―――あの走りに輝きを見た。
それはきっとまだ幼い自分の箱庭から見た、ほんの小さな憧れだった。今ならあの走りは未成熟で、削りもしてない原石その物。そしてその宝石は大きな物ではなく、小さい物かもしれなかった。でも私にとってそれが最初の光だった。あり触れた目標。ありきたりな高み。そんな“あの人の走り”が私の始まりだった。
必死、と言うにはがむしゃらだった。努力、と言うには勤勉程度の真面目さだった。適正、と言うには好きなことをしただけの選択。あの人はそんな私を見守って、輝き続けてくれた。
いつからか、私の夢はあの人と走る事だった。お互いに全力で、本気で競い合うようなレースがしたいと。
温かい思い出。輝いていた目標。ああ―――――。
今は
《さぁ、昨年の小倉大賞典・小倉記念・北九州記念に続いて国際レース、GⅢレースに認定されました第30回小倉ジュニアステークス。しかも入場者は第1回の約37000人を超えて約42000人を超えレコードを更新しました! それもこの九州のファンたちがこのレースの行く末を見届ける為でしょう!ではこれより選手18名の入場が始まります!》
オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!
実況の言葉に文字通り最大数を超えた観客たちの歓声が小倉レース場に響く。その大声援に思わず隠れた耳を塞ぐ。
「慣れておきなさい。この程度をうるさいと思っていたら観戦なんて出来ないわよ」
「……ん。失礼しました、先生」
しかし隣の、高年の女性に咎められ手を離す。ただし、貴女が近寄りがたい雰囲気だからこの程度には済んでいます、と内心では思っていた。
耳を抑えたのは男性、しかも未成年。頭のバンダナと共に服装もファッション誌のモデルから出て来たかのようにキマッてる。つまりイケメン。特に赤みがかった茶髪は暗色のバンダナによりより映えており注目を惹く。ここ最前列に来るまで女性陣からチラチラ見られていたが、同時に彼女らも今日のレースを見に来たファンであったので声をかけてくる余裕はなかった。
高年の女性はそのままのおばあちゃん、であるが圧がすごかった。まず成人男性に並ぶほどの高身長。しかも背筋をピンと張って衰えを感じさせない。ここまでなら健康的な印象だがそこにグラサン、『馬乗人添』と『千軍万馬』に挟まれた腕組み片目に炎が燃えているウマ娘のシルエットを背に刺繍したジャンバーを羽織っている。ここでタバコの一本でも咥えていたら更に距離を取られていただろう。それでも高年とわかるのは色素の抜け落ちた白髪に皮膚に刻まれた皺があったからだ。『サラ・コナーじゃね?』と言う声を少年の耳は拾ったが黙ったままにした。
少年は和田
「コンディションは?」
「問題なく。寧ろメニュー外のトレーニングを抑えるのが大変でしたよ」
「で、いつもの
「……すみません」
「トレーナーはウマ娘に応えるのが目的よ。アレはお前にしか出来ない事なら遠慮なく使いなさい。むしろ出し惜しむなら私が喝を入れてやったわ」
「いつも言ってますが、先生の喝は時々、サバゲーで愛用のエアガン向けてくるので心臓に悪いですよ」
『やっぱりサラ・コナー!?』という声も聴き流した。
《ここで1番人気、4枠8番ブラウンワイルドの登場です!!》
オォオオオオオオオオオオオ!!!
すると人気投票一番を手に入れた鹿毛のウマ娘が登場し、歓声が先ほどより
《鬼気迫る表情ですね。今回のレース、何が何でも勝ってやる気迫がここまで感じられます》
《そのお気持ちはわかります。実況として不適切でしょうが、今の彼女には勝ちたいウマ娘がいますからね》
《そうですね。そして、そのきっかけとなった先月のフェニックス賞があってこその入場数レコード更新とは……。いやはや、申し訳ございません。私でもどう言葉を繕っていいのかわかりません》
解説の言葉にキレがない、というより何を口にすればいいかわからないといった風だ。とは言え仕方がないと幸子と孝一は同じことを考える。時にその渦中の中心とも言える彼女たちはトレーナー故に客観的に同意する。
《――さぁ皆さまお待たせしたでしょう! ここで登場するのは5番人気、5枠10番シデンジンバ!! フェニックス賞で勝利し、九州地方ウマ娘初のGⅢへの挑戦権を手にしたサガトレセンのウマ娘!!》
ウゥォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!
歓声がこれ以上なく、雄叫びとなった。
登場したのは小柄のウマ娘。体躯としては小さいが細身と言うわけではない。何せ体操服からでもわかる、堅実に鍛えられたその体躯はローカル・シリーズの一つであるサガトレセン――正式名称「九州ウマ娘サガトレーニングセンター学園」――のウマ娘とは思えない。他17名の中央ウマ娘に引けを取らなかった。それに彼女は珍しく飛行帽を被ったウマ娘で特徴的であり、人々の記憶にも残りやすい。何より、日本ウマ娘史上で九州のウマ娘がOPとは言え、中央のレースに勝利したことは話題となった。これがこの小倉レース場の観客数を表していた。
《それにしても5番人気とは思った以上に伸びませんでしたね》
《やはり勝利とは言え2着のシゲルキョクチョウとはクビ差。シデンジンバもレース後はかなりの消耗であったと言いますからね。中央の壁がどれだけ高いかわかるというものです》
しかしそこへ解説と実況の2人から辛口コメント。元々、中央所属であるからかもしれないが同時に現実。史上初という事はまだ現実味がないという事でもあった。とは言え気に入らない人もいるようで歓声に混じってブーイングがわずかに聞こえていた。
「フェニックス賞でも思いましたが、格差が感じられますね」
「残念だが中央と地方、トゥインクルとローカルにはそれだけの認識があるわ。だからこそ、それを覆した時に人はそこに注目する」
「そうですね。そして今回は一度目の『幸運』をこの二度目で『実力』と示す時……」
「不安?」
不安、その言葉に孝一は無意識に自分の右腕を掴んだ。掴んで、震えている訳ではない事に気づいた。
「……あ」
「不安みたいね」
「そう、ですね。どうもまだ自信がないようです」
「それでいいわ。不安を抱かないトレーナーには愛情がない。その一抹を失えば、ウマ娘の未来すら見えてこなくなる」
「……意外ですね。先生なら傲慢と言えるほどの自信家に成れと言いそうですが」
「レースには何が起こるかわからない。そんな所に愛バを送り込んで『心配しないさ』の一言は、無責任よ。―――不安と、祈りを抱きなさい」
「…………先生は神や仏を信じているのですか?」
「愛バが無事に戻ってくるなら悪魔にだって祈るわ。
「はい」
二人の、サガトレセン所属のトレーナー二人の視線の先には話題となっているシデンジンバ。その目には誰よりも飢えた熱が燃え上がっていた。
中央を簡単に説明するなら『走るウマ娘たちの頂点』と言える。レースの実力以外にも筆記、面接と突破したウマ娘たちが所属している。その数は2000人弱。日本中からエリートを選りすぐっての2000人弱。故に、中央所属と言う名に誇りやプライドがあるウマ娘もいる。
(勝つ、勝つッ、勝つッッ!!)
一番人気であるブラウンワイルドの内心がこれである。
ただ実の所、彼女自身はその他大勢の自覚があった。何より
あの日1着を奪ったあの蹄鉄の踏み込みが、なけなしのプライドが無残に砕ける音に聞こえた。
2着であり、同じ中央所属シゲルキョクチョウが繰り上げだったらここまで激情に飲まれなかっただろう。自分でもここまで地方への区別を持っていたのも驚いたが、それが今は油断なき闘志となっていた。
「ブラウン」
「……シゲル」
しかしその声でそれも静かに治まる。それは同じくフェニックス賞で競い、シゲンジンバと共に前にいた件のシゲルキョクチョウだった。自分よりも達観していて、すでに障害レースへ転向も考えている。まだジュニア期だというのにと思ったが
「……ちょっと熱くなり過ぎたみたい。ごめんね、あんただって走るのに」
「あんなのが出て来たのなら仕方がありません。まぁ私もフェニックス賞までは貴女とツートップになると考えていました」
「私もよ」
まだ炎が残る心、しかし少し冷えた頭で改めてシデンジンバの姿を見る。
ウマ娘としては小柄。しかし見てみればしっかりと鍛えられたバ体なのが分かる。トレーナーほどの観察眼はないが特にトモが頑丈そうで、パワーが出そうな印象だった。いや、フェニックス賞で聞いた踏み込みの音を聞いていたので確実に出せる。
「小さなジェンティルドンナさん、は考え過ぎでしょうか?」
「少なくともスパートからの上りは間違いなく速かったわ。かなりクセのある走りをする娘なのは間違いないわ」
「つまり、トレーナーの手腕もありますね」
というかそんなクセの強いウマ娘、資質はあったとしてもジュニア期からもうレースのスタイルを固めるなんてどんな手腕よ。オープンだったとしても中央レベルだわ。と、ブラウンの内心。ふと彼女は観客席を見てシデンジンバのトレーナーを、と思ったが今日は動員数レコードを更新する程の数だから見つかるはずがなかった。なんかアメリカのアクション映画に出そうなお婆さんと隣の男性の周りが空いてそこだけ注目しやすかったけど。
「実を言いますと、彼女には声をかけみました。『なぜ地方にいるのですか?』と」
「えっ、マジ?」
シゲルキョクチョウの思わぬ言葉にブラウンワイルドは今日初めてそんな声を出した。
「聞いて、中央のウマ娘以上の執念が感じ取れました。間違いなく強敵で、勝敗に関わらず上の舞台に登ってくるでしょう」
それは、間違いない。あれだけの逸材を地方に置いておくはずがない。フェニックス賞の勝利に加えてこの小倉ジュニアステークスで勝つことになるなら。
「でも、負けない」
「ええ」
しかし彼女たちもウマ娘。自身の足と走りで、勝利を掴む。
「ところであの娘に声を掛けて執念を感じたって言ったけど、実際にはなんて言ってたの?」
「………いわゆる鹿児島弁で、言ってること全部はわからなかったんです」
「………そう」
頭が冷えるどころか余計な緊張も解れたブラウンワイルドだった。
(
ゲートに入ったシデンジンバはふとそんな事を思った。
実の所、鹿児島弁自体はそう難解な方言ではない。ただし彼女の場合、幼少期に祖父母の影響から頴娃弁と呼ばれる、鹿児島県民でも聞き取れない方言も根付いている。普段は鹿児島弁であるが集中したり興奮したりすると頴娃弁が出てしまうのであった。そして今は初めての国際レース、重賞。これまで以上の集中の中にいた。だから無意識にそっちが出たかも、と考えた。
(……
とは言え彼女もまたレースに勝つ為にここに居る。ただフェニックス賞での勝利は正直ギリギリだったと自覚している。だから今回はそれ以上の苦しいレースを強いられると考えていた。最も中央ジュニア認定レースで勝ってフェニックス賞の出場権を手にし、それにも2着以上の内定を掴んでここにいる。元より地方スタートとしては厳しい経緯だった。
(
実の所、彼女は最初から中央への入学を目指して、しかし模擬試験で合格基準に達しなかったため入学試験を受けずにサガへと流れた。しかしそれは地に付いた実力を手に入れる為の遠回りしたものだった。ただ理解していたが、燻る心はずっと持ち続けていた。
《晴れの青空が広がります小倉レース場。バ場も良バ場となっております。1番人気は闘志漲るブラウンワイルド。続けて2番人気シゲルキョクチョウ、3番人気ドレッドノートになります》
《とは言え油断も予想もできません。今回はまさにダークホースと呼ぶべき存在がいますからね》
実況と解説の放送が聞こえた事でシデンジンバは意識を変える。ゲートの横からは肌を刺すような敵意と戦意。そして特に大きいのはブラウンワイルドだと何となく感じていた。
「――――」
それを肌で感じれば感じる程、シデンジンバは静寂の中にいた。静寂の中にあるほど、シデンジンバの視界がより広がった。
覚悟、集中は終わった。
《各ウマ娘、ゲートに入って体勢整いました―――》
ガコンッ!!
《スタートしました!》
それが夢のゲートが、失った光を探しに常闇の中へ飛び込んだ音だった。
《先頭に出たのは15番シゲルキョクチョウ。1番人気ブラウンワイルドは3馬身離れた位置に。その後を追うように13番ドレッドノートと10番シデンジンバ》
《ここからではほぼ固まりのように見えますね。18名の出場に対して前から後ろまでの差はほぼ8馬身ですね。ただ小倉レース場での1200mはコーナー前が長いですからね。この状態が続きそうです》
一斉にゲートから出たウマ娘は意外にもペースを上げず無難にそれぞれの位置を取った。とは言えほとんどのウマ娘が2戦か3戦しか記録しかないので何とも言えない所である。
「ピリピリしたレースね」
「誰もがジンを意識しています。囲まれてはいませんが、動けば全員が動きますよコレ」
幸子と祐四はそう分析した。シデンジンバの前も後ろも彼女を意識している。“囲む”と言うほどではないが誰も彼もシデンジンバを射程範囲に収めている。そして当のシデンジンバは、外側に寄っている。
「これは囲まれなかった代わりに先頭へ出るにはより加速が必要になりますが」
「このレースは1200m。直線から右回り。一周するまでもなくゴールする。ジンを勝たせないなら外に出すべきじゃなかった」
(バカァアアアアアアアアアアアアアアア!!!)
逃げで走るシゲルキョクチョウは罵倒した。それはやっちゃいけないだろうと、心の乙女を押しのけた叫びが出てしまった。
シゲルキョクチョウは知っていた。地方バにしては強烈な踏み込みからのスパートをするのがシデンジンバだと。フェニックス賞を見直し、何とか見つけたシデンジンバの新馬戦のダートレースを見たい上で確信していた。2戦のみとはいえ、レース前にブラウンワイルドが小さなジェンティルドンナと評したのは曖昧な理由ではない。小柄でもパワーのあるウマ娘だと確信していたからだ。シゲルキョクチョウの場合、それを同じ地方から来たウマ娘イナリワン、またはオグリキャップの様だと思った。
そんなウマ娘が、この1200mのレースで外側に出た。
(間違いなく、フェニックス賞と同じ戦法で来ます!)
コーナーの終わり、ゴールまでの直線から一気に来る。逃げ・先行有利の小倉レース場で追込のような上がりで抜け出す。それを知っていたシゲルキョクチョウは地の利から逃げで先頭の優位を掴むことを選び、ワイルドブラウンはそこに自身の走りで勝つ事をプラスに先行を。そして他はそれと同じか、必然と内でポジションを取ろうとしてシデンジンバを外へ追い出した。
(彼女にはもう1着が手に届く! なら!!)
作戦は被り、結果としてシデンジンバは天の運を掴んだ。同時にシゲルキョクチョウは覚悟を決めた。技術の未熟さは承知の上で、外側へ膨らむ事さえ承知で加速した。
(シゲルが加速!? いや……)
さらに先頭へ出ていくシゲルキョクチョウを見て驚き、同時にギリギリ視界に納まっているシデンジンバを見て理解する。彼女のパワーを直に体感したブラウンワイルドだからこそ、誰よりも勝利に王手していることを。
(落ち着け、落ち着け……!)
しかし焦らない。皮肉にも動揺させたシゲルキョクチョウのお陰でレース前の興奮は制御出来ていた。ここで先頭のシゲルキョクチョウに釣られ、最後の直線で速度が出ない事は望まない。それであのシデンジンバのスパートに勝てるとは考えていない。タイミングを誤らない。本気で、勝ちたいのだ。
そしてコーナーの後半、
ドンッ!
(来たっ!!)
その音と共に、ブラウンワイルドも勝負に出た。
《シデンジンバとブラウンワイルドが同時にスパート掛けた! それに続くようにシゲルキョクチョウも更に前へ出てくる!》
《シデンジンバはフェニックス賞と同じ戦法ですね。直線に入る前のコーナーからスパートを掛け、速度と勢いを取る。ですが内側だったフェニックス賞と違い今は外側、まだ勝敗はわかりません》
解説が指名したシデンジンバの動きはその通りである。コーナーの半分を超えた所でスパートを掛けた彼女に、人気ツートップの二人も勝負をかけてきた。他のウマ娘たちも動き始めたが三人に比べて一歩遅い。
だから実況が口にした三人が直線の勝負が始まった。
《そして直線勝負に入った。先頭シゲルキョクチョウからブラウンワイルド、シデンジンバ。しかし順番が変わってもおかしくない差だ!》
内からシゲルキョクチョウ、ブラウンワイルド。そこから三つほど離れてシデンジンバ。外に出されていたシデンジンバだがすでに直線勝負。
観客席の歓声が上がる。人気ツートップに加え、地方ウマ娘が勝利を目前としている。
《並んだ! 並んだ! 残り300m地点で三人が並んだ! 地方の意地か! 中央の意地か!》
実行は興奮して席から三人を行く末を見守る。
(勝つ!!)
ブラウンワイルドの闘志は燃え上る。
(勝つ……!)
シゲルキョクチョウの心は折れずに食らいつく。
「「「「いっけけぇええええええええええええ!!」」」」
観客は中央としての実力を、地方の初勝利を、GⅢでありながら興奮するこのレースを、それぞれのぞれぞれの想いを載せて応援する。
そして、
「……頑張んなさいよ」
搔き消されるほどの小さな声で呟いた幸子は、クビ差で勝ったシデンジンバを見届けた。
久々の投稿となります。これまで二次小説で、原作のストーリに沿った作品を出してきましたがそれがやりづらくなってきました。なので一からストーリーを構成する本作の投稿を始めます。
一話ごとに5000字以上を目指しますが執筆時間が減ってきているので更新は遅いと思います。
あと感想についてはできる限り返信したいと考えています。
簡単プロフィール
・シデンジンバ
中等部
身長: 152cm
スリーサイズ: B78 / W54 / H80
出身地: 鹿児島
本作の主人公。レシプロ戦闘機のパイロットが被る飛行帽を目深く被り、右側に薩摩十文字に戦闘機「紫電」の刺繍がある。内側がモコモコなので中央移籍後、あるウマ娘の視線を向けられている。勝負服は飛行帽に合わせ、パイロットスーツをモチーフになる予定。