白月の君といつまでも   作:はすみく

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-- Spring, about 17 years old

▽前回のあらすじ
車内で合流した快斗と花梨。快斗の「便秘」という不名誉な嘘と独占欲に翻弄され、花梨は密会の余韻と羞恥に顔を赤らめる。一方、快斗は寝たふりを装い、女王に仕掛けた盗聴器から本物の宝石の在り処を探り始める。

第166話
ニンニン!


166:女王の息子と雨の追憶(レイン・メモリーズ)

 ……ふと、そんな時だった。

 

 

『ねえ、お母様……』

 

 

 それまで響いていた大人たちの緊張感ある声を遮るように、盗聴器が幼い子どもの声を拾った。

 

 

(ん……? 子どもの声……?)

 

 

 少々小さいその声に、快斗は耳に手を当て、音の主を探るべく集中を研ぎ澄ませる。

 

 

『その首飾りちょっとヘンじゃない?』

 

『フィ、フィリップ!? なんて子なの? あれほど部屋から出てはならぬと言ったのに……。それに何度も教えたでしょう、人前では「女王陛下」と呼びなさいと……』

 

 

 名前から察するに、子どもは男の子のようだ。

 

 かすかに中森警部が「この子は?」と誰かに尋ねる声と、「フィリップ王子だよ……」と話しているのが聞こえてきた。

 どうやらフィリップ王子は、二年前から病で公に姿を現せなくなったヘンリー殿下と、セリザベス女王の息子であり、イングラム公国の次期国王らしい。

 

 

『でも、このニセ物は前に見た時と形がちがうよ……』

 

『ちょ、ちょっとよろしいですか……!?』

 

 

 ガサガサという音とともに、中森警部の声が大きくなる。

 

 

「ん……?(なんだ?)」

 

 

 快斗は目を瞬かせた。

 

 

『聞いてるか、怪盗キッドォォォ!!!』

 

 

 突如、耳を劈くような中森警部の声が鼓膜を叩く。

 快斗の口から思わず「ひっ」と小さい声が漏れた。

 

 

『このワシがいるかぎり!! 宝石には指一本触れさせないからそー思え!!!』

 

 

 怒気を孕んだ大音量に、脳まで震えそうだ。

 しまいには――

 

 バチンッ!!

 

 耳を刺すような衝撃音の直後、心臓に悪いほどの静寂がイヤホンを支配した。

 

 

「っ……(あ、あのヘボ警部……)」

 

 

 快斗は片目をつむり、耳を押さえて固まった。盗聴器が壊された衝撃音の反動で、しばらく頭がチカチカする。

 ……どうやら盗聴器が壊されたらしい。

 

 

「……あれ? 快斗起きたんだね、どうかした?」

 

「ん? あ、へへっ♡ なんでもねぇよ?(今、青子のオヤジに怒鳴られたんだよ……)」

 

 

 隣から大好きな声がして、快斗は声の方へ振り向いた。

 花梨が不思議そうな顔で見ている後ろで、青子も快斗を見ていたので、そちらには不満げに目を細める。

 

 

「ちょ、なによ……。なんで青子を睨むのよ? この列車に乗りたいって言ったの快斗でしょ? だから青子が父さんに頼んでキップを……」

 

「へいへい、オメーのオヤジさんにはいつも感謝してますよ!」

 

 

 青子と快斗の会話に、いつものやり取りがまた始まりそうだと、花梨は少し身を引いた。

 

 

(二人ってやっぱり仲良いなぁ……ちょっと妬けちゃうかも……なんてね……)

 

 

 二人のやり取りに花梨はにこにこと微笑む。

 少し寂しさを感じつつも、花梨は小さく胸の内で呟いた。

 

 

(……よかった)

 

 

 二人の賑やかな声を聞きながら、花梨はそっと胸を撫で下ろす。

 

 自分がいなくなった後の世界でも、こうして彼らが笑っていられるなら――。

 その確信だけが、今の彼女にとって唯一の救いであり、同時に胸を締め付けるほど切ない光だった。

 

 花梨がそんなことを考えていると、青子の口から思いも寄らない言葉が出る。

 

 

「――ったく、しっかりしてよね! これから一緒に女王陛下に会いに行くんだから……」

 

「「え?」」

 

 

 快斗と花梨の声が重なった。

 

 

「だって、せっかく女王陛下と乗り合わせたのよ! ラッキーじゃない!! だから会ってあいさつするのよ!」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 

 青子の話に、花梨はセリザベス女王を思い浮かべる。

 まさか本当に顔を合わせることになるとは……。

 

 

「“いつもキッドをこらしめてる中森警部の娘です”ってね♡」

 

「まじ……?」

 

 

 快斗も驚いた様子で、一瞬、言葉を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そんな花梨たちの一方、とある車両のトイレでは、車内の騒音に紛れ、男が密かに外部と連絡を取っていた。

 

 

『なに? またしても、キッドは我々の忠告を無視して巨大宝石(ビッグジュエル)を狙っているというのか?』

 

「はい、ボス……。それに、奴が予告したせいで警備の数が増えています……。これでは、奴より先に宝石を入手するのは困難かと……」

 

 

 スマホから聞こえる“ボス”の声に、トレンチコート姿で黒い帽子を被り、黒髭を生やした男は現状を伝える。

 当初はセリザベス女王から盗む予定だったが、キッドの予告状のせいで、直接盗む機会が失われ、すぐには手が出せなくなった。

 

 ……どうやら、この連絡を取り合う男たちはキッドの敵らしい。

 

 

『フン……ならば奴から奪えばよかろう! 必要ならば殺しても構わん!! いいか! くれぐれも宝石の取り扱いには注意するんだぞ!! 何しろあれは不老不死が叶う、命の石“パンドラ”かもしれんのだからな!!!』

 

「ハッ!!」

 

 

 盗めぬなら、奪えばいい。

 “ボス”の新たな命令に、男は低い声で返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 女王とはサロン車で会えるらしい。

 青子が先導し、快斗に手を引かれて花梨はサロン車に向かう。

 

 

(セリザベス女王かぁ……本当に会うことになるとは思わなかったな……)

 

 

 サロン車へ向かう足音に合わせるように、記憶の奥底で雨の音が静かに響き始めた。

 

 二年前――あれは、花梨がまだ親戚の屋敷に住んでいた頃のことだ。

 

 ……花梨の親戚は、鈴木財閥ほどではないが、大富豪。

 各国の要人が集まるパーティーが定期的に開かれたりと、政財界では有名な家柄で、その日もそうだった。

 

 花梨は身内ではあるが、働き手として駆り出され、膝下まで丈のあるクラシカルなメイド服に身を包み、給仕をしていた。

 屋敷は華やかに飾られ、招待客も世界的企業のCEOや各国の首脳、外務大臣等々、錚々たる顔ぶれで、あいにく外は土砂降りの雨だったが、近年稀に見る大規模なパーティーが執り行われた。

 

 広い庭も通路も、雨に濡れて足元は滑りやすく、招待客たちは、「よく降りますね……」「我が国にもこれくらい降ってくれれば……」なんて、降水量のすごさが話題になるくらいの大雨。

 

 花梨は給仕の仕事に追われつつ、屋敷の中を駆け回っていた。

 足りない備品の補充を兼ねて、被っている(かつら)の蒸れも気になり、一息つきたくなった花梨は、パーティー会場から離れた備品を置いた部屋に向かった。

 

 

「ふぅ……。やっぱり鬘は蒸れるなぁ……」

 

 

 あちこち駆けていたら、すっかり汗をかいてしまった。

 この部屋には誰もいないから、鬘を外してもいいだろう。

 部屋に入った花梨は、黒髪の鬘も眼鏡も取り外して、かいた汗をハンカチで拭った。

 

 ……そのときだった。

 部屋の奥から、子どもの泣き声が聞こえた。

 

 

「……? 誰かいるの……?」

 

 

 声に導かれるように、花梨は近づく。

 部屋に入ったとき、灯りが点いていなかったから、今、誰もいないはず――。

 

 でも、子どもの声。

 

 ……招待客の中に子どもも数人いた気がする。

 けれど、皆、丁重にもてなされて、こんな奥まった場所にいるはずがない。

 

 

「うぁあああんっ……!」

 

 

 花梨が備品の山の奥を覗くと、小さな男の子が飛び出してきた。

 

 

「……フィリップさま……!」

 

 

 招待客の顔は出迎えるときに憶えた。

 セリザベス女王の後ろで、フィリップ王子が俯きながら入ってきたのを記憶している。

 

 花梨は飛び出してきたフィリップ王子を抱きとめた。

 

 

「うぅ、この屋敷、迷路みたいだ……!」

 

 

 涙を湛えてフィリップ王子が訴える。

 聞き慣れないイングラム語だが、今日のために勉強した甲斐あって、なんとか彼の言葉が理解できた。

 どうやら彼は迷子になっていたらしい。

 

 

「ふふ。本当、そうですよね。私も、母屋はあんまり来ることがないから、よく迷ってます」

 

「お姉さんも迷うの!? 働いてるのに!?」

 

「ふふふっ。はい、このお屋敷、忍者屋敷みたいな仕掛けがあるお部屋もあるんですよ」

 

「ニンジャ!? 有名なジャパニーズ、ニンジャ!?」

 

「はい。じゃぱにーずにんじゃ!」

 

「えぇ~!? 本当に!?」

 

 

 さっきまで泣いていたフィリップ王子は、今やキラキラと瞳を輝かせる。

 こんな所に勝手に入り込んだ自分を叱責せず、優しい笑顔で接してくれる花梨にほんのり頬を赤く染めた。

 

 

「では、お母様のところへご案内しますね。あ、ここから会場までは把握していますから、ご安心ください」

 

 

 花梨は外した鬘を被り直し、眼鏡もかけ、フィリップ王子に手を差し出す。

 フィリップ王子は花梨の鬘姿に首を傾げながらも、その手をぎゅっと握った。

 

 

「お母様に怒られるよね……」

 

「……フィリップさまがいなくなって、心配しておられると思いますよ。もし怒られそうになったら、私のせいにしていただいて構いませんから」

 

「お姉さんのせいじゃないじゃん……」

 

「ふふ、私がお手洗いにご案内するのを間違えた――とでも言っていただければ大丈夫ですよ」

 

「お姉さんが悪者になっちゃうじゃん! そんなのヤダよ!」

 

 

 二人で手を繋ぎ、そんな話をしながら会場に戻る。

 戻った会場では、フィリップ王子の行方が知れず、ちょっとした騒ぎになっていたが、やがて現れたその無事な姿に、女王は安堵した。

 フィリップ王子をセリザベス女王に引き渡した花梨は、叱責を覚悟したが、王子が女王に耳打ちし、何か言ったのか、お咎めはなかった。

 

 

「――ありがとう」

 

 

 多くの賓客の中、常に凛とした佇まいで威厳を保っていたセリザベス女王は、フィリップ王子の頭を撫で、花梨に優しい瞳を向ける。

 その瞳はどこか見透かすようで、花梨は居心地の悪さを感じた。

 

 

「いえ、では私はこれで……」

 

 

 おずおずと頭を下げ、早々にその場を立ち去ろうと踵を返す。

 数歩歩いたところで、フィリップ王子が追いかけて来た。

 

 

「お姉さんありがとう! 名前は何て言うの?」

 

「私ですか? 私は花梨です。葵花梨」

 

「カリン。ボク、キミのこと気に入ったよ!」

 

 

 別れ際、フィリップ王子から明るい笑顔を向けられ、後ろに立つセリザベス女王が温かい目で見守る中、花梨は笑顔で別れた。

 

 ……憶えてくれているのだろうか。

 

 けれど、憶えてくれていなくていい。

 あの時の自分は親戚の家の子で、今は違う。

 

 今はただの“花梨”――快斗の隣にいたいと願う、一人の女の子なのだから。

 

 ガタゴトと響く列車の振動と、窓を叩く激しい夜風の音が、遠い日の雨音をかき消していく。

 不意に繋いだ手に力がこもり、花梨は隣を歩く快斗の横顔を盗み見た。

 

 

「――あ、着いたわよ! ここがサロン車!」

 

 

 青子の弾んだ声が、通路の空気を鮮やかに塗り替えた。

 

 

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