白月の君といつまでも   作:はすみく

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-- Spring, about 17 years old

▽前回のあらすじ
豪華列車の旅を楽しむ一行。だが快斗は、花梨を狙う視線を牽制しながら密かにキッドへと姿を変える。デッキで交わされる束の間の抱擁と、夜風に消える誓い。花梨は彼を信じ、封鎖された闇の中で帰還を待ち続ける。

第163話
キッドの回


163:女王の宣戦布告

 

 

 

 

 快斗は、列車の屋根の影からセリザベス女王の個室の窓へと降り立った。

 

 慎重に窓を開け、室内を覗き込む。

 そこは列車の中とは思えないほど、豪奢で静謐な空気に満ちていた。

 

 まず目に飛び込んできたのは、深いワインレッドのカーテンと、それに色を合わせた、ボタン留めのチェスターフィールドソファだ。

 壁際には、細密な彫刻が施されたマホガニー材のライティング・デスクが据えられ、その金縁のフレームが月光を跳ね返して鈍く光っている。

 天井から吊るされた小さなクリスタル・シャンデリアが、列車の走行に合わせて微かにチリ……と涼やかな音を立てた。

 

 だが、予想外に部屋は静まり返り、女王の姿はどこにも見当たらない。

 

 

「誰もいねぇな……ラッキ~♡ ……ん?」

 

 

 デスクの上には透明なアクリルケースが置かれ、深紅のベルベットに包まれた小さなクッションの上で、石座に嵌められたクリスタル・マザーが淡く光を放っていた。

 

 

 ――ご丁寧に、お宝まで置いといてくれるとは……太っ腹だな~♡

 

 

 快斗は静かに歩み寄り、ケースを開けて指先でクリスタル・マザーに触れ、そっと握ってみる。

 手袋越しだが、微かな冷たさ、滑らかな感触……しかし、手のひらに伝わる重量は思ったほどではない。

 

 

「……これは……ガラスだな」

 

 

 指先で軽く触れると、確かに硬さはあるが、手応えは本物の宝石ではなかった。

 太めのゴールドチェーンに繋がれた、大粒のペンダントトップ。いかにも重厚なネックレスだが、肝心の宝石がこれでは形無しだ。

 

 

「やっぱ、そんな簡単には手に入らねぇか……大使館の時もそうだったしなぁ~」

 

 

 深く息を吐き、少し肩をすくめる。

 それでも予想通りの展開に、快斗は唇の片端を上げてニヤリと笑った。

 

 

「では……」

 

 

 指先で石座の縁に触れる。ほんのわずかに浮かせると、小型の盗聴器がぴったり収まる隙間が出現した。

 

 

「ここだな……」

 

 

 ポケットから取り出した小型の盗聴器を手に取り、その隙間へ慎重に滑り込ませる。

 小さな音一つ立てず、快斗は指先で石座を軽く押し戻し、宝石が元通りに嵌まったのを確認した。

 装置は超小型で、まるで宝石の一部のように収まり、ぱっと見では何も変わっていないように見える。

 

 

「これで、次の動きも手に取るようにわかる」

 

 

 クリスタル・マザーを元通りクッションに置くと、わずかな沈み込みが自然で、置き場所が変わったことに誰も気づかないだろう。

 アクリルケースも元に戻して――と。

 

 

「あー、あー……」

 

 

 ……石座に仕込んだ盗聴器は無事作動しているようだ。

 イヤホンから自分の声が聞こえた。

 

 その時だった。

 ガチャ――と、扉の開く音が快斗の背後で響いた。

 

 

(おっと……部屋の主が戻ってきたな。ふふふ、さあ、偽物を持って行ってもらおうか)

 

 

 快斗はデスクに戻した“偽物の”クリスタル・マザーを見下ろし、今来たばかりだと装うことにする。

 

 

「ふぅ……――っ、何をなさっているのです!」

 

 

 背後から小さく息を吐く音とともに威厳のある女性の声。振り返ると、セリザベス女王が一人で部屋に戻ってきていた。

 セリザベス女王はキッドに険しい目を向けている。

 

 SPは部屋の外に控えているのだろう。快斗にとっては好都合だ。

 

 

「フフフ……見つかってしまいましたか。こんばんは、セリザベス女王陛下。予告通り、クリスタル・マザーをいただきに参りましたが、今回は諦めるしかなさそうですね?」

 

「……そのようですわね。それで、どうなさるおつもり?」

 

 

 女王の手が、閉じられた扉にかかっている。

 開いた途端、SPたちが一斉に入り込んでくるのだろう。

 

 

「――時間の余裕はまだあります。今は、麗しい女王陛下にご挨拶に伺っただけと致しましょう。また後ほど、クリスタル・マザーをいただきに参りますよ」

 

 

 快斗はデスク上の宝石をちらりと見下ろし、涼しい顔で両手を挙げると、そっと後ろに下がった。

 すると、セリザベス女王が扉から離れ、デスクに近寄ってくる。

 

 快斗はまた一歩後ろに下がった。

 

 

「……フフ、怪盗キッドさん。私と勝負致しましょうか」

 

「――勝負ですか?」

 

「ええ。あなたの予告状は、大阪に着くまでに、この宝石を盗むと書かれていた。列車が到着するまでに、あなたはこの宝石を盗む。私はあなたの魔の手から、この宝石を守り抜く。“クリスタル・マザー”は国の宝。私は国の名誉を賭けてあなたに勝負を申し込みます。いわば、これは私とあなたの一騎打ちですわ!」

 

 

 セリザベス女王は、キッドに指を差す一方で、デスクに置かれているクリスタル・マザーを片手に取り、胸に抱きしめる。

 キッドを睨み付ける瞳には、国を背負う者の凄みと威厳が滲んでいた。

 

 

「……わかりました。受けて立ちましょう」

 

 

 ――女王の気迫……すごすぎる……。

 

 

 クリスタル・マザーはイングラム公国の宝。

 もしそれがパンドラならば、必ず手に入れなければならない。

 

 快斗はクリスタル・マザーがパンドラでなければいいと願いながら、セリザベス女王の勝負に応じることにした。

 

 

「では、まずはこの部屋から無事出られるか、試しましょうか」

 

 

 セリザベス女王はクリスタル・マザー(偽物)を抱えたまま、速足で扉に向かうと、勢いよく開け放つ。

 

 

「……!」

 

 

 快斗が目を見開くうちに、イングラム公国のSPたちがなだれ込んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 SPたちが一斉に突入してきた瞬間、快斗は咄嗟に身を低くし、部屋の中を駆け回った。

 彼らの中には銃を手にしていた者もいたが、狭い個室で女王もいる。下手に発砲はできないだろう。すぐに銃を収め、キッド確保に奔走した。

 

 

「くっ……人、多すぎ!」

 

 

 部屋は瞬く間にもみくちゃにされ、腕や肩がぶつかり合う。

 しかし、快斗は焦らず、手近な物陰を利用して人の流れに紛れ込み、個室の扉を抜けた。

 

 ……通路にもSPがいっぱいだ。

 だが、野次馬も混ざっている。

 そこに紛れ込めば、簡単に抜け出せる。

 

 人々の視線が一斉にSPに向いた隙をつき、ポケットから畳まれていた薄手のジャンパーを取り出す。

 マントを瞬時に内側へ巻き込み、白い衣装の上からそれを羽織って、キャップを深くかぶった。顔にかかった影と、地味な防寒着を巧みに利用する。

 これでは誰も、彼が数秒前まで真っ白な怪盗だったとは認識できないだろう。

 

 

「早ク出テ下サイ! ココカラハ立チ入リ禁止デス!」

 

 

 SPの男が、片言の大声で野次馬を押し戻す。その間も、SPたちは個室内の隅々まで目を光らせ、イングラム語で叫び合う。

 

 

「Vare?!」

 

「Neyla…!」

 

「Zerth! Zerth!」

 

「Elarion, rotha!」

 

 

 快斗はその声を背に、隙を見て窓際に身を滑り込ませる。

 列車の屋根へ戻るためのルートはすでに頭に入っている。

 

 群衆に紛れ、霧のように姿を消しながら、慎重に窓を開けて屋根へと身を乗せた。

 窓の外に体を滑らせた瞬間、夜風が刃物のように頬を切った。

 足下――開いた窓からは怒号と足音が響く。

 しかし、快斗の姿はもはや誰の目にも映らない。

 

 屋根の上に乗ってしまえばそこはもう、快斗の独り舞台。

 快斗は激しく吹きつける風に身を任せ、羽織っていたジャンパーを一気に脱ぎ捨てた。

 丸めたマントが解放され、夜の闇の中で真っ白な翼を広げるように大きく翻る。キャップも放り捨てれば、再び月光の下に「怪盗キッド」が姿を現す。

 

 揺れる屋根の上を軽やかに伝いながら、彼は静かに列車の後方へと逃げていった。

 

 

「ふふふ……余裕余裕。にしてもイングラム語はさすがにわかんねぇな……」

 

 

 ――よし、それじゃ一旦、花梨のところに戻るか……!

 

 

 封鎖したデッキは寒いから、花梨は席に戻っているはず――。

 快斗は、今回も偽物だったことをこっそり花梨に教え、慰めてもらうつもりだ。

 きっと花梨なら、「そうだったんだ、残念だったね。次はきっと上手くいくよ♡」と、優しい笑顔で頭を撫でてくれるに違いない。

 目当ての宝石は手に入らなかったが、“花梨の笑顔”という最高の戦利品は手に入る。

 

 足取り軽く、快斗は開け放しておいた乗降口からデッキへと戻った。

 

 

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