▽前回のあらすじ
雅美の訃報に、独り静かに涙する花梨。新一(コナン)からの重い知らせと、変えられない運命の残酷さに打ちひしがれる彼女の前に、月夜を裂いて怪盗キッドが舞い降りる。彼だけに見せる、子どものような慟哭と孤独。二人の「最後の夜」が、切なくも温かく更けていく――。
第157話
さあ、たーんと召し上がれ☆
◇
「くぅ~~っ♡ この肉じゃが絶品すぎだろっ! 花梨ちゃん、オレの胃袋完全に掴んでるよな~っ♡♡ おかわりっ!!」
「そ、そうかな……昔から作ってるものだし、褒めすぎだと思うけど……」
快斗が空になった茶碗を差し出し、花梨はそれを受け取って白米をよそう。
うまいっ、うまいっ――と、快斗は花梨の作った肉じゃがに舌鼓を打つ。おかわりは三杯目だ。
つい、三十分前まで泣いていた花梨だったが、今は泣き腫らした顔で頬をほんのり赤くして、快斗に茶碗を戻した。
「いや、マジで。この味つけスゲー好き。こんなうまい肉じゃが食ったことない。一生食いたい。見た目天使なのに、料理天才とかできすぎてね?」
「ほ、褒めすぎだってば……でも、褒めてくれてアリガト……」
真っ直ぐ真面目な顔で快斗が言うものだから、花梨はしゃもじを顔の前に持ってきて縮こまる。顔が耳まで赤くなった。
快斗から褒め言葉はよく言われるが、元々は聞き慣れていない言葉たち。恥ずかしさが勝ってしまい、どうしたらいいのか――身体がむず痒い。
勝手に手が少し震えてしまう。
「……かぁ~い~♡(照れてら……)」
真っ赤な顔を隠すようにしゃもじを構える花梨が、快斗は愛おしくて仕方ない。
今日はいろんな花梨が見られているな――と、目元も口元も勝手に緩んでしまう。
「っ……わ、私、おみそ汁のおかわり持ってくるねっ!」
「さんきゅ~♡」
快斗の熱い視線に耐えられなくなった花梨は、慌てて席を立ち、空になったみそ汁の椀を手に、キッチンへと逃げていった。
(……ホント、可愛いんだよなぁ……♡)
逃げたとはいえ、快斗は彼女から目を離さない。
じーっと目で追っていると、そのうち花梨も気づいて、あたふたしてしゃがみ込んだ。
「……プッ(可愛いやつ……♡)」
一日の終わりに、彼女の顔を一目でも見てから終えたいと思い、僅かな時間だけでも――と、毎夜顔を出してはいたが、今夜は最終日だ。
なんの最終日かといえば、つい、三十分前――。
*
「ううっ……!」
「よしよし……」
“ぐ~きゅるるるる……”
泣きじゃくる花梨を宥めていた快斗だったが、突然の出来事に固まった。
……腹の虫が鳴ってしまったのである。
「ああぁぁー……っ? い、今の、は……?」
「あ」
“ぐ~きゅるるるる……”
花梨に返事をするように、快斗の腹の虫が派手に鳴り響いた。
「お腹……減ってるの?」
「……う、んー……(オレって奴は、なんつーか……こう、なー……)」
びしょ濡れの顔が快斗を見上げ、瞳をぱちぱちと瞬かせる。
快斗は格好がつかず、目を閉じ唸った。
「ごはん、あるよ? 食べてく? それとも今日も持ち帰る?」
月曜から水曜まで、花梨は夜遅く訪問してくる快斗に、お裾分けとしておかずを持たせていた。
だから今夜もそうするのかと尋ねたのだが――。
「……遅いけど、食ってってもいい?」
今夜は花梨の家でご馳走になろうと思う――と、快斗は腹を擦る。
……家までは、ちょっともちそうにない。
「ん、もちろん! 快斗が来るって言ってたから、多めに作っておいたんだ」
“今、温めるね”
そう言う花梨は涙がすっかり引っ込んだ様子で、キッチンに向かう。
チチチッとガスコンロの点火する音が聞こえた。
「ありがとう! スゲーうれしい! 仕事終わりだと腹減ってしょうがなくてさー。作るのも、買って帰るのも面倒だし、花梨がおかず持たせてくれたから乗り切れたよ」
「お仕事って……キッドさんの?」
快斗がカウンターテーブル席に着くと、花梨が目を瞬かせる。
“キッドさんのお仕事は、金曜日じゃなかったっけ……?”と、彼女の瞳が語っていた。
「ん? う、うん、まあ、そんなとこ……」
(やっべぇ……口が滑ったぜ。放課後にバイト行ってることは黙っておかねーとな!)
快斗はテーブルに頬杖をついて、料理を温め直す花梨を見つめる。
そんな彼に、花梨は目を合わせ小さく笑った。
「そうなんだ? 連日大変だね、おつかれさま。快斗が無事でなによりだよ」
「お、おう! ダイジョブダイジョブ! オレ、悪運つえーし!」
本当は月曜からアルバイトをしていたんだ……と、快斗は言わない。
(……ハハッ。まさか世界を騒がせる怪盗が、放課後に皿洗いやら品出しやらで小銭稼いでるなんて、中森警部が見たら腰抜かすだろうな)
大阪に着いたらサプライズで、“お付き合い一か月記念”としてプレゼントを贈ろうと思っているのだ。
……明日は、二人が付き合い始めてちょうど一か月。きっと花梨はそんなこと覚えていないだろう。
けれど快斗にとっては、大切な記念日。
すでにアクセサリーショップには予約を入れてある。
明日午前中に学校を抜け出し、狙っていた例のものを――と。それまでは黙っておかなければ。
快斗は、不思議そうな顔をする花梨に笑顔で誤魔化した。
……つまり、今夜はバイトが完了した最終日なのである。
*
「は~♡ うまかった~♡ ごちそうさまっ! 食い過ぎちまったかも……」
食事を終え、手を合わせた快斗。
ゲプッと満足げな吐息をつき、膨らんだ腹を撫でた。
「ふふっ、残してくれてもよかったのに、苦しくない?」
「んー。ちょっと苦しい……これから帰るの面倒くさいな~?」
出した料理をすべて平らげ、皿は見事にからっぽに。
花梨がキッチン側から“これだけ食べてくれると気持ちがいいな”と思いながら片付けていると、快斗がちらちらと視線を送ってくる。
「ん? お茶飲む? 今淹れるから、ちょっと待ってね」
彼の視線の意味がなんとなく、わかった。
カチャカチャと、小さく食器を下げる音が響く中、花梨はとぼけたように微笑んだ。
「……えー、花梨ちゃん。わかってて無視しちゃう感じ?」
「……明日も学校あるんだよ?」
快斗が頬杖をつき、ニヤニヤしている。
今週はまだ一度も泊まっていないから、泊まらないのだと花梨は思っていた。
花梨が言えることは、今日は木曜で、明日は通常の授業があるということだけ。
家が近いとはいえ、帰った方がいいと思うのだが……。
「充電切れなんだよなー……」
「充電って……? あ、スマホの充電器ならそこに――」
「花梨が足りねーのっ! なあ、わかってんだろ? ほらほら」
すっとぼける花梨に、快斗は眉間にしわを寄せムッと頬を膨らませる。指先をくいっ、くいっと何か期待するように動かした。
ギラリと熱いまなざしを向けられて、花梨の胸がドキリと跳ねる。
「っ……さあ~? なんだろう……私、鈍感だからわかんないなぁ~?」
――今日は、泊まるってはっきり言わないんだ……これ、私に“泊まってく?”って言わせたいの……?
快斗の視線がまっすぐ刺さって、頬が熱い。
どうしてさっきからこの人は、目を逸らさないのだろう……。
花梨は、自分が怪盗に狙われる宝石になった気分でいたたまれない。
ふっと快斗から顔を逸らした。
「……ふむ、そうくるか。こんなこともあろうかと、花梨が気に入ったって言ってた入浴剤、持ってきたんだけどな~?」
頬を赤くし、そっぽを向く花梨の視線の先に合わせ、快斗は手を伸ばす。
そして“じゃ~ん!”と、どこから出したのか、“ポンッ”と音を立て、大きな青いバスボムが突如快斗の手のひらに現れた。
コロンと手のひらで弾むそれは、湯に入れるとシュワシュワと泡を立ててゆっくり溶け、とろみのあるお湯が肌を優しく包む。
ラベンダーの香りがふわりと漂い、入浴後もなめらかな肌触りが続くという代物。
「っ!?」
突然現れたバスボムに、花梨の目が大きく見開いた。
その瞳がキラキラと輝く。“それっ! この前の……!”と、興味津々なのが丸わかりだ。
以前デート先で見つけたものだが、店内のお試しで花梨に好評だったから、いつか役に立つだろうと複数個購入しておいたもの。
一回使用したことがあるが、あまりの心地のよさに、花梨は湯船で眠ってしまっている。
一歩間違えれば溺れてしまうところで、快斗はヒヤヒヤした。
花梨がひとりで入浴中に使うのは危険と判断――。
快斗がバスボムをプレゼントすることはなく、使い時を考えていたところである。
(花梨……めちゃくちゃ食いついてる……? 寝ちゃうとちょっと危険だけど、オレがいるから問題ないな)
……たぶん、今がその使い時だ――と、快斗はバスボムをつまみ上げ、花梨に見せつけた。
「ど? 使いたい?」
「使いたいっ!」
この部屋で最後のお風呂が、お気に入りのバスボムを使ったお湯だなんて最高――。
快斗に誘導されているのはわかっていたが、花梨は二つ返事で食いつく。
「じゃあ、いいよな?」
「う、うん……」
不敵にニヤッとする快斗に、花梨は頬を赤く染めて、首を縦に振った。
「はい、どーぞ♡」
「ありがとうっ♡」
花梨は両手のひらを揃えて前に出し、にこにことバスボムを受け取る。
バスボムは深い青色をしていて、ラメが入っているのかキラキラと輝いていた。
まだ未開封の状態ながら、鼻を近づけるとほんのりラベンダーの香りが漂う。
――この香りがまたリラックスできるんだよね……。
前回使ったとき、花梨は湯船で三十分ほど眠ってしまった。
快斗が起こしてくれなければ――溺れていたかもしれない。
それくらいリラックスできる、恐ろしいバスボムなのだ。
けれど今夜は快斗もいるし、大丈夫だろう。
「オレ、食器洗ってから行くから、先入ってな~」
「わかった~♡」
さらっと、一緒に入ることにされていることにも気づかず、花梨は機嫌よく浴室へと向かった。
……花梨は浴槽のふたを開け、少しドキドキしながら、バスボムをそっと湯の中へ落とす。
青い泡が水面で踊るように広がり、湯気とともにふんわり甘く優しい香りが漂った。
少し溶けたところで、手を差し入れ、お湯に触れるとそのとろみと柔らかさに驚く。指先に絡む温かさが肌全体に伝わり、思わず「わぁ……♡」と声が漏れた。
「花梨、それ好きだったもんな~♡ これでゆっくり温まれるぞ」
心配でついてきたらしい快斗が、浴室の開け放ったドアから様子を見ている。
食器洗いはどうしたというのか……。
花梨は目を輝かせながらお湯に手をすべらせ、香りと肌触りを楽しむ。湯に手を浸したまま、やわらかく包み込むお湯の感触を感じながら、快斗の満足そうな笑みに少し顔を赤くした。
……花梨が脱衣所に出てきても、腕組みしながら壁にもたれる快斗はキッチンに戻る様子はない。
「……んもうっ! これから入るんだから、覗いちゃだめっ! 食器は~?」
「へ~い! ただいま~!」
目の前で脱ぐのは恥ずかしいため、花梨は彼の背を押して脱衣所から追い出した。