▽前回のあらすじ
新一から告げられた雅美の死。運命の足音に震える花梨を、新一は彼なりの言葉で必死に繋ぎ止めようとする。「いつでも頼れ」という名探偵の誓い。その温かさに救われながらも、花梨は「次」のない別れを独り静かに受け入れる。五月の夜、二人の心はすれ違ったまま、終焉へと加速していく。
第156話
今回はキャラ視点のオマケ付きです。
◇
花梨はベランダに出て、街の灯りをぼぅっと眺める。
暗い夜に輝く無数の光が、雅美の魂を
……もし誰かの未来が視えたとしても、その人の命運を左右できるのは本人だけ。
未来をたまたま垣間見た花梨が、どうこうしたりすることはできない。
生も死も、その人自身のものであり、他人である花梨が、軽々しく口にしていいことではない。
先を知る、別の運命を生きている赤の他人が下手に介入すれば、事態が悪くなり、別の犠牲者を伴うことがある。
だから花梨はみだりにそれを口にしたりはしないし、たまに他人の死を視ることがあっても、ただ見守ってきた。
“苦しむことがないように……”と、せめてもの祈りだけを捧げて。
けれど、自分の死期が近いのだから、最期くらい多少好きに振る舞ってもよくないだろうか――。
そう思った花梨は、あの日の雅美の質問に“イエス”と答えた。
雅美の質問にも驚いたが、これは異例だった。
……ホテルで雅美と交わした会話。
『花梨さん、彼を知っていますか?』
『はい……知っています』
雅美に会いたいと誘われ、会いに行ったホテルの一室――彼女の部屋で、花梨はスマホの画像を見せられた。
そこに映った男性の姿に、見覚えがあった花梨は頷いた。
意外なところで、意外な人と繋がっているものだな――なんて、縁の妙を感じたものだ。
そういえば以前、諸伏からきたメッセージは前触れだったのかもしれない。
あれから返事はないが、彼は元気にしているのだろうか……。
“ヒロお兄ちゃんに限って、無茶はしないとは思うけど……”と考えていると、雅美から次の質問が投げかけられた。
『彼に――あなたの名前を出しても構いませんか?』
『……構いません。雅美さんのお好きなように』
『……ありがとうございます』
何もできない花梨が答えたのは、彼女の質問を肯定する返事二つだけだ。
花梨には、それしか言うことができなかった。
彼女の運命にもう少しだけでも触れることができていたら、未来は違ったものになったのかもしれない。
……そう思うと未来を知っていた身でも、胸が苦しくなる。
「ぅ……っ……」
――雅美さ……いえ、明美さん……!
一度は止まった涙が頬を伝って流れていく。
夜風は冷たいが、静かに光る無数の灯りがなんだか優しく思えて、また涙がこぼれた。
……広田雅美、彼女の本当の名は【宮野明美】――。
とある組織に属する一員。
彼女は妹と組織を抜けることを夢見て、今月あった十億円の銀行強盗に手を染めた。
花梨が見た未来は、その事件の先で、黒ずくめの男に彼女が撃たれるというもの……。
そして、その場にはコナン――小さくなった新一の姿があったのだ。
下手に花梨が介入し、彼がもし、その代償を払うことになったなら――。
未来は、大筋は決まっているとはいえ、不確定だ。
……大事な幼なじみを巻き込まないために、花梨は結局なにも言えなかった。
「っ、ごめんなさい……っ!」
ベランダの手すりを掴み、こうべを垂れる。
……不確定な未来は変えることができる。
けれど、それは本人が変えるしかない。
心苦しいが、花梨には見守ることしかできなかった。
いつものように、ただ祈ることしか――。
今回少し違ったのは、“おまじない”を施したことだが――あの場にコナンがいたことを見ていなければ、もっと何か別の方法を提案できたかもしれない。
「ぅ……っ……」
花梨は死も大事なプロセスだと認識しているが、やはり知り合いが亡くなったと思うと、悲しいものである。
……そうして、花梨は弔いの灯りの前で、すすり泣いていた。
「……っ……」
――どうしよう、涙が止まらない……もうすぐ快斗が来るのに……。
このあと、快斗の訪問が控えている。
二人きりでいられる最後の夜だというのに、笑顔で迎えて楽しく過ごしたいというのに。
涙に濡れるまぶたを手で拭って、笑顔を作ろうと試みる。
……口角を上げようとする唇が、震えてぎこちない。
笑顔はうまく作れなかった。
そんなとき――。
「……どうして、泣いているんですか?」
「っ!? この声……」
ふと、頭上から彼の声がして、花梨は上を見上げて息を呑む。
そこにいたのは、屋上から伸びたロープにぶら下がっている怪盗キッド――。
彼はロープを何度か揺らして反動を付け、トンッと、軽やかにベランダに降り立った。
「……オレのお嬢さん――花梨を泣かせたのは誰だ?」
「キッドさん……」
ベランダに着地したキッドは、すぐに花梨の傍に寄り、腰に手を添え引き寄せる。
いつもより、少し怖いくらいの真剣なまなざしに覗き込まれた。声も普段より低く、怒っているように聞こえる。
急に近づいた距離に、花梨の頬は一気に赤く染まった。
「なにがあった? なんで泣いてる?」
「っ……これは……ちがうの」
「……身体が冷たい。ずっと外にいたのか? 中に入ろう」
キッドの質問に花梨は俯き、首を横に振る。
そんな花梨の言葉を無視して、彼は快斗の口調で彼女を部屋に連れていった。
窓を開け放ち、二人は部屋の中へ。
……部屋の中は暖かかった。
キッドはまず、花梨をソファに座らせ、自身は部屋のカーテンを閉め切る。
俯く花梨に寄り添う前に、シルクハットとモノクル、手袋を外した。
ついでにジャケットも脱いで、彼女の肩に掛けてやる。
そしてやっと、花梨の隣に腰を下ろした。
「……花梨ちゃん、なにがあったんだ? 言ってみな?」
先ほどより優しい声が耳に届いて、花梨は恐る恐る顔を上げる。
「……っ、あの、ね」
「うん……」
顔を上げた花梨の目の前には、青いシャツを着た快斗の泣きそうな顔――。
ふいに彼が、花梨を包み込むように抱きしめてきた。
「か、快斗……?」
「……無理には聞かない。けど、ハグくらいさせて。でないとオレ、心配でたまんねえの」
急に抱きしめられた花梨は、どうしていいかわからず、快斗の動きをそのまま受け止める。
彼の腕の中は温かくて、ほっとした。
「……快斗……」
「ごめんな、今週、放課後一緒できてなかったもんな。寂しかったよな?」
快斗は、花梨が今週一度も一緒に帰れなかったから、寂しくて泣いていたのだと思ったらしい。
「そんなことはないけど……」
「……っ、そ、そっか……! ならよかった……! あー、焦った焦った」
……素っ気ない花梨の返答に、快斗の目に涙がちょっぴり滲んだ。
(そこは“寂しかった~”って、言って欲しかったな~……まぁ、いいけど……)
涙の原因が自分だったらいいのに――と思った快斗だが、違うことはわかっていた。
ほんの冗談のつもりで、“寂しかった”と言ってくれたらいいな~程度に、ちょっと口走っただけである。
自分ばかりが好き過ぎるような気がして、快斗はそんなつれない彼女を抱きしめる腕に力を込めた。
すると、花梨もぎゅっと抱きしめ返してくる。
(おおっ、抱きしめ返してきた……!)
……快斗の頬がぽっと赤く色づいた。
「……あのね、快斗」
肩口に寄せた声は震えていた。
抱きしめる腕の温かさに、少しだけ心が解けていく。
「うん」
「日曜日にね、雅美さんに会ったじゃない?」
「雅美さんて……あー……あの人?」
たしか、日曜――花梨を呼び出した黒髪の女性だったか。
花梨の説明に、快斗は広田雅美を思い出す。
妨害電波が邪魔をして、二人の会話はほとんど聞き取れず、慌てて駆け込んだ客室。
そこにいたのは黒髪おさげの女性だった。
一時期、花梨が似たような髪型をしていたから、ちらっとしか見ていないが、印象に残っている。
訳ありそうな感じがしたが、花梨に対して敵意はなさそうで、むしろ好意的だったような……。
「うん……彼女、亡くなったんだって」
「え……、な、亡く……?」
肩口で花梨の声を聞き、快斗は動揺した。
(ど、どういうこと……!?)
だって、日曜見た彼女、別に病気を患っているような感じではなかったじゃないか――と、急な訃報に驚きを隠せない。
詳細を訊きたい快斗の手が、花梨の肩をそっと押して向かい合った。
「……さっき、コナンくんから連絡もらって……。それで、泣いてたの」
「なんで、急に……?」
「……わからない。詳しくは教えてもらえなかったの。ただ、亡くなったとだけ」
「じゃあ、事故か……? そっか……それで――」
花梨から詳細が語られ、快斗は涙の理由を知り納得する。
……快斗がベランダに降り立ったとき、花梨の足元、手すりの下が濡れていた。
相当泣いたに違いないが、声は聞こえなかった。
彼女のことだ、近所迷惑だとかなんだとか考えて、声を押し殺して泣いていたに違いない。
「わかった花梨、いっぱい泣きな。オレの胸貸してやる」
快斗は両腕を広げ、やさしく首を傾げて『おいで』と招く。
「快斗……。でもシャツ汚れちゃうよ?」
「いいよ、鼻水でもなんでもどーんとこい! ほらっ!」
花梨が遠慮がちにためらうと、待ちきれなくなった快斗の手は再び花梨を抱き寄せた。
「っ、ふふっ♡ 快斗って優しいね」
「そっかぁ? だとしたら、花梨にだけトクベツだな」
「トクベツ……ふふっ、ありがとう快斗。だいすき……♡」
快斗を見上げる花梨の瞳から、ぽろぽろと涙が溢れ出す。
……笑顔なのに泣いている花梨が、あまりに綺麗で。
その顔の美しさといったら――。
一瞬、息を呑んで、快斗は花梨に見惚れた。
「っ……あーあ、泣いちゃってまー……ほらほら、思いっきり泣きな! たくさん泣いて、雅美さんを送ってやりな」
「わっ……! っ……ぅぅ……ああああっ……!」
……今は彼女に見惚れている場合じゃない。
勝手に熱くなった頬を誤魔化すように、快斗は花梨の頭を寄せ、胸に押し当てる。
“さあ、安心して泣けよ”
言葉には出さなかったが、花梨の珍しい大きな泣き声に、心を預けてくれているのだと思うと、快斗の心は満たされた。
オマケ①
※快斗視点
今夜は、どうしても花梨の顔が見たかった。
自分でも理由はわかっている――四日間もろくに一緒に帰れていない。
「忙しい」なんて言ってごまかしているが、本当は胸の奥がずっとざわざわしていた。
会いたい。
声を聞きたい。
……触れたい。
そう思いながら、バイトをしていても、怪盗としての仕事の準備をしていても、頭の半分は花梨のことばかりだった。
十時半を回った頃、ようやくキッドとしての段取りを終えた。
ロープを握ったとき、ふと――胸がざわつく。
(なんか……嫌な感じがする、胸が重い)
気のせいならいい。
でも、こういう“なんとなく”ってのは、たまに当たる。
特に花梨のこととなると、余計に敏感になる。
(ちょっとだけ……覗いてみるか)
ロープを伝って花梨の部屋のベランダへ近づく。
窓の明かりはついている。
なのに――彼女の姿は中ではなく、ベランダの手すりのところにあった。
(……外で? なんで――)
もう一歩近づいて、息が止まる。
花梨が……泣いていた。
声を押し殺して、肩を震わせて。
月明かりに濡れた頬がきらきら光って、胸がぎゅっと締めつけられる。
瞬間、全身の血が逆流したような怒りが湧く。
(誰だ。誰が花梨を泣かせた――オレ以外のなにかが、彼女をこんな顔にしたなんて――耐えられねぇ)
オレは動揺して震える声で、搾りだすように言った。
「……どうして、泣いているんですか?」
「っ!? この声……」
花梨の肩がビクリと揺れて、ゆっくり顔を上げた。
その目が真っ赤で、涙の跡が濃くて――胸が痛む。
ロープを一気に揺らし、ベランダに飛び移る。
落ちた衝撃もほとんど感じなかった。
とにかく早く、彼女に触れたかった。
「……オレのお嬢さん――花梨を泣かせたのは誰だ?」
声が低くなるのは止められなかった。
怒りというより、不安のほうが強かった。
「キッドさん……」
オレを呼ぶ花梨の声はか細い。
(泣かさないって、いつも思ってんのに……!)
どんな理由であれ、オレの意思で泣かせる以外で、彼女が泣く姿を見るのは耐え難い。
……ベランダの風が冷たい。
花梨の手が少し震えているのに気づいて、思わず腰を抱いて部屋の中へ引き寄せた。
(風邪なんて引いたらどうすんだよ……)
部屋の明かりの下で、もう一度花梨を見る。
さっきより泣き顔がはっきり見える。
(ああもう、なんで……なんで泣いてんだよ……! いや、理由はあとでいい。今は――)
シルクハットを外し、モノクルを外し、手袋も脱いで。
肩に脱いだジャケットを花梨に掛け、少しでもあったかくしてやる。
「……花梨ちゃん、なにがあったんだ? 言ってみな?」
言った途端、花梨がこちらを見た。
泣き止もうと頑張ってる顔。
泣いちゃだめだと思ってる顔。
そんなの、逆だ。
泣きたいときは泣いてほしい。
だから――
(もういいや)
理性より先に身体が動いた。
花梨をぎゅっと抱きしめる。
(守りたいとか、慰めたいとか……そういうのじゃない。今はただ、離したくない)
その瞬間、彼女の小さな手が、ぎゅっと背中を掴んだ。
(……あ)
それだけで胸が熱くなる。
(頼られたってだけで、こんなにも胸が熱くなるなんて……オレ、やっぱりこの子のこと、どうしようもなく好きだわ……)
まだ花梨は泣いている。
涙がシャツに落ちて、温かい。
(こんくらい、いくらでも濡らしていいんだぞ。泣きたいだけ泣きな。今日は全部受け止めるから)
声には出さない。
でも、抱きしめる腕にちゃんと込めた。
花梨の涙が、ひとつひとつ落ちていくたびに、“好きだ”と心の中で繰り返した。
オマケ②
※花梨視点
風が少し冷たかった。
それでも部屋に戻る気になれず、私はベランダの手すりに指をかけ、街の灯りをただ見つめた。
(……明美さん)
胸の奥にまだ涙の余韻が残っている。
新ちゃんの声が頭の中で反芻されるたび、胸がきゅっと痛んだ。
未来が視えても、何もできない。
見守るしかできなかった。
その無力感が、涙と一緒に何度もこぼれ落ちていく。
(ごめんなさい……言えばよかったのかな。でも……言ったら、変わってしまう。別の誰かが傷つくかもしれない)
その考えが、私を縛っていた。
ずっと、ずっと。
明美さんの微笑みを思い出し、胸がぎゅっと締め付けられる。
“見守るだけ”の自分が、急に無性に情けなく思えた。
(……でも。私がいなくなる前に……せめて、少しだけ……何か力になりたかったな……)
ぽたり、と涙が手の甲に落ちた。
その時――胸の奥に、別の痛みが生まれる。
(快斗……)
会いたい。
声が聞きたい。
抱きしめてほしい。
でも――、
(泣いてる顔なんて……見られたくないよ……)
今夜は、最後の“いつもの夜”になるかもしれないのに。
笑顔で迎えたいのに――。
だけど涙が、全然止まらない。
手のひらで頬を拭き、必死に笑顔を作ろうとする。
「……ん……だめ……」
唇が震えて、うまく笑えない。
息を吸っても、胸が苦しい。
……背中に冷たい風があたる――。
(こんな顔……見せられないよ……)
そう思ってベランダに背を向けた瞬間だった。
上のほうで、空気がずれた気配がした。
「……ん?」
顔を上げる。
夜空から、白い影がゆらりと揺れて降りてくる。
「……どうして、泣いているんですか?」
「っ!? この声……」
その輪郭がはっきりした瞬間、心臓が跳ねた。
(……え……き……キッドさん……?)
涙で滲んだ視界の向こうで、彼がこちらを見ていた。
月明かりの下。
月明かりの下で、まるで――泣いている自分を探し当てたように。
そして、次の瞬間。
「……オレのお嬢さん――花梨を泣かせたのは誰だ?」
あまりにも優しくて、あまりにも真剣で、その声を聞いた瞬間――。
……少しだけ安心した自分もいて。
涙が、またひとつ落ちた。
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読了ありがとうございます。お疲れ様でした。