッテムの箱”という装備で、自動で展開するバリヤーが彼の身体を保護してくれるという優れものだ。これまで何度も先生の窮地を救っていたが、一方で電子システムであるが故の脆弱性も長らく指摘されていた。
「システムに頼りすぎるのは危険だよ。いつ何があるか分からないし、最後に命を守れるのは自分の体と技術しかない」
「分かってる。皆を心配させるわけにはいかないからね」タブレットを下げ、俯きがちにつぶやいた。そう自分に言い聞かせることで、それまで激しく嫌悪していたもう一人の自分を納得させようとしているのかもしれない。環境の急な変化には誰でも戸惑うものだ。それまで揺るぎないものと信じていた常識に関わるものなら尚更だろう。
カヨコは先生の横を通り過ぎると、新しい拳銃を手に取る。「私も一つ試してみようかな。たまには違う型を使ってみるのも練習になるし」
「ここのものは好きに使ってくれて構わないよ。普段から当番で色々手伝ってくれてるからね」
「ありがとう。それじゃ遠慮なく」装弾済みの弾倉をグリップに叩き込むと、スライドを引く。
ちらりと振り返ると、先生は再び耳当てをつけていた。こちらにも一個渡そうとしてくれるが、やんわりと首を振って遠慮した。仕事柄さんざん撃ちまくっているので、今さら音など気にするものではない。
黄線の内側に入り、リモコンを操作する。新しい標的が滑らかに後退し、二五メートル地点で止まった。先生と同じ距離だ。
全身の筋肉を弛緩させ、ゆったりと立つ。自分の練習のつもりだったが、後ろから先生の視線があるだけで思わず背筋が伸びる。よし、ここは彼の手本になるようにやってみせよう。
カヨコは基本に忠実な射撃姿勢を取った。銃は言わずもがなしっかりと握る。両脚を自然体に開き、おおむね射撃する方向より十五度ほど、後方の足を側方に置く。鏡で全身の身だしなみを確認するように、何度か体を揺らして落ち着けた。ゆったりと深い呼吸を心がける。
腕を伸ばし、じっくり照星と照門を重ね合わせる作業に取り組んだのは久しぶりだった。戦闘時に照準がぴったり合うのを待ってくれるお人好しな敵になど会ったことはない。ほとんど銃身の狙いだけで、あとは戦場で培った勘がものを言う。先生に限らず初心者に言えることだが、訓練の内容がそのまま実際の戦場で生きることはない。しかし絶えず繰り返した動作にほど、緊急時は命を救われることもまたある。結局のところ、先生に限って言えば私たちのような生徒に守られている限り、そう自分で拳銃を撃つ機会などないだろう。火急の際にすぐさま戦えるよう腕を磨いておくことも当番の仕事なのだ。
照星と照門が重なり、奥にぼんやりと黒点が見える。二つを同時に見ようとしてはいけない。生理的に不可能だからだ。大切なのはせっかく重ね合わせた照準がぶれないようにすること。目の焦点を照星照門において、標的ははっきり見えなくても問題ない。照準が完全に合っていれば、弾丸は狙ったところに必ず命中する。
狙い始めたら握力は変えず、手首をしっかり固定する。標的を見たいという誘惑は断固頭から押しのけないといけない。狙いを誤らせて、ガク引き──撃鉄が落ちる瞬間にトリガーをぐいと強く引いてしまう現象──を引き起こしてしまうからだ。指はトリガーの下部に置き、人差し指の第一関節を当てる。撃鉄が落ちるか落ちないかくらいの力で、無意識のうちにすっと引ければ完璧だ。
カヨコはトリガーを引いた。正しく後ろへ引かれ、黒点に穴が開いたのが分かる。手首を少し微調整して、また一発。連続でトリガーを引くたびに、やかましい轟音が密閉された地下射撃場に響き渡る。カメラのフラッシュみたいに繰り返し銃火が閃き、薬莢が規則正しいリズムで飛び上がる。
やがてスライドが後退したまま固まった。全弾を撃ち尽くすと、耳には立て続けの銃声がこびりついて残るようだった。標的が近づいてくる。
カヨコは視界の端で弾倉を抜き取り、机に置いた。ゲームのコントローラーのように、慣れれば視界が効かなくとも手の感触だけで操作できる。
後ろから先生が感嘆の息を漏らしたのが聞こえた。カヨコ自身もふうっとため息をつく。十字の中心に一点、残りも黒点にほぼ重なり合っている。
地下室では硝煙はすぐに晴れず、しばらくその場に滞留する。若干の靄がかかったまま、火薬のつんとくる香りも立ち込めている。カヨコはこの香りが好きだった。だが先生が近づいてくると、服や髪に染みついたのを気にして、少しだけ距離を取った。
「まだまだカヨコには敵わないね」得点で勝ったのはこちらなのに、先生は嬉しそうだった。
「別に比べなくても良いのに」
「とても心強いよ。いざという時も頼りにしてる」
僅かばかり体温が上がった気がした。小さな気球が喉元で膨らみ、思わず言葉に詰まってしまう。先生はこういうことを平気で言ってのける。これまでも、そしてこれからも多くの生徒に同じ調子で話していくのだろう。蒔きまくった種がいつか一斉に芽を出すのではないか?
「またそんなこと言って……」ため息をつく。すると背後から意気揚々とした声が飛んだ。
「なかなか良い成績じゃないか」
二人が同時に振り返ると、両開きの扉を開けたところに二人の人影──少女と機械人が立っていた。声の主らしき少女が先に近寄ってくる。室内にもかかわらず、胸部や前腕など至る箇所に灰色のプロテクターを装着していた。白いショートヘアーはサイドを顎のラインまで伸ばしている。目元の五センチメートル上には、つばのように開けたバイザー型のゴーグル。最新技術の粋を集めたメカを纏った摩訶不思議な格好という印象だった。
機械人の方はメカ娘よりやや身長が高い。顔が嫌に大きく、ずんぐりとした栗みたいな体形なので、ぴっちりとしたスーツは特注で作らせたのだろう。羽織の良い辺りからして、どこかの重役だろうか。
二人は明らかにシャーレの職員ではない。来客かもしれないが、果たしてそんな予定はあっただろうか。今朝の段階ではなかったはずだ。
先生が平たい口調で訊ねた。「どなたでしょうか?」
「失礼、床下から銃声が聴こえたもので」この問いには機械人の方が応えた。胸元のポケットから名刺を取り出す。「私はLMCのリーダー、レキングです。受付の方にはきちんと要件を話してから通していただきました」
「どうも。……要件というのは?」
「大したことじゃありませんよ。挨拶です。我々は電気磁気の技術者集団でして、キヴォトスの地下を通るリニアモーター計画を進めております。この辺りも通る計画でして、ちょうど近くまで来ていたのでご挨拶をしておこうと」レキングは射撃場を見回した。「いやあ、それにしてもすごい施設ですね。キヴォトス中の問題解決に奔走する先生の拠点として、これ以上のものはないでしょう」
「それはどうも」先生も自分の名刺を差し出した。「リニアモーターの計画があるなんて知りませんでした。いつ開通予定なんです?」
「ちょうど一週間後です」
「……一週間後?」
「以前から工事自体は進めていたので。それにハイランダー鉄道という同業他社もいる以上、妨害を受けないためにも秘密に進めていたんです」
「それは大変なことで……どこまで路線は通じているんですか?」
「それはまだ言えません」レキングは薄ら笑いを浮かべたままだった。「最終チェックが済み次第、何らかの形で報じられると思います」
判然としない回答だった。態度も友好的と受け取っていいのか分からない。先生も迷っていたが、ひとまず受付の職員を信じて握手を交わしていた。
付き添いらしき少女は大人同士のやり取りよりも、こちらに興味があるようだった。近寄ると、背丈は少ししか変わらない。輝くオレンジ色の目がはっきりと見つめてきた。「私はタマセだ。君は?」
「……カヨコ」
タマセは握手を一握りで済ますと、棚に向き直って、並べられた拳銃に手を伸ばす。「どれ、私も試してみようかな。センター・ファイアの競技用しかないのか」
「あなたは挨拶の付き添いに来ただけじゃないの。それもシャーレの備品なんだけど」
「固いこと言うなよ。先生は全ての生徒の味方らしいから、一回くらいは許してくれるさ」軽く大人二人に目くばせをすると、もう黄線の内側へ入っていた。
カヨコはため息をつき、先生へ目線をやった。耳当てをつけた先生はやれやれと言いたげに肩をすくめる。レキングは射撃姿勢のタマセへ顔を向けているものの、さほど興味はなさそうだった。
標的はやはり二五メートルで静止した。タマセに向き直ると、彼女は額のゴーグルを下げて目元を覆っている。目の高さに黒い一筋が伸びて、内側では炎のような瞳が燃え上がっているだろう。射撃姿勢は自己流に違いない。先ほどカヨコがやった構えより崩れ気味だが、リラックスして力んだりしている様子はない。楽に右手を伸ばして、立て続けにトリガーを引いた。迷いの一切ない連射が続き、ものの数秒で全ての銃弾を撃ち尽くした。
標的が静かに近づいてくる。タマセは唸りながらゴーグルを押し上げた。「こんなものか。的にしてみると分かりやすいな」
中心に一点、残りも黒点の上にかかっている。カヨコと互角だった。だがカヨコはこの射撃場を何度か使ったことがある分、初見でこれだけの結果を残したタマセに軍配が上がるかもしれない。
耳当てを外した先生が言った。「君もすごい技術だ。ビジターとは思えないよ」
「どうもどうも」タマセは弾倉を抜くと、スライドを元通りに直した。手元に目線を落とす際、彼女がどこか浮かない表情を一瞬見せたのをカヨコは見逃さなかった。賞賛に値する技術だというのに、あの反応はどういうことだろう?
レキングが大袈裟な動きで腕時計を見た。「突然お邪魔しました。現場に戻らなければならないので、私どもはこれで失礼します」背を向けると、小鳥のようなせかせかとした足取りで階段の奥へ向かう。軽い会釈を済ませ、タマセは後を追って階段を駆け上がっていってしまった。
嵐のような来客の背中をカヨコは見送った。姿が見えなくなると、先生に小声で話しかける。「身元を調べた方が良いんじゃない」
「どうだろう」先生は肩をすくめた。「さっきの話だけじゃ追及はしきれないな。いずれにせよ開通まで、まだ一週間はあるって話だ。今は小さな疑念に過ぎないし、急いで洗い出すこともないよ」
レキングの言い分自体は、一応筋の通った中身だと考えているらしい。競合する相手に一歩先んじるため、地下へ潜伏する建設計画とは何とも思い切った決断だ。先生は以前にも、似たような非現実的な計画に触れたことがあるのだろうか。
「そう」カヨコは硝煙の晴れない地下射撃場から出た。ここには嫌な臭いが立ち込めている。鼻腔をくすぐる火薬の残り香には、怪しげな危険のくすぶりが混じっていた。
二日後
連邦捜査部シャーレのガラス仕立てのオフィスビルは、この二日間で特に変わったことはなく、青空と日差しを鏡のように反射させてそびえている。外見からは普段と違う様子を見せておらず、そのためか周りの住民たちもいちいち気を遣う事はない。この住民たちにとって、シャーレのビルはいつもの変わらぬ風景にちょっとした色を添える役割を果たしているに過ぎず、内部でいかなる事態が起こっていようと気が付く術はない。
鬼方カヨコは二日ぶりに訪れたシャーレの変わりように唖然とするしかなかった。まず駅の改札みたいなゲートに学生証を読ませて、いつもならこれが受付の役割を果たすはずだった。ところが今日に限って、普段は出入りする人物を見ているだけの職員に呼び止められた。システムに不具合が起こり、全ての業務を人の手作業で行わざるを得ないらしい。慣れない紙での業務に苦戦する職員に、カヨコは少し同情した。それから先生の執務室がある上階まではエレベーターが通じている。ところがこれも動かない。先生は地上階にある職員用の事務室へ、すっかり仕事の用意を移していた。普段使用する広々とした執務机の半分しかない、いかにも予備品だった机だ。駐在する職員たちの横を通り過ぎ、顔なじみの多いだろう事務室へ転がり込んだ新顔へ歩み寄る。先生は机に向かって辟易していたが、やがて患者の問診をするみたいにへそをカヨコの方へ向けた。
「ああ」先生がくたびれた表情を浮かべた。「カヨコか」
やつれた顔やしわのある白衣が、勤務続きの医者というイメージを強めている。カヨコは直球で聞いた。「どうしたの?」
先生は唸りながら、眼鏡を外した。「カヨコ。便利屋68は今、緊急の仕事はある?」
「差しあたってはないけど」
先生は短く返事をするや、考え込んだ。
これはどういうことだ?カヨコはこの二日間でのシャーレの変わりようが不自然に思えた。当番だった二日前まで、何事もなく稼働していたはずではないか?それが短い内に、日常の業務すら碌に回せそうもなくなってしまっている。ここまで大規模なシステム障害が発生しているなど想像もつかなかった。報道でも、そのような情報は見ていない。
彼の机に視線を落とすと、月並みな書類仕事が溜まっているだけだった。文字サイズの大きい標題は、おおよそこのような内容だ──
コーヒーメカ改二君──現行機の問題点
エンジェル24の新商品──生徒からの意見
ヴォルフスエック鋼鉄。採掘場の点検写真。
アカウント保護術。悪質な乗っ取り、未然防止策。
キヴォトス全般の問題解決屋であるシャーレらしい見出しが他にも多数揃っている。見出しをざっと見て、世界を揺るがすような陰謀の影が見当たらないと、こちらを見上げる先生に視線を戻す。
先生が椅子の背に身を預けた。「少し前に来た二人組──レキングとタマセを覚えてる?」
「見るからに怪しかった二人組だね。確かあの時は、すぐに取り掛からなくても良いって話だったと思うけど」
「ところがそうもいかなくなった。あの日、カヨコが帰ってから深夜のうちにシャーレのあらゆるシステムが一斉に障害を起こしてね。見ての通り、あらゆる電子機器がすっかりいかれてしまっている」
「だから今時、あんなに紙束を抱えてるんだ。受付の子も大変そうだったよ」
「私が迂闊だったんだ。きちんと身元を洗うべきだったのに」
カヨコはため息を吐いた。「これからはそうするべきだね。それで、私たちにどうしてほしいの?」
「私も今では、あの二人が怪しいと考えてる」先生が表情を固くする。「シャーレからの依頼として、彼らの調査をしてほしいんだ。LMCが本当にリニアモーターカーの建設をしているか、どういった路線計画なのか突き止めて、白黒をはっきり暴いてほしい。これが何かの陰謀なのか、ただの一時的な不具合なのかもはっきりさせたいからね」
二日前の出来事だが、カヨコには話の細部まで鮮明に思い出せた。突然開通するリニアモーターカー。具体的な計画の説明はなし。挨拶にだけ姿を見せ、不安材料を置き土産に去ってしまったのも気になる。彼らは本当に、ただ挨拶に来ただけなのか?
カヨコはタマセの事も気がかりだった。おそらくあの重装備は、レキングの外出時には必ず装着しているのだろう。記憶では初対面のはずだが、何かの当てつけのように射撃の腕前だけ披露していったのは何だったのか。あの一幕だけでは、空白を埋めるピースが圧倒的に足りない。残りはおそらく彼らの近くにしかないだろう。先生もそう考えて、依頼してきたに違いない。
「分かった。社長に連絡して、事務所に帰ったら話してみるよ」カヨコはそう言うとレキングの名刺を受け取り、踵を返すとシャーレを後にした。
午後の三時だった。日はまだ高く、陽光が綿菓子みたいな雲を透かしてぼやけて見える。事務所への帰路につくカヨコの頭脳では、リニアモーターカー開通までの制限時間が、角ばった数字で徐々に刻まれている。あと一週間──そんな情報が繰り返し脳裡をよぎる。レキングの企みがなんであれ、明かすなら今夜にでも行動に移さなければならない。あの体制では、シャーレの業務はすぐにでもパンクしてしまう。それに危険の芽を摘んでおくのに、時期尚早というのはない。
ところで、その企みや危険は果たして存在するのだろうか?勝手に勘ぐって、から回った働きをしようとしているのではないか?LMCの挨拶と電子機器の不具合──リニアモーターカーの強力な磁場がシステム障害を引き起こした可能性はあるか?あまり明るくない分野なので、カヨコは深い勘ぐりにそっと蓋をした。
競合相手のことはどうだろう。ハイランダー鉄道は確かに巨大な組織だから、地下線が開通したからといってすぐに不利益を被ることはなさそうだ。もちろん長期的に見積もれば、リニアモーターカーは従来型の機関車にとって強敵になるに違いない。LMCは自らを、交通インフラを一手に牛耳る学園と対等な立場だと考えているのだろうか。傲岸不遜にもほどがある。
事務所がある建物の前についても、とうとう結論は出なかった。エレベーターで四階へ上がり、新しく手に入れた事務所の扉を開ける。この部屋は不動産仲介部の不動アンから新しく手に入れたものだ。おかしな間取りの部屋ばかりを集める奇癖持ちで、今の物件は彼女の持ち部屋の中では数少ないまともな質のものである。物件ドラフトという悪趣味な戦いを切り抜け、勝ち取った事務所は便利屋68の四人には充分すぎるほどに快適だった。
陸八魔アルは社長机の向こうで、ノートパソコンと格闘していた。より多くの仕事を請け負うためには、大企業にも負けない広報が必要だという思い付きで、今までずっとチラシ作りをしていた。彼女の側からは室長のムツキ、平社員のハルカが効果的な宣伝についての意見を交わしていたらしい。
想定よりずっと早い帰宅をしたカヨコを見て、三人は作業を中断する。既に連絡を入れていたので、大体の内容は彼女たちも承知済みだった。ならば早く本題に入るべきだろう。カヨコは受け取った名刺を机に滑らせる。それからシャーレで見た一幕、判明している情報、彼女が感じた違和感などを大まかに説明した。
それまで口を挟まず聞いていたが、難しい面持ちを作ると、アルは静かに話し始めた。
「それじゃLMCの鼻を明かしてやる役目を仰せつかったわけね。分かったわ、カヨコ。あなたの観察眼と頭脳にはいつも助けられているもの。今度も何かあるに違いないわ。どうやって探りを入れるのが良いかしら」
「順当にいくなら、LMCの本拠地に忍び込んで調査かな。今夜にでも動き始めた方が良いかも」
ならそうしましょう、とアルは立ち上がった。便利屋は忙しさに波がある家業だ。調子が良いと次から次へ依頼が舞い込んでくる一方、音沙汰のない日が一週間続くこともある。現在はさざ波も立っていない。閑古鳥が鳴く最中での、経営顧問である先生からの依頼は、さながら高性能起爆剤の役割だった。息巻くアルの様子を眺めながら、カヨコは今夜の潜入計画を詰め始めた。
夜を衝いて駆ける内、カヨコは頭の片隅で、タマセの正体を様々な角度から検証していた。まるで剣闘士の鎧のようなプロテクターは胴体に留まらず、肩、肘、膝といった急所らしい部位に残らず装着されていた。単なる用心棒というだけでなく、いざという時にレキングを守る壁となるためだろうか。キヴォトス人の生来の特性──銃弾を通さない頑健な身体──に加えて、あの装具では痛みもほとんど感じないだろう。さらに射撃の腕もカヨコに匹敵する。あのゴーグルは、遠距離での射撃を補助するためのものだろう、とカヨコは見立てていた。機械仕掛けの箱型のゴーグルは視界を全く妨げないまま、スコープや赤外線暗視カメラといった機能を備えているに違いない。遭遇すれば、かなりの難敵になるだろうと予測していた。そのためカヨコは計画段階で、真正面から乗り込むのではなく、隠密行動に重きを置くことにしたのだった。
事務所を出てから三十分、ようやく目指す建物が見えた。〈LMC有限会社〉という看板のかかった金網の奥に、黄色い塗装を施した三階建てのビルがあった。窓から漏れる光は少しもなく、内部は消灯している。金網でできた両開きの門は、割れ目に絡む鎖で施錠され、守衛らしい二人の機械人が突っ立っている。自動小銃を横に構えて、棒のようにじっと動かない。
全体的に物々しい雰囲気だった。高い金網の上に絡む有刺鉄線、武装した守衛など、建設会社と思えない警戒ぶりだ。小規模の駐屯地や軍施設の様相を呈している。
ここまで事前調査で予め把握してはいたが、実際に見ると威圧感は凄まじい。見当違いの山を見張っているのでは、というカヨコの不安は払拭された。レキングはもはや善良企業の長ではなく、どこか影を秘めてシャーレに赴いた人物と決めつけるようになった。
闇に紛れるよう姿勢を低くして、金網を北西まで回る。ここに鉄扉があるのは既に調査済みだ。守衛の目の届かない扉で、古びた南京錠で閉じられている。これで充分と踏んだのがレキングかは分からないが、本気で侵入しようとする人物の前では意味を為さない。ムツキに目くばせすると、細いクリップが取り出される。音を立てないよう慎重に作業へ取り掛かっている間中、カヨコは正門前の守衛に絶えず目を向けていた。近くに身を隠せるものがない状態で、物音を聴きつけられては面倒だ。いざとなったら撃つことも辞さないつもりだった。だがその必要はなかった。ムツキがものの数秒で開錠を終えると、鉄扉は静かに開いた。
用心深く中に入ると、辺りを見回す。金網で囲われているのはLMCの箱を重ねたようなビルだけで、正門までに広い駐車場として使えそうな空間が広がっている。侵入が容易な分、見通しが良すぎる。長く四人で留まるのは危険だ。
靴の裏をしっかり接地させて、なるべく音を立てないように歩く。十メートル進み、ビルの勝手口へ。やはりムツキが難なく開錠すれば、左右に平凡な事務室への扉を備えた暗い廊下へ足を踏み入れる。扉には番号が割り当てられ、窓口から部屋の様子を見ることができた。カヨコが通り際に事務室をのぞいてみると、窓際に置かれた机と椅子、その上に平たいパソコン、資料の束を並べるキャビネットが鎮座しているのが見えた。事務作業をこなす社員は、決まってこの独房じみた部屋に押し込められ、僅かな休憩時間をのぞいてひたすら画面とにらめっこを強いられているに違いない。
突き当りを右に進むと、今度も扉。丈夫そうな作りの上部に、緑色の人間が走り込む絵がある。非常口だろう。把手をひねると、鍵がかかってない扉はするすると開いて、地下へ続く石造りの階段が現れた。
この夜更けに入ると、非常階段というのは不気味な回廊だ、とカヨコは内心考えた。足元を照らす明かりは、半周ごとにしかないため明暗がくっきりと分かれている。さらに僅かな音すらも、洞窟内のように増幅して奥へと伝わってしまう。カヨコは用心深く一歩踏み入り、反響してくるかもしれぬ物音に神経を研ぎ澄ます。非常階段は銃撃戦には、とても向いている環境ではない。敵と鉢合わせをせず、こちらの侵入を気取られないようにするには、とにかく音に細心の注意を払わねばならない。
ときどき踊り場で立ち止まって、階下から伝ってくる音がないか耳をすます。何度かそうやっていたが、とうとう重厚な鉄扉まで会敵することはなかった。秘密が隠されているのは、この先に違いないという確信を抱く。把手を押すと、丁番の軋む音をわずかに立てて、LMCの秘密の下へ足を踏み入れる。
鉄扉一枚を挟んだ向こう側の、あまりに様変わりした光景に思わずあっけにとられてしまった。後ろでアルが息を呑む。広大な地下空間は、疑いようもなく地下鉄のプラットホームだった。乗客の待合広場に並行して伸びているのは、コイルを内蔵した凹凸のあるレールで、奥でアーチを描く洞穴へ伸びる。蛍光灯が天井を走り、窓のない地下に光を届けている。
だが何よりも注意を引いたのは、右のホームに停まっていた白く流麗な車体だ。青い一本直線に、丸いのぞき窓。白くピカピカした表面は、照明の光をまばゆく反射する。嘴みたく伸ばした鼻先をトンネルへ向けており、今は足を休めて眠っている。だが正面のトンネル上部の信号が赤から青に変われば、地上を駆け巡る列車などとは比較にならない速度を出せるはずだ。
超電導磁石により浮力を得て、時速五〇〇キロ以上の速度を出す。リニアモーターカーの長大な車体が収まっていた。
プラットフォームに降り立ってから、ようやくホームの奥で立ち働く作業員たちが見えた。何かを抱え上げては、簡易的なボーディングブリッジへ吸い込まれていく。そのブリッジは、上へ開いたリニアモーターカーの入口に繋がっていた。せわしなく動き回って、こちらには誰も見向きもしない。
キヴォトスの中心──主にD.U.地区の地下プラットフォームをまるごと写し取ったような馴染みのある光景に我が目を疑うしかない。LMCへの疑惑の念にも陰りが生じつつある。
ムツキはぐるりと室内を見回した。「公共路線が一企業へ直通とは、少しみくびってたかもしれないね」
自分の認識が間違っていたのだろうか?本当にLMCは害のない民間企業で、純粋にリニアモーターカーの設置を進めていただけなのか。しかしそれでは、シャーレがシステム障害を起こした理由は別にあることになる。
ムツキの呟きを最後に沈黙が訪れた。侵入の際に先陣を切って良かった。あるか分からない視線が背中に刺さる気がしたが、少なくとも顔を見られずに済む。
体感にして数秒──しばらくそうやっていると、ハルカの苦し紛れのフォローが飛んで来た。「あ、あの……もしかしたら中にある可能性もあるのでは」
本当にそうだろうか。カヨコは今のすぐで自分の勘に自信が持てなかった。唯一分かるとすれば、次に誰が口を開いて何を喋るかだけだ。
「ハルカの言う通りよ。もう少し調べてみましょう、カヨコ?」期待通りの台詞がアルの声で読み上げられる。耳に聴こえてきたのは、実際に口に出されたからに他ならない。幾分か胸の軽くなる感触は、安心と納得を伴って受け入れられた。
カヨコが仲間へ頷くと、ほとんど同時に異音が遠くから聞こえた。白く伸びる車体前方からだ。身長が低く、ずんぐりした体形の機械人が作業員を叱責している。「こら、もっと慎重に扱わないか」
つなぎを着た作業員は頭を下げて、再び作業へ戻る。一人だけスーツ姿の機械人は作業を監督する立場にあるようだ。先ほど聞こえた声も含めて、カヨコには正体がすぐに掴めた。LMCのリーダー、レキングに違いない。LMCは確かに地下線を作っていて、レキングはそのリーダーとしての仕事を全うしているようだ。
今、手元には二つの選択肢がある。一つは穏便なやり方だ。初めの計画通り、隠密行動に徹して秘密を探る。リニアモーターカーにも乗り込めれば、ハルカの言うように何かがあるかもしれない。だがドアはどれも固く閉じられて、入るには彼らのようにブリッジを通るしかない。それこそ内側から招いてもらう必要がある。そこで二つ目の選択肢というのは、友好的な態度を装ってレキングに接触することになる。これは困難な道になるだろう。地上の警戒ぶりでは、当然だが間抜けなふりなどできない。むしろ逆だ。カヨコたちは一筋縄ではいかないという強靭なところを見せて、それから上手く付け入らなければならない。それが内部へ踏み込む唯一の方法となる。
カヨコはこの悩ましい二択への意見が欲しかった。これからの作戦はどうする──そう問いかけようとして、最後尾のハルカの背後に何者かが立っているのに気づいた。だが、視界に入った時には手遅れだった。
ここまで何の物音も立てず、彼女は四人の背後へと迫っていた。ハルカと似たような体格で、威圧的なプロテクターを纏い、近未来が舞台の映画を思わせるゴーグルを下げている。これだけの装備にも関わらず、気配を一切気取らせないのは野生の獣のようだった。だが危険度では、こちらの方が上回るだろう。まさしくメカの獣だ。
「ここをスパイしに来たんだろう、お前たちは?」相手に考える隙を与えぬよう、どすを効かせた喋りだった。
「ちょっと待って……」カヨコは手を挙げて、そう言いかけた。妙に弱腰になったのは、まだ先ほどの二つの選択肢が頭に残っていたからだろう。優位に立ったタマセは、さらにまくし立てる。
「大人しくしろよ。今からレキングの元へ連れてくからな」
背後から高圧的に言われて、ハルカに同行の選択は毛頭なかったに違いない。彼女は迷わず、相手の鼻梁目掛けて思い切り頭突きを食らわした。タマセはうっと唸って、ハルカの背に突き付けてられていた拳銃もぱっと離れた。見事に命中した頭突きの威力を、この場の全員が目撃した。見ると、タマセの鼻から、たらたらと血がこぼれてきている。
「こ、こいつ──」メカの獣が歯ぎしりして、飛び掛かろうとした瞬間、別の声が響いた。
「タマセ?いったい何があったんだ?」
スピーカーを通したような声から、レキングだとすぐに察しがついた。「私だよ、鬼方カヨコ」彼女は叫んだ。もはや選択の余地はなかった。「覚えてるよね?数日前にシャーレで会った、鬼方カヨコだよ」
奥から武装した作業員たちが駆けつけてくる。それに混じって、レキングもせわしなく走ってきた。「おや、カヨコさんじゃないか。ずいぶん早い再開ですね」手で鼻と口元を覆うタマセに、「なんだ、その鼻はどうしたんだ、タマセ?」
「こいつにやられた。鼻に目掛けて頭突きを……」
レキングの反応は予想外のものだった。高笑いをしてみせたのだ。「はあ、これは勇敢なことだ。まさかタマセにそんな仕打ちをするとは」
「そっちがうっかり背を取ったばかりに起きた悲劇だよ。私たちは背後に立たれるのが嫌いだし、タマセは侵入者と勘違いしたから。拳銃なんて突き付けてきたから、つい──驚かせてしまったなら、謝るよ」
レキングは低く笑った。「いや、いい。誰にも嫌な物の一つはあるからね。ところでその身のこなしからして、傭兵根性のようなものを君たちは持っているみたいだな」
カヨコは微笑して、弁解するように両手を挙げた──もちろん銃は見られる前にホルスターへと戻していた。「ごめん。でも断じて同業他社のスパイじゃないよ。私たち四人供、こういう最新技術には元から関心があって、それで見に行ってみようという話になったんだ」あくまで子どもの好奇心による行為だと思わせるよう、微笑を崩さない。
「しかし警備員もいたはずだ。ここに来るのは大変だったんじゃないか?」
「いや、大して手間はかからなかった。産業スパイを食い止めたいなら、もっと警備を厳重にすべきだね」ふと思いついたように付け加える。「せめてお詫びの印に、私たちなら、その点でも役に立てるかもしれないけど」
カヨコは我ながら、即興にしては上手い言い訳を考えついたと思った。これで後は、誰かが手荒なことさえしなければいいのだが。
レキングの黒い液晶画面に映る氷のような目は、こちらをしばらく吟味していた。その間も後ろから、絶えず作業員たちが銃口を集中させている。熟考が長引くほど、心臓が早鐘を打つ。すべてはレキングの一声次第だった。
レキングは軽く頷くと、銃を降ろすよう片手で指示した。「よし。確かに君たちは強そうだ──タマセに一発喰らわせたという意味でも。それにせっかく足を運んだなら、せっかくだから我々の最新鋭技術の粋を見て行くべきでしょうな。他言無用という点さえ守ってくれれば、君たちにも見て貰えるでしょう」それから踵を返す。「では、来てみなさい」
ブリッジへ向かうと、カヨコは迷わずレキングの二歩後方に身を置いた。アル達も無言で示し合わせたように続く。一幕が収まると、作業員たちはそれぞれの持ち場へ散開するうち、タマセだけは睨みを効かせながら最後尾へついた。
近づいてみると、リニアモーターカーは足場から一・五メートルほど離れて、ブリッジなしでは乗り込めそうもない。これは運行時に接触を避けるためですよ、とレキングは話した。明るい車内はエコノミークラスのようで、ひじ掛け付きの青い座席がひしめき合ってずらりと並ぶ。その真ん中を抜けると、前方車両はコントロールルームに近い装備がある。中央通路を挟む両側には外向きに座席が設けられ、向かい合うパソコンと複雑そうな操作盤が並ぶ。カヨコは横切る際に、社内機密には興味がない振りをしつつ、装置へ視線をやる。かなり煩雑な見慣れない機械だが、液晶画面の一部に六から七桁の小数点付きの数字がいくつも映っていた。その数字たちの並びは見覚えがある。過去にも依頼を受ける際の準備で、何度も近い数字を目にしてきた。
カヨコが目にしたのは、緯度と経度──すなわち現在位置を数字で表したものだった。十進法表記で、車体の位置が正確に割り出されている。それ以外の数字は一瞬しか目を通せなかったが、配列からおおよその位置は把握できた。と同時に、カヨコの胸に怒涛のざわめきが生じた。おそらく、そうだ。この計画に気づけたのは、四人の中で私だけかもしれない。こうしてレキングのどんぐりみたいな後ろ姿を眺めながらも、頭では機能不全に陥ったシャーレの惨状が蘇ってきていた。
複雑な数列の一つはシャーレの座標だ。目に狂いはなく、自信を持って断言できた。それもキヴォトスの広範に渡る地域で依頼を受けるうちに、自然と座標感覚が身についていたからだ。
リニアモーターカーはシャーレの近くを通るだけだ、とレキングは話していた。本来なら必要ないはずの数字がモニターに映っていたのは、自分たちの知らない思惑があるからに他ならない。
前を歩く丸々とした後頭部を、カヨコはじっと見つめていた。今がチャンスじゃないか?カヨコはホルスターに収めた拳銃の感覚を確かめると、銃口を鉄色の頭にぴったりと押し付け、トリガーを引き絞りたくなる欲求をすんでのところで抑えた。全てが明らかになってからでも良いかもしれない、と本能は告げていた。今はまだ、穴蔵にこそこそしている小動物の尾の影を垣間見たに過ぎない。カヨコは陰謀の尾を確かに掴むまで、地下でうごめく動物みたいな機械人の側から離れるつもりはなかった。肝心の武器を取り上げられなかったのは、大きなボーナスだろう。
突き当りに、潜水艦にあるような貫通扉がはめ込まれていて、レキングは滑らかな把手をひねると、先頭車両へ全員が入り込む。そこはリニアモーターカーの先頭車両で、ノーズに合わせて伸びるフロントガラスの先には、トンネルや路線やライトが消失点に向かって収束している。実際に良いパースの例だろう。
しかし内装は航空機のキャノピーなどとは違い、異質な空間となっていた。左右に箱型モニターがあり、さらに円形のレーダーやキヴォトスの正確な地図が持ち込まれ、秘密の作戦室じみた光景だった。レキングは車両中央に取り残されたような革張りの黒い社長椅子に座るや、それまでの現場の苦労を知らない高級職みたいな態度から一変して、まるで王侯のようにふんぞって椅子を回転させた。
もはや隠そうともしなくなったレキングを見て、カヨコは思わず苦笑いを浮かべた。精一杯に畏怖の象徴になろうとしているのだろうが、身の丈に合ってない社長椅子や先刻までの立ち振る舞いで、完全に負けてしまっている。もしこれが図体の大きい軍人風の人物なら、あるいは地下に潜伏する軍隊の司令塔にも思えたかもしれない。だが目の前の機械人からは、微塵もそのような印象を抱けず、かえって滑稽にすら思えた。
「ここは指令室だ──そう、指令室だよ。ここから私の作戦を各車両に伝達し、このリニアモーターカーはキヴォトスの大動脈を誰にも知られずに潜むウイルスのように巡ることができるんだ」尊大な口調で話すレキングは、得意げにこちらを見上げた。
ウイルスというよりバイキンだろう、とカヨコは内心で付け加えた。「悪くない設備だね。いざとなったら指令室ごと動かして、尻尾を巻いて逃げ隠れられるって寸法でしょ」
「その認識は間違っているな。この車両は主に攻撃に用いるんだ」
「無理することないよ。あなたは高々一車両を動かせるだけの車掌に過ぎない」
「そう思うか?それなら、この車両がいかに恐ろしい威力を持つか教えてやる……」
ムツキが口を挟んだ。「例えばシャーレにシステム攻撃を仕掛けるとか?」
レキングは不満顔になった。「やっぱり気づいていたか。シャーレの異常が我々の仕業だと睨み、まさかここまで入り込んでくるとは。厄介極まりない娘たちだ」
「おじさんの企みなんて、バレバレだったよ。隠し通すなら、もっと上手くやった方が良かったんじゃない?」
「確かにシャーレを訪れてから、攻撃にすぐ移ったのは迂闊だった。その指摘は受け止めよう。しかし今度の狙いには、上手くかかったわけだ」
アルが怪訝な表情を作る。「どういうことかしら?」
「まずシャーレのシステム障害に関してだが──」レキングはゆったりと背もたれに身を預ける。「あの攻撃はリニアモーターカーの性能を試す試験のようなものに過ぎない。そして──」
カヨコはフロントガラスに薄らと映る、タマセの姿を捉えた。集団の最後尾で、後続車両への貫通扉を守っている。ここから逃がすつもりはないようだ。
レキングは悠々と続けた。「本命はここからだ。私は数ヶ月もの期間をかけ、キヴォトス──とりわけ中心部に向けて、血管のようにトンネルを掘り、路線を伸ばしてきた。シャーレだけでなく、お前たちのゲヘナ学園や、連邦生徒会の本拠地にも無論延伸した。これから、その仕掛けも教えてやろう。急速な技術革新でキヴォトスは発展を遂げ、いまや街中にはハイテク技術が浸透しきっている。我々も機械の体で問題なく動けるし、かつては映画やゲームの中でしかお目にかかれなかったような道具たちが日常で幅を利かせている。そしてそれは兵装に置いても同じだな。武器もどんどん強くなり、そうなれば対抗して、さらに強力な兵器が生み出される。私はここに目を付けたんだ。ハイテク対ハイテクの落とし穴は、それまで使用されていた古典的な罠への注意を忘れさせてしまう。D.U.地区などの中心街はハイテク攻撃への対策は完璧だが、そのあまりに足元への注意は不十分だったな。リニアモーターカーが通れるだけのトンネルを掘っていても、誰一人気づく者はいなかった。おかげで作戦は滞りなく開始できそうだ」
「あとは大量の爆弾でも乗せて、連邦生徒会の真下で爆破するという筋書きかな」
「いや、もっと理知的な方法だよ。先ほども言ったが、私はすでにキヴォトスの主要拠点を高速で周回できるだけの機動力を手にしている。次に必要なのは、移動する速度へ対応できる兵器だ。これには電磁波兵器を選んだ」
カヨコの胸中に嫌悪感を覚えるムカつきが広がりつつある。先ほどまで小物と侮っていたレキングの計画が、想定より練られたものであることを認めない訳にはいかなかった。
「我々の技術力が、ここで猛威を振るうのだよ。お前たちもさっき見たはずだが、リニアモーターカーから地上へ届く強力な電磁波を飛ばせる設備を積載している。ひとたび攻撃が行われれば、周辺一帯のハイテク機器を一斉にダウンさせることもできる」
「でも電磁波は地面を通るから、地上へ到達するころには弱化している。それに電磁波攻撃への対策なんて当たり前にされているだろうから、逆に居所を特定されるかもしれない」
「そのためのリニアモーターカーだ。時速五〇〇キロもの速度で移動するから、攻撃のため目標に接近するのはほんの数瞬に限られる。こちらはうんと強力な電磁波をぱっと放ってやるだけでいいんだ。シャーレの一件はあくまでも試験だったから弱めていたが、出力を高めれば電子機器を一斉に破壊することもできる。後は連中が騒ぎ始めるころには、我々はとっくに行方をくらましている。はるか遠くから地上に出れば、ついでにアリバイも作れるだろうな」
沈黙。レキングは悪の有能さへの賛美を求めているようだった。
「なるほど、随分と大きな犯罪計画を立てていたらしいね」カヨコはにべもなく、コミックの一コマを切り抜いたような台詞を吐いた。レキングの計画は、確かにカムフラージュとしては万全だった。高度に隠された陰謀のように見えたが、そこで一つの疑念が浮かんだ。
「ただ、それなら誰にも知られずに進めればよかった。わざわざシャーレに来て、先生と私の前に姿を現したのだけが腑に落ちないね」
「こちらもリスクは承知だった」レキングは深く頷いた。「ああするしかなかったのさ。地上の様子が分からない地下トンネルから目標を正確に捉えるため、特別な発信機を仕掛けた。他のいかなる探知機にも引っかからない優れものでね。私が注意を引く間に、タマセがあの地下射撃場へ仕掛けている」
ふんと鼻を鳴らすのが背後から聞こえた。タマセだろう。どこか不機嫌な色を含んでいた。
「他にも各所へ既に仕掛けてある。リニアモーターカーも客を乗せられる替え玉を用意して、いざ操作の手が伸びてきても問題ない。最後の問題はお前たちだが、これもすぐに片付くだろう……」
カヨコはため息を吐いた。「まあ、そうなるよね。真夜中の侵入者をわざわざ車両へ招待したのは、面白半分で機密を見物させるためなんて思ってなかったけど」
「お前たちが現れたと聞いた時、飛び上がりそうなほど驚いたことは認めよう。それと同時に、ある疑念が浮かんだんだ。お前たちはどこまで知っているのか──上の建物は探られても問題ないよう、全て偽物の設備しかない張りぼてだ。だが地下プラットフォームを探り当ててから、お前たちが何を目にして、どこまで計画への確信を掴んでいるかが問題だ。だが下手に探れば、ぼろを出しかねない。よって、こういう方法を取らせてもらった」
「結局は悪手を取ったわけだね。私たち四人、武器も取らずに秘密基地の中へ招くなんて」
「そうか?悪手を選んだのは、そっちじゃないか。わざわざ敵の手中へ無警戒に飛び込むとは」
「招いたのはそちらだけどね」
また沈黙。レキングは次に繰り出す言葉を決めかねて、視線が右往左往している。タマセが助け舟を出す気配はなかった。
「なんとでも言うがいい」吐き捨てるや、レキングはひじ掛けにぴったり両腕をつける。何気ない動作に混じって、右手の人差し指がひじ掛けの先端裏を探った。「ここに居る限りは楽にさせん。お前たちは稲妻竜の腹内にいるということを一度分からせてやる」
手が脇下に垂れ下がった銃把へ伸びた時、身体の異常が全身を駆け巡った。カヨコは──おそらく他の仲間も、思わず叫んでいたに違いない。頭にいきなり、異常なノイズが流し込まれたのだ。目がくらむような刺戟、強烈な痺れ。いきなり車内が大きく傾き、麻痺した足では立っていられなくなる。倒れた。理解できたのは床が目前に近づいていたからで、鈍重な痛みはどこか遠くで響くだけだった。暴れ狂う激痛は現れた時と同様、いきなりはたと止んだ。
数秒の間、自分の息遣いだけが聞こえていた。不思議なことに、視界に映るレキングのことをはっきりとカヨコは認識できていたのだ。まだ社長椅子に座ったまま、こちらを見下している。あれだけの爆風みたいな攻撃の中で、どうしてあいつは平気なんだ?問いの答えは、おのずと浮かんだ。誰も自滅するような兵器は使うはずがない。
「我々の電磁波兵器はな、カヨコ君、システムだけでなく人体にも有害な音波を混在させて発射できるんだ」
武器を取るんだ。しっかり銃把を握り、狙いをつけろ。幾度となく繰り返した動作を頭に思い描く、しかし腕の動きは危機感に反して緩慢だった。これではだめだ。もっと早く……。
再びすさまじい苦痛。鎖みたいなもので頭が絞めつけられ、僅かな思考もままならず、脳髄が破裂しそうになる。視界が赤や白に染まり、息が詰まる。どこまでも止まぬ荒波のごとき電流と音響。かと思えば、体中をがんじがらめにする鎖が不意に消え、巨大な気球みたいな苦痛の木霊がずきずきと脈打ちながら遠のいていく。
「こんなものだろう。タマセ、こいつらを後部車両へ連れていけ。先頭車両から遠ざけて、逃がさないように見張るんだ」
カヨコはじっとりと汗ばんでいた。体が異様に高熱を発しており、酷い体調不良に見舞われたように頭が働かない。
「おい、お前たちも手伝え。四人いるんだぞ」タマセの声が聞こえた。
灰色の脛当てが目に入る。タマセもやはり、効果はないようだった。目前でしゃがみ込むと、ホルスターから乱暴に拳銃を奪い取り、あの箱型のゴーグルを目元に降ろした顔がのぞいた。さも不快そうに口を歪めていたが、次の瞬間にはタマセの剛力がカヨコの体を易々と抱え上げる。身をよじり抵抗しようとしたが、リニアモーターカーのつるつるした床と左右交互に映る踵を見ている内、暗闇が訪れた。
次に目を覚ました時、カヨコは小刻みに揺れる床に倒れていた。周りに横たわるのは三人の同僚たち。武器を取り上げられ、今は薄暗いコンテナの中だった。
まだぼんやりと定まらない目を閉じ、全身の感覚を探る。全く未知の攻撃を喰らったわりに、どこにも異常はなさそうだ。電磁波と音響の濁流──マイクロ波や高周波なども混ぜた指向性エネルギー兵器。まともに受ければ、どんなに強力な生徒でも膝をついてしまうのではないか。カヨコは空恐ろしくなった。今はいつだ?朝か、それとも夕方になってしまったのか。日のない地下──まして獄中では、経過した時間を知る術がない。微妙な振動が床を伝う。動いているのか?
意識がはっきりしてくると、ようやく正確な情報を呑み込めてきた。レキングは、後部車両へ連れていけ、と命令した。ここがその車両で、荷物室のような空間なのだろう。僅かな電灯以外に、何もない灰色の箱だった。武器は全て取り上げられている。リニアモーターカーはもう発進してしまったのか。ガチャッと音がすると、カヨコは戸口の方を見た──戸が開く音ではなく、のぞき窓が下がった音だった。機械人の青い目がのぞく。
「目が覚めたか。窮屈な思いをさせて悪いな」レキングの声だった。「計画には万全を期す。だからお前たちは決して逃がしたりせず、ここで監視させてもらう。その方が安心というものだ」
「聞く権利があるか分からないけど、質問していいかな?」
「それは勝手だが、答えるかはこちら次第だ」
「今は朝かな、それとも夕方?」
「日も昇ってないさ。ここへ入ってから一時間と経ってないだろう」
「リニアモーターカーはもう発進したの?」
「動かす直前さ。予告通りの日時にする予定だったが、お前たちの飛び入りを受けて計画を前倒しすることにした。これからキヴォトスの中枢を機能不全に陥れる」レキングがのぞき窓から離れた。「お前たちごときに邪魔はさせん。特等席で五〇〇キロの旅を楽しむんだな」ガチャンと音を立てて、穴は閉じた。
仲間に目を移したカヨコは、全員を揺すり起こしながら頭を働かせた。まもなくレキングの大規模テロが開始される。キヴォトスの中枢と彼は言った。高速で記憶した座標数を手繰り寄せる。やはり、そうだ。奴らの狙いはキヴォトスの心臓を確実に狙い撃ち、心臓麻痺(なんと的確な表現だろう!)を引き起こすことだ。連邦生徒会はこの攻撃に対応できるだろうか。どうやって?超高速で動き回る電磁波発信装置を──しかも攻撃はさらに上回る速度で到達する──捉えることは果たして可能なのか。ぐるぐると阻止するための対策が巡り、全体が構築される。この攻撃は自分達しか阻止できそうにないという結論に達すると、起き上がったアル達へ、カヨコは矢継ぎ早に状況を伝え始めた。一人ずつがのっぴきならない事態に気づき、ああでもないこうでもないと思考を交わすと、再びのぞき穴がガチャッと開いた。今度はただの作業員のようだ。
「どうして、この状況から逆転できるなんて思うんだ?」嘲笑すると、奥からも同調する声がした。見張りの仲間だろう。
アルがきっと目をつり上げる。「もちろんあなた達の計画を妨害するためよ」
「これだから子どもには参るな。一体どうしようって言うんだ?まずここから出ること自体、俺たちが手引きでもしない限り無理だろう」
静かな唸るような駆動音が聞こえ始める。部屋全体が引っ張られ、カヨコは正面からかかる力を体幹で受け止める。リニアモーターカーが動き出した。まもなく攻撃が始まってしまう。
「出庫だ。中心街に着くまで、せいぜい十分程度か」雑音交じりに告げる。
カヨコは仲間を見やった。アルは歯ぎしりしたが、静かだった。ムツキは小さく悪態をつく。なんとか知恵を絞ろうとするのは、全員が一緒だろう。だがハルカはなんとか役に立とうという焦燥感からか、視線が落ち着きなくキョロキョロしている。
「諦めて、くつろぐことだな。どうせ騒いでも、結果は変わらない……」
唐突にはじけるような音が響く。銃声ではない。見張りがいる奥の扉がバシンと開け放たれ、タマセが一気に踏み込んできた。
振り返ったカヨコだけでなく、見張りの二人も呆気に取られてしまっている。彼女は音もなく動いた。二人の見張りに体を起こす余裕も与えず、彼女の両手に持った拳銃が振り下ろされる。ガラスの割れる音がして、二人の見張りは一斉に倒れ込んだ。床にばらばらと細かい部品が散らばる。沈黙。やがて歯磨き粉をチューブから絞り出すような音がして、戸口のロックが破壊されると内側へ開く。
タマセは牢屋の戸口を塞ぐように立っていた。その手に握られた拳銃の内、片方が自分のものであることにカヨコは気づいた。
カヨコは思わず名を呼ぶ。「タマセ」
「黙っていろ」呼ばれた彼女は銃口を向け、鋭く命じた。カヨコの銃を持ち主の方へ滑らせると、後ろ手で戸口を閉じる。ゴーグルは額へ上げたままだった。「銃を取れ。お前は私と勝負するんだ」
「どういう……」
「黙って取れ」オートマティック拳銃の狙いはカヨコに向いている。四人とは数歩の距離を置き、誰も近寄らせまいという気迫があった。
カヨコは立ち上がり、自身の拳銃を取る。「どういうことか教えて、タマセ?」
「黙って構えろ」ぴしっと言った。「お前たちの話は全て聞いた。どうしてもレキングの企みを阻止したいなら、ここで私と勝負しろ」
アルが割り入る。「あなたはどちらの側なの?」
「驚くべきことに、どちらでもない。レキングは戦闘ギアを提供してくれたが、私は一介の用心棒というだけだ」
カヨコはタマセをまっすぐ見据えた。「悪いけど、今は時間がない。あと十分で大規模な電磁波攻撃が始まるの。あなたが私との勝負にこだわる理由は分からないけど……」
「レキングは唯一、私の才能を買ってくれた」タマセは真顔だった。「豊富な戦闘ギアを揃えて、私の戦闘能力を増強した。お前は素のままで、純粋な力量とセンスだけだ。それ以外は同じだ。私たちにとって、カヨコ、我々は最高なんだ。地下射撃場で勝負した時から、そう考えていた」
「同じって?私とあなたが?私は依頼を受けて銃を撃つ。あなたは能力をひけらかすために。同じにされるのはごめんだね」
タマセは表情を強張らせた。「あのまま近代文明の崩壊を見届けさせることもできた。そうしなかったのは、この状況において、お前は勝負を放棄することはないと信じたからだ」
「身に余る光栄だよ」
「私は栄光が欲しい。地下射撃場で私と互角の勝負をした、お前を一対一で破って、それは偉大な芸術家の作品のごとく輝き続ける」
「装具の割に古風な響きだね。ピストルは夜明けの鐘ってこと?」
「まさしくその趣向だ。カヨコ、これは私の才を確かにする真の試練だ」
好ましい状況ではなかった。便利屋68の本領でなければ、これまでおよそ経験したことのない勝負だ。一対一、暁の決闘。カヨコの脳裏に、西部劇に出てくるガンマン二人が背をぴったりとつけ、拳銃を顔の高さに掲げる絵がよぎる。あれはアルが好んで観る映画だった。少しずつ歩を進め、秒読みが響き渡り、そして突然に決着の瞬間が訪れる。確率は五十対五十。どちらかが倒れ、もう片方は生き延びる。
カヨコは射抜くように目を見返す。「……分かった。社長たちは下がってて」ため息をつくのを抑えて、全弾が込められてるのを確認した。奇妙なことだが、カヨコはこの決闘を一切の誤魔化しなく受けようと心に決めていた。タマセの熱に当てられたのかもしれない。はっきり口に出して、なんてことを口走ったのだろうという思いがにわかに過ぎた。自分らしくないと分かっていた。アルやムツキやハルカが驚いた顔をしていたのも頷ける。しかし決闘がもたらすテンションに当てられ、昂進する脈拍に心地よさを覚える自分が確かにいた。
いけない。相手のペースに飲まれるな。つとめて冷静になろうとして、カヨコは頭からスリル、興奮といった不純物を追いやる。このピンチを切り抜ける方法は一つしかない。しかも全ては、カヨコがこれまでの人生で培った瞬発力にかかっていた。
タマセは少し笑みを浮かべた。「五つ数える」やはり銃口を上に向け、顔の高さで留める。先ほどは五分の勝負と言ったが、自分の勝利を信じて疑わない様子だった。
カヨコは倣って、拳銃を構えると背を預けた。タマセの背面を覆うプロテクターが当たる固い感触。固唾を呑んで見守る三人を安心させようと、カヨコは精一杯の笑みを投げかけた。
「一つ」
灰色の部屋にタマセの声が響く。両者はゆっくりと一歩を踏み出し、カヨコは煩雑な思考を締めだした。
「二つ」
身体の感覚を確かめる。しっかりと床を踏み、鉄の芯が通ったように体幹に歪みはない。
「三つ」
だんたん離れていくタマセの声を耳で追う。真剣勝負と騙った不意打ちの危険が過ぎる。トリガーにかけた指の第一関節は、今にもひとりでに動きそうだった。
「四つ」
カヨコは覚悟を決めた。鼻から空気を肺へ取り込み、脳内をクリアにする。頭からつま先まで、全神経を集中させて、繰り出される一声を聞き逃すまいとした。
「五つ」
明瞭な声を掻き消し、狭い車内に銃声が重なって轟いた。
タマセははっきりと叫んだが、カヨコは言葉の意味が即座に理解できなかった。する必要もなかった。ただ聞こえた相手の声に対して、自動的に体が動くに任せた。
硝煙が混じり合い、互いの姿をぼやかす。白い靄越しに、カヨコは勝負の行方を見た。
大きく目を見開き、タマセは仁王立ちのままこちらを睨んでいた。のけぞり気味の首筋に浮き出た血管がぴくぴく脈動する。拳銃は手放さなかったが、狙いはややそれてカヨコの側を向いていた。次の瞬間、真っ二つに割れたゴーグルが額からこぼれて、虚ろな金属音を立てた。
カヨコはゆっくりと、勝負の名残が混じる息を吐き出した。不思議なことに、思考が鮮明に澄み渡っている。勝利の余韻──完膚なきまでの勝利だった。そうしようという考えなく、カヨコはおのずと低姿勢をとっていた。直感がそうさせたのかもしれない。タマセが振り向こうと白い髪を振り、敵愾心に満ちた目が合い、こちらを喰らおうとする銃口が向けられる様がスローモーションのように見えたのだ。
タマセは諦めがちに俯き、銃を降ろす。撃ち抜かれたゴーグルを見下し、再び上げた顔はどこかすっきりとした表情だった。「あんた達の武器は一つ先の車両だ。取り戻したら、貫通扉をしっかり閉じて衝撃に備えてろ」
勝負の緊張が解けたハルカが口を開いた。「いったい何を……」
「リニアモーターカーは既に速度を出し切っている頃だ。私ならこいつをどういじったら良いか分かる」世俗を離れて、悟りを開いた僧のように曇り気のない声だった。「栄光はお前のものだ、カヨコ」
後ろ手で戸口を開く。置手紙のような言葉を残すと、タマセは踵を返し、車両奥へ走り出した。
意志に気づいたカヨコが言った。「待って!」
遠くなる足音が、決闘の余韻から我に返らせる。タマセは既に奥へ消え、カヨコが戸口から飛び出すと、既に先の扉が滑るように閉じた。辺りには見張りをしていたであろう機械人たちの骸が散乱している。ここへ来る時に邪魔にならないよう、残らずタマセが倒したに違いない。
鮨詰めの青いシートを通り抜け、先頭へ通じる貫通扉に手を伸ばす。しかしロックがかけられて、びくともしなくなっていた。タマセは何をする気なのか。彼女は、衝撃に備えろ、と確かに言った。禄でもないことになるのは必至だろう。
振り返ると、横並びのシートに安全ベルトが備わっていた。「今はタマセに任せよう。早くこれをつけて」
武器は確かにシートの一つに置かれていたが、いつ何が始まるか分からない以上、回収は後回しだった。アルに続いて、四人が横並びになり、安全ベルトを通す。カチッとはまる音を確認すると、すぐに照明が赤く切り替わった。先頭から異様な金属音が続く。
四人は身を寄せ合った。連結が外れたのだろう。急な空気抵抗で車両が揺れ、リニアモーターカーは急に前方へ傾き、凄まじい勢いで地面に激突した。路線の側面にぶつかり、跳ね返って、トンネル内でめちゃくちゃに暴れる。
今度は完全に意識を失う直前、カヨコたちは上下左右に振り回され、車内を舞う銃や小道具の中でも硬い物体が頭にぶつかった。痛みも恐れも感じなかった。赤い非常灯が車内を、赤い靄が視界を染め上げる。やがて黒い墨がぶちまけられ、暗い地層深くの奈落へ意識が落ちていった。
革張りの座り心地の良い社長椅子に身を預けて、レキングは計器や地図を確かめる。フロントガラスでは高速で過ぎ去るトンネルの照明が、一本の光線みたく繋がって見える。脇に備えた地図にある赤い光点へ、みるみる近づくのが分かった。と不意に、背後の扉が開くと足音が近づいてくる。
レキングはゆっくりと指をひじ掛け裏のボタンに沿わせた。「タマセか。奴らはどうした?」
リニアモーターカー内部に取り付けられた監視カメラで、レキングは先の一部始終をはっきりと見ていた。しかし反旗を翻したところで、自分に傷をつけることは出来まいという自信があった。先ほどのカヨコたちとの対面では使用しなかったが、スーツの中にこっそり仕込んだバリヤー装置は至近距離で撃ちだされた弾丸の軌道すら針金のように曲げてしまうのだ。
「レキング、この車両の限界を試そう」
はっとするや、即座にひじ掛け裏のボタンを押す。再び室内に爆発のようなエネルギーの波が溢れたはずだが、タマセは椅子を背後から蹴り倒した。顔面から床へ倒れる。頭を上げた時、タマセが必死の表情で操作盤の椅子に這い上がるのが見えた。
機械の体に悪寒が走る。慌てて椅子をどかすと、操作盤に目を走らせるタマセの腕を掴んだ。少女は万力のような握力で、喉元を掴み返してくる。目一杯に押し上げられたレバーが視界の端に入った。
それは車でいうアクセルに当たるものだった。なんとかブレーキをかけようと手を伸ばすが、タマセが強引に体勢を崩して、二人はどうと倒れ込む。タマセはなおも操作盤にしがみつき、いくらかボタンを押すと、どこかの連結が切り離される音がした。
直後に世にも恐ろしい轟音。身軽になったリニアモーターカーは想定以上の速度で走行し始める。地図上の目標地点を通り過ぎ、ぐんぐん速さを増してゆく。車両は今では大きな揺れに見舞われ、立ち上がることすらままならない。
タマセはなおもアクセルレバーを掴んでいた。力むように唸り、腕の力だけで取っ手を引きちぎった。
ブレーキを失ったリニアモーターカーは、弾丸以上のスピードでトンネルを駆ける。車外の喧騒が大きくなる。地図上の進行方向、路線を示す白い線はぷっつりと途切れていた。
タマセがすごい形相でにやりとしたのが見えた。悲鳴を上げる機械の唸りが最高潮に達した瞬間、突き上げるような振動が伝わった。白い閃光がわっと浴びせられ、急に電灯が消えたように、意識もそこで途切れた。
また二日後、カヨコは再びシャーレ地下射撃場にいた。
文明返りを起こしてからの翌日の内に、全システムが復旧したそうだ。エンジニア部を始めとする専門家たちが、付きっきりで復旧に務めてくれたらしい。今では正常な機能を取り戻して、シャーレの業務も滞りなく回るようになった。
カヨコはぼんやりと位置に立つ人物を眺めていた。
純白の制服を脱ぎ、シャツ姿になった先生はよどみなく標的に腕を伸ばす。繰り返しトリガーを引いているが、発砲音はどこか空虚に感じられた。
大破したリニアモーターカーから引っ張り上げられた便利屋68は、ほどなくして全員が意識を取り戻した。地下で異常な振動が確認されたことで、警察などがすぐに駆けつけてくれたのだ。それぞれ傷は浅いままで済んだ。LMCのあいさつ回りが功を奏したに違いない。
ところがリニアモーターカーの先頭車両は未だに見つかってない。レキングとタマセの行方も不明のままだ。蟻の巣みたいに張り巡らされた地下線の捜査に、ヴァルキューレ警察も手を焼いている。広大な地下線をいったいどこまで伸ばしていたのか、完全な解明にはまだ時間がかかるだろう。
慣れた手つきで安全確認を済ませ、先生がこちらへ歩み寄ってきた。穏やかな笑みを向けてくる。こちらの様子を見て、言葉を切り出した。
「カヨコ、その……今度の件では本当に感謝しているよ。大変だったね」
解明されない謎に触れようとしたのだろうか。先生は気遣ってくれたが、カヨコはどうにも腹を割って話したい気分だった。
あの少女が得意げに立っていた、隣の台を見る。「ごめんね、どうにもあの天才児のことが頭から離れなくて」
先生が頷いた。「タマセのことだね?」
「もし生きてたら、良いライバルになれたかもしれない、って思って」
「確かに彼女は腕が良かった」
カヨコは先生を見た。彼が知っているのは、地下射撃場での姿に過ぎない。栄光を求めた少女の苦悩、そして勝負後の吹っ切れたような表情は、単に腕の良い人物という評価では到底足りるものではないと思う。
気遣うように先生は言った。「ヴァルキューレ警察の皆が懸命に捜索してくれている」
「発見されるまでに、生きててくれれば良いけど……」
先生が片手を挙げ、カヨコの言葉を制した。「死んだとは限らないよ。自力で脱出して、どこかで別の人生を送っているかもしれないし、あるいはひょっこりこの射撃場を訪ねて来るかもしれない」
カヨコは微笑を浮かべる先生を見て、それから再び視線を隣へ戻す。他の思いは残るが、確かにそうかもしれないと思うことにした。あの自信に満ちた顔が脳裏に浮かぶ。次には最後に見た表情。栄光を求め続けた彼女に、自分が多少なりとも何かを残せたのなら、この因果がどこかで二人を結びつけるかもしれない。
隣の卓上には、一挺の競技用ピストルが置かれたままだった。あの少女の痕跡は、いまや数日間手つかずの射撃場に残されたこれ以外にない。