野蛮なエルフの国はいかにしてただしいオークの国を撃退するに至ったか【完結】 作:只野夢窮
星暦八七七年三月二日午後九時三十九分
グロワール帝国 首都リュテス カルーゼル宮殿
ウィンディミア首相は日課の秘密電信――――本国への連絡だ――――を終えた後、自室でウィスキーを飲みながらくつろいでいた。エルフの例にもれず彼女も酒に強い。ロックをちびちびと傾けるぐらいでは翌日に響くことなどなかった。
「しかし、まいったな……」
取り寄せたオルクセンの新聞の外語版に目を通す。キャメロット語なら自由自在に読めるのだ――――ほとんどの新聞は「政府の強硬路線を支持する、破談ならば更なる戦争はやむをえない」という論調であった。
「お互い、魔種族の出生率が低いことなどわかっているだろうに、まだやる気か」
憂鬱であった。どの道勝てない戦争である以上、講和したいのはやまやまだ。しかしこれを受諾すれば間違いなく暴動が、悪くすればクーデターが起こるであろう。そうでなくとも国そのものが持たなくなる。
ゴン、ゴン、ゴン。三度分厚いノックの音があった。音からしてオークのノックであろう。とはいえ黙殺するのも性に合わない。
ガチャリと開けてみると、そこには他のオークに比してすら巨大な体に、見たこともない量の魔力を湛えたオークがいた。オーダーメイドであろう上質で体にぴっちりとフィットしたスーツを着ている。
「夜分にアポイントもなく申し訳ない、ウィンディミア殿と極秘に、直接話したいことがありまして。私は――――」
「グスタフ・ファルケンハイン殿であろう。立ち話もなんだ、中にどうぞ」
「ありがとうございます」
このタイミングで私に会いに来る、指折りの魔力を持つ偉丈夫のオークなど、二人も三人もいては困る。ともかくエルフ用に用意された椅子に、グスタフ王はなんとか体を収めた。
「それで、ご用事はなんでしょうか」
「和平交渉の条文についてです」
「…………」
「お考えのことはわかりますよ。あの十七箇条は明らかにやりすぎだ。これでは和平は成らない、と」
「それはあなたの責任でしょう」
「そうだ、私の責任だ」
「……」
「ゆえに、私は私の責任において、和平への障害を取り除く用意があります」
「それはどういう意味でしょうか」
王は、机に積んであるオルクセンの外語新聞に目をやった。
「我が国の新聞をお読みなのですね」
「ええ、貴国の新聞は実に興味深い」
「なにせ我が国は自由なものですから。何を書いても捕まることはない。何なら私の政策を批判してもね」
「ええ、わが国でも、グスタフ王を批判しても捕まることはありませんよ……それではそのような自由な人たちに対して、あなたには何かできるのですか?」
「できますとも。その準備はすでに終わっています。しかし、その前に、あなたに確約しておいてほしい」
「なにを?」
「我が国のほうでは、譲歩した条文を出す用意もあります。その譲歩した条文を、そのまま呑むことはできないでしょうが、できれば修正に時間をかけたくない。そうですね、なるべく二週間までで済ませたい。それを越えると貴国が雪解けを迎えてしまう。あるいはグロワール帝国がしびれを切らさないとも限らない」
「それは貴国の出す条文次第ですが」
「ええ、だがタイムリミットがあることはお互いに認識しておくべきかと。もう一つだけ――――」
グスタフ・ファルケンハインは本題を切り出した。
「貴国の
「
「冗談ではありません。偶然とは言わせませんよ、電光弾対策の木造船、緒戦の渡河への騎兵突撃、ファルマリアに従軍記者を置いたこと、加えてアルトリア要塞からは『まるで市街地が砲撃されることを見越していたかのように、倉庫が分散している』と報告が入っています」
「……それが?」
「呼び方がなんであれ、未来を何かしらの理由で予見できる人物がいた。そうでしょう? 失礼ですが、そうでなければ我が国とここまで競り合うことはできなかったはずです」
「……貴国と我が国との緊張関係は高まっていた。そうであれば事前に備えをしておくのは当然のこと。従軍記者については、海軍がある港のほうが派手な絵が撮れると思ったからではないでしょうか。格下と思っていた国に負けたからと言って、未来予知などと言い出すのは流石にいかがなものかと思いますが」
「…………とにかく。我が国は誠意を示すつもりです。それを見てから検討していただくのでも構いません」
「……失礼ですが、そのような人物がいたとして。なぜ会いたがるのです? 和平が成れば戦争は終わる。まさか数年で再開するわけにもいかないでしょう。そんな人がいても、もはや貴国には関係のないことです」
「あまりにも危険だからです」
「危険? 結局、わが国は負けているではないですか。貴国は勝利された。何に怯えているのですか」
グスタフ王は、静かに、しかし力強く自らの意思を述べた。
「その人物が何年先まで知っている? 戦争が終わるまで? 本当にそうでしょうか。我ら魔種族の生命は永い。十年? 百年? 千年先のことまで知っていてもおかしくはない。その人物が我が国に危害を与えないことを確認したいのです」
「……私の立場で言うことでもありませんが。千年先のことまであなた一人で背負い込む必要はないのではないですか? オルクセンにはそこまで人材がいないようには見えません」
「…………」
「とにかく、まずは貴国の誠意とやらを見せていただきましょうか」
翌日、オルクセンの外語新聞を見たウィンディミア首相は違和感を感じた。ほとんどの新聞の記事も対エルフィンド融和路線に変わっていたのだ。いくつかの新聞は、そもそも外交のことを記事にすらしていなかった。昨日までとは全く異なっていた。
「まあ、オルクセンは結局のところ王政の国だからな。結局のところは王命一下でなんとでもなるということか……ん?」
ウィンディミアの目に留まったのは、本来であれば外交には関係ないであろう一面記事であった。
『イザベラ・ファーレンス氏、失脚――――星歴八七七年三月二日深夜、ファーレンス商会の緊急取締役会において、同社社長たるイザベラ・ファーレンス氏の罷免が決議された。同社は「弊社重要顧客との関係上、大変遺憾ですがこのような対応となりました」とコメント。具体的な内容についてのコメントは差し控えるとのことでした』
「ほう……」
イザベラ・ファーレンス。聞いた事がある。コボルド族の女老商人。なるほど、わが国に恨みはあるだろうな。そして立場上、金や権力で新聞に我が国の悪口やタカ派の意見を書かせることは難しくないだろう。だがそのような人物、彼の国にはいくらでもいるだろう。我が国は敵を作りすぎた――――だからおそらく、これは「見せしめ」だろう。「和平を邪魔する人物はこうなる」と。なるほど。彼の国の王は本当に和平する気はあるようだな。
十時ごろ、オルクセン王国の外務大臣クレメンス・ビューローが「『叩き台』についてですが、わが国の中でも検討を重ねまして、このように修正いたしました」と手渡してきたメモは、まず見た目からして条文が短くなっていた。目を通す。
○領土について(①を修正)
①すでにオルクセン王国が占領しているノグロスト・モーリア・ファルマリア・アルトリアについては、エルフィンド王国からオルクセン王国に割譲し、新たな国境線はアルウィンとネヴラスを結んだ線シルヴァン川を基本とする。
ファルマリアとアルトリアについては、エルフィンド王国に返還する。
ただし詳細については現地地形を調査の上、協議する。
○賠償について(②、③、④を削除、⑥を修正)
②エルフィンド海軍の残存艦リョースタおよびヴァナティースは、必要な修理をエルフィンド王国の費用負担で行った上で、賠償艦としてオルクセン海軍に引き渡される。
③ドラッヘクノッヘン港の復興費用及びドラッヘクノッヘン港襲撃によって死亡した者の遺族年金については、エルフィンド政府が負担する。
④アルトリア要塞の市街地設備(上下水道や鉄道等、国家および市が保有する公有財産)については、エルフィンド政府の負担によって修繕し、オルクセン王国に引き渡すものとする。
⑤キャメロット王国およびグロワール帝国に対する和平仲介の謝礼については一度オルクセン王国が立替支払いを行い、しかる後にエルフィンド王国からオルクセン王国に支払いを行うものとする。
これは両王国に対する支払遅延を防ぐためである。
⑥戦争賠償金として、エルフィンド王国はオルクセン王国に九四億ラングを支払うものとする。
ただし分割払いについてはこれを認める。年利は複利の年一割協議して定めるものとする。
○軍事について(⑧を削除、⑦を修正)
⑦エルフィンド陸軍は総勢十二十万人に制限されるものとする。騎兵および二十センチを超える口径の砲の保有はこれを認めない。
⑧エルフィンド海軍については新造艦の建造・修繕・および購入を認めない。ただし沿岸警備や治安維持のための遠洋航海が不可能な艦艇については例外とする。
⑨エルフィンド王国はオルクセン王国以外の他国の軍を国内に駐留させてはならない。
⑩エルフィンド王国はオルクセン王国軍が国内を通過する際には速やかに軍事通行権を与え、またその補給(食糧・銃弾・砲弾・医薬品・衣料を主とするがそれらに限らない)を最優先事項として協力しなければならない。
⑪エルフィンド王国はオルクセン王国以外の国と攻守同盟および防衛同盟を結んではならない。
○経済について(⑫を削除)
⑫エルフィンド王国はオルクセン王国の企業に対して、関税を課すことを認めない。一切の非関税障壁についても同様である。
また経済活動に必要な許認可の類は迅速に審査し許可を出すこと。
○その他(⑬、⑮を削除、⑭⑰を修正)
⑬エルフィンド領内にてオルクセン王国は領事裁判権を持つものとする。
⑭所謂「レーラズの森事件」についてはオルクセン王国第三国委員から成る調査団を受け入れ、調査に全面的に協力すること。
⑮「レーラズの森事件」の首謀者および実行者については、オルクセン王国の法廷で裁判を行うため、迅速に引き渡しを行うこと。
⑯エルフィンド王国内における種族差別をなくすための立法およびその実効性を担保するための実務委員会を組織すること。
⑰この条約の有効期限は9950か年とする。
ここまで変わるとは、と思った。正直なところ、オルクセン側としては「和平が成立すればよし、しなければ再侵攻するだけ」という態度だと思っていたが、おそらくそうではない。これだけの量の条項を修正するのに、国内の政治的調整がどれだけ必要になることか。なるほど本当に和平するつもりがあるらしい。
「……全てを受け入れることはできませんが、貴国に状況改善の意思があることは伝わりました」とキャメロット大使およびグロワール大使の前で伝える。さすがに大国キャメロットやグロワールの大使である、感情が直接顔に出ることはほとんどないが、内心ほっとしているだろう。
その日の深夜。グスタフ王は再度ウィンディミア首相の部屋を訪れた。
「我が国に、和平の意思があることをご理解いただけたかな」
「……ええ。ほとんどの条項は呑めるでしょう。しかしいくつか懸念点が――――まず陸軍が二十万、これはさすがに少なすぎますな。
「それについてはご心配なく。これは常備軍の規定です。常備軍において将校や下士官を多めに採用しておいて、万が一他国から攻められた場合には動員兵をその配下につければよいのです」
「……国王が堂々と、自国が結ぶ条約の抜け道について語るとは。では、被侵略時の徴募兵は例外たる旨を明記させてください」
「構わないとも」
「それと、10番については意図がわかりかねますな。エルフィンド王国国土を急いで通り過ぎても、そこには北海しかありませんぞ」
「うちの陸軍ときたら、どこに行くにも何をするにもまず飢えることを心配するのですな。万が一この条約を受け入れることで貴国のどこかでクーデターなどが起き、それを駐留軍で鎮圧しなければならない時を想定しているのです」
「なるほど、それでしたら心配に及びません。もう少し妥協していただければ、わが国の警察機構でもなんとかなるでしょうから」
「秘密警察が、ですな」
「ははは、そこまでご存じであるならば話が早い……」
「では10番は削除しましょう」
「ありがとうございます。最後に賠償ですな。四億ラング……一括払いは不可能ですな」
「これでも半額以下にしているのです。貴国が焼いたドラッヘクノッヘン港の復興や海軍の再建などを考えれば、そこは譲れませんな」
「なるほど、ではこうしましょう。四億ラング払うのはいい。しかし第一に、分割払いを認めてもらいます――――百年間で」
「百年。それはまた悠長な話だな」
「人間にとってはそうでしょう。魔種族にとってはそうではありません。私は生きているかわかりませんが、あなたは存命中にこの債務の完済を見るでしょう」
「……利率は?」
「無利子」
「無利子ですと? ありえない。インフレーションによってどれだけ額面が目減りするか」
「払えないよりはマシでしょう」
「払えないとする根拠は?」
「我が国の歳入が貴国通貨換算でおおよそ一億ラング。四億ラングに五パーセントも利息をかければ、それだけで二千万ラング。我が国の歳入の二十パーセントを占めることになります。これに我が国の戦時国債の償還もあるのですよ。無理なものは無理です」
「……一パーセントは認めてもらいましょう。無利子では国の沽券にかかわる。一年の返済は利息四百万ラング、元本四百万ラングの計八百万ラング。これが払えないとは言わせませんよ」
「いいでしょう。第二に、我が国の通貨、ティアーラ建てでの返済を認めていただきたい。すなわち返済額は現在のレートを参考にして、八億ティアーラになるわけですな」
「なぜそのようなことを?」
「今朝の新聞を見ましたよ。貴国の大実業家殿が失脚されたと……貴国には、まだまだ我らを恨む人物が多くいるでしょう。それは我が国側にも落ち度があるとしても、わが国の経済を破壊するようなことをしてくれば、賠償の支払いも滞ります。ですがティアーラ建てにすれば、万が一我が国の経済を意図的に破壊してハイパーインフレーションを起こそうという人物がいたとしても、賠償金はタダ同然になる。まあ念のためです。もしこれ以上両国間に諍いがなければ、ラング建てだろうがティアーラ建てだろうが変わらないわけですから」
「……よいでしょう。ですが妥協できるのはここまでです」
「ええ。貴国は限界まで妥協してくださったのは理解します。ゆえに、次は私が誠意をお見せしましょう」
「では、
「ええ。しかし……警備はこちらで用意します。お判りでしょう、あなたの警備の黒エルフたち。まだ戦争は終わっていないのです、我が国内に連れて行くのはかえって危険だ」
「……いいでしょう。私に万が一のことがあれば、戦争が再開されるだけのことです」
「では……早いほうがよいでしょう。明日の出立は可能ですかな。私はエルフィンド側代表者としてここを離れるわけにはいきませんが、明日の昼までには調整しましょう」
「ああ、こちらのほうでも明日中に出立できるよう準備させてもらおう」
「決まりですね」
「決まりですな」
ウィンディミア首相は即座に本国に秘密電信を打った。
「十分な条件引き出せり。ただし最後の条件として、女王陛下とグスタフ王の直接秘密会談の実現を要求せらり。我これを応諾す。明日の昼までに移動手段の用意を依頼する」
これを見た女王は破顔した。
「ねえプレンディル、私とのデートが和平の最後の条件なんですって。どうしましょう、襲われたりしたら。グスタフ王は黒エルフの愛妾もいると聞いたわ。白エルフの女王と黒エルフの愛妾を並べて――――なんてことになったら! いけません、危険すぎますわ!」
キャー、と裏声でおどけて見せる。
「……ところで、誰が移動手段を手配するのですか?」
「あなたに決まってるじゃない。これ見てるの私とあなたしかいないのだから。あと警備もしっかりしないと、万が一のことが起きたら本当にこの国滅ぼされるわよ」
「…………」
「まあ、そんな顔しないで。もうすぐこの戦争も終わるわ。そうしたらゆっくり休めるじゃない」
「そうだとよいのですが……」
死んだはずの、私との会談を要求ねえ……エレンミアは不思議だとは思わなかった。グスタフ王は賢い。彼の臣下たちも優秀だ。何かがおかしいことには気づいていたのだろう、ずっと前から。
さあ、最終局面だ。