▽前回のあらすじ
蘭が急用で席を外す中、花梨に甘え「あーん」されるコナン。そんな甘いひと時も束の間、駅では松田に尾行を看破された快斗が「公認ストーカー」と開き直り、男たちの奇妙な連帯感が生まれる。だが、無邪気に笑う花梨の背後には、彼女を「泥のような執着」で見つめる不穏な影が忍び寄っていた。
第144話
なにか起きそうで起き…!?
◇
ロッカー前には、電車の遅延で足止めされた人々が溢れ、ざわざわとした人混みができていた。肩がぶつかり、子どもが泣く――、イライラとした空気の中で、皆、少しでもスペースを確保しようと身を寄せ合っている。
コナンと快斗はそんな雑踏の中、もし爆弾が仕掛けられていたら――という最悪の事態を想像し、自然と息を詰めた。
「ほら、花梨。鍵貸しな」
一方で松田は、動じることもなく、いつも通りの落ち着いた様子でロッカーの前に立ち、手を差し出した。
「待ってよ、松田さん! ここは慎重にいかないと……!」
「そうだぜ、ボウズの言う通りだ。なにが入ってるか分かんねーし!」
花梨が返事をする前に、コナンと快斗は彼女の前に出て、制止の声を上げた。
二人は互いが気に入らないが、ここは同意見だ。
松田の服装も、いつものスーツ姿にサングラス――爆発物処理班の防護服に比べれば、あまりに軽装すぎるじゃないか。
そんな格好で、もし中に爆弾が仕掛けられていたとしたら……と考えると、二人の背中に冷たい汗が流れる。
「フッ。なぁに、大丈夫だって。駅に来るまでにイメトレしてきたからな。ほら、花梨」
心配する二人をよそに、松田はニヤッと不敵な笑みを浮かべた。
彼は、指先をくいっくいっと動かし、鍵を寄越すようにと催促する。
「「はあっ?」」
……コナンと快斗の声は同時だった。
なにをわけのわからないことを――と、二人の目が懐疑的だ。
反射的に互いの顔を見合わせ、一瞬の間をおいてから、同時に「チッ」と舌打ちをして顔を背ける。
「花梨、貸してみな。絶対大丈夫だから」
「……は、い……」
松田はサングラスを外して、優しい瞳で花梨を見つめる。
その落ち着き払った様子に、花梨の緊張も少し和らぎ、ポシェットからロッカーの鍵を取り出した。その手は、少し震えている。
「あ、おい、花梨。危ないからオメーは下がってろって」
……快斗は花梨の左側から、腰に手を引き寄せるように添え、松田の側に近づけたくないらしい。
さっきから松田と花梨の間に必ず、自分の身体を割り込ませるよう位置取って立っていた。
「そーだぞ、その鍵はオレが渡すから貸せよ」
コナンも似たようなもので、花梨の右隣にぴったりくっついていたが、今は花梨の前に立ちはだかり、守りの姿勢――。振り向いて花梨の手から鍵を奪った。
「あっ(快斗……新ちゃん……)」
コナンと快斗、男二人に守られ、花梨は申し訳なさに顔を俯ける。
――ごめんね、二人とも……陣平さんまで巻き込んじゃって……。
自分でも何が起こっているのか把握しきれていないが、関係のない三人を巻き込んでしまったことに、花梨の胸はチクチクと痛んだ。
……ちょうどその時、構内アナウンスが流れた。
『先ほどまで強風の影響により、運転を見合わせておりました東都環状線は、ただいま運行を再開いたしました。各列車には順次ご乗車いただけます。ご利用のお客様にはご迷惑をおかけいたしました。』
どうやら止まっていた電車が動き出したらしい。
駅に集まっていた人々が、一斉に改札へと向かい出した。
「はい、松田さん。気をつけてね」
「お、おう?(気をつけてね?)」
人の流れが激しくなった構内で、コナンはロッカーの鍵を松田に渡すと、花梨のそばに戻って、彼女の右手を引く。
「ちょ、ちょっと、コナンくんどうしたの?」
急にロッカーから離れるよう促され、花梨は困惑した。
「ほら、花梨姉ちゃん向こう行こう! 犠牲は少ない方がいいよ!」
「ぉ……だな! よし、花梨。向こうの角まで下がろうぜ」
手を引くコナンに加え、快斗が左から花梨の腰に手を添え、守るように自分の方へぐいと引き寄せ、爆風の届かない安全圏へと彼女を誘導する。
「あぁぁぁ……二人ともなに言って……。もし爆弾だったらロッカーの側にいる人たちが危ないよ……?」
「念のためだよ! 今、大声で言ったらパニックになる! 群衆雪崩でも起こしたらどうすんだ!?」
ただでさえ電車が止まり、通常よりも多くの人間が駅に集まっているのだから、下手に“爆弾だ!”なんて騒いだら、人々がパニックになりかねない。
一瞬の混乱で、周りの安全も危うくなる。
コナンは移動しながら一喝し、花梨の手を強く引っ張った。
「で、でも、陣平さんが……!」
「松田さんなら開けたらすぐわかるだろうし! もし爆弾が入っていたとしてもすぐには爆発しないと思うよ!」
快斗が人を避けるようにガードしながら、寄り添ってくれているのもあるが、グイグイと花梨を引っ張っていくコナンの小さな手は力強い。
「そ、そうなの?」
「人通りの多い駅のロッカーに、開けただけで爆発するような仕掛け、設置するのは難しいんじゃないかなー!?」
コナンは周囲を見回し、監視カメラの位置を指差した。
「ほら、あそこに監視カメラあるし!!」
「な、なるほど……さすが、し――コナンくん!」
“新ちゃん”と言いかけて、花梨は言葉を呑み込み、言い直す。
「だから念のために、ボクたちは下がろうよ!」
「……だな(ボウズの言う通りだぜ)」
コナンの言葉と同時に、花梨の腰に添えられた快斗の手にぐっと力が込められた。
「っ、わかった」
花梨は頷いて、二人の言う通りに安全な場所まで大人しく連れられて行った。
「……あいつら過保護だな~……まあ、俺も人のこと言えねえけど。ってーか、大丈夫だっつってんのに。信用しろよ……」
ぽつん、と一人ロッカーの前に残された松田は受け取った鍵を見下ろし、番号を一つずつ照らし合わせていく。
「B32、B32……と」
(俺の予知は反応しなかった……だから中身は爆弾じゃない)
ロッカーナンバーB32……。
松田は鍵を手に取り、軽く指先で回す角度を確かめた。
その間にも、背後から人々のざわめきが耳に入り、心拍が少し速くなる。
離れた場所で、花梨は手をぎゅっと握り、息を呑む。
コナンと快斗はロッカー前にぴったりと張り付き、松田の一挙手一投足を見守った。
松田が鍵を差し込み、回す。
時間が、まるで一瞬だけ止まったかのように感じられた。
カチリ――。
静まり返った空気の中で、錠前が外れる金属音がやけに鮮明に響く。
松田は迷いなく扉を引き開けた。
喧噪の静寂の中、全員の視線が一点に集中する。
その刹那、少し離れた場所にいたはずのコナンと快斗が、弾かれたように駆け寄って中身を凝視する。
「……封筒?」
ロッカーを開けるとA5サイズの茶封筒が入っている。
厚みは殆どなく、取り出してみると、中に書類か何かが数枚入っているだけの様子……。
「……中、見てもいいんかな? いや、駄目だな」
……表には“葵 花梨様”とだけ書かれていた。これなら、本人が開けても問題はなさそうだ。
そう思った松田は花梨を呼ぶことにして「か」と発声した直後――。
「なんの封筒? なにが入ってるの?」
「開けよーぜ!」
松田の真後ろからひょっこり。コナンと快斗が封筒を覗き込んでいた。
「おわっ!? お前らいつの間に……!?」
“さっきまで結構離れた場所にいたよな……?”と、驚いた松田は一歩後ずさる。
イリュージョンか……。
コナンもいたので、驚きは倍増しだ。
「ちょ、ちょっと二人とも~! それ、私宛てでしょ~……!」
出遅れて、花梨が走って来た。
「ンもう、二人とも、私を権堂さんに任せて、すぐ戻っちゃうんだから……心配したよ」
花梨の後ろから権堂もやって来て、松田に頭を下げる。
どうやらコナンも快斗も、花梨が気付かないうちに、近くに控えていた権堂とアイコンタクトを取っていたらしく、彼女の側に連れてくるよう頼まれていたようだ。
権堂に花梨を預け、二人はすぐ松田のもとへもどって来た……ということだった。
「ははは……けど、松田だけに任せるってのも悪いじゃん?」
「松田
快斗の軽口に、松田は敬称を付けるようにと注意する。
「松田さん、その茶封筒、中はなんだったの?」
コナンは早速封筒に食いつき、中身を知りたい様子で見上げた。
「花梨宛てで間違いないらしい。書類かなんかが入ってるみたいだぞ。危険はないな」
「はあ……そっか」
憶測ではあるが、松田は自身の見解を交え、花梨に封筒を手渡す。
それを聞いたコナンは深い安堵のため息をついた。
「葵 花梨様……ホントだ……。なんだろう……」
花梨がピラッと裏を見ると、差し出し人名のイニシャルだろう。
【H.R.】とだけ書かれていた。
その文字を目にした瞬間、花梨の心臓が冷たい指でなぞられたような、得体の知れない悪寒が全身を駆け抜ける。
「……っ」
「花梨さん。封を切るなら、これ使って下さい」
権堂が「事務作業でよく使うんです」と小さなペーパーナイフを貸してくれる。
「ありがとうございます」
花梨は息を呑み、手渡されたペーパーナイフを持つ手をわずかに震わせた。
コナンが鋭く目を細め、快斗もまた、彼女を守るように拳を固く握りしめる。
……ゴクリ。
誰かの喉元で小さく音がした。
ズッ、ズッ、ズ――とペーパーナイフを滑らせ、慎重に封を切っていく。
一瞬、時間が止まったかのような緊張が、その場を支配した。
開封された封筒を覗き込む。
そこには、たった一枚のメモと数枚の写真が収められていた。