▽前回のあらすじ
爆弾の可能性を危惧し、花梨を必死に遠ざけるコナンと快斗。二人の過保護な視線に見守られ、松田が静寂の中でロッカーを開けると、中には花梨宛ての封筒が。危険がないことに安堵する一同だったが、封筒の裏に記された謎のイニシャル【H.R.】を目にした瞬間、花梨は得体の知れない悪寒に襲われる。
第145話
封筒の中には何が入ってるんでしょうね~。
(……なに、これ……?)
写真はどれも花梨自身のものだった。
駅のホーム、信号待ちの交差点、カフェの窓際。
どれも少し引きで、けれど花梨の顔ははっきり写っている。
正面を向いているものもあり、一見、誰かに頼んで撮ってもらったような自然な構図。
だが、よく見ると――。
(これ……全部、私が気づいてないときの……?)
カメラ目線に見える写真の目線は、微妙にカメラを外している。
画角も、一般的なスマホよりやや高めか低め。
どれも“誰かが隠れて撮った”としか思えない、不自然な角度だった。
……花梨の背筋が凍る。
(じゃあ、これ……誰かがずっと見てたってこと……? 盗撮……? いったい誰が撮ったの……あ)
ふと封筒の奥のメモが目に入った。
その文字を読み取った瞬間――花梨の視界がぐにゃりと歪み、心臓が握りつぶされるような衝撃が走った。
だが、0.1秒後。彼女は、これまでの人生で培ってきた「完璧な人形」の笑顔を張り付かせた。
「……っ、わ~、頼んでおいた写真、できたんだ~! よかった~♡」
そう言って、震える手を押し込めるように、封筒をぎゅっと胸に抱きしめる。
「え……ちょ、ちょっと花梨姉ちゃん?」
「ん~?」
「“ん~”じゃないよ! どう考えても不自然でしょ!!」
さすがは探偵か――。
コナンが慌てた様子で写真を奪おうとジャンプした。
「別に不自然じゃないよ~、ほら、この写真。よく撮れてるよね!! 私、可愛い~♡♡」
……全ての写真をコナンに見せるわけにはいかない。
聡い彼なら盗撮だということくらい、すぐに見抜いてしまうだろう。
花梨はカメラ目線で撮られている写真を選んで、コナンに渡し、同じポージングをしてみせた。
「か、可愛いけどさ。でも、これ、ちょっとおかしくない?」
“可愛い”に同意するコナンの隣で、快斗が“チッ”と舌打ちをする。
花梨に可愛いって言っていいのはオレだけだろ――とでも言いたげに、コナンに険しい目を向けた。
「そう、かなぁ? お願いしたやつだから変ではないと思うけど……こんなもんじゃないかな?」
にこにこと花梨は、喉の渇きを感じながら笑顔で応える。
「充分変だよ。他の写真も見せてよ」
コナンは訝し気に眉を寄せて、別の写真も寄越せとねだるが、花梨は首を横に振って「ダメ、他のはちょっと恥ずかしいからヤダ~」と、にっこりと笑う。
「……」
写真を見てから機嫌が良さそうな花梨に、快斗は違和感を感じた。
(……花梨、さっき、ちょっと顔色変わんなかったか? 見間違いか……? いや、でも――)
一瞬だけよぎった花梨の表情。
笑顔で塗り潰されたように見えて――、快斗は釈然としないまま視線を外す。
「……なあ、花梨。その写真、俺が貰ってもいいか?」
「あっ!」
ふと、それまで黙って見ていた松田が、コナンの手元にある写真をひょいと取り上げ、花梨に微笑みかけた。
……コナンは不服そうに「なんで……」と頬を膨らませる。
「えっ? ど、どうして……?」
「……可愛い……から?」
「っ……か、可愛いって……ど、どうぞ?」
目を瞬かせる花梨。
松田はニッとなだめるように笑いながら、写真を指先で弄んだ。
(……素人が撮った構図じゃねぇ。画角、ピント、対象との距離感……。こいつは「鑑識」行きだな)
笑顔で封筒を抱きしめる花梨の、微かに震える指先を、松田の鋭い眼光は見逃さなかった。
……そのまま花梨の写真を懐のポケットへとしまう。
そんな彼に反応したのは快斗だった。
「なっ!? 松田ぁっ! 抜け駆けすんな! オレの彼女だ、オレが貰うっ!!」
「ちょ、ちょっと快斗……!」
急にいきり立つ快斗を花梨が止めに入る。
「く・ろ・ば~!! ま・つ・だ・さ・ん、なっ!? 敬称を付けろっつってんだろっ!」
「っ、花梨っ! オメーの写真がなんでこいつに渡るんだよ!! おかしいだろっ!!」
(くっ……松田に取られた!? オレの彼女なのに……)
松田の襟を引っ張り、写真を奪おうとしながら快斗は花梨に訴えるが、花梨は苦笑い。
「そ、そんなこと言われても……欲しいっていうからあげただけでしょ……」
花梨自身、自分の写真など別に要らない。
そもそもただの盗撮写真。思い入れなどあるわけがない。
「じゃあ、ボク、残りの写真欲しいなあ~」
欲しいって言えばくれるのか――と、コナンは花梨の執着の無さは熟知している。
ねだるように告げてみればきっと。
「っ、それはイヤっ!!」
「っ……!? なんで~?」
それはできないと花梨は、封筒を死守するように抱きしめる。
普段の彼女なら、たとえ自分の大切な物であっても、望まれればすぐに差し出すはずなのに……。
(なんだ? 花梨のこの反応……。どうみてもおかしくないか……?)
コナンも花梨の反応に、違和感しか感じられない。
……どう考えても、彼女は何かを隠している。
自分の目を誤魔化そうとするなんて百年早い――、コナンはじっと花梨に訝しい目を向けた。
「こっちの写真は……見せられないの……。ちょっと、アレだから……」
――この写真は盗撮されたもの……外で撮られたものだけど、他にも撮られた写真があって、それがもし、家の中も撮られていたとしたら……?
私、たまに裸で過ごしてるんですけど……なんて思い出して、花梨の頬がぽっと赤らんだ。
「っ!?(な、なんだよその反応!?)」
「「えっ!?」」
急に頬を染めた花梨に、コナン、快斗、松田。男三人の頬まで赤くなる。
……何を想像したのか、しばらく沈黙の時が流れた。
◇
「――っと、とにかく。なにもなくてよかったぁ……♡ ありがとうございました! そして、お騒がせしました! このお礼はいつか。あ~、緊張してソンしちゃった♡ 快斗、そろそろ帰ろう? コナンくんも送ってかなきゃ」
「あ、ああ……」
花梨は、松田から貰った手提げの紙袋に封筒をしまい、頭を深々と下げてから快斗の袖を引く。
それに応えるよう、快斗が花梨の腰に手を回すと、コナンの眉がピクリと動いた。
だが、コナンに快斗と花梨の邪魔をできるはずもない。黙ってそれを見るだけ……。
松田も特に何を言うわけでもなく、何か考え事をしていた様子だったが、花梨の言葉にふと気づく。
「ん? あー、コナンて最寄り駅、米花だっけ?」
「そうだけど……?」
松田に声をかけられ、コナンは彼を見上げた。
背が高い彼を見上げると首が痛いが、松田は以前にもそうしてくれたようにしゃがんで、目線を合わせてくれる。
「日も暮れて来たし、俺、米花警察署に寄って帰るから、ついでに送ってやるよ」
「え、ボクは花梨姉ちゃんに……」
コナンがチラッと花梨に目配せするが――。
「ふふっ、陣平さんが送ってくれるなら安心だね。コナンくん、またね♡」
目が合うとぱちん。
花梨は小悪魔のように可愛くウインクをして、軽く手を振った。
(……っ!!)
コナンは心臓を射抜かれると同時に、激しい敗北感に襲われた。
(逃げる気だな、お前……! オレが、この「顔」に弱いって分かってて……!)
あざといまでの可愛さで境界線を引かれ、踏み込むことを許されない。
「おかしい」と理性が叫んでいるのに、彼女の笑顔に毒されたコナンの身体は、それ以上の追及を拒んでしまう。
(……待てよ、花梨。お前、今「
コナンは苛立ちを覚えたものの、快斗が当然のように距離を縮め、花梨の耳元で囁くように改札に促していることに気づいて、とっさに俯く。
二人の仲睦まじい様子を見るのは、少々辛い――。
奪いたい、問い詰めたい。そんなドロリとした執着が胸の奥で渦巻くが、今の自分にはそれをぶつける資格も、この小さな身体のままでは、彼女を繋ぎ止める術もなかった。
「じゃあな、花梨。コナンは俺に任せとけ」
「陣平さん、今日はありがとうございました」
「いーっていーって。お前が無事ならなによりだ」
……コナンが俯いている間に、松田が花梨と別れの挨拶を交わしていた。
「コナンくん……?」
「っ……またね!」
……しょうがない、今日はこれで見逃してやるよ。
花梨の柔らかい声が頭上でして、また改めて電話でもするか――と、コナンは花梨と快斗を見ないようにしながら手を振った。
「うん……今日はありがとう」
――ありがとう、新ちゃん……。
花梨は、背中にコナンと松田の視線を感じながらその場をあとにする。
いつもの如く、権堂が「少し離れてますね」と数メートル距離を取ってくれた。
「なあ、花梨……他の写真だけどさ、オレには見せてくれるよな?」
……花梨と快斗は、コナン、松田と別れ、列車遅延で混み合う駅ホームにやって来た。
やっと二人きりになると、快斗は写真が気になるのか、花梨から奪った手提げ袋に入った封筒に目を落とす。
「え……? ダメだよ~。恥ずかしいって言ったよ?」
花梨はやはり見せたくないようで、首を横に振った。
「えー、いいじゃん……オレ、花梨の全部知ってるのにー」
「ちょ、ちょっと快斗。そういうこと外で言わないで……」
「ちょっとだけ……!」
混雑するホームで、誰がこの会話を聞いているかわからない。
恥ずかしさに頬を赤くしながら、花梨が快斗の口に手を当てるも、食い下がられた。
(もう……どう言えば諦めてくれるの……?)
快斗は言い出したらきかない。
ここは新一と似ているなと思うところだ。顔が似ていると、性格も似たりするのだろうか……。
けれど花梨は、快斗の要求を自ら下げさせる方法を知っている。
「……嫌なものはイヤ。ね、快斗。私の写真、勝手にいっぱい撮ってるやつ見せてくれる? そしたら見せてあげてもいいよ?」
花梨は快斗が事あるごとに、こっそり自分を撮影していることは把握済み。
始めはSNSにでも上げたりするのかと思っていたが、以前快斗に聞いたら、SNSはやっていないとのこと。
ならば、なぜ……と思っていたら、たまに撮った写真を見てニヤニヤしていて――。
ちらっと見てみたら、そこに写っていたのは私だった。
きちんと声をかけてから撮ってくれているし、まあいいかと放置していたが、どうもそれだけではないようで……料理している時や、本を読んでいる時、ウトウトしている時なんかも、時折シャッター音が聞こえるのだ。
恐らく快斗はこっそり――。
「う……そ、それはちょっと……。オレだけのっていうか……見られたくないっていうか……」
……快斗の額に汗が浮いた。
図星だったようだ。
「……でしょ? 誰にだって見られたくないものってあるんだよ……。ごめんね」
「……オレも、ごめん。ちょっと傲慢になりすぎた。盗撮とかして……」
「ううん、快斗は私の公認ストーカーだからいいよ。ふふふっ♡」
「花梨……♡」
花梨が謝ると、快斗も頭を下げる。
公認ストーカーとして許すと言う花梨を、快斗はぎゅっと抱きしめた。
花梨は快斗の胸に顔を埋め、彼にしか見えない場所で、そっと瞳を閉じる。
(ごめんね、快斗……。これだけは、あなたにも見せられないの)
手提げ袋の中で、あの忌まわしいイニシャル入りの封筒が、じっと出番を待つ毒蛇のように潜んでいる。
快斗の腕の温もりを感じれば感じるほど、花梨の心には、底の見えない暗い影が色濃く落ちていった。