▽前回のあらすじ
杯戸駅で待っていたのは、非番の松田陣平だった。松田の過保護な説教を受けつつ、合流した快斗も加えて一行はロッカーへ。快斗の苦しい嘘をコナンが見破り、男たちが密かに火花を散らす中、ついに「謎の鍵」が運命の扉を開こうとしていた。
第143話
花梨は能天気だよね!
◇
ブー、ブー……。
ケーキバイキングの終了時間15分前――テーブルの上に置かれた蘭のスマホが振動した。
「あ、私だ。も~、誰よ……、お父さん? ……ちょっと席外すね」
蘭が断りを入れて、カフェを出て行く。
花梨とコナンはそれを見送った。
「おじさまからの電話みたいだね」
「……なあ、花梨。そのおじさまってー呼び方、いつまで続けんだ?」
「へ? だって“おいちゃん”とは呼べないでしょ?」
「まあ、そうだけど。オメーって言葉遣いが時々上品すぎだよなー」
――姿勢も良いし……。
チラッと隣の花梨を見ると、中学で弓道をやっていたおかげか、凛とした女らしい曲線と居住まいが美しく、魅せられたコナンの頬がぽっと赤くなる。
外出したときの彼女はこんな感じだ。
……
「ふふっ、そう? あ、コレ食べる? はい、あーん」
花梨がミニサイズのサンドイッチを手で掴み、コナンの口元に持ってくる。
「あーん……って、くっそまたっ……!! オレってやつは……!!」
次の瞬間、コナンは反射的に口を開け、差し出されたそれにかぶりついていた。
……してやられた!!
すぐに気付いて、耳まで赤く染まった顔を両手で覆う。
――ダメだ、避けられる気がしねえ……。
不服そうな顔をしながらサンドイッチを咀嚼するコナン。
(……味なんてしねーよ、心臓がうるさすぎて!)
内心で毒づきながらも、差し出された幸福を必死に飲み込む。
「あはははっ! おいしい?」
「――っ、おいしいっ!!」
「ふふふ♡ よかったね♡」
穏やかに微笑む花梨に揶揄われていることに気づきながら、コナンは素直に応え、せめてもの抵抗で顔を背けた。
……と、そこへ電話を終えた蘭が戻って来る。
「ごめん、花梨ちゃん。お父さん、今すぐ帰って来いって言ってて」
「なにかあったの?」
「うん……お父さん、急に知り合いのお通夜に行くって言うから、急いでクリーニング屋さんに礼服取りに行かなきゃいけなくなって……」
「大変。それは急がなきゃだね!」
「会計はもう済ませたから、花梨ちゃんはゆっくりしてってね。本当は一緒に帰りたかったんだけど……」
小五郎に用事を頼まれた蘭は、手を合わせて申し訳なさそうに頭を下げた。
「ううん、大丈夫だよ。蘭ちゃん、ごちそうさま♡ おじさまにもよろしくね」
「うん、どういたしまして♡ ほら、コナン君、帰るよ」
蘭は親指と人差し指で丸を形作って、ウインクをする。
自分の荷物を手に、コナンに帰宅を促した。
「ボク、ここに残る!」
「え、でも一人じゃ帰って来れないでしょう?」
「残るっ!!」
「……も~、私だって一緒にいたいのにずるい。まだ花梨ちゃんといたいのはわかるけど……」
保護者として、小学一年生を一人にするわけにはいかない。
居残りを宣言するコナンに蘭は眉をひそめる。
「コナンくん、帰っても大丈夫だよ?」
――ロッカーは、快斗と確認すればいいし……。
新一の手を煩わせるのは悪いし、快斗と新一をあまり接触させたくもない。
花梨は、にこっとコナンに向かって優しく微笑んだ。
だが、コナンはムッとした顔を見せ、椅子から下りて花梨の腕に縋りついてくる。
「やだー! ボク、残る~!! まだ花梨姉ちゃんといる~!!」
「……っ(新ちゃん――駄々っ子になってるよ……可愛いけど)」
――ああもう、ちびっこ新ちゃん、可愛いなあっ!! でも……ふふっ♡
日を追うごとに演技が上手くなっているのがおかしくて、花梨は噴き出しそうになるのをどうにか堪えた。
……ジロっと一瞬睨まれたので、無言+満面の笑みでお返ししておく。
すると、コナンは恥ずかしかったのかちょっぴり頬を赤く染めた。
「もう、花梨ちゃんがいるとすぐ甘えるんだから……」
蘭は腕組みしながら困ったような顔……。
本当は帰って欲しかったけれど――と、花梨の思惑などコナンにわかるはずもない。
一度こうだと決めたらきかない彼に、花梨はしかたないかと折れることにした。
「……じゃあ、帰りは私が送って行くから、残る?」
「残る!」
……そう答えたコナンの顔は晴れやかだ。
「もぅ! ……それじゃ申し訳ないけど、花梨ちゃん、コナン君のことお願い」
「うん、任せて!」
「じゃあ花梨ちゃん。また、ね?」
「うん、また……」
蘭は花梨との別れを名残惜しそうに、一人カフェを出て行った。
「ん……? あ……コナンくん。これ、蘭ちゃんのじゃない?」
ふと、蘭が座っていた座席を見ると、交通系ICカードが残されている。
花梨はそれを拾ってコナンに見せた。
「っ、あいつ……! 渡してくる!(花梨といて浮かれ過ぎだろ……!)」
これから電車に乗って帰るというのに、ICカードを忘れたら乗れないじゃないか。
コナンは花梨からカードを奪って、走り出す。
「蘭姉ちゃん! カード忘れてるよ!」
「へ……? あ! 本当。ありがとう、コナン君! あ、でも今、電車止まってるんだって。タクシーで帰らなきゃ……」
カフェを出たところで、追いついたコナンからICカードを受け取ると、蘭はスマホを取り出し、タクシー会社の検索を始めた。
「そうなんだ?」
「うん、お父さんが言ってたの。強風でパンタグラフが折れてなんとかって。しばらく動かないみたい。コナン君が帰る時、運転再開してるといいんだけど……」
……と、そんなことがあり――。
実際駅に来て裏も取れた。
「……(このガキ……)」
快斗はコナンを見下ろし訝しく目を細め、口元だけ笑みを浮かべる。
コナンもじっと観察するように快斗を見上げていた。
「はっはっはっ! コナン。こいつ多分、花梨の側にずっといたよ」
……険悪な空気の中、突然松田が笑い出す。
「へ?」
「こいつ、花梨の番犬だからな。女友達とホテルのケーキバイキングに行ったんだろ? 大方、ロビーにでも潜んで、茶ぁすすりながら監視してたんじゃねーの? な?」
コナンが呆気にとられると、松田は快斗の頭を乱暴に撫でてニヤニヤ。
“どうだ? 図星だろ?”なんて声が聞こえてきそうだ……。
快斗は一瞬、背筋に冷たいものが走った。
(……こいつ、適当言ってるようで核心突いてきやがる。流石は本職かよ……!)
「……じ、実はそーなんすよ! オレ、花梨の公認ストーカーなんで!(……って、自分で言ってて虚しくなってきたけどな!)」
――ここは、ストーカーってことにしておくか……。
変装してずっと側にいました――とは言えない。
近くにいたのは確かだから、そうしておくことにした。
「ぷっ。快斗ってば、公認ストーカーってなに~? ストーカーって犯罪じゃなかったっけ……?」
「へへっ、花梨が嫌がってないから合法だろ?」
「ふふふっ、合法ストーカー? なにそれ~ふふふっ、おっかし~♡」
快斗が笑顔で明るく話すと、花梨は愉快そうに両手を口元に添えてくすくす笑っている。
彼女が何をしても愛らしく見える快斗だが、控えめに笑う仕草にキュン死しそうだ。
「……うぐっ!(ああ、もう可愛い……♡♡)」
(ねえ、花梨ちゃん、あなたなんでそんな可愛いの……!? 今すぐ拐ってしまいたい!!)
快斗は胸元をぎゅっと握りしめ、花梨に抱きつきそうになる衝動をどうにか抑え込んだ。
「「……」」
快斗の横で、松田とコナンも、花梨の無邪気な笑顔にしばし目を奪われる。
頬がほんのりと赤らんでいた。
「……あれが、葵花梨」
駅構内の柱の陰で、低くひそやかな声が呟かれる。
花梨は無邪気に笑い、陽光を浴びながら軽やかに周囲を見渡す。
その背後、柱の陰で人影の輪郭がわずかに揺れた。
視線は花梨に向けられている。呼吸の音は聞こえないが、空気が微かに震え、周囲の喧騒とは違う、冷たい静寂が一瞬漂う。
その主は、まだ姿を現さない。
しかし、確実にそこにいて――何かを狙っている。
花梨の笑顔と、その背後に潜む黒い気配。この甘く穏やかな午後の空気に、突如として潜む危険の匂い。
……誰も、この黄金色の瞳の少女に伸びようとする、泥のような執着を、まだ知らない。