▽前回のあらすじ
中森警部の怒号で盗聴器を破壊された快斗。耳鳴りに悶絶する中、青子の提案で女王への挨拶が決まる。花梨は二年前、メイド姿で迷子のフィリップ王子を助けた日を回想する。一方、闇に潜む組織も宝石を狙い動き出していた。
第167話
知らない方がいいってこともあるよね!
「――花梨? サロン車に着いたけど……ぼうっとして、どーした?」
「……へ? あっ、ご、ごめんなさい。お腹が空いて、ちょっとぼーっとしちゃったみたい……」
快斗の手が顔の目の前で左右に振れて、花梨は目を瞬かせる。
懐かしい記憶に周りが見えていなかった。
いつの間にかサロン車の前に着いて、青子が開いた自動扉をくぐり、中へ入っていく。
「はははっ、そっか。じゃあ早いとこ、挨拶を済ませてメシにするか。サロン車なら軽食が食えるらしーしな?」
「うん……」
笑う快斗を見つめ、花梨は微笑む。
……セリザベス女王がもし自分を憶えていたら、どうしよう……。
快斗には、“親戚”について知られたくない。
彼とはそういうしがらみを抜きにして、ただの男と女として接したまま、お別れしたいのだ。
(イングラム語でお願いしたら……聞いてくれるかな……?)
イングラム語は特殊な言語だから、いくら天才の快斗でも、知らないかもしれない。
もしも女王とフィリップ王子が憶えていたのなら、なんとか誤魔化してみよう。
快斗が親戚と関わらないでいてくれることが、彼の安全を保証する鍵となるから。
落ち着いた雰囲気のサロン車内を進むと、花梨の前で青子が足を止めた。その先には、気品と威厳を備えた美しい女性がいた。
女性の隣には見知った顔が赤い顔で酒を煽っている。
……青子の父、中森警部だ。
「ワッハッハ! ヨーロッパの酒は最高ですな陛下!!」
「ホホホ……」
警備中だというのに、中森警部はすっかり出来上がっている様子。
青子が「お、お父さん!?」と驚くと、快斗も「酒飲んでやがる……」なんて呆れた顔をした。
花梨はといえば、快斗の後ろにそっと隠れるようにして顔をうつむける。
「おーーっ、青子と快斗君、それに花梨ちゃんかーー!! 陛下! うちの娘の青子と、友達の快斗君に花梨ちゃんですよ!!」
「まあ……」
すでに酔っ払いの中森警部が、セリザベス女王に花梨たちを紹介すると、女王はにこにこと笑顔を向けてくれた。
「は、はじめまして女王陛下!!」
青子と快斗が頭を下げる後ろで、花梨も黙って頭を下げる。
(陛下は憶えてないみたい……? 一度しか会ってないもの。そうだよね)
女王はにこにこと優しい笑みを湛えているだけで、花梨に気づいた様子はない。
ほっとした花梨は頭を下げ終えると、念のため再び快斗の後ろに身を隠した。
「どうした? みんなそろって……」
「か、快斗がどーしても陛下に会いたいって……ね!」
中森警部の問いに、青子は照れた様子で快斗の脇腹を肘で突く。
急に振られた快斗はジト目だ。
「ウロチョロして警備の邪魔をするんじゃないぞーー!!」
「はーい!」
……挨拶を無事済ませ、さあ、次は食事だ――と、元気よく返事した青子に続いて、快斗も花梨もテーブル席に向かおうとしたときだった。
「――Myra…」
「っ!?」
背後から、銀鈴を転がすような、けれど逆らいがたい重みを持った声が花梨を繋ぎ止めた。
前を歩く快斗には、それがただの異国の言葉にしか聞こえなかった。
女王が、気まぐれに誰かを呼び止めただけ――そう思った。
けれど。
花梨の足が、止まった。
一瞬だけ、呼吸を忘れたように。
(……? なんだ?)
花梨の足音が消えた違和感に、快斗は後ろを振り向く。
その瞬間、快斗は見てしまった。
ずっと隣に感じていた“いつもの花梨”の気配が、すっと消えていた。彼女の背筋は、驚くほど美しく伸びている。
それはクラスメイトや恋人としての顔ではなく、どこか気高い、女王と同じ側に立つ者の所作だった。
それから花梨はゆっくりと後ろ――女王に振り返り、黙って深く頭を下げる。
『……お久しぶりですわね』
イングラム語だった。
女王は微笑み、続ける。
その言葉の中に、二年前の出来事、白の奇跡、“未来を知っている者の名称”が含まれていることを、花梨だけが理解していた。
女王が花梨に二言三言、イングラム語で語りかけると、花梨は唇を震わせながらも、懐かしき我が家への敬意を示すような言葉を紡いだ。
「Ithre silan dorath, no varel esthia telin…」
(私たちが知り合いだということは、どうか他の人には内緒にしてください)
快斗と青子を一瞬見て、たどたどしく語る花梨に、女王は柔らかく微笑み、頷く。
「Silan dorath ithre… ymm, velar esthia.」
(もちろんです、花梨。あなたの思いは守りましょう)
花梨の目の動きに気づいた女王の瞳は優しい。
「ありがとうございます……」
最後には二人で微笑み合い、握手して別れた。
「花梨ちゃん?」
花梨が再び歩き始めると、青子が振り返って小さく首を傾げる。
花梨は一拍置いてから、いつもの声で笑った。
「えっと……昔、少しだけお会いしたことがあって」
それだけ。
それ以上は、何も言わなかった。
快斗は彼女の横顔を見つめながら、なぜか胸の奥がざわつくのを感じていた。
……自分の知らない世界が、彼女の背後にある。
そんな気がして……。
◇
花梨たちは女王とは少し離れた席へと着いた。
「はー、緊張したぁ……! 緊張したら小腹が減ってきちゃった。なにか食べよー?」
「ふふふっ、お疲れさま~」
隣同士座った青子と花梨は、テーブル上のメニューを手にする。
花梨の向かいには、快斗が黙ったまま腕組みをしていた。
視線が……花梨に向けられている。
「それにしても花梨ちゃん、女王陛下といったいどこで会ってたの~?」
「ん~……陛下は何度か来日されているから……イベント会場で少し……?」
「なんで疑問形なの……」
「あはは……。まさか憶えて下さっているなんて思わなかったから、実は私も驚いてたり……」
「そうだったんだ。女王陛下、綺麗な人だもんね~!」
「ね~!」
引き続き、楽しげに「どれにする~?」などと軽食メニューを眺める二人のうち、一人。快斗はじっと花梨だけを見ていた。
「……」
同じ空間にいるはずなのに、さっきから、花梨が妙に遠い。
(……なんだよ)
快斗は腕を組んだまま、視線を合わせようとしない花梨を見つめ続ける。
女王に呼び止められた時のことが、気になって仕方ない。
言葉の意味は分からなかった。
ただの外国語だ。
なのに――。
花梨が、あんなふうに立ち止まったのを、快斗は見逃していなかった。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
花梨は、快斗がまだ一度も見たことのない顔をしていた。
(……オレの知らない、花梨……)
それはきっと、まだ彼女が打ち明けてくれていない秘密に関係すること……。
今なら問いかければ、花梨はきっと話してくれる。
けれど、快斗の喉まで出かかった言葉は、形にならずに飲み込まれた。
彼女の秘密を知ることは、自分の秘密を話すことと同義。
それに……なぜか、“聞いたら、何かが終わる”そんな予感がした。