▽前回のあらすじ
車内で合流した快斗と花梨。快斗の「便秘」という不名誉な嘘と独占欲に翻弄され、花梨は密会の余韻と羞恥に顔を赤らめる。一方、快斗は寝たふりを装い、女王に仕掛けた盗聴器から本物の宝石の在り処を探り始める。
第166話
ニンニン!
……ふと、そんな時だった。
『ねえ、お母様……』
それまで響いていた大人たちの緊張感ある声を遮るように、盗聴器が幼い子どもの声を拾った。
(ん……? 子どもの声……?)
少々小さいその声に、快斗は耳に手を当て、音の主を探るべく集中を研ぎ澄ませる。
『その首飾りちょっとヘンじゃない?』
『フィ、フィリップ!? なんて子なの? あれほど部屋から出てはならぬと言ったのに……。それに何度も教えたでしょう、人前では「女王陛下」と呼びなさいと……』
名前から察するに、子どもは男の子のようだ。
かすかに中森警部が「この子は?」と誰かに尋ねる声と、「フィリップ王子だよ……」と話しているのが聞こえてきた。
どうやらフィリップ王子は、二年前から病で公に姿を現せなくなったヘンリー殿下と、セリザベス女王の息子であり、イングラム公国の次期国王らしい。
『でも、このニセ物は前に見た時と形がちがうよ……』
『ちょ、ちょっとよろしいですか……!?』
ガサガサという音とともに、中森警部の声が大きくなる。
「ん……?(なんだ?)」
快斗は目を瞬かせた。
『聞いてるか、怪盗キッドォォォ!!!』
突如、耳を劈くような中森警部の声が鼓膜を叩く。
快斗の口から思わず「ひっ」と小さい声が漏れた。
『このワシがいるかぎり!! 宝石には指一本触れさせないからそー思え!!!』
怒気を孕んだ大音量に、脳まで震えそうだ。
しまいには――
バチンッ!!
耳を刺すような衝撃音の直後、心臓に悪いほどの静寂がイヤホンを支配した。
「っ……(あ、あのヘボ警部……)」
快斗は片目をつむり、耳を押さえて固まった。盗聴器が壊された衝撃音の反動で、しばらく頭がチカチカする。
……どうやら盗聴器が壊されたらしい。
「……あれ? 快斗起きたんだね、どうかした?」
「ん? あ、へへっ♡ なんでもねぇよ?(今、青子のオヤジに怒鳴られたんだよ……)」
隣から大好きな声がして、快斗は声の方へ振り向いた。
花梨が不思議そうな顔で見ている後ろで、青子も快斗を見ていたので、そちらには不満げに目を細める。
「ちょ、なによ……。なんで青子を睨むのよ? この列車に乗りたいって言ったの快斗でしょ? だから青子が父さんに頼んでキップを……」
「へいへい、オメーのオヤジさんにはいつも感謝してますよ!」
青子と快斗の会話に、いつものやり取りがまた始まりそうだと、花梨は少し身を引いた。
(二人ってやっぱり仲良いなぁ……ちょっと妬けちゃうかも……なんてね……)
二人のやり取りに花梨はにこにこと微笑む。
少し寂しさを感じつつも、花梨は小さく胸の内で呟いた。
(……よかった)
二人の賑やかな声を聞きながら、花梨はそっと胸を撫で下ろす。
自分がいなくなった後の世界でも、こうして彼らが笑っていられるなら――。
その確信だけが、今の彼女にとって唯一の救いであり、同時に胸を締め付けるほど切ない光だった。
花梨がそんなことを考えていると、青子の口から思いも寄らない言葉が出る。
「――ったく、しっかりしてよね! これから一緒に女王陛下に会いに行くんだから……」
「「え?」」
快斗と花梨の声が重なった。
「だって、せっかく女王陛下と乗り合わせたのよ! ラッキーじゃない!! だから会ってあいさつするのよ!」
「そ、そうなんだ……」
青子の話に、花梨はセリザベス女王を思い浮かべる。
まさか本当に顔を合わせることになるとは……。
「“いつもキッドをこらしめてる中森警部の娘です”ってね♡」
「まじ……?」
快斗も驚いた様子で、一瞬、言葉を失った。
……そんな花梨たちの一方、とある車両のトイレでは、車内の騒音に紛れ、男が密かに外部と連絡を取っていた。
『なに? またしても、キッドは我々の忠告を無視して
「はい、ボス……。それに、奴が予告したせいで警備の数が増えています……。これでは、奴より先に宝石を入手するのは困難かと……」
スマホから聞こえる“ボス”の声に、トレンチコート姿で黒い帽子を被り、黒髭を生やした男は現状を伝える。
当初はセリザベス女王から盗む予定だったが、キッドの予告状のせいで、直接盗む機会が失われ、すぐには手が出せなくなった。
……どうやら、この連絡を取り合う男たちはキッドの敵らしい。
『フン……ならば奴から奪えばよかろう! 必要ならば殺しても構わん!! いいか! くれぐれも宝石の取り扱いには注意するんだぞ!! 何しろあれは不老不死が叶う、命の石“パンドラ”かもしれんのだからな!!!』
「ハッ!!」
盗めぬなら、奪えばいい。
“ボス”の新たな命令に、男は低い声で返事をした。
◇
女王とはサロン車で会えるらしい。
青子が先導し、快斗に手を引かれて花梨はサロン車に向かう。
(セリザベス女王かぁ……本当に会うことになるとは思わなかったな……)
サロン車へ向かう足音に合わせるように、記憶の奥底で雨の音が静かに響き始めた。
二年前――あれは、花梨がまだ親戚の屋敷に住んでいた頃のことだ。
……花梨の親戚は、鈴木財閥ほどではないが、大富豪。
各国の要人が集まるパーティーが定期的に開かれたりと、政財界では有名な家柄で、その日もそうだった。
花梨は身内ではあるが、働き手として駆り出され、膝下まで丈のあるクラシカルなメイド服に身を包み、給仕をしていた。
屋敷は華やかに飾られ、招待客も世界的企業のCEOや各国の首脳、外務大臣等々、錚々たる顔ぶれで、あいにく外は土砂降りの雨だったが、近年稀に見る大規模なパーティーが執り行われた。
広い庭も通路も、雨に濡れて足元は滑りやすく、招待客たちは、「よく降りますね……」「我が国にもこれくらい降ってくれれば……」なんて、降水量のすごさが話題になるくらいの大雨。
花梨は給仕の仕事に追われつつ、屋敷の中を駆け回っていた。
足りない備品の補充を兼ねて、被っている
「ふぅ……。やっぱり鬘は蒸れるなぁ……」
あちこち駆けていたら、すっかり汗をかいてしまった。
この部屋には誰もいないから、鬘を外してもいいだろう。
部屋に入った花梨は、黒髪の鬘も眼鏡も取り外して、かいた汗をハンカチで拭った。
……そのときだった。
部屋の奥から、子どもの泣き声が聞こえた。
「……? 誰かいるの……?」
声に導かれるように、花梨は近づく。
部屋に入ったとき、灯りが点いていなかったから、今、誰もいないはず――。
でも、子どもの声。
……招待客の中に子どもも数人いた気がする。
けれど、皆、丁重にもてなされて、こんな奥まった場所にいるはずがない。
「うぁあああんっ……!」
花梨が備品の山の奥を覗くと、小さな男の子が飛び出してきた。
「……フィリップさま……!」
招待客の顔は出迎えるときに憶えた。
セリザベス女王の後ろで、フィリップ王子が俯きながら入ってきたのを記憶している。
花梨は飛び出してきたフィリップ王子を抱きとめた。
「うぅ、この屋敷、迷路みたいだ……!」
涙を湛えてフィリップ王子が訴える。
聞き慣れないイングラム語だが、今日のために勉強した甲斐あって、なんとか彼の言葉が理解できた。
どうやら彼は迷子になっていたらしい。
「ふふ。本当、そうですよね。私も、母屋はあんまり来ることがないから、よく迷ってます」
「お姉さんも迷うの!? 働いてるのに!?」
「ふふふっ。はい、このお屋敷、忍者屋敷みたいな仕掛けがあるお部屋もあるんですよ」
「ニンジャ!? 有名なジャパニーズ、ニンジャ!?」
「はい。じゃぱにーずにんじゃ!」
「えぇ~!? 本当に!?」
さっきまで泣いていたフィリップ王子は、今やキラキラと瞳を輝かせる。
こんな所に勝手に入り込んだ自分を叱責せず、優しい笑顔で接してくれる花梨にほんのり頬を赤く染めた。
「では、お母様のところへご案内しますね。あ、ここから会場までは把握していますから、ご安心ください」
花梨は外した鬘を被り直し、眼鏡もかけ、フィリップ王子に手を差し出す。
フィリップ王子は花梨の鬘姿に首を傾げながらも、その手をぎゅっと握った。
「お母様に怒られるよね……」
「……フィリップさまがいなくなって、心配しておられると思いますよ。もし怒られそうになったら、私のせいにしていただいて構いませんから」
「お姉さんのせいじゃないじゃん……」
「ふふ、私がお手洗いにご案内するのを間違えた――とでも言っていただければ大丈夫ですよ」
「お姉さんが悪者になっちゃうじゃん! そんなのヤダよ!」
二人で手を繋ぎ、そんな話をしながら会場に戻る。
戻った会場では、フィリップ王子の行方が知れず、ちょっとした騒ぎになっていたが、やがて現れたその無事な姿に、女王は安堵した。
フィリップ王子をセリザベス女王に引き渡した花梨は、叱責を覚悟したが、王子が女王に耳打ちし、何か言ったのか、お咎めはなかった。
「――ありがとう」
多くの賓客の中、常に凛とした佇まいで威厳を保っていたセリザベス女王は、フィリップ王子の頭を撫で、花梨に優しい瞳を向ける。
その瞳はどこか見透かすようで、花梨は居心地の悪さを感じた。
「いえ、では私はこれで……」
おずおずと頭を下げ、早々にその場を立ち去ろうと踵を返す。
数歩歩いたところで、フィリップ王子が追いかけて来た。
「お姉さんありがとう! 名前は何て言うの?」
「私ですか? 私は花梨です。葵花梨」
「カリン。ボク、キミのこと気に入ったよ!」
別れ際、フィリップ王子から明るい笑顔を向けられ、後ろに立つセリザベス女王が温かい目で見守る中、花梨は笑顔で別れた。
……憶えてくれているのだろうか。
けれど、憶えてくれていなくていい。
あの時の自分は親戚の家の子で、今は違う。
今はただの“花梨”――快斗の隣にいたいと願う、一人の女の子なのだから。
ガタゴトと響く列車の振動と、窓を叩く激しい夜風の音が、遠い日の雨音をかき消していく。
不意に繋いだ手に力がこもり、花梨は隣を歩く快斗の横顔を盗み見た。
「――あ、着いたわよ! ここがサロン車!」
青子の弾んだ声が、通路の空気を鮮やかに塗り替えた。